小学生の頃、衝撃的だった、三島由紀夫の割腹自殺。当時、遠藤賢司の「カレーライス」という歌にも登場したよね。戦後日本文学界を代表する作家だよね。
さて、この本は衝撃的だ。三島由紀夫と付き合いの深かった福島次郎氏が語る、三島由紀夫の真実の姿なのだ。
「四半世紀を経て綴られる作家の実像。身に潜む「同性愛」の芽を感じてきた著者が、不世出の作家との「秘かな交際」を明かす衝撃の文学」なぜ、三島由紀夫は割腹自殺をしたのか?なぜ同性愛の小説を書いたのか?なぜ裸身を見せたがったのか?三島由紀夫の美学とは?そのエッセンスを紹介しよう。
・「自分の腹に刃物を突きつけた時、きっとうれしかったと思うよ。あの人の長年の夢が実現したんだもの。(うしろからの介錯は)あれは切腹のその最高の快楽に突入したものの、やはり死ぬまでの苦しみは省略したかったんじゃないのかい」(内藤武次郎)
・息子の衝撃的な死から一週間しか経っていないのに、ヘドロに命を捨てた無駄死だと果敢に言い切る父親。立派な死に方をしたした息子を誇りに思う、と一種晴れやかな表情で言う母親。私の眼には、何とも不思議に映ったのであった。
・三島さんは、男色の世界に出入りするようになってから、初めて悠一という青年に恋をした。
・三島さんは、身悶えし、小さな声で、私の耳元にささやいた。「ぼく……幸せ……」歓びに濡れぼそった、甘え切った優しい声だった。今まで聞いてきた三島さんの声音とはあまりに違う。どこから出る声か。
・何故か夢精の話にとんで、三島さんは、こんな事を言った。「自分が獣になって、野っ原を駆けていってるんだ。何の獣かわからない。どんどん駆けてゆくに従って快感が湧いてきて、目の前に激流みたいなものがあったのを、思い切り向う岸へとんだ、と、その時が最高潮になって……目がさめたら……」私も、自分の夢精のことを、つい喋った。「ぼくは一度、遠くの火事を見ながら、そうなったんです。火事がだんだんひどくなって、火の粉が空に舞い上がる。それに合わせて、半鐘のなるのもだんだん早く大きくなる。その半鐘の音で快感がましていって……ぼくは、それと夢精が結びついたが今でも不思議で、よくおぼえてるんです」こう言うと、三島さんは、いきなり「それは奇麗じゃないか」と大きな声を出した。意外な話の展開に、私は驚きもしたが、三島さんは、こんなことにこんな反応を示すのだというのを改めて知らされた会話だった。
・三島さんはこう言っていたことも記憶にある。「君も思い切って結婚したらどう?女性のセックスが不安なら、結婚の前に、何度かトライしてみることだね。ぼくだって、トライしたんだよ。その努力の賜物なんだよ。おかげで子供も出来たし。君もトライしたまえ。トライ。トライだよ、人生は」
・「日本男性美の伝統は、緋縅(ひおどし)の鎧、主君への忠実、剣の道、切腹、旅烏、浪花節、吉良の仁吉は男一匹、……などといゆ風につづいてゐますが、このうち、左翼に似合ふものは一つもありません。小生は、『憂国』『剣』など、『美しき右翼』の小説を書いて来ましたが、これからもますます書きたいと思ひます。文学的主題としての男色よりも、そのもう一つ奥にある、日本的心性のふしぎさ、男に於けるふしぎにはなかいもの、さういふものへの日本の男全部が抱く憧れ……それが小生の焦点なのです」
・日本男子最高論の思い入れが徐々に嵩じていって、それが武道に励む男となり、日本刀や日本の軍服が似合う男となり、日本に殉じて悔いぬ純粋な魂の男となり……そんな男たちが、激しく無垢な友情で団結して、ことをおこす……その理想の形を、二・二六事件や、神風連に見たのであろうか。
・鍛えぬかれた男性の裸身は、勿論、美しいと思う。ただ、三島さんの場合は、何故か違うのである。見たくないーそれが正直な気持だった。何故かという、その理由はよくわからないのだがーおそらく三島さんの、自分をみてほしい。ほめてほしいという気持が、水に浮く油のようににぎんぎんとにじみでているからではないか。三島さんの場合、その奥にある本心は、自分に欲情して貰いたいという願望、生の生贄として、祭壇に立たされた凛々しい男という思い入れがあるから、それが、見る者に、どろどろとした印象を与えるのだと思う。
はあ…そうだったのかあ……これは没後数十年経ったから発表できたんだろうねえ。すごい内容だなあ。オススメです。(・o・)