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黄輪雑貨本店 新館

蒼天剣 第6部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

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    • 490
      
    晴奈の話、第343話。
    痛み分け。

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    8.
     楢崎、バート、ジュリア、モールの4人が兵士を蹴散らし、晴奈とヘックスが打ち合っていたちょうどその頃、小鈴とフォルナもレンマと戦っていた。
    「『ハルバードウイング』!」「『ホールドピラー』!」
     だが、風の魔術は土の魔術に対して相性が悪い。風使いのレンマは、土を得意とする小鈴とフォルナに苦戦していた。
     レンマの放った風の槍は、まずフォルナの作った石柱に阻まれて威力を削がれる。ただの強風になったところで、小鈴が土の槍を作って応戦する。
    「『グレイブファング』!」
     実体ある槍に対して、風の術では防ぐことも流すこともできない。
    「うわっ!」
     レンマはバタバタと転げ回り、小鈴の槍をかわす。
    「ハァ、ハァ……」「『ストーンボール』!」
     避けたところで、今度はフォルナが攻撃する。
    「ひえっ……」
     レンマは飛翔術「エアリアル」で上空に飛んでかわそうとしたが、ここは広いとは言え建物の中である。
     すぐ目の前に天井が迫り、焦っていたレンマはぶつかってしまう。
    「ぎゃっ!?」
     顔面から衝突し、バランスを失ったところで小鈴の第二撃が来る。
    「『ホールドピラー』!」
     地面からにょきにょきと生える石柱が、レンマの体を絡め取る。
    「く……、くそッ! 『ブレイズウォール』!」
     風の術では分が悪いと悟ったらしく、レンマは火の術を使い始めた。
     が、それも状況にそぐわず、レンマの足をガッチリとつかんでいた石柱は急速に熱され、バンと破裂音を立てて弾ける。
    「いた、たたた……、うぅ」
     破裂の衝撃で足を痛めたらしく、レンマは床にべちゃりと張り付くようにして倒れる。
    「くそ……、何でこんなに苦戦するんだ!?
     僕は、僕は『プリズム』の、レンマ・アメミヤだぞ……!」
     倒れ伏し、わめくレンマを見下ろし、小鈴はにんまりと笑った。
    「んふふ、相手が悪かったわね」

     楢崎たちも、兵士たちと応戦していた。
     兵士たちは魔術対策としてミスリル化合物製の盾を装備していたが、その純度は低く、主成分は柔らかい銀である。物理的な攻撃には弱く、ジュリアたちの弾丸や楢崎の腕力には耐えられなかった。
     一方、兵士自体は薬品や術によって強化されており、物理攻撃には十分に耐えられる。しかしそれに対してはモールの術が真価を発揮し、次々撃破していく。
     モールと楢崎たちの長所を活かし合った連携が功を奏し、小鈴たちがレンマを下したのとほぼ同じ頃に、楢崎たちも敵を制圧し終えていた。
     その状況を見て、ヘックスがうめく。
    「こらアカンわ……、プラン09や」
    「え……」
    「悔しいけど……、みんな助けてられる余裕、無い」
     ヘックスはそう言うなり、ジュンのベルトをつかんで2階への階段を走り始めた。
    「あ、待て! 『フォックスアロー』!」
     モールがヘックスに向かって魔術の矢を放つ。ヘックスに抱えられていたジュンが何発か弾くが、それでも1、2発命中し、ヘックスは短くうなる。
    「う、ぐう……っ」
     だが、ダメージを受けながらもヘックスは走り切り、そのまま2階へ駆け上がった。
    「りゃーッ!」
     ヘックスはまるでタックルでもするかのように、2階の床全体に描かれていた移動法陣に滑り込んだ。

    「ダメだね、反応しない。向こう側を消されたみたいだね」
     モールは足でペチペチと床を踏み叩き、移動法陣を指し示した。
    「こちらからつなぐことはできないの?」
     ジュリアの質問に、モールは馬鹿にしたような顔をしながら答える。
    「何言ってんの、赤毛眼鏡。
     向こう側から縄を切られた橋を、こっちがどうこうできるワケないじゃないね」
    「なるほど……」
     ジュリアががっかりした表情を浮かべている向こうでは、晴奈が頭をかきながら、床に座り込んでいる。
    「つまり、潜入失敗か」
    「そうなるな。くそ……」
     側にいたバートがいらだたしげな顔で煙草をくわえ、火を点けた。



    「……そうか。兵士13名が負傷し、そして残り11名とレンマ君も敵の手に落ちた、と」
     ヘックスとジュンからの報告を受けたモノはそれだけ言うと、机に視線を落とし黙り込んだ。
    「その、すんません……」
    「……」
     申し訳無さそうにするヘックスたちを前に、モノはじっと机を見たまま考え込む。
    「オレがヘタクソな指揮してしもたせいで……」
     謝るヘックスに、ジュンも頭を下げる。
    「い、いえ! 僕も、何もできなくて、その……」
    「ええんやジュン、お前は何も言わんで。あそこの責任者はオレやったんやから」
    「ヘックスさん……」
     二人のやり取りが続く中、ようやくモノが口を開いた。
    「いや、部隊編成を行ったのはこの私だ。これで十分と考えて、たった3部隊で撃退しようと甘く見ていた。その結果が、この体たらくだ。
     この大敗の責任は、私にある」
    「え……」「いや、そんな」
    「二人とも、もう下がっていい。ご苦労だった」
     モノはそれ以上何も言わず、あごに手を当てて黙り込んでしまった。
     重苦しい雰囲気のため、ヘックスもジュンも、晴奈から聞かされたこと――「モノが世界各地から誘拐により人員を集め、洗脳している」と言う話の真偽を、モノに確かめることはできなかった。

    蒼天剣・緑色録 終
    蒼天剣・緑色録 8
    »»  2009.07.25.
    晴奈の話、第344話。
    魔術電話。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     イーストフィールドでの戦いで捕虜の数が増えたため、ジュリアとバートは本国、ゴールドコーストの金火狐財団と連絡を取り、央北のどこかに収容できないかどうか相談していた。
    「……そうです、……はい、……ええ」
     ジュリアたちの真剣な様子とは裏腹に、その相談の仕草はどこかユーモラスにも見える。
    「何と言うか……、珍妙な」
    「仕方無いじゃん、あーやんないと話せないんだから」
     二人は通信用の魔法陣が描かれた布を頭に巻きつけ、揃って独り言のように虚空を見つめながら、ぶつぶつとしゃべっている。
     その状態が5分ほど続いたところで、どうやら話がまとまったらしい。バートたちは布を頭からほどき、晴奈たちに向き直った。
    「ここから西南西のサウストレードから、財団の央北支部が迎えに来てくれることになった。それまで俺たちは、この街で捕虜を拘束することになった」
    「分かった。じゃあ迎えに来るまでの間、彼らはどこに閉じ込めておけばいい?」
     楢崎の質問に、ジュリアが答える。
    「この廃工場しか無いでしょうね。街中じゃ目立ちすぎるし」
    「なるほど」
     楢崎がうなずいたところで、バートが背伸びする。
    「しばらくはここで寝泊りだな。……すきま風入ってくるし、風邪引きそうだ」
    「気を付けてよ、バート」
    「へいへい」

     一方、1階では拘束した敵たちが、各個に縛られて座っている。
     勿論、全員の装備を解除した上、小鈴とモールが魔術封じ「シール」を施した後であり、唯一現場に置いて行かれた指揮官レンマも、きっちり無力化されていた。
    「……」
     レンマは敗北したことが相当ショックだったらしく、半ば呆然としている。
     ちなみに彼の側には敵、味方含め、誰もいない。晴奈からして彼を嫌悪しているし、彼女からエンジェルタウンでの破廉恥な行状を聞かされているため、彼女の仲間も近付こうとしない。そしてどうやら、敵の兵士たちも同様の評判を聞いているらしく、彼らまでもが「あの人に近付けないで下さい」と異口同音に願い出てきたため、距離を置かせている。
     殺刹峰の精鋭「プリズム」としての誇りと威厳を失い、人格的にも著しく問題のある彼に、好き好んで近寄る者など誰もいなかった。
     だから――レンマと、2階から降りてきた楢崎の目が合った時、楢崎は困った表情を浮かべたし、逆にレンマはほっとした顔になった。
    「あの……、すみません」
    「えっ? 何、かな?」
     あまり近寄りたくないとは言え、目を合わせておいて無視できるような楢崎ではない。仕方無く、レンマのそばに向かった。
    「どうかしたかい?」
    「あの、えっと……、お名前、何でしたっけ」
    「楢崎だ」
    「あ、央南の方なんですね。……僕にはよく分からないんですよね」
    「うん……? 分からない、と言うのは?」
     尋ねた楢崎に、レンマは意気消沈した顔で、ぼそぼそと話し始めた。
    「ドクター……、義父に央南風の名前をつけてもらったとは言え、僕は自分が何人で、どこの人間かさっぱり分かりません。央南の文化は好きですけど、ゼンとかジントクとか、何が何だか。央南人のセイナさんにアタックしたけど、どうして嫌われたのかも、全然。何で負けてしまったのかも、全然分からないんです。
     もう、頭の中が混乱して、何をどう言えばいいのかすら……」
    「そうか……まあ……その……うーん」
     レンマの話は要領を得ず、楢崎は戸惑い気味に応じている。
     しかし、そんな楢崎の様子に構う気配も無く、レンマは質問を重ねる。
    「この後、僕はどうなります?」
    「うん? ……ああ、聞いた話ではサウストレードにある財団の施設で拘留されるそうだ」
    「いや、そうじゃなくて」
    「え?」
    「拘留された、その後です。処刑されるんでしょうか」
    「それは、……うーん、どうなのかな」
     楢崎は返答に詰まり、きょろきょろと辺りを見回す。
    (キャロルくんとスピリットくんは……、2階か。どっちにしてもまだ話してるだろうし。
     黄くん、……は来てくれないだろうな。モール殿は……、いないみたいだ。どこへ行ったのかな……?
     お、橘くんはヒマそうだ)
     楢崎は手を振り、小鈴に助けを求めた。
    「んっ? ……んー」
     が、小鈴は気付いたらしいものの、両手で☓を作る。
    (お、おいおい)
    (ゴメーン)
     小鈴は困った顔を返し、ぷいっと身を翻して去ってしまった。
    (参ったなぁ。となると残るはファイアテイルくん、……だけど、あんまり頼りたくないな。
     仕方無いか……。とりあえず僕の予測って前提で話すしかないな)
    「えーと、まあ、多分と言うか、僕の私見でしか無いんだけど、そこまではされないだろうと思うよ」
     楢崎にそう返され、レンマはほっとしたような顔になる。
    「そうですか?」
    「確かに君たちは犯罪組織の一員だし、何も御咎め無しで釈放と言うことは無いだろうけど、だからと言って極刑にするほど、財団は乱暴な人たちじゃないからね」
    「え……」
     楢崎は極力やんわりと言ったつもりだったが、レンマはひどく驚いたような顔をする。
    「な、何ですか、それ?」
    「え? いや、だからひどいことはされないと……」「そ、そうじゃなくて!」
     レンマは両手を縛られたまま立ち上がろうとして、ぺたんと転んでしまった。
    「いたっ、たた……」
    「大丈夫かい?」
    「え、はい。……それよりも! 何なんですか、僕らが犯罪組織って!?」
    「……えっ?」
     思ってもいない相手の反応に、楢崎はまた、返答に詰まってしまった。
    蒼天剣・黄色録 1
    »»  2009.07.26.
    晴奈の話、第345話。
    敵・味方、両者の疲弊。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     楢崎はレンマの驚きと怒りに満ちた目を見つめながら、ゆっくりと応対する。
    「えーと、まず聞くけど」
    「……はい」
    「君は、殺刹峰の人間だよね?」
    「そうです」
    「殺刹峰が何をやって来たか、知らないわけじゃないだろう?」
    「ええ。『黒い悪魔』を倒すために、地下活動を続けている組織です」
     それを聞いて、楢崎はいつの間にか1階に降りてきていたバートをチラ、と見た。
    (ふむ……。キャロルくんの推測は当たっていたみたいだ。しかし……)
     頭の中を整理しつつ、楢崎は質問を続ける。
    「それだけかい? 他には何も?」
    「ええ。それ以外に目的があるなんて、聞いたこともありません」
    「そうか。……僕の話を、聞いてくれるかい?」
     楢崎は自分の息子が殺刹峰にさらわれ、以来10年間ずっと行方を追っていること、そしてゴールドコーストでクラウンに指示し、大量に誘拐させていたことなどを話した。
     話を聞かされたレンマは驚いているとも、怒っているとも取れる、複雑な表情をしている。
    「……それは、本当に殺刹峰なんですか? 他の、どこかの組織と間違えてるんじゃ」
    「じゃあ、君の上官だと言うモノ――ドミニク元大尉との関係はどうなるんだい? 彼自身が、僕の息子を連れ去ったんだよ。これも、別人だと?」
    「そんな、……そんなこと、あるわけ、……そんな」
     レンマの顔色は真っ青になっている。
    「だって、僕たちは悪魔を、……なんで、先生がそんなことを、……そんな」
    「それに……」
     楢崎はバートとジュリアを指差し、レンマに尋ねた。
    「君たちの組織が本当に『悪魔を倒すため』だけだったら、財団の人間を襲ったり、拘束したりする理由があるのかい?」
    「だって、それは先生が、……先生が、『我々の組織を脅かす者たち』だと」
    「本当に悪魔を倒すための組織なら、財団がその存在を脅かすだろうか?
     財団は良くも悪くも、利益至上主義だ。そんな財団が山の向こうの、悪魔を倒そうとしている組織なんか――自分たちとまったく無関係な組織に攻勢を仕掛ける理由なんか、無いじゃないか。財団が動いたのは、君たちの組織が市国に悪影響を及ぼしているからだし」
    「……先生は、でも……」
     レンマはうつむき、またぶつぶつとうめきだした。
     そんな彼の様子に気付いたらしく、小鈴がそーっと楢崎たちを覗き見していた。
    「……橘くん」
    「あっ」
     楢崎に声をかけられ、小鈴は「えへへ……」と苦笑いしながら近寄ってきた。
    「ひどいじゃないか、困っている人間を放っておくなんて」
    「だって、めんどくさそーなヤツだったんだもん」
    「……」
     レンマは一瞬小鈴を見上げ、また視線を落とした。
    「えーと、話ちょこっと聞いてたけどさ、アンタ自分が犯罪組織にいるって、全然気付かなかったの?」
     小鈴にそう問われ、レンマは顔を伏せたまま答える。
    「僕がやってきたことは、魔術の修行と、組織からの命令に従ったことだけです。犯罪があったことなんて、知りませんでした」
    「モノが意図的に隠していたんだろうね。恐らくは、自分たちがやっていることは正義だと信じさせるために、大部分の兵士たちには汚い部分を隠していたんじゃないかな。
    『自分のやっていることは正しい』と信じさせれば、誰だって勇敢に……」「やめてくださいよッ!」
     楢崎の推察を、レンマががばっと顔を挙げ、泣きながらさえぎった。
    「じゃあ何ですか、僕たちはみんな、大陸を荒らしまわるような犯罪組織に加担し、育てられたって言うんですか!? そこを、絶対的正義だと信じさせられて!」
    「同じ議論を続けるつもりは無いよ。ただ、少なくとも殺刹峰に所属し、指揮を務めるモノと言う男は僕の息子をさらい、そしてもう一方の指揮官オッドは間接的にせよ、僕の親友を殺させたんだ。
     それは確かなんだ」
    「信じない。僕は信じないぞッ!」
     レンマはまたうつむき、そのまま何も言わなくなった。



     数日後、晴奈一行は財団から派遣された職員たちと一緒に、サウストレードへと進んでいた。ちなみにクロスセントラルへも同様の使いが来ており、シリンたちも合流していた。
    「どうやら無事なようだな」
    「えっへへー」
     半月ぶりに会ったせいか、シリンはとても嬉しそうな顔で晴奈に懐いてきた。それを布袋越しに眺めていたカモフはぷっと吹き出した。
    「そりゃカレシと毎日イチャイチャしてたんだから、疲れるも何もねーよ」
    「や、やかましわっ」
     シリンは顔を真っ赤にしてカモフに突っ込む。
    「そう言えば、フェリオは無事なのか?」
    「うん。ちょっと、腕の青いのんが広がってるっぽいねんけど、元気やで」
    「そうか……」
     バートたちと話しているフェリオをシリンの背越しに見て、晴奈は心配になった。
    「……ふむ……」
    「……半月くらいで……」
    「……はい……っスけどね……」
     フェリオは左腕をめくって見せている。
     その腕、いや、その体は半月前に比べ、明らかに痩せていた。
    (毎日見ているから、逆に気付かないものなのかも知れぬな)
     晴奈の視線に気付いたシリンが、ひょいとフェリオの方を見る。
    「なーなー、フェリオ」
    「でですね……、あん?」
    「やっぱ痛いん?」
    「……いや、別に。痛みもかゆみもねーから、心配すんなって」
    「あいっ」
     シリンの意識がフェリオに向いている間に、晴奈はカモフに小声で尋ねてみた。
    (それで、フェリオの容態は?)
    (今も、シリンがいる時も問題無いって言ってたけどな、普段から慇懃無礼で陰険な『インディゴ』の使う毒だ。痛みを与えずに、楽に死なせるとは思えない。それに一回だけ、夜中にひでーうめき声が聞こえたことがある。
     痛くないってことは無いと思うぞ)
    (そうか)
     晴奈はもう一度、シリンとじゃれあっているフェリオの顔を見た。
     その顔には――極めて、うっすらとだったが――死相が浮かび始めていた。
    蒼天剣・黄色録 2
    »»  2009.07.27.
    晴奈の話、第346話。
    楢崎の懸念。

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    3.
     サウストレードに到着したところで、晴奈一行は改めてカモフを交え、レンマと話をした。
    「……」
     レンマの目に生気は無く、楢崎から聞かされた話が相当ショックだったことがうかがえる。カモフはそんなレンマの様子をチラ、と見て、ジュリアに向き直った。
    「それで、俺に聞きたいことってのは何だ?」
    「いえ、聞きたいと言うよりも、あなたの口から詳しく説明して欲しいのです。
     殺刹峰がどんな組織であるか、と言うことを」
    「ああ……、そうか。そう言えばみんな、知らないんだよな」
     カモフのその言葉に、レンマの顔色がさらにひどくなる。
    「……」
     レンマの様子をうかがう素振りを見せつつ、カモフは説明を始めた。
    「みんなには、『殺刹峰はタイカ・カツミ討伐のための地下組織』と言ってある。確かに、それはモノさんとオッドさん、そしてバニンガム伯の最終目標だ。
     でも、そのためにやっていることは、明らかに犯罪だ。兵士を集めるための誘拐は言うに及ばず、強化薬・魔術開発とその実験データ収集のために麻薬と不法な魔術を売り、『親カツミ派を討伐』と言う名目で略奪行為を行い……」「嘘だッ!」
     レンマは目を剥き、縛られた状態でカモフにタックルしようとした。だが周りにいた公安と財団職員たちに取り押さえられ、床に押し付けられる形で鎮めさせられる。
    「うぅ……、うっ……」
    「お前は『プリズム』の中でも素直でバカ正直で愚直なヤツだから、こんな話すぐには信じられないと思うけど、本当のことだ。
     殺刹峰はずっと、正義を偽って悪事を働いてきたんだ。それが真実なんだよ」
    「……ううぅぅぅ」
     レンマは床に突っ伏したまま、まさに地の底から響いてくるようなうめき声を上げ、泣き始めた。

     レンマは錯乱しかねない状態だったので、とりあえず彼だけが先に部屋から出され、そのまま軟禁されることになった。
     残ったカモフに、楢崎が質問をぶつける。
    「その、カモフくん。大変私的なことを聞いてしまって、みんなには恐縮だけど」
    「何だよ、回りくどいな……?」
    「君は殺刹峰の内情に詳しいみたいだけど、誘拐されてきた子供たちのことも詳しいかい?」
     カモフは楢崎の顔を見上げ、間を置いてから答えた。
    「ああ。全員を知ってるわけじゃないが、少なくともアンタの聞きたいことは分かる。
     シュンヤ・ナラサキ――アンタの息子さんのことだろ?」
    「そうだ。無事なのか?」
    「恐らくはな。運び込まれ、洗脳されたことは知ってる。
     だけど、当時は俺自身も殺刹峰に連れて来られて間も無い時だったし、内情に関われるような地位にいなかった。
     だからその後どうなったか、良く分からないんだ」
    「……そうか」
    「でも」
     カモフは一瞬目線を下に落とし、もう一度見上げる。
    「その……、変な言い方だけど、モノさんは結構気に入ってたみたいだぜ。だからもしかしたら、『プリズム』か、その候補の中にいるのかも知れねえ。ただ、確か今は14のはずだったよな?」
    「ああ」
    「『プリズム』の平均年齢は大体20代前半くらいだ。14だと入れるかどうかギリギリ、……!」
     カモフは何故か、話の途中で黙り込んでしまった。
    「どうかしたのかい?」
    「……もしかしたら」
    「もしかしたら?」
    「いや……、何でも無い。
     一つ聞くけどよ、アンタの息子さん、魔力はある方と思うか?」
     楢崎はけげんな顔をしながらも、返答する。
    「ああ。僕も焔剣士だし、妻にも魔術の心得がある。多分、あるんじゃないかな」
    「そうか……」
     カモフはその後何度か、何かを言おうとする様子を見せていたが、結局何も言わず、そのまま話は終わった。



     殺刹峰アジト。
     敗走のショックを引きずったまま、ジュンはぼんやりと魔術書を読んでいた。
    「……雷とは央南名『いかずち』、央中名『フルミン』、央北名『サンダー』と言い、その性質は槍や鎚に似る。岩を砕き、高い木々に落ちることから土の術に対しては優位とされる。生物には微量であれば薬となるが、多量であれば毒となる。……はぁ」
     どうにも考えがまとまらないので、魔術書の中でも最も基礎の部類に入るものを読んでいたが、それも口に出して読まなければ頭に入ってこない。
    「ダメだぁ」
     ジュンは本を閉じ、机に突っ伏した。
     と、そこへヒタヒタと言う、いかにも亡霊か何かが立てそうな足音が近付いてくる。だがジュンは別段怖がりもせず、その足音の主に声をかける。
    「ミューズさん、ですか?」
    「ああ」
     いつの間にかジュンのすぐ側に、褐色の肌に長い黒髪の、そして真っ黒なコートを羽織った、長耳の女性が立っていた。
    「もう体の方は……?」
    「問題無い。私は人形だから、な」
     そう言ってミューズはマントをめくり、腕を見せた。
    「それよりジュン、お前の方こそ大丈夫なのか?」
    「え?」
    「お前のオーラ……」
     そう言いながら、ミューズはジュンに顔を近づけた。
    「え、えっ?」
    「沈んだ紫色だ。とても落ち込んでいる」
    「紫色?」
     ミューズの言っていることが分からず、ジュンはミューズの真っ黒な、黒曜石のように光る瞳を見つめ返した。
    「オーラには色が付いている。私にはそれが見えるのだ」
    「は、あ……」
     ジュンはミューズの言動に戸惑い、目を白黒させる。
    (相変わらず、この人は突拍子も無いなぁ)
    「ク、ク……、そんなに困らなくてもいいだろう?」
     ミューズはジュンの顔を見て、鳥のように笑う。
    「あ、いえ……」
    「お前は疲れている。顔色も悪いし、オーラも黒ずんでいる」
    「……そうですね。ちょっと、気分が優れない感じはあります」
    「休め。そんな状態では参ってしまうぞ」
     そう言ってミューズはジュンの手を取る。
    「いえ、でも」
    「何度も言わせるな。休め」
     ミューズはその外見に似合わない腕力で、無理矢理にジュンを椅子から引きはがした。
    「わ、わ、ちょっと」
    「連れて行ってやろう」
     次の瞬間、ジュンは体が浮き上がる感覚を覚えた。
    「……っと、と?」
     気付いた時には、ジュンは自分の部屋にいた。
    「気分が落ち着いたら、また頑張ればいい。
     では、失礼する」
    「は、はい」
     目の前にいたミューズはまたククッと笑って、すっとジュンの前から姿を消した――比喩ではなく、本当に一瞬で、その姿は虚空に消えてしまった。
    「……本当に脈絡も突拍子も無い人だなぁ。言動も、行動も。……存在も」
     ジュンはため息をつきながら、ミューズの言葉に従ってベッドに入った。
    蒼天剣・黄色録 3
    »»  2009.07.28.
    晴奈の話、第347話。
    夢と悪寒。

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    4.
     ジュンは夢を見た。
     幼い頃、モノに手を引かれながらどこかの街道を歩いていた時の夢だ。
    「もうすぐ到着する」
    「うん」
     今でも、この時どんな状況にいたのか、「自分」には分からない。何故、モノが自分の手を引いているのか? 何故、彼と二人きりなのか? 何故、自分は家にいないのか?
     そして何故――父も母も、自分の側にいないのか?

     そこは、どこかの温泉街のようだった。硫黄の匂いと湯煙があちこちに立ち込めていたから、そうだと分かった。
    「いらっしゃい、モノさん」
    「お久しぶりです、ヒュプノさん」
     モノは入浴場の一つに入り、店先で虎獣人の店主と二言三言交わし、それから自分を呼び寄せた。
    「こっちに来い」
    「うん」
     幼かった自分は、素直にモノの言葉に従った。
    「ここの温泉はとても気持ちがいい。ゆっくり浸かるといい」
    「うん」
     また素直に、自分は店の奥へと足を進めていく。
     温泉に入ると、確かに心地よかった。温めの湯と、ほこほことした空気、そして静かにざわめく木々が、幼い自分の心をさらに幼く、無に帰していく。
    「気持ちいいか?」
    「う、ん……」
     浸かっていると、段々眠気が押し寄せてくる。自分は湯船の中でうとうとと、舟をこぎ始めた。
     ここでまた、モノが声をかけてくる。
    「さて、……君の名前は?」
    「しゅ、ん……」
    「それは違う」
    「え……」
    「君の名前はジュンだ」
    「じゅん……?」
    「そう、ジュンだ。さあ、復唱するんだ」
    「ぼくの……、なまえは……、しゅん……」
    「それは違う」
    「え……」
     モノは延々と、同じ言葉を繰り返す。自分の頭の中が、くつくつと溶け始めた。
    「君の名前はジュンだ」
    「じゅん……?」
    「そう、ジュンだ。さあ、復唱するんだ」
    「ぼくの……、なまえは……」



    「僕の、名前は……」「ジュンやろ?」
     目を開けると、すぐ側にヘックスの顔があった。
    「……わっ!?」
    「よぉ、おはよーさん」
     ジュンはそこで、どろどろとした夢から覚めた。
    「先生が呼んでるで。……でもその前に、ちょっと話してええかな」
     ヘックスはジュンを寝かせたまま、小声で質問し始めた。
    「なあ、ジュン。お前、ドコまで記憶残っとる?」
    「え?」
    「記憶や、記憶。オレは14からやけど、お前は?」
    「……3歳、かな」
    「うーん、ちょっと微妙やな。『プリズム』の、他のヤツにもそれとなく聞いてみたらな、みんな記憶がブッツリ途切れとるらしいわ、一人残らず」
    「みんな、ですか」
     そこでヘックスは、さらに声をひそめてきた。
    「正確に言うとやな、ドランスロープの三人以外やな。あいつらは何ちゅーか、オレらとは違うんですって感じしよるしな」
    「そう、ですね……。確かに三人とも、僕らを見下してると言うか、格下扱いしてると言うか」
    「せやろ? そう言う態度からしてあいつら、ホンマのこと全部知ってるんやないかなって」
    「知ってる、って?」
    「オレらに記憶が無い理由――先生が、オレらの記憶を消してたっちゅう話がホンマにホンマのことで、あいつらは最初っからそれを知っとったんかもな」
    「……ありそうですね」
     ヘックスの推測に、ジュンもうなずく。
     ヘックスはそっとジュンから離れ、背中を向けてぽつりと漏らした。
    「コウと戦ってからオレ、嫌な予想が止まらへんねや。
     もしかしたら『プリズム』って、ドランスロープのためだけにあるんやないかってな」
    「それは、どう言う……?」
    「オレら全員、あいつらの引き立て役っちゅーか、踏み台っちゅーか……、そんな感じがな。もしかしたらオレら、肝心なトコで捨て駒にされるかも知れへん」
     考えすぎですよ、と言おうとしたが、その言葉はジュンの口から出て来なかった。
     ジュンも同じような嫌な予感を、心の中から拭い去れなかったからだ。



     そして、ドランスロープ以外の「プリズム」たちがモノの元に集められたところで、ヘックスの懸念が的中しているとも取れる指令が下された。
    「前回の作戦で、『マゼンタ』以下20余名の兵士が敵の手に落ちた。これは憂慮すべき事態だ。よって、これまでのように軍事演習目的と言うような、相手を軽視したような作戦は全面的に停止し、確実なる殲滅へと切り替える。
     これより『ホワイト』『ブラック』『インディゴ』を筆頭とした大規模作戦部隊を編成し、サウストレードに拘置されていると言う兵士たちを救い出すと共に、そこにおける財団支部を壊滅させる。
     また、前述の3名以外の『プリズム』諸君らは、彼女らの支援に回って欲しい」
     この指令を聞いた時、思わずヘックスとジュンは顔を見合わせた。
    (やっぱり……?)
    (かも、な)
     そして他にもヘックスたちと同様、モノの指示に戸惑った者が若干名いたのだが――長年の悲願を達成するべく、少なからず焦りの色を見せていたモノには、そのわずかなざわめき、不協和音を感じ取る余裕も無いようだった。
    蒼天剣・黄色録 4
    »»  2009.07.29.
    晴奈の話、第348話。
    内部崩壊の前兆。

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    5.
     当初、モノの描いた筋書きはこのようになっていた。
     まず軍事演習を続け、「プリズム」を訓練する。十分に経験を積んだところで、ドランスロープ三名を筆頭にした大規模部隊を編成しさらに演習を続け、そこでその三名のリーダーシップを育成するとともに、残り六名の連携を密にする。
     これにより優れた指揮官と将軍の関係が築かれ、最終目標の達成に大きく貢献する――と言うものだった。

     だが想定外の事態が、彼を惑わせてしまった。優れた兵士を大量に集めるために、央中ゴールドコーストの闘技場であまりにも多くの人間をさらいすぎたことで、金火狐財団の公安局が動き始めてしまったことだ。
     このまま公安の動きを放置・傍観すれば、折角今まで秘密裏に進めてきた一連の作戦・計画が明るみに出てしまうおそれがある。そうなれば標的である克大火の耳にその情報が入り、彼自ら、まだ準備の整いきっていない自分たちを強襲してくる可能性も出てくる。
     入念な準備を積み重ねなければ勝てない相手であることは、モノ自身が痛いほどよく分かっていることであるし、モノは早急に公安を封じなければならなくなった。

     そこで考えたのが、実地での軍事演習である。
     少数精鋭で央北に入ってきた公安の捜査チームを「手頃な敵」と見なし、「プリズム」たちを実戦投入させることで、予定していた軍事演習を前倒しで進めると同時に、金火狐財団の調査を「調査員全員の失踪」と言う形で強制的に打ち切らせ、うやむやにさせることができる――一挙両得の手段であると考えたモノは、早速実施してみた。
     ところが、ここでまた予想外の事態が起こってしまった。十二分に制圧・拘束できると考えて投入した3部隊が、賢者モールの介入により全滅してしまったのである。
     実は以前にも、モールを自分たちの側に引き入れる、もしくは魔術を奪うことができれば、確実に大火に対する有効な武器になるとして、央北中を巡って追い回したことがあった。
     モールは魔術こそ強力なのだが、身体能力に関しては人並み以下であり、屈強な兵士に囲まれれば脆い。その弱点を突いた人海戦術で、後一歩と言うところまで追い詰めることができていた。
     だが、一体どんな手を使ったのか――モールは央北、いや、中央大陸から忽然と姿を消し、結局捕らえることができなかった。
     それ以来両者とも近付かず、自然に相互不干渉となっていたところに、今回の助太刀である。単なる「狩り」の対象でしかなかった捜査チームが突然侮りがたい難敵へと変化し、モノの焦りはさらに強まっていた。
     その焦りが、彼の手をより早めさせた。もっとじっくり構えて進めようとしていた前述の計画を、さらに前倒しすることにしたのである。
     そしてまだ、彼は心のどこかで「これはチャンス――『プリズム』の能力を上げる、絶好の演習だ」と、あくまでもポジティブに考えていた。

     だが、モノが関知していなかった、もう一つの想定外の事態――モノがヘックスたちを初めとする、大勢の兵士たちの記憶を封じ、洗脳していると言う事実をヘックスたちが知ってしまったことに、モノはまだ気付いていなかった。
     この「ほころび」に気付いていれば、モノは手を早めることはせず、内部の情報統制を行って関係修復に努めただろう。
     何故ならこれは彼の組織と、彼の計画にとって非常に致命的と言える、重大な亀裂だったからである。



    「……って、オレはそう思てんねや」
     ヘックスとジュンはモノたち幹部とドランスロープたちに知られないよう、他の「プリズム」に声をかけ、自分たちの懸念を伝えた。
    「そう」
     モエからの反応は特に無く、興味なさげな返答が返ってきた。
     だが、残る2名は真剣な表情で、ヘックスを見つめている。
    「それがホントならー、あたしたちはいずれ死んじゃうってコトじゃないですかー……」
    「そうね、確かにドミニク先生は、フローラさんたちと私たちを区別しているように感じる。私も薄々、そう思っていたわ」
    「せやろ、キリア。ともかくこのまま素直に従っとったら、踏み台にされんのは確実や。
     で……、どうした方がええと思う?」
    「どう、って」
     ヘックスの言葉に、モエを除く全員が黙り込む。
     そしてモエから、こう尋ねられた。
    「何か問題があるの?」
    「何がって、お前はええのんか? あいつらの言いなりになるんやで?」
    「だから、それがどうしたの? 今だって、同じじゃない。ドミニク先生に使われるか、フローラさんたちに使われるかの違いでしょ? 不都合があるの?」
    「せやから、このままやったら……」
    「私たちは兵士よ。いつだって死ぬ可能性はゼロじゃないわ。
     なのに『このままここにいたら死んでしまう』って、バカじゃないの?」
    「んな……」
    「死ぬ時は死ぬのよ。……私、もう寝るわね」
     そう言って、モエは席を立ってしまった。
    「あ、おい! ……行ってもーた」
    「でも、兄さん」
     ヘックスの義妹であるキリアも、立ち上がった。
    「モエの言うことも、もっともだと思う。
     例え先生が私たちの記憶を封じて使役しているとしても、目的はカツミ暗殺と言う、大義のためよ。正義のために戦うのなら、私は迷い無く殉じるつもりよ」
    「そら、理屈はそうやけど……」
    「それじゃお休みなさい、兄さん」
    「あ、ちょ、待てって……」
     ヘックスの制止も聞かず、キリアも部屋を出て行ってしまった。
     残った三人は顔を見合わせ、黙り込む。
    「……僕は、それでも」
     しばらく経ってから、ジュンが口を開いた。
    「正義のためなら何をしてもいい、って言うのはおかしいと思います。
     もっともらしい理屈、大義のために悪事を働くなんて、本末転倒じゃないですか」
    「……オレも、そう思う。もう一回、キリアだけでも説得してみるわ」
     ヘックスも席を立ち、その場から離れる。
     二人きりになったペルシェとジュンは無言で向かい合っていたが、ペルシェの方から話し始めた。
    「あたしはー……、どうしたらいいのかなー?」
    「それ、は……」
    「こう言うのー、苦手なんだよねー。みんなバラバラになっちゃうとー、本当に不安になっちゃうのー」
     ペルシェは突然、ジュンを抱きしめてきた。
    「な、ペルシェさん!?」
    「本当に、本当に不安……」
     耳元でそうつぶやかれ、ジュンは心に痛いものを感じた。
    「一体、誰を信じたらいいのかなー……」
     この時のジュンにもう少し度量や経験があれば、「自分を信じろ」とでも言えたかも知れない。しかしまだ14歳で、心中が不安で一杯だった彼には、こんな風にしか言えなかった。
    「僕は……、その、……僕も、分からないです」
    蒼天剣・黄色録 5
    »»  2009.07.30.
    晴奈の話、第349話。
    蘇る「彼女」。

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    6.
     ヘックスはもう一度妹を説得し、自分たちが生き残る道を模索しようと試みた。
    「何度言っても無駄よ」
     だが、キリアと一緒にいたモエが強硬姿勢を執り、ヘックスの意見に突っかかってくる。
    「せやけどな……」
    「あなた、そんなに死にたくないの?」
    「そら、そうやろ」
    「じゃ、逃げればいいじゃない。いいわよ、逃げて。その分私の活躍が増えるし。むしろせいせいするわ、余計な人が減るから」
     にべも無い言い草に、ヘックスはカチンと来た。
    「……あ?」
    「あなたみたいな腰抜けなんていなくても、影響無いんじゃない?」
    「てめえ……」
    「二人とも落ち着いてよ」
     ヘックスとモエの空気が険悪になったところで、キリアが諌める。
    「兄さんも、今日はもう部屋に帰って。これ以上話すことは無いわ。私もモエも、考えが変わることは有り得ないもの」
    「キリア……」
    「モエも、いい加減にして。血はつながって無いけれど、ヘックスは私の兄よ。そんな風に侮辱されて、私が何も感じないと思う?」
    「ああ、ごめんなさいね。でも本当に、つまらないことを言うものだから」
    「つまらん?」
    「やめてって言ってるでしょう?」
     キリアがもう一度抑えようとするが、二人は言い争いを続ける。
    「私には、あなたが何をそんなに嫌がってるのか分からないもの。
     私たちは兵士、この組織においては一個の駒に過ぎない。生きるとか死ぬとか、そんなことを……」
     唐突に、モエが黙り込んだ。
    「……?」「モエ? どないした?」
     キリアも、言い争いをしていたヘックスも、いぶかしげに彼女を見つめる。
    「……そんなこと、を……」
     そして突然、モエは倒れた。
    「お、おい!?」「どうしたの、モエ!?」



    (……だれ……?)
     床に倒れ行く一瞬の間に、モエの頭の中で様々な光が明滅する。
    ――おかみさん、私たちに死ねと?――
     先程自分が放った言葉から、記憶がくるくると再生されていく。
    ――殿がうっかり放してしまった実験体たちを、屠って欲しいの――
    ――実験体? それはまさか、あの……――
    ――ええ、櫟様だったものをはじめとする、魔獣化実験の被験者たちよ――
    ――そんな! だって、殿は極めて凶暴だと――
    ――そうよ。それが、どうかしたの?――
    ――おかみさん、私たちに死ねと?――
    ――あのね、巴美ちゃん――
     脳裏に黒髪の、眼鏡をかけた猫獣人の姿が映る。
    ――あなたたちは兵士、私たちの一派においては一個の駒に過ぎない。だから生きるとか死ぬとか、そんなことを考える必要は無いわ――
    ――……――
     絶句した自分に、その猫獣人はやさしく声をかけた。
    ――でもね巴美ちゃん、わたしはあなたがこんな指令で死ぬなんて、微塵も思ってやしないわよ――
    ――え……?――
    ――兵士を生かすのも殺すのも、上官の役目であり責任よ。約束するわ、あなたがむざむざ死ぬような作戦は、わたしは絶対に与えたりしないから。
     大丈夫、これはあなたが十分にこなせる任務よ――
    ――おかみさん……!――



    「……い! おい! しっかりせえ、モエ!」
    「……」
     倒れこんだ自分に声をかけてくる者がいる。
    「モエ……?」
     顔を上げると、心配そうに見つめてくる狼の兄妹と目が合う。
    「あ、気が付いたか?」
    「大丈夫、モエ?」
    「モエ、って……?」
     思わず、そんな質問が自分の口から漏れた。
    「……は?」「何て?」
    「あ、……いいえ、何でもないわ。……ごめんなさい、私ちょっと、気分が悪くなっちゃって」
    「大丈夫か?」
     先程まで言い争っていたヘックスが心配そうに見つめてくる。
    「……大丈夫よ。悪いけど、今日はもうこれで休ませて」
    「あ、ああ。……その、……おやすみ、モエ」
    「ええ。お休みなさい、ヘックス、キリア」
     平静を装い、そのままそそくさと二人の元から去ることにした。

     歩きながら、自分の頭の中を整理する。
    (……モエ? モエ・フジタ? 藤田萌景? 誰、それ! 私はそんな名前じゃない!)
     歩けば歩くほど、硫黄臭い霞がかかっていた記憶が鮮明になっていく。
    (そう、そうよ! 全部思い出した! 私は篠原一派、新生焔流の精鋭だった女よ!)
     今までぬるま湯の中で漂っていた精神が、しっかりと地に足を着くのを実感する。
    (私の、私の本当の名前は――)
     彼女は立ち止まり、顔に当てていた布を剥ぎ取った。
    (――私は、楓井巴美よ!)
     彼女は、全てを思い出した。
    蒼天剣・黄色録 6
    »»  2009.07.31.
    晴奈の話、第350話。
    晴奈への復讐。

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    7.
     恐らく巴美が記憶を取り戻したのは、ここ最近の作戦行動による刺激と、ヘックスとの言い争いによる言葉の反駁、そしてまだ洗脳されて1年、2年程度と、それほど時間が経っていなかったからだろう。
     巴美は自分に与えられていた部屋に戻り、姿見で自分の顔を確かめる。
    (アハハ……、ひどい顔じゃない! そうよ、この傷も全部思い出した! あのいけ好かないクソ猫女がつけた、この醜い刀傷!
     ……そうよ! そうよ、そうよ! 何故私はこんなところにいるのよ! 私が何で、腕なしオヤジやカマ野郎や、人形共なんかの言いなりにならなきゃいけないのよ!? はっ、バッカじゃないの!?
     私がやらなきゃいけないことは、唯一つ……!)
     巴美は剣を抜き、姿見を叩き壊した。
    (あの女に復讐すること……! 黄晴奈をこの手で、殺すことよ!)

     その瞬間、晴奈はぞくりと寒気を感じた。
    「……っ?」
     横にいた小鈴がきょとんとした目を向けてくる。
    「どしたの、晴奈? 尻尾、ブワッてなってるけど」
    「あ、いや。……妙だな、怖気が走ったと言うか」
    「風邪でも引いた?」
    「いや、まさか。まだ夏の盛りだし」
    「でも央北って、夏が短いじゃん? ホラ、財団の人だって長袖だし」
     小鈴はひょいと席を立ち、晴奈に茶を渡す。
    「ここんとこあっちこっち動き回ったし、変に戦いもあったから、知らないうちに気疲れもしてんじゃない?」
    「いやいや、これしきのこと」
    「そー言わないでさ、今日はゆっくり休んじゃいなって」
    「……ああ、そうさせてもらうか。こんなところで風邪など引いていられないからな」
     晴奈は素直に茶を受け取り、ゆっくりと飲み下した。



    「何だと……?」
     報告を受けたモノはいぶかしげに聞き返した。
    「モエ君がいない?」
    「はい。今朝からずっと、姿が見えないんです。それで、彼女の部屋を覗いてみたら……」
    「覗いてみたら?」
     キリアは顔を青くしながら、淡々と説明した。
    「その、まるで何かが爆発したみたいに、ぐちゃぐちゃに引っ掻き回されていたんです。それから、私の部隊で部屋の様子を確認したところ、彼女の装備一式が丸ごと消えていました」
    「装備一式が? ふむ……」
     モノは椅子から立ち上がり、部屋の外に出る。
    「見に行こう。前日の彼女の様子など、もう少し詳しく説明できるか?」
    「はい」
     キリアはモノの後ろに付きながら、詳細を話した。
    「夕べ、兄さん……、ヘックスとモエが言い争いをしていまして」
    「言い争い? 内容は何だ?」
    「いえ、つまらないことですから。……それで言い争っているうちに、彼女が突然倒れたんです」
    「倒れた?」
    「はい。すぐに起き上がったんですが、『気分が悪くなったのでもう休む』と言って、そのまま部屋に……」
    「ふむ……」
     話しているうちに、モノたちは「モエ」に与えられていた部屋に到着した。
    「……なるほど。確かにこれは、爆発と言っても差し支えないな」
     部屋の中にあった家具は一つ残らずズタズタにされ、特に紫色をした服や布、姿見は原型を留めていなかった。
    「モエ君の姿を見たと言う報告は?」
    「現在『オレンジ』隊に捜索を手伝ってもらっていますが、まだ有力な報告はありません」
    「そうか……」
     と、背後から声が飛んでくる。
    「あっらー……、ひっどいわねぇ、コレ」
    「ドクター」
     騒ぎを聞きつけたオッドが、二人の間に割って入る。
    「まるで台風が通った後みたいねぇ」
    「ええ。一体何があったのか……」
     ここでオッドが、変なことを言い出した。
    「……まるで、じゃないわねぇ。ホントに、台風が通ったのねぇ」
    「え?」
    「部屋に付いてる傷跡、全部刀傷じゃなぁい。あの子が使う剣術、風の魔術剣でしょーぉ?」
     オッドに指摘され、モノは改めて部屋を見渡す。
    「確かに、それらしい跡ではある。……とするとこれは、全てモエ君が付けたと?」
    「多分そうらしいわねーぇ。もしかすると、まずいコトになってるかも知れないわよぉ」
    「まずいこと?」
     オッドはチョイチョイと手招きし、モノに小声でヒソヒソと話す。
    「特に壊され方がひどいのは、姿見と紫系の服。つまり、モエちゃんは自分の姿とか、コレまで自分を構成してたものを念入りに壊したってコトになるわ。
     ……まるで『モエ・フジタ』と言う人間を壊すかのように」
    「……! まさか、記憶が戻ったと!?」
    「その可能性は、ひじょーに高いわねぇ。……早く捕まえてもっかい洗脳しなきゃ、最悪、ココの位置が公安に発覚する可能性もゼロじゃないと思うわよぉ」
     モノは重々しくうなり、三度部屋を眺める。
    「……由々しき事態だな。早急に対策を講じなければ」



     壁に入った亀裂は、表面の見た目よりもずっと根深い。
     表面を釉薬や土などで覆っても、その内面は直っていない。奥でじわじわとその隙間を拡げ、やがては壁全体を崩すことになる。
     カモフの告発。ヘックスたちの、水面下での反発。そしてモエの離反――殺刹峰と言う壁に入った亀裂は、次第に根を深くしていた。

    蒼天剣・黄色録 終
    蒼天剣・黄色録 7
    »»  2009.08.01.
    晴奈の話、第351話。
    剣姫の半生。

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    1.
     黄晴奈が女傑、剣豪であるように、彼女もまた剣豪だった。

     その才能が開花したのは晴奈より8年も早い、6歳の時。今はもう、ほとんどその名を知る者もいない幻の大剣豪、楓井希一の孫であり、彼女の才能を見出したのも、焔流に入門したのもその祖父あってのことだった。
     幼い頃から類稀なる剣の才能を見せた彼女は、焔流家元・焔重蔵をして「この子は剣術の歴史に名を残すだけの才、素質を持っておる。将来、剣豪や剣聖、……あるいは剣鬼(けんき)と呼ばれるやも知れぬ」と言わしめたほどである。
     この発言と、その可憐な顔立ちから、誰とも無く彼女をこう呼ぶようになった――「剣姫(けんき)」楓井巴美と。

     その人生に不要な波風が立たなければ、後の歴史に名を残すのは晴奈ではなく、巴美だったかも知れない。



     はじめに彼女の人生が歪み出したのは7歳の春、焔流に入門して1年が過ぎるかと言う頃だった。
     巴美はこの頃、朔美と言う猫獣人の女性に懐いていた。彼女の話は非常に楽しく、そして新鮮で刺激的だったので、巴美は毎日のように彼女と遊んでいた。
     その日も楽しい話を聞かせてもらおうと、彼女のいる修行場に向かった。
    「しつれいしまーす」
     明るく声を出し、修行場の門を開く。
    「さくみさーん、きょうも……」
     今日もお話聞かせて、と言いかけて、巴美は口をつぐんだ。
    「……」「……」「……」
     修行場に集まっていた他の門下生たちが、一様に思いつめた顔をしている。その輪の中心には、朔美が座っている。
    「あら、巴美ちゃん。どうしたの?」
    「え、えっと」
     ただならぬ空気を感じ、巴美は修行場から離れようとした。しかし朔美は手招きをし、巴美を呼ぶ。
    「そんなところにいないで、こっちにいらっしゃい。今日もお話、聞かせてあげるから」
    「……はい」
     まだ7歳の巴美に、大人からの誘いを断れるような度胸は無い。非常に嫌な気配を感じながらも、巴美は朔美へと近付いた。
     巴美がすぐ前まで来たところで、朔美はポンポンと自分の膝を叩き、座るよう促す。
    「さ、こっちに」
    「は、はい」
     促されるまま、巴美は膝に座った。
    「今日のお話はね、とっても大事な話なの。よーく、聞いていてね」
    「はい……」
     朔美は巴美をぎゅっと抱きしめ、優しく、そして甘い猫撫で声で語り始めた。
    「今日のお話は、お姫さまのお話よ。剣術が上手で、正義のために戦う、『剣姫』ちゃんのお話」

     それから巴美は朔美によって、己が選ばれた者だ、正義の使者だと言い聞かされた。それは何日にも及び、幼い巴美の頭は朔美の佞言に汚染された。
     そして朔美は焔流家元である重蔵が悪の親玉、魔王であるとさえ言い放ち、巴美はこれも信じた。だからその後の新生焔流による反乱にも参加したし、離反した時も何の疑問も抱かずに付いていった。



     己が選ばれし者だと言う妄執・妄想は、彼女が22歳の頃までずっと付きまとっていた。
     実際、幼い頃から認められてきた剣の才能は篠原一派の中では随一、親方である篠原に次ぐ腕前にまで成長したし、彼女がいたからこそ新生焔流の真髄である「風の魔術剣」も完成に至ったのだ。
     この剣術は彼女が使えば、小屋くらいであれば一刀両断できたし、軽く振っただけでも大人の一人や二人、軽々と弾き飛ばすことができた。それがますます彼女を増長させ、「自分はこれほど強いのだから、何をしても正当化されるはず。自分こそが正義の顕現だ」とすら考えるようになっていた。

     そんな妄想が砕け散ったのは同じ女剣士、同じ焔流剣士である晴奈と戦った時だった。
    「貴様に刀を振るう資格など無い!」
     一瞬のうちに、自分の顔が斜めに引き裂かれた。油断していたとは言え、これまで一度もそんな深手を負ったことは無い。
    「ひ、ぎぃ……っ」
     熱と痛みが怒涛のように押し寄せ、巴美はボタボタと涙を流してうめいた。
    「かお、顔が……」
    「顔がどうしたッ! 貴様は顔と言わず手足と言わず、多くの者たちをぞんざいに斬り捨てただろうに! 己がそんなに可愛いか、この外道ッ!」
     怒りに燃える晴奈の攻撃は、彼女の顔だけではなく心まで深々と斬った。これまでに受けたことの無い、鋭く、かつ爆発するような猛攻に、彼女はまったく手も足も出なかった。
    「いや、やめて……っ」
     のどから勝手に悲鳴混じりの嘆願、哀願がこぼれ落ちる。だが、晴奈の攻撃は止まない。
    「ハァ、ハァ……」
     混乱と恐怖がようやく落ち着き始め、巴美は今一度刀を握り直して体勢を整えようとした。
    (こんな苦戦、予想しなかった……! 何なのよ、この女!? いきなり強くなった……!
     待って、待ってよ! 何でこの私が、こんな目に遭わなくちゃいけないの!? 私は選ばれた人間じゃ無かったの!?)
     だが、無理矢理に抑えつけようとしても、恐怖はグツグツと音を立てて煮え立ち、とめどなく噴き出し、あふれてくる。
    「楓井」
     そこに、晴奈の静かな、しかし怒りに満ちた声が聞こえてくる。
    「そろそろ、覚悟しろ」
    「……え?」
     晴奈が何を言っているのか分からず、巴美は半泣きで聞き返した。
    「お前は何人も殺したことだろう。だが、その逆を考えたことはあるか?」
     晴奈が上段に構えるのを見た巴美は、先ほどから焼け死にそうなほどにぶつけられていた殺気が、より一層強く吹き付けられるように感じた。
    「さあ……、行くぞ」
    「ひ、い……」
     巴美はもう、刀を持っていられないくらいに狼狽していた。
     既にこの時、巴美は「自分は選ばれた人間なんかじゃ無かった」と痛感していた。



     それだけの恐怖を味わったせいか、殺刹峰による洗脳も良く効いた。
     洗脳されてまだ1年、2年も経っていなかったが、彼女はモノやオッドと言った幹部たちに対し、非常に従順になっていた。
     それが結果的に、功を奏したのだろうか――慢心によって鈍り始めていた剣の腕は、殺刹峰にいた2年半で急成長を遂げた。

     彼女が記憶を取り戻し、自分に与えられていた部屋を破壊した時、彼女はその成長ぶりに気付いた。
    (これは……!)
     たった一振りで姿見、たんす、ベッド、床、壁、天井に至るまでバッサリと斬れた。前述の通り、彼女は以前にも小屋を斬ったことがあったのだが、その時とは桁違いに、切れ味が鋭くなっている。
     太刀筋にしても、以前はバリバリと裂けるような、荒削りなものだった。しかし今斬り払った家具は、綺麗に真っ二つに割れ、中の衣類も一切ボロボロになることなく、まるで良く研がれた裁ちバサミで斬ったように、すんなりと割れた。
    (何、これ? 私はいつの間に、これほど剣の腕を上げたの? まるで、自分が自分じゃないみたい。
     ……ああ、そうね。そうだったわ)
     もう一度、剣で部屋を払う。先程と同様、部屋は剃刀で紙を切ったように、すっぱりと割れた。
    (そう。私は、私じゃ無かった。今の私は、言うなれば『もう一人分』加わったようなもの――楓井巴美と藤田萌景の二人が、私の中で合わさったのね。
     今の私は巴美であり、萌景である。……言うなれば、『トモエ・ホウドウ(楓藤巴景)』かしら? ……クスクス、面白いわ。今からそう名乗りましょう。
     私は、楓藤巴景。『剣姫』、巴景。
     さあ、巴景。あの猫女のところに行きましょう。あの憎き仇敵、黄晴奈のところにね……!)
     巴美――いや、巴景は己の決意を刻み込むように、部屋がズタズタになるまで剣を振るい続けた。
    蒼天剣・剣姫録 1
    »»  2009.08.03.
    晴奈の話、第352話。
    小冬日和。

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    2.
     晴奈たちがサウストレードに滞在してから一ヶ月近くが経過し、季節は既に、秋に移ろうとしていた。

     央北の夏は、央中に比べてさらに短い。流石に「北」と付くだけあって、夏よりも冬の割合の方が多いのだ。
    「うひょ……、寒いなぁ」
     とは言え、その日の気温は異様なほど低かった。まだ夏の装いが残る時期だと言うのに、吐く息が白いのだ。
    「本当、耳が痛くなるくらいね」
     サウストレードの街をぶらついていたバートとジュリアは、白い吐息をたなびかせながら街を眺めていた。
    「見ろよ、マフラーしてるヤツがいるぜ」
    「あら、本当」
     街角にはチラホラ、冬服を慌てて引っ張りだしたと思われる者が行き来していた。
    「本当に寒いよな、今日は」
     そう言ってバートはふーっと白い息を――こちらは吐息ではなく、紫煙だが――吐いて、ポケットに手を入れる。
    「冬の中で温かい日を『小春日和』と言うけれど、今日みたいな日は『小冬日和』とでも言うのかしらね」
     ジュリアがそっとバートの腕に寄り添い、暖を取ってきた。
    「はは……」
     バートは小さく笑いながら、街を見渡した。
    「ん? 何だ、あの露店?」
    「え?」
    「ほら、通りの反対側にある店。何かカラフルで目立ってる」
    「ああ……」
     バートがくわえ煙草で指し示した方に、やけに色彩豊かな露店が立っている。
    「何の店かしら?」
    「行ってみるか」
     店の近くまで行ってみると、こんな寒い日だと言うのに何人もの人が集まっていた。
    「ねぇねぇ、次はコレ付けてー」
    「はいはい」
     店主らしき短耳の女性が、小さい女の子の差し出した帽子に絹の付いた型紙を当て、ぺたぺたと染料を塗って星のマークを付けている。
    「ありがとー!」
    「はいはい、20クラムね」
     店主はニコニコ笑いながら、客の衣服に様々なマークを付けている。いわゆるシルクスクリーンのようだ。
    「へぇ、面白そうね。何かやってもらう?」
    「んー……」
     バートは自分の衣服を見回し、マークを付けても差し支えなさそうなものを探す。
    「……お?」
     と、いつの間にかジュリアが自分のベストとネクタイを店主に渡し、話をしている。
    「はいはい、カエデ模様ね。色は赤と橙いっこずつ、と」
    「お願いね」
    「はいはい」
    「……はは」
     バートは笑いながら、煙草を吸おうとする。それを見た店主が顔を上げ、口をとがらせた。
    「お客さん、近くで吸わないでよ。引火するから」
    「あ、おう。悪い悪い」
     バートは頭をかきながら煙草を口から離し、近くの灰皿まで歩いていった。
     その間に、ジュリアは店主と世間話をする。
    「にぎわってるのね」
    「うん、ボチボチ稼げてるよ」
     店主は手元に視線を落としながら、気さくに話をしてくれた。
    「一番人気があるのはどの柄?」
    「時期柄だからと思うけど、お客さんと同じカエデ模様だよ。秋って感じがするし」
    「そう」
     店主はここで思い出したように、また顔を上げた。
    「あ、そうそう。カエデって言えばさ、さっき一人変なお客さんがいたんだよね。
     短耳で、顔全体をマフラーで覆っててさ、のっぺりした仮面を差し出してきて、『これに藤色のカエデ模様を』って」
     妙な話に、ジュリアと、戻ってきたバートは興味を抱いた。
    「藤……、紫色の、カエデ?」
    「変でしょ? 普通カエデって言ったら、赤とか黄色とかの暖色系を選ぶのに。あたしも『何で藤色に?』って聞いたらさ、『私の色だから』だって。
     で、マーク付けてあげたらその仮面かぶって、ささっとどっか行っちゃったのよ。……それでさー」
     店主はここで、声色を変えた。
    「その女の人、仮面かぶる時にチラッと顔を見たんだけど、こーんな風に」
     店主は自分の左眉を指し、そこからすっと右頬にかけてなぞる。
    「すっごい傷跡が付いてたのよ。剣士さんっぽかったから、そう言う関係でケガしたのかも。ちょこっと、不気味な人だったなぁ」
    「……スカーフェイスの、女」
     それを聞いたジュリアの顔が、途端に険しくなった。
    「その人、央南人だった?」
    「え? ……うーん、そう言われればそうだったかも。あんまりこの辺では見たこと無い顔立ちだったし」
    「どうしたんだ、ジュリア?」
    「忘れたの、バート?」
     ジュリアは立ち上がり、バートの耳元でささやいた。
    「顔に傷のある、央南人風で短耳の女性。そして紫色が、彼女の『色』だと」
    「紫……、そうか、『バイオレット』か」
     バートもようやく、その人物に思い当たった。
    蒼天剣・剣姫録 2
    »»  2009.08.04.
    晴奈の話、第353話。
    焔流に勝つためのコンセプト。

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    3.
     露天商の情報から、晴奈たちは殺刹峰の部隊がサウストレードに来ていると想定し、現在の拠点にしている金火狐財団商館の警備を固めていた。
     だが、フォルナだけは終始けげんな顔をしていた。
    「そのお話、どうしても気にかかる点がございますの」
    「って言うと?」
     フォルナと一緒に茶を飲んでいた小鈴が尋ねてくる。
    「なぜ、敵部隊のリーダーが一人で街を徘徊していたのか、と。
     これまでわたくしたちは何度も殺刹峰の部隊と戦ってまいりましたけれど、団体行動が基本と言うか、一人で行動されていたことはほとんど無かったような気が……」
    「そーでもないと思うけどね」
     話の輪に、モールが割って入る。
    「私が戦った黒いヤツは、単独で行動してたね。それに小鈴たちの班でも、その『バイオレット』だかが一人でウロウロして、自分からノコノコやって来ちゃったって聞いたしね。案外、単独行動も多いんじゃない?」
     モールの反論に、フォルナはほんの少しぶすっとした表情になった。
    「……そうですわね。そう言う事実もございました。失念しておりましたわ」
    「いっつもいつも思ってたけど、なーにを偉そーにしてるかね、この小娘は」
     じっとフォルナの顔を見ていたモールは、いきなり彼女の鼻をつかむ。
    「ふひゃっ!?」
    「20にも満たない小娘が、偉そうにベラベラ演説ぶってんじゃないよ。もっと年相応に、可愛く振舞えないもんかねぇ?」
    「ほんにゃこにょほおっひゃにゃれにゃひひぇにょ(そんなことを仰られましても……)」
    「生意気、生意気っ。えいっ」
     モールは鼻をつかんでいた手を、ぴっと放す。その拍子に、フォルナの口と鼻から妙な音が漏れた。
    「ぷひゃっ!」
    「アハハ、『ぷひゃ』だって、アハハハハハハ」
     モールは顔を真っ赤にするフォルナを見て、ゲラゲラと笑い転げていた。

     晴奈は再び、カモフと話をしていた。
     今回は楢崎も交え、三人で顔を突き合わせている。
    「『バイオレット』隊が来てる、と。もしかしたら、アンタとモエの戦いになるかもな」
    「その可能性が無いとは言えない。そう思って、お主に話を聞こうと思った次第だ」
     ちなみにカモフは現在布袋ではなく、狐を模した仮面をかぶっている。カモフから「いつまでも布袋じゃ顔がかぶれそうになる。もっとすっきりしたものに変えて欲しい」と頼み込まれたからである。
    「話って言うと、具体的にはどんなだ?」
     カモフに尋ねられ、晴奈はこう返す。
    「現在の巴美……、いや、モエの実力を伺いたい。以前に戦った時も、多少手強かった記憶があるからな」
    「なるほどな。まあ、これは俺の意見だが、確かに『プリズム』の中じゃ新参者だし、見劣りしてるところもある。
     だけど、腕は前より上がってる。シノハラ一派の頃に使ってた魔術剣も、一段と凄味を増してるぜ」
     カモフの回答に、楢崎がうなる。
    「ふむ……。僕たちの班も一度食らったことがあるが、確かに強烈だった。あれは具体的には、何系統の魔術が基礎になってるのかな?」
    「風の術だ。恐らく焔流の、火術ベースの魔術剣に対して優位に立とうとした結果だろう。風術は火術に強いからな」
    「……?」
     魔術知識に疎い晴奈には、話の流れがつかめない。
    「えーと、聞いてもいいか?」
    「ん?」
    「何故、風の術は火の術に強いのだ? 良く分からないのだが」
    「ああ……」
     カモフは丁寧に、晴奈に魔術の基礎を解説してくれた。
    「魔術書の基本には大抵、『風の術は大気の流れ、空気を司る。火は空気の多寡で、激しく燃え盛ったり、一瞬にして消えたりする。風は火が火である、その根源を握るものであり、よって風は火に対して優位に立つ』ってある。
     他にも諸説あるが、大体の理由はそんなとこだな」
    「は、あ……」
     説明されても今ひとつ理解できなかったので、晴奈はとりあえず話を進めた。
    「まあ、魔術の分野で考えれば篠原一派の方が強いと取れるわけか。確かにあの飛距離と斬撃の鋭さには苦戦したな」
    「もっぺん言っとくが、俺たちと戦った時より数段強くなってるぜ。今じゃ岩石くらいならズバッと斬れるほどだ。
     アンタも相当強くなっただろうが、それでも苦戦するのは確実だろうな。何か対策を練っといた方がいいんじゃないか?」
     カモフに助言され、晴奈は素直にうなずいた。
    「ふむ。……そうだな、モール殿にでも、風の術への対策を聞いてみるとするか」
     そう言って晴奈は席を立ちかけ――また、ぞくりと寒気を覚えた。
    「……!」
    「どした?」
    「危ないッ!」
     晴奈はほとんど無意識的に楢崎を蹴り飛ばし、さらに机を飛び越えてカモフに飛び掛った。
    「うわっ!?」「お、ちょ!?」
     楢崎は椅子から転げ落ちる。
     カモフは晴奈に押される形で、壁際に叩きつけられる。
    「いってぇ……」
     カモフは文句を言おうと起き上がったが、目の前の光景を見て絶句した。
    「……やべ、来やがった」
     先程まで晴奈たちが囲んでいた机が、真っ二つに割れていた。いや、割れたのは机だけでは無い。
     部屋全体が、窓から扉に向かって一直線に裂けていたのだ。
    蒼天剣・剣姫録 3
    »»  2009.08.05.
    晴奈の話、第354話。
    風の剣術、本領発揮。

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    4.
     巴景は立て続けに「地断」――篠原一派の編み出した、新生焔流剣術の技を放つ。
    (分かる……! あそこに、あの女がいるッ!)
     超感覚、超能力と言ってもいいほどの直感で、巴景は晴奈の居場所である商館を突き止めた。そして晴奈たちがいる部屋にピンポイントで、斬撃を叩き込んでいるのだ。
     七、八太刀ほどぶつけたところで、堅固なはずのレンガ造りの部屋の壁が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。そしてその大穴から、三毛耳の猫獣人の女の顔が、こちらをそっと覗いているのが見えた。
     そして、まるで大掛かりな舞台劇のように、曇っていた空が晴れ渡り、赤い月の光が辺りに満ちてくる。月に照らされた巴景は、藤色のカエデ模様が左頬に付いている以外は何の特徴も無い、のっぺりとした仮面越しに叫んだ。
    「晴奈ああああああッ! 死ねええええええーッ!」
     巴景はまた、「地断」を放つ。この一撃は先程より一際鋭く、そして速く、辺り一面にドガンと言う爆音が響いた。

    「……!」
     晴奈もまた、超感覚的に危険を察し、壁に空いた穴から飛び降りる。
     その一瞬後、晴奈が立っていた場所に巴景の斬撃が叩き付けられ、床もろとも崩れ落ちた。
    「こ、黄くん!」
     晴奈に蹴飛ばされ、事なきを得た楢崎が窓際に駆け寄ろうとしたが、カモフが袖を引っ張って止める。
    「やめとけ! 下手に顔出したらブツ切りにされっぞ!」
    「しかし!」
     カモフはブルブルと首を振り、楢崎を半壊した扉に引っ張っていく。
    「それよりも助けだろ!? 他のヤツらに助けを呼ぶんだ!」
    「あ、ああ」
     楢崎はカモフに手を引かれるまま駆け出し――きょとんとする。
    「カモフくん? あれは、君の仲間じゃないのか? 助けを呼ぶ、って言うのは、僕たちの仲間にかい?」
    「……あ、そうだった」

     晴奈が商館の庭に降り立ったところで、巴景はまた叫んだ。
    「晴奈ッ! ここで、昔受けた顔の傷の借りを返させてもらうわッ!」
    「何だと?」
     巴景の言葉に、晴奈は驚かされた。
    「お前……、記憶が戻ったのか?」
    「ええ、ついこの前。……ふ、ふふふっ」
     巴景は刀を構えたまま、肩を震わせて笑う。
    「ああ、面白い!」
    「何がだ?」
    「この記憶を失った2年半で、私の力は著しく成長したわ。
     その2年半の間、私は藤田萌景と言う女になっていた。そして今また楓井巴美が私の中によみがえり、私の中には楓井と藤田、二人の人間がいる。
     分かる? これがどう言う意味なのか、アンタに分かるかしら? 面白いって言ったのは、それよ……!」
     巴景は構えを変え、晴奈に斬りかかった。
    「私は『二人がかり』でアンタを始末するってことよ! アンタは一人で死になさい、黄晴奈!」
     恐るべき速さで飛び込んできた巴景に、晴奈も素早く反応する。月の光がまた雲で隠され、闇の中で剣と刀が弾かれ合う火花が明滅する。
    「くっ!」
     数回攻撃を弾いたところで、晴奈は舌打ちした。
    (何と言う激しさ、そして速さか! この身のこなし、『猫』の私にも勝るとも劣らない俊敏さだ!
     これはまずい――油断していては、負ける!)
     途中から晴奈は距離を取り、元祖焔流の真髄である「燃える刀」で応戦する。
     だが、確かにカモフの言っていた通り「火射」も「火閃」も、巴景の風の魔術剣によって叩き落され、弾かれてしまう。
    「ほら、どうしたの晴奈!? この2年半、成長しなかったわけじゃないでしょう!?」
    「くそ……!」
     巴景の攻撃は一太刀ごとに激しさを増していき、次第に晴奈が押され始めた。
    (まずい……、この太刀筋、異様に鋭いぞ!
     袖や袴の裾にわずかながらかすっているが、少しの繊維のほつれもなく、バッサリいっている。布地相手は、いかに切れ味鋭いと言われる刀でも――私の腕を以ってしても――なかなかこうは斬れてくれぬと言うのに……。
     それに風切り音がパンパンと、重たい刀剣には有り得ぬ、鞭で叩くような音を立てている。この切れ味、もう剣では無い。言うなれば、鎌鼬の領域だ。
     こんな代物が少しでも体に触れようものなら、即座に一刀両断されるぞ……!)
     また雲が晴れ、赤い月が二人を照らす。月光に照らされた巴景を見て、晴奈はぞっとした。
     その姿はまさに、鬼神か悪魔のように見えたからだ。
    蒼天剣・剣姫録 4
    »»  2009.08.06.
    晴奈の話、第355話。
    Wind V.S. Fire。

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    5.
     騒ぎを聞きつけ、商館からバタバタと人が集まってくる。
    「セイナ!」「生きてる!?」
     フォルナと小鈴が真っ先に庭へ駆けつけたが、晴奈に答える余裕は無い。
    「そら、そら、そらあッ!」
     巴景の剣がまた空気を弾き、バンと言う破裂音を轟かせる。
     巴景が来る前は美しい憩いの場であったはずの庭は、既に見る影も無い。あちこちに「地断」による深々とした傷跡が付き、木や花、調度品は細切れにされている。
     同様に晴奈の着ていた道着も、袖や裾が千切れ、次第にボロボロになっていく。
    「ハァ、ハァ……」
     それでも晴奈は――少しずつではあったが――巴景の剣に対応できるようになっていた。
    「えりゃあッ!」
    「くっ……!」
     レンガの壁をも断ち切った巴景の剣を、晴奈の刀「大蛇」は十二分に防ぎきってくれた。もしこれがどこにでもある安手の、数打ちの刀であったならば、もっと早くに勝負が付いていただろう。
     そして斬り合ううちに、晴奈は敵の剣術の特徴に気が付いた。
    (鋭い。確かに鋭い、……が、重くない。太刀筋を良く見極めて受ければ、容易に弾くことができる。
     それはまあ、……そうだろうな。剣を直に当てられるのならばともかく、相手の攻撃は実体無き『風』なのだから)
     晴奈は「大蛇」が耐え抜いてくれることを信じ、勝負に出る。
    (無形には、無形。……ならばこちらも、風で迎え撃つッ!)
    「それ、もう一丁ッ!」
     巴景は勢いに任せ、一際強く「地断」を放った。
    「はああああッ!」
     飛んできた剣閃を、晴奈は力一杯の「火閃」で迎え撃つ。
     晴奈の周囲の空気が瞬間的に熱され、爆風を生む。それが「地断」とぶつかり、混ざり合い、両者の攻撃は単なる強風に変わる。
    「……ッ!」
     攻撃が止められ、巴景が一瞬息を呑むのを、晴奈は確かに感じ取る。そしてその隙を、晴奈は見逃さなかった。
    「食らえッ!」
     晴奈は巴景のすぐ側まで踏み込み、「大蛇」を熱く燃え上がらせて振り下ろした。
    「な、に……ッ」
     巴景が剣で受けたが、ここまで剣の領分を大きく逸脱する、鞭のような使い方を繰り返していたために、刀身は既に、限界に達していたらしい。
     受け止めた途端、剣はまるでガラス細工のように、がしゃんと呆気無く砕け散ってしまった。
    「……! まさ、か……」
    「ハァ、ハァ……、勝負、あったな」
     岩をも断ち切る剣術といえど、流石に剣がなくてはどうしようもない。
     巴景は半分になってしまった剣を、いらだたしげに投げ捨てた。



