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from FUKUOKA 「スケートを続けたい」 涙の数だけ募る思い

雨の中、アルバイトを終えてバス停まで歩く立神杏士郎選手=福岡市中央区で2024年11月28日午後11時21分、吉田航太撮影
雨の中、アルバイトを終えてバス停まで歩く立神杏士郎選手=福岡市中央区で2024年11月28日午後11時21分、吉田航太撮影

 「自分からスケートは切り離せない」。立神杏士郎(たてがみ・あんじろう)選手(21)の大学生活はスケートを中心に据える日々だ。

 まずは自宅がある福岡県那珂川市からバスで1時間かけ福岡の中心街・天神へ。そこからバスを乗り換え、授業がある日は北九州市の大学まで更に1時間半揺られて通う。練習の日は、天神から約30分かけて博多のリンクに向かう。

 そして、日によっては二つのアルバイトをこなし、天神から日付が変わる前に出る最終バスで帰宅する。

アルバイト先のイタリアンレストラン「Aka’」で仕事をする立神杏士郎選手=福岡市中央区で2024年11月28日午後5時7分、吉田航太撮影
アルバイト先のイタリアンレストラン「Aka’」で仕事をする立神杏士郎選手=福岡市中央区で2024年11月28日午後5時7分、吉田航太撮影

 そこまでしてアルバイトをする理由は、毎月十万円以上かかる費用を全て自分でまかなっているから。フィギュアスケートを続けるためには欠かせないのだ。

 スケートがうまくいかないと、アルバイトを続けるための気力が湧かない。練習でジャンプが決まらず、午後11時まで続く仕事中にふと思う。「なぜ自分はこんなにキツいことをしなきゃいけないのか」

 けれども、アルバイトなしにスケートを続けることはできない。今まで何度、母に「もうやめる」と電話したことか。冷静になると「スケートが好き」という気持ちに戻る。その繰り返しだ。

西日本選手権の男子フリーで演技する立神杏士郎選手=名古屋市南区の日本ガイシアリーナで2024年11月3日、吉田航太撮影
西日本選手権の男子フリーで演技する立神杏士郎選手=名古屋市南区の日本ガイシアリーナで2024年11月3日、吉田航太撮影

 週1回の「スケート教室」に通い始めたのは小学1年生の時。その上にあるクラブチームの存在を知ったのは小学6年生になった頃だ。サポートコーチをしていた垂水爽空選手の母が誘ってくれた。選手としては遅いスタートだった。

 試合出場に必要な「バッジテスト」を受け、初めてノービスの大会に出たのは中学1年生の夏。12歳までの年齢制限ギリギリで出場し、最初で最後のノービス大会になった。

 最初は順調に進んでいたバッジテストも徐々に行き詰まった。6級になかなか上がれず、7級に上がるテストは8回落ちた。

自身が通う北九州市立大のゼミで議論する立神杏士郎選手=北九州市小倉南区で2024年11月21日午後2時3分、吉田航太撮影
自身が通う北九州市立大のゼミで議論する立神杏士郎選手=北九州市小倉南区で2024年11月21日午後2時3分、吉田航太撮影

 高校3年生の夏からは、大学受験でリンクを離れ、塾に通った。その中でも、月に1度は息抜きでリンクへ向かい、1人で滑る時間が至福の時だった。

 進学では国際関係に興味があった立神選手。長男で妹と弟がいることもあり、学費が抑えられる国公立大学に絞った。

 候補に挙がったのは熊本市と北九州市の大学。ただ、経済的に熊本での1人暮らしは厳しく、スケートを続ける環境も熊本には無かった。推薦入試の面接ではスケートもアピールし、北九州市立大に合格。受験が終わると、頭は氷上へ移っていた。

大学生として北九州市立大に通う立神杏士郎選手=北九州市小倉南区で2024年11月21日午前11時41分、吉田航太撮影
大学生として北九州市立大に通う立神杏士郎選手=北九州市小倉南区で2024年11月21日午前11時41分、吉田航太撮影

 「どうしても7級へ上がりたい」。その思いでコーチの変更を決断。現在の石原美和コーチをリンクの外で待ち、直談判した。

 同じ福岡フィギュアアカデミーで練習している松岡隼矢選手や鈴木零偉選手など同い年の選手と比べてもスタートが遅く、花開く見込みが薄いのは自分でもわかっていた。

 しかし、「大学でもスケートを続けたい。できるところまで、スケートを突き詰めたい」。大学から心機一転し、無事7級を取得した。

北九州市立大へ向かうバスの中でゼミ発表の資料を読む立神杏士郎選手=福岡県宮若市で2024年11月21日午前10時48分、吉田航太撮影
北九州市立大へ向かうバスの中でゼミ発表の資料を読む立神杏士郎選手=福岡県宮若市で2024年11月21日午前10時48分、吉田航太撮影

