被爆者であることから逃れたかった。長崎市の原爆資料館の駐車場で管理人として働きながら館内には入らなかった。同市の田中安次郎さん(82)は約20年前、勤務中に同館の見学を終えた岡山の修学旅行生から「なんで人間はあんな残酷なことをするのか」と問われたが、答えられなかった。田中さんは「ほいじゃあいかん」と原爆の勉強を始めた。
3歳だった1945年8月9日、同市矢の平の自宅前で遊んでいた時、「カメラのフラッシュを何万個も集めたような青白い光が来た」。爆心地の南東約3・4キロ。近所の家に飛び込んだが、爆風に吹き飛ばされて気絶した。叔父が助け出してくれた。
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