     周りからゾロゾロと人が集まり、晴奈と巴景を囲んだ。
     だが、巴景は彼らを見渡し、フンと鼻を鳴らす。
    「やめておきなさい。アンタたちじゃ、私を捕まえることなんてできないわよ」
    「……っ」
     剣を失ったにもかかわらず、巴景はなお威圧感をにじませている。彼女が顔、いや、仮面を向けただけで、周りの者はビクッと震え、後ずさる者さえいる。
     巴景は晴奈に視線を戻し、彼女にも牽制してきた。
    「それに、晴奈ももう余力は無いでしょう? あれだけの大技、かましたんだから」
    「……」
     答えなかったが、確かに疲労は濃い。晴奈は無言のまま、納刀した。
    「残念だけど、まだ倒すには至らなかったようね。……それでも、アンタと同じところまで追いつけた。
     次はどうかしらね……?」
    「……」
     また、晴奈は答えない。じっと巴景をにらんだままでいる。
    「あんまりベラベラしゃべるのも興が覚めるけれど、実感したわ。
     もう1年あれば間違い無く、私はアンタを殺せる」
    「……!」
     その発言に、晴奈の強さを知っている皆は一様に息を呑んだ。
     巴景の言い方はハッタリや冗談、軽口などではなく、まるで池に沈んだ金貨を取ろうとするような――「やろうと思えばできる」と言っているような説得力を持っていたからだ。
     だが、こう言われては流石に晴奈も黙っていられない。
    「そう思うか、巴美。私も一端の剣士だ。そう簡単には……」「黙れ!」
     巴景はぐい、と晴奈の胸倉をつかみ、引き寄せる。仮面一枚の距離まで顔を引き寄せ、巴景は憎々しげに吐き捨てた。
    「いつまでもいい気になってんじゃないわよ、猫侍。アンタのそのうざったい自信、粉々にブッ壊してあげるわ」
    「そう言うのならば、今すぐやってみせろ」
    「フン……! 言ったでしょう、1年で超えると。今なら勝てるなんて、そう思って言ってるの? 卑怯者ね、晴奈。
     それとも意気地なし? 『今じゃないと勝てない、間に合わない』ってことかしら?」
    「な……」
    「いい? 今度遭った時は、今度こそアンタを殺してやるわ。そう、アンタも多分修行して強くなってる。
     でも私は、それよりもっと高みに昇ってやる。二人とも剣豪としての最盛期、頂に登ったところで、アンタをその頂点から叩き落す。
     二度と登れないように、その五体、切り刻んであげるわ……!」
     巴景は晴奈を突き飛ばし、背を向けた。
    「……ウォールロック山脈北西、第9鉱山跡。そこがあいつらの本拠地よ。こんなところでウロウロしてないで、さっさと終わらせてきなさい」
    「え……? 待て、それは一体」
     晴奈は立ち上がり、聞き返そうとしたが、巴景はスタスタと歩き、離れていく。
    「どきなさい」
    「……っ」
     巴景は人垣にそっと言い放ち、道を開けさせる。そして晴奈に背を向けたまま、こう付け加えた。
    「ああ、そうだったわ。ちゃんと名乗ってなかったわね」
    「何?」
    「今の私は、楓井巴美でも藤田萌景でもないの。
     楓藤巴景。これが今の、私の名前」
    「巴景、……か」
     晴奈はその名前を、心に深く刻み込んだ。
     この瞬間から晴奈と巴景は、互いに互いを宿敵、因縁深き敵と認識した。
    「じゃあね、晴奈。……くれぐれも、腕を磨いてなさい」
     巴景はそのまま、夜の街に消えていった。
    蒼天剣・剣姫録 5
    »»  2009.08.07.
    晴奈の話、第356話。
    敵陣へ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「あー……、そうか、あれって廃坑だったのか」
     晴奈から話を聞いたカモフは、納得したようにうなずいた。
    「お主も知らなかったのか」
    「ああ、ずっと移動法陣で出入りしてたからな、外がどんな様子なのかなんて誰も知らなかっただろうな。
     つーか、アジトから外に出ようとすると、でけぇクレバスに阻まれるんだよな。……ま、それが廃坑になった原因かも知れんが。
     話からするとモエ……、いや、トモエはそこから移動法陣無しで出たっぽいが、どうやって越えたんだろうな?」
    「ま、常識的に考えたら無いはずないんだよね、徒歩で出られる通路って」
     その疑問に対し、モールが杖を磨きながら答える。
    「元々が鉱山なんだし、空気取りのための穴があるはずだね。それに落盤なんかで入口が崩落した場合を想定した、緊急脱出路もあるだろうしね。恐らくその仮面女、そこら辺から脱出したんだろうね。
     逆に言えば、そこから入れるってコトだ」
     晴奈たちの話をじっと聞いていたジュリアが、そこで顔を上げた。
    「何にせよ、行かない手は無いわね。すぐ準備しましょう」
    「そうだな。今度こそ、ヤツらの中核に踏み込める。……だけど」
     バートが煙草をもみ消しながら、不安そうにつぶやく。
    「やっぱり、援護は無いのな」
    「仕方無いでしょう、財団は軍隊なんて持ってないんだし。武器と馬車を手配してくれるだけでも、ありがたいと思わなきゃ」
    「だよな。……ふー」
     また、バートは新しい煙草に火を点ける。それを眺めていたシリンが、呆れたように声をかけた。
    「バート、もうその辺にしときいや。吸殻、山盛りやん」
    「そうよ、空気も濁るし」
     ジュリアにも諭され、バートは苦笑いする。
    「あ、悪い悪い。んじゃ、これが最後で」
     そう言ったところで、バートは黙り込む。
    「どうしたの?」
    「……やっぱ、やめとくわ。『最後』とか、縁起でもねー」
     バートは口にくわえた煙草を吸うことなく、もみ消した。

     フォルナは話の輪から離れ、このところずっと商館内にこもっているフェリオ――巴景が襲ってきた時も、彼は外に出てこなかった――を訪ねていた。
    「おう、フォルナちゃん。さっき騒がしかったみたいだけど、何かあったの?」
     ぱっと見る限りでは健康そうに見えないことは無いが、フォルナに声をかけているこの時も、フェリオは椅子から立ち上がろうとしない。それに、左手を見せないようにしているのか、やや体を傾け、ひざ掛けを左腕全体を覆うようにかけて座っている。
     依然、病状は進行しているようだった。
    「ええ、実は『バイオレット』が単騎でいらっしゃいまして。セイナに以前、ひどい目に遭わされた記憶が戻ったとか」
    「へぇ……」
     フォルナから勝負の決着や、巴景が殺刹峰アジトの場所を報せたことなどを聞き、フェリオは目を丸くした。
    「それじゃ、いよいよってわけか」
    「ええ、もしかしたら、あなたの治療薬も見つかるかも知れませんわね」
    「だといいなぁ。……フォルナちゃん、ちょっと聞いていいか?」
    「はい?」
     ここでようやく、フェリオはこれまで見せないようにしていた左腕を見せた。
    「……」
     青く変色した部分が、以前にも増して左腕全体に広がっている。
    「君はグラーナ王国のお姫様だと言ってたけど、帰る予定なんてのは……、ある?」
    「ございませんわ。ヘレン様に口添えをしていただいて、一応のけじめは付けておこうかと考えておりますけれど」
    「そっか。……じゃあさ、もしもだけど」
     フェリオは寂しげな、そして悲しげな表情を浮かべてぽつりとこぼした。
    「オレが……、その……、その、ゴールドコーストに帰って、その後、……その、もし、いなくなるようなコトがあったら、……多分、シリンは悲しむと思うんだ。
     だからさ、シリンを元気付けてやって欲しいんだ。オレがいなくなった、その後」
    「……」
    「……フォルナちゃん」
    「はい」
     フェリオはまた左腕を隠し、右手で顔を覆った。
    「治療薬、無きゃ困るよ。オレ、まだ死にたくねえもん。こんな頼みごと、したくねえよぉ……」
    「……そうですわね。見つかると、わたくしも祈っておりますわ」



     偶然と衝突、思索と執念の入り混じった紆余曲折の末に、公安と晴奈たちはようやく敵のすぐ足元へと近付いた。
     長年、大義の名の下に、あるいは一人の妄執のために、人を食い物にし、大陸の陰でじわじわと成長、増殖を続けてきた組織と今、正面衝突する。

    蒼天剣・剣姫録 終
    蒼天剣・剣姫録 6
    »»  2009.08.08.
    晴奈の話、第357話。
    「プリズム」の脆弱性。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     そもそも、殺刹峰と言う組織はどのようにして生まれたのだろうか?
     この謎については、金火公安が後に行った調査でも、その全てを判明することはできなかった。しかし断片的にではあるが、次のようなことが分かっている。
    「克大火を倒す地下組織」と言うコンセプトがまとまったのは恐らく、バニンガム伯とシアンが出会って2、3年後であること。そしてその組織を創り上げるため、彼らは10年近い歳月をかけていたこと。
     そして――この組織の要となる二人の人間、トーレンスとウィッチが参加したことで、その10年の間、一向に具体化される気配の無かったこの組織は、あっと言う間に編成が成され、現実のものになったこと。

     トーレンス――モノについての調査と、それについて判明した思想や目的は以前、クロスセントラルでバートが考察した通りだった。
     だがもう一人の重要人物、ウィッチについては何も分からなかった。彼女がどのような人物で、殺刹峰以前はどのような活動を行っており、殺刹峰の中でどのような意思を持って活動していたのか、そもそも本名は何と言うのか――その全ては、殺刹峰が壊滅した後になっても不明のままだった。
     彼女を知る手がかりは、組織が壊滅した際に、彼女自身も含めて一切、消えてしまったからである。



     その日のアジトは、非常に静かだった。
    「ホワイト」、「ブラック」、「インディゴ」、「オレンジ」の4部隊、そしてリーダー不在の「バイオレット」隊も加えた5部隊がサウストレードへ向かっており、アジト内にはいつもの半数程度しか人員がいなかったからである。
    「それにしても、モエちゃんはドコ行っちゃったのかしらねーぇ」
     オッドは茶をすすりながら、突然行方をくらませたモエ――巴景のことを案じていた。
    「代替者を探さねばならんかもな」
     一緒に茶を飲んでいたモノが、眉間にしわを寄せながら応じる。
    「そうねぇ……」
     オッドも困った顔で相槌を打ち、深いため息をついた。
    「はぁ……。万全かなーって思ってたのに、実際に戦わせてみるとドンドン出ちゃうわねぇ、ボロが」
    「確かに。レンマ君、カモフ君が敵の手に落ち、ネイビー君とミューズ君が負傷し、その上モエ君が消息を絶ち、……思った以上に展開が悪い。
     何か、見誤っているのかも知れんな」
    「何かって?」
     モノはカップを机に置き、眉間をほぐしながら内省する。
    「私の認識と言うか、全体の評価と言うか……。
    『プリズム』は私と君、そしてウィッチの三人が検討に検討を重ねて作った最高、最強の部隊だったはずだ。身体能力は言うに及ばず、魔術の知識、戦闘技術、どれをとっても申し分ない者たちばかりのはずだったのだが……。
     少し、いや、かなり大きく、敵の強さを甘く見ていたのかも知れんな」
    「ソレだけじゃないわぁ、きっと」
     オッドもカップを置き、伏し目がちに話す。
    「個人、個人のキャラクタ性を見てると、どうしても気になる点があるのよねぇ」
    「気になる点?」
    「何て言うか、性格が不安定なのよねぇ。
     レンマは偏執的だし、ネイビーは人を見下してるし、ペルシェやジュンはコドモっぽすぎるし……。情緒不安定で成長しきってない子が多いわ、なんだか。
     コレはさぁ、アタシの考察なんだけどもね――洗脳して従順な兵士を造る、そのプロセスに問題があるんじゃないかしら。アレ、きっと精神や情緒の育成・形成に良くないんじゃないかと思うのよぉ。
     そりゃ、兵士は素直に従ってくれれば言うコト無いんだけどさぁ、一人の人間としての精神的な成長を止めてるんじゃないかしらって」
    「ふむ……」
     モノは話を聞きながら、茶に口を付ける。
    「アンタも薄々感じてるでしょ? あいつらがどこかコドモっぽい、人間として魅力が薄いって――どんなに肉体や知識、技術を鍛えても、それを操るココロが幼すぎるわぁ。
     どんなに優れた馬に乗っても、それを操る騎手がボンクラじゃ、ゼッタイ早く走れない。それと同じコトだと思うのよぉ」
    「つまり、育成方針そのものに大きな欠陥がある、と言うことか」
    「まあ、あくまでコレはアタシの意見だけどね。今後どうするかは、あの『おばーちゃん』がどう言うか、よねぇ」
    「そうだな……」
     モノは茶を飲み干し、席を立とうとした。
    「あら、もういいのぉ?」
    「対策は早めに講じた方がいい。ウィッチにその旨を相談してくる」
    「ちょ、ちょっとぉ。あくまでコレは、アタシの勝手な意見だってばぁ。まだ具体的な裏付けも取ってないし……」
    「どこかの戦略家の言葉だが」
     モノはそそくさと部屋の入口まで進み、オッドに背を向けたままこう言った。
    「『戦場では思索より行動を優先すべき』だそうだ。確証が無いからと、何もせず静観していては手遅れになることもある」
    「まあ、そう言う考えもあるけど、ねぇ……」
     オッドはモノをそのまま見送り、彼が部屋から出て行ったところで、ぽつりとつぶやいた。
    「……でも、立ち止まってじっくり、周りの様子を考えるってのも大事じゃないのぉ? アンタ最近、いっつもいつも焦りすぎなのよぉ。
     それとも、無意識に気付いてるのかしらね――自分の運勢が逆転しかかってる、ってコトに」
     モノが部屋から出た後も、そのまま椅子に座って茶をすすっていたオッドは、かつてウィッチがモノについて評していたことを、ぼんやりと思い出していた。
    (何だったかしらねぇ……、『禍福は糾える縄の如し』だったかしらねぇ)
    蒼天剣・青色録 1
    »»  2009.08.10.
    晴奈の話、第358話。
    モノの焦り。

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    2.
     まだ、ウィッチの病状が悪化する前のこと。
     オッドはいつも通りに茶を飲みながら、彼女との会話を楽しんでいた。
    「陰陽、ねぇ。トーレンス、そんなにその話が気に入ったのぉ?」
    「ええ、自分のコードネームもそれにならって『モノ』にするとか。軽く、カルチャーショックを受けたみたいね。確かに彼の話を聞いていたら、『9』は彼にとって禍福を呼ぶものみたいだし。
     でも、そうそう都合よく事は運ばないのだけれど」
    「んっ?」
     ウィッチはカップを机に置き、茶の中にミルクを落として軽くかき混ぜた。
    「あなたも央南人の血を引いてるから、分かる話だと思うけれど……」
     カップの中で茶とミルクが半々に混ざり、渦を巻いている。
    「このカップの中の茶とミルクのように、陰陽とは『禍』と『福』が巡ってくるもの。
     今まで凶兆だったものが吉兆になった、これは確かに喜ばしいことよ。でも、悪いものが良いものになったと言うことは、その逆――良いものが悪いものになる、吉兆だったものが凶兆に様変わりすることも、良くあることだと言うこと。彼が抱えていた『9の呪い』、今は吉兆になっているけれど、いつかまた、凶兆に逆転する時が必ず来るわ。
     今、彼は躍起になって自分の周りに『9』を集めているけれど、もし運勢が逆転した時、彼は果たして無事でいられるかしら……?」
    「そう考えると、怖い話よねぇ。今まで嫌ってたヤツが妙に親しくしてきて、心を許した途端に手のひらを返されるとか、ちょこっとエグいわねぇ」
     ウィッチはミルクが完全に混ざりきっていない茶を口に運びながら、目をつぶってこう続けた。
    「彼はいつか、自分が築き上げた『9』に足元をすくわれるわ。でもそれは、いきなりじゃない。ゆっくり、ゆっくりと、運気が沈んでいくでしょうね。
     そうね、……彼が9の付く日に大ケガしたりでもしたら、その兆しかしらね」

     この言葉は後に、現実になった。
    「トーレンス!? どうしたの、その腕!?」
     兵士たちに半ば抱えられる格好で戻ったモノを見て、オッドは目を丸くした。
    「……少し、油断した……」
     モノは倒れ込むように、どさりと椅子に座り込んだ。その左腕は、肘から先がバッサリと断たれている。
    「どう言うコトなの、コレ?」
     オッドは兵士たちに詰問する。兵士たちは青ざめた顔で、こう答えた。
    「一ヶ月前、央南のテンゲンに、アマハラ氏からの要請で妖狐の目撃者暗殺に向かった際、襲われまして……。
     我々も何人か、犠牲に……」
    「何ですって? トーレンス……、モノがこんな、大ケガを負うほどの相手がいたっていうの?」
    「はい、見たところ老人だったのですが、異様に強くて……」
    「どう言うコトなのよ、アンタがじーさんばーさんに遅れを取るなんて、……!」
     オッドは嫌な予感を覚え、もう一度問いただす。
    「一ヶ月前って言ったわよね、ソレって何月何日?」
    「え? えっと、確か……、6月9日だったかと、はい」
     それを聞いて、オッドはチラ、とモノを見る。モノと目が合ったものの、彼は呆然とした顔をしているばかりで、何も反応しなかった。
    (アンタ……、分かってる? 9の付く日よ、9の!)
     オッドは半ばにらみつけるように見つめていたが、焦燥しきり、ただただうつろな目をしていたモノには、その真意は伝わっていないようだった。



     だが、この頃からモノは目に見えて焦り始めた。しきりに訓練や演習を進めるようになり、そして以前よりもより積極的に、犯罪に手を染めるようになった。
     それがまず、この一連の騒動の契機になったのだろう――あまりにも多くの人間を誘拐し続けたために、とうとう金火公安が動き出したのだ。
    (みんなの前じゃ冷静沈着に振舞ってるけど、アタシにはバレバレよぉ。アンタ、段々手を早めてる。待つべきところをどんどん、進もうとしてる。
     無理に無理を重ねて、あちこちが少しずつ軋み始めてるわ。このままじゃきっと、最終計画の前にすべてが頓挫する。……そろそろ、止めないといけないわねぇ)
     オッドはそう決断し、立ち上がろうとした。

     と、鼻腔がわずかながら、とげとげしい臭いを感じ取る。
    (……煙草? アタシは今吸ってなかったし、この臭いは『フォル・アルティッサ』――アタシがいつも吸ってる『たそがれ』の臭いじゃないわ。
     そう、以前にもコレを好んで吸ってそうなヤツがいたわねぇ。あの金火公安の狗、グラサン狐の臭い……)
     オッドは天井を見上げた。
     そこにはこのアジトがまだ廃坑になる前、鉱山として機能していた時代に空けられた排気口があった。
    蒼天剣・青色録 2
    »»  2009.08.11.
    晴奈の話、第359話。
    公安チームの到着。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     オッド――シアンが医者を志したのは、その特異な能力を活用するためだった。
     まず、大抵の毒物に対し、強い耐性を持っていたこと。彼――語弊があるかも知れないが、生物学的にこう呼ばせていただく――が昔、央南に住んでいた時、ある店が大規模な食中毒事件を起こしたことがあった。彼の一家もその被害を受け、彼の姉が死んでしまうほどの被害を出してしまったのだが、彼自身はけろりとしていた。
     その後、街の医者に診察と検査を受け、この時毒への耐性が非常に強いことが発覚、そのまま医者の道を志すことになるのだが、この時にもう一つ、彼の特殊能力が明らかになった。
     一般的に五感、反応が鋭いと言われる猫獣人である彼は、特に嗅覚が飛び抜けていた。例えば、目隠しをした状態で何種類かの食品の香りを同時に嗅いで、その全てを言い当てることができる。また、数百メートル先に咲いていた桜を、香りだけで見つけることができたし、さらには一度会った人間の体臭も、細かに覚えているのだと言う。
     毒に対する強い耐性と、人間離れした嗅覚。この二つの能力が、彼を名医たらしめている。

     そのオッドが、ほんのわずかにではあるが、この漂ってくる匂いを間違えるわけが無い。
    (このアジト内で、他に煙草を吸ってる兵士は何人かいるけど、この銘柄を吸ってる子はいなかったはず。それに――この2種類の香水、あの巨乳巫女服と、眼鏡ベストの赤毛女たちが付けてた香りだわ。
     ……ヤツらが、来てる! 一体どうやって、ココを嗅ぎつけてきたって言うの!?)
     オッドは急いで部屋を離れ、自分の武器が置いてある医務室へと急いだ。



    「この辺りだよな?」
     バートが煙草を口にくわえながら、きょろきょろと辺りを見回していた。
    「ええ、地図によれば。……そろそろ煙草は消しなさい、バート」
     ジュリアに咎められ、バートは煙草を口から離した。
    「お、悪い悪い」
    「そこら辺に捨てちゃダメよ。山火事になるわ」
    「分かってるって」
     バートは携帯用の灰皿に煙草を捨てながら、離れた場所で出入り口を探していた晴奈たちに声をかける。
    「見つかったか?」
    「いや、まだだ」
    「そっか。……しっかし、単なる雑木林にしか見えねーけどなぁ」
    「第9鉱山が活動していたのは2世紀までよ。それ以降ずっと放置されていたんだから、荒れ放題になるのは当たり前じゃない」
    「ま、そーだけどさ。……おわ!?」
     突然、バートが妙な声を上げる。
    「どうしたの?」
    「あ、ああ。……なんか、穴が空いてた」
     バートは目を白黒させながら、穴に突っ込んだ片足を上げた。
    「気をつけて。この辺りは廃坑だから、地盤がもろいのよ」
    「天然の落とし穴があっちこっちにある、ってわけか。……深いなぁ」
     バートはしゃがみ込み、その穴を覗き込んだ。
    「……ん?」
     穴の奥に、黒い何かが見える。
    「何だ……? 照らせ、『ライトボール』」
     バートは魔術を唱え、光球で穴の奥を照らす。
    「……? 網、か?」
    「どうしたの、バート?」
    「ジュリア、見てみろよ。穴の奥に、金網が敷いてある。錆び錆びになってっけど」
    「ああ……。多分、この穴は昔、坑道の空気取りに使っていたのね」
    「ふーん……。なあ、ここから入れたりは」「できるわけ無いじゃない」
     バートの提案を、ジュリアは即座に却下した。
    「あくまで空気取りのためだから、人が通れるようにはなってないはずよ。変に入り込んで出られなくなったらどうするの?」
    「……だよな」
     バートは軽くため息をつき、穴から顔を上げた。
     と、バートとジュリアの目が合うが、途端にジュリアが鼻を押さえ、苦い顔をする。
    「バート、あなたすごく煙草臭いわよ。吸い過ぎじゃない?」
    「そっか? ……あー、そうかもな。何しろ敵陣の真ん前だからな、ちょっと緊張してっかも」
    「落ち着いて行動するのよ」
    「ああ、分かってるって」
     そこに、楢崎の声が飛び込んでくる。
    「おーい! それっぽいのがあったよー!」
     それを聞いた全員が、バタバタと楢崎の方に集まった。

     楢崎が苔むした岩の前に立ち、岩の中央を少し押してみる。
    「ほら、ボロボロになってるけど扉だよ、これ」
     楢崎の言う通り、苔に亀裂が入り、ボタボタと落ちながら開いていく。
    「僕が押す前に、既に少し開いてたんだ。多分、楓藤くんが開けたんだと思う」
    「ついに、か……」
     その場にいた全員が、ゴクリと息を呑んだ。
     ちなみにここにいるのは晴奈、小鈴、ジュリア、バート、シリン、楢崎、モールの7名である。フォルナは「敵の本陣に入るのは危険すぎる」と言う理由から、また、フェリオは体調が思わしくなく、激戦に耐えられそうに無いと言う判断から外されている。
    「……それじゃ、行きましょうか」
     ジュリアの言葉に、全員が無言でうなずき、静かに扉の奥へと入っていった。
     400年以上前に閉鎖されたと言う坑道だったが、意外にも脱出口の階段はしっかりしており、崩れるような気配は無かった。
    「ずっと閉鎖されていたから腐食されなかったのか、それとも殺刹峰が補修したのか……」
    「恐らく後者でしょうね。彼らもアジトに作りかえる際、この出入り口を使ったでしょうし」
    「しかし……、長いな。一体どこまで降りていくのだろうか?」
     晴奈がぽつりとつぶやいたが、誰にも答えられなかった。
    蒼天剣・青色録 3
    »»  2009.08.12.
    晴奈の話、第360話。
    最後の「プリズム」。

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    4.
     一方、サウストレードへ向けて進んでいた殺刹峰の部隊に、オッドからの魔術通信が飛んできていた。
    「……何ですって? 侵入者?」
     オッドからの通信を傍受したミューズが、ブツブツと何かをつぶやいている。
    「……ええ、……ええ、はい。……はい?」
     段々と、ミューズの顔が険しくなってくる。
    「……?」
     その様子をいぶかしんだネイビーに、ミューズが答えた。
    「ドクターからですか? 何て?」
    「ああ、本拠地に侵入者だそうだ」
    「侵入者? 本拠地に、ですか。金火公安の、ですかね」
    「そうだろうな。それで、主力だけでもすぐ戻れと。……やれやれ」
     ミューズはペルシェを手招きする。
    「なんですかー?」
    「すまない、ペルシェ。我々が戻るまで、ここで待機していてくれ」
    「……はいー?」
    「すぐ戻る。では、失礼する」
     そう言うなり、ミューズはネイビーの肩と、もう一人いた「プリズム」の手をつかみ、「テレポート」を使ってすっと消えた。
    「ちょ、ちょっとぉー!? ミューズさん、あ、あたしはぁ!?」
     ペルシェは大勢の兵士と共に残され、おろおろするしかなかった。

     目の前に現れたミューズを見て、オッドは非常にほっとした。
    「戻りました、ドクター」
    「あぁ、おかえりなさぁい、ミューズ、ネイビー、それからフローラ。……ペルシェちゃんはぁ?」
    「兵士たちの管理に当たらせました。すぐ戻る予定ですので、問題は無いかと」
    「そう。……それじゃ早速、周囲の索敵をお願いねぇ」
    「いいえ、ドクター」
     と、ここまで一言もしゃべらなかった長耳の、深い緑色の髪をした女性が顔を上げた。
    「敵は、もう中にまで入っているわ。すぐ、他の『プリズム』を呼んで」
     その長耳は上官であるはずのオッドに、命令するように話す。だが、オッドはとがめたりすることなく、素直に従った。
    「分かったわぁ、フローラ。ミューズ、ネイビー、すぐに呼んできてちょうだぁい」
    「はい、ドクター」「了解です」
     ミューズとネイビーが消え、二人きりになったところで、オッドが声をかける。
    「で、敵は何人いるのぉ?」
    「7人よ。男が3人、女が4人。
     3人は戦士タイプ、どれも腕はそれなりに立つわ。残りの4人は魔術師タイプ。
     その中でも1人、特に異質な者がいるわね。恐らく、これはモールよ」
    「さっすがねーぇ。魔女の娘だけあるわぁ」
    「……」
     フローラはオッドの賛辞には応えず、無言で椅子に座り込んだ。
     と、また何かを感じ取ったらしい。急に顔を挙げ、いぶかしげに目を細めた。
    「どうしたのぉ?」
    「……いえ、何でもないわ」
     そう言いつつも、依然いぶかしげな顔を崩そうとしない。
    「……?」
     詳しく尋ねようとしたが、今は緊急事態である。
    (……ま、いいか)
     オッドは薬品棚に向かい、迎撃の準備を整え始めた。



    「……?」
     通路を歩いていた晴奈が、急に立ち止まる。
    「どしたの、晴奈?」
    「いや……? 何か、懐かしい……、感覚、が?」
    「懐かしい?」
    「ああ……。ずっと昔、どこかで感じたような。……いや、何でもない。先を急ごう」
     晴奈はふるふると首を振り、ふたたび歩き始めた。



     オッドに(と言うよりもフローラに)「プリズム」メンバー招集を命じられたミューズとネイビーは二手に分かれ、アジト内を駆け足で歩き回っていた。
    「ここにもいない……。くそ、こんな時に!」
     既に10箇所ほど部屋を回ってみたが、メンバーの姿は無い。それどころか、兵士の姿もほとんど見かけなかった。言うまでも無く、大半がペルシェと共に、外に取り残されているのである。
    「おーい! キリアさーん! ヘックスさーん! ジュンくーん! 近くにいませんかー!」
     ネイビーは痺れを切らし、大声で呼び始めた。すると――。
    「……おい」
    「え……?」
     後ろから、怒気を含んだ声がかけられる。振り向くとそこには、額に青筋を浮かべたシリンが立っていた。
    蒼天剣・青色録 4
    »»  2009.08.13.
    晴奈の話、第361話。
    怒りの尋問。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    (しまった……)
     ネイビーは内心舌打ちし、辺りを見回す。だが「プリズム」はおろか、兵士の姿も無い。
    (本当に、タイミングの悪い……!
     まさか大編隊を外に向け、手薄になったこの時に、奴らが入り込んでくるなんて!)
    「ベイビー言うたっけ、アンタ」
    「……ネイビーです」
    「ああ、そんなんどーでもええわ。薬、よこしてもらおか」
     そう言ってシリンが、ずいっと前に出る。
    「薬? 一体、何の?」
    「とぼけんのも大概にせえよ、ボケ!
     うちの……、うちらの仲間につけた、体が真っ青になってく毒の解毒剤や! 早よよこさんかい!」
     シリンは怒りに任せ、ネイビーの顔面に向けてストレートパンチを放つ。
    「うわっ!?」
     ネイビーの脳裏に、以前顔面を割られた時の恐怖が蘇る。慌てて両手を顔面の前に交差させたが、シリンは拳をくい、と下げる。
    「~ッ!?」
     シリンの拳が鳩尾に食い込み、ネイビーはえづいた。
    「げっ、ゲホ、ゲホッ、……い、いきなり、何をっ」
    「何べん言わすつもりじゃ、ボケが! 早よ出せっちゅうとるやろ!」
     シリンの激昂ぶりを見て、バートが「……どこのヤクザだよ」とつぶやいたが、シリンの耳には入っていないし、ネイビーも応じる余裕など無い。
    「く、薬なんて、無い」
    「ふざけんなああッ!」
     ネイビーの返答にまた、シリンが爆発する。今度は丸太のような脚が、ドコンと鈍い音を立ててネイビーの腹にめり込んだ。
    「ぐ、……ごぼぁッ」
     ネイビーは引っくり返りながら、胃の中の物をほとんど吐き出した。
    「げぼ、っ、げほ……、ゲホッ」
    「もういっぺん言うで。薬出せ」
     ネイビーは顔面蒼白になりながらも、もう一度同じことを繰り返す。
    「無い、って、言ってる、でしょ……」
    「無いわけあるかあああッ!」
     シリンは倒れたネイビーの腹に、もう一発パンチを入れる。
    「が、っ」
    「出せえッ!」
     もう一発シリンが殴りつけたところで、見かねたバートが止めに入る。
    「よせって、シリン。それ以上殴っても、出るのはゲロか血ヘドだぞ」
    「……」
     バートの制止に従い、シリンはネイビーから一歩離れた。
    「ひゅー、ひゅーっ……」
     シリンの先制攻撃が余程効いたらしく、ネイビーの息は既に細い。
    「さてと……」
     バートとジュリアがネイビーの上半身を起こし、両手を後ろに縛り付け、さらに布袋で厳重に包む。
    「ネイビーだっけか。もう一回聞くけどよ、薬はどこだ?」
    「……無い、ん、ですっ、てば」
    「シリン、一発」
    「あい」
     ネイビーの顔面に向けて、シリンがパンチを入れる。
    「ぐえっ!」
    「なあ、ネイビー君よぉ。ちょっと論理的になってみようや。
     もし仮に、お前の手に、味方の誰かがうっかり触れちまったとする。腐敗で指や手首が落ちるのはまあ、仕方ないとしても、だ。その後の、体が真っ青になって弱っていく毒をそのままにしてたら、命に関わるよな。
     味方をわざわざ見殺しになんてするわけねーし、だったら誰かが解毒剤持ってなきゃいけないって話になる。
     ……で、薬は?」
    「本当に、本当に、無いんです」
    「無いってのは、この世にってことか? それともお前の手元にってことか?」
    「そ、それは、……はい。この世に」
    「一発」
    「ひっ……!」
     拳を上げたシリンを見て、ネイビーは観念した。
    「あ、ああ、ありますあります! ドクターの医務室に!」
    「分かった。……よっしゃシリン、気が済むまでブン殴っていいぞ」
    「あい」
     シリンはコクリとうなずき、グルグルと肩を回す。
    「ちょ……!? 言ったじゃないですか、正直にいっ!」
    「おう。でも誰が、『お前みたいな外道を、寛容な精神で許してやる』って言った?」
    「は、はあっ!?」
     ネイビーは顔を真っ青にしたが、誰もシリンを止めようとはしなかった。

    「ネイビーがやられたわ」
    「え」
     医務室で他の「プリズム」を待っていたフローラが、ネイビーが倒れたことを察知した。
    「そんな……!」
    「しかも、敵は丸々残っているわ。どうやら、袋叩きに遭ったみたいね」
    「うわぁ……」
     オッドは両手で顔をふさぎ、うつむいた。
    「……敵は二手に分かれたわ。
     わたしが、もう一方を追いかける。ドクターは、他の『プリズム』がこっちに来次第、もう一方を潰して」
    「……ええ。そうさせてもらうわ」
     オッドが顔を挙げた時にはもう、フローラの姿は無かった。
    蒼天剣・青色録 5
    »»  2009.08.14.
    晴奈の話、第362話。
    恋する虎っ娘。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     ボロボロになったネイビーをよそに、晴奈たちは相談を始めた。
    「それじゃ、医務室に行く班と首領を探す班の二手に分かれよう。医務室へはシリンと俺が向かう。薬を手に入れるだけだから、2人で十分だろう。
     残りは首領を探してくれ。俺たちは薬を手に入れ次第、合流する。連絡は『通信頭巾』で取ろう」
    「承知した」
     7人は二手に分かれ、本格的に捜査を開始した。

     二人きりになったバートとシリンは、歩きながらぽつぽつと話をする。
    「……ホンマはな」
    「ん?」
    「フェリオ、大したコトあらへんって言うてたけど、ホンマは辛いって知ってんねん。いくらウチがアホで鈍感やって言うても、夜中にうなされとったら、そら分かるっちゅう話や」
    「ああ……、だろうな」
     前を歩くシリンの尻尾が、悲しげに垂れているのがバートには見えた。
    「……あんな、バート」
    「ん?」
    「ウチ、ホンマにフェリオのコト、好きやねん」
    「ああ」
    「ウチが大会でボロ負けして辛かった時も、ものすごい優しくしてくれたし、バートとケンカした時も、いっつも仲直りさせてくれたしな」
    「ああ」
    「ホンマに、ホンマに優しいんよ。フェリオの顔思い出すだけで、ウチ、顔真っ赤っかになるくらい大好きやねん」
    「……ああ、知ってる」
    「いっつもウチのワガママ聞いてくれるし、いっつもご飯、おかず分けてくれるし」
    「何だよ、それ……」
     軽口を叩きかけたが、バートは途中で口をつぐむ。シリンの肩が、震えていたからだ。
    「……死なせたくないねん。絶対、死なせたない」
    「ああ」
    「もし、死んでしもたらウチ、ウチ……」
     声が段々、涙声になってくる。見かねたバートは、シリンの肩をポンポンと叩いた。
    「死なせやしねーよ。俺だって、お前とフェリオはいいカップルだと思ってるしな。幸せになってほしいって、少なくとも俺はそう思ってる。いや、ジュリアも、エランも、……みんな、そう思ってるぜ」
    「うん……」
     たまらず、シリンが立ち止まってしまう。
    「ほら、歩けって。早く薬持って返って、フェリオを楽にさせてやらねーと」
    「うん……」
     シリンは泣きながらも、バートに手を引かれる形で進んでいった。
     と、前方からバタバタと足音が聞こえてくる。侵入者に気付いた兵士たちが駆けつけてきたのだろう。
    「シリン、ほれ」
     バートはそっと、ハンカチを差し出す。
    「敵に泣いてるトコなんか、見せたくないだろ」
    「う、うん。ありがと」
     シリンはハンカチをつかみ、ゴシゴシと顔を拭いた。
    「……よっしゃ。……行くでええッ!」

     いつもに増して気合いの入ったシリンが、襲ってくる兵士を片っ端から蹴散らした甲斐あって、バートたちはそう時間をかけることも無く、医務室に辿り着くことができた。
    「だっしゃあああッ!」
     医務室の扉を蹴り破り、シリンは中に乗り込む。
    「薬はドコや、薬はッ!」
     シリンはまっすぐに薬棚に向かい、にらみつけるが、そこで足が止まる。
    「……ドコっちゅうか、どれ?」
    「んなの、俺に分かるかよ……。しまったな、ネイビーを連れてくりゃ良かった」
    「調子乗って、ボコってしもたしなぁ」
     バートとシリンは顔を見合わせ、同時にうなる。
     と、背後から甘ったるく、低い声がかけられた。
    「『青系515号』の解毒剤かしらぁ?」
    「……!」
     二人が振り向くと、そこにはあのオカマ医者、オッドが立っていた。
    「それなら、コレよぉ」
     オッドは紫色の薬ビンを見せ、ぷらぷらと振って見せ付ける。
    「よこせや、おばは……、えー、おっ……」
     オッドに怒鳴りつけようとしたシリンは途中で言葉を切り、バートに小声で尋ねる。
    「……どっち?」
     バートも小声で返す。
    「おっさんでいいんじゃねーか? 性別は男だし」
    「聞こえてるわよ」
     オッドはジト目で二人をにらみつつ、話を続ける。
    「アタシのコトはドクターと呼びなさぁい。
     で、コレが欲しいんでしょお? あなたたちの仲間が、真っ青になって死にそうになってるんでしょーぉ?」
    「ああ、そうだ。……まさか、大人しくよこしてくれるのか?」
     バートが尋ねるが、オッドはバカにしたようにフフン、と鼻を鳴らす。
    「そんなワケないじゃなぁい。アンタらはココで、一人残らず死んでもらうわよぉ」
     そう言ってオッドはビンを腰のポーチに納め、構えを取った。
    「医者のクセに武闘派気取りやがって。……行くぞ、シリン!」
    「あいっ!」
     バートたちも構え、オッドと対峙した。
    蒼天剣・青色録 6
    »»  2009.08.15.
    晴奈の話、第363話。
    ドクターとの再戦。

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    7.
     しばらくにらみ合っていたが、先に仕掛けたのはシリンだった。
    「おりゃあああッ!」
     オッドのすぐ近くまで飛び込み、オッドが警戒して構えたところでジャンプし、両脚を揃えて蹴り込む――いわゆるドロップキックである。
    「っと!」
     だが、シリンの全体重が乗った蹴りを、彼女より頭2つも小さいオッドは両手をかざし、受けきった。
     シリンは空中でくるっと回って着地し、もう一度距離を取ってオッドをにらみつける。
    「……アンタも、強化とかしとるクチか」
    「そりゃあ、ねぇ。あと、首領から身体強化の魔術も教えてもらったりしてるしねーぇ」
    「見た目に惑わされんな、ってことだな。……じゃあ、遠慮しねーぞ」
     バートは両手に拳銃を構え、オッドに向かって全弾撃ち込む。
    「……うふふ、ふ」
     オッドの体に銃弾が当たる度、ガクガクとその体が震える。
     だが、これも効いていないらしい。撃ちつくしてもなお、オッドが何事も無かったかのように、ニヤニヤと笑っている。
    「……んだよ、そりゃ。鋼板も貫通する徹甲弾だぞ、今のは?」
    「アンタたちに、ちょこっと教えてあげるわぁ」
     オッドはぺっと、何かを吐き出す。床に吐きつけられたそれは、チン、と乾いた音を立てて跳ねた。
    「た……、弾を!?」
    「殺刹峰の首領、通称『ウィッチ』は昔、ものっすごぉい魔術書を手に入れたのよぉ。その本にはねぇ、現代の技術水準を大きく上回る様々な魔術が書かれていてねぇ」
     そこで言葉を切り、オッドはもう一度構えを取る。
    「例えば、物質に命を与える術。例えば、生命を変形させる術。
     そう、殺刹峰が使っている強化術は、一般的に使われているような、筋肉や神経の働きを活性化させるだけのものじゃない」
     パン、と言う音が響く。だが、これは銃の発砲音ではない。
    「ご……っ!?」
     その破裂音は、オッドが踏み込んだ際に発生したものだった。
    「筋肉自身、骨自身を変質・変形させ、バネや鋼鉄にする――今、この強化術を使っているアタシを、人間と思わない方がいいわよーぉ?」
     一瞬のうちにシリンが弾き飛ばされ、薬棚に叩き付けられる。
    「く、ぅ……っ」
    「あーら、それでおしま……」
     勝ち誇り、ニヤリと笑ったオッドの言葉がさえぎられる。
     薬棚に突っ込んだはずのシリンが、また飛び込んできたからだ。
    「お、ぉ!?」
     オッドはまた手を挙げて防ごうとする。
     だが、シリンは先程ネイビーにしたのと同じように、くい、と拳の向きを変え、オッドの腹を突いた。
    「ぐえ……!?」
    「あのクソ青猫と親子っちゅうのはホンマらしいなぁ」
     オッドの目が見開かれ、両手が下がったところで、シリンはその顔面にもう一発食らわせた。
    「防ぎ方、逃げ方が一緒や」
    「ぎにゃ……ッ!」
     鼻を殴りつけられ、オッドは顔を押さえてのた打ち回る。
    「ふ、ふぐ……、ふは、……油断したわねぇ」
     だが、オッドは床からばっと飛び跳ね、シリンから距離を取った。
    「強化したとは言え、やっぱり力任せじゃ厳しいみたいねぇ。……ちゃんと、アタシのスタイルで行くとしましょうかねーぇ」
     そう言ってオッドは腕をまくる。その手首にはずらりと、試験管が並んでいた。
    「さぁ、ドクター・オッドの人体実験ターイム……」
     オッドはくい、と手首をひねって紫色に光る試験管を取り、栓を開けた。
    「はっじまるわよー……!」



    「ゲホ、ゲホ……ッ」
     両腕を縛られ、坑道の端に打ち捨てられていたネイビーは目を覚ました。
    「う、くっ、……くそっ」
     後ろ手に縛られ、その上散々殴りつけられたため、腕と腹、顔がずきずきと痛む。
    「許さないぞ、あの馬鹿女」
     ネイビーはギリギリと歯軋りし、腕に力を込める。だが、手を縛る縄と布袋は、一向に解ける気配も、千切れる様子も無い。
    「許さない、許さない……」
     ベキ、と何かが折れる音がする。
    「許さないぞ……ッ!」
     もう一度、バキ、ゴキ、と音が鳴る。
    「ハァ、ハァ……、なりふり構っていられるか……! 手や、腕なんか、どうでもいい……!」
     もう一度ボキッと大きな音を立てて、ネイビーは起き上がった。
     と、そこに人影が現れる。
    「……!」
    「警戒しなくていいわ。わたしよ」
     その人影は、先程自分に人集めを命じたフローラだった。
    「あ、ああ。フローラさん」
    「ひどいケガね。特に、腕」
    「縛られましてね。こうするしかなかったんですよ」
    「そう。……散々ね、あなた」
     フローラの目つきが、哀れむようなものに変わる。
    「え、ええ」
    「ねえ、ネイビー」
     フローラはそっと近付き、ネイビーに耳打ちする。
    「……え?」
    「そのままの意味よ。どうする?」
     フローラの言ったことがあまりにも衝撃的だったので、ネイビーはうろたえた。
    「……いや、でも。ドクターまで……」
    「分からない? こんな事態に陥ったのは、あの二人のせいなのよ?」
    「それは、そうかも知れませんけど」
    「『ピンチこそ、最大のチャンスである』と言う言葉があるわ。今、公安が荒らしまわっている今こそ、あなたが成り上がるチャンスよ。
     今、医務室でドクターと公安の人間2人が戦っているわ。そこへ行って、選択しなさい」
    「……」
     フローラはそのまま、踵を返して立ち去った。
    蒼天剣・青色録 7
    »»  2009.08.16.
    晴奈の話、第364話。
    ネイビーの裏切り。

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    8.
     戦い始めてから15分以上が経ち、医務室の中は形容しがたい臭いが充満していた。
    「ハァ、は……、ゲホ、ハァ……」
     オッドが撒いた揮発性の高い毒が、医務室の空気を汚しているのだ。
     シリンに比べ体力の劣るバートは既に膝を着いており、実質的にシリンとオッドの一騎討ちとなっていた。
    「しっぶといわねぇ……!」
    「当たり前やっ、……ゴホっ」
     元から優れた肉体をフルに使い、怒涛の攻めを見せるシリンと、薬や魔術で身体強化し、毒薬で牽制するオッド。
     両者の攻防はこの時完全に吊りあっており、双方じわじわと体力を削られながらも、戦いは膠着状態に入っていた。
     シリンとの間合いを取りつつ、オッドは頭の中でこの状況を整理し、この後の展開を予測する。
    (まっずいわねーぇ……。相手は2人。こっちは1人。このままあの虎女と共倒れになったら、算術的に公安の勝ちになるわぁ。
     誰か、助けに来てくれないかしらねぇ……?)
     オッドは先程呼びつけた「プリズム」が一人でもやって来はしないかと、入口に目をやる。
    「……あ」
     と、入口に自分の「息子」、ネイビーが立っていることに気付いた。
    「ん? ……くそ、まだ生きとったんかい」
     オッドの反応を見て、対するシリンも同様に入口へ目を向け、悪態をつく。
     ネイビーの顔色は、まるで自分の「毒手」を食らったかのように、真っ青になっていた。縛られた縄を、腕を無理矢理にねじって解いたらしく、その右腕は半壊しており、左腕も手首から先が無残に砕けている。
     とても加勢できるような様子ではなさそうだったが、それでもオッドは心底ほっとした表情を浮かべる。
    「ネイビー! 早く助けてちょうだい!」
    「こっち来んなや、またどつくぞボケが……!」
     オッドに乞われ、一方ではシリンににらまれる。
     ネイビーはしばらく両者を見つめていたが、やがてオッドの方に歩き出した。
    「ああ、ありがと、ネイビー!」
    「……いえ……」
     だが、ネイビーの様子がおかしい。味方であるはずのオッドに近付きつつも、なぜか警戒したような空気をまとっている。
    「……ネイビー?」
    「ドクター。あなたには感謝してます。僕に色々と、良くしてくれて」
    「……?」
     突然何を言うのかと、オッドは不審がる。
     しかしそれを問う間も無く、ネイビーは折れた右手をオッドの胸に押し付けてきた。
    「……けど、僕は首領に付きます」
     味方であるはずのネイビーから突然「毒手」を当てられ、オッドは面食らう。
    「な……!?」
    「ごめんなさい」
     触れればたちまち体が腐り、全身をむしばむ毒が回る「毒手」である。とは言え前述の通り、オッドに毒は効かない。
     それでもオッドは突然の攻撃に顔色を変え、ばっと飛びのいた。
    「何のつもりよ、ネイビー!?」
    「やっぱりこれじゃ死にませんか、ドクター。……けど」
     ネイビーの右手には、真っ青な薬が入った注射器らしきものが握られていた。
    「毒の効かないあなたでも、この薬の過剰摂取ならどうなるでしょうか……?」
    「……!」
     オッドは愕然とした表情を浮かべ、衣服の胸をはだける。
    「あ、アンタ……!」
     その胸は異様なほど、黄色く染まっていた。
    「あなた自身が、自分にも効果があるように調合した強化薬。一切希釈していない、その濃縮液を大量に摂取すれば、流石のあなたでも……」
    「な、何を、……ッ!」
     オッドは自分の額にびきっと痛みが走るのを感じたと同時に、彼の鼻から、びちゃびちゃと勢い良く鼻血が噴き出した。
    「げ、が、……がっ、ぐっ」
    「あなたとドミニク先生は、この組織を築き上げてきました。でも今は、不要な存在になりつつあります。
     僕たちが、この組織のさらなる発展のために、後を継がせていただきます」
    「あ、アンタっ、何、バカな、コト、をっ」
     薬が回り、オッドの視界が急速に狭まる。
    「今、この組織が混乱の最中にある今、その『掃除』がしやすくなりました。
     ……僕は、ウィッチ首領と、フローラさんに付きます」
    「ふざ、けて、んじゃ……」
     オッドはネイビーに怒鳴りかけたが、最後まで声を絞り出せず――そのまま、床に倒れ伏した。
    「……さようなら、ドクター」
    「お、お前、何してんねや……?」
     突然の事態に、バートもシリンも唖然としている。
    「今、あなたたちを相手にできる力は無い。これで失礼させていただきます」
     ネイビーはそう言うなり、医務室を飛び出していった。
    「あ、待て!」
     バートが立ち上がり、追いかけようとするが、その足取りは覚束なく、とても追いつけそうには無い。
     シリンも完全に虚を突かれていたらしく、追いかけようともせず、そのまま立ち尽くしていた。
    蒼天剣・青色録 8
    »»  2009.08.17.
    晴奈の話、第365話。
    ドクターの最期。

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    9.
    「何が、どうなって……?」
    「俺にもさっぱりだ」
     バートとシリンは顔を見合わせ、今起きたことを反芻する。
    「ネイビーが、ドクターを、殺した。……だよな、今起きたことは」
    「う、うん」
     二人は倒れたオッドを見る。彼の背中はわずかに上下しており、まだ息があるようだった。
    「お、おい。大丈夫か、その、……ドクター?」
     バートはどうしようかと逡巡したが、とりあえずオッドを助け起こした。
    「は、っ、はっ、……なんて、コト」
    「しゃ、しゃべんない方がいいんじゃねーか?」
    「し、素人判断、なんか、いらないわよ、……もう、手の、施しようが、ない。アタシは、し、死ぬわ」
    「何が何だか分かんねえ。一体何で、ネイビーがアンタを殺すんだ?」
    「分からない、わ。……もしか、したら、すべては、既に、決定して、いたの、かもね」
    「え?」
     オッドがまた血を吐く。その色は先程よりも薄く、赤から橙色に変化しつつある。
    「う、ウィッチ……、あの女が、何で、アタシたちに、近付いてきたのか。目的は、何だったのか……。
     ずっと、謎だった。何で、元商人の、あの女が、こんな、地下活動に、執心して、いたのか。それは、紛れも、なく、……利益の、ためだったのね」
    「言ってる意味が分からねえ。何が言いたいんだ、ドクター?」
    「あの、女は、最初から、カツミ暗殺なんて、目じゃなかった、のよ。
     本当の、目的は、莫大な財源と、兵力を持つ、組織を、手に入れる、ことだったのよ。じゃなきゃ、アタシと、トーレンスを、殺そうと、だなんて」
    「一体誰なんだ、そのウィッチってのは?」
     バートが尋ねるが、オッドの反応は段々と鈍っている。鼻や口、目から流れ出ていた血も、今はもう、黄色に近い。
    「うぃ、ウィッチ、……は、元商人、よ。名前は、……偽名かも、知れない、けど。クリス。クリス・ウエスト。
     ……初めて、会った、時は、クリス・ゴールドマンと、名乗っていたけれど」
    「クリス……?」
     バートは記憶を探るが、そんな人物が金火狐一族にいるなど、聞いたことが無い。
    「あの女は、ずっと、狙っていたのよ。組織が、大金を生むようになり、小国くらい、攻め落とせる、ほどの、兵力を蓄える、ように、なるまで。
     ……とっても、貢献、してくれたから、首領と、呼ばせてきた、けど、……あ、あ、誤りだった」
     オッドの目から黄色い血の他に、涙がこぼれ始めた。
    「ああ、旦那サマ……! シアンは、誤りました……! この十数年の成果が、すべてあの女に、取られてしまいました……!
     あなたの、あなたの願いが、叶えられなかった……! 折角、この身があなたに救われたと言うのに、恩を仇で返すことになってしまいました……!」
    「お、おい、ドクター? ドクター!? ……ダメだ、聞こえてない。意識が混濁し始めてるらしい」
    「無念です、旦那サマ……! ……あ、あ……、あっ……、……」
     流れていた血と涙が止まる。
     そして同時に、オッドの体から力が抜けていった。

     ネイビーは真っ青な顔で、アジトの下層へと向かっていた。
    (やってしまった……! 僕は、ドクターを……! もう、後戻りできない……!)
     と、目の前にまた、フローラが現れる。
    「どうやら成功したみたいね」
    「ふ、フローラさん」
    「おめでとう」
     フローラの場違いとしか思えない賛辞に、ネイビーは固唾を飲んだ。
    「な、なにが、おめでたいんですか……」
    「これであなたは、次の参謀になるわ。そう、ドクターの後釜よ」
    「後釜……」
     得体の知れない、気色悪いめまいが、ネイビーにまとわりつく。
    「後はモノさんと、公安を潰すだけよ。……そうね、あなたは戦えそうにないし、地下のモンスターを使いなさい」
    「……は、い」
    「よろしくね、ネイビー。……いいえ、ドクター」
     このやり取りの間、フローラはずっと、とても美しい笑顔で微笑んでいた。
     ネイビーにはそれが異様過ぎて、何も言い返すことができなかった。

    蒼天剣・青色録 終
    蒼天剣・青色録 9
    »»  2009.08.18.
    晴奈の話、第366話。
    「女神」の気紛れ。

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    1.
    「……! ……!」
     誰かが自分を呼んでいる。
    「どうしたんだい、……?」
    「う、ううん」
     自分は一瞬後ろを振り返ったが、すぐ向き直る。前にいる者と話すのが、とても楽しいからだ。
    「さあ、投げた投げた」
    「うんっ」
     自分は手に持っていた鞠をポンと投げ、少し離れたところに立っている男へ投げ渡す。
    「……は昨日、初めて岬の方に行ったんだよね」
    「うん」
     男と自分は鞠を投げあいながら、とりとめも無く話をする。
    「どうだった?」
    「きれいだったよ」
    「そうか、そうか」
    「うみも、そらも、まっさおで。くもはまっしろで」
    「うんうん、青江の夏の名物だもの」
    「せい、……こ、う?」
    「君が今、住んでいる街の名前だよ。ここは青江って言うんだよ」
    「そうなんだ。……せいこう」
    「うん、青江」
     幼い自分の頭に、新しい知識が蓄えられる。それが嬉しくて、自分ははしゃいでいた。
    「せいこう、せいこうっ。ぼくはせいこうにすんでるっ」
    「……ふふっ」
     突然、男が笑い出した。とても温かい、その男らしい笑い方だ。
    「どうしたの?」
    「ああ、いや、うん。……楽しいね、シュンヤ」
    「うん」

    「ジュン!」



    「ジュン! ジュン! 起きろ!」
     ジュンは誰かに揺り起こされ、目を覚ました。
    「ん、……うあ?」
    「寝ぼけている場合ではない」
    「大変やで! 攻めてきおったんや!」
     机からぼんやりと頭を上げ、辺りを見回してみる。そこはアジト内の図書室だった。横にはヘックスと、ミューズの二人が立っている。
    「……あ、ヘックスさん、ミューズさん、おはようございます」
    「言うてる場合か! ……ヤツらが、公安が入り込んできよったんや!」
    「こうあん? ……公安ですって!?」
    「ああ。それで今しがた、私とフローラ、ネイビーが呼び戻された。ペルシェは行軍途中の地点で待機している」
    「ほれ、早よ顔洗って目ぇ覚ましてこい」
     そう言って、ヘックスは手を差し出した。
    「あ、はい」
     ジュンはヨタヨタと椅子から立ち上がった。
     と、急にミューズが険しい顔になる。
    「……待て。少し、気になるものが見える」
    「え?」
     ミューズはそっとジュンの側に寄り、顔を近づける。
    「あ、あの? ミューズさん?」
    「何の夢を見た?」
    「え? ……昔の、えっと、鞠遊びをしていた夢を」
    「昔だと?」
     ミューズに聞き返されて、自分も気付いた。
    「……昔? 記憶が、……戻ってる?」

    「あの、ミューズさん。ホンマに時間、無いんですけども」
    「分かっている」
     ミューズはジュンをもう一度椅子に座らせ、彼の頭を両手で抱え、じっと目をつぶっている。
    「何してはるんですか、一体?」
    「成功すれば、後でお前にもしてやろう」
    「はい?」
    「……、そうか。お前はシュンヤと言うのだな」
    「へっ?」
     ミューズの唐突な言葉に、ジュンは戸惑った。
    「シュンヤ? いえ、僕はジュン……」
    「育った場所はセイコウ。夏の青空と海は、その街の名物。……ふむ」
    「あ、あの? 何を言ってるんですか?」
     ミューズは目を開き、ジュンの目をじっと見つめた。
    「お前の夢を読んだ。
     ドクターから聞いた話だが、夢と言うのは己の古い記憶を整理する働きがあるそうだ。そしてそれは、意識的・物理的な操作の奥に眠っている記憶も掘り起こすのだと」
    「……言うてる意味、さっぱり分からへんのですが」
    「お前たちは記憶が無いと言っていたな? もしそれが何らかの衝撃による記憶喪失、もしくは洗脳の類によるものであっても、夢の中まではその影響は及ばない。
     今、夢によって掘り起こされた記憶の欠片から、ジュンの記憶を戻せるだけ戻してみよう」
    「ミューズさん、何でそんなコトを?」
     唖然とするヘックスに対し、ミューズはイラついたような表情を浮かべる。
    「時間が無い、と言うのは分かっている。だが……」「あ、いや」
     ヘックスはバタバタと手を振り、思ったことを素直に述べる。
    「ドミニク先生やドクター側のミューズさんが、何であの人たちの邪魔をするようなコトするんかな、って」
    「……? 意味が分からないな。記憶を失ったことと、ドクターたちに何の関係が?」
    「え……?」
    「まあ、いい。ともかくこれは、味方に対する手助け、サービスみたいなものだ。……過分に、私の興味も関係しているが、な」
     ミューズはまた、目を閉じた。
    「少し、頭が痛くなるかも知れない。我慢してくれ」
    「は、はい」
     応えた次の瞬間、ジュンの頭の奥から、まるで頭にひびが入ったような痛みが噴き出してきた。
    「……っ!」
     ジュンはそのまま、意識を失った。
    蒼天剣・想起録 1
    »»  2009.08.20.
    晴奈の話、第367話。
    明らかになった行方。

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    2.
    「……目、覚めたか?」
     ジュンはまた、机から顔を上げた。
    「あ、はい」
     夢の中から引き起こされた先程と違って、頭の中は妙に澄み渡っている。心なしか、声をかけてきたヘックスの顔もすっきりしているように見える。
    「……思い出したんや、全部」
    「え?」
    「ミューズさん、ホンマに感謝しますわ」
    「礼などいい。洗脳が魔術で解けると分かっただけでも、魔術師の私としてはいい収穫になった」
    「はは……」
     ヘックスは妙に浮かれた顔をしている。
    「あの、ヘックスさん。思い出したって……」「ケインや」「え?」
     ヘックスはニヤ、と笑って椅子に座り込んだ。
    「オレの、ホンマの名前。ケイン・ロッシーやった。……何や、ヘックス・シグマて」
    「じゃあ、本当に……」
    「ああ、思い出した。……そうや、確かにコウの言う通りやった。オレは央中東部の、カッパーマインっちゅうところの出身や。荒れた街で、オレは死にかけたところをドミニク先生に拾ってもろたんや、……けど」
     記憶を取り戻して躁状態になっているのか、次第に怒り始めた。
    「それと記憶消されるっちゅうのは、別の話や! ふざけんなや、あのオッサン!」
    「怒っている場合ではないだろう、ヘックス、……いや、ケインと呼んだ方がいいか?」
     ミューズがたしなめると、ヘックスは一瞬動きを止め、ポリポリと頬をかいた。
    「……あー、でもなー。あんまり『ケイン』やった時の思い出に、えーコト無いからなぁ。めんどいし、ヘックスのままでえーわ。
     そんでジュン、お前の名前は何やったんや?」
     ヘックスに問われ、ジュンは改めて自分の記憶を探った。
    「……シュンヤ、です。僕は、……楢崎瞬也」



     記憶を取り戻したとは言え、今は緊急事態である。ともかく3人は、他の「プリズム」を探す前に、一旦医務室に戻ることにした。
    「少しでも人を集めておきたいからな。ドクターも心細いだろう」
    「せやな、……ホンマ言うとドクターにも腹立っとるんやけどな」
    「でも、ドクターは何だかんだ言っていい人ですよ。……ちょっと趣味とか、どうかなって思いますけど」
     精神的にかけられていた枷が無くなったせいか、ヘックスもジュン――瞬也も、饒舌になっている。
    「まあ、なあ。オレたちがケガしたら、ものすごい心配してくれはるし」
    「気前もいいですよね。よくお菓子とかお茶とかもらいました」
    「とは言え洗脳を指示したのも、恐らく彼だろう。……罪滅ぼしのつもりなのかも知れんな」
    「……そう考えると、やっぱりムカつくなぁ」
     オッドについてあれこれとしゃべりながら進んでいるうちに、医務室に到着する。
    「ドクター、ヘックスとジュンを……」
     ミューズが声をかけながら医務室のドアを開け、そこで立ち止まる。
    「何だ、これは?」
     医務室の中は滅茶苦茶に荒らされており、その中央には公安らしき狐獣人の男と、非常に体格のいい虎獣人の女が、オッドを抱えるような形でしゃがみ込み、揃って呆然としていた。
    「な、何や? お、え、……ドクター?」
    「……今、死んだ」
     うろたえつつ声をかけたヘックスに対し、黒服姿の「狐」も、困惑しているらしい様子で応じてくる。
     ミューズは警戒する様子を見せつつ、その二人に尋ねた。
    「お前が殺したのか?」
    「違う」
    「そこの女か?」
    「ちゃう」
    「では、誰が?」
    「ネイビーとか言う、青い髪の猫獣人だ」
    「……はぁ?」
     それを聞いて、ヘックスは信じられない、と言いたげな声を漏らす。
    「アホか、何でネイビーさんがドクターを殺さなアカンねん? 下手な嘘言いなや、ボケ」
    「いや、嘘でも無いらしいぞ」
     事切れたオッドの側にミューズが座り、その死に顔をしげしげと見つめる。
    「遺体の状況からすると、死因はどうやら強化薬を過剰摂取したことによるものらしい。つまり、誰かに過剰に薬を打たれて死んだのだ。我々の強化薬を、な。
     それがもし公安の仕業だとして、何故奴らが我々の薬を使う? わざわざ使う理由が無いし、ましてや我々が開発した薬を、それもドクターに効果があるようなものを持っているわけが無い。
     無論、確かにこの部屋を探れば薬を入手することは可能だろうが、敵であるドクターを目の前にして棚をじっくり物色していると言う状況は、現実的とは到底言えない。
     それを考えれば、公安の仕業では無いと言うことは自明だ」
    「……まあ、そう、やな」
    「あー……、ちょっと聞いてもええ?」
     うずくまっていた「虎」が、ヘックスに顔を向けた。
    「アンタ、どこかで会ったコトあらへん? 何か見覚え、……ちゅうか、方言に聞き覚えあるんやけど」
    蒼天剣・想起録 2
    »»  2009.08.21.
    晴奈の話、第368話。
    分岐点。

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    3.
    「そうかー……、アンタもカッパーマインの生まれかー」
     バートたちとミューズたちは互いに互いの事情を説明し、今何が起こっているのか理解しようと努めた。
    「何や、変な気分やなぁ。……ついさっきまで記憶無くしとったのに、いきなり同郷のヤツに会うっちゅうのも」
    「しかし、ネイビーがフローラと首領に唆されて、ドクターを殺害するとは。……ドミニク先生の身も危ういかも知れん、な」
    「ほっといてええんちゃう?」
     モノの身を案じたミューズに、ヘックスが反発する。
    「今まで散々な目に遭わされたっちゅうのに、何で助けなアカンの?」
    「……この腰抜けが」
     ミューズは非常に侮蔑的な表情を浮かべ、ヘックスをにらみつけた。
    「これまでのことはどうあれ、傷つき倒れたお前を助け、自衛できる力、技術をつけたのは一体誰だ? ドミニク先生だろう?
     その恩を忘れて、何だかんだと理屈をつけて、敵とうだうだ馴れ合うとは。
     まったく、どうしようもない愚図だな」
    「なっ……」
    「否定できるのか?」
     ミューズににらまれ、ヘックスは言葉を失う。
    「……私だけでも行かねば。フローラとネイビーが結託し先生と戦えば、確実に先生は負け、死んでしまう。私を『創ってくださった』恩には、何としてでも報いなければ」
    「ぼ、僕も行きます!」
     瞬也が立ち上がり、ミューズの手をつかむ。
    「シュンヤ?」
    「ミューズさんの言う通りです! そりゃ、僕も誘拐された身ですけど、先生はそれなりに気遣ってくださってましたし」
    「せやから、それは……」「黙れ愚図」「……っ」
     ミューズは瞬也の頭を撫で、うなずいた。
    「分かった。すぐ、ドミニク先生のところに向かおう」
     そう言って、ミューズと瞬也はぱっと姿を消した。
    「……!? 消えた!?」
    「ミューズさんの得意技、『テレポート』や」
     ヘックスはバートたちに背を向け、うなだれている。耳も尻尾も、がっかりとしたようにへたりきっていた。
    「……オレ今、ものっすごいかっこ悪かったなぁ」
    「せやな」
    「敵とくっちゃべってる場合じゃねーぞ。これは逆に、チャンスなんだぜ」
     バートは煙草をふかしながら、今後の行動を図る。
    「話を総合すりゃ、敵の中枢は今、大混乱してるってことだ。トップ同士が反目し、同士討ちを始めてる。そこにうまく介入できれば、殺刹峰を潰す最大のチャンスになる」
    「つ、潰すって」
    「俺たちはそのために来たんだ。……邪魔するってんなら、相手になるぜ」
    「い、いや、その」
     戸惑うヘックスを見て、シリンは小さくため息を漏らす。
    「……話にならんわ。行くで、バート」
    「おう」
     バートとシリンも医務室を後にする。残されたヘックスは、既に冷たくなったオッドの横に座り込んだ。
    「……ドクター。オレって、……アホやな。何したらええんか、分からへんなってきた」



     一方、こちらは晴奈たち。
    「道は……、二つか」
     一行は三叉路に差し掛かっていた。
    「標識も、案内もなし。ノーヒントってわけね」
    「どうするかな……?」
    「二手に分かれるしかないわね」
     相談の結果、晴奈とモール、ジュリアは右通路へ、楢崎と小鈴は左通路に進むことになった。
    「特に何も無ければ、もう一方へ進む。それでいいわね?」
    「ああ、承知した。……気をつけて」
     楢崎が軽く手を挙げ、ジュリアがそれに応える。
    「ええ、そっちもね」
     二手に分かれた後、楢崎たちは下へ降りる階段を見つけた。
    「まだ下に行くのね……」
    「そうらしいね。……まるで地獄か冥府へ続くようだ」
    「瞬二さーん、怖いコト言わないでよー」
    「はは……」
     軽口を叩きながら、二人はゆるやかな階段を下り、先へと進んでいく。
     と、また分岐点に差し掛かる。そしてなぜか、その両方に柵が二重に立てられていた。
    「……? えらく厳重だなぁ」
    「よっぽど、入っちゃいけないトコなのかしら」
    「と、なると……」
     楢崎は柵をつかみ、ガタガタと揺すり始めた。
    「この先に、なにか重要なものがあるって言うことか」
     柵には鍵がかかっており、さらに上下に太い鋲で固定されていたが、怪力を誇る楢崎にはどちらも無いも同然だった。
    「ふんっ! ……よし、外れた」
    「どっちに行こうかしらね。ココで一人になるのは勘弁してほしいし」
    「確かに。じゃあ、とりあえず左に」
     二人は奥へ進む。
     と、通路の壁に鍵束がかかっているのが見える。
    「厳重な柵に、鍵束。……ココって、牢屋かなんか?」
    「そうかも知れないね。……あ、もしかしたら」
     楢崎は鍵束をつかみ、道をさらに進んでいった。
    「……いた!」
    「……な、ナラサキさんですか!? たっ、助けに!?」
     奥にあった牢の中に、この数ヶ月ずっと囚われたままだったエランが座っていた。
    蒼天剣・想起録 3
    »»  2009.08.22.
    晴奈の話、第369話。
    久々のエランと、けものみち。

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    4.
    「あー……、もう来ないのかと心配でしたよぉ」
     数ヶ月ぶりに再会したエランは、げっそりと痩せていた。さらに――。
    「……エラン、アンタ顔変わったわねー」
    「え? ……ええ、髭剃りも与えてくれませんでしたから」
     エランの口元とあごには無精ひげが生えており、そのせいでひげの無かった時に比べると、ずっと大人びて見える。
    「そっちの方がさ、男前じゃん?」
    「そ、そうですか? ……帰ったら、剃り落とさずに整えてみようかなぁ」
     小鈴とエランが話している間に、楢崎がエランの装備を持ってきてくれた。
    「これで全部かな?」
    「あ、はい。ありがとうございます。
     ……うーん。警棒は問題ないですけど、銃は使えそうに無いですね。弾、全部抜かれてます」
     エランはたどたどしく装備を付けながら、いくつか質問する。
    「……それで、今侵入してる真っ最中なんですよね?」
    「ああ」
    「フォルナは、いるんですか?」
    「いや、危険だからね。安全なところで待機しているよ」
    「他の皆さんは?」
    「別の道を探索している。僕たちもこの辺りの探索が終わったら、そちらに合流するつもりだ」
    「じゃあ、僕も手伝います」
     エランの発言に、小鈴が口をとがらせる。
    「そりゃ当たり前でしょ。アンタ、そのために央北まで来たんだし。……あーあ、中身は前のまんまかー」
    「え、あ、……すみません」