 気づけば大学3年生。11月末の朝、福岡市中心部から大学に向かうために高速バスに乗った。

 ゼミで発表する資料を読みながら1時間半でキャンパスに到着。卒業論文に向けたテーマの候補として、「スポーツにおける勝利の価値」について発表した。

 「勝利のために努力することやライバルと切磋琢磨(せっさたくま)することから得られる成長は何物にも代えがたい。問題は、勝ち負けにフォーカスしすぎることで勝利以外の価値を全く認められなくなること」。その言葉には自身の経験が重なっているように思えた。

自身が通う北九州市立大のゼミで発表する立神杏士郎選手=北九州市小倉南区で2024年11月21日午後1時3分、吉田航太撮影
自身が通う北九州市立大のゼミで発表する立神杏士郎選手=北九州市小倉南区で2024年11月21日午後1時3分、吉田航太撮影

 現在、三つのアルバイトを掛け持ちしながら、大学卒業を目指している。時間に余裕は無く、毎日練習に行くことはできない。

 それを言い訳にしたくない気持ちはありつつも、少しは理解してほしいと思う自分がいる。これまで輝かしい成績は少ないかもしれない。でも、自ら築き上げてきたものに大きな価値があると信じたい。

 冷たい雨が降る夕暮れ、アルバイト先のイタリアンレストランに向かった。純白の服に着替え、手際よくメニューや皿を並べて開店準備を進めた。

アルバイト先のイタリアンレストラン「Aka’」で仕事をする立神杏士郎選手=福岡市中央区で2024年11月28日午後5時11分、吉田航太撮影
アルバイト先のイタリアンレストラン「Aka’」で仕事をする立神杏士郎選手=福岡市中央区で2024年11月28日午後5時11分、吉田航太撮影

 この日のアルバイトは立神選手1人。午後5時にオープンすると来店客を案内し、注文を聞いたり、料理を運んだり、午後11時まで忙しい時間が続いた。

 賄いを食べるとすぐ、最終バスに乗るため店を出た。傘を差してバス停へゆっくり歩く。

 「いつもこの時間は無心でとぼとぼ歩いているんです。忙しい一日が終わって、疲れたなあって。何も考えずただバス停へ歩く時間。10月ごろから一人で歩いていて、自然と涙が流れる日が続いて、何やっているのか自分でも分からなくなってきました」

雨の中、アルバイトを終えてバス停まで歩く立神杏士郎選手=福岡市中央区で2024年11月28日午後11時31分、吉田航太撮影
雨の中、アルバイトを終えてバス停まで歩く立神杏士郎選手=福岡市中央区で2024年11月28日午後11時31分、吉田航太撮影

 雨の中を歩く横顔は寂しそうで、覇気がなかった。そして、10日ほどリンクを離れた。

 遠征続きで金銭的に余裕が無くなり、それによって精神的な疲労が蓄積されていたのだ。

 「スケート休んで泣かなくなりました。帰路でも家でも」。母には滑っているだけで悲しくなるとこぼし、「一旦休んだら」と声をかけられたという。

西日本選手権の男子フリーで演技する立神杏士郎選手=名古屋市南区の日本ガイシアリーナで2024年11月3日、吉田航太撮影
西日本選手権の男子フリーで演技する立神杏士郎選手=名古屋市南区の日本ガイシアリーナで2024年11月3日、吉田航太撮影

 そこまでして競技を続ける理由は何だろう。それがずっと引っかかっていた。「やっぱりスケートよりも魅力的に思うものが自分の中にない」という。

 「今は今しかないから、頑張れるだけありがたい。後悔しないように頑張らないと」。10日ばかりの休養は心の充電期間になり、表情が少し明るく見えた。

 数字がすべてのシビアな競技を続けるには費用がかかる。「みんな言わないだけで、全国探したら僕みたいな人は他にもいると思いますよ」と笑う。今年の全日本選手権への道は厳しかったが、来季の活動をどうするかは、また考えるという。

アルバイトを終えて、最終バスに乗り込んだ立神杏士郎選手=福岡市中央区で2024年11月28日午後11時45分、吉田航太撮影
アルバイトを終えて、最終バスに乗り込んだ立神杏士郎選手=福岡市中央区で2024年11月28日午後11時45分、吉田航太撮影

 冬空の福岡で、一人の選手が今日もアルバイトをしている。原動力は「スケートが好き。滑るのが好き」。立神選手は1月に山梨県で開催されるインカレに向け、12月10日から練習を再開した。

 もし、演技を見る機会があれば応援してほしい。少しでもその背景を思い出し理解してほしい。ただそう願う。【吉田航太】

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