各所(主にTBSラジオ「アフター6ジャンクション」周り)で絶賛の『花束みたいな恋をした』、観てきました。
観終わっても僕は泣かなかったし、観終わったらスタンディングオベーション!という類の作品でもなかったんだけど、観終わってから気がつくとこの作品のことを考えている。そんな作品。
数年前までの僕なら絶対に劇場に足を運んでみることのなかったであろうタイプの作品。けれどこれが非常に良い作品だったので、備忘録的に心のヒダに引っかかっている要素を列挙していこうと思う。
その前に一つ。
今流行りのclubhouseをやっている友人が「連日意識高いサブカル系の人たちもオタク気味の友人も等しく『花恋』トークをしている」と言っていて、映画鑑賞前の自分はなかなかその空気はキツそうだなと思っていたのだけど、観賞後はなるほど、これは誰かに話したくなる作品だと共感できた。
ただ、この作品を観た感想を音声メディアで不特定多数に発信するというのは僕にとっては怖い。だいぶ怖い。
体温を感じ取られてしまう音声メディアでこの作品を語ってしまうと、心の内を見透かされそうで、そう言ったことはごく身近な心を許した人にしか見せたくないかなぁというのが僕の考え。
心許したごく少数(わずか)な友人(ひと)にはお喋りになれるのに〜みたいな。
一度自分の思考を客観視できる文章メディアでしかちょっと語れないかも。少なくとも今すぐには。
そんな気持ちも込めて今回のエントリを書き残すことにした。
近すぎて省みるのが難しい過去と年齢
まずこの作品の「実在感」のようなものは、2015年から2020年という、今の僕(或いは僕ら)が相対化するには近すぎる過去が舞台になっていることに起因していると思う。
そして僕自身の年齢が麦くんと絹ちゃんの二人に近しいこともあって、映画鑑賞中は自分のごく身近にいる友人の話を間近で見ているような奇妙な感覚が去来した。
宇多丸さんが「俺はもう彼ら(の年齢)を笑って見ることができるけどさ」と言っていたが、自分は正にその真逆で、笑い飛ばすことができない程度には彼らとの生きた時代も年齢も近い。
僕自身の実際の年齢も、舞台になった2015年〜2020年という年代もこれがまた絶妙な近さ。
それがこの作品を思い出したときのなんとも言えない感覚を呼び起こす。
こそばゆいどころか「痛痒い」。そんな表現が最も合う作品だと思う。
1985〜1995年生まれくらいの人間が今観ると一番心にくるんじゃないかな。
2015年から付き合い始めて2020年に別れた麦くんと絹ちゃんカップル。実は僕と嫁ちゃんが付き合い始めたのが2015年の暮れだったので、そこも他人事とは思えずに前屈みで観てしまった原因の一つ。
この作品で自分語りをするのってちょっと気持ち悪いなとは思いつつもオーバーラップする部分があったので敢えて挙げてしまった。
あと麦くんと絹ちゃんが初デートで行った「ミイラ展」。
実は今こちらの展示が、僕の今暮らす富山県に来ていて(『花恋』鑑賞のちょうど一週間前にミイラ展に行っていた)、富山市内の映画館にはこんなコーナーができていた。
映画館はこちら↓
お笑い
冒頭、2015年の絹ちゃんの自宅のシーン。
トースターでパンを焼く絹ちゃんが口ずさんでいるのが、クマムシの「あったかいんだからぁ♪」。
これが絶妙に「2015年感」を出していて、作品の舞台となる年代を表す記号的演出として非常に冴えてるなと感じた次第。
YouTubeを確認してみたらリリースが2015年2月4日ということで、自分の肌感覚だけでなく実際に2015年という舞台に合っていたのだなという。
まぁ当時、CDリリースはクマムシがかなりハネて暫くしてからだったような記憶があるので、実際は2014年度末がクマムシの瞬間最大風速だったような感じがするけど。。。