     エランを伴い、小鈴と楢崎は牢屋周辺を探索したが、特にこれと言って目ぼしいものは無かった。
    「……じゃ、もう一方の道も見て回りましょ」
     小鈴たちは来た道を引き返し、柵が設けられていた分岐点まで戻ってきた。先程と同様に楢崎が柵を壊し、三人は奥へと進む。
    「……ん?」
    「どしたの? ……あ」
     三人の鼻腔に、思わず眉をしかめてしまうような刺激臭が広がる。
    「獣脂の臭い、かな」
    「そーね、そんな感じ。……こんな地下にも動物が、ってワケでもなさそーね」
    「モンスター、ですかねぇ」
    「……やれやれ、だ」
     三人は武器を構え、用心深く進んでいく。進めば進むほど、その吐き気を催す臭いは強くなってくる。
    「うえ……」
     エランが鼻をつまむ。
    「ゲホ、……きつー」
     小鈴が口にハンカチを当てる。楢崎も顔色を悪くしている。
    「橘くん……、魔術でどうにかならないかい?」
    「……できそーになーいー」
    「……戻りません?」
    「そーしたいのは山々だけどさー、確認しなきゃ……」
     小鈴が反論しかけた、その時だった。
    「グルルルル……」
     何かのうなる声が、通路の先から響いてきた。
    「……なに?」
    「なにって、それは、たぶん」
    「モンスター、だろう、ね」
     楢崎の言葉に、小鈴とエランはゴクリとつばを飲んだ。その瞬間、またうなり声が響いてくる。その音は、明らかに先程よりも大きい――近付いているのだ。
    「……逃げろッ!」
     三人はとてつもない殺気を感じ、一斉に来た道を駆け戻った。



     その後を、ネイビーがヨタヨタと歩いてくる。さらにその後ろには、鎖につながれたモンスターたちがゾロゾロと引っ張られている。
    「ふ、ふふ、ふふっふふふ」
     ネイビーの顔に、今までのような穏やかさも、余裕も、何一つ感じられない。感じられるのは――。
    「終われば……、これが終われば……、この『作業』が終わりさえすれば……」
     己の「親」を殺したと言う深い後悔と絶望感、そして狂気じみた混乱だった。
    「これさえ終われば……、僕を責める者はいなくなる……」

     かつて、あの「魔剣」篠原も、今のネイビーと同じ考えに至った。
     己が罪を犯し続けることに耐え切れず、逃げた先、救いを求めた先は「誰からも責められない」「誰にも叱咤されない」ような状況を創り上げること――即ち、己に反発するもの、反対するものをことごとく葬り去ることで、安心を得ようとしたのだ。
     そしてその意思から出た行動は、紅蓮塞での謀反と旧友の惨殺、そして天原家騒乱と言った悲劇を生んだ。
     もはや、この道――己の利益、保身、安心をひたすらに求め、犠牲の上に犠牲を重ねる「利己」「独善」の行動は、無限の損失しか生み出さなくなる。
     それが、「修羅」へ至る道の一つなのだ。

     ネイビーはフローラとウィッチの甘言に乗ったことを、今さらながら後悔していた。
    「……ふ、ふふっふふ」
     だが、もう止まらない。止められない。
    「逃げるな……、狗ども……、早く楽になれ……」
     ネイビーの心は、既に直せないほどに歪み、崩れていた。
    「早く……、楽にさせてくれよ……ッ!」
    蒼天剣・想起録 4
    »»  2009.08.23.
    晴奈の話、第370話。
    地獄の百鬼夜行。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     小鈴たち三人は、元来た道を必死で駆け上がる。
    「だから、この階段、……ハァハァ、ゆるやか、だったのね」
    「モンスターを、……ゼェゼェ、運び出す、道だったって、……ゲホッ、わけですかぁ」
    「話してる、場合じゃないよ! ともかく、振り切るか、逃げ込むか、しないと!」
     だが、階段を上りきっても、モンスターたちとの差は縮まらない。むしろ、その足音すら聞こえるほどに近づいてきている。
    「……こーなったら!」
     小鈴が立ち止まり、呪文を唱え始める。
    「最大パワー……、『ロックガード』!」
     通路の四方からにょきにょきと岩石が伸び出て、壁を作り出す。
    「コレで、多少は時間稼ぎが、……ゲホ、ゲホッ」
     瞬間的に大量の魔力を消費し、小鈴の呼吸が乱れる。
    「だ、大丈夫かい!?」
    「つ、疲れたぁ」
    「立ち止まってもいられないよ! ……さ、僕の背に乗って!」
     楢崎がしゃがみ込み、小鈴に背を向ける。
    「あ、ありがとー」
     楢崎は小鈴を背負い、勢い良く走り出す。エランもバタバタと足音を立てて、それに続く。
    「ともかく、みんなと合流しよう! 僕たちだけでは、どうにもできない!」
    「はっ、はい!」
     と、後ろの方からごす、ごすと言う鈍い音が響いてきた。モンスターたちが小鈴の造った壁を破ろうとしているのだ。
    「あの感じだと、もって5分かも」
     背中から聞こえる小鈴の声に、楢崎は「……急ごう」とだけ返した。

     一方、バートとシリンも晴奈たちが分かれた三叉路を抜け、小鈴たちがいる方に向かっていた。
    「こっちで良かったんかなぁ? 看板とかあらへんもんなぁ」
    「どうだろうな……」
     二人で思案しながら歩いていると、前方から足音が聞こえてくる。
    「敵か……?」
     シリンが構えたところで、通路の奥から楢崎たちが走ってきた。
    「お、ナラサキさんやん」
    「ああ、良かった! 大変なんだ、実は……」
     楢崎が小鈴を背から降ろしながら説明しようとしたところで、またモンスターの咆哮が聞こえてくる。どうやら壁を破り、またも近づいてきているらしい。
    「……と言うわけなんだ」
    「マジかよ」
     バートは顔色を変え、すぐに銃を構える。それを見たエランがそっと声をかけた。
    「あ、先輩。もし良かったら、銃弾欲しいんですが……」「うお!?」
     バートは声を上げ、エランの顔をしげしげと眺めえう。
    「誰かと思ったら、エランかよ!? 何だ、そのヒゲ面」
    「ずっと監禁されてたんですから、そりゃこうなりますよ……。あの、それで銃弾を」「お、おう。……ほらよ」
     バートから銃弾を受け取ったエランは急いで銃を取り出し、装填する。それを横目で見ていた小鈴が、深呼吸しながら尋ねる。
    「はあ、はあ……。こっちは5人、あっちは何体いるのかしら」
    「恐らくこちらの倍はいるだろうね、あの足音からすると。やはり、黄くんたちと合流した方が良さそうだ」
    「そーね、んじゃ……」
     小鈴が踵を返しかけた、その時だった。
     ガン、と激しい金属音が前から響く。
    「な、何!?」
    「あ……!」
     向かおうとした先に、柵が落ちたのである。
    「くそ、封鎖されたか!」
    「ここで僕たちを仕留めるつもりらしい! 早く引き上げないと、……ふぬ、っ……!」
     楢崎が柵を引き上げようとするが、先程のものと違い、なかなか動かない。
    「変、だな、ちっとも、動か、ない、……ぐっ、……ぬっ、……引っかかってる、感じが、……ぬううっ……」
    「返しかなんか付いてんだろうな、……ああくそ、近付いて来る!」
    「開け、開けええええ……ッ!」
     バートとシリンも楢崎に加勢するが、やはり柵はびくともしない。
    「ど、どうするんですか!?」
     柵と背後とをきょろきょろ見返すエランに、小鈴が半ば怒鳴るように言った。
    「どうもこうも無いわよ! 覚悟決めなさい!」
     小鈴はもう一度深呼吸し、「鈴林」を構える。他の四人も柵を破るのを諦め、モンスターが寄って来るのを待ち構えた。
    「……来たか!」
    「でけぇ!?」
     やってきたのは体長3メートルはあろうかと言う、恐ろしくけばけばしい体毛をした、何かの獣だった。
    「何か」と言うのは――。
    「……何だありゃ?」
    「脚は、……虎? 尻尾は、……何?」
    「何かウネウネ動いてますよ……」
    「もしかして、蛇、なのかな」
    「なあ、……なんや、羽生えてへんか?」
    「あ、ああ……。コウモリみたいな、羽、だな」
     五人がこれまで見たことの無いような、異様な形を成していたからだ。それはもう、「何か」と形容するしかなかった。
     と、その頭部を見て、シリンが息を呑む。
    「……マジェスタ?」
    「え?」
    「あ、あの、顔……。ウチと、……」
     突然、シリンはうずくまる。
    「ウチと、エリザリーグで戦ったヤツや……」
     それを聞いたバートの血相が変わる。
    「そうか……。そう言や、俺がクラウン一味の潜入捜査を始めたきっかけも、518年後期エリザリーグの出場者が消えたから、だった。
     そう、エイト・マジェスタだったっけ。……お前と同じ、『虎』の」
    「……いなくなったと思うてたら、こんなトコにおったんか。
     次も、一緒に頑張ろなー、って、言うてたのに。何で、急にいーひんなったんやろって、思てたんや。……そっか、そうやったんやな……そっか……」
     シリンがふらりと立ち上がり、前に進む。
    「……もう嫌や、こんな地獄」
     次の瞬間、ベチっと言う鈍く、重たい音が通路に響く。
    「もう嫌やあぁぁ! こんな、……こんな、えげつないクソ組織、とっとと潰したるうぅぅぅッ!」
     シリンは泣きながら、そのモンスターを蹴り飛ばしていた。



     小鈴たち五人は、何匹ものモンスター相手に、敢然と戦った。
     どれもこの世のものとは思えない、異形の猛獣たちを、十匹、二十匹と屠っていく。
     そしてロウの直接の仇だった、あの男も――。
    「……今度は、クラウンかよ」
    「すっかり……、変わり果ててしまった、ようだね」
    「……あたしももう、気がおかしくなりそう」
     どのモンスターも、顔にまだ、人間だった時の名残を残していたが、それがかえって、五人の士気を落としていく。
    「ブゴッ、ゴッ、……ゴアアアアア!」
     爛々と照り光る赤く濁った目が、五人をにらみつけてくる。
    「……くそ、弾切れだ!」「こ、こっちももうありません!」
     バートとエランが青ざめる。
    「ハァ、ハァ……、ゲホ、うえええ……」
     小鈴がこらえきれず、えづきだす。
    「ひーっ、ひーっ……」
     シリンの精神も限界に達したらしく、仁王立ちになったまま動かない。
    「……くそっ、これまでか」
     五人全員が、死を覚悟した。
    蒼天剣・想起録 5
    »»  2009.08.24.
    晴奈の話、第371話。
    援軍と、卑怯者の末路。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     その時だった。
    「みんな、通路の端に! しゃがんで!」
    「え……!?」
    「早く!」
     言われるがまま、五人は体勢を低くする。
     それと同時にバズ、バズッと言う重たい破裂音が、五人の背後から聞こえてきた。
    「今の音……、散弾銃!?」
    「遅くなっちまいましたっス、すみません先輩!」
    「え? な、その声、まさか……!?」
     バートが振り返ると、そこにはヨロヨロとふらつきながら散弾銃を構えるフェリオと、それを支えるフォルナが立っていた。
    「グボ、ゴボアアアア!」
     フェリオが放った大量の散弾は、目の前にいた元クラウンの胸に大穴を開けた。元クラウンは血ヘドの混じった叫び声を上げ、うずくまる。
     そして奥からも、同様の叫びがこだましてきた。どうやら弾は元クラウンの体を貫通し、背後のモンスターにもダメージを与えたようだ。
    「先輩、これどうぞっス!」
     柵越しに、フェリオが散弾銃を渡してくる。
    「……ありがとよ、フェリオ、それからフォルナ!」
    「礼には及びませんわ。……それからエラン、あなたにも」
    「あ、ありがとうございます」
    「ですから今は礼など……、あら?」
    「は、はい……?」
     フォルナはまじまじとエランの顔を見つめ、クスクスと笑い出す。
    「随分お顔が精悍になったようですわね。帰ったらそのおヒゲ、整えてらしてはいかがかしら?」
    「え、……ええ、そうしてみます」
    「お勧めいたしますわ。……さあ、反撃いたしましょう!」
     フォルナは杖を構え、元クラウンに向かって石つぶてを放つ。
    「『ストーンボール』!」
    「ゴホ、ゴア、ゴッ」
     フェリオ、バート、エラン、そしてフォルナによる散弾と土の術のラッシュで、ついに元クラウンが倒れる。
     そして背後にいたモンスターたち、そしてそれらを率いていたネイビーにも、ダメージが及び始めたらしい。
    「う……っ」
     明らかにモンスターのものではない、人間の叫び声が聞こえてきたからだ。
    「あそこか!」
     バートは散弾銃から拳銃に持ち替え、わずかに残っていた徹甲弾を込めて、悲鳴のした方向にきっちり、照準を合わせる。
    「クソみてーなことしやがって……! ブッ飛べッ!」
     バートはいまいましげに言い放ちながら、引き金を絞る。
     放った徹甲弾は正確にネイビーの胸を捉え、通路の奥深くに弾き飛ばした。

    「柵のロックは、こっちのボタンで、解除できたっぽいっス。ただ、上げるボタン押しても、全然動かなくて」
     柵越しに申し訳なさそうな顔で説明するフェリオに、小鈴がこう返す。
    「瞬二さんが力任せにガチャガチャやってたせいじゃない?」
    「ははは……、面目無い。でもロックが外れてるんなら、後は何とかできるかな」
     楢崎は苦笑しつつ、柵を持ち上げる。
    「ふぬっ、ぬおおお……ッ!」
     柵が上まで上がったところで、ガチャ、と音を立て、柵は元通りに天井へ納まる。
    「助かった、ロードセラーくん。……それから、ファイアテイルくんにも」
    「そう言ってただけて光栄ですわ、ナラサキさん」
     楢崎とフォルナは互いに複雑な表情を浮かべつつも、ガッチリ握手した。
    「フェリオ、お前大丈夫なのか? こんなところまで来て……」
     バートが座り込んだフェリオに尋ねると、フェリオは青い顔をしながらもニヤリと笑った。
    「そりゃ、辛いっスけど、……先輩たちに任せて、自分はのんびりなんて、そっちの方が気分的に辛いっスからね」
    「……ったく」
     バートはフェリオの前にしゃがみ込み、腕を取る。
    「さっき、ドクター・オッドから解毒剤を手に入れた。これを注射すれば……」
    「……ありがとうございます、先輩。何度も、助けてもらって」
    「後輩助けなくて、先輩面できっかよ、はは……」
     薬を打たれてからしばらくして、フェリオの顔色が若干良くなってきた。
    「あー……、何か、体が軽くなったような気がします」
    「つっても、今まで衰弱してたんだ。……あんまり無茶すんなよ?」
    「了解っス」
     小休止するうちに、全員の士気もふたたび上がってきた。
    「さあ、危険も去ったことだし、黄くんたちに合流しよう」
    「ええ、そーね。バートの話じゃ今、大混乱してるって言うし、急いで攻めましょ」
     フェリオ、フォルナを加えた七名は、晴奈たちの向かった先へと足を向けた。



     小鈴たちが離れてから、数分後。
    「……ぐ……はっ……」
     閉ざされた通路の奥から、うめき声が聞こえてきた。
    「くそ……」
     ゆっくりと起き上がったネイビーは、胸を探る。
    「……う、がっ!」
     胸の奥から、ポトリと徹甲弾が落ちた。
    「ふ、ふっふ……、分かってない、みたいだ。……僕は、人形なんだと、何度言えば」
     ネイビーはヨロヨロと立ち上がり、柵へと歩き出す。
    「一度だけじゃなく、二度も僕を虚仮にしやがって……! 今度こそ、皆殺しに……」
     だが、何かに足首をつかまれ、ネイビーは前のめりに倒れる。
    「うわっ!? ……な、なんだ?」
    「……グ……ゴ……」
     死んだと思っていたモンスターたちが、ネイビーの周囲に群がり始めた。それを見たネイビーは、ふたたび笑い出す。
    「あ、ああ! まだ生きていたのか! ……ふふ、ふふふふ。よし、これなら確実にあいつらを……」
     だが、喜びかけたところで、ゴリッと言う音が聞こえてきた。
    「え……?」
     ネイビーが音のした方を見ると、血まみれになったモンスターが自分の足首を食いちぎっていた。
    「なっ、何をする!?」
    「……ガ……グゥ」
     毒のあるネイビーの体を、左膝のところまで食いちぎったモンスターは、どさりと倒れ、動かなくなる。
    「や、やめろ! 動けなくなるじゃないか!」
     だが、モンスターたちは止まらない。ネイビーの左脚が食われ、右脚にも食いつかれる。
    「おい、よせ! 僕は、僕は餌じゃ……!」
    「……グ、……ゴフ」
     ネイビーの体を食ったモンスターたちは、次々に倒れていく。続いてネイビーの両手も食われ、胴にかじりつかれる。
    「やめろ……! やめ……」
     バキ、と音を立てて、ネイビーの頭が噛み砕かれた。

    蒼天剣・想起録 終
    蒼天剣・想起録 6
    »»  2009.08.25.
    晴奈の話、第372話。
    語るモール。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     小鈴たちがネイビーを退けた一方で、晴奈も敵に遭遇していた。
    「はあッ!」
    「く……ッ!」
     相手は、キリアである。
     しかし苦戦を強いられた小鈴たちとは違い、こちらはさほど苦しめられても、競り合っているわけでもなかった。
     力量、経験、どれをとっても、晴奈が圧倒していたからである。
    「いい加減、に……!」
     キリアが薙刀を振り回し、あの不可視の斬撃、「三連閃」を放つ。
    「甘いッ! 既にその技は見切っているッ!」
     晴奈がキリアの放った技を紙一重で避け、薙刀の先端に「火射」を当て、焼き切った。
    「あ……っ」
    「勝負あったな」
     キリアは刃が無くなり、ただの棒となった薙刀を捨て、その場に座り込んだ。
    「……私の負けね。殺しなさい」
    「断る」
     晴奈は刀を納め、キリアの横を通り過ぎようとする。
    「敵に情けをかけるつもり?」
    「いいや」
     晴奈はくる、とキリアの方に顔を向けてこう言った。
    「勝負が決したと言うのに、わざわざ刺さずとも良いとどめを刺すほど、私は血に飢えていないし、暇でも無い。大人しくそこでじっとしているがいい」
    「もしかしたら」
     キリアが食い下がる。
    「あなたが背を向けた瞬間、そこに落ちた薙刀の先端を、あなたに向かって投げるかもしれないじゃない。それなのにとどめは、刺さないと?」
    「愚問だ。そんなものを食らう私では無いし、刃は既に焼いて潰している」
    「……勝てる要素なんて無かった、ってわけね」
     晴奈はそれ以上応えようとせず、モールたちが向かった先へと向かおうとした。

     晴奈たちが選んだ道は、幹部たちの居住区、そして執務区だった。当然警備も厳重だったが、晴奈とモールの敵ではなかった。
     正面突破に成功し、晴奈たちはモノたちの執務室の、一つ手前まで進んでいた。ところがそこに、薙刀を持ったキリアが待ち構えていたのだ。
     晴奈はキリアを足止めし、モールとジュリアを先へと進めさせた。



    「モノ……、とか言うのはいないみたいだねぇ」
    「ええ、そのようね」
     キリアの警備を抜けたモールとジュリアは、モノの執務室に押し入っていた。ところが、部屋の主はどこにも見当たらない。
    「ま、いなきゃ相手しないだけだけどね。残るは、オッドって言うオカマ猫と、……あいつか」
    「あいつ? モノと、オッドと……、他の幹部と言うと」
    「ほれ、のっぺらぼうが言ってたじゃないね、『首領』って」
    「ああ」
     そこでジュリアは、モールの言い方が気にかかった。
    「ねえ、モールさん。『あいつ』って言っていたけれど、その首領が誰だか、分かっているような言い方ね? 知っているの?」
    「……確証は無いけど、多分知ってるヤツだね」
    「それは一体、誰なの?
     我々の捜査網においても、央北に入るまで一度もその輪郭すら浮かばなかった人物――通称や経歴、種族、性別に至るまで、その個人情報の一切が浮上しなかった人物――を、何故あなたが知っているのかしら?」
    「一々しゃべりがくどいね、赤毛」
     モールはモノが使っているであろう机に腰掛け、杖をさすりながら語り始めた。
    「私は一度、あいつとある意味で、ニアミスしたんだ。昔、ある本を探していた時にね。
     そいつは私の前に、数十人もの手下を差し向けてきた。んで、『あなたの秘術、神器、経験……、いいえ、すべてを奪う』ってご大層にのたまって、私を襲ったんだ。戦った時、私がずっと捜し求めていた本の内容に、限りなく近い術を――とてもとても古い術式をベースにしていたから、それだとすぐに理解できた――使って、私を央北中追っかけまわしたんだ」
    「それ、同じような話をコスズから聞いたことがあるわ。あなたが、追いかけられていたのね」
    「ああ、小鈴とはその時に知り合った。……ハハハ」
    「……?」
    「ま、関係ないけど、小鈴と会った時に、懐かしい子とも会ったりしてね。今では楽しい話だけど。
     でもその時は、本気で最悪の状況だったね。私は――比喩でなく――一度死んだ。でも、私の術やら神器やらは奪われずに済んだし、何とかヤツらに捕まるコト無く、央北を脱出できた。
     ……今思えば、あそこで逃げなきゃ、あいつの尻尾をつかむコトくらいはできたんだ。当時の私は、その手下共が使ってたのは『原本』のコピー術としか思ってなかったし、あいつが裏で手を引いてるなんて、思いもしなかったからね。
     よくよく無駄足を踏んじゃったもんだね、まったく」
    「ねえ、モールさん。あなたも話し方がくどいわね?」
     ジュリアに突っ込まれ、モールは耳をピクリとさせる。
    「あん?」
    「いつまでも『あいつ』『あいつ』と言われても、ピンと来ないわ。その人、名前は何と言うの?」
    「……あー、うん。確かに、ね。
     そいつの名前はクリス・ゴールドマン。でも多分、本名じゃないね。本当の金火狐一族なら起こっている戦争に乗っかりこそすれ、自分から戦争を仕掛けるようなコトはしないからね」
    「クリス……?」
    「元は、中央大陸を渡り歩く書籍商だった。価値の高い本を集め、売買するのが生業。その本を手に入れたのも、その商売の関係だった。
     もう30年以上も前に、央南人の古美術商で柊雪花と言う女が、その本を手に入れたんだ。んで、古い本だってコトで、商人仲間だったクリスに売った。その後、クリスはその本の価値に気付き、解析を進めると共に一部分、一部分をあっちこっちの魔術師に売りまくった。
     知ってるかい、赤毛。ちょっと前に央南で起こった、天原家騒乱。あの事件を起こした張本人の天原桂もその一部分、コピー本を持ってたんだ」
    「アマハラ……、聞いたことがあるわね。確か、様々な人間を誘拐し、人体実験を行っていたとか」
    「そう。その人体実験の成果こそ、その本に載っていた内容そのもの――人間をモンスターへと変化させる、『魔獣の本』の内容なんだ」
    蒼天剣・邪心録 1
    »»  2009.08.28.
    晴奈の話、第373話。
    賢者たちの対峙。

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    2.
     モールはひょいと机から降り、うろうろと部屋の中を歩き回りながら話を続ける。
    「ところがある時点から、クリスはコピー本の販売をぱったりとやめてしまった。もっと大儲けできる方法を手に入れたからだろうね」
    「もっと、大儲け?」
    「殺刹峰って麻薬やら不法魔術、人身売買やらの、非合法の商売によって莫大な利益を上げ、その結果たっぷりと、資金を蓄えてるんだってね。
     そしてクリスが解析した『魔獣の本』による強化術やら攻撃術やらで武装した、私設軍隊も持ってる。
     やろうと思えばちっさい国ぐらい攻め落とせるくらいの、物騒で侮れない勢力に成長してるんだよね」
    「どこかの国を? つまり、クーデターがその、クリス氏の目的だと?」
    「そうだろうね、きっと。多分、克暗殺だの、黒炎教団打倒だのは、クリスの眼中にゃ無いだろうね。そんなコトよりもどこかの国の女王サマに納まった方が、どれだけ儲けになるか」
    「でもそれは、モノやオッドが許さないでしょう? 彼らはカツミ暗殺のために、殺刹峰を創り上げたんだし」
    「だろうね。ま、敵の内情なんかどうだっていい。私らの目的は、殺刹峰を潰すってコトだしね」
    「そうね。
     ……ここにいても収穫は無さそうだから、他の部屋を当たりましょう」
    「そうしようかね」
     うろうろ歩き回っていたモールは、すっと部屋を出た。

     廊下を見渡したが、敵の姿も、晴奈が駆け寄ってくる様子も無い。
    「まだ、あの緑っ娘と戦ってるみたいだねぇ」
    「……ねえ、モールさん」
     ジュリアは眼鏡を直しつつ、尋ねてみる。
    「ん?」
    「あなたもしかして、人の名前を覚えるのは苦手な方なのかしら? 私のことも、ずっと『赤毛』だし」
    「いいや」
     モールはフン、と鼻で笑って返す。
    「興味ある人間以外、覚える気が無いんだよね。
     さっきの狼っ娘も何だかんだ名乗ってたけど、どーせ晴奈が倒すだろうし。この戦いが終わったら、君と会うコトも二度と無いだろうしね」
    「……まあ、そうね。じゃあ進みましょうか、ボロまといの魔術師さん」
    「へっ」
     と、通路の突き当たりに、いかにも物々しい扉がある。
    「あれが、首領の部屋かねぇ?」
    「その可能性は高いわね」
     と、モールが真面目な顔になる。
    「赤毛、もし戦うコトになったら、私の後ろにいた方がいいね」
    「え?」
    「クリスは相当の魔術師になっているはずだね。多分君なんかじゃ、勝ち目は無い」
    「随分な言い方ね」
     憮然としつつそう言ったジュリアに、モールがまた、小馬鹿にするような薄い笑みを浮かべた。
    「だって君、私に勝てる?」
    「……いいえ、そんな気はしないわ」
    「恐らくクリスは、私とほぼ互角の力を持っているはずだね」
     それを聞いたジュリアは目を丸くする。
    「モールさんと同じくらい? 賢者と称された、あなたと?」
    「ああ。つっても、私の『この体』も、もうガタが来てるんだ。もう何年も、かなりの無茶をさせてきたからねぇ。もうあんまり、高出力の魔術は唱えられない。
     やりすぎたら、いい加減『壊れちゃう』ね」
    「え……?」
     ジュリアはその言い方に違和感を覚えたが、それを尋ねる前に、モールはずんずんと奥へと進んで行ってしまった。

     扉を開け、モールは数歩進んだところで立ち止まる。ジュリアも忠告された通り、モールの背後に立つ。
     扉の向こうには、真っ暗な空間が広がっていた。
    「クリス。君なんだろ、首領は」
     モールは暗闇に向かって、静かに声を放つ。しばらくして、ひどく弱々しい女の声が返ってきた。
    「モール……。なつかしい……わね」
    「やっぱり、君だったんだね」
    「ええ……そうよ……わたしが……首領……」
     真っ暗な部屋の中で、モールとクリスはやり取りを続ける。
    「雪花が死んで、もう何年になるだろうね」
    「確か……そう……30年以上……」
     ぽ、と暗闇に灯りが一つ現れる。
    「その30年間、君は一体何をし続けた?」
    「色々……やったわ……」
     もう一つ、灯りがともる。
    「そう、色々だ。色々、えげつないコトをした。禁呪を世に放ち、他人を食い物にし、さらには、これからよりたくさんの人間を不幸にしようとしている」
    「心外……ね……」
     話している間にも、灯りの数はどんどん増えていく。
    「わたし……は……少なくとも……二人……幸せに……しているわ……」
    「へっ、どうせ君と花乃だけだろう? いや、花乃すら幸せにできてるかどうか、分かったもんじゃないね!」
    「ハナノ……? ああ……あの子……昔はそんな……名前だったかしら……」
     やがて、部屋の中がうすぼんやりと照らされ始めた。
    「今は……そんな……つまらない……名前じゃ……ない……。今は……フローラと……名乗らせているわ……」
    「雪花に失礼だと思わないね? 花乃は雪花の娘だ。名前を勝手に変えるなんて、親友に対する冒涜だろう?」
    「いいじゃない……そんなこと……。今は……わたしの……娘よ……」
     大広間の奥に座っている、痩せた狐獣人の女が、弱々しく、しかしふてぶてしく構え、モールに応えているのが見え始めた。
    「わたしの……ものを……わたしが……どう呼ぼうと……わたしの……勝手でしょう?」
    「いいや、花乃は君のものじゃない! 雪花のものだッ!」
     モールはいつになく語気を荒げつつ、杖を構えた。
    「やる気……ね……モール……」
     クリスも膝に置いていた本を手に取り、ゆらりと立ち上がった。
    「……それ……なら……――それなら、本気で行かせてもらうわ!」
     クリスの目が、まるで飢えた野獣のように照り光る。
    「強化術……『ライオンアイ』!」
    「古代の術……。とっくの昔に失われた、己の肉体を変形させるほどの身体強化術か。使いすぎれば、肉体が耐え切れず崩壊してしまう。……ソレを承知で、使うんだね?」
    「あなたの秘術を手に入れさえすれば、こんな老いさばらえた体がどうなろうと!
     死ね、賢者モールよ!」
     クリスの持っていた本から、紫色の光が噴き出す。
    「そしてその残滓(ざんし)で我が魔術を、我が野望を完成させたまえ!」
    「……秘術に溺れ、良識を失ったか。なーにが『我が野望』だってね。
     んなもん、ココで完膚なきまでにブッ潰してやるね!」
     モールの魔杖も、対抗するように紫色の光を帯びる。
     二人の賢者が放つ膨大な魔力の波動が、大広間全体を激しく揺らし始めた。
    蒼天剣・邪心録 2
    »»  2009.08.28.
    晴奈の話、第374話。
    殺刹峰、最強の敵。

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    3.
    「……?」
     モールたちのところに向かおうとした晴奈は異様な感覚を覚え、足を止めた。
     異様と言っても、それは敵からの殺意であるとか、怖気であるとか、そのような警戒心ではなかった。また、モールとクリスが戦い始めたのを察知していたわけでもない。
     こんな場所で感じるにはあまりにも場違いな、妙な懐かしさが晴奈の心に、急にこみ上げてきたのだ。
    「あ……」
     背後から、キリアの驚いたような声が聞こえてきた。
    「フローラさん!」
    「その様子だと、負けたみたいね」
     もう一人、落ち着いた女性の声がする。その声に、晴奈は聞き覚えがあった。
    「……!?」
     振り向こうとしたところで、キリアの短い悲鳴が聞こえた。
    「な、何を……っ」
    「あなたは、いらない子ね」
    「ひ……!?」
     そのまま、キリアの声が聞こえなくなった。
    「おい、一体何を、……っ!?」
     振り向いたところで、晴奈は硬直した。
     それも、キリアが胸元を斬りつけられ、服を真っ赤に染めて倒れていたからだとか、百戦錬磨の自分がまったく気付くことなく、すぐ後ろまで敵が来ていたからだとか、そう言った理由からではなかった。
     その、すぐ背後にいた敵が、自分の師匠――雪乃にそっくりだったからだ。
     黒に近い、深い緑色の髪。一見線が細く、柔らかに見えるが、しっかりと剣を握る姿。そして優しげな笑顔は、どう見ても雪乃にしか見えない。
    「し、師匠……!?」
    「師匠? 誰のことかしら?」
    「……いや、そんなわけが!」
     晴奈はこの時初めて警戒し、その長耳の女との距離を取った。
    「誰だ、貴様はッ!」
    「人に名前を聞く前に、自分から名乗るのが央南人の礼儀ではなかったかしら? ……まあいいわ。
     私の名前はフローラ・『ホワイト』・ウエスト。殺刹峰の精鋭部隊、『プリズム』のリーダーよ。……さっきまでは、だけれど」
    「さっき、までは?」
     フローラと名乗った長耳は、雪乃そっくりの美しい笑顔を作る。
    「そう。今は殺刹峰のナンバー2になったわ。あなたたちのおかげでね」
    「……意味が分からない。どう言うことだ?」
    「あなたたちがここに来てくれたおかげで、殺刹峰の内部はいい感じに混乱してくれた。その隙を突いて、わたしとクリス母様は今まさに、殺刹峰の全指揮系統を奪っている最中なの。
     ありがとね、セイナ」
     そう言ってフローラはにっこりと笑う。その笑顔は確かに美しかったが、間違い無く悪意が込められているのが、晴奈にはびしびしと伝わっていた。
    「……何故、私のところに?」
    「あら、勘違いしないで、セイナ。わたしはドミニクに用があるのよ。……と言っても、どうやらあなたと間違えてしまったみたいだけれど」
    「私と、間違えた?」
    「ええ、あなたのオーラはドミニクによく似ているわ。死線を何度も潜った戦士特有の、ギラついた『修羅』のオーラ。
     キリアと一緒にいたから、てっきりドミニクだと思っていたのに」
    「話がよく見えない。そんなに似ているのか?」
     晴奈はフローラの言っていることが今ひとつ理解できず、ただただにらむことしかできない。
    「似ていると言っても、オーラが、よ。……ああ、言い忘れていたわ。
     わたしはね、セイナ。他人の放っている生気とか、魔力だとか――いわゆる『オーラ』を、この目で見ることができるの。そして、その力を応用して、他人のいる位置がある程度把握できる。……そうね、一つ証拠を見せてあげよっか?」
     そう言うとフローラは顔を上げ、晴奈の背後を見つめた。
    「あなたの仲間が二人、奥へ行ったようね。そのうち一人は、戦闘能力は大したことない。だけどもう一人は、絶大な力を持っているわ。
     公安職員とモールかしら?」
    「……!」
     言い当てられ、晴奈は目を丸くする。それを見たフローラは、またにっこりと笑った。
    「当たりのようね」
    「……それで、どう言うつもりだ、フローラとやら」
    「んっ?」
     晴奈は冷汗をこぼしながら、さらに距離を取る。
    「殺刹峰を奪っている最中、と言ったな? ならば我々の敵ではない、と?」
    「意外とお馬鹿さんね、クスクス……」
     フローラは口に手を当て、楽しそうに笑う。
    「将来的に央中を攻略する可能性を考えれば、どっちみち公安は敵。それに与するあなたもね、セイナ。
     それとも、わたしたちと手を組むつもりなのかしら?」
    「笑止。お前たち殺刹峰は到底、許しておけぬ。どの道非道を働くつもりであれば、この場で成敗してくれよう」
     そこで晴奈は刀を抜き、構えた。
    「ふふっ、成敗ですって?」
     フローラも剣を構える。
    「おかしなことを言うのね、セイナ。あなたが、わたしに勝てると思っているの?
     技術はもとより、別の理由でも、あなたはわたしに勝てないのよ」
    「別の理由? 何のことだ?」
     フローラはまた、にっこりと笑う。
    「自分の師匠の縁者を、何の迷いも無く斬れるのかしら?」
    「縁者、だと?」
    「知っている、セイナ? わたしの、フローラと言う名前。何て意味か、知っているかしら?」
    「……?」
     フローラの美しい笑顔には、禍々しい悪意がにじみ出ていた。
    「古い央北の言葉で、『花』を意味するの。
     わたしは知っているのよ、セイナ。あなたがユキノの弟子だと言うことも、あなたがユキノの過去をセッカ母様の日記で知ったと言うことも。
     それから、ユキノにはハナノと言う妹がいたと、あなたが知っていることも」
    「……!」
     晴奈の構える刀の、その切っ先が、ビクッと跳ねた。
    蒼天剣・邪心録 3
    »»  2009.08.28.
    晴奈の話、第375話。
    ウエスト母娘の真意。

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    4.
    「まさか……、お前は、花乃だと?」
    「ええ。本当の名前は、ハナノ・ヒイラギ。でも、その名前はもう捨てたわ」
     動揺する晴奈に対して、フローラは依然ニコニコと笑って構えている。
    「先程、『クリス母様』とか言っていたな。とすると、雪花殿から本を買ったクリスと言う女も、この殺刹峰にいると言うことか」
    「察しがいいのね、セイナ。そう、クリス母様はこの殺刹峰の、名目上の首領だった。
     でも兵士の指揮や管理に関してはドミニクとドクターの管轄であり、わたし自身も『プリズム』のリーダーといえど、勝手にみんなを動かすことはできなかった。
     だけどこの混乱に乗じて、さっきドクターは消した。後はドミニクと、ドミニクたちの思想を盲信している塵、芥どもを消してしまえば、晴れてこの殺刹峰はわたしたち母娘のものになる」
    「ドミニクの思想? 『黒炎殿を倒す』と聞いたが、それか?」
    「そう。……うふふっ。本当にねぇ、ドミニクたちが本気でそんなことをしようとしているのがおかしくて、おかしくて……」
     フローラの笑い方は、一見すると確かに美しく見える。
     だが、今までうっすらと放っていた悪意と、それを裏付けするように包み隠さず吐いてきた言葉のせいか、その屈託の無い笑顔は邪悪な雰囲気をぷんぷんと臭わせている。
    「大局的に見れば、カツミを倒すことなんて何の利益も生まないわ。
     カツミはこちらから何も仕掛けなければ、何の反応も見せない。攻めようと思わなければ、攻撃されることも無い。今の彼には、自分から動く理由なんて何も無いのだから。なのにわざわざ、藪を突くような真似をドミニクとドクターはしようとしている。
     そんなことせずに、今まで築き上げた殺刹峰と言う勢力を他のことに活かせば、いくらでも利益が上げられると言うのにね」
    「つまりお前たち母娘は最初から、殺刹峰を自分のものにするために行動していたと言うことか。その二人を、何年もだまし続けて」
    「そうよ。そして今、機は熟した。
     後はわたしたちに刃向かう者と侵入者をみんな消して、組織内の意思統一を行うだけ。
     あなたも消えなさい、セイナ・コウ」
     そこでフローラが攻撃を仕掛け、話は終わった。

     唐突に襲い掛かってきたが、晴奈はその初太刀を難なくかわした。
    「っ!」
    「あら、やっぱり素早いわね」
     晴奈が避けたその背後の壁には、三筋の刀傷が刻まれていた。
    「やはりお前も、『三連閃』とやらを使うようだな」
    「ええ、わたしたちの戦闘技術はすべて、ドミニクから教わったものだから」
     そう言ってフローラは、もう一度「三連閃」を放つ。
    (この技……)
     だが、晴奈はこの技を既に見切っている。
    (一太刀目は囮だ。本命はその直後に放つ、二太刀目、三太刀目。もしくは、一太刀目、二太刀目が囮で、三太刀目が本命。どちらにしても……)
     晴奈は一太刀目を紙一重で避け、すぐ後に来る二太刀目の軌道を読んで、刀で弾く。
    (一太刀目を受ければ、その後の攻撃に対応が間に合わず、切り刻まれる。
     ならば一太刀目はあえて受けず、後の太刀筋を断てばいい。そうすれば後の攻撃は、勝手に逸れる)
     晴奈のにらんだ通り、フローラの三太刀目は晴奈から大きく外れた。
    「……ふうん、流石ねセイナ」
    「私をなめるな、フローラ。
     そもそも、お前が師匠の縁者だろうと何だろうと、悪事を働くと言うのならば止めるまでだ」
    「ふふっ、大した正義漢ね。……虫唾が走るわ」
     フローラはまた斬りかかってくる。だが、これも晴奈は受けきった。
    「正義とか大義とか、そんなもの守る必要があるのかしら?
     この世は金や力がものを言うのよ。そんな形も利益も無いものを大事に守って、一体何になるの?」
    「浅い考えだ……!」
     今度は晴奈が仕掛ける。
    「仁義、礼節を守らずして、何が人間か! それを一欠片も守ろうとしないお前は、ただの獣ぞ!」
     晴奈の刀に火が灯り、「火射」が放たれる。
    「義に生きなければ、人間じゃないって言うの? ……なら、わたしは人間じゃなくていい」
     向かってくる「燃える剣閃」を、フローラは薄ら笑いを浮かべながら叩き落す。
    「いいえ、そもそもわたしは人間じゃないもの。
     半人半人形、『ドランスロープ(Dollan―Thrope)』よ」
     フローラの右肩から、ガキンと金属音が響く。次の瞬間、晴奈は壁に叩きつけられた。
    「うぐ、……ッ!?」
    「そう。わたしは半分、人形。ほぼ完全な人間になったユキノに比べて、わたしはなぜか、人形の域から抜け出せない。
     クリス母様は、その原因はセッカ母様が一度に二体、人形を人間にしたからだと言った。この術は、いわゆる等価交換。1対2では、必ず『2』のどちらかが割を食うことになる。
     ……その割を食ったのは、わたしだったのよ!」
     フローラはぐい、と服の袖をまくる。そこには、つるりと金属的に光る腕があった。
    蒼天剣・邪心録 4
    »»  2009.08.28.
    晴奈の話、第376話。
    凶兆の「九」、その顕現。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     壁に背中を激しく打ちつけ、ゲホゲホと咳き込む晴奈に見せ付けるように、フローラは右腕を振り上げつつ袖をまくる。
    「見なさい、セイナ! この、無機質な腕を!
     わたしの両腕、両脚はいつまで経っても、いつまでも、人形のままなのよ! ユキノは、人間になれたと言うのに……ッ!
     ……でもね、セイナ。それがかえって、良かったのかも知れないわ」
     右袖を肩のところまでまくったところで、先程晴奈を突き飛ばした、その「からくり」が見えた。
    「どう言うわけか、手足を別のものと取り替えても動かせるの。だから、強化したわ。鉄芯を埋め込み、非常に強いバネを組み込んだ、鋼鉄の腕にね。もちろん、両脚もよ」
     フローラはまだ壁から離れていない晴奈に近付き、蹴りを入れようとする。
    「……ッ!」
     晴奈は辛うじて避け、その背後にあった壁にフローラの足がめり込む。
    「ほら、見なさいよセイナ! あなたに、同じことができる!? 人間の、生身のあなたに!」
     壁から脚を引き抜き、もう一度晴奈を蹴りにかかる。脚関節にも腕と同様のバネを組み込んでいるらしく、その威力は硬い壁や床にボコボコと穴を開けていく。
    「ねえ、セイナ? 分かっているかしら、あなたがさっき言い放った言葉の、その滑稽さが!
     わたしは人間じゃないのよ――何よ、『仁義、礼節を守らずして、何が人間だ』って!? 人間じゃない、半分人形の、モンスターのわたしに、そんな話を振るなんて!」
     必死で避けていた晴奈だったが、ついにフローラの右脚が晴奈の左腿を捉える。ビキ、と大腿骨にひびが入るのを感じ、晴奈は悶絶する。
    「……~ッ!」
     晴奈は本能的に後ろへ飛びのいたが、めまいがするほどの激しい痛みが左脚全体に走り、また悶絶する。
    「く、ぐあ、あ……っ、ハァ、ハァ」
    「あら、もう降参かしら?」
     だが、晴奈は歯を食いしばり、刀を正眼に構えて気合を込める。
    「馬鹿な……ッ、勝負は、これからだッ!」
     左腿の痛みを無理矢理に振り切り、晴奈はフローラへと駆け出した。
    「受けてみろ、我が奥義……!」
    「『炎剣舞』ね」
    「はあああああッ!」
     晴奈の周囲に、たぎるような熱が発生する。
    「……ふふっ」
     だが、フローラは動じない。剣を構えたまま、余裕綽々に笑っている。
    「食らえええぇぇぇッ!」
     晴奈の周囲に発生した高熱は晴奈の愛刀「大蛇」に集約され、刀身が真っ赤に灼ける。
     そして刀がフローラの剣と交わったその瞬間、周囲の壁全体にひびが入るほどの大爆発を起こした。

    「……ゼェ、ゼェ」
    「炎剣舞」の発した衝撃に晴奈自身が耐え切れず、またも壁に叩きつけられる。それでも何とか立ち上がり、敵の様子を確認しようとする。
    「やった、か……?」
     埃が焼け焦げ、煙となってもうもうと部屋中に舞い上がり、目の前は茶色く濁っている。晴奈は一瞬、手元の刀に視線を落とした。
    「……流石、『大蛇』だな。あれだけの、衝撃に、耐え切って、くれた、か」
     まだチリチリと灼けた音を発しているが、「大蛇」は原形を十分に留めていた。
    (これだけの……、これだけの、威力なのだ。倒れていなければ、……本当に)「人間じゃない、と言ったでしょう?」
     舞い上がる煙の奥から聞こえた声に、晴奈は戦慄した。
    「な……っ」
    「まあ、多少は効いたけれど。
     さあ、セイナ。あなたにはもう、戦えるだけの体力も、気力も残ってない。オーラを見れば、それが十分に分かるわ。そろそろ、死んでもらうわね」
     明るく言い放たれたその言葉に、晴奈の手がガタガタと震え出す。
    (な……!? お、おい! 治まれ! 今、震えている場合じゃない!)
    「あなたが折角、奥義を振るってくれたのだから、わたしも振るわなきゃ、フェアじゃないわよね」
     煙が収まり始め、フローラの姿がチラリと覗く。
    (治まれ! 治まれ! 治まれ! 構えろ、構えるんだ、黄晴奈ッ!)
     ガタガタと震える両腕を無理矢理に引き上げ、晴奈は刀を構えた。
    「それじゃ行くわよ――わたしの秘剣、『九紋竜』」

     部屋中に舞っていた煙が、ヒュンと切り裂かれる。
     青白く光る何かがフローラの振るった剣から放たれ、晴奈の刀にぶつけられる。
    「う……っ」
     その一撃は信じられないほどに重たく、晴奈の刀が――「絶対に折れない、曲がらない、壊れない」と称されたはずの神器が――わずかに歪む。
    「馬鹿な……」
     続いてもう一発、青白い塊が飛んでくる。
    「う……」
     この一撃によって「大蛇」は完全に、真っ二つに折られた。
     そして同時に、晴奈の心をも折った。
    「うそ……だ……」
     さらにもう一発。晴奈の体に命中し、晴奈は血を吐いた。
    「こんな……ばかな……」
     続いてもう一発。晴奈は三度、壁に叩きつけられた。
    「そんな……」
     もう一発。もう一発。もう一発。
     晴奈の体は壁にめり込み、ついに壁の向こうへと押しやられた。
    「私が……」
     もはや立ち上がる気力も無い晴奈を、さらに飛んできた一発が弾き飛ばす。
    「私が……負け……」
     四度壁に叩きつけられた晴奈は、さらにもう一枚壁を突き抜ける。
    (……ま……け……た……)
     ダメ押しの九発目が晴奈の胸を貫き、晴奈の体は三枚目の壁に打ちつけられた。



     部屋を舞っていた埃が落ち着いたところで、フローラは剣を納めた。
    「オーラが完全に消えたわね。
     ……キリアも、放っておけばそのうち死ぬわね。
     クリス母様は……、まあ、大丈夫かな。モールが相手といえど、敵ではないはず」
     フローラはにっこりと笑い、何事も無かったかのように部屋を後にした。

    蒼天剣・邪心録 終
    蒼天剣・邪心録 5
    »»  2009.08.28.
    晴奈の話、第377話。
    崩壊し始めるアジト。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     フローラが去ってから、2、3分ほど後。
     キリアが倒れている部屋に、ヘックスが恐る恐る首を伸ばしてきた。
    「……あっ!」
     血まみれの義妹の姿を見つけ、ヘックスは慌てて部屋の中に入る。
    「大丈夫か、キリア! いっ、生きとるか!?」
     ヘックスはキリアの首に手を当て、出血の具合と脈を計る。
    「……良かった、まだ息あるみたいや。ギリギリ頸動脈外れとるっぽいし」
     ヘックスは自分の服の袖をちぎり、キリアの首筋に巻いて止血を施す。
    「う、う……」
     止血の途中で、キリアが目を覚ました。
    「お、具合はどないや?」
    「……兄さん? ……私は、生きてるの?」
    「おう、生きとる生きとる、うん、生きとるよぉ」
     ヘックスは心底ほっとした顔を浮かべる。
    「なあ、この部屋で何があったんや? めっさボロボロになってるやん」
    「フローラさん……、フローラと、コウが戦ったのよ」
    「コウが?」
     ヘックスは顔を上げ、大穴の開いた壁を見つめる。
    「どっちが勝ったんや?」
    「……当然、フローラの方よ。コウは……、恐らく死んだ」
    「なっ……」
     ヘックスは慌てて立ち上がり、壁に開いた穴の向こうに、また恐る恐る首を突っ込んだ。
    「向こうの壁、もう一枚貫通しとる。めっちゃめちゃやん……」
    「見たことの無い、恐ろしい攻撃だったわ。まるで、爆弾か何かを立て続けに投げつけたような、圧倒的な攻撃だった。
     フローラは、コウのオーラが完全に消えた、……と」
    「……」
     ヘックスは壁の穴を越え、さらにその先へ向かう。
    「えげつないなぁ」
     壁の穴から穴にかけて、おびただしい量の血が線を引いている。ヘックスは2枚目の壁を越え、その奥をそっと覗いた。
    「……あ……」
     3枚目の壁の中に、彼女がいた。
     彼女の体全体が壁に深々と突き刺さり、胸の辺りが真っ赤に染まっている。

     どう見ても、生きているようには見えなかった。



     アジト内の異変に、モノもおぼろげながら気が付いていた。
     はじめは「公安が侵入したらしく、オッドが『プリズム』たちを呼び戻した」と言う程度にしか把握していなかったが、妙なことに、その後まったくオッドが動く気配が無い。
     不審に思ったモノは、オッドがよく出入りしている医務室に足を運び――この時点で、ヘックスも既にここから離れている――変死したオッドを見て、異常事態が起きているのを察知した。
    (どう言うことだ……!?)
     魔力の無いモノには、クリスや「プリズム」たちとの通信手段は、直接会って話すことしか無い。急いでアジト内を回り、状況の把握に努めていた。
    「ヘックス君! キリア君、ジュン君!」
     回りながら、元からアジトに残っていた「プリズム」たちを呼ぶが、返事はない。いや、彼らを見かけるどころか、あちこちで惨殺された兵士たちが、次々に目に入ってくる。
    「この傷跡は……」
     兵士たちが負った怪我は、刀傷にしては――敵である晴奈と楢崎の武器によるダメージにしては――刀特有の撫で切ったようなものではなく、打突を受けた様子が濃い。刀に比べて切れ味が劣り、かつ、重量のある剣による攻撃に良く見られる傾向だ。
    (敵に、剣を使う者が……? 私の知る限り、剣を使う者はいなかったはずだが……)
     確かに、戦闘不能になった兵士たちの中には銃創や打撃によるダメージを負っている者もいる。だが、死んでいるのは剣による攻撃を受けた者だけなのだ。
    「剣を使う者が、とどめを刺している……?」
     モノの中で、嫌な予感がふつふつと湧き上がってくる。
    (死んだ者はほとんど、正面か前側面からの攻撃を受けている――と言うことは、敵はその方向から致命傷を負わせたと言うことだ。そうなると、相当の手練か、……味方と思って油断していた、と言うことになる。
     味方で、これほど鮮やかに急所を狙い、あっさりと殺せる人間となると……)
     思案し始めたモノの前に、「答え」の方から姿を現した。
    「ドミニク先生、こちらでしたか」
    「おお、フローラ君」
     モノは喜び近付こうとしたが、フローラの手に血のしたたる剣が握られているのを見て、足を止めた。
    「フローラ君、それは一体なんだ?」
    「剣です」
    「それは分かっている。そのしたたっている血は一体誰のものなのか、と聞いているのだ」
    「ああ」
     フローラは剣を横に薙ぎ、付いていた血をびちゃっと壁に払う。
    「敵を倒していました」
    「そう、か」
     モノはほっとし、安堵のため息をつきかけたが、次に放たれたフローラの言葉で息を詰まらせた。
    「わたしと、母様の敵を」
    「……それは、どう言う意味だ?」
    「そのままの意味です。わたしと母様がこれからやろうとしていることを邪魔するであろう敵を、排除していたんです」
     そう言ってにっこり笑うフローラに、モノは異様な気持ち悪さを感じた。
    「何度も聞くが、それは、どう言う意味なのだ? もっと分かりやすく、説明してくれ」
    「ええ、つまり……」
     フローラは一瞬顔を伏せ、にっこりとした顔を浮かべて襲い掛かってきた。
    「こう言うことです」
    蒼天剣・死淵録 1
    »»  2009.09.05.
    晴奈の話、第378話。
    阿修羅師弟対決。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     フローラからの突然の強襲に、モノは面食らった。だが、モノも百戦錬磨の古兵である。
    「……ッ!」
     右手一本ですばやく剣を抜き、フローラの初太刀を受け止めた。
    「あら、残念。あまり苦しまずに仕留めてしまおうと思っていたのに」
    「何のつもりだ、フローラ君! 何故この私に、剣を向けるのだ!?」
    「お分かりいただけませんか、ドミニク先生」
     フローラは素早く間合いを取り、依然悪意のある笑みを浮かべながら語りだす。
    「あなたも、ドクターも、もうわたしたち母娘の計画には必要のない人物、いいえ、むしろ邪魔になる人物だからです」
    「計画だと!?」
    「はい。わたしと母様は、最初からこの殺刹峰を我が物にしようと目論んでいました。……ええ、最初からカツミの暗殺なんて眼中にありませんでしたよ」
    「……」
     モノの中で、ふつふつと怒りが湧き上がる。
    「まあ、勿論わたしと母様、それからミューズとネイビーがいれば、カツミ暗殺なんてすぐ終わります。でも、そんなことをしても大して利益も無いですし」
    「利益の問題ではない! これは……」「それは、あなたとドクターの固執ですよね?」
     フローラは平然と、モノを嘲っていく。
    「あなたたち二人の夢や妄想にいつまでも付き合うほど、わたしも母様も暇じゃありません。それに母様には、もうあまり時間がありません。早いところ、母様を楽にしてあげたくて。
    『お遊び』はおしまいです、先生」
    「……貴様……!」
     怒りが頂点に達したモノは剣を振り上げ、フローラに斬りかかった。
    「……ふふっ」
     フローラも微笑みながら、それに応じる。
    「大人しく斬られた方が苦しまずにすみますよ、先生。もうわたしの腕前は、あなたをはるかにしのぐのだから」
    「そう思うか、フローラ!」
     モノの振るう剣が、ひゅ、ひゅんとうなる。
    「お……っと!」
     避けたつもりのフローラの袖が、わずかに裂けた。
    「あら、……まだまだ現役、と言うわけですか」
    「貴様のような外道に、負けてたまるかッ!」
     モノはもう一度、「三連閃」を繰り出していく。
    「『外道』? 外道と言いましたか、このわたしを?」
    「そうでなければ何だと言うのだ!? 師匠を、上官を裏切り、私利私欲のために組織を奪おうとするお前を、外道と呼ばずして何だと!」
    「……ふふ、ふ、あはははっ。おかしいわ、先生」
     二度目の「三連閃」をかわしたところで、フローラはモノから離れ、距離を取る。
    「今まで散々、大陸各地から人をさらい、要人暗殺を続けてきた先生が、今更他人を『外道』だなんて罵れるの?」
    「……っ」
     フローラは依然、笑っている。だがその笑いは、微笑から嘲笑へと変わっていた。
    「それに先生、あなたは元々から『人』と呼ばれていないじゃない」
    「何?」
    「あなたは『阿修羅』だったはずよ。己の中に潜む色濃い『悪意』に己を委ねた、正真正銘の悪人。
     そのあなたが、善だの仁義を説くの? 滑稽極まりないわ」
     フローラはまた距離を詰め、モノに斬りかかる。先程よりも一層重たい攻撃に、モノは顔をしかめた。
    「う、ぬ……ッ」
    「もうあなたは『阿修羅』じゃない。その称号を名乗る資格は無いわ」
     さらにもう一撃。攻撃はより重さを増し、モノの体がわずかに弾かれた。
    「ぬお、ぉ……!?」
    「わたしがその称号を、継いであげる。わたしこそが、新たな『阿修羅』よ」
    「ふざけたことをッ! 貴様などにその名、やすやすと渡せるかッ!」
     モノは剣を握り直し、三度目の「三連閃」を放った。
    「うふ、ふふふ……。三回目の、『三連閃』ね。となると、最後の攻撃は九太刀目と言うことになる。
     証明される時が来たわね、先生」
     そう言ってフローラも剣を構えた。
    「秘剣、『九紋竜』!」
     晴奈を屠ったあの青白い光弾が、モノの剣にぶつかっていく。
    「な、何だこれは……!?」
    「先生にも教えていなかった、わたしの切り札よ。
     そして先生、あなたにとって『9』は吉兆だったかしら? それとも凶兆?」
     モノの「三連閃」、最後の一太刀――即ち、九太刀目――が光弾に弾かれ、モノの剣は粉々に砕ける。
    「なっ、何だと……!?」
     そして「九紋竜」の残り六発が、モノの体を串刺しにした。
    「ぐあ、あああー……ッ!」

     モノは全身に大穴を開け、息絶えた。
    「どうやら、あなたにとって『9』は凶兆だったようね。これで証明されたわ。
     ……あら?」
     血まみれのモノの右腕の袖から、キラリと光る腕輪が見えた。
    「ああ……。昔、襲われた時に手に入れたって言う、あのガラスの腕輪ね」
     フローラは剣を振り上げ、その腕輪を割ろうとした。
    「……」
     しかし途中で剣を降ろし、腕輪を手に取った。
    「……いいデザインね。……ふふ、『阿修羅』を継いだ証明にでもしようかしらね」
     フローラはモノから抜き取った腕輪を、そのまま自分の左腕にはめた。
    蒼天剣・死淵録 2
    »»  2009.09.06.
    晴奈の話、第379話。
    モールの「奥の手」。

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    3.
     モノがフローラに討たれた丁度その頃、モールとクリスの戦いも佳境を迎えつつあった。
     大広間全体が激しく揺れる程の上級魔術が次々に繰り出されるが、モールもクリスも、いまだ致命傷を受けてはいない。
     とは言え――。
    「はっ……、はっ……」
    「うふ、ふふふ、……ゲホッ」
     共に世界最高峰の魔術を持つ賢者たちではあるが、片方は重病人、もう片方は――。
    「ゼェ、ゼェ……、う、ふふふ。モール、一体どうしたのかしら、その腕は?」
    「……ふん」
     モールの左腕が、真っ白に染まっている。そして薬指と小指がパラパラと、灰になって散り始めているのだ。
    「やっぱりうわさは本当だったのね。……ますますあなたが欲しいわ、モール・リッチ!」
    「気色悪いババアだね……! 『この体』も魔術も、私のもんだ! 誰がやるもんかってね!」
     二人のやり取りが把握しきれず、ジュリアはきょとんとしている。その様子を見たクリスが、息を整えながら語りだした。
    「何がなんだか分からない、って顔ね。教えてあげるわ」
    「……やめろ」
     モールが怒りに満ちた声で止めるが、クリスは構わず続ける。
    「モール・リッチが何故、何百年も生きているのか。何故、時代や場所によって姿や種族、性別が変わるのか。そして何故、モール・『リッチ』と呼ばれるのか。
     リッチ(Lych)――それは『死せる賢者』の意。とっくの昔に死んだはずの、元、人間」
    「やめろって言ったはずだ!」
    「彼は何百年も昔に死んだ、古の賢者だったのよ。でも、その魂は冥府に行くことも無く、この世に留まり続けている。
     そして死んだ人間の体を次々に借り、世界中をただただ無為に巡り、旅をし続けている――それが彼の正体よ」
    「……」
     ジュリアはチラ、とモールに目を向けた。
    「……この、クソババアが……ッ!」
     よほど、この話はされたくなかったのだろう――モールはわなわなと、怒りに打ち震えていた。
     モールは既に灰になりつつある左腕を挙げ、クリスに向ける。
    「『フレイムドラゴン』! お前が先に燃え尽きろーッ!」
    「ふふ、あはははっ」
     モールの放った火炎は二条の槍となり、クリスを目がけて飛んでいく。だが、クリスの前に半透明の壁が現れ、火炎はその壁に弾かれてしまう。
    「効かない、効かないわよモール!」
    「なら、こいつはどうだッ!」
     先程放った火炎が、今度は5つに増える。
    「無駄よ、モール。何故、術が通らないか、分からないわけじゃないでしょう?」
    「知ったこっちゃないねッ!」
     モールの怒りとは裏腹に、クリスの前にある壁は一向に破れる気配が無い。
    「まさか、あなたほどの賢者が気付かないわけじゃ無いでしょうね?」
    「……知るかッ!」
     モールはまた、火炎を放つ。今度は8つ、先程よりもっと赤く燃え盛って飛んでいく。
     だが、これもクリスに当たることは無かった。
    「クスクス……、言いたくないのね?
     そうよね、まさか『自分の体はもう、限界を迎えている。当然、魔力も底を突き始めているから、今見せた火炎はただのこけおどし、花火みたいなものでしかない』だなんて言えないわよねぇ、あはははっ」
    「……っ」
     クリスの言ったことは、どうやら本当らしかった。
     パラパラと粉を吹いていたモールの左手が、乾いた粘土のようにぼろりと崩れ落ちたのだ。
    「私たちは、ずっとずっと、ずうっと調べていたのよ。あなたが何者なのか、どんな魔術を使うのか、どうやったらあなたのすべてを奪うことができるか、って。
     そして知ったのよ――あなたのその体はもう、寿命が近いと言うことを。その体に替わってから5年、いいえ6年かしら? その間にあなたは近年珍しく、非常に魔力を使い続けた。それは何故? そう、アマハラの隠れ家で、私が売ったコピー本を見つけたから。
     それからずっと、あなたは躍起になって私の本を焼いて回っていた。半ば怒りに任せて、半ばセッカへの哀悼を込めて、ね」
    「……」
     モールは崩れる左手を見ようともせず、クリスをにらみ続けている。
    「その行動が、その体の寿命を早めることになった。
     結果、この大事な大事な大事な、だあいじな、この瞬間に、魔力切れだなんて! なんて考えなし! なんて間抜けなの!
     バカね、モール! あなたが賢者だなんて! 智者だなんて! そう呼ばれているだなんて、まったく、おかしくておかしくて、おかしくてたまらないわ、あっはははははははははっ!」
    「……」
     散々になじられるが、モールは黙々とクリスをにらみ続けている。

     いや、よく見れば――恐らく罵倒することに夢中になっているクリスは気付いていないのだろうが――モールは小声で、何かを唱えている。
     賢者のモールが唱えているのである。
     それは紛れも無く、呪文だった。
    「……」
    「えぇ? 何? 何か言ったかしら?」
    「……吹っ飛べ、クソババア」
     モールは右手で灰になりかけた左腕をつかみ、引きちぎった。
    「え? 一体、何を……」
    「そんなに私の術が欲しいなら、その全身でたっぷり味わってみろ!
     取って置きの切り札だ――『ウロボロスポール:リジェクション』!」
     次の瞬間、クリスに向かって投げられた左腕が光を放ち、大爆発を起こした。
    蒼天剣・死淵録 3
    »»  2009.09.07.
    晴奈の話、第380話。
    賢者対決、決着。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     爆発の衝撃で、ジュリアは吹き飛ばされた。
    「ゲホ、ゲホッ……」
     大広間の端まで転がされ、ジュリアは埃まみれになる。
    「な、何、今のは……?」
     ヨロヨロと立ち上がり、何が起こったのか確かめようとした。
    「……あ、眼鏡」
     転がされた軌跡の上に、フレームの曲がった自分の眼鏡が落ちていた。
    (……気に入っていたのに)
     ジュリアは多少残念に思いながら、フレームを曲げ直して鼻に乗せる。
    「それにしても、今のは……」
     もうもうと舞っていた煙が落ち着き、モールとクリスの様子が明らかになった。
    「……!」
    「は、はは、あははは……!」
     壇上には、先程と同様クリスが立っている。いや、多少はダメージを受けたらしく、口の端から血を流していた。
    「そんな魔術が、あったなんて……本当に、びっくりしたわ……モール」
     逆に、モールは仰向けになって床に倒れている。その体の半分ほどが灰になっており、既に腰から下は原形を留めていない。
    「物質を……純粋な……エネルギーに、変換する……術……そうよね……モール?」
    「……」
     体の奥底も灰になりかけているのだろうか、モールの返事は無い。
    「まさか……あんな威力を……放つ、なんて。……ゲホ、ゲホッ、ゲボッ」
     クリスは血を吐き、フラフラと椅子に座り込んだ。
    「うふ……ふ……ふ、ゲホッ。……流石に……私も……限界ね。……でも、……ゴボッ」
     また、クリスの口から血が噴き出す。
    「私の……勝ちの、よう、ね……モール」
    「……」
     モールは応えない。
    「あなたは……死んだ」
     クリスは血を吐きながら、本を掲げて勝ち誇った。
    「私の……私の、ゲホッ、私の……勝ちよ……!」
    「モールさん……!」
     ジュリアはほとんど灰になったモールの体に寄り添い、懸命に名前を呼んだ。

    《バーカ》
     どこからか、くぐもったような声が聞こえてくる。
    「……!?」
     クリスは目を見開き、青ざめた。
    「ま、さ、か……」
    《そのまさかだね、クソババアが》
    「……モールさん!?」
     ジュリアの目にも、それは映っていた。
     半透明の、黒い狐耳の男がクリスの前に立っている――紛れもなく、灰になったはずのモールの姿である。
    《勝ったと思った? ねぇ、勝ったと思った? そーんなボロッボロの状態で、勝った気でいたね?
     弱らせて弱らせて、身動きできなくさせようと目論んでたけど、見事に引っかかってくれたねぇ、み・ご・と・にっ★》
    「う……うそ……でしょ……」
    《ところがどっこい……! 嘘じゃありません……! 現実です……! これが現実……!》
     モールは嬉々として、クリスに罵声を浴びせている。
    《私をバカだバカだと言いたい放題罵ってたけどね、君もバカだ、大バカだね! 私が何度も体を替えたと、そこまでリサーチしておいて、何でこの状況を想定しないね!?
     そう、私は魂だけの状態でも、まったく問題なく動ける。まあ、あんまり長い間肉体から離れれば、どうなるか分かんないけどね》
    「ひっ……ひいっ……」
     モールは半透明の黒ずんだ手を、クリスの首に当てる。
    《だから君の体、とっとともらうね》
     クリスの顔から、見る見るうちに生気が無くなっていく。
    《君の体はボロボロだけど、私の術があれば一瞬で元気になるね。良かったねー、念願の健康が手に入って。良かった良かった、うんうん》
    「いや……やめて……」
    《やめて?》
     モールの手が止まる。
    「私……まだ……死にたくない……」
    《やめてほしいの?》
    「やめてぇ……」
     だが、モールはニヤッと笑い、再び手をクリスの首に押し付け、突き入れた。
    《やだ》
    「いや、あああぁぁぁ……!」



    「さて」
     ジュリアはその姿を、複雑な心境で見つめていた。
     その体は紛れもなく女性なのに、その口からは少年のような声が発せられている。
    「服も着替え終わったし、体も治したし。用事は済んだから、とっとと晴奈たちと合流しようかねぇ」
    「ねえ、モールさん」
    「ん?」
     ジュリアは先程まで敵だった、その狐獣人の女性に話しかけた。
    「嫌じゃないの?」
    「何が?」
    「だって、さっきまで散々戦った相手だし、それにあなた、男性だったんでしょう?」
    「ああ」
     狐獣人はニヤリと笑い、くるっと一回転した。
    「もう何百年もやってるコトだし、一々気に留めてないね。
     敵だの味方だの、男だの女だのはどーでもいーや」
     先程までクリスのものだった体を奪ったモールは、元「自分」が身に付けていたとんがり帽子をポンポンとはたき、頭に載せた。
    蒼天剣・死淵録 4
    »»  2009.09.08.
    晴奈の話、第381話。
    敵同士の戦い。

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    5.
     フローラの粛清は続いていた。
     モノ派の兵士たちを片っ端から斬り捨て、潰していく。
    「なっ、何故……ぎゃああっ!」
     オッド派の兵士たちを後ろから襲い、貫いていく。
    「ゲボッ……、ど、どうして……?」
     そして公安たちがねじ伏せ、捕縛し、戦闘不能の状態にあった兵士たちも、一人残らず首をはねていく。
    「や、やめてください、フローラ様……、ぐぁっ!」
     殺刹峰の中に、血生ぐさい臭いが強く漂い始めた。

     その臭いに、ネイビーとの戦いで辟易していた小鈴たちも気が付いた。
    「あれ……? まだ、モンスターの臭いが抜けてないのかしら?」
    「いや、それにしては獣脂のような、鼻を突くような脂っこさが無い」
    「じゃあこれは、一体何の臭いっスかね?」
     エラン、フェリオ、フォルナを加え、7人になった小鈴たちは、何の苦も無くアジト内を歩いていた。
    「人の、血の臭い、だよな」
    「でもウチら、一人も殺してへんはずやけどな。……あんまし後味ええもんでもないし」
     人数が揃ったせいか、七人の間には緊張感が今ひとつ無い。半ば談笑するように話をしながら、歩を進めている。
    「では、先程話に上っていたフローラと言う方か、ウィッチと言う方の仕業かも知れませんわね」
    「その可能性は濃いな。……早くジュリアたちと合流しなきゃな」
     七人はさほど警戒する様子も無く、晴奈たちの向かった通路を進んでいた。

     その時だった。
     七人全員が、強烈な殺気を感じて一様に震えた。
    「……何だ?」
    「ゾクっと来た……」
     そしてすぐに、立て続けに爆発音が響いてくる。そして――。
    「血の臭いに混じって、妙にかび臭いような、鼻に付く臭いがするな。これは……、雷の術を使った時によく嗅ぐ臭いだ。
     それから、金属音も聞こえるな。多分、剣と剣が交わる音だ。……剣士と、雷使いが戦ってるのか?」
    「どちらにせよ、……どうも、後ろの方からだね」
     楢崎は進んできた通路を振り返り、腕を組む。
    「どうしようか? 晴奈くんと合流するのを先にするか、それとも確かめに行くか」
    「うーん……」
    「ほな、さっきみたいに二手に分かれとく?」
    「それがいいかな……」
     七人は相談し、小鈴・楢崎・シリンが戻り、そしてバート・エラン・フェリオ・フォルナが進むことにした。
    「まあ、晴奈たちと合流すりゃ百人力だろーし、そっちは散弾銃持ってるから問題ないでしょ」
    「今後ろで戦っているのがフローラと言う剣士なら、なるべく大勢で向かった方がいいだろうね」
    「せやな、さっき敵の黒いのんが強いって言うてたし」
    「ま、この3人ならだいじょーぶでしょ」
     小鈴たちはどこか余裕のある様子で、通路を戻り始めた。



