気に入らない裁判官の”再任拒否”は人事局の思いのまま…裁判所制度の諸改革を「悪用」する当局の実態(2025年1月8日『現代ビジネス』)

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「裁判官」という言葉からどんなイメージを思い浮かべるだろうか? ごく普通の市民であれば、少し冷たいけれども公正、中立、誠実で、優秀な人々を想起し、またそのような裁判官によって行われる裁判についても、信頼できると考えているのではないだろうか。
残念ながら、日本の裁判官、少なくともその多数派はそのような人々ではない。彼らの関心は、端的にいえば「事件処理」に尽きている。とにかく、早く、そつなく、事件を「処理」しさえすればそれでよい。庶民のどうでもいいような紛争などは淡々と処理するに越したことはなく、多少の冤罪事件など特に気にしない。それよりも権力や政治家、大企業等の意向に沿った秩序維持、社会防衛のほうが大切なのだ。
裁判官を33年間務め、多数の著書をもつ大学教授として法学の権威でもある瀬木氏が初めて社会に衝撃を与えた名著『絶望の裁判所』 (講談社現代新書)から、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」ことに固執する日本の裁判所の恐ろしい実態をお届けしていこう。
『絶望の裁判所』 連載第31回
『「自分が出世競争の奴隷であることが理解できていない」…日本と海外の裁判官を見比べると分かる「裁判官出世システム」の問題』より続く
裁判所による制度の悪用
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2000年代に行われた司法制度改革による裁判所制度の諸改革については、私も、第21回で述べたとおり、一定程度期待していた部分があるのだが、それらが実施されてしばらくすると、期待はことごとく裏切られ、改革に期待したのは判断が甘かったことが判明した。
むしろ、裁判所当局は、それらの改革を無効化するのみならず、逆手に取り、悪用し始めた。その1つが、新任判事補の任用と10年ごとに行われる裁判官の再任の審査を行う下級裁判所裁判官指名諮問委員会の制度である。その表向きの趣旨は、これらの手続を透明化し、国民の意思を反映させることにあった。
しかし、この委員会のメンバーには現職の高位裁判官や検察官が多数含まれており、また、その情報収集方法は、裁判官の評価権者である地家裁所長や高裁長官の非公開報告書(「再任〔判事任命〕希望者に関する報告書」。なお、これは、毎年定期的に作成され、裁判官の申出があれば開示される後記の「評価書面」とは異なる)が中心であって、みずから調査を行う方法、手段は限られていると思われる。
また、再任不適格と判断された裁判官に対するいわゆる告知、聴聞の機会も、不服申立ての制度もなく、このことには大きな疑問を感じる。さらに、判断基準は非常に抽象的であり、審議の内容も公開されない。「指名の適否について慎重な判断を要する者」すなわち重点審議者を委員会が選択するための主な情報は前記の非公開報告書であるから、事務総局人事局は、評価権者に微妙なサインを送りさえすれば(電話1本で簡単にできることである)、みずから手を汚すことなく、特定の裁判官の再任を事実上拒否することが可能になるのである。
日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行され、たちまち増刷されました。
同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」
これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
「再任拒否」という脅し
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現に、この制度の採用後、再任を拒否される裁判官の数が目立って増えている。それまではほとんどなかった再任不適格と判断される裁判官の数(そのように判断されても再任願いを撤回しないと再任拒否される)が、年に5名前後という大きなものになっているのである。
もちろん、実際には、再任を拒否される裁判官は能力不十分である場合が多いだろう。しかし、問題なのは、先のような制度のあり方からすると、そうした裁判官のデータの間に再任を拒否したい裁判官のデータをそっと滑り込ませておくことが十分に可能になるということだ。「拒否されても仕方がない例」の間に混じるために、そうした事案の不当性を、たとえ事実上であっても主張することは、きわめて困難になる。
実際、私は、超一流国立大学に勤務していたある学界長老から次のような言葉を聴いている。
「私のゼミで一番よくできたある学生が、裁判官になって20年経ったところで退官したので尋ねてみたら、再任拒否されたということでした。大変驚きました。本人もわけがわからないというのです。確かに、比較的はっきりものをいう学生ではありましたが、しかし、それで拒否されるというのであれば、信じられないことです」
また、提出されるデータからして再任が危ぶまれる裁判官については、事前に「肩叩き」が行われるのが通例である。これをやられると、ほとんどの裁判官は意気消沈して任期満了前に退官してしまう。任期満了退官であると、再任拒否にあったのではないかということで弁護士事務所への新たな就職などに差し支える可能性があるからだ。したがって、「実質的な」再任拒否者の数は、公表されている数よりもかなり多いとみなければならない。
「肩叩き」で退官した裁判官たち
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この点については、以前にはすべて肩叩きで不透明に処理されていたものがある程度表に出るようになっただけかもしれないとの推測もある(ダニエル・H・フット、溜箭将之訳『名もない顔もない司法──日本の裁判は変わるのか』〔NTT出版〕227頁)が、おそらくそのようなことはなく、その書物にあるもう1つの推測、「委員会が設置されたことで、事務総局は以前よりも自由に候補者の任官を拒絶できるようになったとさえいえる」(226頁)のほうが正しいであろう(前記の新藤宗幸『司法官僚』155頁も同様の推測を行っている)。私はかつての実情についてもかなりよく知っているが、再任拒否は前記のとおりほとんどなく、肩叩きもせいぜい2、3名ないしそれ以下であったと思う。
なお、フット教授(東京大学)による日本の司法の分析については、全体としては評価すべき部分があると思うが、前記の書物についてみると、日本の裁判所・裁判官制度の決定的な特徴であるヒエラルキー的な上意下達の官僚組織という側面の問題点に関する十分な認識が欠けているように思われる。前記の書物で一番人を引き付けるのはそのタイトルなのだが、それでは、なぜ、日本の司法が「名もない顔もない」のっぺらぼうなものとなっているのかについては、この書物は、必ずしも十分な説得力をもって論じえてはいない。私には、それが、前記のような視点の欠落の結果であるように思われる。
裁判官の人事評価システム
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以上に関連して、司法制度改革に伴う裁判官評価制度の透明化の一環として設けられた評価書面開示、不服申立ての制度については、処遇に関する不満を感じて開示の申出を行ったある裁判官(確かに、私の目からみても十分に評価されていないように思われた)から聞いたところでは、きわめて型通りの好評価だけが記載されていたという(前記『司法官僚』141頁以下にもこれとおおむね同趣旨の記述がある)。
このことについては、実際の人事で重視されているのは、非公式の書面や口頭による情報、また、それらを総合して記載された個人別の人事書面であろうといわれている。
司法制度改革前のことであるが、私は、ある左派裁判官(その中で友人でもあった数少ない人物)から、「『いやあ、あんたの通知票はバツだらけのようだなあ。いっぱい書き込まれているらしいぞ』と〔以前から面識のあった〕所長から言われたよ」という話を聞いたことがある。右の所長の言葉は、前記の個人別人事書面の存在をうかがわせる。
つまり、裁判官評価に関する最も重要な書面は事務総局人事局に存在する絶対極秘の個人別人事書面なのであり、おそらく、そのことは、現在でも何ら変わっていない。したがって、裁判官の人事評価に関しては、表と裏の二重帳簿システムが採られている可能性が高いとみてよいだろう。常識的に考えても、裁判所のような組織であえて開示の申出を行うほどに不遇を感じている裁判官に関する「評価」が、前記のような型通りの好評価だけであるというのは、きわめて奇妙ではないだろうか?
へ続く
日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行され、たちまち増刷されました。
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これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)
 
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