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黄輪雑貨本店 新館

蒼天剣 第6部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

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    晴奈の話、293話目。
    いわゆるウノ。

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    1.
     ゴールドコーストを発って、3日が過ぎた。
     晴奈一行はまだ、船の上にいる。



     やることも無いので、公安組は小鈴、シリンと一緒に、船の食堂で漫然とカードゲームに興じている。
    「火の6」エランが一枚切る。
    「それじゃ、雷の6」ジュリアがそれに続く。
    「うーん……、パス」バートが流す。
    「あ、あたし出せる。雷の3」小鈴がつなぐ。
    「パス」フェリオもパスする。
    「雷ならあるわ。雷の9」シリンもすんなり通す。
    「おっ、9だ。良かった、氷の9」エランがほっとした表情でカードを切った。
    「氷ならあるわね。氷の1」ジュリアもカードをすっと切る。カードを4枚持っていたバートが硬直した。
    「……パスだ」
     シリンが嬉しそうな顔で、バートに声をかけた。
    「3回パスしたから負けやな」
    「くっそー……」
     バートがカードをばら撒き、椅子にもたれかかった。
    「コレでバートの6連敗やな。ホンマ、バートは勝負弱いなぁ」
    「……ほっとけ」
     からかうシリンに、バートは帽子で顔を隠しながら悔しそうな素振りを見せた。
    「気分転換に、飲み物でも持ってきましょうか」
     エランの提案に、全員がうなずく。
    「そうだな、ちょうどのどが渇いてるところだった。コーヒー頼む」
    「じゃ、頼むわ。何でもいいし」
    「私も紅茶お願いね、エラン君」
    「ほんじゃエラン、ウチと一緒に行こかー」
     シリンがエランの手を引き、ドリンクバーへと連れて行った。
     エランが財団総帥、ヘレンの息子だと発覚してからも、エランに対する扱いは変わらなかった。ヘレンが「あんまり甘やかさんといてくださいね」と念押ししたからである。
    「ボスは紅茶、バート先輩はコーヒー、フェリオ先輩は何でもいいって言ってたから、オレンジジュースでも持っていこうかな」
    「コスズさんはレモネードやったな。ほんじゃ、ウチもオレンジジュースにしとこかな。エランは何飲むのん?」
    「あ、僕は、えーと、……うーん、何にしようかなぁ? アップルジュースもいいしなぁ、でも紅茶もすっきりするし、うーん、どっちがいいかなぁ」
    「両方混ぜて、アップルティーにしたらええやん」
     シリンの提案に、エランは「あー」と声を上げる。
    「それいいですね、そうします」
     二人は盆を借りて、飲み物を皆のところに運んだ。
    「お、ありがとよエラン、シリン」
     フェリオが礼を言いつつ、飲み物を皆に回す。礼を言われたシリンは嬉しそうに尻尾を振りつつ、フェリオの首に手を回した。
    「んふふー、どーいたしましてー」
    「モテモテだなぁ、フェリオ」
    「あ、いや、いえ……」
     フェリオは顔を真っ赤にして首を振ろうとするが、シリンがそれを邪魔する。
    「そやでー、ウチにモッテモテやねんでー」
    「……あはは、はは」
     フェリオは半分諦めたような顔で、されるがままになっている。フェリオの頭を抱きしめたままのシリンが、思い出したように尋ねた。
    「そー言えば、バートとジュリアって付き合ってるって聞いたんやけど」
     顔を赤くし、口ごもるバートに対し、ジュリアはさらりと答えた。
    「お、おう。まあ、な」
    「ええ、初めて会った時からすれば、もう長い付き合いね」
    「へー。結婚とかはせえへんの?」
    「いや、まあ、そりゃ……」
     照れているバートとはとことん対照的に、ジュリアは平然とした顔をしている。
    「そうね、バートの階級が私に追いついたら、その時はしようかなって思ってるわ。
     後1階級だし、頑張ってね」
    「……おう」
     バートはまた椅子にもたれながら、帽子で顔を隠した。

