負うた子が、進むべき道を示してくれた――。
日本サッカー協会(JFA)のキッズプロジェクトリーダー・皆川新一さん(60)が、ある強烈な体験を私に語ってくれたのは2006年7月4日のことだった。
皆川さんは甲府工高でサッカー部に所属し、卒業後は横浜フリューゲルス(後に横浜マリノスと合併)の前身、横浜トライスターでプレーした。20代半ばから家業の傍ら、外部指導員として甲府北中サッカー部の監督をしていた。
今から30年ほど前のある春の日、練習試合の大敗にすっかり頭に血がのぼり、部員たちに命じた。
「ダッシュ50本だ!」
だが一人だけ、その場を動こうとしない少年がいる。
「なんで走らないんだ!」
声を荒らげると、落ち着き払った口調で言葉が返ってきた。
「試合に負けた罰として走るの…