時津町の長野靖男さん(81)は、爆心地の南西約5キロの旧福田村(現長崎市)の自宅近くで被爆したが、当時2歳で記憶がない。後に兄から聞いた話では、自宅のガラスが粉々になるほどの爆風を受けたが、母が長野さんを抱いたまま道に伏せたため、けがはなかったという。
被爆後の混乱で、運送会社で働いていた父が失業。貧乏のどん底に突き落とされた。食べることもままならず、水を飲んで飢えをしのいだ。近所の病院の奥さんが食べものの残りを分けてくれた。
長野さんは中学2年の社会科の授業をきっかけに「貧乏の原因は戦争にあったんだ」と気づき、「俺たちみたいに苦労する子供が出ないよう、戦争のない平和な世の中にするために何かしたい」と考えるようになった。
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