     晴奈と楢崎、そしてフォルナの3人はゲームに参加せず、ぼんやりと海を見ていた。
    「今、どの辺りなんだろうね」
    「恐らく今日か明日、フラワーボックスに寄港するところですわね」
     楢崎はフォルナの横顔をチラ、と見てつぶやく。
    「そうか。それじゃもう、グラーナ王国の海域に入ってるんだね」
    「ええ、順当に進めば4日後にはルーバスポート、そしてさらに10日進めばウエストポートに着く、とのことですわ」
    「ふむ。……考えてみれば、すぐなんだね」
    「え?」
     楢崎はフォルナの顔を見て、諭すような口調で話す。
    「故郷に帰ろうと思ったら、すぐ帰れる手段があるし、帰れない事情も無い。正直言って、すごくうらやましいと思う。僕の家は遠いし、まだ帰れないんだもの」
    「……ナラサキさん、すみませんが嫌味にしか聞こえませんわ。わたくし、ちゃんと思うところがあって『ここ』におりますのよ」
    「はは……、それは悪かった、うん」
     楢崎は笑っているが、割と気分を害したらしい。それ以上は何も言わず、すっとフォルナの側を離れた。フォルナの方も同様に、楢崎にぷいと背を向けてしまった。
    (おいおい)
     二人の様子を見ていた晴奈は、どちらと話をしようかと逡巡していた。
     と、そこへ――。
    「あーらら、ケンカだねぇ」
    「む?」
     突然、背後から声をかけられた。振り向くと、ボロボロのローブに身を包み、ヨレヨレのとんがり帽子を被った、いかにも魔術師と言う風体の狐獣人が立っている。
    「誰だ、お主?」
    「え、なんで名乗んなきゃいけないね?」
     おどけた様子で振舞うその男に、晴奈は多少カチンと来た。
    「……名乗る道理は無い。が、いきなり割り込まれて面食らったものでな」
    「あーあー、悪い悪い。いやね、ケンカは横でワイワイ言いながら眺めるのがベスト、ってのが私の主義なもんでね」
    「それはまた、浅ましい主義だな」
    「何とでも言いなってね。……で、あの二人はアンタの知り合い?」
    「そうだ。……ん?」
     晴奈はこの男の声に、聞き覚えがあった。
     妙に高い、少年のような声――昔、まだ紅蓮塞にいた頃に聞いた覚えのある声だ。
    (……いや、正確には紅蓮塞の外だ。一度、無断で抜け出して黒荘を訪れた際、こんな声を聞いた。
     そう言えば家元から聞いたことがある。あの方はよく、姿形を変えていると。私が出会った時は長耳姿だったが、家元の時は『狐』だったそうだし、もしかしたら……)
    「……モール殿か?」
    「ほぇ?」
     男は目を丸くして尋ね返す。
    「何で知ってるね?」
    「やはりか……」
     晴奈はモールから一歩離れる。
     そして――。
    「ここで遭ったが百年目――あの時の雪辱、晴らさせてもらうぞッ!」「はぁ!?」
     晴奈はいきなり、モールに斬りかかった。
    蒼天剣・旅賢録 1
    »»  2009.05.29.
    晴奈の話、第294話。
    モールの秘術。

