朝日新聞記者

記者

斎藤茂洋が記事を書きました

公務執行妨害容疑で千葉県警が逮捕の男、殺害された夫妻との接点は

 千葉県柏市の住宅敷地内で、住人の夫妻が刺殺された事件。  県警は19日、住所、職業不詳酒巻馨(かおる)容疑者(77)を公務執行妨害容疑で逮捕。酒巻容疑者が、夫妻が死亡した経緯を知っているものとみて調べる方針だ。  近隣住民らの話などからは、亡くなった夫妻と容疑者との接点が浮かび上がってきた。  県警によると、殺害されたのは、渡来敏明さん(59)と妻礼子さん(59)。県警は、犯人が強い殺意を抱いていたとみて捜査している。  住民らによると、酒巻容疑者は、渡来さん宅から車で5分ほど、約700メートル離れた住宅街で暮らしていたという。  この住宅街では18日、渡来さん夫妻が殺害された事件と前後して、住宅8棟が焼ける火災が起きた。酒巻容疑者はこのうち、火元とみられる住宅に居住していたという。  県警は、この火災についても放火の疑いで同容疑者から事情を聴く方針だ。  住民らによると、酒巻容疑者は、以前は軽トラックを使って露天商を営み、最近は廃品回収の仕事をしていたという。  一方、登記簿によると、渡来さん夫妻は、2人で不動産会社を経営。事件現場となった自宅は会社事務所を兼ねており、昨年11月に転居してきたばかりだった。  夫妻はそれまで、東武野田線高柳駅近くの住宅を自宅兼事務所として不動産会社を営んでいた。酒巻容疑者とは、当時から接点があったとみられる。  同社は2011年、この自宅を担保に酒巻容疑者から金を借り、5年後までに返済していた。ただ、別の住民によると、渡来さん夫妻側と同容疑者の間では、他にも金銭のやりとりがあったという。  近くで商店を経営する男性は、亡くなった渡来礼子さんの古くからの知り合い。「(渡来さん)夫妻のことを悪く言う人はいなかった」と悼んだ。  酒巻容疑者の自宅があったという一帯は19日、火災で屋根や壁が崩れ落ち、真っ黒に焼けたがれきが散乱していた。  近所の男性によると、焼けたのは平屋6棟と2階建て住宅2棟。路地ではよく子どもが遊んだり、住人が犬を散歩させたりしていたという。「火災があった場所には高齢者が多く住んでいた。これからの生活が心配だ」と話した。

5時間前
公務執行妨害容疑で千葉県警が逮捕の男、殺害された夫妻との接点は

貝瀬秋彦が記事を書きました

ウクライナ軍との戦闘参加 北朝鮮兵が少なくとも100人死亡か

 ウクライナへの侵攻を続けるロシアに派遣された北朝鮮兵について、韓国の情報機関・国家情報院(国情院)は19日、ウクライナ軍が越境攻撃を展開するロシア南西部のクルスク州で少なくとも100人が死亡し、負傷者が約1千人に達するとみられると、国会に報告した。報告を受けた議員が明らかにした。  議員によると、国情院はクルスク州に配置された北朝鮮兵を1万1千人余りと推定。一部が12月に入って実際の戦闘に投入され始め、その過程で死傷者が出たという。  国情院は、多くの死傷者が出たことについて、慣れない戦場の環境で突撃する役割をして消耗していることや、ドローン(無人機)攻撃への対応能力が不足していることなどが背景にあるとの見方を示した。ロシア軍内で、北朝鮮兵がむしろ「お荷物」になるとの不満が出ているとも報告した。  今回の戦闘以前にもウクライナのミサイル攻撃やドローン攻撃、訓練中の事故などで高位級を含む数人の死傷者が出ているという。  国情院はまた、来年1月に米国でトランプ次期大統領が就任するのを前に、クルスク州を中心に戦況が激化し、北朝鮮兵の死傷者もさらに増える可能性が高いと指摘。一方で、北朝鮮が追加の兵士派遣に踏み切る可能性を注視しているとも報告したという。  クルスク州の北朝鮮兵については、米軍高官も17日、死傷者が「数百人」に上るとの分析を明らかにした。「戦闘経験がない」ことが一因だとし、主に歩兵として戦闘に投入されていると説明した。

6時間前
ウクライナ軍との戦闘参加 北朝鮮兵が少なくとも100人死亡か

貝瀬秋彦が記事を書きました

尹氏側は「政治家の逮捕指示」も否定 検察は警察幹部らの携帯押収

 韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領による「非常戒厳」の宣布をめぐり、尹氏の弁護側は19日、改めて内乱罪には該当しないとしたうえで、尹氏が政治家の逮捕を指示したとされることについても否定した。一方、聯合ニュースによると検察は同日、政治家らの逮捕に協力しようとした疑いで警察や国防省関係者の家宅捜索をした。  非常戒厳をめぐっては尹氏が警察庁長官らに直接、逮捕の対象とする政治家10人超の名簿を示したとの報道があるほか、情報機関の幹部も尹氏から政治家らの逮捕を指示され、軍幹部から対象を示されたと国会議員らに証言している。  これに対し、尹氏の弁護団の結成にかかわる弁護士は19日、「大統領は『逮捕しろ』というような言葉を使ったことはないと聞いた」と述べた。  だが、聯合ニュースによると検察は同日、軍の要請で警察が政治家の逮捕に協力しようとした疑いがあるなどとして強制捜査に着手。警察幹部らの携帯電話も押収した。警察も非常戒厳にかかわる捜査を進めており、捜査機関同士の対立が深刻化して、捜査が混乱する可能性もある。  一方、韓国メディアは19日までに、軍の元情報司令官らが非常戒厳宣布の2日前の1日、ソウル郊外のハンバーガー店で軍幹部らと会い、非常戒厳についての「謀議」をしていたと報じた。元情報司令官は18日、警察に内乱容疑で逮捕された。

6時間前
尹氏側は「政治家の逮捕指示」も否定 検察は警察幹部らの携帯押収

藤谷和広が記事を書きました

電子処方箋システム、一斉点検へ 薬局で誤った薬の表示トラブル7件

 厚生労働省は19日、2023年1月から運用が始まった電子処方箋(せん)システムで、医療機関の医師が処方した薬とは別の薬が薬局に伝わるトラブルが7件報告されたと公表した。医療機関や薬局で、薬に付けられる番号のひもづけに誤りがあったことが原因。厚労省は20~24日にシステムを停止し、一斉点検を実施する。その期間は紙の処方箋で対応する。  電子処方箋システムは、処方箋をオンライン上でやりとりする仕組み。別々の医療機関から同じ薬が処方されたり、飲み合わせの悪い薬が処方されたりするのを防ぎ、薬局での待ち時間が短くなるといったメリットがあるとされる。  今年11月時点で電子処方箋を発行している医療機関は2539施設あり、同月に推計約7500万枚発行された処方箋のうち、約11万枚(約0.15%)が電子処方箋だった。  厚労省によると、今回のトラブルでは、医師が処方した薬とは別の薬が薬局での画面上に表示されていた。報告された7件のいずれも、医療機関や薬局が誤りに気づき、患者に誤った薬は出されていないという。ただ、気づかれないまま、誤った薬が患者に出されている可能性は否定できないという。  厚労省は、医療機関と薬局に対し、電子処方箋の設定が正しいかどうかを確認し、厚労省への報告を依頼した。  政府は、24年度中に、おおむねすべての医療機関と薬局に電子処方箋を導入する目標を立てていた。だが、11月下旬までに導入した施設は病院で3.0%、医科診療所で7.6%、薬局で57.1%にとどまっている。