あ、あとそう言えば「あったかいんだからぁ♪スーパーキューティクルバージョン」のコーラスに僕の応援しているアーティストさんが入っていたりする。
以前Twitterで呟いていたはずと検索してみたらツイートが削除されていたので触れられたくない過去なのかも……ということで、それがどなたかということには触れないでおく。
麦くんと絹ちゃんがお互い「天竺鼠のライブに行くつもりだったのに行くことができなかった」という共通点を持っていたけど、この天竺鼠という芸人のチョイスも絶妙。
コンビ名はそこそこ知られているもののテレビで一般層に顔と名前が認知されるまではいっておらず、一方でコアなファンが多いというところで、二人のカルチャー感度の高さと“サブカル感”の演出に役立っていた。
2020年放送の「アメトーーク」で瀬下の体当たりな芸風にスポットライトが当たって今でこそ天竺鼠の一般知名度も高いだろうけど、2015年ってまだまだ「知る人ぞ知る」感があったので。
そしてタクシーに乗る社会人二人を見送って、「押井守いましたね」という会話をきっかけに飲み直すことにした二人。
その後の自己紹介で「好きな言葉は“バールのようなもの”です」という麦くん。
この“バールのようなもの”というのも古典芸能好きからの僕からするとクスりと来るポイント。
というのも、立川志の輔師匠の新作落語で“バールのようなもの”というのがあるんですよね。
ちなみにその新作落語は清水義範先生の同名短編小説が元ネタになっていたりするわけだけど、「お笑い好き」という記号の付けられた麦くんのキャラを鑑みればこれはお笑い文脈で受け取るべきかなと。
まぁ読書好きなキャラでもあるので判断が難しいところだけど。
二人が距離を詰めるきっかけになったのが押井守監督という人選なのもまた絶妙。
ポップカルチャーに興味がなければまず顔までは知らない監督だと思うし。
んで、「神がいます……!」という麦くんの反応も良いし、「誰?有名な人?」という社会人男性に対して「犬が好きな人です」と答えるところも捻りがあって良かったなぁと。麦くん分かってるなぁって。
押井守監督の姿を見て「押井守だ!」と気付けない人に押井守作品を語ったところで絶対話通じないし。
「俺結構映画観るよ?」とかましてくるあの社会人のお兄さんが好きな映画として『ショーシャンクの空に』を挙げているシーンも良かったなぁ。僕と嫁ちゃんは笑ってしまった。
いや、僕も『ショーシャンクの空に』大好きだし、劇場で観た時にシアター内で一番泣いてたのは僕だったという自信もある(なんの自信だ)。
でも「俺結構映画観てるぜ」という人が如何にも挙げそうなタイトルだし、2015年当時「映画 オススメ」とか検索すると大体『ショーシャンクの空に』と『レオン』が入ってくるのが常だった。そういった意味でも僕にとってはかなり2015年感がある作品のチョイスだったなと思う。
今「映画 オススメ」と検索しても『ショーシャンク』は入ってくるんだろうか。
この作品に罪はないし、むしろ大好きなのでこんな扱いは自分としても不本意なんだけど。
押井守と犬に関するエピソードはこちらから。
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歯を磨きながら読むと一章の分量がちょうど良いのでオススメ。
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— 意識高い系中島 (@Nakajima_IT_bot) 2021年2月17日
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2015年?