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    2.
    「いきなり、何をするかと思えば」
     モールの杖が晴奈の刀を止めている。いや、正確に言えば杖と刀の間に、紙一枚分ほどの隙間があった。
    「寸止めだ。……いやなに、あの時に何をされたのか、答えを聞きたいと思ってな」
    「あの時って?」
     モールはきょとんとしている。その顔を見た晴奈は、憮然としながら聞き返す。
    「覚えてないのか?」
    「だから、何だってね」
    「6年前、黒荘で遭っただろう?」
    「黒荘? ……んー?」
     モールは杖をこすりながら考え込む。
    「……んー、もしかしてあの時のバカ?」
    「馬鹿とは失敬な。……まあ、今思い返せば確かに愚行だった」
    「今のコレだって愚行だね。いきなり斬りつけるヤツがあるかってね」
    「大変失敬した。が、あの時と同じことをすれば、あの時何をしたのか再現してくれるのではと期待したので」
     モールは「あー……」と声を上げ、晴奈に説明し始めた。
    「まあ、簡単に言えば、私のオリジナル魔術だね。門外不出の秘術でね、『ウロボロスポール』って言うね。例えば……」
     モールは晴奈が持っていた脇差をひょいと抜き、いきなり海に捨てた。
    「なっ、何をするか!?」
    「ま、見てなってね」
     モールは海に向かって杖を向け、呪文を唱えた。
    「『ウロボロスポール:リバース』!」
     すると、海に捨てたはずの脇差がするすると海から戻り、音も無く晴奈の腰元に納まっていった。
    「……!?」
    「コレが、君が吹っ飛ばされた術の正体だね。
     下に落ちたはずのボールが上に登る。砕けたはずのガラス瓶が元通りに固まる。燃えたはずの本が灰から蘇る――あらゆる法則を逆回転させる、秘中の秘。私の『とっておき』だね。
     この術は他にもバリエーションがあってね、今説明した『リバース』に、モーメント(力の発生源)とベクトル(力の向かう方向)の位置を入れ替える『スイング』――あの時はコレを使ってたね――そして術の属性を反転させる『スイッチ』と、色々あるね」
    「ほ、う……」
     説明されたものの、晴奈には何がなんだか分からない。
    「ま、魔術知識と物理知識が無きゃ何言ってるか分かんないと思うし、単純に落ちたモノが戻ってくる術だって思ってもらえばいいね」
     モールはそこで一旦、言葉を切った。
    「……ふーん」
     モールは晴奈の体をじろじろと見回している。
    「な、何だ?」
    「随分変わったもんだね」
    「え?」
     モールは近くの椅子に腰掛け、組んだ足に肘を置いて斜に構える。
    「何て言うかねー……、昔会った時は、まるで砂上の楼閣だった。技術や力ばっかりが先行してて、土台の精神や感情面がグッズグズだったんだよねぇ。何か一発ぶちのめしたら、そのまんま崩れていきそうなヤツって印象だった」
    「……!」
     モールの言葉で、以前夢の中で出会った金狐に言われた言葉が蘇る。
    ――セイナの精神っちゅう土壌は成功ばかりしてしもて栄養多すぎ、グズグズに腐りそうになっとった。その上にある自信なんてもん、すぐダメになって当然や――
     モールが今言った言葉と金狐の言葉は、驚くほど似通っていた。
    (やはり、見識ある者は的確に見ているのだな)
    「でも今は」
     モールが話を続ける。
    「肥沃な大地に悠然と建つ、大豪邸の雰囲気をかもし出してるね。技術や力量と言った建物はますます成長し、精神と言う土壌も豊かになっている。正直、こんな家があったら住みたいもんだね。
     ……んー?」
     モールはそう言って、晴奈の体をじっとにらむ。
    「……き、気味の悪いことを!」
    「あーあー、悪い悪い。いやね、ちょこっと気になるモノが見えたもんでね」
    「気になる、モノ?」
     晴奈は自分の服や刀、尻尾を眺めてみたが、特に変なものは見当たらない。
    「実物じゃない。オーラってヤツだね。何て言うか、んー、昔、私が取った弟子にちょっと似てる」
    「弟子?」
     モールはとんがり帽子のつばを下げ、淡々と昔話を始めた。
    蒼天剣・旅賢録 2
    »»  2009.05.30.
    晴奈の話、第295話。
    神話師弟。

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    3.
     モールは杖をさすりながら、ゆっくりと話をする。その仕草はまるで老人のようだった。
    「よくよく考えてみりゃ、あれはもう500年も前になるんだねぇ。
     央中にカレイドマインって街があったんだけど、そこに『狐』の女の子が住んでたんだよね。その子に、私はあるものを感じた。それは一体、何だと思うね?」
    「何、と言われても……? 見当もつかぬ」
     晴奈もモールの隣に座り、話に相槌を打つ。
    「一言で言えば『英気』、そんな感じのオーラ。おかしいよね、その子はまだこんなちっちゃな子供だったんだから。当時から既に長生きしてた私がちょっと驚くくらい、きらめくオーラを放っていたね。
     その子の名前はエリザ。初めて会った時はまだ、ドコにでもいるような女の子だった。私はその子のオーラを見た時、ちょっとからかってやりたくなったんだよね。当時、ほとんどの人が知らなかった、その存在を想像すらしてなかった魔術を、ちょこっとだけ教えてやったんだ。
     そしたら驚きだよ。その子はあっと言う間に、私の教えた魔術を完璧に理解・習得してしまった。さらには、自分であれこれ研究を重ねて――」
     モールは帽子を上げ、ニヤッと笑った。
    「現在の魔術理論の基礎を半分以上、その子が築き上げちゃったね。現在中央大陸で使われてる魔術は、央北天帝教が広めた『タイムズ型』と、その子が洗練させた『ゴールドマン型』に二分されてる。まあ、素人にゃ一緒に見えるんだけどね」
     晴奈はその女の子が誰を指しているのか、ようやく気付いた。
    「エリザ……、ゴールドマン?」
    「そ、『金火狐』のエリザ。現在知らぬ者は無い、伝説の女傑さ。私と会ったコトがきっかけになって、その子は歴史に名を残す大人物となった。
     君には、ソレと似た何かを感じる。英雄の瑞気が、ほのかに見え隠れしているね。何か最近、君の中の何かが目覚めるきっかけがあったんじゃないかと思うんだけど……」
     モールにそう問われ、晴奈には思い当たる節があった。
    (きっかけ、か。
     教団との戦争、黒炎殿との契約、日上に剣を奪われたこと、あの悪魔じみたアランとの戦い、闘技場での連戦、ロウの死――衝撃的な出来事は、色々とあった。
     私の心が一変したのは確かだろう)
    「やっぱり、何かあったね? 良かったらさ、ちょこっと話してみてよ」
     晴奈はモールの態度を、意外に思った。
    「私のことを? 先程まで随分、気の無い素振りだったのに、どう言う風の吹き回しだ?」
    「いやぁ……、前の君は取るに足らないヤツだったけど、今の君はなかなか興味深いもの。名前もちゃんと、覚えさせてもらったね。
     悪かったね、晴奈」