7時間前
電子処方箋システム、一斉点検へ 薬局で誤った薬の表示トラブル7件

鳥尾祐太が記事を書きました

容疑者宅 窓と勝手口から突入した捜査員 北九州死傷事件

 北九州市小倉南区のファストフード店で中学生男女2人が男に刺され死傷した事件で、福岡県警が19日、店の近くに住む無職、平原(ひらばる)政徳容疑者(43)を殺人未遂の疑いで逮捕した。  この日朝、同区にある平原容疑者宅の2階建て一軒家は、殺人未遂容疑で逮捕状を取った福岡県警捜査1課の捜査員約20人に囲まれていた。  捜査員が玄関先で呼びかけたが、家の中から応答はない。  そこで、防護服を着た捜査員が二手に分かれ、1階の窓と勝手口から突入した。  リビングの椅子に座っていたという平原容疑者は逮捕後、小倉南署で「確かにその行為をしました」と容疑を認めたという。 ■「なぜ早く逮捕できない」 警察署に連日電話  事件が起きたのは、12月14日午後8時25分ごろ。中学生の男女2人がレジの列の最後尾に並んだ直後、入店してきた犯人にいきなり襲われた。  犯人は無言で、店を出るまでにかかった時間は30秒足らず。凶器を持ち去り、逃走した。  店員やほかの客がいる目の前での犯行だったが、刺された瞬間を目撃した人はいなかった。男子生徒は「全く知らない人に刺された」という旨の話をしていたという。  現場となった店の防犯カメラ映像は、即座に犯人の容姿を特定できるほど鮮明ではなかった。  事件が起きたのは土曜日の夜だったが、平日の月曜を迎えても容疑者の逮捕には至らなかった。  「なぜ早く容疑者を逮捕できないのか」  捜査本部が置かれた小倉南署にはそんな市民の声も連日寄せられた。  捜査が大きく進展したのは、事件から3日後だ。 ■事件から3日後、捜査に進展  捜査関係者によると、周辺の防犯カメラやドライブレコーダーの映像を収集し解析する中で、1台の黒いワンボックスカーに行き当たった。  事件のあった時刻の前後に、現場となったファストフード店の駐車場を出入りしていた。  県警は、周辺にある複数の防犯カメラの映像をつなぐ「リレー捜査」により、この車を追跡した。  車に乗った人物の特徴が、黄色いサンダルなどを着用していたとされる犯人の特徴と類似していた。  また、この車が帰った先の付近の一軒家に住んでいたのが、平原容疑者だった。  県警は今後、詳しく事情を聴き、生徒2人との関係や動機について捜査を進める方針だという。

7時間前
容疑者宅 窓と勝手口から突入した捜査員 北九州死傷事件

山本恭介が記事を書きました

大規模金融緩和「想定ほど効果出ず」 日銀、過去25年の政策検証

 日本銀行は19日、過去25年間の金融緩和策を検証する「多角的レビュー」を公表した。2013年に始め、約11年にわたった大規模な金融緩和については、「導入当初に想定していたほどの効果は発揮しなかった」としつつ、「全体としてみれば、プラスの影響があった」と総括した。  レビューは23年4月、植田和男総裁が就任して最初の金融政策決定会合で実施を決めた。1990年代初頭のバブル崩壊以来、日銀は物価が下がり続けるデフレに対処するため、99年に政策金利をゼロ%程度に押し下げる「ゼロ金利政策」を世界で初めて導入。金利の引き下げ余地がなくなったことで、その後は国債などを買い入れて市場にお金を流す量的緩和など「非伝統的金融政策」と呼ばれる手段を相次いで採り入れてきた。  特に、黒田東彦(はるひこ)・前総裁が始めた大規模緩和は物価上昇率2%を目指し、国債買い入れ額を大幅に増やし、上場投資信託(ETF)などの資産買い入れも強めた。16年には、マイナス金利政策、長期金利を低く抑え込むイールドカーブ・コントロール(YCC)を導入した。  日銀はこうした金融政策の効果と副作用、過去25年間の経済・物価の変化を分析した。  レビューでは、大量の国債買い入れで16年以降、長期金利を1%幅ほど押し下げたとした上で、「経済・物価を一定程度押し上げる効果があった」と評価。複数の推計で、13年度以降の消費者物価指数を年平均0.5~1%幅程度押し上げたとした。  その結果、「デフレではない状態になった」ものの、「当初に想定していたほどの効果は発揮しなかった」。2年程度での物価目標の達成はできなかった、とした。  副作用にも言及した。大規模緩和で大量に国債を買い入れ続けたことで、日銀が保有する国債は発行残高の5割超を占める。市場では適切な金利水準が分からなくなるといった批判が出ていた。レビューも国債買い入れによって「国債市場の機能度が低下する傾向が強まった」と指摘。金融機関の収益が縮小する副作用も認めた。その上で、大規模緩和は「現時点においては、全体としてはわが国経済にプラスの影響をもたらした」と結論づけた。  日銀は24年3月、植田総裁の下で大規模緩和を転換。マイナス金利政策を解除し、YCCの枠組みも廃止した。国債買い入れも徐々に減らす計画だ。ただ、今後、国債市場の機能度が回復しない場合や、他の副作用が遅れて表れる場合には「マイナスの影響が大きくなる可能性に留意が必要だ」と警戒感も示した。  これまでに採り入れた非伝統的な金融政策は「大規模かつ長期間にわたって継続する場合には副作用をもたらしうる」と指摘。一方で「特定の手段を除外するべきではない」とも言及し、今後もこうした金融政策を使うことに含みを残した。  植田氏はこの日の会見で「その時の経済・金融情勢に合わせて副作用などを点検しつつ、採用するとすれば採用していくことになる」と述べた。  元日銀審議委員の木内登英氏は、レビューについて「副作用の検証が不足している」とし、「急激な円安の副作用にも言及はなく、まだ明確になっていない副作用もたくさんあるだろう」と話す。 ■日本銀行「多角的レビュー」の骨子 ・大規模緩和は経済と物価を押し上げ、デフレではない状態が実現。ただ、当初に想定したほどの効果は発揮せず、2年で2%の物価目標は達成できず ・経済の成長力への影響は、明確な結論が得られず ・国債市場の機能度にマイナスの影響、金融機関の収益を悪化させた。一定の副作用はあったが、大規模緩和は全体としてみれば日本経済にプラス。今後、マイナスの影響が大きくなる可能性には留意が必要 ・今後、非伝統的金融政策を使う場合、ベネフィット(恩恵)とコストを比較衡量することが重要 ・引き続き2%物価目標のもとで金融政策を運営していくことが適切

