ちょっと辺境(海外旅行)
イギリスにクリスマスカードを出した。 料金:140円(25gまで)2024年12月 もともと英語は苦手だったが、「苦手なままでは駄目だ」と、奮起して猛勉強。勇気を持ってイギリスにホームステイまでしたのだった(夏休み期間)。そのときイギリスで受けた影響が…
日曜日・・・ いろいろと用事があり、朝から活動。 昼のネットニュース。 ダマスカスに反政府勢力が攻勢中。 夜、19時、ラジオ受信機からの報道。 ダマスカスが陥落し、アサド大統領が行方不明。 早い。早すぎる。 ヒズボラはともかく(余力が無いという意味…
身辺整理2 思うところあり、身辺整理をし始めている。 過去の旅で使い残したトラベラーズチェック(以下、T/Cと書きたい)があったのを探し出した。 T/Cは、紛失しても、再発行が可能な(主に旅行者向け)小切手であり、治安の悪い地域を旅するには重宝した…
ブラジルとアルゼンチンの国境にあるのが、イグアスの滝である。 「悪魔の喉笛」が、やはり迫力がある。 遊歩道を通っていくと、こういう風景が見られる。 イグアスの滝 【悪魔の喉笛】 下から見ても、それなりの迫力。 下からみた「イグアスの滝」
※コロナ禍前の話 ブラジルのパンタナールと呼ばれる大湿原。 そこにあったのが、野生動物保護施設。 事情により保護する必要があると判断された動物たちがここにいる。 (ポルトガル語の理解が今一つなので、正確に理解できていたか懸念があるが) ワニ
※コロナ禍前の話 cerveja de salvador 読み方 セルベージャ デ サルバドール(たぶん) 「サルバドールのビール」というような意味。 スペイン語では、ビールは「セルベッサ(Cerveza)」だから ポルトガル語とよく似ている。 サルバドールで見た宣伝
ボンフィン教会。 結びつけられているのが「ボンフィンリボン」である。 「ボンフィン」という神様に、願いをかけ、願いが叶ったとき、感謝を忘れないようにと、このリボンが教会から贈られたというのが逸話としてあるようだ。 このリボンを手首などに巻き、…
サルバドールは、ブラジルの最初の「首都」である。 厳密には、それは「独立前」だったから、首都と呼べるのか分からない。 旧市街の街並み。いい感じだ。 サルバドールの街 中心付近の広場(ペロウリーニョ)
※コロナ禍前の話 ブラジルの古都サルバドールでもカーニバル(現地語:カルナバル)は行われる。 できるだけ露出が少ない写真を選んだらこうなった。 サルバドールのカーニバル(一場面)
※コロナ禍前の話 アマゾンの密林の真中に、大都会があって、 それが「マナウス」である。 マナウスの名所、オペラハウス。(アマゾナス劇場) マナウスのオペラハウス ジュース&軽食屋。 懐かしい風景だ。 マナウスのジュース屋
※コロナ禍前の話 マナウスの市場に行くと、魚を買える。 その場で調理してくれるサービスもあり、 私が自分でピラニアをチョイスし、その場で焼いてくれた。 特別なことではなく、日常風景。 味は、今となっては、はっきりとは覚えていないが、淡泊で、特に…
会社を辞めて旅に出たことがある。 数年間かけて世界一周をした。 辞めたので、当然「無職」であり、 多くの人からお叱りを受けた。 しかし、日本に帰国後は、再就職をし、 電気系エンジニアとして猛烈に働いていた。 週末は買い出しや自炊、掃除や洗濯など…
オリンダは一時オランダに占領され、 この祭壇のある修道院は、オランダ占領下で発生した火災で焼けてしまった。 その後再建される。 特徴的なのは、この写真にある豪華な祭壇である。 杉の木で作られ、金箔が施されている。 サン・ベント修道院(オリンダ)
※コロナ禍前の話 リオデジャネイロでは、コルコバードの丘に行った。 やはり、ここは有名だけあって人も多い。 コルコバードのキリスト像 (function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a; b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentSc…
※コロナ禍前の話 ペリリュー島にある碑の数々。 あの戦闘は何だったのか。 どんな意味があったのか。 亡くなった人たち。 傷ついた人たち。 元々住んでいた人たち。 島にある碑が、そういうことをいつまでも考えるきっかけとなる。 日本 顕彰碑昭和64年2月と…
