生き残った後ろめたさから、あの日を語ってこなかった。ふと見渡すと、惨禍を生き延びた同窓生は数えるほどになっていた。79年前、13歳だった才木幹夫さん(92)=広島市中区=はこの4月、証言活動を始めた。6日朝、広島の原爆慰霊碑に手を合わせ、「仲間の思いを背負い、体力が続く限り証言する。それが私の使命だ」と誓った。
79年前の8月6日、旧制広島一中(現広島県立広島国泰寺高校)2年だった才木さんは、爆心地から約800メートル離れた土橋町(中区)の建物疎開作業に行くはずだったが、直前に引率の先生の指示で休みに。爆心地から約2・2キロの段原中町(現同市南区)の木造平屋の自宅で被爆したが、幸運にも無傷だった。だが、登校したり建物疎開に従事したりしていた一中の生徒や教職員計369人は被爆死した。「生き残って申し訳ない」と負い目があった。
「広島出身」が重く
クラシック好きで広島音楽学校(現エリザベト音楽大)を経て、1951年に広島のNHK放送合唱団へ入団。58年に東京の同合唱団へ入った。広島出身だと言うと、同僚が顔を引きつらせて遠ざかるという経験もした。
翌59年に地元広島のテレビ局に入社。体が常に重かった。仕事を片付けるのに精いっぱいで、仕事後の飲み会は欠席続き。被爆の影響が常に頭をよぎった。
平和を願い、8月6日の音楽番組で原爆にまつわる歌の特集を組んだが、自らの体験は公にしなかった。自分が生き延びた理由を探し、「いつまでも避けていてはいけない。過去を語り継ぐことが自分の責務では」とも考えたが、…
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