     晴奈から一通り聞き終えたモールは、また帽子のつばを下げた。
    「そうかー……、アルのヤツと戦って無事だとはねぇ」
    「アル?」
    「アランのコトだね。いいコト教えてあげようか?」
    「む?」
     モールは目を隠したまま、晴奈に伝えた。
    「アランってのはね、正真正銘の悪魔なんだ。克も『悪魔』だなんて言われてるけど、アランも悪魔だね。
     体を鋼で固め、さらにその姿をフードとマントで覆い隠している。私や克なんかと同じように、何百年も生きていて、その上性質が悪いコトに……」
     モールはまた帽子を上げる。その目はイタズラっぽく光っていた。
    「復活するのさ。何度殺しても、ね」
    「なんと」
    「二天戦争の頃から、何度も何度も名前を変えて政治・戦争に干渉している。克と戦ったことも数え切れないほどだ。私は運良く、敵として出会わずに済んでるけどね」
    「ふむ」
    「『鉄の悪魔』アル。今度歴史の本を読むコトがあったら、名前に『Arr』が付く人物を見てみな。ソレっぽいコト、やってるのが分かるからね」
     晴奈はその名前を心に刻み込みつつ、別の質問をぶつけてみた。
    「先程から黒炎殿のことをご存知であるような口ぶりだが、モール殿は会ったことが?」
     それを尋ねた瞬間、モールは非常に嫌そうな顔をした。
    「黒炎殿って、克のコト? そりゃ、あるけどもね。あんまりアレコレ言いたかないねぇ。何て言うかアイツ、私とそりが合わないんだもん。思い出すと腹立つコトもあるしね」
    「……それは失敬した」
     先程は老人のように見えたモールが、今度はすねた子供のように見える。
    (本当に何と言うか、この人はころころと、人の変わる……)
     晴奈は内心、苦笑していた。

     二人で話しているところに、楢崎とフォルナがやって来ていた。
    「話を拝聴させていただきましたけれど、あなたは本当に『旅の賢者』モール・リッチなのですか?」
    「ん、そうだよ」
     モールはフォルナの顔を見上げ、大儀そうに手を挙げた。
    「……何と言うか、不思議なお召し物ですわね」
    「単刀直入にボロいって言っていいよ、別にね」
     モールは口角を上げてニヤニヤしている。と、楢崎が思いつめたような顔で口を開く。
    「モール殿。その、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
    「んー?」
    「モール殿は非常に博識で、魔術に見識の深い方と伺っています。焔流剣術を、ご存知でしょうか?」
    「ああ、知ってるね。あの『燃える刀』を使うとか言う、欠陥剣術」
    「欠陥……ッ!?」
     その言葉に晴奈はカチンと来たが、反対に楢崎は驚いた顔をしていた。
    「あー悪い悪い、言い方が……」「い、いえ!」
     謝りかけたモールを遮りつつ、楢崎は顔をブンブンと振り、しゃがみ込む。
    「ある者からも、焔流には重大な弱点があると言われたのです! どうか、それを教えていただけませんか!?」
    「……ふーん。まあ、それじゃ正直に言うけどさ。怒んないで聞いてよね」
     モールは座り直し、その「弱点」を語り始めた。
    蒼天剣・旅賢録 3
    »»  2009.05.31.
    晴奈の話、第296話。
    焔流の弱点。

