【雑記】自分は作品を観るのも作るのにも意識高いものを目指しているワケではないし、意識高くありたくもない
目次
輕色 淡
意識高くあることよりも、楽しみ共有できることのほうが100万倍大事。
Y.CB
そうだね。
最近自分の感想記事とか制作コラムとかで、やれシンボル(象徴)だの作品の地力だの表現力だの、小難しい話ばっかりが出てくるのをこの記事を読んでくださっている方(いるのかはわからないが)で感じている方は少なからずいるかと思います。
しかしこれ、自分は意識高い系制作者、作品愛好家になろうと思っているわけでは決してありません。
なんなら、こんな分かりづらい表現はもっとわかりやすく自分でも変えたいと思っている部分でもあります。
そもそも専門用語というのは同じ学問や仕事で携わり、WebならWebで、デザインならデザインで、開発なら開発で、という様々なジャンルに対する共通言語として使うものであって、こうした色んなジャンルの人が見に来る場では用いるべきではない用語だと思うのです。
国語力や文章力のある人は、その専門用語は専門外の人にもわかりやすく説明できる言い換えができるから良いのであって、それそのままを表現として利用するのは、好ましいことではありません。
しかし自分はまだまだ文章力としてはぺーぺーに等しい実力なので、どうしても言語化に小難しい単語や分かりづらい表現を使ってお伝えすることしか出来ないところがあります。
ですがそれをなんとか払拭しようとコミカルにして見る手法を取り入れたり、わかりやすい感想と言われている感想記事を読んで参考にしてみたりと試みてはいるつもりです。
特に自分の世界観を強烈に表現する予定のRevive Noah -Levolution-では自分で作った専門用語という自分にしかわからないはずの言語を読者にわかるように描かなければいけないという重大ミッションがあります。
この毎日ブログ更新というのは、その専門用語をいかに専門外の人に伝わるように書けるか、わかりやすく書けるかの鍛錬の場でもあるので「人とは違う観点でモノを見てみよう」とか「野暮な感想は書かないようにしよう」という以前に「わかり易い文章を書こう」という課題に取り組む気持ちで今後も更新をしていきたいですね。
また、自分が他者の作品を観たときに思うことや感じることについてもこれは全く同じで、作品に対しては「楽しむ」「理解する」というのが大前提であり「多角的に見る」だの「作者の気持ちに応えよというレベルまで覗き見る」というのはあくまで前提の「手段」であって「目的」にするべきではないとも思っています。
「これは作者と自分のバトルなんだ」という形でみるのも作品の内容としてはアリなものもあるかもしれませんが、先程の「楽しむ」「理解する」のほうがよっぽど大前提であることを忘れないようにします。
「物語は嗜むもの」
これこそが自分の中での真理だと信じております。
今後感想記事が増えそうなので、先にこういう話をさせていただきました。以上!
輕色 淡
カタカナ用語とかってやっぱりカッコイイから多用していきたいという気持ちもあるんだけど、それは中学2年生までの話だ。
Y.CB
まあでも、あわしって中学2年生なところもあるしな(笑)
- 関連記事
-
- 【感想】新星!新エリア!選手も魔城も大インフレ時代!! SASUKE2023 第41回大会 2024/01/06
- 【雑記】自分は作品を観るのも作るのにも意識高いものを目指しているワケではないし、意識高くありたくもない 2024/01/05
- 【かんたんコラム】体がガタガタガタキリバ 2024/01/02
ブログランキング
ブログランキングに参加しております。
バナークリックで応援いただけますと、励みになります。