7時間前
大規模金融緩和「想定ほど効果出ず」 日銀、過去25年の政策検証

内田快が記事を書きました

ファイナルから日本直行「正解だった」 りくりゅう、5年ぶり全日本

 フィギュアスケートの全日本選手権は20日、大阪・東和薬品ラクタブドームで開幕する。  5年ぶりの出場となるペアの三浦璃来、木原龍一組(木下グループ)は開幕前日の19日、本番リンクで氷の感触を確かめた。「りくりゅう」の2人は練習後、ペアを取り巻く日本の状況の変化や、12月上旬にフランスであったグランプリ(GP)ファイナル後の過ごし方などについて語った。  報道陣との主なやり取りは以下の通り。 ――本番のリンクで練習してみて、調子はいかがですか?  三浦 「時差がないので、すごく調整しやすい全日本になるかなって思います」  木原 「すごく良い氷をつくって下さって、ありがたいと思いました。ファイナル終了後から帰国しているので、体の状態は良いので、しっかりあとは試合に向けて調整していきたいなって思います」 ――GPファイナルが終わってから、かなりタイトなスケジュールでもあると思います。どんな練習を積んできたか教えて下さい。  三浦 「GPシリーズの疲れを取ることを優先して、その次に『数ではなく良い練習をする』っていうふうにしていました」  木原 「量をこなすっていうより、細かい確認やファイナルで技術的なずれが出ていたので、そこの修正を2人でやってきました」 ――この大会で成し遂げたい、見てほしいというところは?  三浦 「5年ぶりの全日本選手権なので、すごく緊張すると思うんですけど、とりあえずは1回目の全日本の点数を超えたい」  木原 「まずは出場することができてうれしいです」 ――5年ぶりの全日本です。  三浦 「本当に全日本は皆さまにとって夢の舞台だと思っているので、毎年出場を願っていたんです。やっと今年出場できるということで、 あとはけがせず最後まで滑り切りたいと思います」  木原 「5年間、2019年を最後になかなか全日本に出場することができていなかった。全日本に戻ってきたいなって気持ちを持ってやっていたので、すごくうれしく思っています」 ――若手は2人を目標にしています。今大会の目標は?  三浦 「まずは、けがをしないこと。私たちらしい滑りを観客の皆さまにお見せできたらなと思います」  木原 「やっぱり、そういう目標にして頂けるというのは非常にうれしいことだとは思うんですけど、自分たち自身もまだまだ成長していかないといけない。これからも頑張っていかないといけないな、と思いました。今シーズン、少し悔しい思いが続いているので、前半戦最後の試合になると思うので、しっかり準備していきたいです」 ――久しぶりの帰国、リフレッシュできましたか?  三浦 「半年ぶりに実家に帰ることができました。本当に数年ぶりに私、誕生日(12月17日)だったんですけど、日本で過ごすことができて。いつも機内とかで過ごしているんで、今回はちゃんと過ごせてよかったかなと思います」  木原 「やっぱり試合に向けての調節をしないといけないので、完全にリフレッシュはできなかったんですけど、少し実家に帰ることができたのでよかったです」 ――練習でスロージャンプを確認していました。  三浦 「ファイナルが終わってから、スロージャンプの数を増やすようにしていて、今日もタイミングを確認していました」  木原 「数を増やしたわけではないんですけど」  三浦 「いつも練習は3回だよ。増やした、増やした」  木原 「増えてない。一緒です」 ――ファンにどんな演技を見せたいですか?  三浦 「今シーズンはまた今までとガラリと曲調を変えたので、新しい私たちをお見せできるように頑張りたいです」  木原 「まずは元気な姿を見せて、しっかり調整していきたいです」 ――日本に帰ってから、ブルーノ(・マルコット)コーチとはどのように連絡をとっていますか?  木原 「練習動画をたまに送って、ブルーノからコメント頂くっていうふうになってたんですけど、そこまでオンラインでレッスンなどはしてないです」 ――ブルーノコーチはいつ日本に来られるのですか?  木原 「今夜着きます」 ――5年前全日本に出た時は、ペアは1組だけでした。今回は4組も出ます。感慨深さはありますか?  三浦 「公式練習で1組で練習する。そういうのを覚えていたので、すごい感慨深いなと思います」  木原 「たくさんいたので、すごく楽しく練習させて頂くことができました」 ――帰国後に練習していた京都の木下アカデミーでは、後輩の皆さんに教えるタイミングはありましたか?  木原 「いや、もう試合前ですし、彼らも。彼らはオンラインのレッスンなど、他の先生とレッスンしているので特にそういった場面はなかったです」 ――練習は一緒に?  木原 「練習は同じ枠だったので、一緒に練習させて頂きました」 ――フリーの通し練習は?  木原 「2回ぐらいです」 ――できた方ですか?  木原 「スケジュールで少し練習時間が取れなかったので、スケジュールの中で最大限、しっかり通せました」 ――衣装を着ての練習はできましたか?  木原 「結局、衣装の直しを出してしまったので、着用することができませんでした。そこはなんとかなるかなっていうふうに思います」 ――誕生日はどういう過ごしかたをしたのですか?  三浦 「誕生日の前日に京都に集まったんですけど、一緒に(和食の)『さと』に行きました。当日はちょっとイベントがあったので、当日は何もしてないんですけど」 ――GPファイナルから全日本へは、五輪がある来季の予行演習になると思います。来年は全日本をスキップするという可能性はありますか?  木原 「それは絶対ないです。まず、やっぱり出ることが大前提なので。久しぶりのGPシリーズからファイナル、全日本っていう、実際、たぶんこのファイナルから全日本っていうのは初めてになると思うので、どういう変化になるか分からないんですけども。2年前、出場はできなかったんですけど、(GPファイナル後に)カナダに帰って(全日本に向けて)調整するっていうプランを立てていたのが、ものすごく体力的にきつかったので、今回はファイナル終了後から(日本に)滞在するっていうプランにしました。体的にはやっぱり負担がなかったので、残って正解だったなっていうふうに思います。こういった経験はまた来年、連戦になる時の調整方法としてすごく勉強になったかなと思います」

7時間前
ファイナルから日本直行「正解だった」 りくりゅう、5年ぶり全日本

西崎啓太朗が記事を書きました

京都仏教会、北陸新幹線延伸計画は「千年の愚行」 府知事に再考要望

 清水寺や金閣寺、東寺など約1千の寺院が加盟する京都仏教会(理事長・有馬頼底(らいてい)臨済宗相国寺派管長)が19日、北陸新幹線の敦賀―新大阪間の延伸計画を再考するよう西脇隆俊・京都府知事に申入書を提出した。地下水への影響や事業費の地元負担の大きさなどを問題視し、現行の計画は「千年の愚行」と指摘した。  与党の整備委員会は、福井県小浜市を通って京都府を南下する「小浜・京都ルート」で延伸するとしたうえで、京都市内の新駅の位置は3案を検討している。  京都仏教会は申入書で、京都府内の大部分はトンネルで貫くため地下水に悪影響が予想されると指摘。自然を敬いながら共存する仏教の教えからもかけ離れていると批判し、「断固たる決意の下に計画の再考を強く求める」とした。  西脇知事は「内容を真摯(しんし)に受け止め、真摯に対応して参りたい」と応じた。京都仏教会常務理事の宮城泰年・聖護院門主は申し入れ後、報道陣の取材に「仏教も非常に深く水の問題にかかわっていて、北陸新幹線の延長は進めるべきではない」と話した。  同会は1980年代に京都市が実施した「古都税」に反発して拝観停止に踏みきり、古都税を廃止に追い込んだ。90年代には京都市内のビル高層化に伴う景観問題でも京都市と対立した。

