1961年生まれ。東京外国語大学外国語学部卒業、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。日本IBM、ソフトバンク株式会社勤務、愛知淑徳大学現代社会学部、メディアプロデュース学部准教授、独エアランゲン大学日本学講座客員研究員などを経て現職。著書に『炎上社会を考える』(中央公論新社)、『ネット右派の歴史社会学』(青弓社)、『デモのメディア論』(筑摩書房)、『フラッシュモブズ』(NTT出版)など。
「孤独死」という言葉が普及するきっかけとなったのは、2010年に放送されたNHKのドキュメンタリー番組「無縁社会」でした。「行旅死亡人」(引き取り手がいない死者)の生い立ちを丁寧にたどっていくこの番組は、彼ら彼女らがごく普通の人たちだったこ
「楽しい日本」というキャッチフレーズから想起されるのは1980年代的な消費社会のイメージでしょう。堺屋氏がオピニオンリーダーとして活躍していた時代です。しかしその後、1990年代以降の「苦しい日本」を経た現在では、消費よりもむしろ生産や労働
フジテレビに対する世論の批判はある種の社会運動だと捉えることもできるでしょう。しかもそこには独特の歴史があります。 初期の2ちゃんねるではフジテレビ批判が盛んでしたが、その眼目は、いわゆる業界人ノリの鼻持ちならない傲慢さを批判するものでし
「社会的排除」とは1990年代からヨーロッパで多用されるようになった概念で、貧困に加えて人間関係の希薄さ、社会参加の欠如など、複合的な不利の状態を指すものです。日本では2000年代に、とくにホームレスの人々などに関連して検討が進められました
フジテレビのガバナンスをめぐる問題には歴史的な背景があります。創設者の鹿内信隆氏とその一族の支配を断ち切るべく、1988年に社長になった日枝氏は株式上場を目指し、当時の大株主に働きかけますが、その過程で仕手筋の抗争に巻き込まれ、右翼団体のタ
「楽しい日本」というキャッチフレーズは、どこか空々しく、かつ古臭く、なんとなく1980年代的な感じがします。まさに堺屋氏がオピニオンリーダーとして活躍していた時代です。当時、バブルに向かっていく日本社会の中で「楽しさ」は重要な価値でした。そ
清水幾太郎の古典『流言蜚語』によれば、情報の真偽をその内実によって判断することはそもそも不可能であり、われわれはその出所を信頼しているかどうかで判断しているにすぎない、とのことです。これまでのおよそ1世紀は、とりわけマスメディアが信頼を独占
差別されているわけではないけれど、なんとなく排除されていると思い込みがちな人たちが、差別されている人たちに向けられる社会的配慮へのやっかみから、ついつい攻撃に走ってしまうのでしょう。だとすれば必要なことは、差別されている人たちにいかに配慮す
1995年は「インターネット元年」だったと同時に、阪神淡路大震災を受けて「ボランティア元年」でもあり、両者が結び付けられて語られたことから、インターネットは市民運動に与するもの、民主主義をもたらすものだと捉えられ、いわば「ネット善玉説」が支
アテンションエコノミーに侵食された現在のSNSと、コミュニティのつながりを志向するかつてのSNSは別物に近いかしれませんが、しかし前者がディストピアで、後者がユートピアだったかというと、必ずしもそうではないでしょう。mixiの全盛期だった2
ポピュリズムは「ナラティブ(物語)」を武器にすることがよくあります。今回も、斎藤氏がたった一人で既得権益に立ち向かっていくというナラティブが人々の感情を捉えました。一方でマスメディアの報道は客観的であろうとするあまり、安易なナラティブ化には
フレームとは物事を解釈するための枠組みのことです。選挙期間中、マスメディアは、斎藤氏のパワハラがあったかどうかというフレームで状況を伝えていましたが、一方で彼の応援団は、既得権益をいかに打破するかというフレームで状況を捉えていました。つまり
興味深いご研究です。玉木氏は、ハッシュタグによるネガティブキャンペーンを受けた10月下旬ばかりでなく、いわゆる尊厳死発言で批判を受けた10月中旬にもフォロワー数を大きく伸ばしています。つまりネガティブなことであっても大きな話題になれば、フォ
メディアの影響を分析する研究は「効果研究」と呼ばれますが、その特徴は利用者を受動的な存在だと見なしていることです。一方、その能動性を重視する立場に「利用と満足研究」と呼ばれるものがあり、そこでは利用者がメディアをどう利用し、そこからどんな満
かつて民主党のジョンソン大統領は“Great Society”というビジョンを掲げ、「貧困と差別との戦い」を宣言しましたが、昨今では貧困との戦い、すなわち福祉政治がないがしろにされ、一方で差別との戦い、すなわちアイデンティティ政治ばかりが強
物語が強い力を持つのは共感を募るよりもむしろ反感を煽る場合でしょう。あるいは一方への反感を煽ることで他方への共感を掻き立てる場合でしょう。今回、立花氏がそうした物語を仕込み、アテンションエコノミー目当てのインフルエンサーや切り抜き職人がそこ
地方議会や公務員などの「既成権力」に抗して「改革」を推し進めるリーダーを人々が応援するという構図は、2010年代に維新の会が躍進したときにも見られたものですが、今回の動きには当時と大きく違う点があります。テレビというメディアの位置付けです。
リベラルとマスメディア、つまり政治的な正しさを押し付けてくる中央のエスタブリッシュメントと、そこに結び付き、改革の妨げになっているとされるシルバー民主主義。それらへの異議申し立てが炎上し、大きなうねりとなったのが今回の現象でしょう。石丸現象
『肩をすくめるアトラス』。アメリカの小説家アイン・ランドの作品で、リバタリアンのバイブルとして起業家などに好んで読まれ、マスク氏も愛読者だというこの小説には、世界を肩で支えているという巨人アトラスになぞらえられたイノベーターが、規制や良識で
百田氏が持っている文化的な右派性、つまり保守主義やナショナリズムの側面と、河村氏が持っている経済的な右派性、つまりネオリベラル志向の改革保守の側面とが、二人がともに持っているキャラクター性、とりわけ反権威主義的な庶民感覚を通じて、なんとなく