・2.出雲の神原神社
・3.三輪山
・4.大神神社(おおみわじんじゃ)
・5.住吉大社と住吉三神
・6.宗像大社(むなかたたいしゃ)
・7.宗像三女神
・8.綿津見三神
・9.住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)
・10.ミソサザイとスクナビコナ
・まとめ
・参考:イワサクやネサクと旧約聖書との類似
■1.湯津石村(ユツイワムラ)
古事記ではイザナギが十拳(トツカ)の剣で火の神であるカグツチノカミを斬ることで八柱の神が生まれる。
剣の先から飛び散った血が湯津石村(ユツイワムラ、日本書紀では五百箇磐石)に走り就く。
すると
・石析(イワサク)
・根析(ネサク)
・石筒之男(イワツツノオ)
が生まれた。
その後、
・ミカハヤヒ
・ヒハヤヒ
・タケミカヅチ(またの名をタケフツ、あるいはトヨフツ)
そして御刀から滴り落ちた血から
・クラオカミ
・クラミツハ
が生まれた。
この石筒之男(イワツツノオ)に着目すると、出雲の神原神社と関係がある。
旧社地に「神原神社古墳」の上に存在していたとされる。
形状は方墳。
大きさは29m×25mで高さは5mほどとされる。
「景初三年」の銘を有する三角縁神獣鏡が出土している。
祭神として
・大国主神命(オオクニヌシノミコト)
・磐筒男神(イハツツノオ)
・磐筒女神(イハツツメ)
が祀られている。
また、磐筒男神は経津主神(フツヌシノカミ)の祖とされる。
経津主神千葉県香取市の香取神宮の祭神でもある。
なお、大国主神は西暦300年頃の実在の人物。
ヤマトタケルの東征に協力した人物。
法(アマテラス)、力(スサノオ、ヤマトタケル)、経済的繁栄でいうと経済(福の神)的な方にあたると考えられる。
↓はwikipedia、経津主神
・頂上付近のものを奥津磐座(おきついわくら)
・半ほどのものが中津磐座(なかついわくら)
・辺津磐座(へついわくら)
とする磐座がある。
古代の都市遺跡ともいえる纏向遺跡では西暦135年~230年ころのものと判定された桃の種が出土。その地方を開発した豪族が神仙思想の影響を受けていたのではないかと考えられる。
続いて住吉三神にも3層構造がみられる。
■5.住吉大社と住吉三神
住吉大社の所在は大阪府大阪市住吉区住吉。
熊本の場合は熊本県宇土市。
住吉三神は神道で信仰される神で3神の総称。
イザナギが「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で、黄泉国のケガレを清める禊(ミソギ)を行った際に生まれた。
古事記では
・底筒之男神(そこつつのおのかみ)
・中筒之男神(なかつつのおのかみ)
・上筒之男神(うわつつのおのかみ)
日本書紀では
・底筒男命(そこつつのおのみこと)
・中筒男命(なかつつのおのみこと)
・表筒男命(うわつつのおのみこと)
とされる。
・瀬の深いところで底筒之男神
・瀬の流れの中間で中筒之男神
・水表で上筒之男神
がそれぞれ生まれ出たとされる。
底、中、上(表)の構造がみられる。
また日本書紀では住吉三神とともに
・底津少童命(そこつわたつみのみこと)
・中津少童命(なかつわたつみのみこと)
・表津少童命(うわつわたつみのみこと)
が生まれており、これらは阿曇連(あづみのむらじ)らが祭る神としている。
よって底、中、表は船や海に由来していると考えられる。
さきほどの出雲では「磐筒男神(イハツツノオ)」がみられた。
住吉三神でも「筒男命」がみられる。
なお住吉(すみよし)は元はすみのえ(墨江)である。
この「すみのえ、えすみ」を逆から読むと恵美須=エビスとなる。
つまり、住吉の神=恵比須であったのではないかと考えられる。
↓は住吉大社、由緒
↓は過去記事、住吉と墨江の関係性からエビスについて考察した回
つづいて、宗像大社について。
三輪山にてオキツ、ナカツ、ヘツの位置関係がみられたが、宗像大社にも同じく沖、中、辺の関係がみられる。
宗像大社は、
・沖津宮(沖ノ島)
・中津宮(筑前大島)
・辺津宮(宗像市田島)
の三社の総称である。
オキ、ナカ、ヘという位置関係がみえる。
↓は宗像大社、公式ホームページ
住吉仲皇子が仁徳天皇の皇太子である去来穂別皇子(いざほわけのみこ、のちの履中天皇)に反旗を翻す。
このとき、阿曇浜子は住吉仲皇子に味方した。
安曇連浜子(あずみのむらじはまこ)に率いられ軍事行動を起こしたのは淡路の能嶋(のしま、または野嶋)の海人とされる。
よって、
・住吉(墨江之中津王)
・阿曇
・淡路
はつながりがあったとみられる。
↓住吉仲皇子が登場した回
■10.ミソサザイとスクナビコナ
仁徳天皇は「大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)」と呼ばれた。「サザキ」は鳥の名であり現在は「ミソサザイ」と呼ばれている。
過去記事にて取り上げた、「スクナビコナ」の回、記紀とスクナビコナにてオオクニヌシのもとへとやってきたとき次のエピソードを取り上げた。
天乃羅摩船(アメノカガミノフネ※)に乗り、小鳥のミソサザイの羽毛を着物にして波の彼方から来訪してくる神があった。
これがスクナビコナであった。
そしてオオクニヌシは国づくりに関して思案していたときのこと。
「自分一人でどのようにしてこの国づくりをしようか。
どのような神と組んで国づくりをしたらよいだろうか」。
そのとき、近づいて来る神がいた。
それは三輪山(みわやま、古事記では三諸山・みもろやま)の上に鎮座する神であった。
参考:302.熊本県宇土市の粟嶋神社とスクナビコナ - シン・ニホンシ (hatenablog.com)
■まとめ
記紀において上、中、下の関係性によって語られている歴史がある
・出雲のオオクニヌシとスクナビコナが三輪山の国土開発を行った
・三輪山、宗像大社でオキツ、ナカツ、ヘツの位置関係による構造がみられる
・出雲の神原神社の祭神の磐筒男神、住吉三神の底・中・上の筒之男神に「ツツノオ」の神の名前によるつながりがみられる
・スミヨシは元はエビス、渡来人と考えられる
・墨江之中津王は住吉仲皇子であり、名前にナカツが入っている
・住吉仲皇子は履中天皇(仁徳天皇の皇太子、去来穂別皇子)と争い敗れた
・住吉仲皇子は阿曇浜子とつながりがあった
・阿曇浜子と淡路の能嶋の海人とは軍事的つながりがあった