劇中、付き合いたての二人が街に出かけるシーン。あれは球形のガスタンクを撮影しに繰り出したシーンだっただろうか。それが明確に2015年の描写だったかは自信がないんだけど、二人が歩く陸橋の下を山手線の新型車両が通過するシーンがある。
で、実は山手線の新型車両が1編成だけ走り出したのが2015年のかなり暮れの方で、本格導入は2017年のこと。
2015年の記事
2017年の記事
僕は鉄ちゃんじゃないので具体的な年代については自信がなくて後ほど確認したんだけど、劇場での鑑賞中に「2015年ってこの車両走ってたっけ?」と疑問に思ったのは確か。
街中を歩いていてガスタンクが気になって自主映画を撮っちゃうくらい周囲の物に感度高くアンテナを張っている麦くんが、当時珍しかったはずのこの車両に何も興味を示さなかったことに対して何だかなぁと感じたりはした。
当時見た目がApple Watchっぽいと話題になった車両だったので、2015年当時僕が目にしたらちょっとテンション上がっていたと思う。
「東京」ムービーとしての『花恋』
神奈川で生まれ育って大学時代都内のキャンパスに通い、社会人になりたての数年間を都内に通勤して過ごした僕にとって東京は行き慣れた場所で、それ以上の感慨を思い起こさせる場所ではなかった。
しかし転勤で4年以上東京を離れてしまった今の僕にとっては東京がすっかり「懐かしく思い出す場所」、「憧憬と共に遠くから見る場所」に変化していることに気づいてとても切なくなった。
大通りを缶ビール片手に歩く二人の姿には、明るい時間から友人と渋谷で二次会三次会まで飲んで、「映画観ようぜ」という友人の発言を受けて渋谷から六本木のTOHOまで歩いて『アルゴ』のレイトショーを観たなぁとか、色々自分の思い出がフラッシュバックさせられた。
あと序盤から終盤まで二人の飲むビールがアサヒスーパードライだった気がする。
贔屓の銘柄って結構長いこと変えないもんなんだよねと思った。
東京に住む20台前半の二人の旅行先が静岡県だというのもリアリティがあったなぁ。
金銭的にも時間的にも、東京で暮らす人間にとって静岡ってやっぱり旅行しようと思ったらファーストチョイスに入ってくるので。
静岡を代表するレストランチェーン「さわやか」を一度体験しようと思うのも都内の大学生あるある。
「静岡」という旅行先も含めてこの作品は「東京ムービー」なんだと強く感じた。
あと二人が坂を登りに登って目指すオープンテラスのカフェというのは鎌倉の樹ガーデンを思い出したんだけど、自分の記憶の中樹ガーデンとはちょっと違う。
どなたかあのカフェを知ってたらおせーてください。
麦くんの雑巾掛け
交際を始めた二人が最寄駅から徒歩30分の物件を見に行って、そこを気に入って引っ越して。
で、部屋の掃除をする時に麦くんが雑巾掛けをするんだけど、その手つきが抜群に掃除慣れしていない感じなのよ。
大学卒業後、社会人にならずにフリーターをしていた麦くんの、効率の良さとは縁遠いところで暮らしている感じがあの短い数秒の演技で表現できていた。
「社会人になってビジネス書とか読み始めた麦くんはきっとあんな風には雑巾掛けをしないんだろうな」などと描写されていないところにも想いを馳せてみたり。
カーテン
引っ越した二人が新生活を始めるにあたって象徴的にスクリーンに映し出されるのが二人でカーテンを広げる描写。
一方、ラストで交際関係を解消する二人があの物件を離れる時、今度は二人の共同生活を終わらせる象徴としてカーテンを畳む描写が入っているんですわ。
オープニングからしてこの二人の恋愛がどう着地するかわかるような作りになっているんだけど、観客は心のどこかで「まだこの二人はやり直せるんじゃないか」なんて思いながらこのストーリーを見ているわけで。んで、このカーテンを畳む描写がスクリーンに映し出された瞬間、「ああ、二人のあの日々はもう戻ることが無いんだな」と思ってすごく落ち込んだ。
心の余裕とカルチャー
社会人になって残業続きで心の余裕を無くしていく麦くん。
そして余裕がなくなった彼から真っ先に失われていくのがカルチャーなんですよ。
追いかけていた漫画作品も読まなくなっちゃうし、読書家だったはずなのに本も読まなくなっちゃう。映画も舞台も麦くんは行かなくなって、絹ちゃんだけがカルチャー摂取を続けていく。