     10分ほど歩いたところで、小鈴たちはその部屋に到着した。
     もっとも、「部屋」と言っても既に扉は破壊されており、壁もあちこちが破られている。もはや通路との間を区切るものが何も無い。音が響いてきたのも、そのせいだろう。
    「うわぁ……」
     予想通り、戦っているのはフローラのようだった。赤と白の服――元は全面真っ白だったと思われるが、既にここまでで何十人も斬ってきており、その服は前側だけが真っ赤に染まっている――を着ており、三人はすぐに「プリズム」の一人だと分かった。
     と、フローラの顔を見た小鈴と楢崎が声を上げる。
    「雪乃!?」「ゆ、雪乃くん!?」
     その声に気付き、フローラは戦っていた相手――ミューズと瞬也から距離を取り、三人に視線を向ける。
    「公安ね。……また、ユキノ、ユキノって。そんなに似ているのかしら? ……不愉快ね」
    「……いや、雪乃くんではないな」
    「そーね。……あんなおぞましい笑顔、初めて見たわ。雪乃にあんな顔、できるワケないし」
     フローラは晴奈やモノと戦った時のように、悠然と笑っている。まるで「自分が今置かれているこの状況は、部屋でのんびり読書をしている時と何ら変わりない、平和な状況だ」と言わんばかりのその顔を見て、シリンは舌打ちする。
    「……何や、あのヘラヘラ顔。なめとんのかいな」
     だが、小鈴たちは緊張を解かない。
    「なめてる、って言えばなめてるんでしょーね。……強いわ、あの女」
    「そうだね。今まで出会ったどんな剣士よりも、毒々しく、そして禍々しい剣気を放っている。恐らく僕やミーシャくんよりも、相当腕は上だろう」
    「ホンマかいな……」
     シリンは半信半疑と言う口ぶりで、もう一度フローラの方を見る。
     楢崎の言う通り、フローラの腕は確からしかった。相手をしていたミューズと瞬也は数の上では有利なはずだが、一目で劣勢と分かるほどボロボロになっている。
    「はぁ、はぁ……」
    「くそ、……っ」
     特にミューズの方はずっと瞬也をかばっていたらしく、袖口やコートの裾からボタボタと血が垂れていた。
     それを見た小鈴が咳払いし、場を引き締める。
    「くっちゃべってる場合じゃなかったわね。とりあえずどっちが悪そうに見える?」
    「白い方」
    「同感だ。あちらの二人を助太刀しよう」
     小鈴たちは素早くミューズたちの前に回り込み、二人を護る。それを見たミューズが邪魔そうに口を開く。
    「不要だ、どけ……」
    「それはないんじゃない? どー見ても瀕死よ、アンタ」
     小鈴の言う通りミューズのケガはひどく、強気な言葉も虚勢を張っているようにしか見えない。
    「……」
     ミューズもそれを感じたらしく、今度はもっと穏やかな口調になる。
    「これは、私とあいつの戦いだ。公安などに、助けを求めるわけにはいかん」
    「いーから、いーから。公安だとか組織だとかは、後回しにしましょ」
    「……すまない」
     ミューズは素直に従い、瞬也の手を引く。
    「折角の助けだ。引くぞ」
    「え、で、でも」
    「気にしないでいい」
     瞬也の前に立っていた楢崎が、優しく声をかけた。
    「困っている時に、敵も味方もあるものか。下がっていたまえ」
    「……はい」
     瞬也は楢崎の言葉に、コクリとうなずいた。



     楢崎も、瞬也も、この時はまだ互いの素性を――自分たちが親子であることを知らなかった。
     二人がそれを知ったのは、この戦いが終わってからである。

     だが、それはあまりに遅すぎた。
    蒼天剣・死淵録 5
    »»  2009.09.09.
    晴奈の話、第382話。
    楢崎、激昂。

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    6.
     1対3となったが、フローラの顔には依然、焦りの色も緊張した様子も浮かんでこない。心の底で嘲っているのがほの見える、優雅な笑顔が張り付いたままだ。
    「それで、誰から来るのかしら?」
    「ウチが行かせてもらうわ。……だあああッ!」
     シリンは咆哮を上げつつ、得意の飛び蹴りを放つ。だが、フローラは平然と左手一本で受け止めてしまう。
    「……っ! アンタも強化したクチかいな」
    「まあ、そうね。でも薬とか、術じゃないわ」
     フローラはシリンの脚を投げ、相手が着地した瞬間を狙って、右手に持った剣で突きを繰り出す。
    「おわ、っと」
     シリンは体をひねって間一髪避けたが、体勢を崩した瞬間にフローラの左腕がうなりを上げ、右肩にめり込んだ。
    「ぐえ、っ、……かっ、は……」
    「極めて物質的な、強化改造。柔らかい人体が、硬い鋼鉄に敵うと思って?」
     一撃でシリンの鎖骨と肩甲骨、肋骨が粉砕され、シリンは痛みで顔を歪める。
    「邪魔よ」
     そして次の瞬間、フローラは左足を水平に挙げ、シリンの腹を蹴り飛ばした。
    「ぐぼ……」
     悲鳴なのか、それとも無理矢理に肺の空気を押し出されて生じた音なのか――シリンはくぐもった声を短く上げ、部屋から吹っ飛んでいった。

    「な……」
     一瞬で仲間が倒され、小鈴も楢崎も唖然とする。
    「身の程知らずは早死にするわよ、クスクス……」
     この状況で笑うフローラを見て、小鈴は軽く吐き気を覚える。
    「おぞましい、って言うのかしらね。……アタマおかしいわ、アイツ」
    「ああ、同感だ。……最初から、本気を出さなきゃ負けるよ、これは」
    「本気を出さなきゃ、負ける?」
     楢崎の言葉を聞いたフローラが、きょとんとする。
    「……クス、クスクスクスクス、あははは、ははっ」
    「何がおかしい?」
    「ええ、おかしいわ。おかしくて、おかしくて。
     わたしは色々調べているのよ、ナラサキさん、タチバナさん。あなたたちの名前も知っているし、今蹴り飛ばしたのがミーシャさんと言うのも知っているわ。
     そしてわたしに殺されたセイナがナラサキさん、あなたに勝っていると言うことも」
    「……!?」
     フローラの言葉に、楢崎の目が見開かれる。小鈴も、息を呑んでいた。
    「黄くん、が……!?」
    「ええ、ついさっきね。それでね、ナラサキさん。セイナに負けたあなたが、セイナに勝ったわたしより強いなんて、論理的におかしいでしょう? もう負けているも同然なのに。
     本当、みんな身の程知らずなのね、アハハハハ……! セイナもあなたもミーシャさんも、このアジトに入り込んだ公安みんな、『アジトを突き止めればどうにかなる』『幹部を倒せばどうにかなる』『どうにかなる』『どうにかなる』って、根拠も思慮も無く、そう言い続けているんだもの!
     もうみんな、あんまりにもおバカさんでおバカさんで、くっくくくく、あはははは……っ!」
    「黄くんが、死んだ……?」
     楢崎の腕が、小刻みに震え出した。
    「あら? どうしたの、そんなに震えて」
    「……嘘だ……っ」
    「嘘じゃないわ。わたしの剣技に何度も貫かれて、彼女は全身ズタズタになって死んだわ」
     楢崎の震えが、より強くなる。
    「そんなにブルブル震えて……。怖い、ってわけじゃなさそうね。オーラが真っ赤に灼けているもの。まさに憤怒、激昂――怒っているのね、その全身で」
    「貴様……、許さんぞ……」
     楢崎が刀を上段に構える。その瞬間、小鈴の全身に汗が流れた。
    「あつ、っ……?」
     楢崎の気迫は、横にいた小鈴が恐ろしくなるほどに、熱く燃え盛っていた。
    「許さん、許さんぞ……、フローラ!」
    「許さない、許さないって……」
     フローラはまた笑う。
    「冗談も程々にしてほしいわね。あなたがわたしを許す? あなたみたいな格下が、わたしを許すだの許さないだの、おかしくてたまらないわ!」
     その言葉で楢崎の怒りに火が回り、爆発した。
    「うおおおおおあああーッ!」
     楢崎は刀に猛烈な炎を灯し、フローラに斬りかかった。
    「ふふ、バカみたい……」
     フローラは余裕綽々で剣を構え、自慢の腕力で楢崎の刀を弾き飛ばそうとした。
     ところが――。
    「……!?」
     思っていた以上の衝撃がフローラの両腕に伝わり、フローラの剣は弾かれた。
    「な、に……、これ!?」
    「おおおおおおおうッ!」
     楢崎の二太刀目が来る。ここで初めて、フローラの顔に緊張が走った。
    「くッ……」
     怒りに任せて振るわれた楢崎の刀をすれすれで避け、フローラは床に落ちた剣を拾う。
    「あ……」
     だが、楢崎の馬鹿力によって剣はくの字、いや、Vの字に曲がり、とても使える状態ではなかった。
    「何よこの、無茶苦茶な力……!?」
    「おりゃあああーッ!」
     楢崎の三太刀目が、フローラの頭上に落ちてきた。
    蒼天剣・死淵録 6
    »»  2009.09.10.
    晴奈の話、第383話。
    怒りの猛攻。

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    7.
     紅蓮塞の三傑――藤川、篠原、そして楢崎。
     この三人には、ある共通点があった。それは脳の「眠っている」感覚を引き出す能力を、先天的に有していた点である。

    「霊剣」藤川英心は、他人の集中力が途切れる瞬間を見抜くことができた。その力を応用し、相手にまったく知覚されることのない攻撃を可能にした。
    「魔剣」篠原龍明は、相手の指先や踏み込み、視線や呼吸などのわずかな動きから、次に相手がどんな行動をするのか読むことができた。そして自分の戦い方にそれを組み込み、比類なきカウンター術で数多くの敵を葬ってきた。
     そして「剛剣」楢崎瞬二。彼にも特殊な性質があった。

     晴奈たちの時代にはまったくそぐわない、現代科学の話になるが、脳には「リミッター(制御装置)」が存在すると言われている。
     本来ならば人間の力――重力や慣性力を伴わない、純粋な「筋力」と言うものは、途方も無く強いと言われている。端的には百数十キロあるグランドピアノを運べ、鋼鉄製のフライパンを拳大に丸めることさえ可能だと言う。
     だが、そんな無茶苦茶な力を常時出していては、筋肉や骨、血管や神経に重大なダメージを与え、自壊させてしまう。そこで普段は脳が制御し、筋力を最大限発揮しないように抑えているのだ。
     しかし楢崎は――。



    「おりゃあああーッ!」
     楢崎の刀がフローラの頭をめがけて振り下ろされる。
    「は、ぁ……っ」
     フローラは剣を捨て、手足のバネを使って避ける。振り下ろされた刀は石畳の床に当たり、事も無げに切り裂いた。
    「……!」
     その光景を見たフローラの額に、ぶわっと汗が広がる。
    「まさか……、生身でわたしと同じくらい、力が出せるなんて」
    「ハァ、ハァ……、昔からね」
     楢崎はまだ怒りに震えた様子を見せつつ、刀を床から引き抜く。
    「気合を込めると、力が強くなるんだ。特に、怒っている時は……」
     また楢崎が刀を振り上げ、フローラに襲い掛かる。
    「天井知らずで、ね……ッ!」
    「チッ……」
     楢崎の猛攻をギリギリで避けながら、フローラは代わりの剣を探す。
    「うおりゃあッ!」
     だが、楢崎が自分で言っていた通り、楢崎の力は戦いが長引くにつれ増していく。そしてついに、ほんの先端ではあるが、楢崎の刀がフローラの左肩をかすめた。
    「う……っ」
     かすった瞬間、フローラは顔を歪める。そして一呼吸遅れて、裂けた肩口が赤く染まりだした。

     楢崎のあまりの剣幕を見せ付けられ、手出しできなかった小鈴が、相手を冷静に観察する。
    「人形、って言っても、胴体は『ナマ』なのね」
    「ああ……。私も頭と胴体の半分は人間だ」
     いつの間にか横にいたミューズが、小鈴のつぶやきに応える。
    「フローラは両手両足が人形の状態にあり、それを鋼鉄製の素材に置き換えて強化している。下手に突っ込めば……」
     そう言って、ミューズはあごをしゃくる。その方向を向いた小鈴の目に、通路の壁に上半身を突っ込んで気絶しているシリンが映った。
    「……なるほどねー。んで、アンタ大丈夫なの?」
    「ああ、私自身も体を改造していてな、強い魔力源を体内に内蔵することで、高出力の魔術が使える。それで何とか、動ける程度には回復したが……」
     ミューズはもう一度、シリンを見つめる。
    「あいつを掘り起こすほど、状態は改善していない。腕もまだ満足に動かせなくて、な」
    「助けてくれるの? 敵なのに」
    「クク……、『緊急事態に敵も味方もあるか』と言っていただろう? それに、助けてくれた恩は返さねば」
    「あら、ありがと」
     楢崎に助太刀できそうも無いので、小鈴はミューズと一緒にシリンを助けることにした。
    「……えいっ」
     シリンが埋まっている壁を土の術で軟化させ、ずるりと引っ張り出す。
    「うわぁ……、頭割れてんじゃない」
     小鈴とミューズは共に術を使い、シリンを回復させる。
    「う、ん……」
     元々からタフなためか、シリンはすぐに回復した。
    「よし。まだ目覚まさないけど、こっちは大丈夫そうね」
     一安心し、楢崎たちの様子を見た小鈴は言葉を失った。
    「……う、わ、っ」
     楢崎とフローラの戦いは――と言うよりも、剣を失ったフローラが一方的に追い回されている状態だったが――まるで鬼神が暴れているような様相を呈していた。
    蒼天剣・死淵録 7
    »»  2009.09.11.
    晴奈の話、第384話。
    激怒と後悔の果てに。

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    8.
     楢崎の猛攻を半ば必死で交わしつつ、フローラは状況の打開を考えていた。
    (剣が無ければ『九紋竜』は出せない。それを使わなければ恐らく、こいつは倒せそうに無いわ。……どこかに無いかしら)
     自分の剣は既に楢崎によって曲げられ、使用不可能である。ミューズも剣を持っていたが、それも先程、自分が使い物にならないほど叩きすえて、刃こぼれさせてしまっていた。
    (まさか、この男がこれほど手強い相手だとは思わなかったわ。流石に『三傑』、『剛剣』と呼ばれるだけはあったわね。
     ともかく、剣を手に入れないと……)
     だが、そうそう都合よく武器になるものは、自分の近くに無かった。部屋の中にあった家具なども、自分とミューズが戦った時の余波を受け、原形を留めていない。
    「はああッ!」
     それに何より、楢崎の攻撃が先程からわずかずつではあるが自分の体にダメージを与えており、出血も増してきている。
     早々にけりを付けなければ、そのままねじ伏せられてもおかしくは無い状態だった。

     楢崎の心中は依然、怒りでたぎっている。
    (こいつが、黄くんを、黄くんを……ッ!)
     同門であり、親しい雪乃の一番弟子であり、名実共に優秀な剣士と己が認めた晴奈を、フローラは殺したと――笑顔で、悪びれる様子も無く、さらりと――言ったのだ。
    (嗚呼……! 僕はまた、また、やってしまった! またも、大切な人間を護れなかった!)
     晴奈を思えば思うほど、楢崎の怒りは湧き上がる。
    (そりゃ、僕の実力で護るなんて言える子じゃない。それは分かっているさ。
     分かっているけれども、もしかしたら、……一緒に、その場にいれば、黄くんは死ななかったかも知れないじゃないか! 何故、共に戦おうとしなかったんだ!
     心のどこかで、慢心があった――僕らは十二分に強いから、きっと何とかなるさって。……『何とかなる』? こいつの、フローラの言った通りじゃないか!
    『何とかなる』って安易に構えて、寡数で行かせた結果がこれだ! 何故、安全を重視して、みんなで進もうとしなかったんだ!)
     怒りで燃え盛る頭に、次第に申し訳なさが募ってくる。
    (嗚呼、黄くん……! すまない……っ! せめて……)
     執念の末、楢崎の刀がついにフローラの左腕を捉え、刃が食い込む。
    (せめて、こいつだけは……! こいつを倒し、仇を取らなければ……っ!)
     ギチギチと音を立て、金属製の腕が裂け始めた。

     だが、それまで若干青ざめ、戦々恐々としていたフローラの顔に、またあの凄絶な笑みが浮かび始めた。
    「……そうだわ、あったじゃない」
    「……何?」
     フローラは右腕で、左腕に食い込んだ刀をつかんだ。
    「うっ……!」
    「そうよ、敵が散々振っていたと言うのに」
     刀が刺さったままの左腕も器用に動かし、フローラは両手で刀身を握り締める。
    「これを、使わない手はないわよね」
    「く、この……っ」
     楢崎は懸命に刀を引っ張るが、自分が握れるのは鍔から下、柄の部分だけである。対して相手は、刀身の大部分を素手――金属製の手でつかめるのだ。
     そしてこの時、両者の力は互角である。力をかけられる範囲が多い分、フローラの方が圧倒的に有利だった。
    「ふ、ふふ……っ」
    「く、そ、……っ」
     競り負けたのは、楢崎だった。刀は楢崎の手を離れ、フローラの元に移ってしまった。
    「残念だったわね、クス、クスクス……」
    「……~ッ!」
     顔を真っ赤にして憤慨する楢崎を嘲笑いながら、フローラは「九紋竜」を放った。
     だが次の瞬間、楢崎の姿が消えた。そして、楢崎のはるか後方にいた小鈴たちもいない。さらには、先程まで戦っていたミューズと瞬也の姿も――。
    「……『テレポート』ね。忌々しいわ」
     口ではそう言ったものの、フローラは笑っていた。
    (でも、少なくとも2発、いえ、3発は当たったはず。1発でも直撃すれば致命傷のこの技を、それだけ食らえば……)



     フローラの形勢逆転を察知したミューズは、小鈴と瞬也の力を借りて「テレポート」を試みていた。そして術自体は成功し、眠ったままのシリンと、楢崎を引っ張ってくることができたのだが――。
    「まずい、これは……」
     楢崎の胸と腹部には、大穴が開いていた。小鈴と一緒に、懸命に癒しの術を唱えるが、一向に傷はふさがらない。
    「治って、治ってよ! 早く、早くさぁ……!」
     小鈴は顔を真っ青にして呪文を唱えている。ミューズも傷口を押さえつつ術を使うが、血の勢いが弱まらない。
    「いい、いいよ……、多分もう、だめだ……」
    「そんなコト、言わないでよ、瞬二さん!」
     小鈴が涙声で楢崎の弱気をたしなめる。と、今までずっと黙っていた瞬也が、驚いた声を上げた。
    「しゅん、じ? ならさき、しゅんじ、……さん?」
     小さい声だったが、それでも楢崎の耳に、その声は届いた。
    蒼天剣・死淵録 8
    »»  2009.09.12.
    晴奈の話、第385話。
    死の淵に立って。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
    「……?」
     楢崎は弱々しい目で、瞬也の方を見た。
    「……まさ、か?」
    「ぼ、……僕、瞬也です。……楢崎、瞬也、です」
    「ほ、本当、かい?」
     血の勢いが、ようやく弱まってきた。だが、傷が治っている様子は見られない。
    「くそ……! もう一度だ、タチバナ! もう一度、術を合わせるぞ!」
    「うっ、うんっ!」
     二人の魔術師が呼吸を合わせ、高出力の術をかけようとする。だが小鈴もミューズも、「テレポート」でほとんど魔力・気力を使い切ってしまい、唱えている途中で次第にタイミングがずれていく。
    「……まだだ、もう一回!」「うん……っ!」
     小鈴たちが懸命になっている間に、楢崎と瞬也は10年ぶりの再会を噛み締めていた。
    「そうか……、ようやく、会えたんだね……、瞬也」
    「はい、はい……っ。会えました、とっ、父さんっ」
     楢崎の目がにじんでいる。瞬也はボタボタと、涙を流していた。
    「元気で、良かった。……ずっと不安だったんだ。もしかしたらもう、会えないかもって」
    「うぐっ、うぐ……っ」
    「はは……、泣くんじゃない。ようやく、会えたんだ。喜んで、くれよ」
    「父さん、父さぁん……」
     楢崎は弱々しい手つきで、瞬也の頭を撫でた。
     その間に、小鈴たちが何とか呪文を唱え終わる。
    「行くぞ! 『リザレクション』!」
     楢崎の体がうっすらと輝き、傷は今度こそふさがった。
    「やった……! 成功したぞ!」
    「良かった、よがっだぁ……!」
     ミューズは顔面蒼白になりながら、また、小鈴は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらも、術の成功を喜んだ。

     しかし――。
    「……父さん?」
     楢崎は瞬也の頭に手を当てたまま、動かなくなる。
    「え……?」
     ミューズと小鈴の顔がこわばる。
    「馬鹿な……! 術は、完璧だったはずだ」
    「え? ……ちょ、えっ?」
     二人は楢崎の傷をもう一度確認する。
    「ふさがってるわよ、ちゃんと……」
    「ああ。傷は治っている。治っているんだ!」
     小鈴は恐る恐る、楢崎の胸に手をやる。
    「ねえ、……眠ってるだけよね? 疲れたのよね? ねえ、起きてよ」
     だが、小鈴の指先は、楢崎の鼓動を見つけられない。
    「起きてってば……、ねえ、冗談やめてよ、ねえってば!」
    「……くそ……!」
     小鈴は涙を流しながら、楢崎の体をゆする。ミューズは呆然と地面に手を付き、顔を伏せる。
    「父さん……、そんな……、そんなのって……」
    「起きてよぉぉ! いやぁぁぁぁ!」
     瞬也も小鈴と同じように、楢崎の体を揺さぶる。
    「父さぁぁぁぁん……!」
     だが、その声に楢崎が応えることは、二度と無かった。



     ヘックスとキリアは壁に埋まった晴奈の体を掘り起こそうと、適当な道具が無いか周りを探していた。
    「……これ、使えるかしら?」
    「ん? これ……、コウの刀、かな。真っ二つやん」
    「圧倒的、過ぎるわね。……もう誰も、フローラには勝てないかも知れない」
    「ああ……」
     二人は絶望感に襲われつつも、晴奈の周りの壁を「大蛇」の残骸で掘り始めた。
    「……ちょっと、期待しとったんや」
    「え?」
    「コウ、もしかしたらフローラとか、ドミニク先生とか倒してくれへんかなって。前に戦った時、めっちゃ強かったんや」
    「相変わらずね、兄さん。他力本願が過ぎるわ」
    「……うん」
     ヘックスはうなだれつつも、壁を掘る手を止めない。
    「……でも、私も期待した」
    「……そっか」
    「斬られて朦朧としてる時、コウを見て……、敵だって言うのに、希望を持ったわ」
    「……」
    「味方だったのに、フローラにはもう、絶望しか感じられなかった。……コウは、そうじゃなかった。
     ……正直言って、今も私、コウが生き返ったらって思ってる」
    「オレもや。せやから、こんなことしとるんや」
    「……うん」
     二人の会話がやむ。
     部屋の中にはただ、ザクザクと言う音が響いていた。



     晴奈はぼんやりと、川岸に座っていた。
    (……ここは……)
     辺りは静寂に包まれ、上を見上げるとキラキラと星が輝く夜空が見える。
     いや、夜空と言うには妙に暗すぎる。満天の星空だと言うのに、星々の間にある夜空は吸い込まれそうなほどに暗く、黒い。
     そして良く見れば、輝く星は通常見ている星のように、空中を回転したりはしていない。静かに、そしてゆっくりと、すべての星が一様に落ちてきている。
     真っ暗な空を、ひたすら星が沈み続けている。
     どう考えても、この世の風景ではなかった。
    (……冥府……)
     不意に、晴奈の頭の中にその言葉が浮かんできた。
    (そうか……私は死んだのか……)
     空を見上げているうちに、ぼんやりと思い出してきた。
    (そうだ……私はフローラと戦い、彼奴の技に貫かれて……そして、死んだのだ)
     ぼんやりと立ち上がった思考が、またぼんやりと沈み始める。
    (そうか……。死んだか、黄晴奈は。
     何と言う半端者か……。あのような邪悪に、手も足も出ずに負けるとはな。何が英雄だ、何が、侍だ。所詮私など、瑣末な者でしかなかったと言うことか)
     晴奈の意識が徐々に薄れていく。
    (星が落ちていく。星が墜ちていく。
     墜ちて、落ちて……、墜落し、果てる。
     私も現世から落ち、墜ちたのだ。後はただ……、果てるだけ……)
     意識が薄れると共に彼女は目をつぶり、その場に仰向けに倒れようかと手を広げた。
     だが、その手を誰かが引っ張る。
    《ざけんな、セイナ》
    「え……?」
     晴奈は目を開ける。
    《まだ……、終わっちゃいねえだろうがよ》
     そこには、全身真っ黒な狼獣人が立っていた。

    蒼天剣・死淵録 終
    蒼天剣・死淵録 9
    »»  2009.09.13.
    晴奈の話、第386話。
    親友(とも)の応援。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    《ざけんな、セイナ》
    「え……?」
     晴奈は閉じていた目を開ける。
    《まだ……、終わっちゃいねえだろうがよ》
     そこには、全身真っ黒な狼獣人が立っていた。
     その狼獣人には見覚えがある。いや、それどころではない。何年も戦い、そして無二の親友と感じていたあの男だった。
    「ロウ……!?」
    《ああ、そうだ。……ウィルって呼んでもいいぜ》
     彼の服は、ゴールドコーストでいつも見ていたような央中風の普段着ではなく、黒炎教団の僧兵服になっている。
    「記憶が、戻ったのか?」
     ウィルは晴奈の手を離し、隣に腰掛ける。
    《ああ。……でも遅いよな、今更。死んじまっちゃ、親父にも、兄貴や姉貴にも、嫁さんと子供できたなんて報告できねーしよ》
    「そう、だな」
     すぐ隣にいるのに、ウィルの声は遠くから聞こえるように、妙にひずんでいる。
    《なあ、……だからさ、セイナ。伝えてくんねーかな、親父たちに。『オレの家族がゴールドコーストにいる』ってよ》
    「……道理を考えてものを言え、ウィル。私はもう……」《だから、ざけんなって言ってんだろ?》
     ウィルは晴奈をにらみ、声を荒げる。
    《お前はまだ、行けるはずだぜ? オレの声、どう聞こえてる?》
    「え……?」
    《お前が本当に『こっち』の住人になっちまったってんなら、オレの声は変な風に聞こえてねーはずだ。
     それとも、本当にもう、お前は死んじまったって言うのか?》
    「……」
     晴奈はウィルから顔をそむけ、猫耳をしごき出す。
    「確かにお主の声は先程から、妙に遠く聞こえる。ならば、私はまだ死んでいないと、そう言うことになるのだな」
    《そうだよ、だからさ……》「だが」
     晴奈は両手で顔を覆い、震える声で心中を語り始めた。
    「……だが、今生き返って、どうなると言うのだ? 既に私は負けたのだ」
    《だから?》
    「私は、怖いのだ……! 生き返ればまた、私を殺したあの女と戦わねばならぬ」
    《怖い? 本気で言ってんのか、それ?》
     ウィルの顔が怒りでこわばり始めるが、それでも晴奈の口は止まらない。
    「本気、だとも。あの女は私の刀を、あの『大蛇』をやすやすと砕き、私を幾度も壁に叩きつけた。勝てる気がしないのだ……!
     そもそも刀を失った今、どうやって対抗しろと言うのだ? 素手で戦える相手では、ない」
    《何を寝言、吹かしてやがる》
     晴奈がそこまでしゃべったところで、ウィルが両手で包み込むように晴奈の顔をつかんで、ぐいっと引き寄せる。
    《情けねーな、セイナ。忘れたのかよ?》
    「え?」
     ウィルは晴奈の顔をつかんだまま、熱い口調で語りだす。
    《お前の故郷の、黄海の近くで戦った時。お前、オレに刀を折られたよな?
     んで、その後どうした? 逃げたか? 違うよな?》
    「……」
     そう詰問され、晴奈は記憶を掘り起こす。
    「……ああ、そうだったな。確かに私はあの時、逃げたりせずに脇差で戦った」
    《だろ? その結果、粘り勝ちみたいにして勝ちやがった。お前は、セイナってヤツは、そう言うヤツなんだよ。
     お前はどんなに窮地に陥ろうとも、どんなに逆境へ入り込もうとも、決してめげないヤツだ。黄州平原でも、アマハラの隠れ家でも、どこだってそうやって凌いで、勝ちをもぎとってきたじゃねーか。
     だからセイナ、もっかい頑張ってみろって》
     晴奈は依然顔をつかまれたまま、それでも逡巡する。
    「……しかし……」
    《『しかし』、何だよ?》
    「私が、……私は、負けたのだ。勝つことなど、できるのか?」
    《セイナ……》
     そこでようやく、ウィルは晴奈の顔から手を離した。
    《変だぜ、お前。何つーか、心が折れてるっつーか》
    「……ああ、折れたのだ。
    『大蛇』が折れたあの時、私の心も同時に、音を立てて折れてしまった。あの瞬間を思い出せば思い出すほど、私の心がガクガクと震え、全身が冷たくなる……!
     最早私に、戦うことなど……!」
    《まだ寝ぼけてやがるのか、てめーは!》
     ウィルはもう一度晴奈をにらみつけ、平手打ちを食らわせた。
    「うっ……」
    《お前が口先でどーのこーの言ってよーが、んなもん関係あるかッ!
     もうお前しかいねーんだよ、戦えるヤツは!》
    「な……に?」
    《今さっき、ナラサキさんがやられた。シリンも目を覚まさねー。
     あのうさんくせー賢者も、体を奪ったばっかで全然本調子じゃねーんだ。
     公安のヤツらじゃぜってー勝ち目はねーし、味方になった敵も怯えちまってる。
     それに、……それに、エフも今、あそこにいるんだぜ?》
    「え、ふ?」
     もう一度、ウィルが晴奈の頬に手を当てて顔を近付ける。
    《エフ……、フォルナのコトだよ。あいつもお前を追っかけて、あの穴倉の中にいる。
     お前、できるとかできないとか、んなコト考えるヤツだったか? オレの知ってるセイナは、黄晴奈は、そんなボンクラなんかじゃねーぞ。
     本当の、本来のお前なら、『できる』『できない』じゃなく、『やる』『やらない』で行動するヤツだったはずだ!
     いいや、いつものお前ならこう言うはずだッ! 『どれほど敵が強大だろうと、私はやらねばならぬのだ』ってな!》
    「……!」
     ウィルの熱く燃える瞳に射抜かれ、晴奈の心に火が灯った。
    「やらねば、ならぬ。……か」
    《そーだよ。お前が今、やらなきゃ。今、戦わなきゃ。みんな死んじまうんだ。
     大体な、心が折れたとか抜かしてたけど、んなもん燃やして、いっぺん融かしちまえばいいんだよ。
     お前の心は鋼鉄の刀だ。折れたってんならもっかい融かして、固めて、叩いて、もっかい新しく刀にしちまえばいい。
     ……燃えろよ、セイナ》
     そう言うなり、ウィルは晴奈に顔を近付け――口付けした。
    蒼天剣・白色録 1
    »»  2009.09.15.
    晴奈の話、第387話。
    黄泉からの帰還。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「んっ……、んーっ!?」
     ウィルに口付けされたまま、晴奈は顔を真っ赤にしてもがく。
     この状態では晴奈はしゃべれないが、どうやらウィルは普通に話せるらしい。
    《はは、はははっ》
    「んー! むー!」
    《いっぺん、やってみたかったんだ。『ウィル』の記憶が戻ったら、お前に、こうしてみたくってたまらなかった。
     ま、シルにゃちょっと悪いけど》
    「んんん! んむむ!」
     長い接吻の後、ようやくウィルが顔を離す。晴奈は口を両手で覆い、わめきだした。
    「にゃ、にゃっ……、にゃりにょすりゅ、きしゃまー!」
    《ぶっ……、はは、はっははははっ!》
     興奮で呂律が回らない晴奈を見て、ウィルは大笑いした。
    《きしゃま、だってよ! くく、ぶっ、ぷぷ……》
    「ハァ、ハァ……。きっ、貴様っ! いっ、いきなりっ、なっ、なな、何をするっ! わた、私の、私のっ」
    《ぶはははは、はー……。ああ、面白かった! 予想以上に、いい反応してくれたもんだぜ》
    「うにゃ、がっ、ふにゃあああ~!」
     興奮が収まらない晴奈はわめき続けるが、自分でも何を言っているか分からないくらい、言葉がまとまらない。
    《……もう飛んでったろ? あの女のコトなんて》
    「えっ?」
     突然真面目な顔になったウィルにそう問われ、晴奈は内省する。
    「……ま、まあ。確かに、そうだ、な。お主の、……その……、あれ、で、何だか、どうでも良くなった、気がする」
    《だろ? ……どーだよ? 今、お前は震えてるか?》
     そう問われ、晴奈は我が身を振り返る。先程までガタガタと震えていた体は、何も無かったように静止している。
    「……いいや」
     晴奈の様子を見たウィルは、ニヤッと笑って腰を上げた。
    《よっしゃ、『焼き入れ』完了だな。
     頑張ってこいって、セイナ。お前なら、やれる。さっさと戻ってあんなクソ女、とっとと退治してこいよ。
     ……そんで、それが片付いたら、……頼む。シルとガキたちに、『父さんはお前らのコト、ずっと見守ってるから』って。
     それから親父に、『オレは最期になって、ようやく悔い改めた。本当に不出来な息子で、すまなかった』って。……そう、言っといてくれよ》
     ウィルはそう言って、踵を返した。
    「おい……? 待て、ウィル」
     晴奈が呼び止めたが、ウィルは背を向けたまま手を振り、そのまま虚空へと消えた。

     もう周りの星は、沈まなかった。



    「……う」
     晴奈の体を掘り出そうとしていたシグマ兄妹は、うめくような声を聞き取った。
    「ん? ……何か言うたか、キリア?」
    「いいえ? 兄さんじゃないの、今の」
    「ちゃうで。……気のせい、っちゅうワケやなさそうやな」
     ヘックスたちは壁から離れ、辺りの様子を探る。
    「誰も……、いないわね」
    「ああ……」
     そこでまた、うめき声が聞こえてくる。
    「……う、ぬ」
     ヘックスとキリアは青ざめ、互いに顔を見合わせる。
    「……聞こえた?」
    「お、おう。……まさか、とは思うけど」
     そこでヘックスが、壁に埋まった晴奈にチラ、と視線を向けた。
    「……!?」
     視線を向けた瞬間、ヘックスは口から心臓が出るかと思うほどに驚いた。
    「すまぬ。ちと、手を貸してくれ」
     先程まで完全に死んでいたはずの晴奈が、右手を差し出していた。
    「嘘でしょ……。完璧に、死んでたはずよ!?」
    「お、お前まさか、ゾンビかなんかになったんちゃうやろな?」
     遠巻きに見つめられた晴奈は、憮然とした口ぶりで手を振る。
    「ふざけたことを。……いいから、手を貸せ」
    「あ、……はい」
     兄妹は恐る恐る、晴奈の手を引っ張った。その手には確かに脈があり、温かい。
    「ホンマに、生きとる……」
    「信じられない……」
     兄妹の手を借り、晴奈は壁から抜け出した。
    「ふう……。ああ、あちこちが痛い」
    「そりゃ、あれだけ打ち込まれたら、……あ、あの、コウ?」
    「うん?」
     キリアが兄の前に立ち、晴奈の姿を隠すようにして話しかけた。
    「その、あなた。……服が」
    「服?」
    「……見えてる」
    「何?」
     そう言われ、晴奈は自分の体を確かめる。
    「……~っ!?」
     道着がボロボロに千切れ、さらしも解け、彼女の(あまり豊かではない)胸が見え隠れしていた。
     晴奈は声にならない叫びを上げ、その場にしゃがみこんでしまった。
    蒼天剣・白色録 2
    »»  2009.09.16.
    晴奈の話、第388話。
    イメチェン?

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    3.
    「サイズがちょっと合わないかもしれないけど、我慢してね」
    「ああ。ありがとう、助かった」
     晴奈が目を覚まして、数分後。道着が衣服の用を足さなくなってしまったため、晴奈はキリアの部屋に行き、服を借りることにした。
    「も、もうええか?」
     キリアの部屋の前で待っていたヘックスが、申し訳なさそうな声をかけてきた。
    「いいわよ」
    「そ、そんじゃ、お邪魔するで」
     顔を真っ赤にしたヘックスが、おずおずと入ってきた。晴奈も顔を赤くしつつ、尋ねてみる。
    「……さっきの、見たか?」
    「う、ううううん。み、見てへんよ、全然、うん」
    「見たでしょ……。動揺しすぎよ」
    「……ホンマ、すんません」
     あまりにもおどおどとしたヘックスの態度に、晴奈はため息をついた。
    「……いいさ、過ぎたことだ」
    「それにしても、コウ」
     キリアは洋服姿の晴奈を見て、感心したような声を上げる。
    「似合ってるわね」
    「そ、そうか?」
     率直にほめられ、晴奈は気恥ずかしくなる。ほめた本人も、恥ずかしそうに口元をコリコリとかく。
    「……まあ、こんな話をしている場合じゃなかったわね。
     えっと……、私が持ってる武器、もう剣しかないんだけど、それでいい?」
    「ああ、上等だ」
     晴奈はキリアから剣を受け取り、装備する。
    「大体の使い方は同じだろう?」
    「ええ、まあ。ただ、刀に比べるとどうしても肉厚だから、切れ味は劣るわ。その分、打突に優れてはいるけれど」
    「そうか。それだけ聞けば、十分」
     晴奈は腰に提げた鞘から剣を抜き、軽く素振りしてみる。
    「ふむ……。確かに少し、重心が違う。だが、……問題なし」
    「……敵方のあなたにこんなお願いをするなんて、本当にみっともないけど」
     キリアは深々と、晴奈に頭を下げる。
    「フローラを、倒して。もう私たちは、あいつに付いて行こうなんて思えない」
    「オレからも頼むわ。……今までオレたちは、正義のために頑張ってきたつもりやった。あんなヤツのために、頑張ってきたんちゃうんや」
    「……相分かった。では、行って参る」
     晴奈は兄妹に一礼し、部屋を出た。



     一方、モールたちとバートたちは無事合流し、情報を交換していた。
    「そっか、首領は倒したのか。……アンタが体、奪って」
    「そーゆーコトだね」
    「……すごく、違和感がありますわね」
    「言うねぇ、帽子っ娘」
     モールはクリスの体でクスクス笑いながら、バートたちが持ってきた情報を確認する。
    「んで、あの筋肉と派手頭と小鈴が、別行動か。……良くないかも知れないね」
    「え?」
    「さっきから、嫌な気配が漂ってるんだよね。何と言うか、眠っていた怪物を起こしたような」
     モールは帽子のつばを下げ、重々しい口調で語る。
    「もしかしたらね。私らがこの場所に踏み込み、戦ったせいで、フローラは覚醒したのかも知れないね。
     最初は少し、ヤバげな雰囲気しか出してなかった。正直、小物だとしか思ってなかったんだよね。
     でもさっき、急に気配が濃くなったね。まるで何かを食い物にし、増長したように、そのヤバい空気が強まったんだ。そしてついさっきだけどね、もう一段階、ブワっと気配が膨らんだ。どうやら戦うごとに、急激に強くなっているらしいね。
     まるでホワイトホール――無限にエネルギーを放出する、異空間からの穴のようだね。戦えば戦うほどその穴は広がり、加速度的にヤバさを増していく。
     下手に交戦すれば、手に負えない怪物と化すかも知れないね。早いところ小鈴たちと合流しなきゃ、全滅も有り得るね」
    「マジでか……」
     バートがごくりとのどを鳴らす一方で、フォルナは本気にしていない。
    「また、ご冗談を。わたくしたちには力強い仲間が、大勢いらっしゃいますでしょう?」
    「その、仲間だけどね」
     モールは帽子のつばを上げ、フォルナを見据える。
    「晴奈と別行動を取った後、そのヤバい気配が強まったんだよ?」
    「……どう言うことでしょう?」
    「分かんないかね。もし晴奈が勝ったってんなら、気配は消えてるはずだね。だが現実は逆。気配が強まったってコトは、晴奈は恐らく……」
     モールはそこまで述べたところで、突然言葉を切った。
    「……ヤバいよ、ヤバい」
    「え?」
     モールの視線の先に、微笑を浮かべるフローラが立っていた。
    蒼天剣・白色録 3
    »»  2009.09.17.
    晴奈の話、第389話。
    阿修羅姫の舞。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「あら、お母様?」
     フローラはモールを見つめ、首を横に振った。
    「……いいえ、違うようね。服装があの『旅の賢者』のものだし、オーラもまるで別物。
     モール。あなた、お母様の体を奪ったのね」
    「ああ」
     モールがうなずいたその瞬間、彼の体は青白い光弾に弾かれた。
    「ぐえ……っ」
    「そう。じゃあ、殺してもいいわよね?」
    「いきなり、か……っ」
     どうやら、命中する直前に魔術で防御していたらしい。モールはヨロヨロと立ち上がり、フローラをにらみつけた。
    「クリス母様も、ドミニクも、ドクターも、いなくなったのね。……じゃあ、わたしがこの組織の長と言うわけね。
     それなら適切な行動をしなければ、みんなに示しが付かないわよね?」
     フローラがまた刀を振り、青白い光弾を発射する。先程剣で戦っていた時よりも鋭く速い光弾によって、モールの作った魔術の壁が一瞬で崩れ去る。
    「抹殺よ」
    「ダメだ、コイツ……! 思考が滅茶苦茶になってるね」
    「滅茶苦茶? いいえ、わたしは正常よ。極めて、冷静。あなたたちは敵、だから排除する。これのどこに、おかしい点があるのかしら?」
    「笑いながらできるかってね、こんなコトが!」
     モールはもう一度、壁を作る。だがこれも、フローラが放つ「九紋竜」で瓦解する。
    「それも、ちゃんと理由があるわ。あなた、さっきから無駄にあがいて、あがいて……。無駄って分からないのかしら、そんな壁」
    「……やっぱり異常だね。もう話なんか、できそうにない」
    「する必要があるのかしら? 2分後には死体になる人たちと、話なんて」
     もう一度、「九紋竜」が放たれる。光弾は先程よりはるかに速く、モールの壁は間に合わなかった。
    「しまっ……」
     九つの光弾が、モールたちに飛び込んでくる。

    「ぐ、がっ」
     モールはまともに食らい、ピクリとも動かなくなった。
    「ぐあっ……」
     バートの左足に当たり、太ももが抉り取られる。
    「ひ……」
     ジュリアの脇腹をかすり、血しぶきが弾ける。
    「うぎゃ……」
     フェリオが散弾銃で撃ち落とそうとしたが、無意味だった。
    「……!」
     エランは何とかかわしたが、代わりに彼の帽子が粉々になる。
    「い、いや……っ」
     そして光弾の一つが、フォルナの顔面目がけて飛んできた。
    「フォルナさんっ!」
     エランはがむしゃらに走り、フォルナを突き飛ばした。そして代わりに、彼の右肩の半分近くが血の塊になって、通路の端へ飛んでいった。
    「うあ、ああああ……ッ!」
    「え、エラン!」
     一人無事だったフォルナはエランに駆け寄り、肩から噴き出す血を押さえようとする。
    「ぶ、無事でしたか。良かった」
    「良くありませんわ! ああ、血がこんなに……!」
    「い、いいんです。あなたが、無事なら」
    「ですから、っ、良く、ありません、わよ」
     痛みで顔を歪めるエランを見ているうちに、フォルナはボタボタと涙を流し始めた。
    「死んでは、ダメ、エラン……!」
    「ふふ、ふふ……」
     6人の様子を眺めていたフローラは、また笑う。
     その笑いは残酷なほど、妖艶で美しかった。
    「うざったいわ。死んで」
     フローラは倒れた6人にとどめを刺そうと、刀を振り上げた。

     その時だった。
    「……!」
     フローラは急に振り返り、挙げていた刀を振り下ろす。それと同時に、フローラの目の前で炎の筋が四散した。
    「これは……」
    「フローラ・ウエスト! この黄晴奈が相手だッ!」
     フローラの前に、殺したはずの晴奈が立っていた。
    「……あは、ははは。どう言うことかしらね、これは?」
     フローラは刀を脇に構え、晴奈の姿を眺める。
    「亡霊? それとも屍鬼?」
    「紛れもなく、生きた人間だ。
     お前を倒すため、皆を護るため、私は冥府の底から舞い戻ってきたぞ……ッ!」
    「ああ、そう。……クスクス、『護る』ですって? 修羅のあなたが?」
    「私はもう、修羅ではない。修羅の私は、お前に斬られて消え去った」
     晴奈の言葉に、フローラはまた笑い出す。
    「あははは……、何それ? じゃあ今のあなたは何なの?」
    「今の私は修羅にあらず。ただ一念に、『守護』の念を持って戦うのみだッ!」
    「あっそう。……ああ、うざいうざい。反吐が出るわね。殺し損ねたら、こんなうざったいキャラになるなんて」
     フローラの笑顔が消える。その顔には、今まで笑顔の裏でほの見えていた悪感情――万物に対する憎悪が満ち満ちていた。
    「じゃあもう一回、殺してあげるわ! もう一度冥府へ墜ちなさい、セイナ!」
    「やってみるがいい、フローラ!」
     晴奈も剣を構え、フローラに飛び掛った。
    蒼天剣・白色録 4
    »»  2009.09.18.
    晴奈の話、第390話。
    ねじれる再戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ねじれ、とでも言えばいいのか。

     刀を使う晴奈がキリアから借りた剣を握り、逆に剣を使うフローラが楢崎から奪った刀を握っている。
     死んだはずの晴奈がよみがえり、無から作られた存在のフローラと対峙している。
     そして、己の中に巣食う修羅を完成させた「阿修羅」フローラが、修羅の気を払い去った晴奈と戦っているのだ。
     武器、因縁、性根――あらゆるものがねじれ、絡み合い、その場は異様な雰囲気を呈していた。



    「さっさと死になさい……! 『九紋竜』!」
     フローラが刀を振り、青白い光弾を放つ。
    「えやあああッ!」
     晴奈は剣にあらん限りの闘志を注ぎ込み、真っ赤に燃え盛る炎でそれを弾き飛ばす。
    「な……!?」
     その光景に、薄ら笑いを浮かべていたフローラは目を丸くする。
    「……ふうん。さっきより全然、マシな戦い方をするじゃない」
    「甘く見るな! 今度死ぬのは貴様だッ! 『火射』!」
     晴奈の剣が火を噴き、フローラへ向かって放射される。
    「くっ……!」
     フローラは刀を横に薙ぎ、炎の剣閃を真っ二つに割った。
    「一体何があったのかしら? まるで別人ね」
    「貴様も堕ちてみれば分かるさ、色々とな……!」
     晴奈の闘気は、時間が経つにつれ熱気を増していく。既にこの時、手にしていた剣はぼんやりと赤く光り始めていた。
    「でも、やっぱりダメね。見てみなさいよ、その剣。灼け始めてるじゃないの、クスクス」
    「それがどうしたッ!」
    「分からない? そのままヒートアップしていけば、いずれその剣は折れるわ。……もって、10分と言うところかしらね」
     フローラは刀を振り回し、縦横無尽に光弾を撃ち出していく。晴奈は剣でそれを受けるが、確かにフローラの言う通り、受けた時の様子が変化し始めている。
     戦い始めた当初はキン、キンと言う鋭い音と共にわずかに火花を散らしていたが、今はその音が鈍くなり、火花も尾を引いている。急激な温度変化により、剣を構成している金属が粘性を帯び始めている――即ち、剣が晴奈の気合に耐え切れず、融解しかかっているのだ。
    「ほらほら、どうしたの!? またあの世が恋しくなったのかしら!?」
    「なるか、外道め! 真に彼岸がふさわしいのは、貴様の方だッ!」
     それでも晴奈の気合、そして魔力は加速度的に膨らんでいく。剣の赤みがさらに増し、薄暗い通路がぼんやりと照らされるほどに明るく輝き始めた。
    「言っても分からないようね、クス、クスクス……。10分どころじゃないわ。もう2、3分でその剣は限界に達する!
     その時があなたの果てる時よ、セイナ!」
    「いいや、果てるのは……」
     晴奈は一層気合を込め、剣に膨大な熱量を与え続ける。
    「貴様だーッ!」
     この瞬間、剣はほとんど真っ白と言ってもいいほどに輝き、同時に空気が煮え立つ。
    「『炎剣舞』ッ!」

     その瞬間、通路は真っ赤に照らされ、フォルナの視界がさえぎられる。
    「う……っ」
     屋内から白日の下に躍り出た時のように、目の前が真っ暗になる。
    「……」
     光が消えたところで、フォルナは目をしばたたかせて視力を取り戻そうとする。だが、あまりに激しい輝度の変化で、すぐには様子が見えない。
    「……ハァ、ハァ……」
     晴奈の呼吸する声が聞こえてくる。フォルナは一瞬、晴奈が勝ったのかと期待した。
     しかし――。
    「……ほら、言ったじゃない」
     フローラの勝ち誇ったような声が、耳に飛び込んでくる。
    「面白いものが見れたわね。
     何よ、その剣? まるで溶けかけたチョコレートみたい」
     ようやく視力の戻ってきたフォルナの目に映ったのは、どろりと刀身が曲がった剣を握り締めた晴奈の姿だった。

     晴奈の剣は融け、最早原形を留めていない。対してフローラの刀は、見たところ何の変化も無い。
     彼女たちの体力も、武器に反映されているようだった。晴奈はゼエゼエと肩で息をしていたが、フローラはわずかに胸が上下している程度である。
     どう見ても、劣勢に立たされているのは晴奈だった。
    「どうするの、セイナ?」
    「ハァ……ハァ……」
    「剣、使い物にならなくなったわね。そこからどうやって、わたしに勝つと言うのかしら?」
    「ハァ……すぅ……」
     しかし、晴奈の心は折れるどころか、曲がりも軋みもしていない。欠片も臆することなく、フローラをはっきりと見据えつつ、静かに呼吸を整える。
    「今度堕ちるのは、一体誰かしらね? どう見ても、あなただと思うのだけれど」
    「すぅ……すー」
    「あら、まだ何かするつもり?」
     晴奈は融けた剣を構え直し、もう一度火を灯す。
    「もしかして、気が狂ったのかしら? そんなドロドロの剣に火を灯して、何になるの?」
    「おしゃべりは終わりか?」
     晴奈はギロリと、フローラをにらみつけた。
    「……あなたもいい加減、黙ったらどうかしら? あなたと話をしても、もう不愉快なだけ」
     フローラが刀を構える。
    「今度こそ死ぬがいいわ! 『九紋竜』!」
     フローラの放った光弾が、晴奈を狙う。
    「……すー」
     晴奈はもう一度深呼吸し、その光弾へと飛び込んだ。
    「……ぉぉぉおおおおおッ!」
     曲がった剣を振り回し、その光弾を蹴散らしていく。
    「まだ『九紋竜』を弾くだけの気力は残っているようね。でも、それだけじゃわたしは倒せないわよ!」
     フローラはもう一度、「九紋竜」を放つ。そして立て続けにもう一度、二度と、大量の光弾を撒き始めた。
    「この『弾幕』に耐え切れるかしら!?」
     晴奈の前に、無数の光弾が迫ってくる。
     先程赤く染まった通路は、今度は青く染まった。
    蒼天剣・白色録 5
    »»  2009.09.19.
    晴奈の話、第391話。
    「炎剣舞」を超えるもの。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     光弾を弾いていた、その刹那。

     晴奈の脳裏に、ウィルと話した時の景色がよみがえってきた。
    (……星……)
     あの河原で見た、無数に落ちる星。その様子が、この光弾の海と重なった。
    (あの星は、一体何だったのだろうか?)
     晴奈の体は勝手に、光弾を弾こうと動き回っている。だが、頭の中はどこか、別のところにあった。
    (虚空を滑り、無限に墜ちていく星々。星は通常、夜空を翔けるものだ。だがあの星たちは、ずっと沈み続けていた。
     では、あれは星ではないのだろうか?)
     晴奈は無意識的に光弾を弾き、かわし、避け続ける。
    (もしかしたら、あれは魂? 冥府に墜ち行く人々の魂なのだろうか?)
     その動きは既に、常人の理解を超えていた。
    「……何で当たらないの?」
     フローラのいぶかしげな声も、没頭している晴奈の耳には入らない。
    (それとも、あれは地上からの光? 空からの光が地に沈むと、あのように緩やかな動きになるのだろうか?)
     フローラは何度も「九紋竜」を撃ち込んでくるが、一発も晴奈に当たらない。
    (考えれば考えるほど、分からない。もしかしたらあれは、完全に死んでからしか、理解し得ぬものなのかも知れぬ)
    「何で、当たらないのよ!?」
     フローラの、苛立たしげに叫ぶ声に、晴奈の意識は呼び戻される。
    (ん……。ああ、そう言えば戦っていたのだった。
     ……えっ!?)
     そう思った瞬間、晴奈は驚いた。
     先程まで、あれだけ怖くて仕方の無かった目の前の敵が、急に小さく、瑣末なものに思えたからだ。
    (こんなもの……、だったのか? 先程苦戦していたのは、一体……?)
     この時、晴奈の脳内を、ひどく奇妙な感覚が駆け巡った。



     晴奈は見下ろしていた。
     必死になって光弾をばら撒くフローラ。
     通路を埋め尽くす光弾。
     そして、それをひらりひらりと避ける自分を。
    (え……。今、ここにいる私は、一体?)
     まるで天空から眺めるかのように、晴奈は自分自身を見下ろしていた。
    (ああ、おい……。そっちじゃない)
     眼下の自分が、光弾の密集したところに突っ込もうとしている。
    (そっちじゃない、右だ)
     天空からの自分の声が聞こえたかのように、下の自分はくるりと体勢を変えて右に避けた。
    (そうだ、それでいい。……おい、また危ないところを)
     下の自分は、見ていて非常に危なっかしかった。何度も声をかけて、光弾を避けさせる。
    (ああ、もう! もどかしいっ!)
     晴奈は下の自分の動きに段々イラつきを覚え、つい、ひょいと手を伸ばしてその体をつかんだ。

     ふたたび現実と、晴奈の意識が一つに合わさる。
    「……こうだろう、こう……!」
     突如晴奈は、フローラに向かって一直線に走り出す。だが「九紋竜」の無数の光弾は当たるどころか、一発もかすりすらしない。
    「なっ……!?」
     飛び込んでくる晴奈を見て、フローラが表情をこわばらせる。
    「そう……、こうだッ!」
     晴奈はさらに加速し、フローラの眼前まで迫った。



     瞬間――晴奈の姿が、消える。

    「……ッ!」
     フローラは狼狽した様子ながらも刀を構え、晴奈の攻撃を受けようとする。
     だが構える前に、晴奈の攻撃がフローラの胴を打っていた。
    「あ……っ?」
     剣が既に曲がっているためか、威力はきわめて低く、致命傷にはならない。だが、フローラは目に見えて慌て出した。
    「み、見えない……っ」
     続いて二太刀目。今度はいきなり背中を打たれる。
    「げほ……っ」
     三太刀目、四太刀目、五太刀目と食らっても、フローラは晴奈の姿を捉えられない。
    「な、何故……!?」
     潰れた剣といえども、立て続けに攻撃されればダメージは積み重なっていく。
    「何で、何で……!?」
     六太刀目がゴリ、と音を立ててフローラの、鋼鉄製の右腕に食い込む。
    「何で、あなたが見えないの……!?」
     七太刀目が左脚を潰す。八太刀目がもう一度右腕に当たり、粉砕する。
    「どうして? どうして……ッ!?」
     そして九太刀目が、フローラの額を割った。



     勝負は決した。
     突如、晴奈が目にも留まらぬ、いや、目にも映らないほどの速さで縦横無尽に斬りかかり、狼狽するフローラを切り刻んだ。
     傍目には、そうとしか見えなかった。
    蒼天剣・白色録 6
    »»  2009.09.20.
    晴奈の話、第392話。
    不可視の剣舞。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
    「……?」
     晴奈は曲がった剣を握ったまま、倒れたフローラに背を向けて突っ立っていた。
    「せ、セイナ……」
     フローラの弱々しい声で、晴奈はようやく我に返る。
    「えっ……?」
     右腕を断たれ、床に倒れたフローラを見て、晴奈は驚いた。
    「……!」
    「何よ、その顔……。まるで気が付いたら、相手が倒れてたみたいな」
     晴奈は既に無力となったフローラの横にしゃがみ込み、上半身を助け起こしながら、半ばうろたえつつも応えた。
    「い、いや。……いや、そうかも知れぬ。まるで私は、天空から己を操っていたような、そんな感覚で戦っていた」
    「天空から、自分を……。まるで、マリオネットね」
    「まりお、ねっと?」
     フローラはニコ、と笑う。その笑顔には今までのような悪辣な影がなく、すっきりと澄んでいた。
    「糸で動かす、操り人形のことよ。……分かったような気がする。あなたの姿を、追えなかったわけが」
    「何?」
    「わたしは地上からの視点で戦い、あなたは天空からの視点で戦っていた。
     わたしには前しか見えなかったのに、あなたは真上からすべてを見つめていた。そりゃ、見えないはずね」
     そう言われても、晴奈には何がなんだか分からない。
    「その……いや……」
    「ふふっ……。『阿修羅』となり地に墜ちたわたしには、絶対に見ることのできない視点。そして修羅の道から脱したあなただったから、天に昇ることができた。
     ……わたしの、負けよ」
     フローラは弱々しく左腕を上げ、ガラスの腕輪を晴奈の鼻先に掲げる。
    「わたしは……、何でも知っているわ。何でも、調べたわ。
     この、ガラスの腕輪。元々は、ドミニクが央南での暗殺を行った際、とあるガラス職人の家で奪ったものらしいわ。そう、キリムラとか言う職人から」
    「桐村? ……まさか、良太の」
    「多分、そう。……返してあげなさい、セイナ。殺刹峰潰しは、あなたの弟からの頼みでもあったんでしょう? これが、その証明になるわ」
     晴奈は腕輪を受け取り、自分の腕にはめた。
    「……ずっとね」
     フローラの声が、段々と弱々しくなっていく。
    「ずっと、何もかもが憎かったの。
     セッカ母様を奪ったあの本が。その本を自分のものにして、母様を見殺しにしたクリス母様が。わたしを道具としか見ていなかったドミニクとドクターが。五体満足なユキノが。
     そして何より、そんな境遇を変えられなかった自分が。人形の、怪物の、自分が」
    「……」
    「憎かったから、妬ましかったから。ずっとずっと、ユキノについて調べものをしてた。そうやって、幸せに生きているユキノを、陰からずっと妬んでいたわ。実際に、会ったことはないけれどね」
     フローラの目が、光を失っていく。
    「セイナ……。あなたも憎らしかった。ユキノと、姉妹みたいに振舞うあなたが。
     わたしはもう、心の中がねじけて、腐って、おかしくなっていたのよ。こんなにも、何もかもを憎んでいたなんて。……あなたに倒されてようやく、心の中がすっきりと晴れてくれた。
     ありがとう……ごめんなさい……」
    「おい、フローラ?」
    「……来世では……ちゃんと……人間になりたい……」
     フローラはすっと、目を閉じた。
     次の瞬間――。
    「あっ……」
     フローラの体は、バラバラに分解してしまった。
     それはどう見ても、木と綿、金属で造られた人形の残骸であり、人間には見えなかった。



     数分後、何とか息を吹き返したモールが、全員を回復した。
     それとほぼ同時に、呆然とした顔の小鈴とミューズ、シリン、瞬也が合流し、続いてシグマ兄妹が恐る恐る近づいてきた。
    「終わった、……んか?」
    「ああ」
     晴奈は精魂尽き果ててしまっており、壁にもたれた状態で返事をした。
    「フローラは?」
    「……人形に戻った」
    「そう、か」
     この時点で事実上、殺刹峰のトップであるミューズの前に、ジュリアが立つ。
    「ミューズさん」
    「何だ?」
    「投降、していただけますか?」
    「ああ。……もう終わった、何もかもが」
     その言葉に反応するように、通路の両側からぞろぞろと、憔悴した顔の兵士たちが現れる。
    「……お前たちはどうする?」
    「あなたと、同じように。……正直言って、こんな穴倉で暮らすのは、もう嫌ですから」
    「そうだな。……先生が死んでしまってから、こんなことを言うのも卑怯かも知れんが」
     ミューズは晴奈の横に座り込み、彼女と同様に壁にもたれる。
    「殺刹峰は幹部のわがままで動いてきた組織だ。我々下っ端は、どこまでも道具でしかなかった。
     ……もう、あいつらの勝手な幻想で動かなくていいんだ」
     その言葉に、緊張の糸が切れたのだろう。
     兵士は一人、また一人と座り込み、嗚咽が聞こえ始めた。

     こうして、十数年の間「大陸の闇」として活動してきた組織、殺刹峰は壊滅した。

    蒼天剣・白色録 終
    蒼天剣・白色録 7
    »»  2009.09.21.

    晴奈の話、第343話。
    痛み分け。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     楢崎、バート、ジュリア、モールの4人が兵士を蹴散らし、晴奈とヘックスが打ち合っていたちょうどその頃、小鈴とフォルナもレンマと戦っていた。
    「『ハルバードウイング』!」「『ホールドピラー』!」
     だが、風の魔術は土の魔術に対して相性が悪い。風使いのレンマは、土を得意とする小鈴とフォルナに苦戦していた。
     レンマの放った風の槍は、まずフォルナの作った石柱に阻まれて威力を削がれる。ただの強風になったところで、小鈴が土の槍を作って応戦する。
    「『グレイブファング』!」
     実体ある槍に対して、風の術では防ぐことも流すこともできない。
    「うわっ!」
     レンマはバタバタと転げ回り、小鈴の槍をかわす。
    「ハァ、ハァ……」「『ストーンボール』!」
     避けたところで、今度はフォルナが攻撃する。
    「ひえっ……」
     レンマは飛翔術「エアリアル」で上空に飛んでかわそうとしたが、ここは広いとは言え建物の中である。
     すぐ目の前に天井が迫り、焦っていたレンマはぶつかってしまう。
    「ぎゃっ!?」
     顔面から衝突し、バランスを失ったところで小鈴の第二撃が来る。
    「『ホールドピラー』!」
     地面からにょきにょきと生える石柱が、レンマの体を絡め取る。
    「く……、くそッ! 『ブレイズウォール』!」
     風の術では分が悪いと悟ったらしく、レンマは火の術を使い始めた。
     が、それも状況にそぐわず、レンマの足をガッチリとつかんでいた石柱は急速に熱され、バンと破裂音を立てて弾ける。
    「いた、たたた……、うぅ」
     破裂の衝撃で足を痛めたらしく、レンマは床にべちゃりと張り付くようにして倒れる。
    「くそ……、何でこんなに苦戦するんだ!?
     僕は、僕は『プリズム』の、レンマ・アメミヤだぞ……!」
     倒れ伏し、わめくレンマを見下ろし、小鈴はにんまりと笑った。
    「んふふ、相手が悪かったわね」

     楢崎たちも、兵士たちと応戦していた。
     兵士たちは魔術対策としてミスリル化合物製の盾を装備していたが、その純度は低く、主成分は柔らかい銀である。物理的な攻撃には弱く、ジュリアたちの弾丸や楢崎の腕力には耐えられなかった。
     一方、兵士自体は薬品や術によって強化されており、物理攻撃には十分に耐えられる。しかしそれに対してはモールの術が真価を発揮し、次々撃破していく。
     モールと楢崎たちの長所を活かし合った連携が功を奏し、小鈴たちがレンマを下したのとほぼ同じ頃に、楢崎たちも敵を制圧し終えていた。
     その状況を見て、ヘックスがうめく。
    「こらアカンわ……、プラン09や」
    「え……」
    「悔しいけど……、みんな助けてられる余裕、無い」
     ヘックスはそう言うなり、ジュンのベルトをつかんで2階への階段を走り始めた。
    「あ、待て! 『フォックスアロー』!」
     モールがヘックスに向かって魔術の矢を放つ。ヘックスに抱えられていたジュンが何発か弾くが、それでも1、2発命中し、ヘックスは短くうなる。
    「う、ぐう……っ」
     だが、ダメージを受けながらもヘックスは走り切り、そのまま2階へ駆け上がった。
    「りゃーッ!」
     ヘックスはまるでタックルでもするかのように、2階の床全体に描かれていた移動法陣に滑り込んだ。

    「ダメだね、反応しない。向こう側を消されたみたいだね」
     モールは足でペチペチと床を踏み叩き、移動法陣を指し示した。
    「こちらからつなぐことはできないの?」
     ジュリアの質問に、モールは馬鹿にしたような顔をしながら答える。
    「何言ってんの、赤毛眼鏡。
     向こう側から縄を切られた橋を、こっちがどうこうできるワケないじゃないね」
    「なるほど……」
     ジュリアががっかりした表情を浮かべている向こうでは、晴奈が頭をかきながら、床に座り込んでいる。
    「つまり、潜入失敗か」
    「そうなるな。くそ……」
     側にいたバートがいらだたしげな顔で煙草をくわえ、火を点けた。



    「……そうか。兵士13名が負傷し、そして残り11名とレンマ君も敵の手に落ちた、と」
     ヘックスとジュンからの報告を受けたモノはそれだけ言うと、机に視線を落とし黙り込んだ。
    「その、すんません……」
    「……」
     申し訳無さそうにするヘックスたちを前に、モノはじっと机を見たまま考え込む。
    「オレがヘタクソな指揮してしもたせいで……」
     謝るヘックスに、ジュンも頭を下げる。
    「い、いえ! 僕も、何もできなくて、その……」
    「ええんやジュン、お前は何も言わんで。あそこの責任者はオレやったんやから」
    「ヘックスさん……」
     二人のやり取りが続く中、ようやくモノが口を開いた。
    「いや、部隊編成を行ったのはこの私だ。これで十分と考えて、たった3部隊で撃退しようと甘く見ていた。その結果が、この体たらくだ。
     この大敗の責任は、私にある」
    「え……」「いや、そんな」
    「二人とも、もう下がっていい。ご苦労だった」
     モノはそれ以上何も言わず、あごに手を当てて黙り込んでしまった。
     重苦しい雰囲気のため、ヘックスもジュンも、晴奈から聞かされたこと――「モノが世界各地から誘拐により人員を集め、洗脳している」と言う話の真偽を、モノに確かめることはできなかった。

    蒼天剣・緑色録 終

    蒼天剣・緑色録 8

    2009.07.25.[Edit]
    晴奈の話、第343話。 痛み分け。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 楢崎、バート、ジュリア、モールの4人が兵士を蹴散らし、晴奈とヘックスが打ち合っていたちょうどその頃、小鈴とフォルナもレンマと戦っていた。「『ハルバードウイング』!」「『ホールドピラー』!」 だが、風の魔術は土の魔術に対して相性が悪い。風使いのレンマは、土を得意とする小鈴とフォルナに苦戦していた。 レンマの放った風の槍は、ま...

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    晴奈の話、第344話。
    魔術電話。

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    1.
     イーストフィールドでの戦いで捕虜の数が増えたため、ジュリアとバートは本国、ゴールドコーストの金火狐財団と連絡を取り、央北のどこかに収容できないかどうか相談していた。
    「……そうです、……はい、……ええ」
     ジュリアたちの真剣な様子とは裏腹に、その相談の仕草はどこかユーモラスにも見える。
    「何と言うか……、珍妙な」
    「仕方無いじゃん、あーやんないと話せないんだから」
     二人は通信用の魔法陣が描かれた布を頭に巻きつけ、揃って独り言のように虚空を見つめながら、ぶつぶつとしゃべっている。
     その状態が5分ほど続いたところで、どうやら話がまとまったらしい。バートたちは布を頭からほどき、晴奈たちに向き直った。
    「ここから西南西のサウストレードから、財団の央北支部が迎えに来てくれることになった。それまで俺たちは、この街で捕虜を拘束することになった」
    「分かった。じゃあ迎えに来るまでの間、彼らはどこに閉じ込めておけばいい?」
     楢崎の質問に、ジュリアが答える。
    「この廃工場しか無いでしょうね。街中じゃ目立ちすぎるし」
    「なるほど」
     楢崎がうなずいたところで、バートが背伸びする。
    「しばらくはここで寝泊りだな。……すきま風入ってくるし、風邪引きそうだ」
    「気を付けてよ、バート」
    「へいへい」

     一方、1階では拘束した敵たちが、各個に縛られて座っている。
     勿論、全員の装備を解除した上、小鈴とモールが魔術封じ「シール」を施した後であり、唯一現場に置いて行かれた指揮官レンマも、きっちり無力化されていた。
    「……」
     レンマは敗北したことが相当ショックだったらしく、半ば呆然としている。
     ちなみに彼の側には敵、味方含め、誰もいない。晴奈からして彼を嫌悪しているし、彼女からエンジェルタウンでの破廉恥な行状を聞かされているため、彼女の仲間も近付こうとしない。そしてどうやら、敵の兵士たちも同様の評判を聞いているらしく、彼らまでもが「あの人に近付けないで下さい」と異口同音に願い出てきたため、距離を置かせている。
     殺刹峰の精鋭「プリズム」としての誇りと威厳を失い、人格的にも著しく問題のある彼に、好き好んで近寄る者など誰もいなかった。
     だから――レンマと、2階から降りてきた楢崎の目が合った時、楢崎は困った表情を浮かべたし、逆にレンマはほっとした顔になった。
    「あの……、すみません」
    「えっ? 何、かな?」
     あまり近寄りたくないとは言え、目を合わせておいて無視できるような楢崎ではない。仕方無く、レンマのそばに向かった。
    「どうかしたかい?」
    「あの、えっと……、お名前、何でしたっけ」
    「楢崎だ」
    「あ、央南の方なんですね。……僕にはよく分からないんですよね」
    「うん……? 分からない、と言うのは?」
     尋ねた楢崎に、レンマは意気消沈した顔で、ぼそぼそと話し始めた。
    「ドクター……、義父に央南風の名前をつけてもらったとは言え、僕は自分が何人で、どこの人間かさっぱり分かりません。央南の文化は好きですけど、ゼンとかジントクとか、何が何だか。央南人のセイナさんにアタックしたけど、どうして嫌われたのかも、全然。何で負けてしまったのかも、全然分からないんです。
     もう、頭の中が混乱して、何をどう言えばいいのかすら……」
    「そうか……まあ……その……うーん」
     レンマの話は要領を得ず、楢崎は戸惑い気味に応じている。
     しかし、そんな楢崎の様子に構う気配も無く、レンマは質問を重ねる。
    「この後、僕はどうなります?」
    「うん? ……ああ、聞いた話ではサウストレードにある財団の施設で拘留されるそうだ」
    「いや、そうじゃなくて」
    「え?」
    「拘留された、その後です。処刑されるんでしょうか」
    「それは、……うーん、どうなのかな」
     楢崎は返答に詰まり、きょろきょろと辺りを見回す。
    (キャロルくんとスピリットくんは……、2階か。どっちにしてもまだ話してるだろうし。
     黄くん、……は来てくれないだろうな。モール殿は……、いないみたいだ。どこへ行ったのかな……?
     お、橘くんはヒマそうだ)
     楢崎は手を振り、小鈴に助けを求めた。
    「んっ? ……んー」
     が、小鈴は気付いたらしいものの、両手で☓を作る。
    (お、おいおい)
    (ゴメーン)
     小鈴は困った顔を返し、ぷいっと身を翻して去ってしまった。
    (参ったなぁ。となると残るはファイアテイルくん、……だけど、あんまり頼りたくないな。
     仕方無いか……。とりあえず僕の予測って前提で話すしかないな)
    「えーと、まあ、多分と言うか、僕の私見でしか無いんだけど、そこまではされないだろうと思うよ」
     楢崎にそう返され、レンマはほっとしたような顔になる。
    「そうですか?」
    「確かに君たちは犯罪組織の一員だし、何も御咎め無しで釈放と言うことは無いだろうけど、だからと言って極刑にするほど、財団は乱暴な人たちじゃないからね」
    「え……」
     楢崎は極力やんわりと言ったつもりだったが、レンマはひどく驚いたような顔をする。
    「な、何ですか、それ?」
    「え? いや、だからひどいことはされないと……」「そ、そうじゃなくて!」
     レンマは両手を縛られたまま立ち上がろうとして、ぺたんと転んでしまった。
    「いたっ、たた……」
    「大丈夫かい?」
    「え、はい。……それよりも! 何なんですか、僕らが犯罪組織って!?」
    「……えっ?」
     思ってもいない相手の反応に、楢崎はまた、返答に詰まってしまった。

    蒼天剣・黄色録 1

    2009.07.26.[Edit]
    晴奈の話、第344話。 魔術電話。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. イーストフィールドでの戦いで捕虜の数が増えたため、ジュリアとバートは本国、ゴールドコーストの金火狐財団と連絡を取り、央北のどこかに収容できないかどうか相談していた。「……そうです、……はい、……ええ」 ジュリアたちの真剣な様子とは裏腹に、その相談の仕草はどこかユーモラスにも見える。「何と言うか……、珍妙な」「仕方無いじゃん、あーや...

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    晴奈の話、第345話。
    敵・味方、両者の疲弊。

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    2.
     楢崎はレンマの驚きと怒りに満ちた目を見つめながら、ゆっくりと応対する。
    「えーと、まず聞くけど」
    「……はい」
    「君は、殺刹峰の人間だよね?」
    「そうです」
    「殺刹峰が何をやって来たか、知らないわけじゃないだろう?」
    「ええ。『黒い悪魔』を倒すために、地下活動を続けている組織です」
     それを聞いて、楢崎はいつの間にか1階に降りてきていたバートをチラ、と見た。
    (ふむ……。キャロルくんの推測は当たっていたみたいだ。しかし……)
     頭の中を整理しつつ、楢崎は質問を続ける。
    「それだけかい? 他には何も?」
    「ええ。それ以外に目的があるなんて、聞いたこともありません」
    「そうか。……僕の話を、聞いてくれるかい?」
     楢崎は自分の息子が殺刹峰にさらわれ、以来10年間ずっと行方を追っていること、そしてゴールドコーストでクラウンに指示し、大量に誘拐させていたことなどを話した。
     話を聞かされたレンマは驚いているとも、怒っているとも取れる、複雑な表情をしている。
    「……それは、本当に殺刹峰なんですか? 他の、どこかの組織と間違えてるんじゃ」
    「じゃあ、君の上官だと言うモノ――ドミニク元大尉との関係はどうなるんだい? 彼自身が、僕の息子を連れ去ったんだよ。これも、別人だと?」
    「そんな、……そんなこと、あるわけ、……そんな」
     レンマの顔色は真っ青になっている。
    「だって、僕たちは悪魔を、……なんで、先生がそんなことを、……そんな」
    「それに……」
     楢崎はバートとジュリアを指差し、レンマに尋ねた。
    「君たちの組織が本当に『悪魔を倒すため』だけだったら、財団の人間を襲ったり、拘束したりする理由があるのかい?」
    「だって、それは先生が、……先生が、『我々の組織を脅かす者たち』だと」
    「本当に悪魔を倒すための組織なら、財団がその存在を脅かすだろうか?
     財団は良くも悪くも、利益至上主義だ。そんな財団が山の向こうの、悪魔を倒そうとしている組織なんか――自分たちとまったく無関係な組織に攻勢を仕掛ける理由なんか、無いじゃないか。財団が動いたのは、君たちの組織が市国に悪影響を及ぼしているからだし」
    「……先生は、でも……」
     レンマはうつむき、またぶつぶつとうめきだした。
     そんな彼の様子に気付いたらしく、小鈴がそーっと楢崎たちを覗き見していた。
    「……橘くん」
    「あっ」
     楢崎に声をかけられ、小鈴は「えへへ……」と苦笑いしながら近寄ってきた。
    「ひどいじゃないか、困っている人間を放っておくなんて」
    「だって、めんどくさそーなヤツだったんだもん」
    「……」
     レンマは一瞬小鈴を見上げ、また視線を落とした。
    「えーと、話ちょこっと聞いてたけどさ、アンタ自分が犯罪組織にいるって、全然気付かなかったの?」
     小鈴にそう問われ、レンマは顔を伏せたまま答える。
    「僕がやってきたことは、魔術の修行と、組織からの命令に従ったことだけです。犯罪があったことなんて、知りませんでした」
    「モノが意図的に隠していたんだろうね。恐らくは、自分たちがやっていることは正義だと信じさせるために、大部分の兵士たちには汚い部分を隠していたんじゃないかな。
    『自分のやっていることは正しい』と信じさせれば、誰だって勇敢に……」「やめてくださいよッ!」
     楢崎の推察を、レンマががばっと顔を挙げ、泣きながらさえぎった。
    「じゃあ何ですか、僕たちはみんな、大陸を荒らしまわるような犯罪組織に加担し、育てられたって言うんですか!? そこを、絶対的正義だと信じさせられて!」
    「同じ議論を続けるつもりは無いよ。ただ、少なくとも殺刹峰に所属し、指揮を務めるモノと言う男は僕の息子をさらい、そしてもう一方の指揮官オッドは間接的にせよ、僕の親友を殺させたんだ。
     それは確かなんだ」
    「信じない。僕は信じないぞッ!」
     レンマはまたうつむき、そのまま何も言わなくなった。



     数日後、晴奈一行は財団から派遣された職員たちと一緒に、サウストレードへと進んでいた。ちなみにクロスセントラルへも同様の使いが来ており、シリンたちも合流していた。
    「どうやら無事なようだな」
    「えっへへー」
     半月ぶりに会ったせいか、シリンはとても嬉しそうな顔で晴奈に懐いてきた。それを布袋越しに眺めていたカモフはぷっと吹き出した。
    「そりゃカレシと毎日イチャイチャしてたんだから、疲れるも何もねーよ」
    「や、やかましわっ」
     シリンは顔を真っ赤にしてカモフに突っ込む。
    「そう言えば、フェリオは無事なのか?」
    「うん。ちょっと、腕の青いのんが広がってるっぽいねんけど、元気やで」
    「そうか……」
     バートたちと話しているフェリオをシリンの背越しに見て、晴奈は心配になった。
    「……ふむ……」
    「……半月くらいで……」
    「……はい……っスけどね……」
     フェリオは左腕をめくって見せている。
     その腕、いや、その体は半月前に比べ、明らかに痩せていた。
    (毎日見ているから、逆に気付かないものなのかも知れぬな)
     晴奈の視線に気付いたシリンが、ひょいとフェリオの方を見る。
    「なーなー、フェリオ」
    「でですね……、あん?」
    「やっぱ痛いん?」
    「……いや、別に。痛みもかゆみもねーから、心配すんなって」
    「あいっ」
     シリンの意識がフェリオに向いている間に、晴奈はカモフに小声で尋ねてみた。
    (それで、フェリオの容態は?)
    (今も、シリンがいる時も問題無いって言ってたけどな、普段から慇懃無礼で陰険な『インディゴ』の使う毒だ。痛みを与えずに、楽に死なせるとは思えない。それに一回だけ、夜中にひでーうめき声が聞こえたことがある。
     痛くないってことは無いと思うぞ)
    (そうか)
     晴奈はもう一度、シリンとじゃれあっているフェリオの顔を見た。
     その顔には――極めて、うっすらとだったが――死相が浮かび始めていた。

    蒼天剣・黄色録 2

    2009.07.27.[Edit]
    晴奈の話、第345話。 敵・味方、両者の疲弊。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 楢崎はレンマの驚きと怒りに満ちた目を見つめながら、ゆっくりと応対する。「えーと、まず聞くけど」「……はい」「君は、殺刹峰の人間だよね?」「そうです」「殺刹峰が何をやって来たか、知らないわけじゃないだろう?」「ええ。『黒い悪魔』を倒すために、地下活動を続けている組織です」 それを聞いて、楢崎はいつの間にか1階に降り...

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    晴奈の話、第346話。
    楢崎の懸念。

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    3.
     サウストレードに到着したところで、晴奈一行は改めてカモフを交え、レンマと話をした。
    「……」
     レンマの目に生気は無く、楢崎から聞かされた話が相当ショックだったことがうかがえる。カモフはそんなレンマの様子をチラ、と見て、ジュリアに向き直った。
    「それで、俺に聞きたいことってのは何だ?」
    「いえ、聞きたいと言うよりも、あなたの口から詳しく説明して欲しいのです。
     殺刹峰がどんな組織であるか、と言うことを」
    「ああ……、そうか。そう言えばみんな、知らないんだよな」
     カモフのその言葉に、レンマの顔色がさらにひどくなる。
    「……」
     レンマの様子をうかがう素振りを見せつつ、カモフは説明を始めた。
    「みんなには、『殺刹峰はタイカ・カツミ討伐のための地下組織』と言ってある。確かに、それはモノさんとオッドさん、そしてバニンガム伯の最終目標だ。
     でも、そのためにやっていることは、明らかに犯罪だ。兵士を集めるための誘拐は言うに及ばず、強化薬・魔術開発とその実験データ収集のために麻薬と不法な魔術を売り、『親カツミ派を討伐』と言う名目で略奪行為を行い……」「嘘だッ!」
     レンマは目を剥き、縛られた状態でカモフにタックルしようとした。だが周りにいた公安と財団職員たちに取り押さえられ、床に押し付けられる形で鎮めさせられる。
    「うぅ……、うっ……」
    「お前は『プリズム』の中でも素直でバカ正直で愚直なヤツだから、こんな話すぐには信じられないと思うけど、本当のことだ。
     殺刹峰はずっと、正義を偽って悪事を働いてきたんだ。それが真実なんだよ」
    「……ううぅぅぅ」
     レンマは床に突っ伏したまま、まさに地の底から響いてくるようなうめき声を上げ、泣き始めた。

     レンマは錯乱しかねない状態だったので、とりあえず彼だけが先に部屋から出され、そのまま軟禁されることになった。
     残ったカモフに、楢崎が質問をぶつける。
    「その、カモフくん。大変私的なことを聞いてしまって、みんなには恐縮だけど」
    「何だよ、回りくどいな……?」
    「君は殺刹峰の内情に詳しいみたいだけど、誘拐されてきた子供たちのことも詳しいかい?」
     カモフは楢崎の顔を見上げ、間を置いてから答えた。
    「ああ。全員を知ってるわけじゃないが、少なくともアンタの聞きたいことは分かる。
     シュンヤ・ナラサキ――アンタの息子さんのことだろ?」
    「そうだ。無事なのか?」
    「恐らくはな。運び込まれ、洗脳されたことは知ってる。
     だけど、当時は俺自身も殺刹峰に連れて来られて間も無い時だったし、内情に関われるような地位にいなかった。
     だからその後どうなったか、良く分からないんだ」
    「……そうか」
    「でも」
     カモフは一瞬目線を下に落とし、もう一度見上げる。
    「その……、変な言い方だけど、モノさんは結構気に入ってたみたいだぜ。だからもしかしたら、『プリズム』か、その候補の中にいるのかも知れねえ。ただ、確か今は14のはずだったよな?」
    「ああ」
    「『プリズム』の平均年齢は大体20代前半くらいだ。14だと入れるかどうかギリギリ、……!」
     カモフは何故か、話の途中で黙り込んでしまった。
    「どうかしたのかい?」
    「……もしかしたら」
    「もしかしたら?」
    「いや……、何でも無い。
     一つ聞くけどよ、アンタの息子さん、魔力はある方と思うか?」
     楢崎はけげんな顔をしながらも、返答する。
    「ああ。僕も焔剣士だし、妻にも魔術の心得がある。多分、あるんじゃないかな」
    「そうか……」
     カモフはその後何度か、何かを言おうとする様子を見せていたが、結局何も言わず、そのまま話は終わった。



     殺刹峰アジト。
     敗走のショックを引きずったまま、ジュンはぼんやりと魔術書を読んでいた。
    「……雷とは央南名『いかずち』、央中名『フルミン』、央北名『サンダー』と言い、その性質は槍や鎚に似る。岩を砕き、高い木々に落ちることから土の術に対しては優位とされる。生物には微量であれば薬となるが、多量であれば毒となる。……はぁ」
     どうにも考えがまとまらないので、魔術書の中でも最も基礎の部類に入るものを読んでいたが、それも口に出して読まなければ頭に入ってこない。
    「ダメだぁ」
     ジュンは本を閉じ、机に突っ伏した。
     と、そこへヒタヒタと言う、いかにも亡霊か何かが立てそうな足音が近付いてくる。だがジュンは別段怖がりもせず、その足音の主に声をかける。
    「ミューズさん、ですか?」
    「ああ」
     いつの間にかジュンのすぐ側に、褐色の肌に長い黒髪の、そして真っ黒なコートを羽織った、長耳の女性が立っていた。
    「もう体の方は……?」
    「問題無い。私は人形だから、な」
     そう言ってミューズはマントをめくり、腕を見せた。
    「それよりジュン、お前の方こそ大丈夫なのか?」
    「え?」
    「お前のオーラ……」
     そう言いながら、ミューズはジュンに顔を近づけた。
    「え、えっ?」
    「沈んだ紫色だ。とても落ち込んでいる」
    「紫色?」
     ミューズの言っていることが分からず、ジュンはミューズの真っ黒な、黒曜石のように光る瞳を見つめ返した。
    「オーラには色が付いている。私にはそれが見えるのだ」
    「は、あ……」
     ジュンはミューズの言動に戸惑い、目を白黒させる。
    (相変わらず、この人は突拍子も無いなぁ)
    「ク、ク……、そんなに困らなくてもいいだろう?」
     ミューズはジュンの顔を見て、鳥のように笑う。
    「あ、いえ……」
    「お前は疲れている。顔色も悪いし、オーラも黒ずんでいる」
    「……そうですね。ちょっと、気分が優れない感じはあります」
    「休め。そんな状態では参ってしまうぞ」
     そう言ってミューズはジュンの手を取る。
    「いえ、でも」
    「何度も言わせるな。休め」
     ミューズはその外見に似合わない腕力で、無理矢理にジュンを椅子から引きはがした。
    「わ、わ、ちょっと」
    「連れて行ってやろう」
     次の瞬間、ジュンは体が浮き上がる感覚を覚えた。
    「……っと、と?」
     気付いた時には、ジュンは自分の部屋にいた。
    「気分が落ち着いたら、また頑張ればいい。
     では、失礼する」
    「は、はい」
     目の前にいたミューズはまたククッと笑って、すっとジュンの前から姿を消した――比喩ではなく、本当に一瞬で、その姿は虚空に消えてしまった。
    「……本当に脈絡も突拍子も無い人だなぁ。言動も、行動も。……存在も」
     ジュンはため息をつきながら、ミューズの言葉に従ってベッドに入った。

    蒼天剣・黄色録 3

    2009.07.28.[Edit]
    晴奈の話、第346話。 楢崎の懸念。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. サウストレードに到着したところで、晴奈一行は改めてカモフを交え、レンマと話をした。「……」 レンマの目に生気は無く、楢崎から聞かされた話が相当ショックだったことがうかがえる。カモフはそんなレンマの様子をチラ、と見て、ジュリアに向き直った。「それで、俺に聞きたいことってのは何だ?」「いえ、聞きたいと言うよりも、あなたの口から...

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    晴奈の話、第347話。
    夢と悪寒。

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    4.
     ジュンは夢を見た。
     幼い頃、モノに手を引かれながらどこかの街道を歩いていた時の夢だ。
    「もうすぐ到着する」
    「うん」
     今でも、この時どんな状況にいたのか、「自分」には分からない。何故、モノが自分の手を引いているのか? 何故、彼と二人きりなのか? 何故、自分は家にいないのか?
     そして何故――父も母も、自分の側にいないのか?

     そこは、どこかの温泉街のようだった。硫黄の匂いと湯煙があちこちに立ち込めていたから、そうだと分かった。
    「いらっしゃい、モノさん」
    「お久しぶりです、ヒュプノさん」
     モノは入浴場の一つに入り、店先で虎獣人の店主と二言三言交わし、それから自分を呼び寄せた。
    「こっちに来い」
    「うん」
     幼かった自分は、素直にモノの言葉に従った。
    「ここの温泉はとても気持ちがいい。ゆっくり浸かるといい」
    「うん」
     また素直に、自分は店の奥へと足を進めていく。
     温泉に入ると、確かに心地よかった。温めの湯と、ほこほことした空気、そして静かにざわめく木々が、幼い自分の心をさらに幼く、無に帰していく。
    「気持ちいいか?」
    「う、ん……」
     浸かっていると、段々眠気が押し寄せてくる。自分は湯船の中でうとうとと、舟をこぎ始めた。
     ここでまた、モノが声をかけてくる。
    「さて、……君の名前は?」
    「しゅ、ん……」
    「それは違う」
    「え……」
    「君の名前はジュンだ」
    「じゅん……?」
    「そう、ジュンだ。さあ、復唱するんだ」
    「ぼくの……、なまえは……、しゅん……」
    「それは違う」
    「え……」
     モノは延々と、同じ言葉を繰り返す。自分の頭の中が、くつくつと溶け始めた。
    「君の名前はジュンだ」
    「じゅん……?」
    「そう、ジュンだ。さあ、復唱するんだ」
    「ぼくの……、なまえは……」



    「僕の、名前は……」「ジュンやろ?」
     目を開けると、すぐ側にヘックスの顔があった。
    「……わっ!?」
    「よぉ、おはよーさん」
     ジュンはそこで、どろどろとした夢から覚めた。
    「先生が呼んでるで。……でもその前に、ちょっと話してええかな」
     ヘックスはジュンを寝かせたまま、小声で質問し始めた。
    「なあ、ジュン。お前、ドコまで記憶残っとる?」
    「え?」
    「記憶や、記憶。オレは14からやけど、お前は?」
    「……3歳、かな」
    「うーん、ちょっと微妙やな。『プリズム』の、他のヤツにもそれとなく聞いてみたらな、みんな記憶がブッツリ途切れとるらしいわ、一人残らず」
    「みんな、ですか」
     そこでヘックスは、さらに声をひそめてきた。
    「正確に言うとやな、ドランスロープの三人以外やな。あいつらは何ちゅーか、オレらとは違うんですって感じしよるしな」
    「そう、ですね……。確かに三人とも、僕らを見下してると言うか、格下扱いしてると言うか」
    「せやろ? そう言う態度からしてあいつら、ホンマのこと全部知ってるんやないかなって」
    「知ってる、って?」
    「オレらに記憶が無い理由――先生が、オレらの記憶を消してたっちゅう話がホンマにホンマのことで、あいつらは最初っからそれを知っとったんかもな」
    「……ありそうですね」
     ヘックスの推測に、ジュンもうなずく。
     ヘックスはそっとジュンから離れ、背中を向けてぽつりと漏らした。
    「コウと戦ってからオレ、嫌な予想が止まらへんねや。
     もしかしたら『プリズム』って、ドランスロープのためだけにあるんやないかってな」
    「それは、どう言う……?」
    「オレら全員、あいつらの引き立て役っちゅーか、踏み台っちゅーか……、そんな感じがな。もしかしたらオレら、肝心なトコで捨て駒にされるかも知れへん」
     考えすぎですよ、と言おうとしたが、その言葉はジュンの口から出て来なかった。
     ジュンも同じような嫌な予感を、心の中から拭い去れなかったからだ。



     そして、ドランスロープ以外の「プリズム」たちがモノの元に集められたところで、ヘックスの懸念が的中しているとも取れる指令が下された。
    「前回の作戦で、『マゼンタ』以下20余名の兵士が敵の手に落ちた。これは憂慮すべき事態だ。よって、これまでのように軍事演習目的と言うような、相手を軽視したような作戦は全面的に停止し、確実なる殲滅へと切り替える。
     これより『ホワイト』『ブラック』『インディゴ』を筆頭とした大規模作戦部隊を編成し、サウストレードに拘置されていると言う兵士たちを救い出すと共に、そこにおける財団支部を壊滅させる。
     また、前述の3名以外の『プリズム』諸君らは、彼女らの支援に回って欲しい」
     この指令を聞いた時、思わずヘックスとジュンは顔を見合わせた。
    (やっぱり……?)
    (かも、な)
     そして他にもヘックスたちと同様、モノの指示に戸惑った者が若干名いたのだが――長年の悲願を達成するべく、少なからず焦りの色を見せていたモノには、そのわずかなざわめき、不協和音を感じ取る余裕も無いようだった。

    蒼天剣・黄色録 4

    2009.07.29.[Edit]
    晴奈の話、第347話。 夢と悪寒。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. ジュンは夢を見た。 幼い頃、モノに手を引かれながらどこかの街道を歩いていた時の夢だ。「もうすぐ到着する」「うん」 今でも、この時どんな状況にいたのか、「自分」には分からない。何故、モノが自分の手を引いているのか? 何故、彼と二人きりなのか? 何故、自分は家にいないのか? そして何故――父も母も、自分の側にいないのか? そこは...

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    晴奈の話、第348話。
    内部崩壊の前兆。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     当初、モノの描いた筋書きはこのようになっていた。
     まず軍事演習を続け、「プリズム」を訓練する。十分に経験を積んだところで、ドランスロープ三名を筆頭にした大規模部隊を編成しさらに演習を続け、そこでその三名のリーダーシップを育成するとともに、残り六名の連携を密にする。
     これにより優れた指揮官と将軍の関係が築かれ、最終目標の達成に大きく貢献する――と言うものだった。

     だが想定外の事態が、彼を惑わせてしまった。優れた兵士を大量に集めるために、央中ゴールドコーストの闘技場であまりにも多くの人間をさらいすぎたことで、金火狐財団の公安局が動き始めてしまったことだ。
     このまま公安の動きを放置・傍観すれば、折角今まで秘密裏に進めてきた一連の作戦・計画が明るみに出てしまうおそれがある。そうなれば標的である克大火の耳にその情報が入り、彼自ら、まだ準備の整いきっていない自分たちを強襲してくる可能性も出てくる。
     入念な準備を積み重ねなければ勝てない相手であることは、モノ自身が痛いほどよく分かっていることであるし、モノは早急に公安を封じなければならなくなった。

     そこで考えたのが、実地での軍事演習である。
     少数精鋭で央北に入ってきた公安の捜査チームを「手頃な敵」と見なし、「プリズム」たちを実戦投入させることで、予定していた軍事演習を前倒しで進めると同時に、金火狐財団の調査を「調査員全員の失踪」と言う形で強制的に打ち切らせ、うやむやにさせることができる――一挙両得の手段であると考えたモノは、早速実施してみた。
     ところが、ここでまた予想外の事態が起こってしまった。十二分に制圧・拘束できると考えて投入した3部隊が、賢者モールの介入により全滅してしまったのである。
     実は以前にも、モールを自分たちの側に引き入れる、もしくは魔術を奪うことができれば、確実に大火に対する有効な武器になるとして、央北中を巡って追い回したことがあった。
     モールは魔術こそ強力なのだが、身体能力に関しては人並み以下であり、屈強な兵士に囲まれれば脆い。その弱点を突いた人海戦術で、後一歩と言うところまで追い詰めることができていた。
     だが、一体どんな手を使ったのか――モールは央北、いや、中央大陸から忽然と姿を消し、結局捕らえることができなかった。
     それ以来両者とも近付かず、自然に相互不干渉となっていたところに、今回の助太刀である。単なる「狩り」の対象でしかなかった捜査チームが突然侮りがたい難敵へと変化し、モノの焦りはさらに強まっていた。
     その焦りが、彼の手をより早めさせた。もっとじっくり構えて進めようとしていた前述の計画を、さらに前倒しすることにしたのである。
     そしてまだ、彼は心のどこかで「これはチャンス――『プリズム』の能力を上げる、絶好の演習だ」と、あくまでもポジティブに考えていた。

     だが、モノが関知していなかった、もう一つの想定外の事態――モノがヘックスたちを初めとする、大勢の兵士たちの記憶を封じ、洗脳していると言う事実をヘックスたちが知ってしまったことに、モノはまだ気付いていなかった。
     この「ほころび」に気付いていれば、モノは手を早めることはせず、内部の情報統制を行って関係修復に努めただろう。
     何故ならこれは彼の組織と、彼の計画にとって非常に致命的と言える、重大な亀裂だったからである。



    「……って、オレはそう思てんねや」
     ヘックスとジュンはモノたち幹部とドランスロープたちに知られないよう、他の「プリズム」に声をかけ、自分たちの懸念を伝えた。
    「そう」
     モエからの反応は特に無く、興味なさげな返答が返ってきた。
     だが、残る2名は真剣な表情で、ヘックスを見つめている。
    「それがホントならー、あたしたちはいずれ死んじゃうってコトじゃないですかー……」
    「そうね、確かにドミニク先生は、フローラさんたちと私たちを区別しているように感じる。私も薄々、そう思っていたわ」
    「せやろ、キリア。ともかくこのまま素直に従っとったら、踏み台にされんのは確実や。
     で……、どうした方がええと思う?」
    「どう、って」
     ヘックスの言葉に、モエを除く全員が黙り込む。
     そしてモエから、こう尋ねられた。
    「何か問題があるの?」
    「何がって、お前はええのんか? あいつらの言いなりになるんやで?」
    「だから、それがどうしたの? 今だって、同じじゃない。ドミニク先生に使われるか、フローラさんたちに使われるかの違いでしょ? 不都合があるの?」
    「せやから、このままやったら……」
    「私たちは兵士よ。いつだって死ぬ可能性はゼロじゃないわ。
     なのに『このままここにいたら死んでしまう』って、バカじゃないの?」
    「んな……」
    「死ぬ時は死ぬのよ。……私、もう寝るわね」
     そう言って、モエは席を立ってしまった。
    「あ、おい! ……行ってもーた」
    「でも、兄さん」
     ヘックスの義妹であるキリアも、立ち上がった。
    「モエの言うことも、もっともだと思う。
     例え先生が私たちの記憶を封じて使役しているとしても、目的はカツミ暗殺と言う、大義のためよ。正義のために戦うのなら、私は迷い無く殉じるつもりよ」
    「そら、理屈はそうやけど……」
    「それじゃお休みなさい、兄さん」
    「あ、ちょ、待てって……」
     ヘックスの制止も聞かず、キリアも部屋を出て行ってしまった。
     残った三人は顔を見合わせ、黙り込む。
    「……僕は、それでも」
     しばらく経ってから、ジュンが口を開いた。
    「正義のためなら何をしてもいい、って言うのはおかしいと思います。
     もっともらしい理屈、大義のために悪事を働くなんて、本末転倒じゃないですか」
    「……オレも、そう思う。もう一回、キリアだけでも説得してみるわ」
     ヘックスも席を立ち、その場から離れる。
     二人きりになったペルシェとジュンは無言で向かい合っていたが、ペルシェの方から話し始めた。
    「あたしはー……、どうしたらいいのかなー?」
    「それ、は……」
    「こう言うのー、苦手なんだよねー。みんなバラバラになっちゃうとー、本当に不安になっちゃうのー」
     ペルシェは突然、ジュンを抱きしめてきた。
    「な、ペルシェさん!?」
    「本当に、本当に不安……」
     耳元でそうつぶやかれ、ジュンは心に痛いものを感じた。
    「一体、誰を信じたらいいのかなー……」
     この時のジュンにもう少し度量や経験があれば、「自分を信じろ」とでも言えたかも知れない。しかしまだ14歳で、心中が不安で一杯だった彼には、こんな風にしか言えなかった。
    「僕は……、その、……僕も、分からないです」

    蒼天剣・黄色録 5

    2009.07.30.[Edit]
    晴奈の話、第348話。 内部崩壊の前兆。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 当初、モノの描いた筋書きはこのようになっていた。 まず軍事演習を続け、「プリズム」を訓練する。十分に経験を積んだところで、ドランスロープ三名を筆頭にした大規模部隊を編成しさらに演習を続け、そこでその三名のリーダーシップを育成するとともに、残り六名の連携を密にする。 これにより優れた指揮官と将軍の関係が築かれ、最終目標...

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    晴奈の話、第349話。
    蘇る「彼女」。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     ヘックスはもう一度妹を説得し、自分たちが生き残る道を模索しようと試みた。
    「何度言っても無駄よ」
     だが、キリアと一緒にいたモエが強硬姿勢を執り、ヘックスの意見に突っかかってくる。
    「せやけどな……」
    「あなた、そんなに死にたくないの?」
    「そら、そうやろ」
    「じゃ、逃げればいいじゃない。いいわよ、逃げて。その分私の活躍が増えるし。むしろせいせいするわ、余計な人が減るから」
     にべも無い言い草に、ヘックスはカチンと来た。
    「……あ?」
    「あなたみたいな腰抜けなんていなくても、影響無いんじゃない?」
    「てめえ……」
    「二人とも落ち着いてよ」
     ヘックスとモエの空気が険悪になったところで、キリアが諌める。
    「兄さんも、今日はもう部屋に帰って。これ以上話すことは無いわ。私もモエも、考えが変わることは有り得ないもの」
    「キリア……」
    「モエも、いい加減にして。血はつながって無いけれど、ヘックスは私の兄よ。そんな風に侮辱されて、私が何も感じないと思う?」
    「ああ、ごめんなさいね。でも本当に、つまらないことを言うものだから」
    「つまらん?」
    「やめてって言ってるでしょう?」
     キリアがもう一度抑えようとするが、二人は言い争いを続ける。
    「私には、あなたが何をそんなに嫌がってるのか分からないもの。
     私たちは兵士、この組織においては一個の駒に過ぎない。生きるとか死ぬとか、そんなことを……」
     唐突に、モエが黙り込んだ。
    「……?」「モエ? どないした?」
     キリアも、言い争いをしていたヘックスも、いぶかしげに彼女を見つめる。
    「……そんなこと、を……」
     そして突然、モエは倒れた。
    「お、おい!?」「どうしたの、モエ!?」



    (……だれ……?)
     床に倒れ行く一瞬の間に、モエの頭の中で様々な光が明滅する。
    ――おかみさん、私たちに死ねと?――
     先程自分が放った言葉から、記憶がくるくると再生されていく。
    ――殿がうっかり放してしまった実験体たちを、屠って欲しいの――
    ――実験体? それはまさか、あの……――
    ――ええ、櫟様だったものをはじめとする、魔獣化実験の被験者たちよ――
    ――そんな! だって、殿は極めて凶暴だと――
    ――そうよ。それが、どうかしたの?――
    ――おかみさん、私たちに死ねと?――
    ――あのね、巴美ちゃん――
     脳裏に黒髪の、眼鏡をかけた猫獣人の姿が映る。
    ――あなたたちは兵士、私たちの一派においては一個の駒に過ぎない。だから生きるとか死ぬとか、そんなことを考える必要は無いわ――
    ――……――
     絶句した自分に、その猫獣人はやさしく声をかけた。
    ――でもね巴美ちゃん、わたしはあなたがこんな指令で死ぬなんて、微塵も思ってやしないわよ――
    ――え……?――
    ――兵士を生かすのも殺すのも、上官の役目であり責任よ。約束するわ、あなたがむざむざ死ぬような作戦は、わたしは絶対に与えたりしないから。
     大丈夫、これはあなたが十分にこなせる任務よ――
    ――おかみさん……!――



    「……い! おい! しっかりせえ、モエ!」
    「……」
     倒れこんだ自分に声をかけてくる者がいる。
    「モエ……?」
     顔を上げると、心配そうに見つめてくる狼の兄妹と目が合う。
    「あ、気が付いたか?」
    「大丈夫、モエ?」
    「モエ、って……?」
     思わず、そんな質問が自分の口から漏れた。
    「……は?」「何て?」
    「あ、……いいえ、何でもないわ。……ごめんなさい、私ちょっと、気分が悪くなっちゃって」
    「大丈夫か?」
     先程まで言い争っていたヘックスが心配そうに見つめてくる。
    「……大丈夫よ。悪いけど、今日はもうこれで休ませて」
    「あ、ああ。……その、……おやすみ、モエ」
    「ええ。お休みなさい、ヘックス、キリア」
     平静を装い、そのままそそくさと二人の元から去ることにした。

     歩きながら、自分の頭の中を整理する。
    (……モエ? モエ・フジタ? 藤田萌景? 誰、それ! 私はそんな名前じゃない!)
     歩けば歩くほど、硫黄臭い霞がかかっていた記憶が鮮明になっていく。
    (そう、そうよ! 全部思い出した! 私は篠原一派、新生焔流の精鋭だった女よ!)
     今までぬるま湯の中で漂っていた精神が、しっかりと地に足を着くのを実感する。
    (私の、私の本当の名前は――)
     彼女は立ち止まり、顔に当てていた布を剥ぎ取った。
    (――私は、楓井巴美よ!)
     彼女は、全てを思い出した。

    蒼天剣・黄色録 6

    2009.07.31.[Edit]
    晴奈の話、第349話。 蘇る「彼女」。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. ヘックスはもう一度妹を説得し、自分たちが生き残る道を模索しようと試みた。「何度言っても無駄よ」 だが、キリアと一緒にいたモエが強硬姿勢を執り、ヘックスの意見に突っかかってくる。「せやけどな……」「あなた、そんなに死にたくないの?」「そら、そうやろ」「じゃ、逃げればいいじゃない。いいわよ、逃げて。その分私の活躍が増えるし。...

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    晴奈の話、第350話。
    晴奈への復讐。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     恐らく巴美が記憶を取り戻したのは、ここ最近の作戦行動による刺激と、ヘックスとの言い争いによる言葉の反駁、そしてまだ洗脳されて1年、2年程度と、それほど時間が経っていなかったからだろう。
     巴美は自分に与えられていた部屋に戻り、姿見で自分の顔を確かめる。
    (アハハ……、ひどい顔じゃない! そうよ、この傷も全部思い出した! あのいけ好かないクソ猫女がつけた、この醜い刀傷!
     ……そうよ! そうよ、そうよ! 何故私はこんなところにいるのよ! 私が何で、腕なしオヤジやカマ野郎や、人形共なんかの言いなりにならなきゃいけないのよ!? はっ、バッカじゃないの!?
     私がやらなきゃいけないことは、唯一つ……!)
     巴美は剣を抜き、姿見を叩き壊した。
    (あの女に復讐すること……! 黄晴奈をこの手で、殺すことよ!)

     その瞬間、晴奈はぞくりと寒気を感じた。
    「……っ?」
     横にいた小鈴がきょとんとした目を向けてくる。
    「どしたの、晴奈? 尻尾、ブワッてなってるけど」
    「あ、いや。……妙だな、怖気が走ったと言うか」
    「風邪でも引いた?」
    「いや、まさか。まだ夏の盛りだし」
    「でも央北って、夏が短いじゃん? ホラ、財団の人だって長袖だし」
     小鈴はひょいと席を立ち、晴奈に茶を渡す。
    「ここんとこあっちこっち動き回ったし、変に戦いもあったから、知らないうちに気疲れもしてんじゃない?」
    「いやいや、これしきのこと」
    「そー言わないでさ、今日はゆっくり休んじゃいなって」
    「……ああ、そうさせてもらうか。こんなところで風邪など引いていられないからな」
     晴奈は素直に茶を受け取り、ゆっくりと飲み下した。



    「何だと……?」
     報告を受けたモノはいぶかしげに聞き返した。
    「モエ君がいない?」
    「はい。今朝からずっと、姿が見えないんです。それで、彼女の部屋を覗いてみたら……」
    「覗いてみたら?」
     キリアは顔を青くしながら、淡々と説明した。
    「その、まるで何かが爆発したみたいに、ぐちゃぐちゃに引っ掻き回されていたんです。それから、私の部隊で部屋の様子を確認したところ、彼女の装備一式が丸ごと消えていました」
    「装備一式が? ふむ……」
     モノは椅子から立ち上がり、部屋の外に出る。
    「見に行こう。前日の彼女の様子など、もう少し詳しく説明できるか?」
    「はい」
     キリアはモノの後ろに付きながら、詳細を話した。
    「夕べ、兄さん……、ヘックスとモエが言い争いをしていまして」
    「言い争い? 内容は何だ?」
    「いえ、つまらないことですから。……それで言い争っているうちに、彼女が突然倒れたんです」
    「倒れた?」
    「はい。すぐに起き上がったんですが、『気分が悪くなったのでもう休む』と言って、そのまま部屋に……」
    「ふむ……」
     話しているうちに、モノたちは「モエ」に与えられていた部屋に到着した。
    「……なるほど。確かにこれは、爆発と言っても差し支えないな」
     部屋の中にあった家具は一つ残らずズタズタにされ、特に紫色をした服や布、姿見は原型を留めていなかった。
    「モエ君の姿を見たと言う報告は?」
    「現在『オレンジ』隊に捜索を手伝ってもらっていますが、まだ有力な報告はありません」
    「そうか……」
     と、背後から声が飛んでくる。
    「あっらー……、ひっどいわねぇ、コレ」
    「ドクター」
     騒ぎを聞きつけたオッドが、二人の間に割って入る。
    「まるで台風が通った後みたいねぇ」
    「ええ。一体何があったのか……」
     ここでオッドが、変なことを言い出した。
    「……まるで、じゃないわねぇ。ホントに、台風が通ったのねぇ」
    「え?」
    「部屋に付いてる傷跡、全部刀傷じゃなぁい。あの子が使う剣術、風の魔術剣でしょーぉ?」
     オッドに指摘され、モノは改めて部屋を見渡す。
    「確かに、それらしい跡ではある。……とするとこれは、全てモエ君が付けたと?」
    「多分そうらしいわねーぇ。もしかすると、まずいコトになってるかも知れないわよぉ」
    「まずいこと?」
     オッドはチョイチョイと手招きし、モノに小声でヒソヒソと話す。
    「特に壊され方がひどいのは、姿見と紫系の服。つまり、モエちゃんは自分の姿とか、コレまで自分を構成してたものを念入りに壊したってコトになるわ。
     ……まるで『モエ・フジタ』と言う人間を壊すかのように」
    「……! まさか、記憶が戻ったと!?」
    「その可能性は、ひじょーに高いわねぇ。……早く捕まえてもっかい洗脳しなきゃ、最悪、ココの位置が公安に発覚する可能性もゼロじゃないと思うわよぉ」
     モノは重々しくうなり、三度部屋を眺める。
    「……由々しき事態だな。早急に対策を講じなければ」



     壁に入った亀裂は、表面の見た目よりもずっと根深い。
     表面を釉薬や土などで覆っても、その内面は直っていない。奥でじわじわとその隙間を拡げ、やがては壁全体を崩すことになる。
     カモフの告発。ヘックスたちの、水面下での反発。そしてモエの離反――殺刹峰と言う壁に入った亀裂は、次第に根を深くしていた。

    蒼天剣・黄色録 終

    蒼天剣・黄色録 7

    2009.08.01.[Edit]
    晴奈の話、第350話。 晴奈への復讐。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 恐らく巴美が記憶を取り戻したのは、ここ最近の作戦行動による刺激と、ヘックスとの言い争いによる言葉の反駁、そしてまだ洗脳されて1年、2年程度と、それほど時間が経っていなかったからだろう。 巴美は自分に与えられていた部屋に戻り、姿見で自分の顔を確かめる。(アハハ……、ひどい顔じゃない! そうよ、この傷も全部思い出した! あの...

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    晴奈の話、第351話。
    剣姫の半生。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     黄晴奈が女傑、剣豪であるように、彼女もまた剣豪だった。

     その才能が開花したのは晴奈より8年も早い、6歳の時。今はもう、ほとんどその名を知る者もいない幻の大剣豪、楓井希一の孫であり、彼女の才能を見出したのも、焔流に入門したのもその祖父あってのことだった。
     幼い頃から類稀なる剣の才能を見せた彼女は、焔流家元・焔重蔵をして「この子は剣術の歴史に名を残すだけの才、素質を持っておる。将来、剣豪や剣聖、……あるいは剣鬼(けんき)と呼ばれるやも知れぬ」と言わしめたほどである。
     この発言と、その可憐な顔立ちから、誰とも無く彼女をこう呼ぶようになった――「剣姫(けんき)」楓井巴美と。

     その人生に不要な波風が立たなければ、後の歴史に名を残すのは晴奈ではなく、巴美だったかも知れない。



     はじめに彼女の人生が歪み出したのは7歳の春、焔流に入門して1年が過ぎるかと言う頃だった。
     巴美はこの頃、朔美と言う猫獣人の女性に懐いていた。彼女の話は非常に楽しく、そして新鮮で刺激的だったので、巴美は毎日のように彼女と遊んでいた。
     その日も楽しい話を聞かせてもらおうと、彼女のいる修行場に向かった。
    「しつれいしまーす」
     明るく声を出し、修行場の門を開く。
    「さくみさーん、きょうも……」
     今日もお話聞かせて、と言いかけて、巴美は口をつぐんだ。
    「……」「……」「……」
     修行場に集まっていた他の門下生たちが、一様に思いつめた顔をしている。その輪の中心には、朔美が座っている。
    「あら、巴美ちゃん。どうしたの?」
    「え、えっと」
     ただならぬ空気を感じ、巴美は修行場から離れようとした。しかし朔美は手招きをし、巴美を呼ぶ。
    「そんなところにいないで、こっちにいらっしゃい。今日もお話、聞かせてあげるから」
    「……はい」
     まだ7歳の巴美に、大人からの誘いを断れるような度胸は無い。非常に嫌な気配を感じながらも、巴美は朔美へと近付いた。
     巴美がすぐ前まで来たところで、朔美はポンポンと自分の膝を叩き、座るよう促す。
    「さ、こっちに」
    「は、はい」
     促されるまま、巴美は膝に座った。
    「今日のお話はね、とっても大事な話なの。よーく、聞いていてね」
    「はい……」
     朔美は巴美をぎゅっと抱きしめ、優しく、そして甘い猫撫で声で語り始めた。
    「今日のお話は、お姫さまのお話よ。剣術が上手で、正義のために戦う、『剣姫』ちゃんのお話」

     それから巴美は朔美によって、己が選ばれた者だ、正義の使者だと言い聞かされた。それは何日にも及び、幼い巴美の頭は朔美の佞言に汚染された。
     そして朔美は焔流家元である重蔵が悪の親玉、魔王であるとさえ言い放ち、巴美はこれも信じた。だからその後の新生焔流による反乱にも参加したし、離反した時も何の疑問も抱かずに付いていった。



     己が選ばれし者だと言う妄執・妄想は、彼女が22歳の頃までずっと付きまとっていた。
     実際、幼い頃から認められてきた剣の才能は篠原一派の中では随一、親方である篠原に次ぐ腕前にまで成長したし、彼女がいたからこそ新生焔流の真髄である「風の魔術剣」も完成に至ったのだ。
     この剣術は彼女が使えば、小屋くらいであれば一刀両断できたし、軽く振っただけでも大人の一人や二人、軽々と弾き飛ばすことができた。それがますます彼女を増長させ、「自分はこれほど強いのだから、何をしても正当化されるはず。自分こそが正義の顕現だ」とすら考えるようになっていた。

     そんな妄想が砕け散ったのは同じ女剣士、同じ焔流剣士である晴奈と戦った時だった。
    「貴様に刀を振るう資格など無い!」
     一瞬のうちに、自分の顔が斜めに引き裂かれた。油断していたとは言え、これまで一度もそんな深手を負ったことは無い。
    「ひ、ぎぃ……っ」
     熱と痛みが怒涛のように押し寄せ、巴美はボタボタと涙を流してうめいた。
    「かお、顔が……」
    「顔がどうしたッ! 貴様は顔と言わず手足と言わず、多くの者たちをぞんざいに斬り捨てただろうに! 己がそんなに可愛いか、この外道ッ!」
     怒りに燃える晴奈の攻撃は、彼女の顔だけではなく心まで深々と斬った。これまでに受けたことの無い、鋭く、かつ爆発するような猛攻に、彼女はまったく手も足も出なかった。
    「いや、やめて……っ」
     のどから勝手に悲鳴混じりの嘆願、哀願がこぼれ落ちる。だが、晴奈の攻撃は止まない。
    「ハァ、ハァ……」
     混乱と恐怖がようやく落ち着き始め、巴美は今一度刀を握り直して体勢を整えようとした。
    (こんな苦戦、予想しなかった……! 何なのよ、この女!? いきなり強くなった……!
     待って、待ってよ! 何でこの私が、こんな目に遭わなくちゃいけないの!? 私は選ばれた人間じゃ無かったの!?)
     だが、無理矢理に抑えつけようとしても、恐怖はグツグツと音を立てて煮え立ち、とめどなく噴き出し、あふれてくる。
    「楓井」
     そこに、晴奈の静かな、しかし怒りに満ちた声が聞こえてくる。
    「そろそろ、覚悟しろ」
    「……え?」
     晴奈が何を言っているのか分からず、巴美は半泣きで聞き返した。
    「お前は何人も殺したことだろう。だが、その逆を考えたことはあるか?」
     晴奈が上段に構えるのを見た巴美は、先ほどから焼け死にそうなほどにぶつけられていた殺気が、より一層強く吹き付けられるように感じた。
    「さあ……、行くぞ」
    「ひ、い……」
     巴美はもう、刀を持っていられないくらいに狼狽していた。
     既にこの時、巴美は「自分は選ばれた人間なんかじゃ無かった」と痛感していた。



     それだけの恐怖を味わったせいか、殺刹峰による洗脳も良く効いた。
     洗脳されてまだ1年、2年も経っていなかったが、彼女はモノやオッドと言った幹部たちに対し、非常に従順になっていた。
     それが結果的に、功を奏したのだろうか――慢心によって鈍り始めていた剣の腕は、殺刹峰にいた2年半で急成長を遂げた。

     彼女が記憶を取り戻し、自分に与えられていた部屋を破壊した時、彼女はその成長ぶりに気付いた。
    (これは……!)
     たった一振りで姿見、たんす、ベッド、床、壁、天井に至るまでバッサリと斬れた。前述の通り、彼女は以前にも小屋を斬ったことがあったのだが、その時とは桁違いに、切れ味が鋭くなっている。
     太刀筋にしても、以前はバリバリと裂けるような、荒削りなものだった。しかし今斬り払った家具は、綺麗に真っ二つに割れ、中の衣類も一切ボロボロになることなく、まるで良く研がれた裁ちバサミで斬ったように、すんなりと割れた。
    (何、これ? 私はいつの間に、これほど剣の腕を上げたの? まるで、自分が自分じゃないみたい。
     ……ああ、そうね。そうだったわ)
     もう一度、剣で部屋を払う。先程と同様、部屋は剃刀で紙を切ったように、すっぱりと割れた。
    (そう。私は、私じゃ無かった。今の私は、言うなれば『もう一人分』加わったようなもの――楓井巴美と藤田萌景の二人が、私の中で合わさったのね。
     今の私は巴美であり、萌景である。……言うなれば、『トモエ・ホウドウ(楓藤巴景)』かしら? ……クスクス、面白いわ。今からそう名乗りましょう。
     私は、楓藤巴景。『剣姫』、巴景。
     さあ、巴景。あの猫女のところに行きましょう。あの憎き仇敵、黄晴奈のところにね……!)
     巴美――いや、巴景は己の決意を刻み込むように、部屋がズタズタになるまで剣を振るい続けた。

    蒼天剣・剣姫録 1

    2009.08.03.[Edit]
    晴奈の話、第351話。 剣姫の半生。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 黄晴奈が女傑、剣豪であるように、彼女もまた剣豪だった。 その才能が開花したのは晴奈より8年も早い、6歳の時。今はもう、ほとんどその名を知る者もいない幻の大剣豪、楓井希一の孫であり、彼女の才能を見出したのも、焔流に入門したのもその祖父あってのことだった。 幼い頃から類稀なる剣の才能を見せた彼女は、焔流家元・焔重蔵をして「こ...

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    晴奈の話、第352話。
    小冬日和。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     晴奈たちがサウストレードに滞在してから一ヶ月近くが経過し、季節は既に、秋に移ろうとしていた。

     央北の夏は、央中に比べてさらに短い。流石に「北」と付くだけあって、夏よりも冬の割合の方が多いのだ。
    「うひょ……、寒いなぁ」
     とは言え、その日の気温は異様なほど低かった。まだ夏の装いが残る時期だと言うのに、吐く息が白いのだ。
    「本当、耳が痛くなるくらいね」
     サウストレードの街をぶらついていたバートとジュリアは、白い吐息をたなびかせながら街を眺めていた。
    「見ろよ、マフラーしてるヤツがいるぜ」
    「あら、本当」
     街角にはチラホラ、冬服を慌てて引っ張りだしたと思われる者が行き来していた。
    「本当に寒いよな、今日は」
     そう言ってバートはふーっと白い息を――こちらは吐息ではなく、紫煙だが――吐いて、ポケットに手を入れる。
    「冬の中で温かい日を『小春日和』と言うけれど、今日みたいな日は『小冬日和』とでも言うのかしらね」
     ジュリアがそっとバートの腕に寄り添い、暖を取ってきた。
    「はは……」
     バートは小さく笑いながら、街を見渡した。
    「ん? 何だ、あの露店?」
    「え?」
    「ほら、通りの反対側にある店。何かカラフルで目立ってる」
    「ああ……」
     バートがくわえ煙草で指し示した方に、やけに色彩豊かな露店が立っている。
    「何の店かしら?」
    「行ってみるか」
     店の近くまで行ってみると、こんな寒い日だと言うのに何人もの人が集まっていた。
    「ねぇねぇ、次はコレ付けてー」
    「はいはい」
     店主らしき短耳の女性が、小さい女の子の差し出した帽子に絹の付いた型紙を当て、ぺたぺたと染料を塗って星のマークを付けている。
    「ありがとー!」
    「はいはい、20クラムね」
     店主はニコニコ笑いながら、客の衣服に様々なマークを付けている。いわゆるシルクスクリーンのようだ。
    「へぇ、面白そうね。何かやってもらう?」
    「んー……」
     バートは自分の衣服を見回し、マークを付けても差し支えなさそうなものを探す。
    「……お?」
     と、いつの間にかジュリアが自分のベストとネクタイを店主に渡し、話をしている。
    「はいはい、カエデ模様ね。色は赤と橙いっこずつ、と」
    「お願いね」
    「はいはい」
    「……はは」
     バートは笑いながら、煙草を吸おうとする。それを見た店主が顔を上げ、口をとがらせた。
    「お客さん、近くで吸わないでよ。引火するから」
    「あ、おう。悪い悪い」
     バートは頭をかきながら煙草を口から離し、近くの灰皿まで歩いていった。
     その間に、ジュリアは店主と世間話をする。
    「にぎわってるのね」
    「うん、ボチボチ稼げてるよ」
     店主は手元に視線を落としながら、気さくに話をしてくれた。
    「一番人気があるのはどの柄?」
    「時期柄だからと思うけど、お客さんと同じカエデ模様だよ。秋って感じがするし」
    「そう」
     店主はここで思い出したように、また顔を上げた。
    「あ、そうそう。カエデって言えばさ、さっき一人変なお客さんがいたんだよね。
     短耳で、顔全体をマフラーで覆っててさ、のっぺりした仮面を差し出してきて、『これに藤色のカエデ模様を』って」
     妙な話に、ジュリアと、戻ってきたバートは興味を抱いた。
    「藤……、紫色の、カエデ?」
    「変でしょ? 普通カエデって言ったら、赤とか黄色とかの暖色系を選ぶのに。あたしも『何で藤色に?』って聞いたらさ、『私の色だから』だって。
     で、マーク付けてあげたらその仮面かぶって、ささっとどっか行っちゃったのよ。……それでさー」
     店主はここで、声色を変えた。
    「その女の人、仮面かぶる時にチラッと顔を見たんだけど、こーんな風に」
     店主は自分の左眉を指し、そこからすっと右頬にかけてなぞる。
    「すっごい傷跡が付いてたのよ。剣士さんっぽかったから、そう言う関係でケガしたのかも。ちょこっと、不気味な人だったなぁ」
    「……スカーフェイスの、女」
     それを聞いたジュリアの顔が、途端に険しくなった。
    「その人、央南人だった?」
    「え? ……うーん、そう言われればそうだったかも。あんまりこの辺では見たこと無い顔立ちだったし」
    「どうしたんだ、ジュリア?」
    「忘れたの、バート?」
     ジュリアは立ち上がり、バートの耳元でささやいた。
    「顔に傷のある、央南人風で短耳の女性。そして紫色が、彼女の『色』だと」
    「紫……、そうか、『バイオレット』か」
     バートもようやく、その人物に思い当たった。

    蒼天剣・剣姫録 2

    2009.08.04.[Edit]
    晴奈の話、第352話。 小冬日和。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 晴奈たちがサウストレードに滞在してから一ヶ月近くが経過し、季節は既に、秋に移ろうとしていた。 央北の夏は、央中に比べてさらに短い。流石に「北」と付くだけあって、夏よりも冬の割合の方が多いのだ。「うひょ……、寒いなぁ」 とは言え、その日の気温は異様なほど低かった。まだ夏の装いが残る時期だと言うのに、吐く息が白いのだ。「本当、耳...

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    晴奈の話、第353話。
    焔流に勝つためのコンセプト。

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    3.
     露天商の情報から、晴奈たちは殺刹峰の部隊がサウストレードに来ていると想定し、現在の拠点にしている金火狐財団商館の警備を固めていた。
     だが、フォルナだけは終始けげんな顔をしていた。
    「そのお話、どうしても気にかかる点がございますの」
    「って言うと?」
     フォルナと一緒に茶を飲んでいた小鈴が尋ねてくる。
    「なぜ、敵部隊のリーダーが一人で街を徘徊していたのか、と。
     これまでわたくしたちは何度も殺刹峰の部隊と戦ってまいりましたけれど、団体行動が基本と言うか、一人で行動されていたことはほとんど無かったような気が……」
    「そーでもないと思うけどね」
     話の輪に、モールが割って入る。
    「私が戦った黒いヤツは、単独で行動してたね。それに小鈴たちの班でも、その『バイオレット』だかが一人でウロウロして、自分からノコノコやって来ちゃったって聞いたしね。案外、単独行動も多いんじゃない?」
     モールの反論に、フォルナはほんの少しぶすっとした表情になった。
    「……そうですわね。そう言う事実もございました。失念しておりましたわ」
    「いっつもいつも思ってたけど、なーにを偉そーにしてるかね、この小娘は」
     じっとフォルナの顔を見ていたモールは、いきなり彼女の鼻をつかむ。
    「ふひゃっ!?」
    「20にも満たない小娘が、偉そうにベラベラ演説ぶってんじゃないよ。もっと年相応に、可愛く振舞えないもんかねぇ?」
    「ほんにゃこにょほおっひゃにゃれにゃひひぇにょ(そんなことを仰られましても……)」
    「生意気、生意気っ。えいっ」
     モールは鼻をつかんでいた手を、ぴっと放す。その拍子に、フォルナの口と鼻から妙な音が漏れた。
    「ぷひゃっ!」
    「アハハ、『ぷひゃ』だって、アハハハハハハ」
     モールは顔を真っ赤にするフォルナを見て、ゲラゲラと笑い転げていた。

     晴奈は再び、カモフと話をしていた。
     今回は楢崎も交え、三人で顔を突き合わせている。
    「『バイオレット』隊が来てる、と。もしかしたら、アンタとモエの戦いになるかもな」
    「その可能性が無いとは言えない。そう思って、お主に話を聞こうと思った次第だ」
     ちなみにカモフは現在布袋ではなく、狐を模した仮面をかぶっている。カモフから「いつまでも布袋じゃ顔がかぶれそうになる。もっとすっきりしたものに変えて欲しい」と頼み込まれたからである。
    「話って言うと、具体的にはどんなだ?」
     カモフに尋ねられ、晴奈はこう返す。
    「現在の巴美……、いや、モエの実力を伺いたい。以前に戦った時も、多少手強かった記憶があるからな」
    「なるほどな。まあ、これは俺の意見だが、確かに『プリズム』の中じゃ新参者だし、見劣りしてるところもある。
     だけど、腕は前より上がってる。シノハラ一派の頃に使ってた魔術剣も、一段と凄味を増してるぜ」
     カモフの回答に、楢崎がうなる。
    「ふむ……。僕たちの班も一度食らったことがあるが、確かに強烈だった。あれは具体的には、何系統の魔術が基礎になってるのかな?」
    「風の術だ。恐らく焔流の、火術ベースの魔術剣に対して優位に立とうとした結果だろう。風術は火術に強いからな」
    「……?」
     魔術知識に疎い晴奈には、話の流れがつかめない。
    「えーと、聞いてもいいか?」
    「ん?」
    「何故、風の術は火の術に強いのだ? 良く分からないのだが」
    「ああ……」
     カモフは丁寧に、晴奈に魔術の基礎を解説してくれた。
    「魔術書の基本には大抵、『風の術は大気の流れ、空気を司る。火は空気の多寡で、激しく燃え盛ったり、一瞬にして消えたりする。風は火が火である、その根源を握るものであり、よって風は火に対して優位に立つ』ってある。
     他にも諸説あるが、大体の理由はそんなとこだな」
    「は、あ……」
     説明されても今ひとつ理解できなかったので、晴奈はとりあえず話を進めた。
    「まあ、魔術の分野で考えれば篠原一派の方が強いと取れるわけか。確かにあの飛距離と斬撃の鋭さには苦戦したな」
    「もっぺん言っとくが、俺たちと戦った時より数段強くなってるぜ。今じゃ岩石くらいならズバッと斬れるほどだ。
     アンタも相当強くなっただろうが、それでも苦戦するのは確実だろうな。何か対策を練っといた方がいいんじゃないか?」
     カモフに助言され、晴奈は素直にうなずいた。
    「ふむ。……そうだな、モール殿にでも、風の術への対策を聞いてみるとするか」
     そう言って晴奈は席を立ちかけ――また、ぞくりと寒気を覚えた。
    「……!」
    「どした?」
    「危ないッ!」
     晴奈はほとんど無意識的に楢崎を蹴り飛ばし、さらに机を飛び越えてカモフに飛び掛った。
    「うわっ!?」「お、ちょ!?」
     楢崎は椅子から転げ落ちる。
     カモフは晴奈に押される形で、壁際に叩きつけられる。
    「いってぇ……」
     カモフは文句を言おうと起き上がったが、目の前の光景を見て絶句した。
    「……やべ、来やがった」
     先程まで晴奈たちが囲んでいた机が、真っ二つに割れていた。いや、割れたのは机だけでは無い。
     部屋全体が、窓から扉に向かって一直線に裂けていたのだ。

    蒼天剣・剣姫録 3

    2009.08.05.[Edit]
    晴奈の話、第353話。 焔流に勝つためのコンセプト。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 露天商の情報から、晴奈たちは殺刹峰の部隊がサウストレードに来ていると想定し、現在の拠点にしている金火狐財団商館の警備を固めていた。 だが、フォルナだけは終始けげんな顔をしていた。「そのお話、どうしても気にかかる点がございますの」「って言うと?」 フォルナと一緒に茶を飲んでいた小鈴が尋ねてくる。「なぜ、敵部...

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    晴奈の話、第354話。
    風の剣術、本領発揮。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     巴景は立て続けに「地断」――篠原一派の編み出した、新生焔流剣術の技を放つ。
    (分かる……! あそこに、あの女がいるッ!)
     超感覚、超能力と言ってもいいほどの直感で、巴景は晴奈の居場所である商館を突き止めた。そして晴奈たちがいる部屋にピンポイントで、斬撃を叩き込んでいるのだ。
     七、八太刀ほどぶつけたところで、堅固なはずのレンガ造りの部屋の壁が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。そしてその大穴から、三毛耳の猫獣人の女の顔が、こちらをそっと覗いているのが見えた。
     そして、まるで大掛かりな舞台劇のように、曇っていた空が晴れ渡り、赤い月の光が辺りに満ちてくる。月に照らされた巴景は、藤色のカエデ模様が左頬に付いている以外は何の特徴も無い、のっぺりとした仮面越しに叫んだ。
    「晴奈ああああああッ! 死ねええええええーッ!」
     巴景はまた、「地断」を放つ。この一撃は先程より一際鋭く、そして速く、辺り一面にドガンと言う爆音が響いた。

    「……!」
     晴奈もまた、超感覚的に危険を察し、壁に空いた穴から飛び降りる。
     その一瞬後、晴奈が立っていた場所に巴景の斬撃が叩き付けられ、床もろとも崩れ落ちた。
    「こ、黄くん!」
     晴奈に蹴飛ばされ、事なきを得た楢崎が窓際に駆け寄ろうとしたが、カモフが袖を引っ張って止める。
    「やめとけ! 下手に顔出したらブツ切りにされっぞ!」
    「しかし!」
     カモフはブルブルと首を振り、楢崎を半壊した扉に引っ張っていく。
    「それよりも助けだろ!? 他のヤツらに助けを呼ぶんだ!」
    「あ、ああ」
     楢崎はカモフに手を引かれるまま駆け出し――きょとんとする。
    「カモフくん? あれは、君の仲間じゃないのか? 助けを呼ぶ、って言うのは、僕たちの仲間にかい?」
    「……あ、そうだった」

     晴奈が商館の庭に降り立ったところで、巴景はまた叫んだ。
    「晴奈ッ! ここで、昔受けた顔の傷の借りを返させてもらうわッ!」
    「何だと?」
     巴景の言葉に、晴奈は驚かされた。
    「お前……、記憶が戻ったのか?」
    「ええ、ついこの前。……ふ、ふふふっ」
     巴景は刀を構えたまま、肩を震わせて笑う。
    「ああ、面白い!」
    「何がだ?」
    「この記憶を失った2年半で、私の力は著しく成長したわ。
     その2年半の間、私は藤田萌景と言う女になっていた。そして今また楓井巴美が私の中によみがえり、私の中には楓井と藤田、二人の人間がいる。
     分かる? これがどう言う意味なのか、アンタに分かるかしら? 面白いって言ったのは、それよ……!」
     巴景は構えを変え、晴奈に斬りかかった。
    「私は『二人がかり』でアンタを始末するってことよ! アンタは一人で死になさい、黄晴奈!」
     恐るべき速さで飛び込んできた巴景に、晴奈も素早く反応する。月の光がまた雲で隠され、闇の中で剣と刀が弾かれ合う火花が明滅する。
    「くっ!」
     数回攻撃を弾いたところで、晴奈は舌打ちした。
    (何と言う激しさ、そして速さか! この身のこなし、『猫』の私にも勝るとも劣らない俊敏さだ!
     これはまずい――油断していては、負ける!)
     途中から晴奈は距離を取り、元祖焔流の真髄である「燃える刀」で応戦する。
     だが、確かにカモフの言っていた通り「火射」も「火閃」も、巴景の風の魔術剣によって叩き落され、弾かれてしまう。
    「ほら、どうしたの晴奈!? この2年半、成長しなかったわけじゃないでしょう!?」
    「くそ……!」
     巴景の攻撃は一太刀ごとに激しさを増していき、次第に晴奈が押され始めた。
    (まずい……、この太刀筋、異様に鋭いぞ!
     袖や袴の裾にわずかながらかすっているが、少しの繊維のほつれもなく、バッサリいっている。布地相手は、いかに切れ味鋭いと言われる刀でも――私の腕を以ってしても――なかなかこうは斬れてくれぬと言うのに……。
     それに風切り音がパンパンと、重たい刀剣には有り得ぬ、鞭で叩くような音を立てている。この切れ味、もう剣では無い。言うなれば、鎌鼬の領域だ。
     こんな代物が少しでも体に触れようものなら、即座に一刀両断されるぞ……!)
     また雲が晴れ、赤い月が二人を照らす。月光に照らされた巴景を見て、晴奈はぞっとした。
     その姿はまさに、鬼神か悪魔のように見えたからだ。

    蒼天剣・剣姫録 4

    2009.08.06.[Edit]
    晴奈の話、第354話。 風の剣術、本領発揮。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 巴景は立て続けに「地断」――篠原一派の編み出した、新生焔流剣術の技を放つ。(分かる……! あそこに、あの女がいるッ!) 超感覚、超能力と言ってもいいほどの直感で、巴景は晴奈の居場所である商館を突き止めた。そして晴奈たちがいる部屋にピンポイントで、斬撃を叩き込んでいるのだ。 七、八太刀ほどぶつけたところで、堅固なはずの...

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    晴奈の話、第355話。
    Wind V.S. Fire。

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    5.
     騒ぎを聞きつけ、商館からバタバタと人が集まってくる。
    「セイナ!」「生きてる!?」
     フォルナと小鈴が真っ先に庭へ駆けつけたが、晴奈に答える余裕は無い。
    「そら、そら、そらあッ!」
     巴景の剣がまた空気を弾き、バンと言う破裂音を轟かせる。
     巴景が来る前は美しい憩いの場であったはずの庭は、既に見る影も無い。あちこちに「地断」による深々とした傷跡が付き、木や花、調度品は細切れにされている。
     同様に晴奈の着ていた道着も、袖や裾が千切れ、次第にボロボロになっていく。
    「ハァ、ハァ……」
     それでも晴奈は――少しずつではあったが――巴景の剣に対応できるようになっていた。
    「えりゃあッ!」
    「くっ……!」
     レンガの壁をも断ち切った巴景の剣を、晴奈の刀「大蛇」は十二分に防ぎきってくれた。もしこれがどこにでもある安手の、数打ちの刀であったならば、もっと早くに勝負が付いていただろう。
     そして斬り合ううちに、晴奈は敵の剣術の特徴に気が付いた。
    (鋭い。確かに鋭い、……が、重くない。太刀筋を良く見極めて受ければ、容易に弾くことができる。
     それはまあ、……そうだろうな。剣を直に当てられるのならばともかく、相手の攻撃は実体無き『風』なのだから)
     晴奈は「大蛇」が耐え抜いてくれることを信じ、勝負に出る。
    (無形には、無形。……ならばこちらも、風で迎え撃つッ!)
    「それ、もう一丁ッ!」
     巴景は勢いに任せ、一際強く「地断」を放った。
    「はああああッ!」
     飛んできた剣閃を、晴奈は力一杯の「火閃」で迎え撃つ。
     晴奈の周囲の空気が瞬間的に熱され、爆風を生む。それが「地断」とぶつかり、混ざり合い、両者の攻撃は単なる強風に変わる。
    「……ッ!」
     攻撃が止められ、巴景が一瞬息を呑むのを、晴奈は確かに感じ取る。そしてその隙を、晴奈は見逃さなかった。
    「食らえッ!」
     晴奈は巴景のすぐ側まで踏み込み、「大蛇」を熱く燃え上がらせて振り下ろした。
    「な、に……ッ」
     巴景が剣で受けたが、ここまで剣の領分を大きく逸脱する、鞭のような使い方を繰り返していたために、刀身は既に、限界に達していたらしい。
     受け止めた途端、剣はまるでガラス細工のように、がしゃんと呆気無く砕け散ってしまった。
    「……! まさ、か……」
    「ハァ、ハァ……、勝負、あったな」
     岩をも断ち切る剣術といえど、流石に剣がなくてはどうしようもない。
     巴景は半分になってしまった剣を、いらだたしげに投げ捨てた。



     周りからゾロゾロと人が集まり、晴奈と巴景を囲んだ。
     だが、巴景は彼らを見渡し、フンと鼻を鳴らす。
    「やめておきなさい。アンタたちじゃ、私を捕まえることなんてできないわよ」
    「……っ」
     剣を失ったにもかかわらず、巴景はなお威圧感をにじませている。彼女が顔、いや、仮面を向けただけで、周りの者はビクッと震え、後ずさる者さえいる。
     巴景は晴奈に視線を戻し、彼女にも牽制してきた。
    「それに、晴奈ももう余力は無いでしょう? あれだけの大技、かましたんだから」
    「……」
     答えなかったが、確かに疲労は濃い。晴奈は無言のまま、納刀した。
    「残念だけど、まだ倒すには至らなかったようね。……それでも、アンタと同じところまで追いつけた。
     次はどうかしらね……?」
    「……」
     また、晴奈は答えない。じっと巴景をにらんだままでいる。
    「あんまりベラベラしゃべるのも興が覚めるけれど、実感したわ。
     もう1年あれば間違い無く、私はアンタを殺せる」
    「……!」
     その発言に、晴奈の強さを知っている皆は一様に息を呑んだ。
     巴景の言い方はハッタリや冗談、軽口などではなく、まるで池に沈んだ金貨を取ろうとするような――「やろうと思えばできる」と言っているような説得力を持っていたからだ。
     だが、こう言われては流石に晴奈も黙っていられない。
    「そう思うか、巴美。私も一端の剣士だ。そう簡単には……」「黙れ!」
     巴景はぐい、と晴奈の胸倉をつかみ、引き寄せる。仮面一枚の距離まで顔を引き寄せ、巴景は憎々しげに吐き捨てた。
    「いつまでもいい気になってんじゃないわよ、猫侍。アンタのそのうざったい自信、粉々にブッ壊してあげるわ」
    「そう言うのならば、今すぐやってみせろ」
    「フン……! 言ったでしょう、1年で超えると。今なら勝てるなんて、そう思って言ってるの? 卑怯者ね、晴奈。
     それとも意気地なし? 『今じゃないと勝てない、間に合わない』ってことかしら?」
    「な……」
    「いい? 今度遭った時は、今度こそアンタを殺してやるわ。そう、アンタも多分修行して強くなってる。
     でも私は、それよりもっと高みに昇ってやる。二人とも剣豪としての最盛期、頂に登ったところで、アンタをその頂点から叩き落す。
     二度と登れないように、その五体、切り刻んであげるわ……!」
     巴景は晴奈を突き飛ばし、背を向けた。
    「……ウォールロック山脈北西、第9鉱山跡。そこがあいつらの本拠地よ。こんなところでウロウロしてないで、さっさと終わらせてきなさい」
    「え……? 待て、それは一体」
     晴奈は立ち上がり、聞き返そうとしたが、巴景はスタスタと歩き、離れていく。
    「どきなさい」
    「……っ」
     巴景は人垣にそっと言い放ち、道を開けさせる。そして晴奈に背を向けたまま、こう付け加えた。
    「ああ、そうだったわ。ちゃんと名乗ってなかったわね」
    「何?」
    「今の私は、楓井巴美でも藤田萌景でもないの。
     楓藤巴景。これが今の、私の名前」
    「巴景、……か」
     晴奈はその名前を、心に深く刻み込んだ。
     この瞬間から晴奈と巴景は、互いに互いを宿敵、因縁深き敵と認識した。
    「じゃあね、晴奈。……くれぐれも、腕を磨いてなさい」
     巴景はそのまま、夜の街に消えていった。

    蒼天剣・剣姫録 5

    2009.08.07.[Edit]
    晴奈の話、第355話。 Wind V.S. Fire。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 騒ぎを聞きつけ、商館からバタバタと人が集まってくる。「セイナ!」「生きてる!?」 フォルナと小鈴が真っ先に庭へ駆けつけたが、晴奈に答える余裕は無い。「そら、そら、そらあッ!」 巴景の剣がまた空気を弾き、バンと言う破裂音を轟かせる。 巴景が来る前は美しい憩いの場であったはずの庭は、既に見る影も無い。あちこちに「地断」に...

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    晴奈の話、第356話。
    敵陣へ。

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    6.
    「あー……、そうか、あれって廃坑だったのか」
     晴奈から話を聞いたカモフは、納得したようにうなずいた。
    「お主も知らなかったのか」
    「ああ、ずっと移動法陣で出入りしてたからな、外がどんな様子なのかなんて誰も知らなかっただろうな。
     つーか、アジトから外に出ようとすると、でけぇクレバスに阻まれるんだよな。……ま、それが廃坑になった原因かも知れんが。
     話からするとモエ……、いや、トモエはそこから移動法陣無しで出たっぽいが、どうやって越えたんだろうな?」
    「ま、常識的に考えたら無いはずないんだよね、徒歩で出られる通路って」
     その疑問に対し、モールが杖を磨きながら答える。
    「元々が鉱山なんだし、空気取りのための穴があるはずだね。それに落盤なんかで入口が崩落した場合を想定した、緊急脱出路もあるだろうしね。恐らくその仮面女、そこら辺から脱出したんだろうね。
     逆に言えば、そこから入れるってコトだ」
     晴奈たちの話をじっと聞いていたジュリアが、そこで顔を上げた。
    「何にせよ、行かない手は無いわね。すぐ準備しましょう」
    「そうだな。今度こそ、ヤツらの中核に踏み込める。……だけど」
     バートが煙草をもみ消しながら、不安そうにつぶやく。
    「やっぱり、援護は無いのな」
    「仕方無いでしょう、財団は軍隊なんて持ってないんだし。武器と馬車を手配してくれるだけでも、ありがたいと思わなきゃ」
    「だよな。……ふー」
     また、バートは新しい煙草に火を点ける。それを眺めていたシリンが、呆れたように声をかけた。
    「バート、もうその辺にしときいや。吸殻、山盛りやん」
    「そうよ、空気も濁るし」
     ジュリアにも諭され、バートは苦笑いする。
    「あ、悪い悪い。んじゃ、これが最後で」
     そう言ったところで、バートは黙り込む。
    「どうしたの?」
    「……やっぱ、やめとくわ。『最後』とか、縁起でもねー」
     バートは口にくわえた煙草を吸うことなく、もみ消した。

     フォルナは話の輪から離れ、このところずっと商館内にこもっているフェリオ――巴景が襲ってきた時も、彼は外に出てこなかった――を訪ねていた。
    「おう、フォルナちゃん。さっき騒がしかったみたいだけど、何かあったの?」
     ぱっと見る限りでは健康そうに見えないことは無いが、フォルナに声をかけているこの時も、フェリオは椅子から立ち上がろうとしない。それに、左手を見せないようにしているのか、やや体を傾け、ひざ掛けを左腕全体を覆うようにかけて座っている。
     依然、病状は進行しているようだった。
    「ええ、実は『バイオレット』が単騎でいらっしゃいまして。セイナに以前、ひどい目に遭わされた記憶が戻ったとか」
    「へぇ……」
     フォルナから勝負の決着や、巴景が殺刹峰アジトの場所を報せたことなどを聞き、フェリオは目を丸くした。
    「それじゃ、いよいよってわけか」
    「ええ、もしかしたら、あなたの治療薬も見つかるかも知れませんわね」
    「だといいなぁ。……フォルナちゃん、ちょっと聞いていいか?」
    「はい?」
     ここでようやく、フェリオはこれまで見せないようにしていた左腕を見せた。
    「……」
     青く変色した部分が、以前にも増して左腕全体に広がっている。
    「君はグラーナ王国のお姫様だと言ってたけど、帰る予定なんてのは……、ある?」
    「ございませんわ。ヘレン様に口添えをしていただいて、一応のけじめは付けておこうかと考えておりますけれど」
    「そっか。……じゃあさ、もしもだけど」
     フェリオは寂しげな、そして悲しげな表情を浮かべてぽつりとこぼした。
    「オレが……、その……、その、ゴールドコーストに帰って、その後、……その、もし、いなくなるようなコトがあったら、……多分、シリンは悲しむと思うんだ。
     だからさ、シリンを元気付けてやって欲しいんだ。オレがいなくなった、その後」
    「……」
    「……フォルナちゃん」
    「はい」
     フェリオはまた左腕を隠し、右手で顔を覆った。
    「治療薬、無きゃ困るよ。オレ、まだ死にたくねえもん。こんな頼みごと、したくねえよぉ……」
    「……そうですわね。見つかると、わたくしも祈っておりますわ」



     偶然と衝突、思索と執念の入り混じった紆余曲折の末に、公安と晴奈たちはようやく敵のすぐ足元へと近付いた。
     長年、大義の名の下に、あるいは一人の妄執のために、人を食い物にし、大陸の陰でじわじわと成長、増殖を続けてきた組織と今、正面衝突する。

    蒼天剣・剣姫録 終

    蒼天剣・剣姫録 6

    2009.08.08.[Edit]
    晴奈の話、第356話。 敵陣へ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「あー……、そうか、あれって廃坑だったのか」 晴奈から話を聞いたカモフは、納得したようにうなずいた。「お主も知らなかったのか」「ああ、ずっと移動法陣で出入りしてたからな、外がどんな様子なのかなんて誰も知らなかっただろうな。 つーか、アジトから外に出ようとすると、でけぇクレバスに阻まれるんだよな。……ま、それが廃坑になった原因かも知...

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    晴奈の話、第357話。
    「プリズム」の脆弱性。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     そもそも、殺刹峰と言う組織はどのようにして生まれたのだろうか?
     この謎については、金火公安が後に行った調査でも、その全てを判明することはできなかった。しかし断片的にではあるが、次のようなことが分かっている。
    「克大火を倒す地下組織」と言うコンセプトがまとまったのは恐らく、バニンガム伯とシアンが出会って2、3年後であること。そしてその組織を創り上げるため、彼らは10年近い歳月をかけていたこと。
     そして――この組織の要となる二人の人間、トーレンスとウィッチが参加したことで、その10年の間、一向に具体化される気配の無かったこの組織は、あっと言う間に編成が成され、現実のものになったこと。

     トーレンス――モノについての調査と、それについて判明した思想や目的は以前、クロスセントラルでバートが考察した通りだった。
     だがもう一人の重要人物、ウィッチについては何も分からなかった。彼女がどのような人物で、殺刹峰以前はどのような活動を行っており、殺刹峰の中でどのような意思を持って活動していたのか、そもそも本名は何と言うのか――その全ては、殺刹峰が壊滅した後になっても不明のままだった。
     彼女を知る手がかりは、組織が壊滅した際に、彼女自身も含めて一切、消えてしまったからである。



     その日のアジトは、非常に静かだった。
    「ホワイト」、「ブラック」、「インディゴ」、「オレンジ」の4部隊、そしてリーダー不在の「バイオレット」隊も加えた5部隊がサウストレードへ向かっており、アジト内にはいつもの半数程度しか人員がいなかったからである。
    「それにしても、モエちゃんはドコ行っちゃったのかしらねーぇ」
     オッドは茶をすすりながら、突然行方をくらませたモエ――巴景のことを案じていた。
    「代替者を探さねばならんかもな」
     一緒に茶を飲んでいたモノが、眉間にしわを寄せながら応じる。
    「そうねぇ……」
     オッドも困った顔で相槌を打ち、深いため息をついた。
    「はぁ……。万全かなーって思ってたのに、実際に戦わせてみるとドンドン出ちゃうわねぇ、ボロが」
    「確かに。レンマ君、カモフ君が敵の手に落ち、ネイビー君とミューズ君が負傷し、その上モエ君が消息を絶ち、……思った以上に展開が悪い。
     何か、見誤っているのかも知れんな」
    「何かって?」
     モノはカップを机に置き、眉間をほぐしながら内省する。
    「私の認識と言うか、全体の評価と言うか……。
    『プリズム』は私と君、そしてウィッチの三人が検討に検討を重ねて作った最高、最強の部隊だったはずだ。身体能力は言うに及ばず、魔術の知識、戦闘技術、どれをとっても申し分ない者たちばかりのはずだったのだが……。
     少し、いや、かなり大きく、敵の強さを甘く見ていたのかも知れんな」
    「ソレだけじゃないわぁ、きっと」
     オッドもカップを置き、伏し目がちに話す。
    「個人、個人のキャラクタ性を見てると、どうしても気になる点があるのよねぇ」
    「気になる点?」
    「何て言うか、性格が不安定なのよねぇ。
     レンマは偏執的だし、ネイビーは人を見下してるし、ペルシェやジュンはコドモっぽすぎるし……。情緒不安定で成長しきってない子が多いわ、なんだか。
     コレはさぁ、アタシの考察なんだけどもね――洗脳して従順な兵士を造る、そのプロセスに問題があるんじゃないかしら。アレ、きっと精神や情緒の育成・形成に良くないんじゃないかと思うのよぉ。
     そりゃ、兵士は素直に従ってくれれば言うコト無いんだけどさぁ、一人の人間としての精神的な成長を止めてるんじゃないかしらって」
    「ふむ……」
     モノは話を聞きながら、茶に口を付ける。
    「アンタも薄々感じてるでしょ? あいつらがどこかコドモっぽい、人間として魅力が薄いって――どんなに肉体や知識、技術を鍛えても、それを操るココロが幼すぎるわぁ。
     どんなに優れた馬に乗っても、それを操る騎手がボンクラじゃ、ゼッタイ早く走れない。それと同じコトだと思うのよぉ」
    「つまり、育成方針そのものに大きな欠陥がある、と言うことか」
    「まあ、あくまでコレはアタシの意見だけどね。今後どうするかは、あの『おばーちゃん』がどう言うか、よねぇ」
    「そうだな……」
     モノは茶を飲み干し、席を立とうとした。
    「あら、もういいのぉ?」
    「対策は早めに講じた方がいい。ウィッチにその旨を相談してくる」
    「ちょ、ちょっとぉ。あくまでコレは、アタシの勝手な意見だってばぁ。まだ具体的な裏付けも取ってないし……」
    「どこかの戦略家の言葉だが」
     モノはそそくさと部屋の入口まで進み、オッドに背を向けたままこう言った。
    「『戦場では思索より行動を優先すべき』だそうだ。確証が無いからと、何もせず静観していては手遅れになることもある」
    「まあ、そう言う考えもあるけど、ねぇ……」
     オッドはモノをそのまま見送り、彼が部屋から出て行ったところで、ぽつりとつぶやいた。
    「……でも、立ち止まってじっくり、周りの様子を考えるってのも大事じゃないのぉ? アンタ最近、いっつもいつも焦りすぎなのよぉ。
     それとも、無意識に気付いてるのかしらね――自分の運勢が逆転しかかってる、ってコトに」
     モノが部屋から出た後も、そのまま椅子に座って茶をすすっていたオッドは、かつてウィッチがモノについて評していたことを、ぼんやりと思い出していた。
    (何だったかしらねぇ……、『禍福は糾える縄の如し』だったかしらねぇ)

    蒼天剣・青色録 1

    2009.08.10.[Edit]
    晴奈の話、第357話。 「プリズム」の脆弱性。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. そもそも、殺刹峰と言う組織はどのようにして生まれたのだろうか? この謎については、金火公安が後に行った調査でも、その全てを判明することはできなかった。しかし断片的にではあるが、次のようなことが分かっている。「克大火を倒す地下組織」と言うコンセプトがまとまったのは恐らく、バニンガム伯とシアンが出会って2、3年後で...

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    晴奈の話、第358話。
    モノの焦り。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     まだ、ウィッチの病状が悪化する前のこと。
     オッドはいつも通りに茶を飲みながら、彼女との会話を楽しんでいた。
    「陰陽、ねぇ。トーレンス、そんなにその話が気に入ったのぉ?」
    「ええ、自分のコードネームもそれにならって『モノ』にするとか。軽く、カルチャーショックを受けたみたいね。確かに彼の話を聞いていたら、『9』は彼にとって禍福を呼ぶものみたいだし。
     でも、そうそう都合よく事は運ばないのだけれど」
    「んっ?」
     ウィッチはカップを机に置き、茶の中にミルクを落として軽くかき混ぜた。
    「あなたも央南人の血を引いてるから、分かる話だと思うけれど……」
     カップの中で茶とミルクが半々に混ざり、渦を巻いている。
    「このカップの中の茶とミルクのように、陰陽とは『禍』と『福』が巡ってくるもの。
     今まで凶兆だったものが吉兆になった、これは確かに喜ばしいことよ。でも、悪いものが良いものになったと言うことは、その逆――良いものが悪いものになる、吉兆だったものが凶兆に様変わりすることも、良くあることだと言うこと。彼が抱えていた『9の呪い』、今は吉兆になっているけれど、いつかまた、凶兆に逆転する時が必ず来るわ。
     今、彼は躍起になって自分の周りに『9』を集めているけれど、もし運勢が逆転した時、彼は果たして無事でいられるかしら……?」
    「そう考えると、怖い話よねぇ。今まで嫌ってたヤツが妙に親しくしてきて、心を許した途端に手のひらを返されるとか、ちょこっとエグいわねぇ」
     ウィッチはミルクが完全に混ざりきっていない茶を口に運びながら、目をつぶってこう続けた。
    「彼はいつか、自分が築き上げた『9』に足元をすくわれるわ。でもそれは、いきなりじゃない。ゆっくり、ゆっくりと、運気が沈んでいくでしょうね。
     そうね、……彼が9の付く日に大ケガしたりでもしたら、その兆しかしらね」

     この言葉は後に、現実になった。
    「トーレンス!? どうしたの、その腕!?」
     兵士たちに半ば抱えられる格好で戻ったモノを見て、オッドは目を丸くした。
    「……少し、油断した……」
     モノは倒れ込むように、どさりと椅子に座り込んだ。その左腕は、肘から先がバッサリと断たれている。
    「どう言うコトなの、コレ?」
     オッドは兵士たちに詰問する。兵士たちは青ざめた顔で、こう答えた。
    「一ヶ月前、央南のテンゲンに、アマハラ氏からの要請で妖狐の目撃者暗殺に向かった際、襲われまして……。
     我々も何人か、犠牲に……」
    「何ですって? トーレンス……、モノがこんな、大ケガを負うほどの相手がいたっていうの?」
    「はい、見たところ老人だったのですが、異様に強くて……」
    「どう言うコトなのよ、アンタがじーさんばーさんに遅れを取るなんて、……!」
     オッドは嫌な予感を覚え、もう一度問いただす。
    「一ヶ月前って言ったわよね、ソレって何月何日?」
    「え? えっと、確か……、6月9日だったかと、はい」
     それを聞いて、オッドはチラ、とモノを見る。モノと目が合ったものの、彼は呆然とした顔をしているばかりで、何も反応しなかった。
    (アンタ……、分かってる? 9の付く日よ、9の!)
     オッドは半ばにらみつけるように見つめていたが、焦燥しきり、ただただうつろな目をしていたモノには、その真意は伝わっていないようだった。



     だが、この頃からモノは目に見えて焦り始めた。しきりに訓練や演習を進めるようになり、そして以前よりもより積極的に、犯罪に手を染めるようになった。
     それがまず、この一連の騒動の契機になったのだろう――あまりにも多くの人間を誘拐し続けたために、とうとう金火公安が動き出したのだ。
    (みんなの前じゃ冷静沈着に振舞ってるけど、アタシにはバレバレよぉ。アンタ、段々手を早めてる。待つべきところをどんどん、進もうとしてる。
     無理に無理を重ねて、あちこちが少しずつ軋み始めてるわ。このままじゃきっと、最終計画の前にすべてが頓挫する。……そろそろ、止めないといけないわねぇ)
     オッドはそう決断し、立ち上がろうとした。

     と、鼻腔がわずかながら、とげとげしい臭いを感じ取る。
    (……煙草? アタシは今吸ってなかったし、この臭いは『フォル・アルティッサ』――アタシがいつも吸ってる『たそがれ』の臭いじゃないわ。
     そう、以前にもコレを好んで吸ってそうなヤツがいたわねぇ。あの金火公安の狗、グラサン狐の臭い……)
     オッドは天井を見上げた。
     そこにはこのアジトがまだ廃坑になる前、鉱山として機能していた時代に空けられた排気口があった。

    蒼天剣・青色録 2

    2009.08.11.[Edit]
    晴奈の話、第358話。 モノの焦り。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. まだ、ウィッチの病状が悪化する前のこと。 オッドはいつも通りに茶を飲みながら、彼女との会話を楽しんでいた。「陰陽、ねぇ。トーレンス、そんなにその話が気に入ったのぉ?」「ええ、自分のコードネームもそれにならって『モノ』にするとか。軽く、カルチャーショックを受けたみたいね。確かに彼の話を聞いていたら、『9』は彼にとって禍福を...

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    晴奈の話、第359話。
    公安チームの到着。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     オッド――シアンが医者を志したのは、その特異な能力を活用するためだった。
     まず、大抵の毒物に対し、強い耐性を持っていたこと。彼――語弊があるかも知れないが、生物学的にこう呼ばせていただく――が昔、央南に住んでいた時、ある店が大規模な食中毒事件を起こしたことがあった。彼の一家もその被害を受け、彼の姉が死んでしまうほどの被害を出してしまったのだが、彼自身はけろりとしていた。
     その後、街の医者に診察と検査を受け、この時毒への耐性が非常に強いことが発覚、そのまま医者の道を志すことになるのだが、この時にもう一つ、彼の特殊能力が明らかになった。
     一般的に五感、反応が鋭いと言われる猫獣人である彼は、特に嗅覚が飛び抜けていた。例えば、目隠しをした状態で何種類かの食品の香りを同時に嗅いで、その全てを言い当てることができる。また、数百メートル先に咲いていた桜を、香りだけで見つけることができたし、さらには一度会った人間の体臭も、細かに覚えているのだと言う。
     毒に対する強い耐性と、人間離れした嗅覚。この二つの能力が、彼を名医たらしめている。

     そのオッドが、ほんのわずかにではあるが、この漂ってくる匂いを間違えるわけが無い。
    (このアジト内で、他に煙草を吸ってる兵士は何人かいるけど、この銘柄を吸ってる子はいなかったはず。それに――この2種類の香水、あの巨乳巫女服と、眼鏡ベストの赤毛女たちが付けてた香りだわ。
     ……ヤツらが、来てる! 一体どうやって、ココを嗅ぎつけてきたって言うの!?)
     オッドは急いで部屋を離れ、自分の武器が置いてある医務室へと急いだ。



    「この辺りだよな?」
     バートが煙草を口にくわえながら、きょろきょろと辺りを見回していた。
    「ええ、地図によれば。……そろそろ煙草は消しなさい、バート」
     ジュリアに咎められ、バートは煙草を口から離した。
    「お、悪い悪い」
    「そこら辺に捨てちゃダメよ。山火事になるわ」
    「分かってるって」
     バートは携帯用の灰皿に煙草を捨てながら、離れた場所で出入り口を探していた晴奈たちに声をかける。
    「見つかったか?」
    「いや、まだだ」
    「そっか。……しっかし、単なる雑木林にしか見えねーけどなぁ」
    「第9鉱山が活動していたのは2世紀までよ。それ以降ずっと放置されていたんだから、荒れ放題になるのは当たり前じゃない」
    「ま、そーだけどさ。……おわ!?」
     突然、バートが妙な声を上げる。
    「どうしたの?」
    「あ、ああ。……なんか、穴が空いてた」
     バートは目を白黒させながら、穴に突っ込んだ片足を上げた。
    「気をつけて。この辺りは廃坑だから、地盤がもろいのよ」
    「天然の落とし穴があっちこっちにある、ってわけか。……深いなぁ」
     バートはしゃがみ込み、その穴を覗き込んだ。
    「……ん?」
     穴の奥に、黒い何かが見える。
    「何だ……? 照らせ、『ライトボール』」
     バートは魔術を唱え、光球で穴の奥を照らす。
    「……? 網、か?」
    「どうしたの、バート?」
    「ジュリア、見てみろよ。穴の奥に、金網が敷いてある。錆び錆びになってっけど」
    「ああ……。多分、この穴は昔、坑道の空気取りに使っていたのね」
    「ふーん……。なあ、ここから入れたりは」「できるわけ無いじゃない」
     バートの提案を、ジュリアは即座に却下した。
    「あくまで空気取りのためだから、人が通れるようにはなってないはずよ。変に入り込んで出られなくなったらどうするの?」
    「……だよな」
     バートは軽くため息をつき、穴から顔を上げた。
     と、バートとジュリアの目が合うが、途端にジュリアが鼻を押さえ、苦い顔をする。
    「バート、あなたすごく煙草臭いわよ。吸い過ぎじゃない?」
    「そっか? ……あー、そうかもな。何しろ敵陣の真ん前だからな、ちょっと緊張してっかも」
    「落ち着いて行動するのよ」
    「ああ、分かってるって」
     そこに、楢崎の声が飛び込んでくる。
    「おーい! それっぽいのがあったよー!」
     それを聞いた全員が、バタバタと楢崎の方に集まった。

     楢崎が苔むした岩の前に立ち、岩の中央を少し押してみる。
    「ほら、ボロボロになってるけど扉だよ、これ」
     楢崎の言う通り、苔に亀裂が入り、ボタボタと落ちながら開いていく。
    「僕が押す前に、既に少し開いてたんだ。多分、楓藤くんが開けたんだと思う」
    「ついに、か……」
     その場にいた全員が、ゴクリと息を呑んだ。
     ちなみにここにいるのは晴奈、小鈴、ジュリア、バート、シリン、楢崎、モールの7名である。フォルナは「敵の本陣に入るのは危険すぎる」と言う理由から、また、フェリオは体調が思わしくなく、激戦に耐えられそうに無いと言う判断から外されている。
    「……それじゃ、行きましょうか」
     ジュリアの言葉に、全員が無言でうなずき、静かに扉の奥へと入っていった。
     400年以上前に閉鎖されたと言う坑道だったが、意外にも脱出口の階段はしっかりしており、崩れるような気配は無かった。
    「ずっと閉鎖されていたから腐食されなかったのか、それとも殺刹峰が補修したのか……」
    「恐らく後者でしょうね。彼らもアジトに作りかえる際、この出入り口を使ったでしょうし」
    「しかし……、長いな。一体どこまで降りていくのだろうか?」
     晴奈がぽつりとつぶやいたが、誰にも答えられなかった。

    蒼天剣・青色録 3

    2009.08.12.[Edit]
    晴奈の話、第359話。 公安チームの到着。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. オッド――シアンが医者を志したのは、その特異な能力を活用するためだった。 まず、大抵の毒物に対し、強い耐性を持っていたこと。彼――語弊があるかも知れないが、生物学的にこう呼ばせていただく――が昔、央南に住んでいた時、ある店が大規模な食中毒事件を起こしたことがあった。彼の一家もその被害を受け、彼の姉が死んでしまうほどの被害...

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    晴奈の話、第360話。
    最後の「プリズム」。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     一方、サウストレードへ向けて進んでいた殺刹峰の部隊に、オッドからの魔術通信が飛んできていた。
    「……何ですって? 侵入者?」
     オッドからの通信を傍受したミューズが、ブツブツと何かをつぶやいている。
    「……ええ、……ええ、はい。……はい?」
     段々と、ミューズの顔が険しくなってくる。
    「……?」
     その様子をいぶかしんだネイビーに、ミューズが答えた。
    「ドクターからですか? 何て?」
    「ああ、本拠地に侵入者だそうだ」
    「侵入者? 本拠地に、ですか。金火公安の、ですかね」
    「そうだろうな。それで、主力だけでもすぐ戻れと。……やれやれ」
     ミューズはペルシェを手招きする。
    「なんですかー?」
    「すまない、ペルシェ。我々が戻るまで、ここで待機していてくれ」
    「……はいー?」
    「すぐ戻る。では、失礼する」
     そう言うなり、ミューズはネイビーの肩と、もう一人いた「プリズム」の手をつかみ、「テレポート」を使ってすっと消えた。
    「ちょ、ちょっとぉー!? ミューズさん、あ、あたしはぁ!?」
     ペルシェは大勢の兵士と共に残され、おろおろするしかなかった。

     目の前に現れたミューズを見て、オッドは非常にほっとした。
    「戻りました、ドクター」
    「あぁ、おかえりなさぁい、ミューズ、ネイビー、それからフローラ。……ペルシェちゃんはぁ?」
    「兵士たちの管理に当たらせました。すぐ戻る予定ですので、問題は無いかと」
    「そう。……それじゃ早速、周囲の索敵をお願いねぇ」
    「いいえ、ドクター」
     と、ここまで一言もしゃべらなかった長耳の、深い緑色の髪をした女性が顔を上げた。
    「敵は、もう中にまで入っているわ。すぐ、他の『プリズム』を呼んで」
     その長耳は上官であるはずのオッドに、命令するように話す。だが、オッドはとがめたりすることなく、素直に従った。
    「分かったわぁ、フローラ。ミューズ、ネイビー、すぐに呼んできてちょうだぁい」
    「はい、ドクター」「了解です」
     ミューズとネイビーが消え、二人きりになったところで、オッドが声をかける。
    「で、敵は何人いるのぉ?」
    「7人よ。男が3人、女が4人。
     3人は戦士タイプ、どれも腕はそれなりに立つわ。残りの4人は魔術師タイプ。
     その中でも1人、特に異質な者がいるわね。恐らく、これはモールよ」
    「さっすがねーぇ。魔女の娘だけあるわぁ」
    「……」
     フローラはオッドの賛辞には応えず、無言で椅子に座り込んだ。
     と、また何かを感じ取ったらしい。急に顔を挙げ、いぶかしげに目を細めた。
    「どうしたのぉ?」
    「……いえ、何でもないわ」
     そう言いつつも、依然いぶかしげな顔を崩そうとしない。
    「……?」
     詳しく尋ねようとしたが、今は緊急事態である。
    (……ま、いいか)
     オッドは薬品棚に向かい、迎撃の準備を整え始めた。



    「……?」
     通路を歩いていた晴奈が、急に立ち止まる。
    「どしたの、晴奈?」
    「いや……? 何か、懐かしい……、感覚、が?」
    「懐かしい?」
    「ああ……。ずっと昔、どこかで感じたような。……いや、何でもない。先を急ごう」
     晴奈はふるふると首を振り、ふたたび歩き始めた。



     オッドに(と言うよりもフローラに)「プリズム」メンバー招集を命じられたミューズとネイビーは二手に分かれ、アジト内を駆け足で歩き回っていた。
    「ここにもいない……。くそ、こんな時に!」
     既に10箇所ほど部屋を回ってみたが、メンバーの姿は無い。それどころか、兵士の姿もほとんど見かけなかった。言うまでも無く、大半がペルシェと共に、外に取り残されているのである。
    「おーい! キリアさーん! ヘックスさーん! ジュンくーん! 近くにいませんかー!」
     ネイビーは痺れを切らし、大声で呼び始めた。すると――。
    「……おい」
    「え……?」
     後ろから、怒気を含んだ声がかけられる。振り向くとそこには、額に青筋を浮かべたシリンが立っていた。

    蒼天剣・青色録 4

    2009.08.13.[Edit]
    晴奈の話、第360話。 最後の「プリズム」。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 一方、サウストレードへ向けて進んでいた殺刹峰の部隊に、オッドからの魔術通信が飛んできていた。「……何ですって? 侵入者?」 オッドからの通信を傍受したミューズが、ブツブツと何かをつぶやいている。「……ええ、……ええ、はい。……はい?」 段々と、ミューズの顔が険しくなってくる。「……?」 その様子をいぶかしんだネイビーに、ミ...

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    晴奈の話、第361話。
    怒りの尋問。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    (しまった……)
     ネイビーは内心舌打ちし、辺りを見回す。だが「プリズム」はおろか、兵士の姿も無い。
    (本当に、タイミングの悪い……!
     まさか大編隊を外に向け、手薄になったこの時に、奴らが入り込んでくるなんて!)
    「ベイビー言うたっけ、アンタ」
    「……ネイビーです」
    「ああ、そんなんどーでもええわ。薬、よこしてもらおか」
     そう言ってシリンが、ずいっと前に出る。
    「薬? 一体、何の?」
    「とぼけんのも大概にせえよ、ボケ!
     うちの……、うちらの仲間につけた、体が真っ青になってく毒の解毒剤や! 早よよこさんかい!」
     シリンは怒りに任せ、ネイビーの顔面に向けてストレートパンチを放つ。
    「うわっ!?」
     ネイビーの脳裏に、以前顔面を割られた時の恐怖が蘇る。慌てて両手を顔面の前に交差させたが、シリンは拳をくい、と下げる。
    「~ッ!?」
     シリンの拳が鳩尾に食い込み、ネイビーはえづいた。
    「げっ、ゲホ、ゲホッ、……い、いきなり、何をっ」
    「何べん言わすつもりじゃ、ボケが! 早よ出せっちゅうとるやろ!」
     シリンの激昂ぶりを見て、バートが「……どこのヤクザだよ」とつぶやいたが、シリンの耳には入っていないし、ネイビーも応じる余裕など無い。
    「く、薬なんて、無い」
    「ふざけんなああッ!」
     ネイビーの返答にまた、シリンが爆発する。今度は丸太のような脚が、ドコンと鈍い音を立ててネイビーの腹にめり込んだ。
    「ぐ、……ごぼぁッ」
     ネイビーは引っくり返りながら、胃の中の物をほとんど吐き出した。
    「げぼ、っ、げほ……、ゲホッ」
    「もういっぺん言うで。薬出せ」
     ネイビーは顔面蒼白になりながらも、もう一度同じことを繰り返す。
    「無い、って、言ってる、でしょ……」
    「無いわけあるかあああッ!」
     シリンは倒れたネイビーの腹に、もう一発パンチを入れる。
    「が、っ」
    「出せえッ!」
     もう一発シリンが殴りつけたところで、見かねたバートが止めに入る。
    「よせって、シリン。それ以上殴っても、出るのはゲロか血ヘドだぞ」
    「……」
     バートの制止に従い、シリンはネイビーから一歩離れた。
    「ひゅー、ひゅーっ……」
     シリンの先制攻撃が余程効いたらしく、ネイビーの息は既に細い。
    「さてと……」
     バートとジュリアがネイビーの上半身を起こし、両手を後ろに縛り付け、さらに布袋で厳重に包む。
    「ネイビーだっけか。もう一回聞くけどよ、薬はどこだ?」
    「……無い、ん、ですっ、てば」
    「シリン、一発」
    「あい」
     ネイビーの顔面に向けて、シリンがパンチを入れる。
    「ぐえっ!」
    「なあ、ネイビー君よぉ。ちょっと論理的になってみようや。
     もし仮に、お前の手に、味方の誰かがうっかり触れちまったとする。腐敗で指や手首が落ちるのはまあ、仕方ないとしても、だ。その後の、体が真っ青になって弱っていく毒をそのままにしてたら、命に関わるよな。
     味方をわざわざ見殺しになんてするわけねーし、だったら誰かが解毒剤持ってなきゃいけないって話になる。
     ……で、薬は?」
    「本当に、本当に、無いんです」
    「無いってのは、この世にってことか? それともお前の手元にってことか?」
    「そ、それは、……はい。この世に」
    「一発」
    「ひっ……!」
     拳を上げたシリンを見て、ネイビーは観念した。
    「あ、ああ、ありますあります! ドクターの医務室に!」
    「分かった。……よっしゃシリン、気が済むまでブン殴っていいぞ」
    「あい」
     シリンはコクリとうなずき、グルグルと肩を回す。
    「ちょ……!? 言ったじゃないですか、正直にいっ!」
    「おう。でも誰が、『お前みたいな外道を、寛容な精神で許してやる』って言った?」
    「は、はあっ!?」
     ネイビーは顔を真っ青にしたが、誰もシリンを止めようとはしなかった。

    「ネイビーがやられたわ」
    「え」
     医務室で他の「プリズム」を待っていたフローラが、ネイビーが倒れたことを察知した。
    「そんな……!」
    「しかも、敵は丸々残っているわ。どうやら、袋叩きに遭ったみたいね」
    「うわぁ……」
     オッドは両手で顔をふさぎ、うつむいた。
    「……敵は二手に分かれたわ。
     わたしが、もう一方を追いかける。ドクターは、他の『プリズム』がこっちに来次第、もう一方を潰して」
    「……ええ。そうさせてもらうわ」
     オッドが顔を挙げた時にはもう、フローラの姿は無かった。

    蒼天剣・青色録 5

    2009.08.14.[Edit]
    晴奈の話、第361話。 怒りの尋問。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.(しまった……) ネイビーは内心舌打ちし、辺りを見回す。だが「プリズム」はおろか、兵士の姿も無い。(本当に、タイミングの悪い……! まさか大編隊を外に向け、手薄になったこの時に、奴らが入り込んでくるなんて!)「ベイビー言うたっけ、アンタ」「……ネイビーです」「ああ、そんなんどーでもええわ。薬、よこしてもらおか」 そう言ってシリン...

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    晴奈の話、第362話。
    恋する虎っ娘。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     ボロボロになったネイビーをよそに、晴奈たちは相談を始めた。
    「それじゃ、医務室に行く班と首領を探す班の二手に分かれよう。医務室へはシリンと俺が向かう。薬を手に入れるだけだから、2人で十分だろう。
     残りは首領を探してくれ。俺たちは薬を手に入れ次第、合流する。連絡は『通信頭巾』で取ろう」
    「承知した」
     7人は二手に分かれ、本格的に捜査を開始した。

     二人きりになったバートとシリンは、歩きながらぽつぽつと話をする。
    「……ホンマはな」
    「ん?」
    「フェリオ、大したコトあらへんって言うてたけど、ホンマは辛いって知ってんねん。いくらウチがアホで鈍感やって言うても、夜中にうなされとったら、そら分かるっちゅう話や」
    「ああ……、だろうな」
     前を歩くシリンの尻尾が、悲しげに垂れているのがバートには見えた。
    「……あんな、バート」
    「ん?」
    「ウチ、ホンマにフェリオのコト、好きやねん」
    「ああ」
    「ウチが大会でボロ負けして辛かった時も、ものすごい優しくしてくれたし、バートとケンカした時も、いっつも仲直りさせてくれたしな」
    「ああ」
    「ホンマに、ホンマに優しいんよ。フェリオの顔思い出すだけで、ウチ、顔真っ赤っかになるくらい大好きやねん」
    「……ああ、知ってる」
    「いっつもウチのワガママ聞いてくれるし、いっつもご飯、おかず分けてくれるし」
    「何だよ、それ……」
     軽口を叩きかけたが、バートは途中で口をつぐむ。シリンの肩が、震えていたからだ。
    「……死なせたくないねん。絶対、死なせたない」
    「ああ」
    「もし、死んでしもたらウチ、ウチ……」
     声が段々、涙声になってくる。見かねたバートは、シリンの肩をポンポンと叩いた。
    「死なせやしねーよ。俺だって、お前とフェリオはいいカップルだと思ってるしな。幸せになってほしいって、少なくとも俺はそう思ってる。いや、ジュリアも、エランも、……みんな、そう思ってるぜ」
    「うん……」
     たまらず、シリンが立ち止まってしまう。
    「ほら、歩けって。早く薬持って返って、フェリオを楽にさせてやらねーと」
    「うん……」
     シリンは泣きながらも、バートに手を引かれる形で進んでいった。
     と、前方からバタバタと足音が聞こえてくる。侵入者に気付いた兵士たちが駆けつけてきたのだろう。
    「シリン、ほれ」
     バートはそっと、ハンカチを差し出す。
    「敵に泣いてるトコなんか、見せたくないだろ」
    「う、うん。ありがと」
     シリンはハンカチをつかみ、ゴシゴシと顔を拭いた。
    「……よっしゃ。……行くでええッ!」

     いつもに増して気合いの入ったシリンが、襲ってくる兵士を片っ端から蹴散らした甲斐あって、バートたちはそう時間をかけることも無く、医務室に辿り着くことができた。
    「だっしゃあああッ!」
     医務室の扉を蹴り破り、シリンは中に乗り込む。
    「薬はドコや、薬はッ!」
     シリンはまっすぐに薬棚に向かい、にらみつけるが、そこで足が止まる。
    「……ドコっちゅうか、どれ?」
    「んなの、俺に分かるかよ……。しまったな、ネイビーを連れてくりゃ良かった」
    「調子乗って、ボコってしもたしなぁ」
     バートとシリンは顔を見合わせ、同時にうなる。
     と、背後から甘ったるく、低い声がかけられた。
    「『青系515号』の解毒剤かしらぁ?」
    「……!」
     二人が振り向くと、そこにはあのオカマ医者、オッドが立っていた。
    「それなら、コレよぉ」
     オッドは紫色の薬ビンを見せ、ぷらぷらと振って見せ付ける。
    「よこせや、おばは……、えー、おっ……」
     オッドに怒鳴りつけようとしたシリンは途中で言葉を切り、バートに小声で尋ねる。
    「……どっち?」
     バートも小声で返す。
    「おっさんでいいんじゃねーか? 性別は男だし」
    「聞こえてるわよ」
     オッドはジト目で二人をにらみつつ、話を続ける。
    「アタシのコトはドクターと呼びなさぁい。
     で、コレが欲しいんでしょお? あなたたちの仲間が、真っ青になって死にそうになってるんでしょーぉ?」
    「ああ、そうだ。……まさか、大人しくよこしてくれるのか?」
     バートが尋ねるが、オッドはバカにしたようにフフン、と鼻を鳴らす。
    「そんなワケないじゃなぁい。アンタらはココで、一人残らず死んでもらうわよぉ」
     そう言ってオッドはビンを腰のポーチに納め、構えを取った。
    「医者のクセに武闘派気取りやがって。……行くぞ、シリン!」
    「あいっ!」
     バートたちも構え、オッドと対峙した。

    蒼天剣・青色録 6

    2009.08.15.[Edit]
    晴奈の話、第362話。 恋する虎っ娘。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. ボロボロになったネイビーをよそに、晴奈たちは相談を始めた。「それじゃ、医務室に行く班と首領を探す班の二手に分かれよう。医務室へはシリンと俺が向かう。薬を手に入れるだけだから、2人で十分だろう。 残りは首領を探してくれ。俺たちは薬を手に入れ次第、合流する。連絡は『通信頭巾』で取ろう」「承知した」 7人は二手に分かれ、本格...

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    晴奈の話、第363話。
    ドクターとの再戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     しばらくにらみ合っていたが、先に仕掛けたのはシリンだった。
    「おりゃあああッ!」
     オッドのすぐ近くまで飛び込み、オッドが警戒して構えたところでジャンプし、両脚を揃えて蹴り込む――いわゆるドロップキックである。
    「っと!」
     だが、シリンの全体重が乗った蹴りを、彼女より頭2つも小さいオッドは両手をかざし、受けきった。
     シリンは空中でくるっと回って着地し、もう一度距離を取ってオッドをにらみつける。
    「……アンタも、強化とかしとるクチか」
    「そりゃあ、ねぇ。あと、首領から身体強化の魔術も教えてもらったりしてるしねーぇ」
    「見た目に惑わされんな、ってことだな。……じゃあ、遠慮しねーぞ」
     バートは両手に拳銃を構え、オッドに向かって全弾撃ち込む。
    「……うふふ、ふ」
     オッドの体に銃弾が当たる度、ガクガクとその体が震える。
     だが、これも効いていないらしい。撃ちつくしてもなお、オッドが何事も無かったかのように、ニヤニヤと笑っている。
    「……んだよ、そりゃ。鋼板も貫通する徹甲弾だぞ、今のは?」
    「アンタたちに、ちょこっと教えてあげるわぁ」
     オッドはぺっと、何かを吐き出す。床に吐きつけられたそれは、チン、と乾いた音を立てて跳ねた。
    「た……、弾を!?」
    「殺刹峰の首領、通称『ウィッチ』は昔、ものっすごぉい魔術書を手に入れたのよぉ。その本にはねぇ、現代の技術水準を大きく上回る様々な魔術が書かれていてねぇ」
     そこで言葉を切り、オッドはもう一度構えを取る。
    「例えば、物質に命を与える術。例えば、生命を変形させる術。
     そう、殺刹峰が使っている強化術は、一般的に使われているような、筋肉や神経の働きを活性化させるだけのものじゃない」
     パン、と言う音が響く。だが、これは銃の発砲音ではない。
    「ご……っ!?」
     その破裂音は、オッドが踏み込んだ際に発生したものだった。
    「筋肉自身、骨自身を変質・変形させ、バネや鋼鉄にする――今、この強化術を使っているアタシを、人間と思わない方がいいわよーぉ?」
     一瞬のうちにシリンが弾き飛ばされ、薬棚に叩き付けられる。
    「く、ぅ……っ」
    「あーら、それでおしま……」
     勝ち誇り、ニヤリと笑ったオッドの言葉がさえぎられる。
     薬棚に突っ込んだはずのシリンが、また飛び込んできたからだ。
    「お、ぉ!?」
     オッドはまた手を挙げて防ごうとする。
     だが、シリンは先程ネイビーにしたのと同じように、くい、と拳の向きを変え、オッドの腹を突いた。
    「ぐえ……!?」
    「あのクソ青猫と親子っちゅうのはホンマらしいなぁ」
     オッドの目が見開かれ、両手が下がったところで、シリンはその顔面にもう一発食らわせた。
    「防ぎ方、逃げ方が一緒や」
    「ぎにゃ……ッ!」
     鼻を殴りつけられ、オッドは顔を押さえてのた打ち回る。
    「ふ、ふぐ……、ふは、……油断したわねぇ」
     だが、オッドは床からばっと飛び跳ね、シリンから距離を取った。
    「強化したとは言え、やっぱり力任せじゃ厳しいみたいねぇ。……ちゃんと、アタシのスタイルで行くとしましょうかねーぇ」
     そう言ってオッドは腕をまくる。その手首にはずらりと、試験管が並んでいた。
    「さぁ、ドクター・オッドの人体実験ターイム……」
     オッドはくい、と手首をひねって紫色に光る試験管を取り、栓を開けた。
    「はっじまるわよー……!」



    「ゲホ、ゲホ……ッ」
     両腕を縛られ、坑道の端に打ち捨てられていたネイビーは目を覚ました。
    「う、くっ、……くそっ」
     後ろ手に縛られ、その上散々殴りつけられたため、腕と腹、顔がずきずきと痛む。
    「許さないぞ、あの馬鹿女」
     ネイビーはギリギリと歯軋りし、腕に力を込める。だが、手を縛る縄と布袋は、一向に解ける気配も、千切れる様子も無い。
    「許さない、許さない……」
     ベキ、と何かが折れる音がする。
    「許さないぞ……ッ!」
     もう一度、バキ、ゴキ、と音が鳴る。
    「ハァ、ハァ……、なりふり構っていられるか……! 手や、腕なんか、どうでもいい……!」
     もう一度ボキッと大きな音を立てて、ネイビーは起き上がった。
     と、そこに人影が現れる。
    「……!」
    「警戒しなくていいわ。わたしよ」
     その人影は、先程自分に人集めを命じたフローラだった。
    「あ、ああ。フローラさん」
    「ひどいケガね。特に、腕」
    「縛られましてね。こうするしかなかったんですよ」
    「そう。……散々ね、あなた」
     フローラの目つきが、哀れむようなものに変わる。
    「え、ええ」
    「ねえ、ネイビー」
     フローラはそっと近付き、ネイビーに耳打ちする。
    「……え?」
    「そのままの意味よ。どうする?」
     フローラの言ったことがあまりにも衝撃的だったので、ネイビーはうろたえた。
    「……いや、でも。ドクターまで……」
    「分からない? こんな事態に陥ったのは、あの二人のせいなのよ?」
    「それは、そうかも知れませんけど」
    「『ピンチこそ、最大のチャンスである』と言う言葉があるわ。今、公安が荒らしまわっている今こそ、あなたが成り上がるチャンスよ。
     今、医務室でドクターと公安の人間2人が戦っているわ。そこへ行って、選択しなさい」
    「……」
     フローラはそのまま、踵を返して立ち去った。

    蒼天剣・青色録 7

    2009.08.16.[Edit]
    晴奈の話、第363話。 ドクターとの再戦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. しばらくにらみ合っていたが、先に仕掛けたのはシリンだった。「おりゃあああッ!」 オッドのすぐ近くまで飛び込み、オッドが警戒して構えたところでジャンプし、両脚を揃えて蹴り込む――いわゆるドロップキックである。「っと!」 だが、シリンの全体重が乗った蹴りを、彼女より頭2つも小さいオッドは両手をかざし、受けきった。 シリン...

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    晴奈の話、第364話。
    ネイビーの裏切り。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     戦い始めてから15分以上が経ち、医務室の中は形容しがたい臭いが充満していた。
    「ハァ、は……、ゲホ、ハァ……」
     オッドが撒いた揮発性の高い毒が、医務室の空気を汚しているのだ。
     シリンに比べ体力の劣るバートは既に膝を着いており、実質的にシリンとオッドの一騎討ちとなっていた。
    「しっぶといわねぇ……!」
    「当たり前やっ、……ゴホっ」
     元から優れた肉体をフルに使い、怒涛の攻めを見せるシリンと、薬や魔術で身体強化し、毒薬で牽制するオッド。
     両者の攻防はこの時完全に吊りあっており、双方じわじわと体力を削られながらも、戦いは膠着状態に入っていた。
     シリンとの間合いを取りつつ、オッドは頭の中でこの状況を整理し、この後の展開を予測する。
    (まっずいわねーぇ……。相手は2人。こっちは1人。このままあの虎女と共倒れになったら、算術的に公安の勝ちになるわぁ。
     誰か、助けに来てくれないかしらねぇ……?)
     オッドは先程呼びつけた「プリズム」が一人でもやって来はしないかと、入口に目をやる。
    「……あ」
     と、入口に自分の「息子」、ネイビーが立っていることに気付いた。
    「ん? ……くそ、まだ生きとったんかい」
     オッドの反応を見て、対するシリンも同様に入口へ目を向け、悪態をつく。
     ネイビーの顔色は、まるで自分の「毒手」を食らったかのように、真っ青になっていた。縛られた縄を、腕を無理矢理にねじって解いたらしく、その右腕は半壊しており、左腕も手首から先が無残に砕けている。
     とても加勢できるような様子ではなさそうだったが、それでもオッドは心底ほっとした表情を浮かべる。
    「ネイビー! 早く助けてちょうだい!」
    「こっち来んなや、またどつくぞボケが……!」
     オッドに乞われ、一方ではシリンににらまれる。
     ネイビーはしばらく両者を見つめていたが、やがてオッドの方に歩き出した。
    「ああ、ありがと、ネイビー!」
    「……いえ……」
     だが、ネイビーの様子がおかしい。味方であるはずのオッドに近付きつつも、なぜか警戒したような空気をまとっている。
    「……ネイビー?」
    「ドクター。あなたには感謝してます。僕に色々と、良くしてくれて」
    「……?」
     突然何を言うのかと、オッドは不審がる。
     しかしそれを問う間も無く、ネイビーは折れた右手をオッドの胸に押し付けてきた。
    「……けど、僕は首領に付きます」
     味方であるはずのネイビーから突然「毒手」を当てられ、オッドは面食らう。
    「な……!?」
    「ごめんなさい」
     触れればたちまち体が腐り、全身をむしばむ毒が回る「毒手」である。とは言え前述の通り、オッドに毒は効かない。
     それでもオッドは突然の攻撃に顔色を変え、ばっと飛びのいた。
    「何のつもりよ、ネイビー!?」
    「やっぱりこれじゃ死にませんか、ドクター。……けど」
     ネイビーの右手には、真っ青な薬が入った注射器らしきものが握られていた。
    「毒の効かないあなたでも、この薬の過剰摂取ならどうなるでしょうか……?」
    「……!」
     オッドは愕然とした表情を浮かべ、衣服の胸をはだける。
    「あ、アンタ……!」
     その胸は異様なほど、黄色く染まっていた。
    「あなた自身が、自分にも効果があるように調合した強化薬。一切希釈していない、その濃縮液を大量に摂取すれば、流石のあなたでも……」
    「な、何を、……ッ!」
     オッドは自分の額にびきっと痛みが走るのを感じたと同時に、彼の鼻から、びちゃびちゃと勢い良く鼻血が噴き出した。
    「げ、が、……がっ、ぐっ」
    「あなたとドミニク先生は、この組織を築き上げてきました。でも今は、不要な存在になりつつあります。
     僕たちが、この組織のさらなる発展のために、後を継がせていただきます」
    「あ、アンタっ、何、バカな、コト、をっ」
     薬が回り、オッドの視界が急速に狭まる。
    「今、この組織が混乱の最中にある今、その『掃除』がしやすくなりました。
     ……僕は、ウィッチ首領と、フローラさんに付きます」
    「ふざ、けて、んじゃ……」
     オッドはネイビーに怒鳴りかけたが、最後まで声を絞り出せず――そのまま、床に倒れ伏した。
    「……さようなら、ドクター」
    「お、お前、何してんねや……?」
     突然の事態に、バートもシリンも唖然としている。
    「今、あなたたちを相手にできる力は無い。これで失礼させていただきます」
     ネイビーはそう言うなり、医務室を飛び出していった。
    「あ、待て!」
     バートが立ち上がり、追いかけようとするが、その足取りは覚束なく、とても追いつけそうには無い。
     シリンも完全に虚を突かれていたらしく、追いかけようともせず、そのまま立ち尽くしていた。

    蒼天剣・青色録 8

    2009.08.17.[Edit]
    晴奈の話、第364話。 ネイビーの裏切り。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 戦い始めてから15分以上が経ち、医務室の中は形容しがたい臭いが充満していた。「ハァ、は……、ゲホ、ハァ……」 オッドが撒いた揮発性の高い毒が、医務室の空気を汚しているのだ。 シリンに比べ体力の劣るバートは既に膝を着いており、実質的にシリンとオッドの一騎討ちとなっていた。「しっぶといわねぇ……!」「当たり前やっ、……ゴホっ」...

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    晴奈の話、第365話。
    ドクターの最期。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
    「何が、どうなって……?」
    「俺にもさっぱりだ」
     バートとシリンは顔を見合わせ、今起きたことを反芻する。
    「ネイビーが、ドクターを、殺した。……だよな、今起きたことは」
    「う、うん」
     二人は倒れたオッドを見る。彼の背中はわずかに上下しており、まだ息があるようだった。
    「お、おい。大丈夫か、その、……ドクター?」
     バートはどうしようかと逡巡したが、とりあえずオッドを助け起こした。
    「は、っ、はっ、……なんて、コト」
    「しゃ、しゃべんない方がいいんじゃねーか?」
    「し、素人判断、なんか、いらないわよ、……もう、手の、施しようが、ない。アタシは、し、死ぬわ」
    「何が何だか分かんねえ。一体何で、ネイビーがアンタを殺すんだ?」
    「分からない、わ。……もしか、したら、すべては、既に、決定して、いたの、かもね」
    「え?」
     オッドがまた血を吐く。その色は先程よりも薄く、赤から橙色に変化しつつある。
    「う、ウィッチ……、あの女が、何で、アタシたちに、近付いてきたのか。目的は、何だったのか……。
     ずっと、謎だった。何で、元商人の、あの女が、こんな、地下活動に、執心して、いたのか。それは、紛れも、なく、……利益の、ためだったのね」
    「言ってる意味が分からねえ。何が言いたいんだ、ドクター?」
    「あの、女は、最初から、カツミ暗殺なんて、目じゃなかった、のよ。
     本当の、目的は、莫大な財源と、兵力を持つ、組織を、手に入れる、ことだったのよ。じゃなきゃ、アタシと、トーレンスを、殺そうと、だなんて」
    「一体誰なんだ、そのウィッチってのは?」
     バートが尋ねるが、オッドの反応は段々と鈍っている。鼻や口、目から流れ出ていた血も、今はもう、黄色に近い。
    「うぃ、ウィッチ、……は、元商人、よ。名前は、……偽名かも、知れない、けど。クリス。クリス・ウエスト。
     ……初めて、会った、時は、クリス・ゴールドマンと、名乗っていたけれど」
    「クリス……?」
     バートは記憶を探るが、そんな人物が金火狐一族にいるなど、聞いたことが無い。
    「あの女は、ずっと、狙っていたのよ。組織が、大金を生むようになり、小国くらい、攻め落とせる、ほどの、兵力を蓄える、ように、なるまで。
     ……とっても、貢献、してくれたから、首領と、呼ばせてきた、けど、……あ、あ、誤りだった」
     オッドの目から黄色い血の他に、涙がこぼれ始めた。
    「ああ、旦那サマ……! シアンは、誤りました……! この十数年の成果が、すべてあの女に、取られてしまいました……!
     あなたの、あなたの願いが、叶えられなかった……! 折角、この身があなたに救われたと言うのに、恩を仇で返すことになってしまいました……!」
    「お、おい、ドクター? ドクター!? ……ダメだ、聞こえてない。意識が混濁し始めてるらしい」
    「無念です、旦那サマ……! ……あ、あ……、あっ……、……」
     流れていた血と涙が止まる。
     そして同時に、オッドの体から力が抜けていった。

     ネイビーは真っ青な顔で、アジトの下層へと向かっていた。
    (やってしまった……! 僕は、ドクターを……! もう、後戻りできない……!)
     と、目の前にまた、フローラが現れる。
    「どうやら成功したみたいね」
    「ふ、フローラさん」
    「おめでとう」
     フローラの場違いとしか思えない賛辞に、ネイビーは固唾を飲んだ。
    「な、なにが、おめでたいんですか……」
    「これであなたは、次の参謀になるわ。そう、ドクターの後釜よ」
    「後釜……」
     得体の知れない、気色悪いめまいが、ネイビーにまとわりつく。
    「後はモノさんと、公安を潰すだけよ。……そうね、あなたは戦えそうにないし、地下のモンスターを使いなさい」
    「……は、い」
    「よろしくね、ネイビー。……いいえ、ドクター」
     このやり取りの間、フローラはずっと、とても美しい笑顔で微笑んでいた。
     ネイビーにはそれが異様過ぎて、何も言い返すことができなかった。

    蒼天剣・青色録 終

    蒼天剣・青色録 9

    2009.08.18.[Edit]
    晴奈の話、第365話。 ドクターの最期。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9.「何が、どうなって……?」「俺にもさっぱりだ」 バートとシリンは顔を見合わせ、今起きたことを反芻する。「ネイビーが、ドクターを、殺した。……だよな、今起きたことは」「う、うん」 二人は倒れたオッドを見る。彼の背中はわずかに上下しており、まだ息があるようだった。「お、おい。大丈夫か、その、……ドクター?」 バートはどうしようか...

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    晴奈の話、第366話。
    「女神」の気紛れ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「……! ……!」
     誰かが自分を呼んでいる。
    「どうしたんだい、……?」
    「う、ううん」
     自分は一瞬後ろを振り返ったが、すぐ向き直る。前にいる者と話すのが、とても楽しいからだ。
    「さあ、投げた投げた」
    「うんっ」
     自分は手に持っていた鞠をポンと投げ、少し離れたところに立っている男へ投げ渡す。
    「……は昨日、初めて岬の方に行ったんだよね」
    「うん」
     男と自分は鞠を投げあいながら、とりとめも無く話をする。
    「どうだった?」
    「きれいだったよ」
    「そうか、そうか」
    「うみも、そらも、まっさおで。くもはまっしろで」
    「うんうん、青江の夏の名物だもの」
    「せい、……こ、う?」
    「君が今、住んでいる街の名前だよ。ここは青江って言うんだよ」
    「そうなんだ。……せいこう」
    「うん、青江」
     幼い自分の頭に、新しい知識が蓄えられる。それが嬉しくて、自分ははしゃいでいた。
    「せいこう、せいこうっ。ぼくはせいこうにすんでるっ」
    「……ふふっ」
     突然、男が笑い出した。とても温かい、その男らしい笑い方だ。
    「どうしたの?」
    「ああ、いや、うん。……楽しいね、シュンヤ」
    「うん」

    「ジュン!」



    「ジュン! ジュン! 起きろ!」
     ジュンは誰かに揺り起こされ、目を覚ました。
    「ん、……うあ?」
    「寝ぼけている場合ではない」
    「大変やで! 攻めてきおったんや!」
     机からぼんやりと頭を上げ、辺りを見回してみる。そこはアジト内の図書室だった。横にはヘックスと、ミューズの二人が立っている。
    「……あ、ヘックスさん、ミューズさん、おはようございます」
    「言うてる場合か! ……ヤツらが、公安が入り込んできよったんや!」
    「こうあん? ……公安ですって!?」
    「ああ。それで今しがた、私とフローラ、ネイビーが呼び戻された。ペルシェは行軍途中の地点で待機している」
    「ほれ、早よ顔洗って目ぇ覚ましてこい」
     そう言って、ヘックスは手を差し出した。
    「あ、はい」
     ジュンはヨタヨタと椅子から立ち上がった。
     と、急にミューズが険しい顔になる。
    「……待て。少し、気になるものが見える」
    「え?」
     ミューズはそっとジュンの側に寄り、顔を近づける。
    「あ、あの? ミューズさん?」
    「何の夢を見た?」
    「え? ……昔の、えっと、鞠遊びをしていた夢を」
    「昔だと?」
     ミューズに聞き返されて、自分も気付いた。
    「……昔? 記憶が、……戻ってる?」

    「あの、ミューズさん。ホンマに時間、無いんですけども」
    「分かっている」
     ミューズはジュンをもう一度椅子に座らせ、彼の頭を両手で抱え、じっと目をつぶっている。
    「何してはるんですか、一体?」
    「成功すれば、後でお前にもしてやろう」
    「はい?」
    「……、そうか。お前はシュンヤと言うのだな」
    「へっ?」
     ミューズの唐突な言葉に、ジュンは戸惑った。
    「シュンヤ? いえ、僕はジュン……」
    「育った場所はセイコウ。夏の青空と海は、その街の名物。……ふむ」
    「あ、あの? 何を言ってるんですか?」
     ミューズは目を開き、ジュンの目をじっと見つめた。
    「お前の夢を読んだ。
     ドクターから聞いた話だが、夢と言うのは己の古い記憶を整理する働きがあるそうだ。そしてそれは、意識的・物理的な操作の奥に眠っている記憶も掘り起こすのだと」
    「……言うてる意味、さっぱり分からへんのですが」
    「お前たちは記憶が無いと言っていたな? もしそれが何らかの衝撃による記憶喪失、もしくは洗脳の類によるものであっても、夢の中まではその影響は及ばない。
     今、夢によって掘り起こされた記憶の欠片から、ジュンの記憶を戻せるだけ戻してみよう」
    「ミューズさん、何でそんなコトを?」
     唖然とするヘックスに対し、ミューズはイラついたような表情を浮かべる。
    「時間が無い、と言うのは分かっている。だが……」「あ、いや」
     ヘックスはバタバタと手を振り、思ったことを素直に述べる。
    「ドミニク先生やドクター側のミューズさんが、何であの人たちの邪魔をするようなコトするんかな、って」
    「……? 意味が分からないな。記憶を失ったことと、ドクターたちに何の関係が?」
    「え……?」
    「まあ、いい。ともかくこれは、味方に対する手助け、サービスみたいなものだ。……過分に、私の興味も関係しているが、な」
     ミューズはまた、目を閉じた。
    「少し、頭が痛くなるかも知れない。我慢してくれ」
    「は、はい」
     応えた次の瞬間、ジュンの頭の奥から、まるで頭にひびが入ったような痛みが噴き出してきた。
    「……っ!」
     ジュンはそのまま、意識を失った。

    蒼天剣・想起録 1

    2009.08.20.[Edit]
    晴奈の話、第366話。 「女神」の気紛れ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「……! ……!」 誰かが自分を呼んでいる。「どうしたんだい、……?」「う、ううん」 自分は一瞬後ろを振り返ったが、すぐ向き直る。前にいる者と話すのが、とても楽しいからだ。「さあ、投げた投げた」「うんっ」 自分は手に持っていた鞠をポンと投げ、少し離れたところに立っている男へ投げ渡す。「……は昨日、初めて岬の方に行ったんだよね...

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    晴奈の話、第367話。
    明らかになった行方。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「……目、覚めたか?」
     ジュンはまた、机から顔を上げた。
    「あ、はい」
     夢の中から引き起こされた先程と違って、頭の中は妙に澄み渡っている。心なしか、声をかけてきたヘックスの顔もすっきりしているように見える。
    「……思い出したんや、全部」
    「え?」
    「ミューズさん、ホンマに感謝しますわ」
    「礼などいい。洗脳が魔術で解けると分かっただけでも、魔術師の私としてはいい収穫になった」
    「はは……」
     ヘックスは妙に浮かれた顔をしている。
    「あの、ヘックスさん。思い出したって……」「ケインや」「え?」
     ヘックスはニヤ、と笑って椅子に座り込んだ。
    「オレの、ホンマの名前。ケイン・ロッシーやった。……何や、ヘックス・シグマて」
    「じゃあ、本当に……」
    「ああ、思い出した。……そうや、確かにコウの言う通りやった。オレは央中東部の、カッパーマインっちゅうところの出身や。荒れた街で、オレは死にかけたところをドミニク先生に拾ってもろたんや、……けど」
     記憶を取り戻して躁状態になっているのか、次第に怒り始めた。
    「それと記憶消されるっちゅうのは、別の話や! ふざけんなや、あのオッサン!」
    「怒っている場合ではないだろう、ヘックス、……いや、ケインと呼んだ方がいいか?」
     ミューズがたしなめると、ヘックスは一瞬動きを止め、ポリポリと頬をかいた。
    「……あー、でもなー。あんまり『ケイン』やった時の思い出に、えーコト無いからなぁ。めんどいし、ヘックスのままでえーわ。
     そんでジュン、お前の名前は何やったんや?」
     ヘックスに問われ、ジュンは改めて自分の記憶を探った。
    「……シュンヤ、です。僕は、……楢崎瞬也」



     記憶を取り戻したとは言え、今は緊急事態である。ともかく3人は、他の「プリズム」を探す前に、一旦医務室に戻ることにした。
    「少しでも人を集めておきたいからな。ドクターも心細いだろう」
    「せやな、……ホンマ言うとドクターにも腹立っとるんやけどな」
    「でも、ドクターは何だかんだ言っていい人ですよ。……ちょっと趣味とか、どうかなって思いますけど」
     精神的にかけられていた枷が無くなったせいか、ヘックスもジュン――瞬也も、饒舌になっている。
    「まあ、なあ。オレたちがケガしたら、ものすごい心配してくれはるし」
    「気前もいいですよね。よくお菓子とかお茶とかもらいました」
    「とは言え洗脳を指示したのも、恐らく彼だろう。……罪滅ぼしのつもりなのかも知れんな」
    「……そう考えると、やっぱりムカつくなぁ」
     オッドについてあれこれとしゃべりながら進んでいるうちに、医務室に到着する。
    「ドクター、ヘックスとジュンを……」
     ミューズが声をかけながら医務室のドアを開け、そこで立ち止まる。
    「何だ、これは?」
     医務室の中は滅茶苦茶に荒らされており、その中央には公安らしき狐獣人の男と、非常に体格のいい虎獣人の女が、オッドを抱えるような形でしゃがみ込み、揃って呆然としていた。
    「な、何や? お、え、……ドクター?」
    「……今、死んだ」
     うろたえつつ声をかけたヘックスに対し、黒服姿の「狐」も、困惑しているらしい様子で応じてくる。
     ミューズは警戒する様子を見せつつ、その二人に尋ねた。
    「お前が殺したのか?」
    「違う」
    「そこの女か?」
    「ちゃう」
    「では、誰が?」
    「ネイビーとか言う、青い髪の猫獣人だ」
    「……はぁ?」
     それを聞いて、ヘックスは信じられない、と言いたげな声を漏らす。
    「アホか、何でネイビーさんがドクターを殺さなアカンねん? 下手な嘘言いなや、ボケ」
    「いや、嘘でも無いらしいぞ」
     事切れたオッドの側にミューズが座り、その死に顔をしげしげと見つめる。
    「遺体の状況からすると、死因はどうやら強化薬を過剰摂取したことによるものらしい。つまり、誰かに過剰に薬を打たれて死んだのだ。我々の強化薬を、な。
     それがもし公安の仕業だとして、何故奴らが我々の薬を使う? わざわざ使う理由が無いし、ましてや我々が開発した薬を、それもドクターに効果があるようなものを持っているわけが無い。
     無論、確かにこの部屋を探れば薬を入手することは可能だろうが、敵であるドクターを目の前にして棚をじっくり物色していると言う状況は、現実的とは到底言えない。
     それを考えれば、公安の仕業では無いと言うことは自明だ」
    「……まあ、そう、やな」
    「あー……、ちょっと聞いてもええ?」
     うずくまっていた「虎」が、ヘックスに顔を向けた。
    「アンタ、どこかで会ったコトあらへん? 何か見覚え、……ちゅうか、方言に聞き覚えあるんやけど」

    蒼天剣・想起録 2

    2009.08.21.[Edit]
    晴奈の話、第367話。 明らかになった行方。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「……目、覚めたか?」 ジュンはまた、机から顔を上げた。「あ、はい」 夢の中から引き起こされた先程と違って、頭の中は妙に澄み渡っている。心なしか、声をかけてきたヘックスの顔もすっきりしているように見える。「……思い出したんや、全部」「え?」「ミューズさん、ホンマに感謝しますわ」「礼などいい。洗脳が魔術で解けると分かった...

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    晴奈の話、第368話。
    分岐点。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「そうかー……、アンタもカッパーマインの生まれかー」
     バートたちとミューズたちは互いに互いの事情を説明し、今何が起こっているのか理解しようと努めた。
    「何や、変な気分やなぁ。……ついさっきまで記憶無くしとったのに、いきなり同郷のヤツに会うっちゅうのも」
    「しかし、ネイビーがフローラと首領に唆されて、ドクターを殺害するとは。……ドミニク先生の身も危ういかも知れん、な」
    「ほっといてええんちゃう?」
     モノの身を案じたミューズに、ヘックスが反発する。
    「今まで散々な目に遭わされたっちゅうのに、何で助けなアカンの?」
    「……この腰抜けが」
     ミューズは非常に侮蔑的な表情を浮かべ、ヘックスをにらみつけた。
    「これまでのことはどうあれ、傷つき倒れたお前を助け、自衛できる力、技術をつけたのは一体誰だ? ドミニク先生だろう?
     その恩を忘れて、何だかんだと理屈をつけて、敵とうだうだ馴れ合うとは。
     まったく、どうしようもない愚図だな」
    「なっ……」
    「否定できるのか?」
     ミューズににらまれ、ヘックスは言葉を失う。
    「……私だけでも行かねば。フローラとネイビーが結託し先生と戦えば、確実に先生は負け、死んでしまう。私を『創ってくださった』恩には、何としてでも報いなければ」
    「ぼ、僕も行きます!」
     瞬也が立ち上がり、ミューズの手をつかむ。
    「シュンヤ?」
    「ミューズさんの言う通りです! そりゃ、僕も誘拐された身ですけど、先生はそれなりに気遣ってくださってましたし」
    「せやから、それは……」「黙れ愚図」「……っ」
     ミューズは瞬也の頭を撫で、うなずいた。
    「分かった。すぐ、ドミニク先生のところに向かおう」
     そう言って、ミューズと瞬也はぱっと姿を消した。
    「……!? 消えた!?」
    「ミューズさんの得意技、『テレポート』や」
     ヘックスはバートたちに背を向け、うなだれている。耳も尻尾も、がっかりとしたようにへたりきっていた。
    「……オレ今、ものっすごいかっこ悪かったなぁ」
    「せやな」
    「敵とくっちゃべってる場合じゃねーぞ。これは逆に、チャンスなんだぜ」
     バートは煙草をふかしながら、今後の行動を図る。
    「話を総合すりゃ、敵の中枢は今、大混乱してるってことだ。トップ同士が反目し、同士討ちを始めてる。そこにうまく介入できれば、殺刹峰を潰す最大のチャンスになる」
    「つ、潰すって」
    「俺たちはそのために来たんだ。……邪魔するってんなら、相手になるぜ」
    「い、いや、その」
     戸惑うヘックスを見て、シリンは小さくため息を漏らす。
    「……話にならんわ。行くで、バート」
    「おう」
     バートとシリンも医務室を後にする。残されたヘックスは、既に冷たくなったオッドの横に座り込んだ。
    「……ドクター。オレって、……アホやな。何したらええんか、分からへんなってきた」



     一方、こちらは晴奈たち。
    「道は……、二つか」
     一行は三叉路に差し掛かっていた。
    「標識も、案内もなし。ノーヒントってわけね」
    「どうするかな……?」
    「二手に分かれるしかないわね」
     相談の結果、晴奈とモール、ジュリアは右通路へ、楢崎と小鈴は左通路に進むことになった。
    「特に何も無ければ、もう一方へ進む。それでいいわね?」
    「ああ、承知した。……気をつけて」
     楢崎が軽く手を挙げ、ジュリアがそれに応える。
    「ええ、そっちもね」
     二手に分かれた後、楢崎たちは下へ降りる階段を見つけた。
    「まだ下に行くのね……」
    「そうらしいね。……まるで地獄か冥府へ続くようだ」
    「瞬二さーん、怖いコト言わないでよー」
    「はは……」
     軽口を叩きながら、二人はゆるやかな階段を下り、先へと進んでいく。
     と、また分岐点に差し掛かる。そしてなぜか、その両方に柵が二重に立てられていた。
    「……? えらく厳重だなぁ」
    「よっぽど、入っちゃいけないトコなのかしら」
    「と、なると……」
     楢崎は柵をつかみ、ガタガタと揺すり始めた。
    「この先に、なにか重要なものがあるって言うことか」
     柵には鍵がかかっており、さらに上下に太い鋲で固定されていたが、怪力を誇る楢崎にはどちらも無いも同然だった。
    「ふんっ! ……よし、外れた」
    「どっちに行こうかしらね。ココで一人になるのは勘弁してほしいし」
    「確かに。じゃあ、とりあえず左に」
     二人は奥へ進む。
     と、通路の壁に鍵束がかかっているのが見える。
    「厳重な柵に、鍵束。……ココって、牢屋かなんか?」
    「そうかも知れないね。……あ、もしかしたら」
     楢崎は鍵束をつかみ、道をさらに進んでいった。
    「……いた!」
    「……な、ナラサキさんですか!? たっ、助けに!?」
     奥にあった牢の中に、この数ヶ月ずっと囚われたままだったエランが座っていた。

    蒼天剣・想起録 3

    2009.08.22.[Edit]
    晴奈の話、第368話。 分岐点。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「そうかー……、アンタもカッパーマインの生まれかー」 バートたちとミューズたちは互いに互いの事情を説明し、今何が起こっているのか理解しようと努めた。「何や、変な気分やなぁ。……ついさっきまで記憶無くしとったのに、いきなり同郷のヤツに会うっちゅうのも」「しかし、ネイビーがフローラと首領に唆されて、ドクターを殺害するとは。……ドミニク先...

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    晴奈の話、第369話。
    久々のエランと、けものみち。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「あー……、もう来ないのかと心配でしたよぉ」
     数ヶ月ぶりに再会したエランは、げっそりと痩せていた。さらに――。
    「……エラン、アンタ顔変わったわねー」
    「え? ……ええ、髭剃りも与えてくれませんでしたから」
     エランの口元とあごには無精ひげが生えており、そのせいでひげの無かった時に比べると、ずっと大人びて見える。
    「そっちの方がさ、男前じゃん?」
    「そ、そうですか? ……帰ったら、剃り落とさずに整えてみようかなぁ」
     小鈴とエランが話している間に、楢崎がエランの装備を持ってきてくれた。
    「これで全部かな?」
    「あ、はい。ありがとうございます。
     ……うーん。警棒は問題ないですけど、銃は使えそうに無いですね。弾、全部抜かれてます」
     エランはたどたどしく装備を付けながら、いくつか質問する。
    「……それで、今侵入してる真っ最中なんですよね?」
    「ああ」
    「フォルナは、いるんですか?」
    「いや、危険だからね。安全なところで待機しているよ」
    「他の皆さんは?」
    「別の道を探索している。僕たちもこの辺りの探索が終わったら、そちらに合流するつもりだ」
    「じゃあ、僕も手伝います」
     エランの発言に、小鈴が口をとがらせる。
    「そりゃ当たり前でしょ。アンタ、そのために央北まで来たんだし。……あーあ、中身は前のまんまかー」
    「え、あ、……すみません」

     エランを伴い、小鈴と楢崎は牢屋周辺を探索したが、特にこれと言って目ぼしいものは無かった。
    「……じゃ、もう一方の道も見て回りましょ」
     小鈴たちは来た道を引き返し、柵が設けられていた分岐点まで戻ってきた。先程と同様に楢崎が柵を壊し、三人は奥へと進む。
    「……ん?」
    「どしたの? ……あ」
     三人の鼻腔に、思わず眉をしかめてしまうような刺激臭が広がる。
    「獣脂の臭い、かな」
    「そーね、そんな感じ。……こんな地下にも動物が、ってワケでもなさそーね」
    「モンスター、ですかねぇ」
    「……やれやれ、だ」
     三人は武器を構え、用心深く進んでいく。進めば進むほど、その吐き気を催す臭いは強くなってくる。
    「うえ……」
     エランが鼻をつまむ。
    「ゲホ、……きつー」
     小鈴が口にハンカチを当てる。楢崎も顔色を悪くしている。
    「橘くん……、魔術でどうにかならないかい?」
    「……できそーになーいー」
    「……戻りません?」
    「そーしたいのは山々だけどさー、確認しなきゃ……」
     小鈴が反論しかけた、その時だった。
    「グルルルル……」
     何かのうなる声が、通路の先から響いてきた。
    「……なに?」
    「なにって、それは、たぶん」
    「モンスター、だろう、ね」
     楢崎の言葉に、小鈴とエランはゴクリとつばを飲んだ。その瞬間、またうなり声が響いてくる。その音は、明らかに先程よりも大きい――近付いているのだ。
    「……逃げろッ!」
     三人はとてつもない殺気を感じ、一斉に来た道を駆け戻った。



     その後を、ネイビーがヨタヨタと歩いてくる。さらにその後ろには、鎖につながれたモンスターたちがゾロゾロと引っ張られている。
    「ふ、ふふ、ふふっふふふ」
     ネイビーの顔に、今までのような穏やかさも、余裕も、何一つ感じられない。感じられるのは――。
    「終われば……、これが終われば……、この『作業』が終わりさえすれば……」
     己の「親」を殺したと言う深い後悔と絶望感、そして狂気じみた混乱だった。
    「これさえ終われば……、僕を責める者はいなくなる……」

     かつて、あの「魔剣」篠原も、今のネイビーと同じ考えに至った。
     己が罪を犯し続けることに耐え切れず、逃げた先、救いを求めた先は「誰からも責められない」「誰にも叱咤されない」ような状況を創り上げること――即ち、己に反発するもの、反対するものをことごとく葬り去ることで、安心を得ようとしたのだ。
     そしてその意思から出た行動は、紅蓮塞での謀反と旧友の惨殺、そして天原家騒乱と言った悲劇を生んだ。
     もはや、この道――己の利益、保身、安心をひたすらに求め、犠牲の上に犠牲を重ねる「利己」「独善」の行動は、無限の損失しか生み出さなくなる。
     それが、「修羅」へ至る道の一つなのだ。

     ネイビーはフローラとウィッチの甘言に乗ったことを、今さらながら後悔していた。
    「……ふ、ふふっふふ」
     だが、もう止まらない。止められない。
    「逃げるな……、狗ども……、早く楽になれ……」
     ネイビーの心は、既に直せないほどに歪み、崩れていた。
    「早く……、楽にさせてくれよ……ッ!」

    蒼天剣・想起録 4

    2009.08.23.[Edit]
    晴奈の話、第369話。 久々のエランと、けものみち。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「あー……、もう来ないのかと心配でしたよぉ」 数ヶ月ぶりに再会したエランは、げっそりと痩せていた。さらに――。「……エラン、アンタ顔変わったわねー」「え? ……ええ、髭剃りも与えてくれませんでしたから」 エランの口元とあごには無精ひげが生えており、そのせいでひげの無かった時に比べると、ずっと大人びて見える。「そっち...

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    晴奈の話、第370話。
    地獄の百鬼夜行。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     小鈴たち三人は、元来た道を必死で駆け上がる。
    「だから、この階段、……ハァハァ、ゆるやか、だったのね」
    「モンスターを、……ゼェゼェ、運び出す、道だったって、……ゲホッ、わけですかぁ」
    「話してる、場合じゃないよ! ともかく、振り切るか、逃げ込むか、しないと!」
     だが、階段を上りきっても、モンスターたちとの差は縮まらない。むしろ、その足音すら聞こえるほどに近づいてきている。
    「……こーなったら!」
     小鈴が立ち止まり、呪文を唱え始める。
    「最大パワー……、『ロックガード』!」
     通路の四方からにょきにょきと岩石が伸び出て、壁を作り出す。
    「コレで、多少は時間稼ぎが、……ゲホ、ゲホッ」
     瞬間的に大量の魔力を消費し、小鈴の呼吸が乱れる。
    「だ、大丈夫かい!?」
    「つ、疲れたぁ」
    「立ち止まってもいられないよ! ……さ、僕の背に乗って!」
     楢崎がしゃがみ込み、小鈴に背を向ける。
    「あ、ありがとー」
     楢崎は小鈴を背負い、勢い良く走り出す。エランもバタバタと足音を立てて、それに続く。
    「ともかく、みんなと合流しよう! 僕たちだけでは、どうにもできない!」
    「はっ、はい!」
     と、後ろの方からごす、ごすと言う鈍い音が響いてきた。モンスターたちが小鈴の造った壁を破ろうとしているのだ。
    「あの感じだと、もって5分かも」
     背中から聞こえる小鈴の声に、楢崎は「……急ごう」とだけ返した。

     一方、バートとシリンも晴奈たちが分かれた三叉路を抜け、小鈴たちがいる方に向かっていた。
    「こっちで良かったんかなぁ? 看板とかあらへんもんなぁ」
    「どうだろうな……」
     二人で思案しながら歩いていると、前方から足音が聞こえてくる。
    「敵か……?」
     シリンが構えたところで、通路の奥から楢崎たちが走ってきた。
    「お、ナラサキさんやん」
    「ああ、良かった! 大変なんだ、実は……」
     楢崎が小鈴を背から降ろしながら説明しようとしたところで、またモンスターの咆哮が聞こえてくる。どうやら壁を破り、またも近づいてきているらしい。
    「……と言うわけなんだ」
    「マジかよ」
     バートは顔色を変え、すぐに銃を構える。それを見たエランがそっと声をかけた。
    「あ、先輩。もし良かったら、銃弾欲しいんですが……」「うお!?」
     バートは声を上げ、エランの顔をしげしげと眺めえう。
    「誰かと思ったら、エランかよ!? 何だ、そのヒゲ面」
    「ずっと監禁されてたんですから、そりゃこうなりますよ……。あの、それで銃弾を」「お、おう。……ほらよ」
     バートから銃弾を受け取ったエランは急いで銃を取り出し、装填する。それを横目で見ていた小鈴が、深呼吸しながら尋ねる。
    「はあ、はあ……。こっちは5人、あっちは何体いるのかしら」
    「恐らくこちらの倍はいるだろうね、あの足音からすると。やはり、黄くんたちと合流した方が良さそうだ」
    「そーね、んじゃ……」
     小鈴が踵を返しかけた、その時だった。
     ガン、と激しい金属音が前から響く。
    「な、何!?」
    「あ……!」
     向かおうとした先に、柵が落ちたのである。
    「くそ、封鎖されたか!」
    「ここで僕たちを仕留めるつもりらしい! 早く引き上げないと、……ふぬ、っ……!」
     楢崎が柵を引き上げようとするが、先程のものと違い、なかなか動かない。
    「変、だな、ちっとも、動か、ない、……ぐっ、……ぬっ、……引っかかってる、感じが、……ぬううっ……」
    「返しかなんか付いてんだろうな、……ああくそ、近付いて来る!」
    「開け、開けええええ……ッ!」
     バートとシリンも楢崎に加勢するが、やはり柵はびくともしない。
    「ど、どうするんですか!?」
     柵と背後とをきょろきょろ見返すエランに、小鈴が半ば怒鳴るように言った。
    「どうもこうも無いわよ! 覚悟決めなさい!」
     小鈴はもう一度深呼吸し、「鈴林」を構える。他の四人も柵を破るのを諦め、モンスターが寄って来るのを待ち構えた。
    「……来たか!」
    「でけぇ!?」
     やってきたのは体長3メートルはあろうかと言う、恐ろしくけばけばしい体毛をした、何かの獣だった。
    「何か」と言うのは――。
    「……何だありゃ?」
    「脚は、……虎? 尻尾は、……何?」
    「何かウネウネ動いてますよ……」
    「もしかして、蛇、なのかな」
    「なあ、……なんや、羽生えてへんか?」
    「あ、ああ……。コウモリみたいな、羽、だな」
     五人がこれまで見たことの無いような、異様な形を成していたからだ。それはもう、「何か」と形容するしかなかった。
     と、その頭部を見て、シリンが息を呑む。
    「……マジェスタ?」
    「え?」
    「あ、あの、顔……。ウチと、……」
     突然、シリンはうずくまる。
    「ウチと、エリザリーグで戦ったヤツや……」
     それを聞いたバートの血相が変わる。
    「そうか……。そう言や、俺がクラウン一味の潜入捜査を始めたきっかけも、518年後期エリザリーグの出場者が消えたから、だった。
     そう、エイト・マジェスタだったっけ。……お前と同じ、『虎』の」
    「……いなくなったと思うてたら、こんなトコにおったんか。
     次も、一緒に頑張ろなー、って、言うてたのに。何で、急にいーひんなったんやろって、思てたんや。……そっか、そうやったんやな……そっか……」
     シリンがふらりと立ち上がり、前に進む。
    「……もう嫌や、こんな地獄」
     次の瞬間、ベチっと言う鈍く、重たい音が通路に響く。
    「もう嫌やあぁぁ! こんな、……こんな、えげつないクソ組織、とっとと潰したるうぅぅぅッ!」
     シリンは泣きながら、そのモンスターを蹴り飛ばしていた。



     小鈴たち五人は、何匹ものモンスター相手に、敢然と戦った。
     どれもこの世のものとは思えない、異形の猛獣たちを、十匹、二十匹と屠っていく。
     そしてロウの直接の仇だった、あの男も――。
    「……今度は、クラウンかよ」
    「すっかり……、変わり果ててしまった、ようだね」
    「……あたしももう、気がおかしくなりそう」
     どのモンスターも、顔にまだ、人間だった時の名残を残していたが、それがかえって、五人の士気を落としていく。
    「ブゴッ、ゴッ、……ゴアアアアア!」
     爛々と照り光る赤く濁った目が、五人をにらみつけてくる。
    「……くそ、弾切れだ!」「こ、こっちももうありません!」
     バートとエランが青ざめる。
    「ハァ、ハァ……、ゲホ、うえええ……」
     小鈴がこらえきれず、えづきだす。
    「ひーっ、ひーっ……」
     シリンの精神も限界に達したらしく、仁王立ちになったまま動かない。
    「……くそっ、これまでか」
     五人全員が、死を覚悟した。

    蒼天剣・想起録 5

    2009.08.24.[Edit]
    晴奈の話、第370話。 地獄の百鬼夜行。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 小鈴たち三人は、元来た道を必死で駆け上がる。「だから、この階段、……ハァハァ、ゆるやか、だったのね」「モンスターを、……ゼェゼェ、運び出す、道だったって、……ゲホッ、わけですかぁ」「話してる、場合じゃないよ! ともかく、振り切るか、逃げ込むか、しないと!」 だが、階段を上りきっても、モンスターたちとの差は縮まらない。むしろ...

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    晴奈の話、第371話。
    援軍と、卑怯者の末路。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     その時だった。
    「みんな、通路の端に! しゃがんで!」
    「え……!?」
    「早く!」
     言われるがまま、五人は体勢を低くする。
     それと同時にバズ、バズッと言う重たい破裂音が、五人の背後から聞こえてきた。
    「今の音……、散弾銃!?」
    「遅くなっちまいましたっス、すみません先輩!」
    「え? な、その声、まさか……!?」
     バートが振り返ると、そこにはヨロヨロとふらつきながら散弾銃を構えるフェリオと、それを支えるフォルナが立っていた。
    「グボ、ゴボアアアア!」
     フェリオが放った大量の散弾は、目の前にいた元クラウンの胸に大穴を開けた。元クラウンは血ヘドの混じった叫び声を上げ、うずくまる。
     そして奥からも、同様の叫びがこだましてきた。どうやら弾は元クラウンの体を貫通し、背後のモンスターにもダメージを与えたようだ。
    「先輩、これどうぞっス!」
     柵越しに、フェリオが散弾銃を渡してくる。
    「……ありがとよ、フェリオ、それからフォルナ!」
    「礼には及びませんわ。……それからエラン、あなたにも」
    「あ、ありがとうございます」
    「ですから今は礼など……、あら?」
    「は、はい……?」
     フォルナはまじまじとエランの顔を見つめ、クスクスと笑い出す。
    「随分お顔が精悍になったようですわね。帰ったらそのおヒゲ、整えてらしてはいかがかしら?」
    「え、……ええ、そうしてみます」
    「お勧めいたしますわ。……さあ、反撃いたしましょう!」
     フォルナは杖を構え、元クラウンに向かって石つぶてを放つ。
    「『ストーンボール』!」
    「ゴホ、ゴア、ゴッ」
     フェリオ、バート、エラン、そしてフォルナによる散弾と土の術のラッシュで、ついに元クラウンが倒れる。
     そして背後にいたモンスターたち、そしてそれらを率いていたネイビーにも、ダメージが及び始めたらしい。
    「う……っ」
     明らかにモンスターのものではない、人間の叫び声が聞こえてきたからだ。
    「あそこか!」
     バートは散弾銃から拳銃に持ち替え、わずかに残っていた徹甲弾を込めて、悲鳴のした方向にきっちり、照準を合わせる。
    「クソみてーなことしやがって……! ブッ飛べッ!」
     バートはいまいましげに言い放ちながら、引き金を絞る。
     放った徹甲弾は正確にネイビーの胸を捉え、通路の奥深くに弾き飛ばした。

    「柵のロックは、こっちのボタンで、解除できたっぽいっス。ただ、上げるボタン押しても、全然動かなくて」
     柵越しに申し訳なさそうな顔で説明するフェリオに、小鈴がこう返す。
    「瞬二さんが力任せにガチャガチャやってたせいじゃない?」
    「ははは……、面目無い。でもロックが外れてるんなら、後は何とかできるかな」
     楢崎は苦笑しつつ、柵を持ち上げる。
    「ふぬっ、ぬおおお……ッ!」
     柵が上まで上がったところで、ガチャ、と音を立て、柵は元通りに天井へ納まる。
    「助かった、ロードセラーくん。……それから、ファイアテイルくんにも」
    「そう言ってただけて光栄ですわ、ナラサキさん」
     楢崎とフォルナは互いに複雑な表情を浮かべつつも、ガッチリ握手した。
    「フェリオ、お前大丈夫なのか? こんなところまで来て……」
     バートが座り込んだフェリオに尋ねると、フェリオは青い顔をしながらもニヤリと笑った。
    「そりゃ、辛いっスけど、……先輩たちに任せて、自分はのんびりなんて、そっちの方が気分的に辛いっスからね」
    「……ったく」
     バートはフェリオの前にしゃがみ込み、腕を取る。
    「さっき、ドクター・オッドから解毒剤を手に入れた。これを注射すれば……」
    「……ありがとうございます、先輩。何度も、助けてもらって」
    「後輩助けなくて、先輩面できっかよ、はは……」
     薬を打たれてからしばらくして、フェリオの顔色が若干良くなってきた。
    「あー……、何か、体が軽くなったような気がします」
    「つっても、今まで衰弱してたんだ。……あんまり無茶すんなよ?」
    「了解っス」
     小休止するうちに、全員の士気もふたたび上がってきた。
    「さあ、危険も去ったことだし、黄くんたちに合流しよう」
    「ええ、そーね。バートの話じゃ今、大混乱してるって言うし、急いで攻めましょ」
     フェリオ、フォルナを加えた七名は、晴奈たちの向かった先へと足を向けた。



     小鈴たちが離れてから、数分後。
    「……ぐ……はっ……」
     閉ざされた通路の奥から、うめき声が聞こえてきた。
    「くそ……」
     ゆっくりと起き上がったネイビーは、胸を探る。
    「……う、がっ!」
     胸の奥から、ポトリと徹甲弾が落ちた。
    「ふ、ふっふ……、分かってない、みたいだ。……僕は、人形なんだと、何度言えば」
     ネイビーはヨロヨロと立ち上がり、柵へと歩き出す。
    「一度だけじゃなく、二度も僕を虚仮にしやがって……! 今度こそ、皆殺しに……」
     だが、何かに足首をつかまれ、ネイビーは前のめりに倒れる。
    「うわっ!? ……な、なんだ?」
    「……グ……ゴ……」
     死んだと思っていたモンスターたちが、ネイビーの周囲に群がり始めた。それを見たネイビーは、ふたたび笑い出す。
    「あ、ああ! まだ生きていたのか! ……ふふ、ふふふふ。よし、これなら確実にあいつらを……」
     だが、喜びかけたところで、ゴリッと言う音が聞こえてきた。
    「え……?」
     ネイビーが音のした方を見ると、血まみれになったモンスターが自分の足首を食いちぎっていた。
    「なっ、何をする!?」
    「……ガ……グゥ」
     毒のあるネイビーの体を、左膝のところまで食いちぎったモンスターは、どさりと倒れ、動かなくなる。
    「や、やめろ! 動けなくなるじゃないか!」
     だが、モンスターたちは止まらない。ネイビーの左脚が食われ、右脚にも食いつかれる。
    「おい、よせ! 僕は、僕は餌じゃ……!」
    「……グ、……ゴフ」
     ネイビーの体を食ったモンスターたちは、次々に倒れていく。続いてネイビーの両手も食われ、胴にかじりつかれる。
    「やめろ……! やめ……」
     バキ、と音を立てて、ネイビーの頭が噛み砕かれた。

    蒼天剣・想起録 終

    蒼天剣・想起録 6

    2009.08.25.[Edit]
    晴奈の話、第371話。 援軍と、卑怯者の末路。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. その時だった。「みんな、通路の端に! しゃがんで!」「え……!?」「早く!」 言われるがまま、五人は体勢を低くする。 それと同時にバズ、バズッと言う重たい破裂音が、五人の背後から聞こえてきた。「今の音……、散弾銃!?」「遅くなっちまいましたっス、すみません先輩!」「え? な、その声、まさか……!?」 バートが振り返る...

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    晴奈の話、第372話。
    語るモール。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     小鈴たちがネイビーを退けた一方で、晴奈も敵に遭遇していた。
    「はあッ!」
    「く……ッ!」
     相手は、キリアである。
     しかし苦戦を強いられた小鈴たちとは違い、こちらはさほど苦しめられても、競り合っているわけでもなかった。
     力量、経験、どれをとっても、晴奈が圧倒していたからである。
    「いい加減、に……!」
     キリアが薙刀を振り回し、あの不可視の斬撃、「三連閃」を放つ。
    「甘いッ! 既にその技は見切っているッ!」
     晴奈がキリアの放った技を紙一重で避け、薙刀の先端に「火射」を当て、焼き切った。
    「あ……っ」
    「勝負あったな」
     キリアは刃が無くなり、ただの棒となった薙刀を捨て、その場に座り込んだ。
    「……私の負けね。殺しなさい」
    「断る」
     晴奈は刀を納め、キリアの横を通り過ぎようとする。
    「敵に情けをかけるつもり?」
    「いいや」
     晴奈はくる、とキリアの方に顔を向けてこう言った。
    「勝負が決したと言うのに、わざわざ刺さずとも良いとどめを刺すほど、私は血に飢えていないし、暇でも無い。大人しくそこでじっとしているがいい」
    「もしかしたら」
     キリアが食い下がる。
    「あなたが背を向けた瞬間、そこに落ちた薙刀の先端を、あなたに向かって投げるかもしれないじゃない。それなのにとどめは、刺さないと?」
    「愚問だ。そんなものを食らう私では無いし、刃は既に焼いて潰している」
    「……勝てる要素なんて無かった、ってわけね」
     晴奈はそれ以上応えようとせず、モールたちが向かった先へと向かおうとした。

     晴奈たちが選んだ道は、幹部たちの居住区、そして執務区だった。当然警備も厳重だったが、晴奈とモールの敵ではなかった。
     正面突破に成功し、晴奈たちはモノたちの執務室の、一つ手前まで進んでいた。ところがそこに、薙刀を持ったキリアが待ち構えていたのだ。
     晴奈はキリアを足止めし、モールとジュリアを先へと進めさせた。



    「モノ……、とか言うのはいないみたいだねぇ」
    「ええ、そのようね」
     キリアの警備を抜けたモールとジュリアは、モノの執務室に押し入っていた。ところが、部屋の主はどこにも見当たらない。
    「ま、いなきゃ相手しないだけだけどね。残るは、オッドって言うオカマ猫と、……あいつか」
    「あいつ? モノと、オッドと……、他の幹部と言うと」
    「ほれ、のっぺらぼうが言ってたじゃないね、『首領』って」
    「ああ」
     そこでジュリアは、モールの言い方が気にかかった。
    「ねえ、モールさん。『あいつ』って言っていたけれど、その首領が誰だか、分かっているような言い方ね? 知っているの?」
    「……確証は無いけど、多分知ってるヤツだね」
    「それは一体、誰なの?
     我々の捜査網においても、央北に入るまで一度もその輪郭すら浮かばなかった人物――通称や経歴、種族、性別に至るまで、その個人情報の一切が浮上しなかった人物――を、何故あなたが知っているのかしら?」
    「一々しゃべりがくどいね、赤毛」
     モールはモノが使っているであろう机に腰掛け、杖をさすりながら語り始めた。
    「私は一度、あいつとある意味で、ニアミスしたんだ。昔、ある本を探していた時にね。
     そいつは私の前に、数十人もの手下を差し向けてきた。んで、『あなたの秘術、神器、経験……、いいえ、すべてを奪う』ってご大層にのたまって、私を襲ったんだ。戦った時、私がずっと捜し求めていた本の内容に、限りなく近い術を――とてもとても古い術式をベースにしていたから、それだとすぐに理解できた――使って、私を央北中追っかけまわしたんだ」
    「それ、同じような話をコスズから聞いたことがあるわ。あなたが、追いかけられていたのね」
    「ああ、小鈴とはその時に知り合った。……ハハハ」
    「……?」
    「ま、関係ないけど、小鈴と会った時に、懐かしい子とも会ったりしてね。今では楽しい話だけど。
     でもその時は、本気で最悪の状況だったね。私は――比喩でなく――一度死んだ。でも、私の術やら神器やらは奪われずに済んだし、何とかヤツらに捕まるコト無く、央北を脱出できた。
     ……今思えば、あそこで逃げなきゃ、あいつの尻尾をつかむコトくらいはできたんだ。当時の私は、その手下共が使ってたのは『原本』のコピー術としか思ってなかったし、あいつが裏で手を引いてるなんて、思いもしなかったからね。
     よくよく無駄足を踏んじゃったもんだね、まったく」
    「ねえ、モールさん。あなたも話し方がくどいわね?」
     ジュリアに突っ込まれ、モールは耳をピクリとさせる。
    「あん?」
    「いつまでも『あいつ』『あいつ』と言われても、ピンと来ないわ。その人、名前は何と言うの?」
    「……あー、うん。確かに、ね。
     そいつの名前はクリス・ゴールドマン。でも多分、本名じゃないね。本当の金火狐一族なら起こっている戦争に乗っかりこそすれ、自分から戦争を仕掛けるようなコトはしないからね」
    「クリス……?」
    「元は、中央大陸を渡り歩く書籍商だった。価値の高い本を集め、売買するのが生業。その本を手に入れたのも、その商売の関係だった。
     もう30年以上も前に、央南人の古美術商で柊雪花と言う女が、その本を手に入れたんだ。んで、古い本だってコトで、商人仲間だったクリスに売った。その後、クリスはその本の価値に気付き、解析を進めると共に一部分、一部分をあっちこっちの魔術師に売りまくった。
     知ってるかい、赤毛。ちょっと前に央南で起こった、天原家騒乱。あの事件を起こした張本人の天原桂もその一部分、コピー本を持ってたんだ」
    「アマハラ……、聞いたことがあるわね。確か、様々な人間を誘拐し、人体実験を行っていたとか」
    「そう。その人体実験の成果こそ、その本に載っていた内容そのもの――人間をモンスターへと変化させる、『魔獣の本』の内容なんだ」

    蒼天剣・邪心録 1

    2009.08.28.[Edit]
    晴奈の話、第372話。 語るモール。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 小鈴たちがネイビーを退けた一方で、晴奈も敵に遭遇していた。「はあッ!」「く……ッ!」 相手は、キリアである。 しかし苦戦を強いられた小鈴たちとは違い、こちらはさほど苦しめられても、競り合っているわけでもなかった。 力量、経験、どれをとっても、晴奈が圧倒していたからである。「いい加減、に……!」 キリアが薙刀を振り回し、あの不...

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    晴奈の話、第373話。
    賢者たちの対峙。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     モールはひょいと机から降り、うろうろと部屋の中を歩き回りながら話を続ける。
    「ところがある時点から、クリスはコピー本の販売をぱったりとやめてしまった。もっと大儲けできる方法を手に入れたからだろうね」
    「もっと、大儲け?」
    「殺刹峰って麻薬やら不法魔術、人身売買やらの、非合法の商売によって莫大な利益を上げ、その結果たっぷりと、資金を蓄えてるんだってね。
     そしてクリスが解析した『魔獣の本』による強化術やら攻撃術やらで武装した、私設軍隊も持ってる。
     やろうと思えばちっさい国ぐらい攻め落とせるくらいの、物騒で侮れない勢力に成長してるんだよね」
    「どこかの国を? つまり、クーデターがその、クリス氏の目的だと?」
    「そうだろうね、きっと。多分、克暗殺だの、黒炎教団打倒だのは、クリスの眼中にゃ無いだろうね。そんなコトよりもどこかの国の女王サマに納まった方が、どれだけ儲けになるか」
    「でもそれは、モノやオッドが許さないでしょう? 彼らはカツミ暗殺のために、殺刹峰を創り上げたんだし」
    「だろうね。ま、敵の内情なんかどうだっていい。私らの目的は、殺刹峰を潰すってコトだしね」
    「そうね。
     ……ここにいても収穫は無さそうだから、他の部屋を当たりましょう」
    「そうしようかね」
     うろうろ歩き回っていたモールは、すっと部屋を出た。

     廊下を見渡したが、敵の姿も、晴奈が駆け寄ってくる様子も無い。
    「まだ、あの緑っ娘と戦ってるみたいだねぇ」
    「……ねえ、モールさん」
     ジュリアは眼鏡を直しつつ、尋ねてみる。
    「ん?」
    「あなたもしかして、人の名前を覚えるのは苦手な方なのかしら? 私のことも、ずっと『赤毛』だし」
    「いいや」
     モールはフン、と鼻で笑って返す。
    「興味ある人間以外、覚える気が無いんだよね。
     さっきの狼っ娘も何だかんだ名乗ってたけど、どーせ晴奈が倒すだろうし。この戦いが終わったら、君と会うコトも二度と無いだろうしね」
    「……まあ、そうね。じゃあ進みましょうか、ボロまといの魔術師さん」
    「へっ」
     と、通路の突き当たりに、いかにも物々しい扉がある。
    「あれが、首領の部屋かねぇ?」
    「その可能性は高いわね」
     と、モールが真面目な顔になる。
    「赤毛、もし戦うコトになったら、私の後ろにいた方がいいね」
    「え?」
    「クリスは相当の魔術師になっているはずだね。多分君なんかじゃ、勝ち目は無い」
    「随分な言い方ね」
     憮然としつつそう言ったジュリアに、モールがまた、小馬鹿にするような薄い笑みを浮かべた。
    「だって君、私に勝てる?」
    「……いいえ、そんな気はしないわ」
    「恐らくクリスは、私とほぼ互角の力を持っているはずだね」
     それを聞いたジュリアは目を丸くする。
    「モールさんと同じくらい? 賢者と称された、あなたと?」
    「ああ。つっても、私の『この体』も、もうガタが来てるんだ。もう何年も、かなりの無茶をさせてきたからねぇ。もうあんまり、高出力の魔術は唱えられない。
     やりすぎたら、いい加減『壊れちゃう』ね」
    「え……?」
     ジュリアはその言い方に違和感を覚えたが、それを尋ねる前に、モールはずんずんと奥へと進んで行ってしまった。

     扉を開け、モールは数歩進んだところで立ち止まる。ジュリアも忠告された通り、モールの背後に立つ。
     扉の向こうには、真っ暗な空間が広がっていた。
    「クリス。君なんだろ、首領は」
     モールは暗闇に向かって、静かに声を放つ。しばらくして、ひどく弱々しい女の声が返ってきた。
    「モール……。なつかしい……わね」
    「やっぱり、君だったんだね」
    「ええ……そうよ……わたしが……首領……」
     真っ暗な部屋の中で、モールとクリスはやり取りを続ける。
    「雪花が死んで、もう何年になるだろうね」
    「確か……そう……30年以上……」
     ぽ、と暗闇に灯りが一つ現れる。
    「その30年間、君は一体何をし続けた?」
    「色々……やったわ……」
     もう一つ、灯りがともる。
    「そう、色々だ。色々、えげつないコトをした。禁呪を世に放ち、他人を食い物にし、さらには、これからよりたくさんの人間を不幸にしようとしている」
    「心外……ね……」
     話している間にも、灯りの数はどんどん増えていく。
    「わたし……は……少なくとも……二人……幸せに……しているわ……」
    「へっ、どうせ君と花乃だけだろう? いや、花乃すら幸せにできてるかどうか、分かったもんじゃないね!」
    「ハナノ……? ああ……あの子……昔はそんな……名前だったかしら……」
     やがて、部屋の中がうすぼんやりと照らされ始めた。
    「今は……そんな……つまらない……名前じゃ……ない……。今は……フローラと……名乗らせているわ……」
    「雪花に失礼だと思わないね? 花乃は雪花の娘だ。名前を勝手に変えるなんて、親友に対する冒涜だろう?」
    「いいじゃない……そんなこと……。今は……わたしの……娘よ……」
     大広間の奥に座っている、痩せた狐獣人の女が、弱々しく、しかしふてぶてしく構え、モールに応えているのが見え始めた。
    「わたしの……ものを……わたしが……どう呼ぼうと……わたしの……勝手でしょう?」
    「いいや、花乃は君のものじゃない! 雪花のものだッ!」
     モールはいつになく語気を荒げつつ、杖を構えた。
    「やる気……ね……モール……」
     クリスも膝に置いていた本を手に取り、ゆらりと立ち上がった。
    「……それ……なら……――それなら、本気で行かせてもらうわ!」
     クリスの目が、まるで飢えた野獣のように照り光る。
    「強化術……『ライオンアイ』!」
    「古代の術……。とっくの昔に失われた、己の肉体を変形させるほどの身体強化術か。使いすぎれば、肉体が耐え切れず崩壊してしまう。……ソレを承知で、使うんだね?」
    「あなたの秘術を手に入れさえすれば、こんな老いさばらえた体がどうなろうと!
     死ね、賢者モールよ!」
     クリスの持っていた本から、紫色の光が噴き出す。
    「そしてその残滓(ざんし)で我が魔術を、我が野望を完成させたまえ!」
    「……秘術に溺れ、良識を失ったか。なーにが『我が野望』だってね。
     んなもん、ココで完膚なきまでにブッ潰してやるね!」
     モールの魔杖も、対抗するように紫色の光を帯びる。
     二人の賢者が放つ膨大な魔力の波動が、大広間全体を激しく揺らし始めた。

    蒼天剣・邪心録 2

    2009.08.28.[Edit]
    晴奈の話、第373話。 賢者たちの対峙。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. モールはひょいと机から降り、うろうろと部屋の中を歩き回りながら話を続ける。「ところがある時点から、クリスはコピー本の販売をぱったりとやめてしまった。もっと大儲けできる方法を手に入れたからだろうね」「もっと、大儲け?」「殺刹峰って麻薬やら不法魔術、人身売買やらの、非合法の商売によって莫大な利益を上げ、その結果たっぷりと...

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    晴奈の話、第374話。
    殺刹峰、最強の敵。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「……?」
     モールたちのところに向かおうとした晴奈は異様な感覚を覚え、足を止めた。
     異様と言っても、それは敵からの殺意であるとか、怖気であるとか、そのような警戒心ではなかった。また、モールとクリスが戦い始めたのを察知していたわけでもない。
     こんな場所で感じるにはあまりにも場違いな、妙な懐かしさが晴奈の心に、急にこみ上げてきたのだ。
    「あ……」
     背後から、キリアの驚いたような声が聞こえてきた。
    「フローラさん!」
    「その様子だと、負けたみたいね」
     もう一人、落ち着いた女性の声がする。その声に、晴奈は聞き覚えがあった。
    「……!?」
     振り向こうとしたところで、キリアの短い悲鳴が聞こえた。
    「な、何を……っ」
    「あなたは、いらない子ね」
    「ひ……!?」
     そのまま、キリアの声が聞こえなくなった。
    「おい、一体何を、……っ!?」
     振り向いたところで、晴奈は硬直した。
     それも、キリアが胸元を斬りつけられ、服を真っ赤に染めて倒れていたからだとか、百戦錬磨の自分がまったく気付くことなく、すぐ後ろまで敵が来ていたからだとか、そう言った理由からではなかった。
     その、すぐ背後にいた敵が、自分の師匠――雪乃にそっくりだったからだ。
     黒に近い、深い緑色の髪。一見線が細く、柔らかに見えるが、しっかりと剣を握る姿。そして優しげな笑顔は、どう見ても雪乃にしか見えない。
    「し、師匠……!?」
    「師匠? 誰のことかしら?」
    「……いや、そんなわけが!」
     晴奈はこの時初めて警戒し、その長耳の女との距離を取った。
    「誰だ、貴様はッ!」
    「人に名前を聞く前に、自分から名乗るのが央南人の礼儀ではなかったかしら? ……まあいいわ。
     私の名前はフローラ・『ホワイト』・ウエスト。殺刹峰の精鋭部隊、『プリズム』のリーダーよ。……さっきまでは、だけれど」
    「さっき、までは?」
     フローラと名乗った長耳は、雪乃そっくりの美しい笑顔を作る。
    「そう。今は殺刹峰のナンバー2になったわ。あなたたちのおかげでね」
    「……意味が分からない。どう言うことだ?」
    「あなたたちがここに来てくれたおかげで、殺刹峰の内部はいい感じに混乱してくれた。その隙を突いて、わたしとクリス母様は今まさに、殺刹峰の全指揮系統を奪っている最中なの。
     ありがとね、セイナ」
     そう言ってフローラはにっこりと笑う。その笑顔は確かに美しかったが、間違い無く悪意が込められているのが、晴奈にはびしびしと伝わっていた。
    「……何故、私のところに?」
    「あら、勘違いしないで、セイナ。わたしはドミニクに用があるのよ。……と言っても、どうやらあなたと間違えてしまったみたいだけれど」
    「私と、間違えた?」
    「ええ、あなたのオーラはドミニクによく似ているわ。死線を何度も潜った戦士特有の、ギラついた『修羅』のオーラ。
     キリアと一緒にいたから、てっきりドミニクだと思っていたのに」
    「話がよく見えない。そんなに似ているのか?」
     晴奈はフローラの言っていることが今ひとつ理解できず、ただただにらむことしかできない。
    「似ていると言っても、オーラが、よ。……ああ、言い忘れていたわ。
     わたしはね、セイナ。他人の放っている生気とか、魔力だとか――いわゆる『オーラ』を、この目で見ることができるの。そして、その力を応用して、他人のいる位置がある程度把握できる。……そうね、一つ証拠を見せてあげよっか?」
     そう言うとフローラは顔を上げ、晴奈の背後を見つめた。
    「あなたの仲間が二人、奥へ行ったようね。そのうち一人は、戦闘能力は大したことない。だけどもう一人は、絶大な力を持っているわ。
     公安職員とモールかしら?」
    「……!」
     言い当てられ、晴奈は目を丸くする。それを見たフローラは、またにっこりと笑った。
    「当たりのようね」
    「……それで、どう言うつもりだ、フローラとやら」
    「んっ?」
     晴奈は冷汗をこぼしながら、さらに距離を取る。
    「殺刹峰を奪っている最中、と言ったな? ならば我々の敵ではない、と?」
    「意外とお馬鹿さんね、クスクス……」
     フローラは口に手を当て、楽しそうに笑う。
    「将来的に央中を攻略する可能性を考えれば、どっちみち公安は敵。それに与するあなたもね、セイナ。
     それとも、わたしたちと手を組むつもりなのかしら?」
    「笑止。お前たち殺刹峰は到底、許しておけぬ。どの道非道を働くつもりであれば、この場で成敗してくれよう」
     そこで晴奈は刀を抜き、構えた。
    「ふふっ、成敗ですって?」
     フローラも剣を構える。
    「おかしなことを言うのね、セイナ。あなたが、わたしに勝てると思っているの?
     技術はもとより、別の理由でも、あなたはわたしに勝てないのよ」
    「別の理由? 何のことだ?」
     フローラはまた、にっこりと笑う。
    「自分の師匠の縁者を、何の迷いも無く斬れるのかしら?」
    「縁者、だと?」
    「知っている、セイナ? わたしの、フローラと言う名前。何て意味か、知っているかしら?」
    「……?」
     フローラの美しい笑顔には、禍々しい悪意がにじみ出ていた。
    「古い央北の言葉で、『花』を意味するの。
     わたしは知っているのよ、セイナ。あなたがユキノの弟子だと言うことも、あなたがユキノの過去をセッカ母様の日記で知ったと言うことも。
     それから、ユキノにはハナノと言う妹がいたと、あなたが知っていることも」
    「……!」
     晴奈の構える刀の、その切っ先が、ビクッと跳ねた。

    蒼天剣・邪心録 3

    2009.08.28.[Edit]
    晴奈の話、第374話。 殺刹峰、最強の敵。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「……?」 モールたちのところに向かおうとした晴奈は異様な感覚を覚え、足を止めた。 異様と言っても、それは敵からの殺意であるとか、怖気であるとか、そのような警戒心ではなかった。また、モールとクリスが戦い始めたのを察知していたわけでもない。 こんな場所で感じるにはあまりにも場違いな、妙な懐かしさが晴奈の心に、急にこみ上げ...

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    晴奈の話、第375話。
    ウエスト母娘の真意。

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    4.
    「まさか……、お前は、花乃だと?」
    「ええ。本当の名前は、ハナノ・ヒイラギ。でも、その名前はもう捨てたわ」
     動揺する晴奈に対して、フローラは依然ニコニコと笑って構えている。
    「先程、『クリス母様』とか言っていたな。とすると、雪花殿から本を買ったクリスと言う女も、この殺刹峰にいると言うことか」
    「察しがいいのね、セイナ。そう、クリス母様はこの殺刹峰の、名目上の首領だった。
     でも兵士の指揮や管理に関してはドミニクとドクターの管轄であり、わたし自身も『プリズム』のリーダーといえど、勝手にみんなを動かすことはできなかった。
     だけどこの混乱に乗じて、さっきドクターは消した。後はドミニクと、ドミニクたちの思想を盲信している塵、芥どもを消してしまえば、晴れてこの殺刹峰はわたしたち母娘のものになる」
    「ドミニクの思想? 『黒炎殿を倒す』と聞いたが、それか?」
    「そう。……うふふっ。本当にねぇ、ドミニクたちが本気でそんなことをしようとしているのがおかしくて、おかしくて……」
     フローラの笑い方は、一見すると確かに美しく見える。
     だが、今までうっすらと放っていた悪意と、それを裏付けするように包み隠さず吐いてきた言葉のせいか、その屈託の無い笑顔は邪悪な雰囲気をぷんぷんと臭わせている。
    「大局的に見れば、カツミを倒すことなんて何の利益も生まないわ。
     カツミはこちらから何も仕掛けなければ、何の反応も見せない。攻めようと思わなければ、攻撃されることも無い。今の彼には、自分から動く理由なんて何も無いのだから。なのにわざわざ、藪を突くような真似をドミニクとドクターはしようとしている。
     そんなことせずに、今まで築き上げた殺刹峰と言う勢力を他のことに活かせば、いくらでも利益が上げられると言うのにね」
    「つまりお前たち母娘は最初から、殺刹峰を自分のものにするために行動していたと言うことか。その二人を、何年もだまし続けて」
    「そうよ。そして今、機は熟した。
     後はわたしたちに刃向かう者と侵入者をみんな消して、組織内の意思統一を行うだけ。
     あなたも消えなさい、セイナ・コウ」
     そこでフローラが攻撃を仕掛け、話は終わった。

     唐突に襲い掛かってきたが、晴奈はその初太刀を難なくかわした。
    「っ!」
    「あら、やっぱり素早いわね」
     晴奈が避けたその背後の壁には、三筋の刀傷が刻まれていた。
    「やはりお前も、『三連閃』とやらを使うようだな」
    「ええ、わたしたちの戦闘技術はすべて、ドミニクから教わったものだから」
     そう言ってフローラは、もう一度「三連閃」を放つ。
    (この技……)
     だが、晴奈はこの技を既に見切っている。
    (一太刀目は囮だ。本命はその直後に放つ、二太刀目、三太刀目。もしくは、一太刀目、二太刀目が囮で、三太刀目が本命。どちらにしても……)
     晴奈は一太刀目を紙一重で避け、すぐ後に来る二太刀目の軌道を読んで、刀で弾く。
    (一太刀目を受ければ、その後の攻撃に対応が間に合わず、切り刻まれる。
     ならば一太刀目はあえて受けず、後の太刀筋を断てばいい。そうすれば後の攻撃は、勝手に逸れる)
     晴奈のにらんだ通り、フローラの三太刀目は晴奈から大きく外れた。
    「……ふうん、流石ねセイナ」
    「私をなめるな、フローラ。
     そもそも、お前が師匠の縁者だろうと何だろうと、悪事を働くと言うのならば止めるまでだ」
    「ふふっ、大した正義漢ね。……虫唾が走るわ」
     フローラはまた斬りかかってくる。だが、これも晴奈は受けきった。
    「正義とか大義とか、そんなもの守る必要があるのかしら?
     この世は金や力がものを言うのよ。そんな形も利益も無いものを大事に守って、一体何になるの?」
    「浅い考えだ……!」
     今度は晴奈が仕掛ける。
    「仁義、礼節を守らずして、何が人間か! それを一欠片も守ろうとしないお前は、ただの獣ぞ!」
     晴奈の刀に火が灯り、「火射」が放たれる。
    「義に生きなければ、人間じゃないって言うの? ……なら、わたしは人間じゃなくていい」
     向かってくる「燃える剣閃」を、フローラは薄ら笑いを浮かべながら叩き落す。
    「いいえ、そもそもわたしは人間じゃないもの。
     半人半人形、『ドランスロープ(Dollan―Thrope)』よ」
     フローラの右肩から、ガキンと金属音が響く。次の瞬間、晴奈は壁に叩きつけられた。
    「うぐ、……ッ!?」
    「そう。わたしは半分、人形。ほぼ完全な人間になったユキノに比べて、わたしはなぜか、人形の域から抜け出せない。
     クリス母様は、その原因はセッカ母様が一度に二体、人形を人間にしたからだと言った。この術は、いわゆる等価交換。1対2では、必ず『2』のどちらかが割を食うことになる。
     ……その割を食ったのは、わたしだったのよ!」
     フローラはぐい、と服の袖をまくる。そこには、つるりと金属的に光る腕があった。

    蒼天剣・邪心録 4

    2009.08.28.[Edit]
    晴奈の話、第375話。 ウエスト母娘の真意。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「まさか……、お前は、花乃だと?」「ええ。本当の名前は、ハナノ・ヒイラギ。でも、その名前はもう捨てたわ」 動揺する晴奈に対して、フローラは依然ニコニコと笑って構えている。「先程、『クリス母様』とか言っていたな。とすると、雪花殿から本を買ったクリスと言う女も、この殺刹峰にいると言うことか」「察しがいいのね、セイナ。そう...

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    晴奈の話、第376話。
    凶兆の「九」、その顕現。

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    5.
     壁に背中を激しく打ちつけ、ゲホゲホと咳き込む晴奈に見せ付けるように、フローラは右腕を振り上げつつ袖をまくる。
    「見なさい、セイナ! この、無機質な腕を!
     わたしの両腕、両脚はいつまで経っても、いつまでも、人形のままなのよ! ユキノは、人間になれたと言うのに……ッ!
     ……でもね、セイナ。それがかえって、良かったのかも知れないわ」
     右袖を肩のところまでまくったところで、先程晴奈を突き飛ばした、その「からくり」が見えた。
    「どう言うわけか、手足を別のものと取り替えても動かせるの。だから、強化したわ。鉄芯を埋め込み、非常に強いバネを組み込んだ、鋼鉄の腕にね。もちろん、両脚もよ」
     フローラはまだ壁から離れていない晴奈に近付き、蹴りを入れようとする。
    「……ッ!」
     晴奈は辛うじて避け、その背後にあった壁にフローラの足がめり込む。
    「ほら、見なさいよセイナ! あなたに、同じことができる!? 人間の、生身のあなたに!」
     壁から脚を引き抜き、もう一度晴奈を蹴りにかかる。脚関節にも腕と同様のバネを組み込んでいるらしく、その威力は硬い壁や床にボコボコと穴を開けていく。
    「ねえ、セイナ? 分かっているかしら、あなたがさっき言い放った言葉の、その滑稽さが!
     わたしは人間じゃないのよ――何よ、『仁義、礼節を守らずして、何が人間だ』って!? 人間じゃない、半分人形の、モンスターのわたしに、そんな話を振るなんて!」
     必死で避けていた晴奈だったが、ついにフローラの右脚が晴奈の左腿を捉える。ビキ、と大腿骨にひびが入るのを感じ、晴奈は悶絶する。
    「……~ッ!」
     晴奈は本能的に後ろへ飛びのいたが、めまいがするほどの激しい痛みが左脚全体に走り、また悶絶する。
    「く、ぐあ、あ……っ、ハァ、ハァ」
    「あら、もう降参かしら?」
     だが、晴奈は歯を食いしばり、刀を正眼に構えて気合を込める。
    「馬鹿な……ッ、勝負は、これからだッ!」
     左腿の痛みを無理矢理に振り切り、晴奈はフローラへと駆け出した。
    「受けてみろ、我が奥義……!」
    「『炎剣舞』ね」
    「はあああああッ!」
     晴奈の周囲に、たぎるような熱が発生する。
    「……ふふっ」
     だが、フローラは動じない。剣を構えたまま、余裕綽々に笑っている。
    「食らえええぇぇぇッ!」
     晴奈の周囲に発生した高熱は晴奈の愛刀「大蛇」に集約され、刀身が真っ赤に灼ける。
     そして刀がフローラの剣と交わったその瞬間、周囲の壁全体にひびが入るほどの大爆発を起こした。

    「……ゼェ、ゼェ」
    「炎剣舞」の発した衝撃に晴奈自身が耐え切れず、またも壁に叩きつけられる。それでも何とか立ち上がり、敵の様子を確認しようとする。
    「やった、か……?」
     埃が焼け焦げ、煙となってもうもうと部屋中に舞い上がり、目の前は茶色く濁っている。晴奈は一瞬、手元の刀に視線を落とした。
    「……流石、『大蛇』だな。あれだけの、衝撃に、耐え切って、くれた、か」
     まだチリチリと灼けた音を発しているが、「大蛇」は原形を十分に留めていた。
    (これだけの……、これだけの、威力なのだ。倒れていなければ、……本当に)「人間じゃない、と言ったでしょう?」
     舞い上がる煙の奥から聞こえた声に、晴奈は戦慄した。
    「な……っ」
    「まあ、多少は効いたけれど。
     さあ、セイナ。あなたにはもう、戦えるだけの体力も、気力も残ってない。オーラを見れば、それが十分に分かるわ。そろそろ、死んでもらうわね」
     明るく言い放たれたその言葉に、晴奈の手がガタガタと震え出す。
    (な……!? お、おい! 治まれ! 今、震えている場合じゃない!)
    「あなたが折角、奥義を振るってくれたのだから、わたしも振るわなきゃ、フェアじゃないわよね」
     煙が収まり始め、フローラの姿がチラリと覗く。
    (治まれ! 治まれ! 治まれ! 構えろ、構えるんだ、黄晴奈ッ!)
     ガタガタと震える両腕を無理矢理に引き上げ、晴奈は刀を構えた。
    「それじゃ行くわよ――わたしの秘剣、『九紋竜』」

     部屋中に舞っていた煙が、ヒュンと切り裂かれる。
     青白く光る何かがフローラの振るった剣から放たれ、晴奈の刀にぶつけられる。
    「う……っ」
     その一撃は信じられないほどに重たく、晴奈の刀が――「絶対に折れない、曲がらない、壊れない」と称されたはずの神器が――わずかに歪む。
    「馬鹿な……」
     続いてもう一発、青白い塊が飛んでくる。
    「う……」
     この一撃によって「大蛇」は完全に、真っ二つに折られた。
     そして同時に、晴奈の心をも折った。
    「うそ……だ……」
     さらにもう一発。晴奈の体に命中し、晴奈は血を吐いた。
    「こんな……ばかな……」
     続いてもう一発。晴奈は三度、壁に叩きつけられた。
    「そんな……」
     もう一発。もう一発。もう一発。
     晴奈の体は壁にめり込み、ついに壁の向こうへと押しやられた。
    「私が……」
     もはや立ち上がる気力も無い晴奈を、さらに飛んできた一発が弾き飛ばす。
    「私が……負け……」
     四度壁に叩きつけられた晴奈は、さらにもう一枚壁を突き抜ける。
    (……ま……け……た……)
     ダメ押しの九発目が晴奈の胸を貫き、晴奈の体は三枚目の壁に打ちつけられた。



     部屋を舞っていた埃が落ち着いたところで、フローラは剣を納めた。
    「オーラが完全に消えたわね。
     ……キリアも、放っておけばそのうち死ぬわね。
     クリス母様は……、まあ、大丈夫かな。モールが相手といえど、敵ではないはず」
     フローラはにっこりと笑い、何事も無かったかのように部屋を後にした。

    蒼天剣・邪心録 終

    蒼天剣・邪心録 5

    2009.08.28.[Edit]
    晴奈の話、第376話。 凶兆の「九」、その顕現。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 壁に背中を激しく打ちつけ、ゲホゲホと咳き込む晴奈に見せ付けるように、フローラは右腕を振り上げつつ袖をまくる。「見なさい、セイナ! この、無機質な腕を! わたしの両腕、両脚はいつまで経っても、いつまでも、人形のままなのよ! ユキノは、人間になれたと言うのに……ッ! ……でもね、セイナ。それがかえって、良かったのかも...

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    晴奈の話、第377話。
    崩壊し始めるアジト。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     フローラが去ってから、2、3分ほど後。
     キリアが倒れている部屋に、ヘックスが恐る恐る首を伸ばしてきた。
    「……あっ!」
     血まみれの義妹の姿を見つけ、ヘックスは慌てて部屋の中に入る。
    「大丈夫か、キリア! いっ、生きとるか!?」
     ヘックスはキリアの首に手を当て、出血の具合と脈を計る。
    「……良かった、まだ息あるみたいや。ギリギリ頸動脈外れとるっぽいし」
     ヘックスは自分の服の袖をちぎり、キリアの首筋に巻いて止血を施す。
    「う、う……」
     止血の途中で、キリアが目を覚ました。
    「お、具合はどないや?」
    「……兄さん? ……私は、生きてるの?」
    「おう、生きとる生きとる、うん、生きとるよぉ」
     ヘックスは心底ほっとした顔を浮かべる。
    「なあ、この部屋で何があったんや? めっさボロボロになってるやん」
    「フローラさん……、フローラと、コウが戦ったのよ」
    「コウが?」
     ヘックスは顔を上げ、大穴の開いた壁を見つめる。
    「どっちが勝ったんや?」
    「……当然、フローラの方よ。コウは……、恐らく死んだ」
    「なっ……」
     ヘックスは慌てて立ち上がり、壁に開いた穴の向こうに、また恐る恐る首を突っ込んだ。
    「向こうの壁、もう一枚貫通しとる。めっちゃめちゃやん……」
    「見たことの無い、恐ろしい攻撃だったわ。まるで、爆弾か何かを立て続けに投げつけたような、圧倒的な攻撃だった。
     フローラは、コウのオーラが完全に消えた、……と」
    「……」
     ヘックスは壁の穴を越え、さらにその先へ向かう。
    「えげつないなぁ」
     壁の穴から穴にかけて、おびただしい量の血が線を引いている。ヘックスは2枚目の壁を越え、その奥をそっと覗いた。
    「……あ……」
     3枚目の壁の中に、彼女がいた。
     彼女の体全体が壁に深々と突き刺さり、胸の辺りが真っ赤に染まっている。

     どう見ても、生きているようには見えなかった。



     アジト内の異変に、モノもおぼろげながら気が付いていた。
     はじめは「公安が侵入したらしく、オッドが『プリズム』たちを呼び戻した」と言う程度にしか把握していなかったが、妙なことに、その後まったくオッドが動く気配が無い。
     不審に思ったモノは、オッドがよく出入りしている医務室に足を運び――この時点で、ヘックスも既にここから離れている――変死したオッドを見て、異常事態が起きているのを察知した。
    (どう言うことだ……!?)
     魔力の無いモノには、クリスや「プリズム」たちとの通信手段は、直接会って話すことしか無い。急いでアジト内を回り、状況の把握に努めていた。
    「ヘックス君! キリア君、ジュン君!」
     回りながら、元からアジトに残っていた「プリズム」たちを呼ぶが、返事はない。いや、彼らを見かけるどころか、あちこちで惨殺された兵士たちが、次々に目に入ってくる。
    「この傷跡は……」
     兵士たちが負った怪我は、刀傷にしては――敵である晴奈と楢崎の武器によるダメージにしては――刀特有の撫で切ったようなものではなく、打突を受けた様子が濃い。刀に比べて切れ味が劣り、かつ、重量のある剣による攻撃に良く見られる傾向だ。
    (敵に、剣を使う者が……? 私の知る限り、剣を使う者はいなかったはずだが……)
     確かに、戦闘不能になった兵士たちの中には銃創や打撃によるダメージを負っている者もいる。だが、死んでいるのは剣による攻撃を受けた者だけなのだ。
    「剣を使う者が、とどめを刺している……?」
     モノの中で、嫌な予感がふつふつと湧き上がってくる。
    (死んだ者はほとんど、正面か前側面からの攻撃を受けている――と言うことは、敵はその方向から致命傷を負わせたと言うことだ。そうなると、相当の手練か、……味方と思って油断していた、と言うことになる。
     味方で、これほど鮮やかに急所を狙い、あっさりと殺せる人間となると……)
     思案し始めたモノの前に、「答え」の方から姿を現した。
    「ドミニク先生、こちらでしたか」
    「おお、フローラ君」
     モノは喜び近付こうとしたが、フローラの手に血のしたたる剣が握られているのを見て、足を止めた。
    「フローラ君、それは一体なんだ?」
    「剣です」
    「それは分かっている。そのしたたっている血は一体誰のものなのか、と聞いているのだ」
    「ああ」
     フローラは剣を横に薙ぎ、付いていた血をびちゃっと壁に払う。
    「敵を倒していました」
    「そう、か」
     モノはほっとし、安堵のため息をつきかけたが、次に放たれたフローラの言葉で息を詰まらせた。
    「わたしと、母様の敵を」
    「……それは、どう言う意味だ?」
    「そのままの意味です。わたしと母様がこれからやろうとしていることを邪魔するであろう敵を、排除していたんです」
     そう言ってにっこり笑うフローラに、モノは異様な気持ち悪さを感じた。
    「何度も聞くが、それは、どう言う意味なのだ? もっと分かりやすく、説明してくれ」
    「ええ、つまり……」
     フローラは一瞬顔を伏せ、にっこりとした顔を浮かべて襲い掛かってきた。
    「こう言うことです」

    蒼天剣・死淵録 1

    2009.09.05.[Edit]
    晴奈の話、第377話。 崩壊し始めるアジト。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. フローラが去ってから、2、3分ほど後。 キリアが倒れている部屋に、ヘックスが恐る恐る首を伸ばしてきた。「……あっ!」 血まみれの義妹の姿を見つけ、ヘックスは慌てて部屋の中に入る。「大丈夫か、キリア! いっ、生きとるか!?」 ヘックスはキリアの首に手を当て、出血の具合と脈を計る。「……良かった、まだ息あるみたいや。ギリ...

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    晴奈の話、第378話。
    阿修羅師弟対決。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     フローラからの突然の強襲に、モノは面食らった。だが、モノも百戦錬磨の古兵である。
    「……ッ!」
     右手一本ですばやく剣を抜き、フローラの初太刀を受け止めた。
    「あら、残念。あまり苦しまずに仕留めてしまおうと思っていたのに」
    「何のつもりだ、フローラ君! 何故この私に、剣を向けるのだ!?」
    「お分かりいただけませんか、ドミニク先生」
     フローラは素早く間合いを取り、依然悪意のある笑みを浮かべながら語りだす。
    「あなたも、ドクターも、もうわたしたち母娘の計画には必要のない人物、いいえ、むしろ邪魔になる人物だからです」
    「計画だと!?」
    「はい。わたしと母様は、最初からこの殺刹峰を我が物にしようと目論んでいました。……ええ、最初からカツミの暗殺なんて眼中にありませんでしたよ」
    「……」
     モノの中で、ふつふつと怒りが湧き上がる。
    「まあ、勿論わたしと母様、それからミューズとネイビーがいれば、カツミ暗殺なんてすぐ終わります。でも、そんなことをしても大して利益も無いですし」
    「利益の問題ではない! これは……」「それは、あなたとドクターの固執ですよね?」
     フローラは平然と、モノを嘲っていく。
    「あなたたち二人の夢や妄想にいつまでも付き合うほど、わたしも母様も暇じゃありません。それに母様には、もうあまり時間がありません。早いところ、母様を楽にしてあげたくて。
    『お遊び』はおしまいです、先生」
    「……貴様……!」
     怒りが頂点に達したモノは剣を振り上げ、フローラに斬りかかった。
    「……ふふっ」
     フローラも微笑みながら、それに応じる。
    「大人しく斬られた方が苦しまずにすみますよ、先生。もうわたしの腕前は、あなたをはるかにしのぐのだから」
    「そう思うか、フローラ!」
     モノの振るう剣が、ひゅ、ひゅんとうなる。
    「お……っと!」
     避けたつもりのフローラの袖が、わずかに裂けた。
    「あら、……まだまだ現役、と言うわけですか」
    「貴様のような外道に、負けてたまるかッ!」
     モノはもう一度、「三連閃」を繰り出していく。
    「『外道』? 外道と言いましたか、このわたしを?」
    「そうでなければ何だと言うのだ!? 師匠を、上官を裏切り、私利私欲のために組織を奪おうとするお前を、外道と呼ばずして何だと!」
    「……ふふ、ふ、あはははっ。おかしいわ、先生」
     二度目の「三連閃」をかわしたところで、フローラはモノから離れ、距離を取る。
    「今まで散々、大陸各地から人をさらい、要人暗殺を続けてきた先生が、今更他人を『外道』だなんて罵れるの?」
    「……っ」
     フローラは依然、笑っている。だがその笑いは、微笑から嘲笑へと変わっていた。
    「それに先生、あなたは元々から『人』と呼ばれていないじゃない」
    「何?」
    「あなたは『阿修羅』だったはずよ。己の中に潜む色濃い『悪意』に己を委ねた、正真正銘の悪人。
     そのあなたが、善だの仁義を説くの? 滑稽極まりないわ」
     フローラはまた距離を詰め、モノに斬りかかる。先程よりも一層重たい攻撃に、モノは顔をしかめた。
    「う、ぬ……ッ」
    「もうあなたは『阿修羅』じゃない。その称号を名乗る資格は無いわ」
     さらにもう一撃。攻撃はより重さを増し、モノの体がわずかに弾かれた。
    「ぬお、ぉ……!?」
    「わたしがその称号を、継いであげる。わたしこそが、新たな『阿修羅』よ」
    「ふざけたことをッ! 貴様などにその名、やすやすと渡せるかッ!」
     モノは剣を握り直し、三度目の「三連閃」を放った。
    「うふ、ふふふ……。三回目の、『三連閃』ね。となると、最後の攻撃は九太刀目と言うことになる。
     証明される時が来たわね、先生」
     そう言ってフローラも剣を構えた。
    「秘剣、『九紋竜』!」
     晴奈を屠ったあの青白い光弾が、モノの剣にぶつかっていく。
    「な、何だこれは……!?」
    「先生にも教えていなかった、わたしの切り札よ。
     そして先生、あなたにとって『9』は吉兆だったかしら? それとも凶兆?」
     モノの「三連閃」、最後の一太刀――即ち、九太刀目――が光弾に弾かれ、モノの剣は粉々に砕ける。
    「なっ、何だと……!?」
     そして「九紋竜」の残り六発が、モノの体を串刺しにした。
    「ぐあ、あああー……ッ!」

     モノは全身に大穴を開け、息絶えた。
    「どうやら、あなたにとって『9』は凶兆だったようね。これで証明されたわ。
     ……あら?」
     血まみれのモノの右腕の袖から、キラリと光る腕輪が見えた。
    「ああ……。昔、襲われた時に手に入れたって言う、あのガラスの腕輪ね」
     フローラは剣を振り上げ、その腕輪を割ろうとした。
    「……」
     しかし途中で剣を降ろし、腕輪を手に取った。
    「……いいデザインね。……ふふ、『阿修羅』を継いだ証明にでもしようかしらね」
     フローラはモノから抜き取った腕輪を、そのまま自分の左腕にはめた。

    蒼天剣・死淵録 2

    2009.09.06.[Edit]
    晴奈の話、第378話。 阿修羅師弟対決。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. フローラからの突然の強襲に、モノは面食らった。だが、モノも百戦錬磨の古兵である。「……ッ!」 右手一本ですばやく剣を抜き、フローラの初太刀を受け止めた。「あら、残念。あまり苦しまずに仕留めてしまおうと思っていたのに」「何のつもりだ、フローラ君! 何故この私に、剣を向けるのだ!?」「お分かりいただけませんか、ドミニク先生...

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    晴奈の話、第379話。
    モールの「奥の手」。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     モノがフローラに討たれた丁度その頃、モールとクリスの戦いも佳境を迎えつつあった。
     大広間全体が激しく揺れる程の上級魔術が次々に繰り出されるが、モールもクリスも、いまだ致命傷を受けてはいない。
     とは言え――。
    「はっ……、はっ……」
    「うふ、ふふふ、……ゲホッ」
     共に世界最高峰の魔術を持つ賢者たちではあるが、片方は重病人、もう片方は――。
    「ゼェ、ゼェ……、う、ふふふ。モール、一体どうしたのかしら、その腕は?」
    「……ふん」
     モールの左腕が、真っ白に染まっている。そして薬指と小指がパラパラと、灰になって散り始めているのだ。
    「やっぱりうわさは本当だったのね。……ますますあなたが欲しいわ、モール・リッチ!」
    「気色悪いババアだね……! 『この体』も魔術も、私のもんだ! 誰がやるもんかってね!」
     二人のやり取りが把握しきれず、ジュリアはきょとんとしている。その様子を見たクリスが、息を整えながら語りだした。
    「何がなんだか分からない、って顔ね。教えてあげるわ」
    「……やめろ」
     モールが怒りに満ちた声で止めるが、クリスは構わず続ける。
    「モール・リッチが何故、何百年も生きているのか。何故、時代や場所によって姿や種族、性別が変わるのか。そして何故、モール・『リッチ』と呼ばれるのか。
     リッチ(Lych)――それは『死せる賢者』の意。とっくの昔に死んだはずの、元、人間」
    「やめろって言ったはずだ!」
    「彼は何百年も昔に死んだ、古の賢者だったのよ。でも、その魂は冥府に行くことも無く、この世に留まり続けている。
     そして死んだ人間の体を次々に借り、世界中をただただ無為に巡り、旅をし続けている――それが彼の正体よ」
    「……」
     ジュリアはチラ、とモールに目を向けた。
    「……この、クソババアが……ッ!」
     よほど、この話はされたくなかったのだろう――モールはわなわなと、怒りに打ち震えていた。
     モールは既に灰になりつつある左腕を挙げ、クリスに向ける。
    「『フレイムドラゴン』! お前が先に燃え尽きろーッ!」
    「ふふ、あはははっ」
     モールの放った火炎は二条の槍となり、クリスを目がけて飛んでいく。だが、クリスの前に半透明の壁が現れ、火炎はその壁に弾かれてしまう。
    「効かない、効かないわよモール!」
    「なら、こいつはどうだッ!」
     先程放った火炎が、今度は5つに増える。
    「無駄よ、モール。何故、術が通らないか、分からないわけじゃないでしょう?」
    「知ったこっちゃないねッ!」
     モールの怒りとは裏腹に、クリスの前にある壁は一向に破れる気配が無い。
    「まさか、あなたほどの賢者が気付かないわけじゃ無いでしょうね?」
    「……知るかッ!」
     モールはまた、火炎を放つ。今度は8つ、先程よりもっと赤く燃え盛って飛んでいく。
     だが、これもクリスに当たることは無かった。
    「クスクス……、言いたくないのね?
     そうよね、まさか『自分の体はもう、限界を迎えている。当然、魔力も底を突き始めているから、今見せた火炎はただのこけおどし、花火みたいなものでしかない』だなんて言えないわよねぇ、あはははっ」
    「……っ」
     クリスの言ったことは、どうやら本当らしかった。
     パラパラと粉を吹いていたモールの左手が、乾いた粘土のようにぼろりと崩れ落ちたのだ。
    「私たちは、ずっとずっと、ずうっと調べていたのよ。あなたが何者なのか、どんな魔術を使うのか、どうやったらあなたのすべてを奪うことができるか、って。
     そして知ったのよ――あなたのその体はもう、寿命が近いと言うことを。その体に替わってから5年、いいえ6年かしら? その間にあなたは近年珍しく、非常に魔力を使い続けた。それは何故? そう、アマハラの隠れ家で、私が売ったコピー本を見つけたから。
     それからずっと、あなたは躍起になって私の本を焼いて回っていた。半ば怒りに任せて、半ばセッカへの哀悼を込めて、ね」
    「……」
     モールは崩れる左手を見ようともせず、クリスをにらみ続けている。
    「その行動が、その体の寿命を早めることになった。
     結果、この大事な大事な大事な、だあいじな、この瞬間に、魔力切れだなんて! なんて考えなし! なんて間抜けなの!
     バカね、モール! あなたが賢者だなんて! 智者だなんて! そう呼ばれているだなんて、まったく、おかしくておかしくて、おかしくてたまらないわ、あっはははははははははっ!」
    「……」
     散々になじられるが、モールは黙々とクリスをにらみ続けている。

     いや、よく見れば――恐らく罵倒することに夢中になっているクリスは気付いていないのだろうが――モールは小声で、何かを唱えている。
     賢者のモールが唱えているのである。
     それは紛れも無く、呪文だった。
    「……」
    「えぇ? 何? 何か言ったかしら?」
    「……吹っ飛べ、クソババア」
     モールは右手で灰になりかけた左腕をつかみ、引きちぎった。
    「え? 一体、何を……」
    「そんなに私の術が欲しいなら、その全身でたっぷり味わってみろ!
     取って置きの切り札だ――『ウロボロスポール:リジェクション』!」
     次の瞬間、クリスに向かって投げられた左腕が光を放ち、大爆発を起こした。

    蒼天剣・死淵録 3

    2009.09.07.[Edit]
    晴奈の話、第379話。 モールの「奥の手」。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. モノがフローラに討たれた丁度その頃、モールとクリスの戦いも佳境を迎えつつあった。 大広間全体が激しく揺れる程の上級魔術が次々に繰り出されるが、モールもクリスも、いまだ致命傷を受けてはいない。 とは言え――。「はっ……、はっ……」「うふ、ふふふ、……ゲホッ」 共に世界最高峰の魔術を持つ賢者たちではあるが、片方は重病人、もう...

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    晴奈の話、第380話。
    賢者対決、決着。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     爆発の衝撃で、ジュリアは吹き飛ばされた。
    「ゲホ、ゲホッ……」
     大広間の端まで転がされ、ジュリアは埃まみれになる。
    「な、何、今のは……?」
     ヨロヨロと立ち上がり、何が起こったのか確かめようとした。
    「……あ、眼鏡」
     転がされた軌跡の上に、フレームの曲がった自分の眼鏡が落ちていた。
    (……気に入っていたのに)
     ジュリアは多少残念に思いながら、フレームを曲げ直して鼻に乗せる。
    「それにしても、今のは……」
     もうもうと舞っていた煙が落ち着き、モールとクリスの様子が明らかになった。
    「……!」
    「は、はは、あははは……!」
     壇上には、先程と同様クリスが立っている。いや、多少はダメージを受けたらしく、口の端から血を流していた。
    「そんな魔術が、あったなんて……本当に、びっくりしたわ……モール」
     逆に、モールは仰向けになって床に倒れている。その体の半分ほどが灰になっており、既に腰から下は原形を留めていない。
    「物質を……純粋な……エネルギーに、変換する……術……そうよね……モール?」
    「……」
     体の奥底も灰になりかけているのだろうか、モールの返事は無い。
    「まさか……あんな威力を……放つ、なんて。……ゲホ、ゲホッ、ゲボッ」
     クリスは血を吐き、フラフラと椅子に座り込んだ。
    「うふ……ふ……ふ、ゲホッ。……流石に……私も……限界ね。……でも、……ゴボッ」
     また、クリスの口から血が噴き出す。
    「私の……勝ちの、よう、ね……モール」
    「……」
     モールは応えない。
    「あなたは……死んだ」
     クリスは血を吐きながら、本を掲げて勝ち誇った。
    「私の……私の、ゲホッ、私の……勝ちよ……!」
    「モールさん……!」
     ジュリアはほとんど灰になったモールの体に寄り添い、懸命に名前を呼んだ。

    《バーカ》
     どこからか、くぐもったような声が聞こえてくる。
    「……!?」
     クリスは目を見開き、青ざめた。
    「ま、さ、か……」
    《そのまさかだね、クソババアが》
    「……モールさん!?」
     ジュリアの目にも、それは映っていた。
     半透明の、黒い狐耳の男がクリスの前に立っている――紛れもなく、灰になったはずのモールの姿である。
    《勝ったと思った? ねぇ、勝ったと思った? そーんなボロッボロの状態で、勝った気でいたね?
     弱らせて弱らせて、身動きできなくさせようと目論んでたけど、見事に引っかかってくれたねぇ、み・ご・と・にっ★》
    「う……うそ……でしょ……」
    《ところがどっこい……! 嘘じゃありません……! 現実です……! これが現実……!》
     モールは嬉々として、クリスに罵声を浴びせている。
    《私をバカだバカだと言いたい放題罵ってたけどね、君もバカだ、大バカだね! 私が何度も体を替えたと、そこまでリサーチしておいて、何でこの状況を想定しないね!?
     そう、私は魂だけの状態でも、まったく問題なく動ける。まあ、あんまり長い間肉体から離れれば、どうなるか分かんないけどね》
    「ひっ……ひいっ……」
     モールは半透明の黒ずんだ手を、クリスの首に当てる。
    《だから君の体、とっとともらうね》
     クリスの顔から、見る見るうちに生気が無くなっていく。
    《君の体はボロボロだけど、私の術があれば一瞬で元気になるね。良かったねー、念願の健康が手に入って。良かった良かった、うんうん》
    「いや……やめて……」
    《やめて?》
     モールの手が止まる。
    「私……まだ……死にたくない……」
    《やめてほしいの?》
    「やめてぇ……」
     だが、モールはニヤッと笑い、再び手をクリスの首に押し付け、突き入れた。
    《やだ》
    「いや、あああぁぁぁ……!」



    「さて」
     ジュリアはその姿を、複雑な心境で見つめていた。
     その体は紛れもなく女性なのに、その口からは少年のような声が発せられている。
    「服も着替え終わったし、体も治したし。用事は済んだから、とっとと晴奈たちと合流しようかねぇ」
    「ねえ、モールさん」
    「ん?」
     ジュリアは先程まで敵だった、その狐獣人の女性に話しかけた。
    「嫌じゃないの?」
    「何が?」
    「だって、さっきまで散々戦った相手だし、それにあなた、男性だったんでしょう?」
    「ああ」
     狐獣人はニヤリと笑い、くるっと一回転した。
    「もう何百年もやってるコトだし、一々気に留めてないね。
     敵だの味方だの、男だの女だのはどーでもいーや」
     先程までクリスのものだった体を奪ったモールは、元「自分」が身に付けていたとんがり帽子をポンポンとはたき、頭に載せた。

    蒼天剣・死淵録 4

    2009.09.08.[Edit]
    晴奈の話、第380話。 賢者対決、決着。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 爆発の衝撃で、ジュリアは吹き飛ばされた。「ゲホ、ゲホッ……」 大広間の端まで転がされ、ジュリアは埃まみれになる。「な、何、今のは……?」 ヨロヨロと立ち上がり、何が起こったのか確かめようとした。「……あ、眼鏡」 転がされた軌跡の上に、フレームの曲がった自分の眼鏡が落ちていた。(……気に入っていたのに) ジュリアは多少残念に思...

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    晴奈の話、第381話。
    敵同士の戦い。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     フローラの粛清は続いていた。
     モノ派の兵士たちを片っ端から斬り捨て、潰していく。
    「なっ、何故……ぎゃああっ!」
     オッド派の兵士たちを後ろから襲い、貫いていく。
    「ゲボッ……、ど、どうして……?」
     そして公安たちがねじ伏せ、捕縛し、戦闘不能の状態にあった兵士たちも、一人残らず首をはねていく。
    「や、やめてください、フローラ様……、ぐぁっ!」
     殺刹峰の中に、血生ぐさい臭いが強く漂い始めた。

     その臭いに、ネイビーとの戦いで辟易していた小鈴たちも気が付いた。
    「あれ……? まだ、モンスターの臭いが抜けてないのかしら?」
    「いや、それにしては獣脂のような、鼻を突くような脂っこさが無い」
    「じゃあこれは、一体何の臭いっスかね?」
     エラン、フェリオ、フォルナを加え、7人になった小鈴たちは、何の苦も無くアジト内を歩いていた。
    「人の、血の臭い、だよな」
    「でもウチら、一人も殺してへんはずやけどな。……あんまし後味ええもんでもないし」
     人数が揃ったせいか、七人の間には緊張感が今ひとつ無い。半ば談笑するように話をしながら、歩を進めている。
    「では、先程話に上っていたフローラと言う方か、ウィッチと言う方の仕業かも知れませんわね」
    「その可能性は濃いな。……早くジュリアたちと合流しなきゃな」
     七人はさほど警戒する様子も無く、晴奈たちの向かった通路を進んでいた。

     その時だった。
     七人全員が、強烈な殺気を感じて一様に震えた。
    「……何だ?」
    「ゾクっと来た……」
     そしてすぐに、立て続けに爆発音が響いてくる。そして――。
    「血の臭いに混じって、妙にかび臭いような、鼻に付く臭いがするな。これは……、雷の術を使った時によく嗅ぐ臭いだ。
     それから、金属音も聞こえるな。多分、剣と剣が交わる音だ。……剣士と、雷使いが戦ってるのか?」
    「どちらにせよ、……どうも、後ろの方からだね」
     楢崎は進んできた通路を振り返り、腕を組む。
    「どうしようか? 晴奈くんと合流するのを先にするか、それとも確かめに行くか」
    「うーん……」
    「ほな、さっきみたいに二手に分かれとく?」
    「それがいいかな……」
     七人は相談し、小鈴・楢崎・シリンが戻り、そしてバート・エラン・フェリオ・フォルナが進むことにした。
    「まあ、晴奈たちと合流すりゃ百人力だろーし、そっちは散弾銃持ってるから問題ないでしょ」
    「今後ろで戦っているのがフローラと言う剣士なら、なるべく大勢で向かった方がいいだろうね」
    「せやな、さっき敵の黒いのんが強いって言うてたし」
    「ま、この3人ならだいじょーぶでしょ」
     小鈴たちはどこか余裕のある様子で、通路を戻り始めた。



     10分ほど歩いたところで、小鈴たちはその部屋に到着した。
     もっとも、「部屋」と言っても既に扉は破壊されており、壁もあちこちが破られている。もはや通路との間を区切るものが何も無い。音が響いてきたのも、そのせいだろう。
    「うわぁ……」
     予想通り、戦っているのはフローラのようだった。赤と白の服――元は全面真っ白だったと思われるが、既にここまでで何十人も斬ってきており、その服は前側だけが真っ赤に染まっている――を着ており、三人はすぐに「プリズム」の一人だと分かった。
     と、フローラの顔を見た小鈴と楢崎が声を上げる。
    「雪乃!?」「ゆ、雪乃くん!?」
     その声に気付き、フローラは戦っていた相手――ミューズと瞬也から距離を取り、三人に視線を向ける。
    「公安ね。……また、ユキノ、ユキノって。そんなに似ているのかしら? ……不愉快ね」
    「……いや、雪乃くんではないな」
    「そーね。……あんなおぞましい笑顔、初めて見たわ。雪乃にあんな顔、できるワケないし」
     フローラは晴奈やモノと戦った時のように、悠然と笑っている。まるで「自分が今置かれているこの状況は、部屋でのんびり読書をしている時と何ら変わりない、平和な状況だ」と言わんばかりのその顔を見て、シリンは舌打ちする。
    「……何や、あのヘラヘラ顔。なめとんのかいな」
     だが、小鈴たちは緊張を解かない。
    「なめてる、って言えばなめてるんでしょーね。……強いわ、あの女」
    「そうだね。今まで出会ったどんな剣士よりも、毒々しく、そして禍々しい剣気を放っている。恐らく僕やミーシャくんよりも、相当腕は上だろう」
    「ホンマかいな……」
     シリンは半信半疑と言う口ぶりで、もう一度フローラの方を見る。
     楢崎の言う通り、フローラの腕は確からしかった。相手をしていたミューズと瞬也は数の上では有利なはずだが、一目で劣勢と分かるほどボロボロになっている。
    「はぁ、はぁ……」
    「くそ、……っ」
     特にミューズの方はずっと瞬也をかばっていたらしく、袖口やコートの裾からボタボタと血が垂れていた。
     それを見た小鈴が咳払いし、場を引き締める。
    「くっちゃべってる場合じゃなかったわね。とりあえずどっちが悪そうに見える?」
    「白い方」
    「同感だ。あちらの二人を助太刀しよう」
     小鈴たちは素早くミューズたちの前に回り込み、二人を護る。それを見たミューズが邪魔そうに口を開く。
    「不要だ、どけ……」
    「それはないんじゃない? どー見ても瀕死よ、アンタ」
     小鈴の言う通りミューズのケガはひどく、強気な言葉も虚勢を張っているようにしか見えない。
    「……」
     ミューズもそれを感じたらしく、今度はもっと穏やかな口調になる。
    「これは、私とあいつの戦いだ。公安などに、助けを求めるわけにはいかん」
    「いーから、いーから。公安だとか組織だとかは、後回しにしましょ」
    「……すまない」
     ミューズは素直に従い、瞬也の手を引く。
    「折角の助けだ。引くぞ」
    「え、で、でも」
    「気にしないでいい」
     瞬也の前に立っていた楢崎が、優しく声をかけた。
    「困っている時に、敵も味方もあるものか。下がっていたまえ」
    「……はい」
     瞬也は楢崎の言葉に、コクリとうなずいた。



     楢崎も、瞬也も、この時はまだ互いの素性を――自分たちが親子であることを知らなかった。
     二人がそれを知ったのは、この戦いが終わってからである。

     だが、それはあまりに遅すぎた。

    蒼天剣・死淵録 5

    2009.09.09.[Edit]
    晴奈の話、第381話。 敵同士の戦い。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. フローラの粛清は続いていた。 モノ派の兵士たちを片っ端から斬り捨て、潰していく。「なっ、何故……ぎゃああっ!」 オッド派の兵士たちを後ろから襲い、貫いていく。「ゲボッ……、ど、どうして……?」 そして公安たちがねじ伏せ、捕縛し、戦闘不能の状態にあった兵士たちも、一人残らず首をはねていく。「や、やめてください、フローラ様……、ぐ...

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    晴奈の話、第382話。
    楢崎、激昂。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     1対3となったが、フローラの顔には依然、焦りの色も緊張した様子も浮かんでこない。心の底で嘲っているのがほの見える、優雅な笑顔が張り付いたままだ。
    「それで、誰から来るのかしら?」
    「ウチが行かせてもらうわ。……だあああッ!」
     シリンは咆哮を上げつつ、得意の飛び蹴りを放つ。だが、フローラは平然と左手一本で受け止めてしまう。
    「……っ! アンタも強化したクチかいな」
    「まあ、そうね。でも薬とか、術じゃないわ」
     フローラはシリンの脚を投げ、相手が着地した瞬間を狙って、右手に持った剣で突きを繰り出す。
    「おわ、っと」
     シリンは体をひねって間一髪避けたが、体勢を崩した瞬間にフローラの左腕がうなりを上げ、右肩にめり込んだ。
    「ぐえ、っ、……かっ、は……」
    「極めて物質的な、強化改造。柔らかい人体が、硬い鋼鉄に敵うと思って?」
     一撃でシリンの鎖骨と肩甲骨、肋骨が粉砕され、シリンは痛みで顔を歪める。
    「邪魔よ」
     そして次の瞬間、フローラは左足を水平に挙げ、シリンの腹を蹴り飛ばした。
    「ぐぼ……」
     悲鳴なのか、それとも無理矢理に肺の空気を押し出されて生じた音なのか――シリンはくぐもった声を短く上げ、部屋から吹っ飛んでいった。

    「な……」
     一瞬で仲間が倒され、小鈴も楢崎も唖然とする。
    「身の程知らずは早死にするわよ、クスクス……」
     この状況で笑うフローラを見て、小鈴は軽く吐き気を覚える。
    「おぞましい、って言うのかしらね。……アタマおかしいわ、アイツ」
    「ああ、同感だ。……最初から、本気を出さなきゃ負けるよ、これは」
    「本気を出さなきゃ、負ける?」
     楢崎の言葉を聞いたフローラが、きょとんとする。
    「……クス、クスクスクスクス、あははは、ははっ」
    「何がおかしい?」
    「ええ、おかしいわ。おかしくて、おかしくて。
     わたしは色々調べているのよ、ナラサキさん、タチバナさん。あなたたちの名前も知っているし、今蹴り飛ばしたのがミーシャさんと言うのも知っているわ。
     そしてわたしに殺されたセイナがナラサキさん、あなたに勝っていると言うことも」
    「……!?」
     フローラの言葉に、楢崎の目が見開かれる。小鈴も、息を呑んでいた。
    「黄くん、が……!?」
    「ええ、ついさっきね。それでね、ナラサキさん。セイナに負けたあなたが、セイナに勝ったわたしより強いなんて、論理的におかしいでしょう? もう負けているも同然なのに。
     本当、みんな身の程知らずなのね、アハハハハ……! セイナもあなたもミーシャさんも、このアジトに入り込んだ公安みんな、『アジトを突き止めればどうにかなる』『幹部を倒せばどうにかなる』『どうにかなる』『どうにかなる』って、根拠も思慮も無く、そう言い続けているんだもの!
     もうみんな、あんまりにもおバカさんでおバカさんで、くっくくくく、あはははは……っ!」
    「黄くんが、死んだ……?」
     楢崎の腕が、小刻みに震え出した。
    「あら? どうしたの、そんなに震えて」
    「……嘘だ……っ」
    「嘘じゃないわ。わたしの剣技に何度も貫かれて、彼女は全身ズタズタになって死んだわ」
     楢崎の震えが、より強くなる。
    「そんなにブルブル震えて……。怖い、ってわけじゃなさそうね。オーラが真っ赤に灼けているもの。まさに憤怒、激昂――怒っているのね、その全身で」
    「貴様……、許さんぞ……」
     楢崎が刀を上段に構える。その瞬間、小鈴の全身に汗が流れた。
    「あつ、っ……?」
     楢崎の気迫は、横にいた小鈴が恐ろしくなるほどに、熱く燃え盛っていた。
    「許さん、許さんぞ……、フローラ!」
    「許さない、許さないって……」
     フローラはまた笑う。
    「冗談も程々にしてほしいわね。あなたがわたしを許す? あなたみたいな格下が、わたしを許すだの許さないだの、おかしくてたまらないわ!」
     その言葉で楢崎の怒りに火が回り、爆発した。
    「うおおおおおあああーッ!」
     楢崎は刀に猛烈な炎を灯し、フローラに斬りかかった。
    「ふふ、バカみたい……」
     フローラは余裕綽々で剣を構え、自慢の腕力で楢崎の刀を弾き飛ばそうとした。
     ところが――。
    「……!?」
     思っていた以上の衝撃がフローラの両腕に伝わり、フローラの剣は弾かれた。
    「な、に……、これ!?」
    「おおおおおおおうッ!」
     楢崎の二太刀目が来る。ここで初めて、フローラの顔に緊張が走った。
    「くッ……」
     怒りに任せて振るわれた楢崎の刀をすれすれで避け、フローラは床に落ちた剣を拾う。
    「あ……」
     だが、楢崎の馬鹿力によって剣はくの字、いや、Vの字に曲がり、とても使える状態ではなかった。
    「何よこの、無茶苦茶な力……!?」
    「おりゃあああーッ!」
     楢崎の三太刀目が、フローラの頭上に落ちてきた。

    蒼天剣・死淵録 6

    2009.09.10.[Edit]
    晴奈の話、第382話。 楢崎、激昂。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 1対3となったが、フローラの顔には依然、焦りの色も緊張した様子も浮かんでこない。心の底で嘲っているのがほの見える、優雅な笑顔が張り付いたままだ。「それで、誰から来るのかしら?」「ウチが行かせてもらうわ。……だあああッ!」 シリンは咆哮を上げつつ、得意の飛び蹴りを放つ。だが、フローラは平然と左手一本で受け止めてしまう。「……っ...

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    晴奈の話、第383話。
    怒りの猛攻。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     紅蓮塞の三傑――藤川、篠原、そして楢崎。
     この三人には、ある共通点があった。それは脳の「眠っている」感覚を引き出す能力を、先天的に有していた点である。

    「霊剣」藤川英心は、他人の集中力が途切れる瞬間を見抜くことができた。その力を応用し、相手にまったく知覚されることのない攻撃を可能にした。
    「魔剣」篠原龍明は、相手の指先や踏み込み、視線や呼吸などのわずかな動きから、次に相手がどんな行動をするのか読むことができた。そして自分の戦い方にそれを組み込み、比類なきカウンター術で数多くの敵を葬ってきた。
     そして「剛剣」楢崎瞬二。彼にも特殊な性質があった。

     晴奈たちの時代にはまったくそぐわない、現代科学の話になるが、脳には「リミッター(制御装置)」が存在すると言われている。
     本来ならば人間の力――重力や慣性力を伴わない、純粋な「筋力」と言うものは、途方も無く強いと言われている。端的には百数十キロあるグランドピアノを運べ、鋼鉄製のフライパンを拳大に丸めることさえ可能だと言う。
     だが、そんな無茶苦茶な力を常時出していては、筋肉や骨、血管や神経に重大なダメージを与え、自壊させてしまう。そこで普段は脳が制御し、筋力を最大限発揮しないように抑えているのだ。
     しかし楢崎は――。



    「おりゃあああーッ!」
     楢崎の刀がフローラの頭をめがけて振り下ろされる。
    「は、ぁ……っ」
     フローラは剣を捨て、手足のバネを使って避ける。振り下ろされた刀は石畳の床に当たり、事も無げに切り裂いた。
    「……!」
     その光景を見たフローラの額に、ぶわっと汗が広がる。
    「まさか……、生身でわたしと同じくらい、力が出せるなんて」
    「ハァ、ハァ……、昔からね」
     楢崎はまだ怒りに震えた様子を見せつつ、刀を床から引き抜く。
    「気合を込めると、力が強くなるんだ。特に、怒っている時は……」
     また楢崎が刀を振り上げ、フローラに襲い掛かる。
    「天井知らずで、ね……ッ!」
    「チッ……」
     楢崎の猛攻をギリギリで避けながら、フローラは代わりの剣を探す。
    「うおりゃあッ!」
     だが、楢崎が自分で言っていた通り、楢崎の力は戦いが長引くにつれ増していく。そしてついに、ほんの先端ではあるが、楢崎の刀がフローラの左肩をかすめた。
    「う……っ」
     かすった瞬間、フローラは顔を歪める。そして一呼吸遅れて、裂けた肩口が赤く染まりだした。

     楢崎のあまりの剣幕を見せ付けられ、手出しできなかった小鈴が、相手を冷静に観察する。
    「人形、って言っても、胴体は『ナマ』なのね」
    「ああ……。私も頭と胴体の半分は人間だ」
     いつの間にか横にいたミューズが、小鈴のつぶやきに応える。
    「フローラは両手両足が人形の状態にあり、それを鋼鉄製の素材に置き換えて強化している。下手に突っ込めば……」
     そう言って、ミューズはあごをしゃくる。その方向を向いた小鈴の目に、通路の壁に上半身を突っ込んで気絶しているシリンが映った。
    「……なるほどねー。んで、アンタ大丈夫なの?」
    「ああ、私自身も体を改造していてな、強い魔力源を体内に内蔵することで、高出力の魔術が使える。それで何とか、動ける程度には回復したが……」
     ミューズはもう一度、シリンを見つめる。
    「あいつを掘り起こすほど、状態は改善していない。腕もまだ満足に動かせなくて、な」
    「助けてくれるの? 敵なのに」
    「クク……、『緊急事態に敵も味方もあるか』と言っていただろう? それに、助けてくれた恩は返さねば」
    「あら、ありがと」
     楢崎に助太刀できそうも無いので、小鈴はミューズと一緒にシリンを助けることにした。
    「……えいっ」
     シリンが埋まっている壁を土の術で軟化させ、ずるりと引っ張り出す。
    「うわぁ……、頭割れてんじゃない」
     小鈴とミューズは共に術を使い、シリンを回復させる。
    「う、ん……」
     元々からタフなためか、シリンはすぐに回復した。
    「よし。まだ目覚まさないけど、こっちは大丈夫そうね」
     一安心し、楢崎たちの様子を見た小鈴は言葉を失った。
    「……う、わ、っ」
     楢崎とフローラの戦いは――と言うよりも、剣を失ったフローラが一方的に追い回されている状態だったが――まるで鬼神が暴れているような様相を呈していた。

    蒼天剣・死淵録 7

    2009.09.11.[Edit]
    晴奈の話、第383話。 怒りの猛攻。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 紅蓮塞の三傑――藤川、篠原、そして楢崎。 この三人には、ある共通点があった。それは脳の「眠っている」感覚を引き出す能力を、先天的に有していた点である。「霊剣」藤川英心は、他人の集中力が途切れる瞬間を見抜くことができた。その力を応用し、相手にまったく知覚されることのない攻撃を可能にした。「魔剣」篠原龍明は、相手の指先や踏み込...

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    晴奈の話、第384話。
    激怒と後悔の果てに。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     楢崎の猛攻を半ば必死で交わしつつ、フローラは状況の打開を考えていた。
    (剣が無ければ『九紋竜』は出せない。それを使わなければ恐らく、こいつは倒せそうに無いわ。……どこかに無いかしら)
     自分の剣は既に楢崎によって曲げられ、使用不可能である。ミューズも剣を持っていたが、それも先程、自分が使い物にならないほど叩きすえて、刃こぼれさせてしまっていた。
    (まさか、この男がこれほど手強い相手だとは思わなかったわ。流石に『三傑』、『剛剣』と呼ばれるだけはあったわね。
     ともかく、剣を手に入れないと……)
     だが、そうそう都合よく武器になるものは、自分の近くに無かった。部屋の中にあった家具なども、自分とミューズが戦った時の余波を受け、原形を留めていない。
    「はああッ!」
     それに何より、楢崎の攻撃が先程からわずかずつではあるが自分の体にダメージを与えており、出血も増してきている。
     早々にけりを付けなければ、そのままねじ伏せられてもおかしくは無い状態だった。

     楢崎の心中は依然、怒りでたぎっている。
    (こいつが、黄くんを、黄くんを……ッ!)
     同門であり、親しい雪乃の一番弟子であり、名実共に優秀な剣士と己が認めた晴奈を、フローラは殺したと――笑顔で、悪びれる様子も無く、さらりと――言ったのだ。
    (嗚呼……! 僕はまた、また、やってしまった! またも、大切な人間を護れなかった!)
     晴奈を思えば思うほど、楢崎の怒りは湧き上がる。
    (そりゃ、僕の実力で護るなんて言える子じゃない。それは分かっているさ。
     分かっているけれども、もしかしたら、……一緒に、その場にいれば、黄くんは死ななかったかも知れないじゃないか! 何故、共に戦おうとしなかったんだ!
     心のどこかで、慢心があった――僕らは十二分に強いから、きっと何とかなるさって。……『何とかなる』? こいつの、フローラの言った通りじゃないか!
    『何とかなる』って安易に構えて、寡数で行かせた結果がこれだ! 何故、安全を重視して、みんなで進もうとしなかったんだ!)
     怒りで燃え盛る頭に、次第に申し訳なさが募ってくる。
    (嗚呼、黄くん……! すまない……っ! せめて……)
     執念の末、楢崎の刀がついにフローラの左腕を捉え、刃が食い込む。
    (せめて、こいつだけは……! こいつを倒し、仇を取らなければ……っ!)
     ギチギチと音を立て、金属製の腕が裂け始めた。

     だが、それまで若干青ざめ、戦々恐々としていたフローラの顔に、またあの凄絶な笑みが浮かび始めた。
    「……そうだわ、あったじゃない」
    「……何?」
     フローラは右腕で、左腕に食い込んだ刀をつかんだ。
    「うっ……!」
    「そうよ、敵が散々振っていたと言うのに」
     刀が刺さったままの左腕も器用に動かし、フローラは両手で刀身を握り締める。
    「これを、使わない手はないわよね」
    「く、この……っ」
     楢崎は懸命に刀を引っ張るが、自分が握れるのは鍔から下、柄の部分だけである。対して相手は、刀身の大部分を素手――金属製の手でつかめるのだ。
     そしてこの時、両者の力は互角である。力をかけられる範囲が多い分、フローラの方が圧倒的に有利だった。
    「ふ、ふふ……っ」
    「く、そ、……っ」
     競り負けたのは、楢崎だった。刀は楢崎の手を離れ、フローラの元に移ってしまった。
    「残念だったわね、クス、クスクス……」
    「……~ッ!」
     顔を真っ赤にして憤慨する楢崎を嘲笑いながら、フローラは「九紋竜」を放った。
     だが次の瞬間、楢崎の姿が消えた。そして、楢崎のはるか後方にいた小鈴たちもいない。さらには、先程まで戦っていたミューズと瞬也の姿も――。
    「……『テレポート』ね。忌々しいわ」
     口ではそう言ったものの、フローラは笑っていた。
    (でも、少なくとも2発、いえ、3発は当たったはず。1発でも直撃すれば致命傷のこの技を、それだけ食らえば……)



     フローラの形勢逆転を察知したミューズは、小鈴と瞬也の力を借りて「テレポート」を試みていた。そして術自体は成功し、眠ったままのシリンと、楢崎を引っ張ってくることができたのだが――。
    「まずい、これは……」
     楢崎の胸と腹部には、大穴が開いていた。小鈴と一緒に、懸命に癒しの術を唱えるが、一向に傷はふさがらない。
    「治って、治ってよ! 早く、早くさぁ……!」
     小鈴は顔を真っ青にして呪文を唱えている。ミューズも傷口を押さえつつ術を使うが、血の勢いが弱まらない。
    「いい、いいよ……、多分もう、だめだ……」
    「そんなコト、言わないでよ、瞬二さん!」
     小鈴が涙声で楢崎の弱気をたしなめる。と、今までずっと黙っていた瞬也が、驚いた声を上げた。
    「しゅん、じ? ならさき、しゅんじ、……さん?」
     小さい声だったが、それでも楢崎の耳に、その声は届いた。

    蒼天剣・死淵録 8

    2009.09.12.[Edit]
    晴奈の話、第384話。 激怒と後悔の果てに。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 楢崎の猛攻を半ば必死で交わしつつ、フローラは状況の打開を考えていた。(剣が無ければ『九紋竜』は出せない。それを使わなければ恐らく、こいつは倒せそうに無いわ。……どこかに無いかしら) 自分の剣は既に楢崎によって曲げられ、使用不可能である。ミューズも剣を持っていたが、それも先程、自分が使い物にならないほど叩きすえて、刃...

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    晴奈の話、第385話。
    死の淵に立って。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
    「……?」
     楢崎は弱々しい目で、瞬也の方を見た。
    「……まさ、か?」
    「ぼ、……僕、瞬也です。……楢崎、瞬也、です」
    「ほ、本当、かい?」
     血の勢いが、ようやく弱まってきた。だが、傷が治っている様子は見られない。
    「くそ……! もう一度だ、タチバナ! もう一度、術を合わせるぞ!」
    「うっ、うんっ!」
     二人の魔術師が呼吸を合わせ、高出力の術をかけようとする。だが小鈴もミューズも、「テレポート」でほとんど魔力・気力を使い切ってしまい、唱えている途中で次第にタイミングがずれていく。
    「……まだだ、もう一回!」「うん……っ!」
     小鈴たちが懸命になっている間に、楢崎と瞬也は10年ぶりの再会を噛み締めていた。
    「そうか……、ようやく、会えたんだね……、瞬也」
    「はい、はい……っ。会えました、とっ、父さんっ」
     楢崎の目がにじんでいる。瞬也はボタボタと、涙を流していた。
    「元気で、良かった。……ずっと不安だったんだ。もしかしたらもう、会えないかもって」
    「うぐっ、うぐ……っ」
    「はは……、泣くんじゃない。ようやく、会えたんだ。喜んで、くれよ」
    「父さん、父さぁん……」
     楢崎は弱々しい手つきで、瞬也の頭を撫でた。
     その間に、小鈴たちが何とか呪文を唱え終わる。
    「行くぞ! 『リザレクション』!」
     楢崎の体がうっすらと輝き、傷は今度こそふさがった。
    「やった……! 成功したぞ!」
    「良かった、よがっだぁ……!」
     ミューズは顔面蒼白になりながら、また、小鈴は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらも、術の成功を喜んだ。

     しかし――。
    「……父さん?」
     楢崎は瞬也の頭に手を当てたまま、動かなくなる。
    「え……?」
     ミューズと小鈴の顔がこわばる。
    「馬鹿な……! 術は、完璧だったはずだ」
    「え? ……ちょ、えっ?」
     二人は楢崎の傷をもう一度確認する。
    「ふさがってるわよ、ちゃんと……」
    「ああ。傷は治っている。治っているんだ!」
     小鈴は恐る恐る、楢崎の胸に手をやる。
    「ねえ、……眠ってるだけよね? 疲れたのよね? ねえ、起きてよ」
     だが、小鈴の指先は、楢崎の鼓動を見つけられない。
    「起きてってば……、ねえ、冗談やめてよ、ねえってば!」
    「……くそ……!」
     小鈴は涙を流しながら、楢崎の体をゆする。ミューズは呆然と地面に手を付き、顔を伏せる。
    「父さん……、そんな……、そんなのって……」
    「起きてよぉぉ! いやぁぁぁぁ!」
     瞬也も小鈴と同じように、楢崎の体を揺さぶる。
    「父さぁぁぁぁん……!」
     だが、その声に楢崎が応えることは、二度と無かった。



     ヘックスとキリアは壁に埋まった晴奈の体を掘り起こそうと、適当な道具が無いか周りを探していた。
    「……これ、使えるかしら?」
    「ん? これ……、コウの刀、かな。真っ二つやん」
    「圧倒的、過ぎるわね。……もう誰も、フローラには勝てないかも知れない」
    「ああ……」
     二人は絶望感に襲われつつも、晴奈の周りの壁を「大蛇」の残骸で掘り始めた。
    「……ちょっと、期待しとったんや」
    「え?」
    「コウ、もしかしたらフローラとか、ドミニク先生とか倒してくれへんかなって。前に戦った時、めっちゃ強かったんや」
    「相変わらずね、兄さん。他力本願が過ぎるわ」
    「……うん」
     ヘックスはうなだれつつも、壁を掘る手を止めない。
    「……でも、私も期待した」
    「……そっか」
    「斬られて朦朧としてる時、コウを見て……、敵だって言うのに、希望を持ったわ」
    「……」
    「味方だったのに、フローラにはもう、絶望しか感じられなかった。……コウは、そうじゃなかった。
     ……正直言って、今も私、コウが生き返ったらって思ってる」
    「オレもや。せやから、こんなことしとるんや」
    「……うん」
     二人の会話がやむ。
     部屋の中にはただ、ザクザクと言う音が響いていた。



     晴奈はぼんやりと、川岸に座っていた。
    (……ここは……)
     辺りは静寂に包まれ、上を見上げるとキラキラと星が輝く夜空が見える。
     いや、夜空と言うには妙に暗すぎる。満天の星空だと言うのに、星々の間にある夜空は吸い込まれそうなほどに暗く、黒い。
     そして良く見れば、輝く星は通常見ている星のように、空中を回転したりはしていない。静かに、そしてゆっくりと、すべての星が一様に落ちてきている。
     真っ暗な空を、ひたすら星が沈み続けている。
     どう考えても、この世の風景ではなかった。
    (……冥府……)
     不意に、晴奈の頭の中にその言葉が浮かんできた。
    (そうか……私は死んだのか……)
     空を見上げているうちに、ぼんやりと思い出してきた。
    (そうだ……私はフローラと戦い、彼奴の技に貫かれて……そして、死んだのだ)
     ぼんやりと立ち上がった思考が、またぼんやりと沈み始める。
    (そうか……。死んだか、黄晴奈は。
     何と言う半端者か……。あのような邪悪に、手も足も出ずに負けるとはな。何が英雄だ、何が、侍だ。所詮私など、瑣末な者でしかなかったと言うことか)
     晴奈の意識が徐々に薄れていく。
    (星が落ちていく。星が墜ちていく。
     墜ちて、落ちて……、墜落し、果てる。
     私も現世から落ち、墜ちたのだ。後はただ……、果てるだけ……)
     意識が薄れると共に彼女は目をつぶり、その場に仰向けに倒れようかと手を広げた。
     だが、その手を誰かが引っ張る。
    《ざけんな、セイナ》
    「え……?」
     晴奈は目を開ける。
    《まだ……、終わっちゃいねえだろうがよ》
     そこには、全身真っ黒な狼獣人が立っていた。

    蒼天剣・死淵録 終

    蒼天剣・死淵録 9

    2009.09.13.[Edit]
    晴奈の話、第385話。 死の淵に立って。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9.「……?」 楢崎は弱々しい目で、瞬也の方を見た。「……まさ、か?」「ぼ、……僕、瞬也です。……楢崎、瞬也、です」「ほ、本当、かい?」 血の勢いが、ようやく弱まってきた。だが、傷が治っている様子は見られない。「くそ……! もう一度だ、タチバナ! もう一度、術を合わせるぞ!」「うっ、うんっ!」 二人の魔術師が呼吸を合わせ、高出力の術...

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    晴奈の話、第386話。
    親友(とも)の応援。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    《ざけんな、セイナ》
    「え……?」
     晴奈は閉じていた目を開ける。
    《まだ……、終わっちゃいねえだろうがよ》
     そこには、全身真っ黒な狼獣人が立っていた。
     その狼獣人には見覚えがある。いや、それどころではない。何年も戦い、そして無二の親友と感じていたあの男だった。
    「ロウ……!?」
    《ああ、そうだ。……ウィルって呼んでもいいぜ》
     彼の服は、ゴールドコーストでいつも見ていたような央中風の普段着ではなく、黒炎教団の僧兵服になっている。
    「記憶が、戻ったのか?」
     ウィルは晴奈の手を離し、隣に腰掛ける。
    《ああ。……でも遅いよな、今更。死んじまっちゃ、親父にも、兄貴や姉貴にも、嫁さんと子供できたなんて報告できねーしよ》
    「そう、だな」
     すぐ隣にいるのに、ウィルの声は遠くから聞こえるように、妙にひずんでいる。
    《なあ、……だからさ、セイナ。伝えてくんねーかな、親父たちに。『オレの家族がゴールドコーストにいる』ってよ》
    「……道理を考えてものを言え、ウィル。私はもう……」《だから、ざけんなって言ってんだろ?》
     ウィルは晴奈をにらみ、声を荒げる。
    《お前はまだ、行けるはずだぜ? オレの声、どう聞こえてる?》
    「え……?」
    《お前が本当に『こっち』の住人になっちまったってんなら、オレの声は変な風に聞こえてねーはずだ。
     それとも、本当にもう、お前は死んじまったって言うのか?》
    「……」
     晴奈はウィルから顔をそむけ、猫耳をしごき出す。
    「確かにお主の声は先程から、妙に遠く聞こえる。ならば、私はまだ死んでいないと、そう言うことになるのだな」
    《そうだよ、だからさ……》「だが」
     晴奈は両手で顔を覆い、震える声で心中を語り始めた。
    「……だが、今生き返って、どうなると言うのだ? 既に私は負けたのだ」
    《だから?》
    「私は、怖いのだ……! 生き返ればまた、私を殺したあの女と戦わねばならぬ」
    《怖い? 本気で言ってんのか、それ?》
     ウィルの顔が怒りでこわばり始めるが、それでも晴奈の口は止まらない。
    「本気、だとも。あの女は私の刀を、あの『大蛇』をやすやすと砕き、私を幾度も壁に叩きつけた。勝てる気がしないのだ……!
     そもそも刀を失った今、どうやって対抗しろと言うのだ? 素手で戦える相手では、ない」
    《何を寝言、吹かしてやがる》
     晴奈がそこまでしゃべったところで、ウィルが両手で包み込むように晴奈の顔をつかんで、ぐいっと引き寄せる。
    《情けねーな、セイナ。忘れたのかよ?》
    「え?」
     ウィルは晴奈の顔をつかんだまま、熱い口調で語りだす。
    《お前の故郷の、黄海の近くで戦った時。お前、オレに刀を折られたよな?
     んで、その後どうした? 逃げたか? 違うよな?》
    「……」
     そう詰問され、晴奈は記憶を掘り起こす。
    「……ああ、そうだったな。確かに私はあの時、逃げたりせずに脇差で戦った」
    《だろ? その結果、粘り勝ちみたいにして勝ちやがった。お前は、セイナってヤツは、そう言うヤツなんだよ。
     お前はどんなに窮地に陥ろうとも、どんなに逆境へ入り込もうとも、決してめげないヤツだ。黄州平原でも、アマハラの隠れ家でも、どこだってそうやって凌いで、勝ちをもぎとってきたじゃねーか。
     だからセイナ、もっかい頑張ってみろって》
     晴奈は依然顔をつかまれたまま、それでも逡巡する。
    「……しかし……」
    《『しかし』、何だよ?》
    「私が、……私は、負けたのだ。勝つことなど、できるのか?」
    《セイナ……》
     そこでようやく、ウィルは晴奈の顔から手を離した。
    《変だぜ、お前。何つーか、心が折れてるっつーか》
    「……ああ、折れたのだ。
    『大蛇』が折れたあの時、私の心も同時に、音を立てて折れてしまった。あの瞬間を思い出せば思い出すほど、私の心がガクガクと震え、全身が冷たくなる……!
     最早私に、戦うことなど……!」
    《まだ寝ぼけてやがるのか、てめーは!》
     ウィルはもう一度晴奈をにらみつけ、平手打ちを食らわせた。
    「うっ……」
    《お前が口先でどーのこーの言ってよーが、んなもん関係あるかッ!
     もうお前しかいねーんだよ、戦えるヤツは!》
    「な……に?」
    《今さっき、ナラサキさんがやられた。シリンも目を覚まさねー。
     あのうさんくせー賢者も、体を奪ったばっかで全然本調子じゃねーんだ。
     公安のヤツらじゃぜってー勝ち目はねーし、味方になった敵も怯えちまってる。
     それに、……それに、エフも今、あそこにいるんだぜ?》
    「え、ふ?」
     もう一度、ウィルが晴奈の頬に手を当てて顔を近付ける。
    《エフ……、フォルナのコトだよ。あいつもお前を追っかけて、あの穴倉の中にいる。
     お前、できるとかできないとか、んなコト考えるヤツだったか? オレの知ってるセイナは、黄晴奈は、そんなボンクラなんかじゃねーぞ。
     本当の、本来のお前なら、『できる』『できない』じゃなく、『やる』『やらない』で行動するヤツだったはずだ!
     いいや、いつものお前ならこう言うはずだッ! 『どれほど敵が強大だろうと、私はやらねばならぬのだ』ってな!》
    「……!」
     ウィルの熱く燃える瞳に射抜かれ、晴奈の心に火が灯った。
    「やらねば、ならぬ。……か」
    《そーだよ。お前が今、やらなきゃ。今、戦わなきゃ。みんな死んじまうんだ。
     大体な、心が折れたとか抜かしてたけど、んなもん燃やして、いっぺん融かしちまえばいいんだよ。
     お前の心は鋼鉄の刀だ。折れたってんならもっかい融かして、固めて、叩いて、もっかい新しく刀にしちまえばいい。
     ……燃えろよ、セイナ》
     そう言うなり、ウィルは晴奈に顔を近付け――口付けした。

    蒼天剣・白色録 1

    2009.09.15.[Edit]
    晴奈の話、第386話。 親友(とも)の応援。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.《ざけんな、セイナ》「え……?」 晴奈は閉じていた目を開ける。《まだ……、終わっちゃいねえだろうがよ》 そこには、全身真っ黒な狼獣人が立っていた。 その狼獣人には見覚えがある。いや、それどころではない。何年も戦い、そして無二の親友と感じていたあの男だった。「ロウ……!?」《ああ、そうだ。……ウィルって呼んでもいいぜ》 彼の...

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    晴奈の話、第387話。
    黄泉からの帰還。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「んっ……、んーっ!?」
     ウィルに口付けされたまま、晴奈は顔を真っ赤にしてもがく。
     この状態では晴奈はしゃべれないが、どうやらウィルは普通に話せるらしい。
    《はは、はははっ》
    「んー! むー!」
    《いっぺん、やってみたかったんだ。『ウィル』の記憶が戻ったら、お前に、こうしてみたくってたまらなかった。
     ま、シルにゃちょっと悪いけど》
    「んんん! んむむ!」
     長い接吻の後、ようやくウィルが顔を離す。晴奈は口を両手で覆い、わめきだした。
    「にゃ、にゃっ……、にゃりにょすりゅ、きしゃまー!」
    《ぶっ……、はは、はっははははっ!》
     興奮で呂律が回らない晴奈を見て、ウィルは大笑いした。
    《きしゃま、だってよ! くく、ぶっ、ぷぷ……》
    「ハァ、ハァ……。きっ、貴様っ! いっ、いきなりっ、なっ、なな、何をするっ! わた、私の、私のっ」
    《ぶはははは、はー……。ああ、面白かった! 予想以上に、いい反応してくれたもんだぜ》
    「うにゃ、がっ、ふにゃあああ~!」
     興奮が収まらない晴奈はわめき続けるが、自分でも何を言っているか分からないくらい、言葉がまとまらない。
    《……もう飛んでったろ? あの女のコトなんて》
    「えっ?」
     突然真面目な顔になったウィルにそう問われ、晴奈は内省する。
    「……ま、まあ。確かに、そうだ、な。お主の、……その……、あれ、で、何だか、どうでも良くなった、気がする」
    《だろ? ……どーだよ? 今、お前は震えてるか?》
     そう問われ、晴奈は我が身を振り返る。先程までガタガタと震えていた体は、何も無かったように静止している。
    「……いいや」
     晴奈の様子を見たウィルは、ニヤッと笑って腰を上げた。
    《よっしゃ、『焼き入れ』完了だな。
     頑張ってこいって、セイナ。お前なら、やれる。さっさと戻ってあんなクソ女、とっとと退治してこいよ。
     ……そんで、それが片付いたら、……頼む。シルとガキたちに、『父さんはお前らのコト、ずっと見守ってるから』って。
     それから親父に、『オレは最期になって、ようやく悔い改めた。本当に不出来な息子で、すまなかった』って。……そう、言っといてくれよ》
     ウィルはそう言って、踵を返した。
    「おい……? 待て、ウィル」
     晴奈が呼び止めたが、ウィルは背を向けたまま手を振り、そのまま虚空へと消えた。

     もう周りの星は、沈まなかった。



    「……う」
     晴奈の体を掘り出そうとしていたシグマ兄妹は、うめくような声を聞き取った。
    「ん? ……何か言うたか、キリア?」
    「いいえ? 兄さんじゃないの、今の」
    「ちゃうで。……気のせい、っちゅうワケやなさそうやな」
     ヘックスたちは壁から離れ、辺りの様子を探る。
    「誰も……、いないわね」
    「ああ……」
     そこでまた、うめき声が聞こえてくる。
    「……う、ぬ」
     ヘックスとキリアは青ざめ、互いに顔を見合わせる。
    「……聞こえた?」
    「お、おう。……まさか、とは思うけど」
     そこでヘックスが、壁に埋まった晴奈にチラ、と視線を向けた。
    「……!?」
     視線を向けた瞬間、ヘックスは口から心臓が出るかと思うほどに驚いた。
    「すまぬ。ちと、手を貸してくれ」
     先程まで完全に死んでいたはずの晴奈が、右手を差し出していた。
    「嘘でしょ……。完璧に、死んでたはずよ!?」
    「お、お前まさか、ゾンビかなんかになったんちゃうやろな?」
     遠巻きに見つめられた晴奈は、憮然とした口ぶりで手を振る。
    「ふざけたことを。……いいから、手を貸せ」
    「あ、……はい」
     兄妹は恐る恐る、晴奈の手を引っ張った。その手には確かに脈があり、温かい。
    「ホンマに、生きとる……」
    「信じられない……」
     兄妹の手を借り、晴奈は壁から抜け出した。
    「ふう……。ああ、あちこちが痛い」
    「そりゃ、あれだけ打ち込まれたら、……あ、あの、コウ?」
    「うん?」
     キリアが兄の前に立ち、晴奈の姿を隠すようにして話しかけた。
    「その、あなた。……服が」
    「服?」
    「……見えてる」
    「何?」
     そう言われ、晴奈は自分の体を確かめる。
    「……~っ!?」
     道着がボロボロに千切れ、さらしも解け、彼女の(あまり豊かではない)胸が見え隠れしていた。
     晴奈は声にならない叫びを上げ、その場にしゃがみこんでしまった。

    蒼天剣・白色録 2

    2009.09.16.[Edit]
    晴奈の話、第387話。 黄泉からの帰還。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「んっ……、んーっ!?」 ウィルに口付けされたまま、晴奈は顔を真っ赤にしてもがく。 この状態では晴奈はしゃべれないが、どうやらウィルは普通に話せるらしい。《はは、はははっ》「んー! むー!」《いっぺん、やってみたかったんだ。『ウィル』の記憶が戻ったら、お前に、こうしてみたくってたまらなかった。 ま、シルにゃちょっと悪いけ...

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    晴奈の話、第388話。
    イメチェン?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「サイズがちょっと合わないかもしれないけど、我慢してね」
    「ああ。ありがとう、助かった」
     晴奈が目を覚まして、数分後。道着が衣服の用を足さなくなってしまったため、晴奈はキリアの部屋に行き、服を借りることにした。
    「も、もうええか?」
     キリアの部屋の前で待っていたヘックスが、申し訳なさそうな声をかけてきた。
    「いいわよ」
    「そ、そんじゃ、お邪魔するで」
     顔を真っ赤にしたヘックスが、おずおずと入ってきた。晴奈も顔を赤くしつつ、尋ねてみる。
    「……さっきの、見たか?」
    「う、ううううん。み、見てへんよ、全然、うん」
    「見たでしょ……。動揺しすぎよ」
    「……ホンマ、すんません」
     あまりにもおどおどとしたヘックスの態度に、晴奈はため息をついた。
    「……いいさ、過ぎたことだ」
    「それにしても、コウ」
     キリアは洋服姿の晴奈を見て、感心したような声を上げる。
    「似合ってるわね」
    「そ、そうか?」
     率直にほめられ、晴奈は気恥ずかしくなる。ほめた本人も、恥ずかしそうに口元をコリコリとかく。
    「……まあ、こんな話をしている場合じゃなかったわね。
     えっと……、私が持ってる武器、もう剣しかないんだけど、それでいい?」
    「ああ、上等だ」
     晴奈はキリアから剣を受け取り、装備する。
    「大体の使い方は同じだろう?」
    「ええ、まあ。ただ、刀に比べるとどうしても肉厚だから、切れ味は劣るわ。その分、打突に優れてはいるけれど」
    「そうか。それだけ聞けば、十分」
     晴奈は腰に提げた鞘から剣を抜き、軽く素振りしてみる。
    「ふむ……。確かに少し、重心が違う。だが、……問題なし」
    「……敵方のあなたにこんなお願いをするなんて、本当にみっともないけど」
     キリアは深々と、晴奈に頭を下げる。
    「フローラを、倒して。もう私たちは、あいつに付いて行こうなんて思えない」
    「オレからも頼むわ。……今までオレたちは、正義のために頑張ってきたつもりやった。あんなヤツのために、頑張ってきたんちゃうんや」
    「……相分かった。では、行って参る」
     晴奈は兄妹に一礼し、部屋を出た。



     一方、モールたちとバートたちは無事合流し、情報を交換していた。
    「そっか、首領は倒したのか。……アンタが体、奪って」
    「そーゆーコトだね」
    「……すごく、違和感がありますわね」
    「言うねぇ、帽子っ娘」
     モールはクリスの体でクスクス笑いながら、バートたちが持ってきた情報を確認する。
    「んで、あの筋肉と派手頭と小鈴が、別行動か。……良くないかも知れないね」
    「え?」
    「さっきから、嫌な気配が漂ってるんだよね。何と言うか、眠っていた怪物を起こしたような」
     モールは帽子のつばを下げ、重々しい口調で語る。
    「もしかしたらね。私らがこの場所に踏み込み、戦ったせいで、フローラは覚醒したのかも知れないね。
     最初は少し、ヤバげな雰囲気しか出してなかった。正直、小物だとしか思ってなかったんだよね。
     でもさっき、急に気配が濃くなったね。まるで何かを食い物にし、増長したように、そのヤバい空気が強まったんだ。そしてついさっきだけどね、もう一段階、ブワっと気配が膨らんだ。どうやら戦うごとに、急激に強くなっているらしいね。
     まるでホワイトホール――無限にエネルギーを放出する、異空間からの穴のようだね。戦えば戦うほどその穴は広がり、加速度的にヤバさを増していく。
     下手に交戦すれば、手に負えない怪物と化すかも知れないね。早いところ小鈴たちと合流しなきゃ、全滅も有り得るね」
    「マジでか……」
     バートがごくりとのどを鳴らす一方で、フォルナは本気にしていない。
    「また、ご冗談を。わたくしたちには力強い仲間が、大勢いらっしゃいますでしょう?」
    「その、仲間だけどね」
     モールは帽子のつばを上げ、フォルナを見据える。
    「晴奈と別行動を取った後、そのヤバい気配が強まったんだよ?」
    「……どう言うことでしょう?」
    「分かんないかね。もし晴奈が勝ったってんなら、気配は消えてるはずだね。だが現実は逆。気配が強まったってコトは、晴奈は恐らく……」
     モールはそこまで述べたところで、突然言葉を切った。
    「……ヤバいよ、ヤバい」
    「え?」
     モールの視線の先に、微笑を浮かべるフローラが立っていた。

    蒼天剣・白色録 3

    2009.09.17.[Edit]
    晴奈の話、第388話。 イメチェン?- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「サイズがちょっと合わないかもしれないけど、我慢してね」「ああ。ありがとう、助かった」 晴奈が目を覚まして、数分後。道着が衣服の用を足さなくなってしまったため、晴奈はキリアの部屋に行き、服を借りることにした。「も、もうええか?」 キリアの部屋の前で待っていたヘックスが、申し訳なさそうな声をかけてきた。「いいわよ」「そ、そん...

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    晴奈の話、第389話。
    阿修羅姫の舞。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「あら、お母様?」
     フローラはモールを見つめ、首を横に振った。
    「……いいえ、違うようね。服装があの『旅の賢者』のものだし、オーラもまるで別物。
     モール。あなた、お母様の体を奪ったのね」
    「ああ」
     モールがうなずいたその瞬間、彼の体は青白い光弾に弾かれた。
    「ぐえ……っ」
    「そう。じゃあ、殺してもいいわよね?」
    「いきなり、か……っ」
     どうやら、命中する直前に魔術で防御していたらしい。モールはヨロヨロと立ち上がり、フローラをにらみつけた。
    「クリス母様も、ドミニクも、ドクターも、いなくなったのね。……じゃあ、わたしがこの組織の長と言うわけね。
     それなら適切な行動をしなければ、みんなに示しが付かないわよね?」
     フローラがまた刀を振り、青白い光弾を発射する。先程剣で戦っていた時よりも鋭く速い光弾によって、モールの作った魔術の壁が一瞬で崩れ去る。
    「抹殺よ」
    「ダメだ、コイツ……! 思考が滅茶苦茶になってるね」
    「滅茶苦茶? いいえ、わたしは正常よ。極めて、冷静。あなたたちは敵、だから排除する。これのどこに、おかしい点があるのかしら?」
    「笑いながらできるかってね、こんなコトが!」
     モールはもう一度、壁を作る。だがこれも、フローラが放つ「九紋竜」で瓦解する。
    「それも、ちゃんと理由があるわ。あなた、さっきから無駄にあがいて、あがいて……。無駄って分からないのかしら、そんな壁」
    「……やっぱり異常だね。もう話なんか、できそうにない」
    「する必要があるのかしら? 2分後には死体になる人たちと、話なんて」
     もう一度、「九紋竜」が放たれる。光弾は先程よりはるかに速く、モールの壁は間に合わなかった。
    「しまっ……」
     九つの光弾が、モールたちに飛び込んでくる。

    「ぐ、がっ」
     モールはまともに食らい、ピクリとも動かなくなった。
    「ぐあっ……」
     バートの左足に当たり、太ももが抉り取られる。
    「ひ……」
     ジュリアの脇腹をかすり、血しぶきが弾ける。
    「うぎゃ……」
     フェリオが散弾銃で撃ち落とそうとしたが、無意味だった。
    「……!」
     エランは何とかかわしたが、代わりに彼の帽子が粉々になる。
    「い、いや……っ」
     そして光弾の一つが、フォルナの顔面目がけて飛んできた。
    「フォルナさんっ!」
     エランはがむしゃらに走り、フォルナを突き飛ばした。そして代わりに、彼の右肩の半分近くが血の塊になって、通路の端へ飛んでいった。
    「うあ、ああああ……ッ!」
    「え、エラン!」
     一人無事だったフォルナはエランに駆け寄り、肩から噴き出す血を押さえようとする。
    「ぶ、無事でしたか。良かった」
    「良くありませんわ! ああ、血がこんなに……!」
    「い、いいんです。あなたが、無事なら」
    「ですから、っ、良く、ありません、わよ」
     痛みで顔を歪めるエランを見ているうちに、フォルナはボタボタと涙を流し始めた。
    「死んでは、ダメ、エラン……!」
    「ふふ、ふふ……」
     6人の様子を眺めていたフローラは、また笑う。
     その笑いは残酷なほど、妖艶で美しかった。
    「うざったいわ。死んで」
     フローラは倒れた6人にとどめを刺そうと、刀を振り上げた。

     その時だった。
    「……!」
     フローラは急に振り返り、挙げていた刀を振り下ろす。それと同時に、フローラの目の前で炎の筋が四散した。
    「これは……」
    「フローラ・ウエスト! この黄晴奈が相手だッ!」
     フローラの前に、殺したはずの晴奈が立っていた。
    「……あは、ははは。どう言うことかしらね、これは?」
     フローラは刀を脇に構え、晴奈の姿を眺める。
    「亡霊? それとも屍鬼?」
    「紛れもなく、生きた人間だ。
     お前を倒すため、皆を護るため、私は冥府の底から舞い戻ってきたぞ……ッ!」
    「ああ、そう。……クスクス、『護る』ですって? 修羅のあなたが?」
    「私はもう、修羅ではない。修羅の私は、お前に斬られて消え去った」
     晴奈の言葉に、フローラはまた笑い出す。
    「あははは……、何それ? じゃあ今のあなたは何なの?」
    「今の私は修羅にあらず。ただ一念に、『守護』の念を持って戦うのみだッ!」
    「あっそう。……ああ、うざいうざい。反吐が出るわね。殺し損ねたら、こんなうざったいキャラになるなんて」
     フローラの笑顔が消える。その顔には、今まで笑顔の裏でほの見えていた悪感情――万物に対する憎悪が満ち満ちていた。
    「じゃあもう一回、殺してあげるわ! もう一度冥府へ墜ちなさい、セイナ!」
    「やってみるがいい、フローラ!」
     晴奈も剣を構え、フローラに飛び掛った。

    蒼天剣・白色録 4

    2009.09.18.[Edit]
    晴奈の話、第389話。 阿修羅姫の舞。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「あら、お母様?」 フローラはモールを見つめ、首を横に振った。「……いいえ、違うようね。服装があの『旅の賢者』のものだし、オーラもまるで別物。 モール。あなた、お母様の体を奪ったのね」「ああ」 モールがうなずいたその瞬間、彼の体は青白い光弾に弾かれた。「ぐえ……っ」「そう。じゃあ、殺してもいいわよね?」「いきなり、か……っ」 ...

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    晴奈の話、第390話。
    ねじれる再戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ねじれ、とでも言えばいいのか。

     刀を使う晴奈がキリアから借りた剣を握り、逆に剣を使うフローラが楢崎から奪った刀を握っている。
     死んだはずの晴奈がよみがえり、無から作られた存在のフローラと対峙している。
     そして、己の中に巣食う修羅を完成させた「阿修羅」フローラが、修羅の気を払い去った晴奈と戦っているのだ。
     武器、因縁、性根――あらゆるものがねじれ、絡み合い、その場は異様な雰囲気を呈していた。



    「さっさと死になさい……! 『九紋竜』!」
     フローラが刀を振り、青白い光弾を放つ。
    「えやあああッ!」
     晴奈は剣にあらん限りの闘志を注ぎ込み、真っ赤に燃え盛る炎でそれを弾き飛ばす。
    「な……!?」
     その光景に、薄ら笑いを浮かべていたフローラは目を丸くする。
    「……ふうん。さっきより全然、マシな戦い方をするじゃない」
    「甘く見るな! 今度死ぬのは貴様だッ! 『火射』!」
     晴奈の剣が火を噴き、フローラへ向かって放射される。
    「くっ……!」
     フローラは刀を横に薙ぎ、炎の剣閃を真っ二つに割った。
    「一体何があったのかしら? まるで別人ね」
    「貴様も堕ちてみれば分かるさ、色々とな……!」
     晴奈の闘気は、時間が経つにつれ熱気を増していく。既にこの時、手にしていた剣はぼんやりと赤く光り始めていた。
    「でも、やっぱりダメね。見てみなさいよ、その剣。灼け始めてるじゃないの、クスクス」
    「それがどうしたッ!」
    「分からない? そのままヒートアップしていけば、いずれその剣は折れるわ。……もって、10分と言うところかしらね」
     フローラは刀を振り回し、縦横無尽に光弾を撃ち出していく。晴奈は剣でそれを受けるが、確かにフローラの言う通り、受けた時の様子が変化し始めている。
     戦い始めた当初はキン、キンと言う鋭い音と共にわずかに火花を散らしていたが、今はその音が鈍くなり、火花も尾を引いている。急激な温度変化により、剣を構成している金属が粘性を帯び始めている――即ち、剣が晴奈の気合に耐え切れず、融解しかかっているのだ。
    「ほらほら、どうしたの!? またあの世が恋しくなったのかしら!?」
    「なるか、外道め! 真に彼岸がふさわしいのは、貴様の方だッ!」
     それでも晴奈の気合、そして魔力は加速度的に膨らんでいく。剣の赤みがさらに増し、薄暗い通路がぼんやりと照らされるほどに明るく輝き始めた。
    「言っても分からないようね、クス、クスクス……。10分どころじゃないわ。もう2、3分でその剣は限界に達する!
     その時があなたの果てる時よ、セイナ!」
    「いいや、果てるのは……」
     晴奈は一層気合を込め、剣に膨大な熱量を与え続ける。
    「貴様だーッ!」
     この瞬間、剣はほとんど真っ白と言ってもいいほどに輝き、同時に空気が煮え立つ。
    「『炎剣舞』ッ!」

     その瞬間、通路は真っ赤に照らされ、フォルナの視界がさえぎられる。
    「う……っ」
     屋内から白日の下に躍り出た時のように、目の前が真っ暗になる。
    「……」
     光が消えたところで、フォルナは目をしばたたかせて視力を取り戻そうとする。だが、あまりに激しい輝度の変化で、すぐには様子が見えない。
    「……ハァ、ハァ……」
     晴奈の呼吸する声が聞こえてくる。フォルナは一瞬、晴奈が勝ったのかと期待した。
     しかし――。
    「……ほら、言ったじゃない」
     フローラの勝ち誇ったような声が、耳に飛び込んでくる。
    「面白いものが見れたわね。
     何よ、その剣? まるで溶けかけたチョコレートみたい」
     ようやく視力の戻ってきたフォルナの目に映ったのは、どろりと刀身が曲がった剣を握り締めた晴奈の姿だった。

     晴奈の剣は融け、最早原形を留めていない。対してフローラの刀は、見たところ何の変化も無い。
     彼女たちの体力も、武器に反映されているようだった。晴奈はゼエゼエと肩で息をしていたが、フローラはわずかに胸が上下している程度である。
     どう見ても、劣勢に立たされているのは晴奈だった。
    「どうするの、セイナ?」
    「ハァ……ハァ……」
    「剣、使い物にならなくなったわね。そこからどうやって、わたしに勝つと言うのかしら?」
    「ハァ……すぅ……」
     しかし、晴奈の心は折れるどころか、曲がりも軋みもしていない。欠片も臆することなく、フローラをはっきりと見据えつつ、静かに呼吸を整える。
    「今度堕ちるのは、一体誰かしらね? どう見ても、あなただと思うのだけれど」
    「すぅ……すー」
    「あら、まだ何かするつもり?」
     晴奈は融けた剣を構え直し、もう一度火を灯す。
    「もしかして、気が狂ったのかしら? そんなドロドロの剣に火を灯して、何になるの?」
    「おしゃべりは終わりか?」
     晴奈はギロリと、フローラをにらみつけた。
    「……あなたもいい加減、黙ったらどうかしら? あなたと話をしても、もう不愉快なだけ」
     フローラが刀を構える。
    「今度こそ死ぬがいいわ! 『九紋竜』!」
     フローラの放った光弾が、晴奈を狙う。
    「……すー」
     晴奈はもう一度深呼吸し、その光弾へと飛び込んだ。
    「……ぉぉぉおおおおおッ!」
     曲がった剣を振り回し、その光弾を蹴散らしていく。
    「まだ『九紋竜』を弾くだけの気力は残っているようね。でも、それだけじゃわたしは倒せないわよ!」
     フローラはもう一度、「九紋竜」を放つ。そして立て続けにもう一度、二度と、大量の光弾を撒き始めた。
    「この『弾幕』に耐え切れるかしら!?」
     晴奈の前に、無数の光弾が迫ってくる。
     先程赤く染まった通路は、今度は青く染まった。

    蒼天剣・白色録 5

    2009.09.19.[Edit]
    晴奈の話、第390話。 ねじれる再戦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. ねじれ、とでも言えばいいのか。 刀を使う晴奈がキリアから借りた剣を握り、逆に剣を使うフローラが楢崎から奪った刀を握っている。 死んだはずの晴奈がよみがえり、無から作られた存在のフローラと対峙している。 そして、己の中に巣食う修羅を完成させた「阿修羅」フローラが、修羅の気を払い去った晴奈と戦っているのだ。 武器、因縁、性...

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    晴奈の話、第391話。
    「炎剣舞」を超えるもの。

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    6.
     光弾を弾いていた、その刹那。

     晴奈の脳裏に、ウィルと話した時の景色がよみがえってきた。
    (……星……)
     あの河原で見た、無数に落ちる星。その様子が、この光弾の海と重なった。
    (あの星は、一体何だったのだろうか?)
     晴奈の体は勝手に、光弾を弾こうと動き回っている。だが、頭の中はどこか、別のところにあった。
    (虚空を滑り、無限に墜ちていく星々。星は通常、夜空を翔けるものだ。だがあの星たちは、ずっと沈み続けていた。
     では、あれは星ではないのだろうか?)
     晴奈は無意識的に光弾を弾き、かわし、避け続ける。
    (もしかしたら、あれは魂? 冥府に墜ち行く人々の魂なのだろうか?)
     その動きは既に、常人の理解を超えていた。
    「……何で当たらないの?」
     フローラのいぶかしげな声も、没頭している晴奈の耳には入らない。
    (それとも、あれは地上からの光? 空からの光が地に沈むと、あのように緩やかな動きになるのだろうか?)
     フローラは何度も「九紋竜」を撃ち込んでくるが、一発も晴奈に当たらない。
    (考えれば考えるほど、分からない。もしかしたらあれは、完全に死んでからしか、理解し得ぬものなのかも知れぬ)
    「何で、当たらないのよ!?」
     フローラの、苛立たしげに叫ぶ声に、晴奈の意識は呼び戻される。
    (ん……。ああ、そう言えば戦っていたのだった。
     ……えっ!?)
     そう思った瞬間、晴奈は驚いた。
     先程まで、あれだけ怖くて仕方の無かった目の前の敵が、急に小さく、瑣末なものに思えたからだ。
    (こんなもの……、だったのか? 先程苦戦していたのは、一体……?)
     この時、晴奈の脳内を、ひどく奇妙な感覚が駆け巡った。



     晴奈は見下ろしていた。
     必死になって光弾をばら撒くフローラ。
     通路を埋め尽くす光弾。
     そして、それをひらりひらりと避ける自分を。
    (え……。今、ここにいる私は、一体?)
     まるで天空から眺めるかのように、晴奈は自分自身を見下ろしていた。
    (ああ、おい……。そっちじゃない)
     眼下の自分が、光弾の密集したところに突っ込もうとしている。
    (そっちじゃない、右だ)
     天空からの自分の声が聞こえたかのように、下の自分はくるりと体勢を変えて右に避けた。
    (そうだ、それでいい。……おい、また危ないところを)
     下の自分は、見ていて非常に危なっかしかった。何度も声をかけて、光弾を避けさせる。
    (ああ、もう! もどかしいっ!)
     晴奈は下の自分の動きに段々イラつきを覚え、つい、ひょいと手を伸ばしてその体をつかんだ。

     ふたたび現実と、晴奈の意識が一つに合わさる。
    「……こうだろう、こう……!」
     突如晴奈は、フローラに向かって一直線に走り出す。だが「九紋竜」の無数の光弾は当たるどころか、一発もかすりすらしない。
    「なっ……!?」
     飛び込んでくる晴奈を見て、フローラが表情をこわばらせる。
    「そう……、こうだッ!」
     晴奈はさらに加速し、フローラの眼前まで迫った。



     瞬間――晴奈の姿が、消える。

    「……ッ!」
     フローラは狼狽した様子ながらも刀を構え、晴奈の攻撃を受けようとする。
     だが構える前に、晴奈の攻撃がフローラの胴を打っていた。
    「あ……っ?」
     剣が既に曲がっているためか、威力はきわめて低く、致命傷にはならない。だが、フローラは目に見えて慌て出した。
    「み、見えない……っ」
     続いて二太刀目。今度はいきなり背中を打たれる。
    「げほ……っ」
     三太刀目、四太刀目、五太刀目と食らっても、フローラは晴奈の姿を捉えられない。
    「な、何故……!?」
     潰れた剣といえども、立て続けに攻撃されればダメージは積み重なっていく。
    「何で、何で……!?」
     六太刀目がゴリ、と音を立ててフローラの、鋼鉄製の右腕に食い込む。
    「何で、あなたが見えないの……!?」
     七太刀目が左脚を潰す。八太刀目がもう一度右腕に当たり、粉砕する。
    「どうして? どうして……ッ!?」
     そして九太刀目が、フローラの額を割った。



     勝負は決した。
     突如、晴奈が目にも留まらぬ、いや、目にも映らないほどの速さで縦横無尽に斬りかかり、狼狽するフローラを切り刻んだ。
     傍目には、そうとしか見えなかった。

    蒼天剣・白色録 6

    2009.09.20.[Edit]
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    晴奈の話、第392話。
    不可視の剣舞。

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    7.
    「……?」
     晴奈は曲がった剣を握ったまま、倒れたフローラに背を向けて突っ立っていた。
    「せ、セイナ……」
     フローラの弱々しい声で、晴奈はようやく我に返る。
    「えっ……?」
     右腕を断たれ、床に倒れたフローラを見て、晴奈は驚いた。
    「……!」
    「何よ、その顔……。まるで気が付いたら、相手が倒れてたみたいな」
     晴奈は既に無力となったフローラの横にしゃがみ込み、上半身を助け起こしながら、半ばうろたえつつも応えた。
    「い、いや。……いや、そうかも知れぬ。まるで私は、天空から己を操っていたような、そんな感覚で戦っていた」
    「天空から、自分を……。まるで、マリオネットね」
    「まりお、ねっと?」
     フローラはニコ、と笑う。その笑顔には今までのような悪辣な影がなく、すっきりと澄んでいた。
    「糸で動かす、操り人形のことよ。……分かったような気がする。あなたの姿を、追えなかったわけが」
    「何?」
    「わたしは地上からの視点で戦い、あなたは天空からの視点で戦っていた。
     わたしには前しか見えなかったのに、あなたは真上からすべてを見つめていた。そりゃ、見えないはずね」
     そう言われても、晴奈には何がなんだか分からない。
    「その……いや……」
    「ふふっ……。『阿修羅』となり地に墜ちたわたしには、絶対に見ることのできない視点。そして修羅の道から脱したあなただったから、天に昇ることができた。
     ……わたしの、負けよ」
     フローラは弱々しく左腕を上げ、ガラスの腕輪を晴奈の鼻先に掲げる。
    「わたしは……、何でも知っているわ。何でも、調べたわ。
     この、ガラスの腕輪。元々は、ドミニクが央南での暗殺を行った際、とあるガラス職人の家で奪ったものらしいわ。そう、キリムラとか言う職人から」
    「桐村? ……まさか、良太の」
    「多分、そう。……返してあげなさい、セイナ。殺刹峰潰しは、あなたの弟からの頼みでもあったんでしょう? これが、その証明になるわ」
     晴奈は腕輪を受け取り、自分の腕にはめた。
    「……ずっとね」
     フローラの声が、段々と弱々しくなっていく。
    「ずっと、何もかもが憎かったの。
     セッカ母様を奪ったあの本が。その本を自分のものにして、母様を見殺しにしたクリス母様が。わたしを道具としか見ていなかったドミニクとドクターが。五体満足なユキノが。
     そして何より、そんな境遇を変えられなかった自分が。人形の、怪物の、自分が」
    「……」
    「憎かったから、妬ましかったから。ずっとずっと、ユキノについて調べものをしてた。そうやって、幸せに生きているユキノを、陰からずっと妬んでいたわ。実際に、会ったことはないけれどね」
     フローラの目が、光を失っていく。
    「セイナ……。あなたも憎らしかった。ユキノと、姉妹みたいに振舞うあなたが。
     わたしはもう、心の中がねじけて、腐って、おかしくなっていたのよ。こんなにも、何もかもを憎んでいたなんて。……あなたに倒されてようやく、心の中がすっきりと晴れてくれた。
     ありがとう……ごめんなさい……」
    「おい、フローラ?」
    「……来世では……ちゃんと……人間になりたい……」
     フローラはすっと、目を閉じた。
     次の瞬間――。
    「あっ……」
     フローラの体は、バラバラに分解してしまった。
     それはどう見ても、木と綿、金属で造られた人形の残骸であり、人間には見えなかった。



     数分後、何とか息を吹き返したモールが、全員を回復した。
     それとほぼ同時に、呆然とした顔の小鈴とミューズ、シリン、瞬也が合流し、続いてシグマ兄妹が恐る恐る近づいてきた。
    「終わった、……んか?」
    「ああ」
     晴奈は精魂尽き果ててしまっており、壁にもたれた状態で返事をした。
    「フローラは?」
    「……人形に戻った」
    「そう、か」
     この時点で事実上、殺刹峰のトップであるミューズの前に、ジュリアが立つ。
    「ミューズさん」
    「何だ?」
    「投降、していただけますか?」
    「ああ。……もう終わった、何もかもが」
     その言葉に反応するように、通路の両側からぞろぞろと、憔悴した顔の兵士たちが現れる。
    「……お前たちはどうする?」
    「あなたと、同じように。……正直言って、こんな穴倉で暮らすのは、もう嫌ですから」
    「そうだな。……先生が死んでしまってから、こんなことを言うのも卑怯かも知れんが」
     ミューズは晴奈の横に座り込み、彼女と同様に壁にもたれる。
    「殺刹峰は幹部のわがままで動いてきた組織だ。我々下っ端は、どこまでも道具でしかなかった。
     ……もう、あいつらの勝手な幻想で動かなくていいんだ」
     その言葉に、緊張の糸が切れたのだろう。
     兵士は一人、また一人と座り込み、嗚咽が聞こえ始めた。

     こうして、十数年の間「大陸の闇」として活動してきた組織、殺刹峰は壊滅した。

    蒼天剣・白色録 終

    蒼天剣・白色録 7

    2009.09.21.[Edit]
    晴奈の話、第392話。 不可視の剣舞。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7.「……?」 晴奈は曲がった剣を握ったまま、倒れたフローラに背を向けて突っ立っていた。「せ、セイナ……」 フローラの弱々しい声で、晴奈はようやく我に返る。「えっ……?」 右腕を断たれ、床に倒れたフローラを見て、晴奈は驚いた。「……!」「何よ、その顔……。まるで気が付いたら、相手が倒れてたみたいな」 晴奈は既に無力となったフローラの横...

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