■ コミュニティノート
2021年、X(旧Twitter)で他人のポストに対して注釈や参考を付けられるコミュニティノートというものが実装された。デマだとか極論等に対して「異議あり!」というノートを他人が付けられるようになったのだ。ただ、このコミュニティノートを付けられるのは本人の希望と何かしらの条件があったはずである。
Xから【おめでとうございます】的なメッセージとともに、【ノートを付けられるようになりましたよ!】と連絡がきたのが3年後の今である。
今!いやたしかに、当初もの珍しさから希望に手挙げをした覚えはうっすらとあるが、音沙汰も無かったので忘れていた。確か、当時予防接種のデマが横行していて、それ関係の仕事をしていた自分はノイローゼぎみとなり、全てのデマ・カスポストを滅する!!という阿修羅だったのだ。今となってはあまりにもXが荒れ果てていて完全にやる気を失っているが……。
3年後の今、どうぞ、お望みのコミュニティノート編集権です。とお出しされ、まごまごしている。それと同時に、「このポストに付くコミュニティノートは役に立ちましたか、コミュニティノートを評価しましょう」という通知が届き、カスみたいなデマ・パクツイ・ディープフェイク・差別……多種多様なイヤなポストとそれに付く「これはこれこれという理由で事実と言えません・・・」というノートが常時現れ、それを査読せよと勧められている。精神がカリカリに削られていく。
ああ・・・・・・・・・!なぜこんなことに・・・・・・・・・・・!
いや、希望するみたいなボタンを深く考えずに押した自分の自業自得である。
今日も、ぼっち・ざ・ろっく!の後藤ひとりのギターストラップが谷間を通っている、いわゆるパイスラッシュになっている公式風の画像をつけた「この魅力に気付いてほしい」と興奮するオタクポストに対し「これはコラージュです、加工元の後藤ひとりは谷間にストラップを掛けていません。本当の公式画像がこちら。」と加工元のCDの通販ページに誘導するオタクコミュニティノートがついているものを「評価せよ」と通知が来た。これは………。
「高い評価」、「信用度の高い参考資料を引用している」にチェックを入れながら、たしかな終わりを感じていた。
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課題を出した後、トーン貼りのお手伝いをさせていただいてた。勉強になる。
その後社会の仕組みのひとつを知り、アオンと慟哭した。
頭が回ってきてないので、いったん眠り、朝から別の作業を行う。
これらの続き。いよいよダッシュの時。スケジュールを把握しながら行く。