で、この作品は主演二人のモノローグが物語の現在地点を理解するのに非常に役立つ作りになっているんだけど、文化面の摂取をやめてしまった麦くんのモノローグから形容詞がどんどん消えていく。これがどうしようもなく居た堪れない気持ちにさせられてダメだった。
僕も社会人になってすぐは余裕がなくなって映画を見る本数が激減した年があったので、何だか他人事とは思えなかったのだ。
そして一緒に書店に行った麦くんと絹ちゃん。
趣味の本を買って麦くんのところに行こうとした絹ちゃんが、ビジネス書を黙々と読み進める麦くんを目にして遠慮してしまうシーンの居心地の悪さに思わず一人「ぬおぉぉぉぉぉ……!」となってしまった
まぁこのシーンのことを話していたら嫁ちゃんに「あなたは漫画も映画も相変わらずずっと楽しんでるけどね」と言われたんだけど笑
絹ちゃんの対人スキルと脱・文化系ステレオタイプ
文化系カップルの二人だけど、二人とも「コミュニケーションが苦手です」みたいなステレオタイプな文化系として描かれていないのが非常に現代的なキャラクター造形だと思った。
特に麦くんの先輩たちのコミュニティに顔を出すようになって、「麦くん、私この子好き」といってくれたお姉さんと麦くんを介さずにコミュニケーションが取れるようになって、更に年上の友人に対して敬語を使わずに会話を交わす絹ちゃんの対人スキルの高さが印象的だった。
チャラチャラしたキャラクターが敬語を使わなずにコミュニケーショ交わすのでは無は無く、相手に合わせて適切な距離感を取れるしっかりしたキャラクターである絹ちゃんが敬語を使わずにコミュニケーションをとるということから、二人の間に確かな信頼関係があるのだということを余計な説明を入れずに描写していたのが良かった。
あの頃のファミレス、いつもの席
二人揃って結婚式に出て、観覧車に乗って、別れ話をしたのは付き合いたての頃いつも二人で通っていたあのファミレス。
自然と足を運ぶのはいつも座っていたあの席。
でもその席には先客がいて……というくだりだけで既にだいぶズドンと来ているんだけど、どっちから別れ話を切り出そうかという気まずい空気に満たされる中、別れ話をし始める前にいつも二人が使っていたあの席が空くんですよ。
でも、二人は店員さんに「席を変えてもらえませんか」とリクエストすることはしない。
この“席が空く”という描写が、「今ならまだ戻れたかもしれない最後のチャンス」として滅茶苦茶分かりやすく配置されているのが憎い。
そして空いた席に出来すぎているくらいに二人にそっくりなカップルが座ることもまた象徴的。
カルチャーを追いかけるのに全力なところとか、お互い最初は敬語で丁寧に距離を縮めていくタイプであろう男女というところまで残酷なくらいにそっくりで、「もうそんな克明に二人のことをトレースしないで……」と居た堪れない気持ちになった。
宇垣さんの目の付け所
アトロクこと「アフター6ジャンクション」でメインパーソナリティの宇多丸さんを始め多くの出演者がこの作品を絶賛していたけど、その中でも火曜パートナー宇垣アナがの視点の鋭さが非常に際立っていた。
それは絹ちゃんを演じる有村架純さんの「前髪」に成長を感じたというもの。
学生時代はモチャっとした前髪で、それが美男美女のはずの二人を周囲に埋没させることに成功させていたという分析。
その観点を持って作品を見ていると、確かに就活開始〜就職したあたりで明確に絹ちゃんが前髪をしっかり作るようになる瞬間があって、一人劇場で「確かに!」となっていた。
でも一番感動したのは「花束は根を張れないんだよ」という宇垣さんの何気ない一言だったりする。実はタイトルからして結末を暗示していたとは……
二人で買い物をして帰る時、絹ちゃんが花を買うんですよ。
「花を“買う”」のって趣味でしかないんだけど、「花を“買える”」のって精神的にも金銭的にも余裕がないとできないことだと思う。
あの二人の共同生活にとって絹ちゃんが買って花瓶に挿してくれる花は「生活感」の象徴であると同時に、恐らくは「余裕」の象徴だったんじゃないかなぁ。
宇垣さんの『花恋』評はこちらから。
eibunkeicinemafreak.hateblo.jp
最後に、劇中デート中フィルムカメラでお互いを取り合っていた二人の実在感を味わえるスペシャルメイキングフォトムービーが非常にエモーショナルで最高なので一見の価値あり。
ロケ地などの情報はこちらにまとめられていたので今度じっくり読んでみようと思う。
いつもの如くとっ散らかった映画評となったけど、非常に良い作品なので皆さんも是非。