来場を取りやめる学校や自治体が相次いでいるのは、至って健全な反応だといえる。不十分な熱中症対策、見学できるパビリオンが不明、下見できる時期が遅すぎる、交通費の自己負担などの不安要素が多すぎるからだ。 素人目に見てもわかるリスクが散見される
河村勇輝選手の挑戦に、日本のみならず香港からも憧れのまなざしが注がれている。NBAの現役選手で最も小さい172cmの河村選手の活躍は、世界中が注目しているという。 「背が低くても、アジア人でも、NBAでプレーできるんだっていうことを証明し
30年前に父を亡くし、その父の名誉のために事件に関与した教団元幹部と13年間にわたってやり取りを続けた仮谷実さんの胸の内は、いかほどのものだったのか。想像するに余りある苦悩を抱えておられたとしか、私には表現できません。当事者ではない立場から
大阪で生まれ、ながらく阪神間に住んでいた私にとってホテルニューアワジは身近な存在である。テレビCMで流れる「ホテルニューゥアーワ〜ジー」という節にはずっと慣れ親しんできたし、家族で何度も宿泊したホテルでもある。 そのホテルニューアワジが、
少子化を食い止めるためにはどうすればよいかを考えることも大切だが、それ以上に大切なのは、人口が減り続ける社会をどう健全に維持してゆけばよいかを考えることだろう。社会の至る所でマンパワーが足りなくなるのは自明で、それを踏まえてこの社会の制度設
強いチームには独特の雰囲気がある。チームカルチャーと呼ばれるものだ。 ・いかにミスを減らせるかにチームが一丸となっている ・指導者が選手を信頼している ・自分にできることは何かを選手一人ひとりがいつも自問自答している ・オンとオフの切り替
清風堂書店は、仕事などで大阪に出たときには必ず立ち寄る書店だった。ヘイト本を置かないというその姿勢に、どれだけ勇気づけられたかわからない。瞬間的に売れる本と、時間をかけてじわじわ売れ続ける本は決定的に異なる。いわばロングセラーを大切にここま
スポーツの社会的な意義が問われる昨今、この記事にあるように、高齢者が社交性や生きがいを高めるためのスポーツのあり方は、もっと研究されていい。 間欠的に演出された非日常空間に積極的に関わるなかで、単調だった日常生活に張りがもたらされる。この
今年50歳になる私には突き刺さる記事です。僕のなかに自己責任グセは確かにあるし、結果が求められ言い訳が許されない環境で育った元アスリートだから、この傾向は一層強いかもしれません。他者にも責任の一端があり、また社会制度の不備にこそ主因があるケ
圧倒的なパフォーマンスで世界を席巻していた選手が、これまでの日常生活が失われるまでに突き落とされる。本人にしかわからない、どれだけ想像してもしきれない苦しみを抱えておられたことが、記事からは伝わってきました。その苦しみがいかほどのものだった
全体の自殺者数は減少しているものの、小中高生の自殺は増え続け、過去最多になった。まだ幼い子供たちの自殺が増え続けている社会に、私たちは生きている。この現実を私たちは重く受け止めなければならない。 生きづらさを感じる子供がこれほどまでにたく
五輪をはじめとするこれまでのスポーツイベントを振り返れば、「脱・電通」の広がりは歓迎すべきだ。スポーツ界全体が、その健全化に向けてようやく動き始めたと私は思っている。 電通が全てを取り仕切ってきた経緯から、イベント開催のノウハウを電通が独
寄宿舎で学ぶ子供たちが大人になったあとのチベット地域はどうなっているのか。それを想像したら背筋がゾクっとした。言語が奪われることによって生じる世代間の絶望的な断絶に、思いが及んだからである。 親子のあいだでおしゃべりができないのは悲劇以外
トイレの個室内にまで試験監督が立ち入るというのは、どこをどう考えても常軌を逸した対応だ。見知らぬ人に監視されながら排泄行為を行わなければならない情況は、当該受験生の人権を侵害することに他ならず、言語道断である。 とはいえ、大学入学共通テス
2023年1月に秩父宮ラグビー場の移転整備と樹木伐採に反対の意を示し、署名を立ち上げた私としては、張り裂けそうな気持ちでこの再開発の経緯を追いかけている。署名を立ち上げてからというもの、かつてのチームメイトたちからの激励と、まるで腫れ物に触
資本主義経済の限界をまざまざと感じざるを得ない。莫大な富を手にしたごく少数者とささやかな生活を奪われた大多数の人たちとの間に広がる格差は広がるばかりで、そこから生じる不満や不安がSNSで可視化され、増幅してリアルな破壊行動が頻出する今の社会
根こそぎ間違っている。にもかかわらずなぜそうした政策が行われ続け、修正や改善されることなく放置され続けられたのか。この問いに対する答えを一言で言えば「政治」になるのだろうが、もう少し視野を広げれば「それはおかしいのではないか」と異論を口にし
「空っぽになれる時間」 「車窓を眺めるくらいの余裕」 「情報の貧乏性と心配性」 「人ってそんなにマルティプル(複合的)じゃない」 「ヒーロー不在の世界」 時代の移り変わりを的確に捉える小室哲哉氏の言葉が印象に残った。これらは、スマホを持つ
メダルを獲るための戦略的なこの挑戦をどう受け止めればよいのか。正直に言えば胸中は複雑である。勝利至上主義的で内向きな思考だと批判できる一方で、パラスポーツが参加型から競争型へと変貌を遂げつつあるプロセスとしてポジティブに捉えることもできる。
「自分の能力を著しく超えるところに手を伸ばす考え方をしてこなかった」という言葉が印象的だ。この言葉の含意は、”遥か高みを目指していたわけではなく「なんとかできそう」な範疇でこれまでは努力してきた”であろう。 たとえ自らの能力を著しく超える