8時間前
京都仏教会、北陸新幹線延伸計画は「千年の愚行」 府知事に再考要望

市野塊が記事を書きました

温室効果ガス、新削減目標の数値ひとまず空白に 政府方針へ賛否続出

 環境省と経済産業省は19日、両省合同の検討会で、2050年の温室効果ガス排出実質ゼロに向けた、政府の新たな温暖化対策計画の素案を示した。計画で重要になる排出削減目標については、会議時間を延長してもまとまらず、20日も議論を続けることになった。  素案では、地球温暖化対策について、「科学的知見に基づき、国際的な協調の下で、排出削減と経済成長の同時実現を図りつつ、率先的に取り組む」と明記。排出削減については、現在掲げている「2050年ネットゼロ(排出実質ゼロ)の実現に向けた経路をたゆまず着実に歩んでいく」との方針を維持した。  一方、11月には、35年度に13年度比60%減を軸とする案を公表していたが、素案で数値は空白とした。「35年度60%減」は、政府が掲げる50年排出実質ゼロに向けて直線的に排出量を減らした場合の経路上にあるが、異論が相次ぐ半面、擁護する声も根強かった。 ■目標の引き上げ求める声続々  国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が示す世界目標では、気温上昇を産業革命前から1.5度に抑えるには19年比60%減、日本が基準年で使う13年度比で66%減が必要となる。  「高い目標を掲げることによって、企業の技術開発が進む」「60%台前半の目標も可能ではないか」。福田富一・栃木県知事は10日、環境省へ全国知事会からの提言の後、記者団にこう答えた。  与党の公明党からも引き上げの声が出た。13日、谷合正明・党地球温暖化対策本部長は、「66%を目指すべきだと(石破茂首相に)申し上げた」と説明した。  気候変動対策に積極的な企業がつくる団体「日本気候リーダーズ・パートナーシップ」(JCLP)は「13年度比75%以上の削減」を求め、浅尾慶一郎環境相にも要望書を出している。 ■環境省幹部「60%でも厳しい。あとは政治判断」  一方、環境省幹部は「60%減でも実現はかなり厳しい」と漏らす。再生可能エネルギーは12年に固定価格買い取り制度(FIT)が始まった後に勢いよく伸びたが、近年は適地が限られるなどして増加スピードは鈍化している。これまでと同じペースでの排出削減は難しいと考えており、「後は政治判断の世界だ」という。  21年に現在の「30年に13年度比46%減」という削減目標をつくった際には、当時の小泉進次郎環境相の政治判断も踏まえて、「50%の高みに向けて挑戦を続ける」との文言が加筆された。意欲的な数値にする意図だったが、根拠が乏しいとの反発も招いた。こうした経緯から、環境省内では「今回の削減目標は根拠を積み上げてつくる」との声も強い。  政治判断でカギとなる自民党は慎重だ。党環境・温暖化対策調査会が浅尾環境相に、素案と同じ「60%減を軸」を求める提言を出した。井上信治調査会長は記者団に「積み上げの根拠がないと、えいやではおかしい。国際的にも必達目標であるべきだ」と理由を述べた。  19日の検討会でも、出席者から目標引き上げを求める声と「現実的だ」などとする意見が続いた。出席者からは「数字に対する意見の違いがある中で、まずはどういう対策が必要か、可能かという議論をするべきだ」との指摘も出た。両省は予備日としていた20日も検討会での議論を続け、案をまとめる方針だ。

8時間前
温室効果ガス、新削減目標の数値ひとまず空白に 政府方針へ賛否続出

島崎周が記事を書きました

旧ジャニーズ性加害問題 損害賠償470億求め 男性2人が米で提訴

 旧ジャニーズ事務所(SMILE―UP.〈スマイルアップ〉)の創業者、故ジャニー喜多川氏の性加害問題で、元ジャニーズJr.の男性ら2人が18日、会社側や関係者らを相手取り、米西部ネバダ州で被害を受けたとして、同州の裁判所に総額3億ドル(約470億円)の賠償を求めて提訴した。  提訴したのは、いずれも日本在住の飯田恭平さん(37)と田中純弥さん(43)の2人。訴状によると、田中さんは15歳だった1997年、喜多川氏とメンバー数人と同州ラスベガスを訪れ、宿泊先のホテルで喜多川氏に性的暴行を受けたという。飯田さんは14歳だった2002年、他のメンバーらと訪れたラスベガスで喜多川氏に性的暴行を受けたと訴えている。  被告としては、スマイルアップ社や同社からマネジメント業務などを引き継いだSTARTO ENTERTAINMENT(スタートエンターテイメント)のほか、旧事務所の社長を務めていた藤島ジュリー景子氏、元副社長の白波瀬傑氏らを相手取っている。  米国の弁護人が発表した原告2人のコメントでは、飯田さんは性加害問題の背景に、被害者の声を封じ込めてしまう権力構造や芸能界の閉鎖的な文化が存在している、と指摘。同じような被害を繰り返させないためには、「社会全体の意識改革が不可欠」だとし、「訴訟を通じて性加害行為そのものの責任を問うとともに、性別や立場に関わらず、すべての人々が安心して声を上げられる社会を築く契機となることを心から願っています」とつづった。  田中さんは、性加害のことを誰にも言えない日々が続き、記憶がフラッシュバックし、長年苦しんできたことを吐露した上で、「人類史上類を見ない大犯罪が日本で何十年も起こっていたことを海外の方達にも広く知ってほしい」。今回の訴訟について、「日本の遅れている法制度や人権意識を変えていくきっかけになれば」とコメントした。  スマイルアップ社は、提訴についての報道を確認したとし、原告について「従前、日本国内にお住まいで、米国の裁判所には管轄は認められないものと考えております。米国の弁護士にも相談しながら、今後の対応を進めてまいります」とのコメントを発表した。  喜多川氏の性加害をめぐっては、同社が設置した「被害者救済委員会」が今月13日に発表した直近の報告で、1008人が被害を申告し、うち538人と補償内容で合意、215人に補償しないことを公表していた。  スタート社は、スマイル社と資本関係を有せず、経営も分離した別の法人として設立されたとし、「賠償を求める訴えについては当社は無関係の立場にあり、本件について提訴される理由がないため、大変困惑している」とコメントを発表。「当社の設立の経緯をはじめとした事実関係が十分に理解されないまま、こうした対応をせざるを得ない状況に至ったことについては誠に残念に思います」とした。  性暴力被害や米国訴訟に詳しい伊藤和子弁護士は、「スマイル社による被害救済がブラックボックス化している中、客観的な事実認定と賠償判断がされ、透明性が確保された司法救済を受けられる可能性があり、大きな動きだととらえている。泣き寝入りしている被害者にとっても影響があるのではないか」と話す。「#Me Too運動」以降、米国では、性犯罪の民事時効が撤廃や延長される州が相次いでおり、子どもへの組織的性加害は国際的にも厳しい目線が注がれているとし、「米国司法の判断を注目したい」とした。  弁護人が発表した原告2人のコメントは、以下の通り(原文ママ)。  飯田恭平さん  この度、私はジャニーズ事務所に所属していた際に受けた性加害について、法的措置を取ることを決断いたしました。  去年明らかになったジャニーズ事務所をめぐる性加害問題は、長年にわたり多くの人々が知りながらも見て見ぬふりをされてきました。その背景には、被害者の声を封じ込めてしまう権力構造や、芸能界全体の閉鎖的な文化が存在していると感じています。そのような状況の中で、多くの被害者が声を上げられず、孤立し苦しみ続けてきました。私もその一人です。  今の日本では被害者が声を上げることは非常に勇気のいる行為であり、大きなリスクを伴います。私は同じような被害に苦しむ方々に「一人ではない」というメッセージを届けたいと思っています。そして、二度と同じような被害を繰り返させないためには、社会全体の意識改革が不可欠です。この問題に向き合うことは簡単なことではありませんが、訴訟を通じて性加害行為そのものの責任を問うとともに、性別や立場に関わらず、すべての人々が安心して声を上げられる社会を築く契機となることを心から願っています。  最後に、この問題に関する報道や議論が、被害者やその家族にさらなる苦痛を与えることのないよう、慎重で配慮ある対応をお願い申し上げます。日本社会全体の変革につながる一歩となることを願い、皆様のご理解とご支援をお願い申し上げます。  田中純弥さん  当時、ジャニーズに留まれば性加害を受け続けなければならず もしジャニーズを辞めれば「芸能界では二度と仕事をさせない」と言われその後の夢さえも潰され、ずっと苦しんできました。  性加害のことを誰にも言えない日々が続き、何度も何度も忘れようとしました。  しかし忘れることなど絶対に出来ず、その度に記憶がフラッシュバックし悪夢にうなされ、この苦しみは一生続くのだと知りました。  このような同じ思いを誰にもしてほしくないと心から願います。  ジャニーズの大きな権力とメディアの沈黙の中で、たとえ声をあげてもどこのも届かず、もみ消されてしまう、、、そんな状況が日本で何十年も続いた事実と人類史上類を見ない大犯罪が日本で何十年も起こっていたことを海外の方達にも広く知ってほしい。  そして今回の訴訟がいずれ日本の遅れている法制度や人権意識を変えていくきっかけになれればと思います。

8時間前
旧ジャニーズ性加害問題 損害賠償470億求め 男性2人が米で提訴

岡田将平が記事を書きました

原発災害対応の佐賀県施設、誘導雷?で2度停電 復旧に数時間

 九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)の原子力災害時の対応拠点となる「佐賀県オフサイトセンター」(同県唐津市)で2023年9月、落雷の影響でそれぞれ数時間にわたる停電が2度発生していたことが19日、わかった。  センターを管理する県危機管理防災課によると、昨年9月15日に落雷などで一帯で停電が発生。その際、雷が電線などを伝って室内に侵入する「誘導雷」が発生したとみられ、同センターの中央監視制御装置が故障し、自動で非常用発電機に切り替えられなくなったという。業者を呼び、覚知から2時間後に手動で電源を切り替えた。  故障した装置の復旧工事を予定していた同月21日も落雷があり、別の装置が故障。停電の覚知から、3時間半後に電気は復旧した。  同課は「想定していた対応で復旧している。県民の生命、身体、財産に影響がある『危機事象』ではない」と判断し、公表しなかったという。  同課は今回の停電はオフサイトセンターが使えなくなるほどの事案ではないとしつつ、仮にセンターが使えなくなっても代替施設があるなどとして、災害が発生した場合について「対応が遅れるとは考えていない」と説明した。  誘導雷対策として、制御盤の増設や避雷器設置の工事を今年10月から始めており、来年3月までに終える。

8時間前
原発災害対応の佐賀県施設、誘導雷?で2度停電 復旧に数時間

金順姫が記事を書きました

子ども17人を誘拐して売った被告に死刑 中国、生活苦で「悪の道」

 中国の貴州省高級人民法院(高裁)は19日、計17人の子どもを誘拐して売り渡した罪に問われた被告の女に対し、死刑とした一審判決を維持する判決を言い渡した。国営中央テレビ(CCTV)が伝えた。子どもの誘拐が深刻な社会問題となってきた中国で、この裁判は社会的な注目を集めていた。  余華英被告は当初、11人の子どもを誘拐して売り渡した罪に問われ、2023年9月の一審で死刑判決が出された。余被告は上訴。二審の開始後、まだ明らかになっていない犯罪事実があるという検察側の主張を受け、高裁が審理を差し戻した。  差し戻し審では6人の子どもに対する誘拐と売り渡しの罪が起訴内容に加わり、今年10月の一審判決で再び死刑判決が下されるという異例の経過をたどった。余被告は「自分は主犯ではなかった」と主張して上訴したが、この日の二審判決で退けられた。中国は二審制で、判決が確定する。  中国メディアによると、余被告は1993~2003年、仲間と共謀して貴州省や重慶市、雲南省などで誘拐した子どもを売り渡して利益を得た。きょうだいで誘拐された被害者も複数いるという。  余被告は1963年生まれ。20代のころ生活が苦しく、まだ2カ月の赤ちゃんだった息子を5千元(現在のレートで約10万7千円)で売り、「誘拐の悪の道に踏み込んだ」とCCTVは伝えている。

8時間前
子ども17人を誘拐して売った被告に死刑 中国、生活苦で「悪の道」

細沢礼輝が記事を書きました

リニア大深度工事が原因 JR東海認める 町田市の住宅に水や気泡

 東京都町田市内のリニア中央新幹線トンネル工事現場近くで住宅の庭に水や気泡が湧き出た問題で、JR東海は19日、シールドマシンによる掘削工事が原因と発表した。トンネルから地面までに水や空気を遮る層がないなど複数の原因が重なったためと説明。地表面の変位はなかったという。  地下40メートル以下の「大深度地下」の工事は、地上に影響が出ないという前提のもと、法律で地権者の同意や用地買収は不要とされる。これについて、JR東海は「地表の土地利用にかかわるような影響は出ていない」と説明している。  現場は大深度を通る第一首都圏トンネルのうち、川崎市から相模原市に至る「小野路工区」。地下45メートルの掘進現場から約40メートル離れた民家で10月に確認され、掘削は中断された。  JR東海によると、本格掘進の前に、地上部の水準測量や騒音を調べる「調査掘進」を実施してきた。トンネルの掘削面を安定させるための気泡材の成分が地中のすき間や地層の境目を上昇。地表近くの地下水と一緒にわき出たとみられる。地中の状態に変化はなく、陥没の危険はなかったという。  大深度地下の工事をめぐっては東京外郭環状道路工事で2020年、東京都調布市の道路で陥没事故が発生している。

9時間前
リニア大深度工事が原因 JR東海認める 町田市の住宅に水や気泡

岩沢志気が記事を書きました

渡辺氏の死去、読売の経営への影響は 識者「もしかしたら論説に…」

 読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が19日に98歳で亡くなった。渡辺氏は2004年に社長を退いた後も亡くなるまで代表権を持ち続け、経営に関与してきた。支柱を失ったことは、読売新聞の経営などにどう影響するのか。専修大学ジャーナリズム学科の山田健太・教授(ジャーナリズム研究)に聞いた。  ――渡辺氏は1990年から読売新聞の代表権を持ち続け、会社の顔でもありました。亡くなったことは経営にどう影響するでしょうか。  「もちろん代表権のある主筆なので、経営への一定の影響力はあったと思う。ただ、経営というのは会社としてなされているものだ。さらに、渡辺さんが経営の一線を退かれてからずいぶん時間がたっている。読売新聞の経営が大きく変わったり、影響を受けたりすることはそんなにないと考えている」  「唯一言えるのは、渡辺さんは古き良き『新聞人』であり、活字メディアとしての新聞を非常に大事にしていた一人だったということ。渡辺さんはペーパー・ウィズ・ネットという立場だったが、読売新聞のネット戦略にも多少影響があるかもしれない。ただ、これもあくまで『かもしれない』というもの。というのも、読売新聞は確かに『紙』やその販売を重視しているが、山口寿一社長の下で一定程度ネット戦略を考えており、時代に対応してきている。現状からの大きな変化はないのではないか」  ――「紙」を大事にしてきた渡辺氏の存在がなくなることで、急速にデジタルシフトが進む可能性はありませんか。  「読売新聞は、販売店対策もそうだが、何より印刷に関しては輪転機の更新時期も含めて、全国で網羅的に計画的にやっている、と私は考えている。それからすると、中長期の契約のもとで『紙』を大事にしているわけなので、それが突然一人の死によって大きく変わるとは思えない。なので、急速に転換するというふうには思っていない」  ――代表取締役主筆であったが、実際は経営にあまりタッチをしてこなかったという見方でしょうか。  「形の上ではそうなのでないかと思う。実際、読売新聞が出している訃報(ふほう)でも、『亡くなる数日前にも社説の原稿に目を通して点検する』とあった。だから、普段の活動としては主筆の立場がメインであったのでないか」  「(渡辺氏は)読売新聞の社論の統一をしてきた。社説と記事の両方をコントロールしてきた。その立場の方がいなくなることはとてつもなく大きいと思う。読売新聞は憲法改正案に代表されるように『提言報道』を重視してきたが、その提言の仕方を含めて紙面作りに影響が出るかもしれず大きな注目をしている」  ――具体的にどういう影響があるのでしょうか。  「もしかしたら、論説委員会のメンバー構成が変わり、論調が変わっていく可能性はあるかもしれない。今までは渡辺さんの考え方がある程度反映されたメンバーでやってきたという印象が私にはある。それが変わっていくきっかけにはなるかもしれない。なぜならば、代表権を持っており、人事権を持っている方がなくなったからだ」  ――渡辺氏をどう評価していますか。  「一言で言うならば圧倒的な存在感だ。しかし、どれくらい本当に影響力あるかというのは実はわからない。ただ、そうは言っても業界をひとつにまとめる力があった。みんなの勝手な思い込みも含めて、過大評価も含めてあったと思う。彼の力、そういう虚実取り混ぜた力に報道界の全体が頼っていたというのが実態だと思う」  「それは読売新聞に新聞業界が頼る構図にもなっている。その結果として、新聞業界は(商品の供給者が取引先に販売価格を指示できる)再販売価格維持制度をずっと守ってこられた。結果的に多くの新聞社は、これに助けてもらったという思いがあるのではないか」

9時間前
渡辺氏の死去、読売の経営への影響は 識者「もしかしたら論説に…」

寺西哲生が記事を書きました

大麻所持罪でミュージシャンに執行猶予付き判決 ファンへの思い語る

 大麻取締法違反(所持)の罪に問われたミュージシャン、末武竜之介被告(29)=岐阜県多治見市=の判決公判が19日、岐阜地裁多治見支部であり、細野なおみ裁判官は懲役1年執行猶予3年(求刑懲役1年)を言い渡した。  判決によると、被告は8月27日、自宅で大麻草約8グラムを所持するなどした。判決は「父親の介護と仕事のストレスを(大麻で)まぎらわせ、安眠したいという安易な動機に酌量の余地はない」などと指摘。執行猶予については「二度としないと誓い、カウンセリングも予定しており、社会内での自力更生が相当」などとした。  被告は3人組のパンクバンド「KUZIRA」でボーカルとギターを担当。バンドの公式ウェブサイトは10月2日付で、被告が大麻取締法違反容疑で逮捕されたことを受け、年内に予定されていた全ライブをキャンセルすると発表した。 ■判決後に語ったファンへの思い  判決後、末武被告は報道陣の取材に応じ、ファンへの思いなどを語った。一問一答は以下の通り。 ――判決についての受け止めは?  どんな判決を受けても受け入れるだけと思っていました。 ――判決を受け、ファンへのメッセージはありますか。  これまでの活動でたくさんの愛を受けたので、音楽で返していくだけです。 ――今後の活動予定は?  これから発表すると思います。 ――看護師の仕事はもうやっていない?  はい。 ――今後はバンド一本でやっていく?  はい。 ――今後どんな音楽活動をやっていきますか。  僕には音楽しかないので、自分の使命だと思っています。それをやるだけです。

9時間前
大麻所持罪でミュージシャンに執行猶予付き判決 ファンへの思い語る

佐藤亜季が記事を書きました

「昼も眠らない街」に? 札幌 ココノススキノ開業1年、変わる人流

 歓楽街として知られる札幌・ススキノの中心部にできた商業施設「COCONO SUSUKINO(ココノススキノ)」の開業から1年。夜のイメージが強かった街には、学生や赤ちゃん連れのママらも訪れるようになり、昼間のにぎわいが新たに生まれている。  ココノススキノは昨年11月末、ニッカウヰスキーの看板のあるすすきの交差点の一角に誕生した。地上18階、地下2階、地下鉄直結の建物は、低層階に物販や飲食、中層階にシネマコンプレックス、高層階にホテルが入る。  「昼も眠らない街」をコンセプトに掲げ、年代を問わず幅広い客を呼び込めるよう、物販や飲食では手頃な価格で日常的に利用できる店をそろえた。  一等地のこの一角は、札幌松坂屋から始まってヨークマツザカヤ、ロビンソン百貨店、ススキノラフィラと、商業施設が変遷した。ススキノラフィラが老朽化のため2020年に閉店した後、再開発を担うことになった中心が東急不動産(東京)グループだ。  ココノススキノ総支配人で、東急不動産SCマネジメント(同)札幌プロジェクト推進課長の志村敦史さんは、開業前から何度もこの地に足を運び、地元の人の生の声を聞いてまわった。配った名刺は2千枚。コロナ禍で大打撃を受けた地元の人からは、「夜一辺倒ではなく昼間をもっと盛り上げたい」との声が多く寄せられた。「『昼も眠らない街』というコンセプトは間違いではないとの確信を得た」という。  コンセプトは当たった。昼間は、高齢の夫婦や赤ちゃん連れのママ友らが、お茶やお酒を飲みながらランチを楽しんだり、学生がフードホールで勉強したり。夕方は、仕事帰りの会社員が立ち寄って買い物する姿も。志村さんは、「ススキノに今までいなかった人たちに来てもらえている」と満足そうに話す。  ココノススキノの1年目の来場者数は800万人を見込んでいたが、実際には1100万人と当初見込みを大きく上回った。2年目も1100万人の来場者数を目指している。  札幌市立大学AITセンターによる携帯電話の位置情報に基づくデータ分析によると、今年10月の第3週(1週間)の人流は、前年同時期に比べて2%増と大きな変化はなかった。ただ、時間帯別に見ると、平日夜間の人流は前年に比べ約1割減だが、土日の昼間は前年に比べ約1割増だった。同センター長の高橋尚人教授(情報学)は、コロナ禍による生活様式の変化で平日の夜間の人流は落ち込んだままだが、土日を中心に昼間の人流が前年を上回り、全体を押し上げていると分析している。  札幌中心部を訪れる客足は、2003年の大丸札幌店の開業で大通から札幌駅周辺に移り、人流が大きく変わったとされる。ススキノ地区での昼間の人流増は、大丸開業以来の人流の変化と指摘する声もある。ススキノ地区では、ランチ営業に力を入れる飲食店が増え、オフィスビルやタワーマンションの建設も進む。少し南の中島公園周辺はマリオットやインターコンチネンタルなど外資系ホテルの建設ラッシュだ。夜の街一辺倒ではない動きが少しずつ広がっている。  一方、JR札幌駅前は、北海道新幹線の札幌延伸工事や再開発に伴って大型施設の閉鎖が続き、昼間の人流は減少傾向だ。ただ、駅前の再開発ビルが2030年前後に開業すれば、環境はまた一変する可能性が高い。ココノススキノ総支配人の志村さんは、「札幌の人は熱しやすく冷めやすいと言われる。札幌駅前の再開発後も、ススキノが『昼も眠らない街』であるよう、新たなテナント誘致など施設の魅力を高めていく努力を続けたい」と話している。

9時間前
「昼も眠らない街」に? 札幌 ココノススキノ開業1年、変わる人流

藤田知也が記事を書きました

銀行の貸金庫「抜け穴」防ぐ点検要請、全銀協 過去の被害「不明」

 全国銀行協会の福留朗裕会長(三井住友銀行頭取)は19日の記者会見で、会員各行に貸金庫の管理体制の点検を求める通達を18日付で出したと明らかにした。三菱UFJ銀行で貸金庫での窃盗事件が判明したことを受け、管理体制に問題がないかを確認させる。実際に各行で三菱UFJと同様の「抜け穴」がある可能性については言及を避けた。  「会員行においてお客さまの信頼を損なう事案が発生し、申し訳なく思っている」。福留氏はそう述べ、通達では会員行が管理体制を点検するための項目を例示したという。自身が頭取を務める三井住友銀行の貸金庫については、「現時点では、そのような事案が発生しているとは認識していない」とした。  三菱UFJでは、金庫を開けられる予備鍵を支店長代理が1人で管理していたうえに、定期的な点検では鍵の保管を確認するだけで使われた形跡までは調べなかった。この結果、支店長代理が予備鍵を無断で使っても気づけない状態になっていた。  同様の「抜け穴」が各行でもあるのではないかと問われた福留氏は「各行には(問題があれば)見直しを促していく。(三井住友銀行)個別では現在、改めて点検している」と答え、三井住友銀行では約13万件ある貸金庫の管理状況を確認しているとも説明した。貸金庫の中身が盗まれた被害が会員各行で過去にあったかどうかは「全銀協としては関知していない」としている。

