台湾の離島になりたい島
「台湾の離島のようになれないかと……」。糸数(いとかず)健一・沖縄県与那国町長(71)の言葉が耳から離れない。先月、国内の「国境」地域自治体の関係者や研究者で作る「境界地域研究ネットワークJAPAN」のセミナーなどで、日本最西端の与那国島に4日間滞在した。そのセミナーで聞いたせりふだった。
与那国町は、与那国島(東西約12キロ、南北約4キロ)だけが町域だ。人口は1699人(2023年12月現在)。テレビドラマ・映画「Dr.コトー診療所」の撮影地などとして知られるが、実は16年から陸上自衛隊のレーダー部隊が駐屯する。対中抑止力強化などだけでなく、町自ら過疎化対策で誘致したものでもある。今後、ミサイル部隊も配備される。が、島再生の決定打とはなっていない。お隣、台湾との強い交流を復活させる国策的な支援が必要だと、セミナー後も島内を取材して思った。
目の前に東京より大きな経済圏が……
先月11日、朝5時前に東京の自宅を出て飛行機を乗り継ぎ、午後4時ごろ、与那国空港に着いた。東京との距離は約2000キロで、県都・那覇市とも500キロ以上(東京都心から徳島市に相当)離れている。一番近い市、石垣市(石垣島)からも127キロある。
空港から日本最西端の集落、久部良(くぶら)へ。浜辺でオリオンビールをあおる。つまみはカジキマグロの刺し身。カジキは県内一の漁獲量を誇る。台湾方向の海に、日本で最後に落ちる夕日が映えた。
台湾までは111キロしかない。国内では最果てだが、目の前に人口約2300万人、東京都以上の巨大経済圏があるのだ。
戦前は、本当に「台湾の離島」だった。進学や就職、時に買い物先さえ台湾で、1次産品を輸出もした。終戦後は台湾帰属を考えた有力者もいた。朝鮮戦争開戦(1950年)までは中台や沖縄本島、日本本土との「密貿易」の中継で栄え、人口約1万2000人を数えた。衰退は、国境が閉ざされ、台湾へ直行できなくなるとともに始まった。
国際交流特区が頓挫し自衛隊誘致
着いた翌日、バスで島内を回った。起伏の多い地形で海辺は断崖が多い。「日本最西端の碑」がある断崖上から、気象条件のよい年数回だけ台湾を望める。島の反対側は、約90キロ先の「隣接」自治体、竹富町の西表島が見えることも。
与那国町は、00年代の「平成の大合併」で、共に八重山列島を構成する竹富町や石垣市と合併を検討したものの、単独での自立を選んだ。台湾との航路開設や物流自由化などの「国境交流特区」を国に申請したが、2回却下される。
そこで、町は自衛隊誘致にかじを切った。誘致反対派町議への暴行事件(09年)や住民投票(15年、誘致賛成632、同反対445)などを経て駐屯地開設に至る。
自衛隊が来て町民所得が県内2位に
バスが集落に入った。島内三つの集落全てに自衛隊の官舎がある。自衛隊のおかげで、1500人を割り込んでいた人口は06年ごろの水準まで戻った。子供が増えて複式学級も解消傾向だ。祭りや駅伝大会など地域行事は自衛官の積極的な参加で活気づく。
駐屯地の町有地賃貸料で学校給食無償化が実現し、町民税収も増えた。ごみ焼却施設もできた。町民1人当たり所得は、11年度の約231万円から約358万円(21年度)へと県内2位に急上昇した。
ただし、自衛官は3年ほどで異動だから島の自治を継続的には担えない。…
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