国宝・吉備津神社本殿の姿と大きさに圧倒される | ゲイムマンの日本縦断紀行

ゲイムマンの日本縦断紀行

ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を公開中。

『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する歴史上の人物を訪ねる旅。
いよいよ吉備津神社の拝殿・本殿に参拝します。

 

 

 吉備津('23.12.27)

 


あらためて、吉備津神社入口、標柱(しめばしら)の前までやってきました。
私はこういう標柱を見た記憶がないのですが、西日本、特に瀬戸内に多いらしいです。

 


神社の入口にある「矢置岩」。
吉備津彦命が温羅との戦いで矢を射ち合ったとき、ここに矢を置いていたと伝わります。

 

 


石段を上り、北随神門をくぐります。ちょうど正午のサイレンが鳴りました。
北随神門は室町時代中期に再建されたもので、国の重要文化財。

 


さらに石段を上がると、そのまま拝殿の中に至ります。

 


「平賊安民」の扁額は1918年(大正7年)、漢学者で二松學舍の創立者、三島毅(中洲)が揮毫しました。
三島中洲は、JR伯備線・方谷駅の名の由来となった山田方谷の弟子でもあり、備中松山藩の財政再建や産業振興に尽力した方谷を助けました。
明治維新後、西洋文化に押されていた漢学の再興に努めています。東宮侍講(大正天皇の教育係)も務めました。

 

私も、“平賊安民”と言うと言葉が強いかもしれませんが、それに近い願い事を。
「『香川県からの脱出』が広く読まれるようになることによって、ゲームを毛嫌いする為政者・権力者たちがやってきた行為を広く世に知らしめ、彼らを改心させるか、さもなくば失脚させることができますように」

 


左に進んで拝殿を出ると、ようやく巨大な本殿が全貌を現しました。(右側に突き出た部分が拝殿)

 

吉備津神社がいつ創建されたのかは複数の説があり、吉備津彦命の5世孫である加夜臣奈留美命(かやおみなるみのみこと)が創建したとも、吉備津彦命の弟・若建日子吉備津彦命(わかたけひこきびつひこのみこと。稚武彦命)のひ孫である、稲速別命(いなはやわけのみこと)・御友別命(みともわけのみこと)・鴨別命(かもわけのみこと)が創建したともいわれています。
(日本書紀では、稲速別命は御友別命の長子とされています)

また、仁徳天皇が、皇后・磐之媛命(石之日売命)の嫉妬を恐れて吉備に帰った黒媛(黒日売)(吉備海部直の娘)を慕って当地に行幸した際に、吉備津彦命の功績を聞き、社殿を建ててまつったのが始まりともいわれています。

 

現在は備中一宮ですが、689年(持統天皇3年)に吉備国が備前・備中・備後に分かれる前は、ここが吉備国の中心的な神社であり、そのため「三備一宮」という別名があります。
備前と備中の境界は、吉備津彦命の墓とされる中山茶臼山古墳のある吉備の中山を二分しており、備前国で吉備津彦命をまつる吉備津彦神社も吉備の中山の山麓にあります。

 


年末なので、今まで訪れた他の神社と同じく、ここにも大きな龍の絵馬がありました。

 


「比翼入母屋造」という独特な形の屋根を持つ本殿。
1425年(応永32年)、足利義満によって再建された建物が現存しており、本殿・拝殿とも国宝に指定されています。京都・八坂神社の本殿に次ぐくらいの大きさだそうです。

 

御祭神の吉備津彦命(大吉備津彦命)は、桃太郎のモデルとされています。
備前の吉備津彦神社を取り上げたときに詳しく書きましたが、『日本書紀』では第10代天皇・崇神天皇の時代に、『古事記』では第7代・孝霊天皇の時代に、吉備国の人々を朝廷に帰順させました。
この平定の際に、吉備国で温羅(うら)という鬼と戦った伝説が、桃太郎の話の原型といわれています。

 

 

相殿神は吉備津彦神社とは少し違っていて、
御友別命(みともわけのみこと。先述の大吉備津彦命の子孫で、吉備氏の祖とされる)、
仲彦命(なかつひこのみこと。御友別命の子)、
千々速比売命(ちちはやひめのみこと。大吉備津彦命の姉)、
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと。大吉備津彦命の姉で、大物主神の妻。卑弥呼と同一人物とする説あり)、
日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと。大吉備津彦命の兄)、
倭迹迹日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと。大吉備津彦命の妹)、
彦寤間命(ひこさめまのみこと。大吉備津彦命の弟)、
若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと。大吉備津彦命の弟で、ともに吉備国を平定した。稚武彦命)

(吉備津神社の公式サイトでは見かけませんでしたが、複数のサイトでこの8柱の神が挙げられています)

 

 

 

鉄道コム

 

「吉備津神社は江戸時代以前の神社のスタイルを残しているのか、いろいろ謎が多い」へ続く)

 

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ
にほんブログ村 ゲームブログ ゲーム制作へ ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村

 




人気ブログランキング

 

※『脱出ゲーム 香川県からの脱出』のヒット祈願で、ゲームの登場人物ゆかりの地を巡る旅は、以前にも何度か行なっています。よろしければこちらも御覧下さい。

 

 

JR大津駅 瀬田の唐橋 建部大社(日本武尊) 建部大社、琵琶湖線 大阪駅となんば駅 南海・浜寺公園駅 阪堺・浜寺駅前駅と浜寺公園 夜の浜寺公園と堺市

 

JR阪和線・東羽衣支線 大鳥大社(前編)(日本武尊) 大鳥大社(後編) 仁徳天皇陵 堺シャトルバスなど 阪神なんば線 阪神本線、神戸三宮

 

花隈・新開地 須磨寺駅・仁王門 源平の庭 須磨寺本堂など 大師堂(尾崎放哉、源義経、空海) 須磨寺のおもろいもん 平敦盛の首塚 須磨浦山上遊園カーレーター ゲームコーナー 回転展望閣

 

岡山・桃太郎線 吉備津彦神社の桃太郎像 吉備津彦神社(桃太郎) 吉備津彦神社の摂末社 備前一宮駅と岡山駅前

 

(※関西・岡山ダイジェスト) 大津・建部大社と堺・大鳥大社(日本武尊)、神戸・須磨寺(尾崎放哉) 岡山・吉備津神社と吉備津彦神社(桃太郎) 安倍晴明神社と、あべのハルカス、道頓堀、特急ひのとり

 

 

池上駅 池上本門寺(日蓮) 矢口渡駅、蒲田の屋上観覧車 武蔵新田駅から新田神社(1)(新田義興、平賀源内) 新田神社(2) 新田神社(3)

 

東急&相鉄新横浜線&相鉄・JR直通線 緑園都市駅&ゆめが丘駅 藤沢本町(源義経) 辻堂駅・テラスモール湘南(前編) テラスモール湘南(後編) 片瀬江ノ島駅

 

多磨霊園(前編) 多磨霊園(後編)(大平正芳、大川博、菊池寛) 虎ノ門の金刀比羅宮 神田明神・将門塚(平将門) 東寺(空海) 白峯神宮(前編)(崇徳天皇) 白峯神宮(後編)(崇徳天皇) 晴明神社(安倍晴明) 北野天満宮(菅原道真)

 


俳優・八名信夫氏の著書『悪役は口に苦し』(小学館)の中で、それぞれの時代背景について補足説明する文章を、少しだけ書いてます。

 

SUZURIでTシャツやサコッシュなどを販売しています。

 

※これまでの「日本縦断紀行」はこちら。

 

  翻译: