セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

〈奥多摩めぐり〉2024年辰年、九頭竜神にはじまり九頭竜神に終わる一年だった。

 

 

東京都西多摩郡檜原村数馬『九頭竜神社』。

辰年最後の記事は九頭竜神。



 

 


2024,12,21

今年辰年は元旦の能登地震で始まった感があります。能登半島は宮下文書版クニサツチがはじめて本州に上陸した土地。

前記事でも述べましたが、今年元旦に関戸九頭竜神社を参拝、その夕刻に能登半島地震があった。個人的には九頭竜さまのお導きを強く感じた年でもありました。そこから能登半島→房総半島→紀州→三浦半島→筑波山と、能登半島と房総半島レイラインに沿って、皇祖マゴコロ夫妻の御正体に辿り着けた感あり。

 

今回はお礼参りも兼ねて東京都檜原村数馬『九頭竜神社』と、東京都あきる野市伊奈『正一位岩走神社』へ行ってきました。


~目次~

 

〈緊急続報〉能登半島〜房総半島、戸隠神社と寒川神社を結ぶレイラインだった?。 - セキホツ熊の謎を追え!

〈能登半島①〉能登は日本人上陸の聖地、七尾市と七瀬祓と富士朝七廟の接点。 - セキホツ熊の謎を追え!

瀬織津姫と九頭竜神を繋ぐ?。オモイカネ兄弟の天表春命・天下春命レイライン。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

 



 

 

 

 

数馬・九頭竜神社

 

東京都檜原村への道中、梶原八幡の近くを通った。進行方向にみるみるドス黒い雨雲が立ち込め、ポツポツと雨が降り出した。天気予報では終日晴れになっていたはずだし、バイクできてしまったし、雨具持ってないし。さてどうするか…。

取り敢えず30分ほど道中にあった牛丼屋に緊急避難。昼食をモグモグ食べつつ…帰ろうかなと思っていた。こういう経験は何度もあるので、そんなときは素直に帰ることも肝心だと思っている。しかしスマホで天気予報を確認すると、たった数分の内に雨雲が雨雲レーダーから消えていた。

 

奥多摩周遊道路の路面は濡れていたので雨は降っていたようだが…みごとな晴天。境内は綺麗な斜陽が迎えてくれ、金ピカの陽だまりに溢れていた。祓いの雨だったのかな?。

一瞬でも来るんじゃなかったと思っていた自分を、ちょっと恥ずかしく思った。

 

なんだったんだ?あの雨(´(ェ)`)

 

 

 

 



◯『九頭竜神社』(東京都西多摩郡檜原村数馬)

〜御祭神〜

  • 九頭龍大神
  • 天手力男命

 

創建不詳。

南北朝時代1336年(建武3年)武蔵七党小野氏流横山氏・中村数馬守小野氏経が当地を開拓。南朝方についていた彼らは、南朝の守護神九頭竜神を氏神として崇敬していたという。以降『中村家』として神主を継いだ。

室町時代1545年(天文14年)、中村家七代・数馬組中村伊賀守藤原信吉が、信濃国戸隠村九頭竜神社を勧請した。このときの御祭神がタヂカラオではないかと思われる。

新編武蔵風土記稿によると、神社の御祭神は健南方命(タケミナカタ)と弁財天に似た木立像であったというが、確認は許されない?非公開?とのこと。

 

社殿の裏側に回る小道の先にも綺麗な沢があり。多くの人が気づかずに立ち去ってしまうようだが、心癒される空間なのでオススメ。これとは別に、200mほど上流に『九頭竜の滝』、1kmほど下流に『龍神の滝』がある。









正一位岩走神社

秋川下流25km下流の旧五日市街道沿いにも、タヂカラオ信仰が色濃く残っている地域がある。その名も伊奈(いな)。実はヤマトタケルが信濃からの帰還ルートで、戸隠中社オモイカネは下伊那郡『阿智神社』の分霊ともいわれている。戸隠と繋がりが非常に強い地域である。さらにホツマツタヱ版オモイカネはワカヒルメの夫で、その間に生まれたのがタヂカラオ・ウワハル(戸隠神社)・シタハル(小野神社)となる。戸隠を研究する上でも、ワカヒルメが重要なポジションにいることがわかる。

 

 

◯『正一位岩走神社』(東京都あきる野市伊奈)

〜御祭神〜

  • 稚日女尊
  • 手力男命(ホツマツタヱ版ワカヒルメの御子)
  • 棚機姫命

 

創建不詳。

平安期1152年(仁平2)、信濃國伊那郡の石工など12名が当地を開拓。信濃國総鎮守『戸隠大明神』のタヂカラオを勧請した。後に数年を経てワカヒルメ・棚機姫命を合祀する。江戸時代1794年(寛政6年)、119代光格天皇より正一位を賜る。



因みに信濃国伊那という地域を簡単に説明しておくと。

上伊那郡箕輪町中箕輪松島神社』は、安房神社→洲崎神社→阿祖山太神宮→乗鞍大権現へとおおよそ冬至のレイラインを形成している。御祭神は臼杵大明神ニニギ。さらに三峰川には旧七夕8月7日に『さんよりこより』という大祭がある。具体的には、瀬織津姫命を祀る『片倉天伯社』と棚機姫之命を祀る『天伯社』が神輿で三峰川を渡るというもの…。最近改めてこの祭の重要性がわかってきて、いま思うとすごいジワジワくる(苦笑)。またいつか別記事で纏めてみたい。

 

ワカヒルメを祀る戸隠信仰『正一位岩走神社』



実は熊オッサンの家族が伊那にいるのだ。もともと能登七尾に住んでいたが、いまは伊那松島に引っ越した。そのような経緯もあり当社にご縁を感じて、いままでに確か4回ほど参拝させていただいている。とくに今回はワカヒルメさまにもご挨拶をしたかった。熊オッサンの誕生日も8月7日であり、伊那に家族もいるので、仄かなご縁を感じていた次第だ。まさかこの後…このワカヒルメという神様が、歴史解明のキープレーヤーとして急浮上してくるとは思わなかった。

 

 

(´(ェ)`)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

能登・房総半島レイライン。

 

山梨県・静岡県・関東圏であれば、富士朝関係氏族が何処に潜んでいてもおかしくはない。

小野氏流横山党も例外ではなく、宮下氏族は紛れていると見られる。

たとえば相模愛甲郡愛甲庄の愛甲氏。通説横山資高の末裔とされるが、宮下文書では宮下氏流金子氏となるので注意。金子氏族とは宮下氏族始祖大山守皇子の第二王子・金子田宿伯の系統。

鎌倉時代に、寒川神社副宮司・金子国太夫政家三男の三郎秀隆(通説の畠山重忠を射止めた季隆のことか?)が、相模国愛甲郡を賜り愛甲三郎義隆を称した。この愛甲郡が現在の小田急線『愛甲石田駅』付近で、厚木市小野のシタハルを祀る式内社『小野神社』付近がある。愛甲一族は、島津家臣(大隅国桑原郡吉松郷)に進出して江戸時代まで続いたと思われる。

そしてこの愛甲氏の拠点が、下記のレイライン上ドンピシャなのだ。


〜能登房総レイライン〜

 

  • 須須神社奥宮
  • 須須神社高座宮

 

  • 戸隠山
  • 戸隠九頭竜社
  • 戸隠神社奥社
  • 戸隠神社中社
  • 熊オッサンが戸隠めぐりで泊まった宿(嘘じゃないよ)

 

  • 雲取山(都内最高峰)
  • 七ツ石神社(将門伝承)
  • 九頭竜神社(横山氏流中村家神主、800mズレ)
  • 龍神の滝(滝行道場)

 

  • 石楯尾神社(式内論社、佐野川)
  • 蚕影山神社(佐野川)
  • 御霊神社(佐野川)

 

  • 小野神社(厚木小野の式内社、オモイカネ御子シタハル、800mズレ)
  • 宝積寺(愛甲三郎季隆供養塔)
  • 愛甲三郎季隆屋敷跡(神明神社)
  • 円光(石田氏拠点石田城跡、500mズレ)
  • 円光寺(愛甲季隆の宝篋印塔)

 

  • 相模一宮寒川神社(阿祖山太神宮里宮、近くに梶原景時の拠点あり)
  • 安楽寺(寒川神社別当寺、大神塚)
  • 江島神社奥津宮(1.5kmズレ)
  • 楫の三郎山神社(2024年廃社、600mズレ)
  • 安房一宮洲崎神社





因みにこの隣の相模国大住郡糟屋庄石田郷から派生した三浦氏流壱岐石田氏が、熊オッサンの父方祖母の家系の可能性がある。寒川神社周辺を拠点として、横山氏の母を持つ梶原景時も推定ご先祖さまの一人。ここまでくると因縁すら感じてしまう…。やはりレイラインには偶然を引き寄せる力があるのだろうか?。

 

(´(ェ)`)



 

 

 

九頭竜神社手水舎。





善と悪と

九頭竜神社沿い南秋川は、北秋川と合流、そのまま多摩川へ注がれる。下流の武蔵一宮小野神社近くには『関戸九頭竜神社』がある。神社由緒書きによると、創建は中世、上流から『九つの頭をもつ龍のようなもの』???が流れて祀ったという。なんとも謎めいた神社がある。

例大祭は9月第二日曜日。これは幹線道路を規制して神輿を担ぐためで、背景には交通事情もありそうだ。小野神社に合わせているのかな?とも思う。ということは聖蹟桜ヶ丘周辺は、瀬織津姫命と九頭竜神が同日同地域に祀られる珍現象が見られるわけだ。その善悪両神に安曇族末裔小野氏族たちが関わっていた可能性も興味深い。

ホツマツタヱでは、瀬織津姫ホノコと九頭竜モチコの関係は、ズバリ善悪の対立構図であった。瀬織津姫の陵墓とされている六甲山『六甲比命大神社』では、彼女を善神であると強調している。

瀬織津姫の崩御後、九頭竜神は復讐のために生きている意味を失う。戸隠山にてタヂカラオに説得され心改め、自ら封じられ祀られる存在までになった。そのような昔話までを勧請したのが、数馬九頭竜神社の御祭神であるハズである。

 

 

実は、熊オッサンははじめ九頭竜神が怖かった。

ホツマツタヱだけ読んでいたら…瀬織津姫の神社に加担していたわけで、九頭竜神は悪神であり、いつ祟られてもおかしくない立場なわけだ。しかしそのような単純なはなしでもなかった。

宮下文書に出会って気づいたのは、どちらも創作された神話であったこと…。両神ともに、子孫に歴史を作り変えられてしまった可哀想なご先祖さまたちなのだ…。

歴史は勝者の『善』の視点であり、『悪』とされた敗者にこそ多くの隠された真相が眠っているハズ。両者を鏡写しに、客観的に受け止めて統合しなければ、史学は何も語らなくなる。なぜならば、私たちは善人の子孫であるとともに、悪人の末裔でもあるからだ。言い換えると、稀代の悪人といわれる梶原景時の末裔が、善人である可能性もあるわけだ(苦笑)。

日月神示曰く、悪は神がやらせている部分もあるという。それもある種の御役であると。それは見極めが必要だということ。皆さんはそんな『悪』を完全に消し去ることができますか?。



結果として、ここまで宮下文書を研究してきたわけだが。瀬織津姫・九頭竜神どちらの知識も必要であったわけだし、どちらかに偏っていたら歴史は見えなかったと思っている。

両神はこのバランス感覚を教えてくれていたように思う。どちらの神も自分を見ているというプレッシャーを作りだすことによって、バランスを保つことができた...ようにも思える。



(´(ェ)`)



この日最後の直射日光だった。数馬・九頭竜神社




おわりに

 

能登半島災害復興をこころよりお祈りいたします。

残念ながら能登半島の災害復興が遅れているようです。能登半島も房総半島も、日本人にとって特別な土地。だけど地元の方々を含めて多くの日本人が、それを知らない現状があります。

宮下文書を通してそれを一人でも多くの人々に伝えられれば良いなと思っております。また時期を見計らって、能登半島へ神社めぐりにも行きたいなと思っております。

m(_ _)m

 

今年最後の記事になります。良いお年を。

(´(ェ)`)

 

 

 

 

 

x始めたんですけど...。

そもそも宮下文書自体がセンシティブな内容なので、いつシャドウバンになってもおかしくはありません。というか想定どおりだなと(苦笑)。ただ言える事は、宮下文書研究者が世間的にどういう扱いにされているかを伝える実例かと...。

当ブログサイトにも常々違和感を感じております。みなさんもネット上の数値に惑わされませんように、直感と違和感を大切に...。

(´(ェ)`)

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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