9時間前
銀行の貸金庫「抜け穴」防ぐ点検要請、全銀協 過去の被害「不明」

小松隆次郎が記事を書きました

「アイドルやめたい…」からかなえた夢 あの夜、大盛真歩は変わった

 AKB48の大盛真歩さんにとって、それは「夢のまた夢」だった。幼稚園生のころから憧れたアイドルになって6年半。一度は心が折れながらも、大好きな道をあきらめずに歩み続け、初の写真集発売をつかみとった。 ■AKB48 大盛真歩 1st写真集「ずっと、好きでいたい」(KADOKAWA)を発売  12月5日の発売当日は、25歳の誕生日。ファンに向けた配信直前、その喜びを隠しきれなかった。  「待ち望んでいたファンの方に報告できることが一番うれしかった。この写真集には、私のことをずっと好きでいて欲しいという思いがたくさん詰まっています」  撮影は今年7月、伊豆諸島の新島と式根島で行われた。一番の「激推し」はウサギのぬいぐるみを抱えたカット。AKB48のオーディションでウサギのぬいぐるみとともに配信したところ「ぴょんちゃん」と呼ばれ、愛称「まほぴょん」の由来にもなった。「かわいく撮れた」と自画自賛するほどのお気に入りだ。  「普段のアイドル活動で素の部分を見せるときは少ないんですが、この1冊には私の自然体の表情、私の全てが詰まっています」と笑顔を見せた。 ■選抜に入れず、心が折れた  2018年、18歳のときにAKB48に入った。順調に経験を重ねて迎えた21年6月、シングル「根も葉もRumor」の選抜発表。「ここで入らなければ二度とない」と自信を持って臨んだが、名前は呼ばれなかった。心が折れた。  「AKB48をやめたい」。その夜、両親に泣きながら電話をかけた。それでも、大好きなアイドル以外、やりたいことが思いつかなかった。「もう少しがんばってみよう」。そんな気持ちで続けていくうち、初選抜やテレビ番組出演のチャンスが舞い込んだ。  「それまでは『がんばらなきゃ、がんばらなきゃ』と、楽しむことを忘れていました。楽しんでいたらうまくいって、何ごとも楽しむことは大事だと実感しました」 ■「しかってくれた」祖母の前で堂々と  グループのムードメーカーとして活躍を続け、今年9月には地元・茨城での出張公演で凱旋(がいせん)を果たした。観客席には、活動初期のころ、東京行きのバス乗り場まで車で送ってくれた祖母の姿があった。  「朝が苦手で遅れがちな自分に、『ダメだよ』としかってくれることもありました。そんなおばあちゃんに、アイドルとして堂々と歌って踊っている姿を見せられたことがうれしかったです」 ■東京ドームへ「AKB48を盛り上げる」  AKB48は「結成20周年イヤー」に入った。新劇場がオープンし、第2期黄金時代、そして東京ドームを目指して走り始めている。アイドルに魅せられ、アイドルになった25歳は躍進を誓う。  「AKB48を盛り上げるために、いろいろなところで活躍して、ファンの方に幸せな気持ちや日々の活力を与えられるような存在のアイドルになりたいと思います」 ■大盛真歩さんロングインタビューを公開!  インタビュー詳細は次の通り。 ――AKB48に入って7年目、25歳の誕生日に初の写真集を発売。  雑誌に写真を掲載していただくことが多くなってから、ファンの方から「まほぴょんの写真集を見たい」という声がどんどん大きくなっていき、でも「夢のまた夢だろうな」と思っていました。お話をいただいたときは、信じられないくらいうれしかったです。 ――撮影前、「こんな写真が撮りたい」という希望があったか。  はい、制服での撮影です。もともとアイドルの写真集が好きで、なかでも(元NMB48の)渡辺美優紀さんの制服でのカットに憧れていました。その希望を伝えたところ、制服風の衣装を用意してくれて、朝からさわやかに、素敵に撮っていただきました。 ■カメラのシャッター切ってくれず… ――撮影は伊豆諸島の新島と式根島で。  「島へ。」という雑誌でエッセーを連載させていただいていて、島には縁がありました。打ち合わせをするなかで、自然体の表情を撮るには島がぴったりなんじゃないかということで、島に決まりました。新島も式根島も行ったことがありませんでしたが、すごくきれいなので行ってみたいと以前から思っていました。 ――撮影で印象に残っていることは。  これまで経験した雑誌の撮影では、場面ごとにポーズや表情を考えながら決めていました。今回もそういう感じでやろうとポーズを取っても、(写真家の)細居幸次郎さんがカメラのシャッターをなかなか切ってくれませんでした。逆に何も気にせずしゃべっていると、いつの間にかシャッターが切られていくんです。本当に自然体の私を撮りたいということでした。最初は慣れずにポーズを取ってしまうこともありましたが、撮影を重ねていくうちに自然体でいられるようになって、後半は「いいね」と言ってくださり、たくさんシャッターを切ってくれるようになりました。  2泊3日の撮影でしたが、夜ご飯をみんなで食べているときも「使うか使わないかわからないけど、一応撮ってみよう」と。まさか、使われないだろうと思っていたカットが使われていました。それこそ、ほろ酔いで宿に帰る途中とか、自然な表情がたくさん詰まっている写真集になったと思います。 ■「私の全てが詰まった1冊」 ――一番おすすめのカットは。  何と言っても、ウサギのぬいぐるみを抱きかかえて撮ったカットです。かわいく撮っていただいたし、自分の中でも「かわいく撮れたな」と思うので一番の「激推し」です。  昔からウサギのぬいぐるみが大好きでした。中学生のころ家族旅行で那須に行ったとき立ち寄った雑貨屋さんで買ってもらい、オーディションでは、そのぬいぐるみと配信していました。配信を見てくれたファンの方から「ぴょんちゃん」というあだ名をつけてもらい、それが今の愛称「まほぴょん」の由来です。  普段のアイドル活動では、「アイドルとしての大盛真歩」という部分が結構強いなと感じています。あまり素の部分を見せるときは少ないんですが、この写真集の中には、本当に素の表情が詰まっています。私の全てが、この1冊に詰まっているなと思っています。 ■「楽しむこと忘れていた」あの頃 ――18歳でAKB48に。これまでのアイドル人生を振り返ると。  心が折れたことがあります。シングル「根も葉Rumor」(2021年9月)で選抜メンバーに選ばれなかったときのことです。  その2年ほど前にAKB48内で「IxR(アイル)」というユニットができ、参加しました。私の他は若手のトップを走る人気メンバーばかり。当初は「なんでそこに大盛なんだ」というマイナスな意見も聞こえてきましたが、必死に活動した結果、「まほぴょんがいてくれてよかったよ」と言ってくれる方が多くなりました。  歌番組にも出させていただく機会が増え、周囲から「選抜メンバーに入れるんじゃないか」と言われ、自分でも「いや、この流れは来てるな」と正直思っていました。現実的に「次のシングルでは選抜に入りたい」と。でも、発表されたメンバーに入っていませんでした。「ここで入らなかったら、私は二度と入れない」という気持ちでがんばったので、「終わった」と思いました。  その日の夜、両親に「もうAKB48をやめたい」と電話しました。「次にやりたいことあるの?」とか、いろいろな話をしたときに、正直アイドル以外なくて。「だったらまだ1年だけでも、AKB48にいてもいいんじゃない」と止めてくれました。「あともう少しがんばってみよう」という気持ちで、でもそこで解放されたんですよ。今まではもう「がんばらなきゃ、がんばらなきゃ」と、力をグッと入れた状態。それが、「まあいいか、いつでもやめられるし」と、ラフな気持ちに変わりました。  「楽しむ」ということを忘れていたなと思いました。「いつでもやめられるし」という気持ちで活動してみると、何事も楽しんでやろうかなという気持ちになりました。 ■「初選抜」からの大躍進 ――アイドルを続けた結果、次のシングル「元彼です」(22年5月)で選抜入り。  実際に選抜に入ると、また苦労がありました。記憶力がすごく悪いんです。ダンスもそうだし、セリフも覚えることがとにかく苦手で。初選抜の時期に初めて舞台も経験させていただいたんですけど、セリフも立ち位置も覚えるのが本当につらくて、さらに初選抜でレッスンも多くて、もう「ワーッ」となっちゃって。もうダメかもと思ったんですけど、それも何とか乗り越えました。今では、経験できてよかったなと思っています。  初選抜のあとは、ちょうどAKB48の冠番組にほぼレギュラーのように出させていただき、私の素の部分を「面白い」っていじってくださることもあって、新たな自分じゃないですけど、吹っ切れて活動できるようになりました。 ■柏木由紀さんが背中押してくれた ――根っからのアイドル好き。  もうアイドルが好きなんです。幼稚園生のときから「モーニング娘。」さんが大好きで。小学生のときにAKB48を見て、小嶋陽菜さんが好きになりました。がっつりハマったのは、高校生に入って込山榛香さんのドキュメンタリーをテレビで見てからです。自分とあまり年齢が変わらないのにキラキラして、こんなに一生懸命ですごいなって、AKB48ってすごいんだなって改めて思いました。 ――自分もアイドルになりたいと思ったのは。  高校3年生で進路を決めるタイミングでした。ギリギリまで悩んだ末、地元の歯科衛生士の専門学校を受験して合格しました。ちょうど同じころ、AKB48のオーディションがあって、アイドルが好きだし「最後のチャンスだから、ダメもとで1回やってみようかな」と思って受けたら、どんどん進んで合格しました(第3回AKB48グループドラフト会議でチームBから指名を受ける)。  「本当にAKB48に入りますか」という面談があったんですけど、その時点ですでに専門学校への入学金を払っていました。とても迷いましたが、チームBで指名してくださったゆきりん(柏木由紀)さんが「話したい」って言ってくださって、初めてお会いしました。「専門学校と両立できるか、すごく迷っています」と相談したら、「すごくかわいいし、AKB48に1回入ってみて、それでもできないと思ったらやめればいいんだから」とラフな雰囲気で背中を押していただきました。  その帰り道に車の中で両親に「やっぱりアイドルになりたいし、がんばりたい」という話をして、両親も私のことをよく知っているので、「あなたは絶対両立できませんよ」と言われました。「私もそう思います」と。でも「本気でがんばる覚悟があるなら、AKB48一本でがんばりなさい」と言ってくれました。 ■「出張公演」で地元に凱旋、晴れ姿を家族に ――今年9月の「出張公演」で地元を凱旋。  加入したばかりの18年6月、おじいちゃんとおばあちゃんが名古屋での「選抜総選挙」を見に来てくれました。でもその後は、高齢なのでコンサートもAKB48の劇場公演にもなかなか来てもらうことができませんでした。それが今回、「出張公演」という形で茨城でのステージがあり、6年ぶりに、アイドルをしている姿を見せることができました。  おばあちゃんは茨城から東京に通っているときは毎朝、バス停まで1時間もかけて車で送ってくれました。朝起きるのが苦手で遅れがちな私に、「アイドルをやっているのに、それじゃダメだよ」としかってくれることもありました。そんな私が、ちゃんと堂々と歌って踊っている姿を見せられたのは、すごくよかったなって思います。 ――AKB48は結成19周年を迎え、新劇場がオープンし、新公演が始まった。今後の意気込みを。  AKB48は「結成20周年イヤー」に入りました。また新たに第2の黄金時代を作っていきたいと思いますし、自分としてもAKB48をまた盛り上げるために、いろいろなところで活躍して、自分のことを応援してくださるファンの方に幸せな気持ちや日々の活力を与えられるような存在のアイドルになりたいなと思います。 ■PROFILE ◆大盛真歩(おおもり・まほ) 1999年12月5日生まれ、茨城県出身。「第3回AKB48グループドラフト会議」でAKB48チームBから第5巡目で指名され、2018年にデビュー。22年5月リリースの59thシングル「元カレです」で初選抜。ニックネームは「まほぴょん」。

10時間前
「アイドルやめたい…」からかなえた夢 あの夜、大盛真歩は変わった

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執行役員編集担当兼ゼネラルマネジャー坂尻顕吾
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