※コロナ禍前の話 ペリリュー島の続き。 悲哀を感じる。 高台から見たペリリュー島の海岸 ペリリュー神社 米軍の水陸両用装軌車 LVT(A)-1?LVT(Landing Vehicle Tracked) 岩かげに隠された日本軍 短二十糎砲初速も低く、射程も短くあまり有効でなかったとい…
※コロナ禍前の話 1944年9月15日だから今から80年前のこと。 米軍がペリリュー島への上陸作戦を開始した・・・ 私は個人的に、歴史に興味があるので、わざわざこの島へ行ってみたことがある。 簡単には行くことができない場所で、 公共交通手段がなく、現地(…
※コロナ禍前の話 ブラジルに白い砂が広がる場所があるという。 それは、「レンソイス・マラニャンセス国立公園」である。 バヘリーニャスという街から、地元のツアーに申し込みレンソイスへと向かった。 ブラジルの良さは、人の良さである。 私は独りで参加…
※コロナ禍前の話 ブラジルの大都市サンパウロ。 そこには、「リベルダージ」と呼ばれる場所があり、日本人街となっている。 鳥居や、和食の店、日本食材の商店などがあり、不思議な感じがするのだ。 豆腐、納豆、醤油、味噌、昆布、鰹節など日本の食材も手に…
※コロナ禍前の話 ブラジルのアマゾン河流域では、「河が道路」である。 ここでは、バスの代わりに、船が運行されているのだ。 船足は、バスや鉄道と比べると遅いから、一泊以上の移動になることもある。 そのためハンモックを持ち込んで、それに寝るという方…
中央アジアについて思い出す。 中央アジアというと・・・下記のようなことが思い浮かぶ。 観光客が少ない(10年以上前しか知らないが) ロシア語が通じる イスラム教(イスラーム)文化 トゥルク系文化 多彩な国々 草原あり、山岳あり、都市も砂漠もあり、非…
キルギスの思い出の続き。 中央アジアは、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンと訪問したが、キルギスは山岳地帯であり、景色も美しく、なかなか良かった。 タジキスタンに行かなかったのが悔やまれる。 今の自分にとっては、昔の旅を…
愛読しているブロガーさんの「キルギス記事」を読んで、自分の昔の旅を思い出した。 キルギスは、言語としてはトゥルク系なのかもしれないが、モンゴロイド系の人が多く、親近感を持つ。「日本に留学したことがある」という日本語使いの人に会ったが、日本語…
(コロナ禍前の話) 「ソ連」の影響が残る国、モルドバ。 そのモルドバに滞在中、5月9日がやってきた。 安宿の部屋にはテレビが置かれており、そのテレビを点けると、 赤の広場でパレードが行われていた。 対独戦勝記念日だ。 独ソ戦は、大きな大きな犠牲の…
ロシアのブリヤート共和国。 その「首都」は「ウラン・ウデ」である。 ここは、バイカル湖の南東100キロ程度の位置にある。 人口40万人程度。 ロシアと言っても、シベリアは、モンゴル系もいて、ブリヤート人はまさにそうだ。 ブリヤート人は、仏教を信仰し…
(これも10年以上前の話) ボスニアヘルツェゴビナの首都「サラエボ」。 ボスニアヘルツェゴビナは、ボシュニャク人(イスラム教徒:ムスリム)、クロアチア人、セルビア人など入り乱れる複雑な政治事情を持った連邦国家である。 そのサラエボを訪問したとき…
(これも10年以上前の話) 駐ベオグラード中国大使館誤爆事件 ベオグラードに行った時、旧中国大使館に行ってみた。 ここは、駐ベオグラード中国大使館「誤爆」事件の現場である。 本当に「誤爆」だったのかは分からないが、故意にやった可能性も高い。 少な…
南米。 ボリビア共和国。 サンタクルス市郊外に、沖縄移住地がある。 そこは「コロニア・オキナワ」として知られている。 雛祭りが近づくと、そのことを思い出すのだ。 -------------------------------------------------------------- こんな歌が聞こえて…
タシュケント タシュケントには「ヤッカサライ墓地」があって、そこには、79名の日本人が眠っているとされる。 それは、太平洋戦争後、ソ連軍に連行され、ウズベキスタンに抑留された日本人兵士たちの墓である。 ウズベキスタンの「日本センター」にある資料…
(10年以上前の話・・・他の海外ネタも同様) ブルガリアでは、「犯罪」にも遭ってしまい大変な思いをしたことがあるが、 その食事と、人々の素朴な親切さは、心に残るものがある。 泊まった宿の近くにあったのが、ブルガリア料理の店。 この店は、閉店前の…