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    4.
     モールは晴奈から刀を借り、両方の手のひらに載せるように持ち上げた。
    「刀が何でできているか、当然知ってるよね?」
    「勿論。鉄でできている」
     晴奈の回答に、モールは深くうなずいた。
    「そ。で、どうやって打つかも知ってるよね?」
    「ええ。鉄を熔かし、高温の状態で叩いて強度を上げ、それを冷やして研いでいく」
    「うん、そんな感じだね。……でさ、打つ上でやっちゃいけないコト、何だか分かるね?」
    「え?」
     モールは刀をトントンと叩き、三人の目を順番に見る。
    「金属ってのは、簡単に言えば高温で熱して、そこから適切に冷やしていくと靭性、延性が上がる。言い換えれば、金属の質が上がるんだ。
     逆に、低い温度でぬるーく熱してそのまんま放置なんかしちゃったりすると、酸化したり靱延性が損なわれたりなんかして、脆くなるんだね」
    「……!」
     ここで、フォルナが弱点に気付いた。
    「つまり、焔流の火は……」
    「そ。鍛える時の1千度近い熱さに比べて、焔流の火は恐らく5、600度前後。これは鋼に対して、あまりにも温いね。しかも火を点けて熱した後、大抵そのまんま鞘に収める。刀は温く熱されて、ゆっくり冷えていく。
     ろくに手入れもせず、何度も『燃える刀』を使えば、大抵の刀はボロボロになっていくだろうね」
    「焔流が、……剣術が、刀を駄目にする、と」
    「そう言うコトだね。まあ、なるべく刀に影響を与えない方法は、いくつもあるけどね」
     楢崎と晴奈は真剣な面持ちで、モールの話に耳を傾ける。
    「1つ目は、その剣術を使った後すぐに冷やして、刀に変なストレスを与えないコト。コレが一番無難な方法じゃないかね。
     2つ目、熱を加えられても耐えうる素材を使って刀を作るか。ま、コレは無茶苦茶な話。んな素材、調達・加工しようと思ったらコスト高すぎて、刀を造るにはもったいなさすぎるね。普通そんなもん造る酔狂なヤツはいない、……と思ったんだけどね、ふざけたコトに晴奈の刀はそーゆー素材と製法で作ってあるね――何考えてこんな高コストでマニアックなもの造ろうと思ったんだか――ま、ともかく。この刀なら焔流を使っても問題無さそうだねぇ」
    「それで、3つ目は?」
     楢崎が鼻息荒く尋ねると、モールは口をわずかに曲げて答えた。
    「暑っ苦しいねぇ、君は。もっとクールになれないね?
     ……んで、3つ目だけどもね、いっそ焔流を使わない。言い換えれば、火系統の術を使わないコト。例えば雷や、地系統の術とかを代用してみるとかね」
    「あっ」
     そこでフォルナが、ポンと手を打った。
    「セイナ、昔お話されてた隠密たちが使っていたのって、そう言う類のものではないでしょうか?」
    「うん?」
    「ほら、央南のテンゲンで戦ったと言うお話。敵の剣士が地面を叩き割ったと……。それはまさに、火属性の代わりに別の属性の要素を、その剣術に代入したのではないでしょうか?」
    「……うーむ?」
     魔術知識が無い晴奈には、フォルナの言わんとすることがさっぱり理解できない。が、楢崎は納得してくれたようだ。
    「それは篠原一派の話だね? 実は『焔流が欠陥』と言っていたのは、その頭領だった篠原なんだ。
     なるほど、これで合点が行ったよ。『新生』焔流と名乗っていたのは、そう言う意味があったんだな」
    「なーに内輪で納得してるのか知らないけどね」
     モールがつまらなそうな顔で話に割り込んでくる。
    「ともかく、焔流の弱点を補うにはその方法しかないと思うね。焔流に関して私が言えるコトは、こんなもんだね」
    「ありがとうございます、モール殿」
     楢崎は深々とモールに頭を下げる。モールは顔を背け、うざったそうに手を振った。
    「いーから、いーから。そーゆー堅っ苦しいのは勘弁してほしいね。
     ……そう言や、君らは悪の組織だか何だかを追ってるって晴奈から聞いたけども、何をしに央北まで行くね?」
    「あ、実は……」
     晴奈は金火公安の調査により、その「悪の組織」――殺刹峰の本拠地が央北にある可能性が高く、現地で調査・討伐を行おうとしていることを説明した。
    「……殺刹峰、ねぇ」
     モールはその名前を、非常に嫌そうな顔をしてつぶやいた。
    「知っているのか?」
    「んー……、ご存知って言うか、狙われたコトがあるね。
     ほら、さっきも言ってた『とっておき』、アレを無理矢理私から手に入れようと襲ってきたんだよね。いやぁ……、あの時は流石に死ぬかと思ったね」
    「モール殿でも、か」
    「いわゆる多勢に無勢、ってヤツだね。いくら私が大魔術師だ、賢者だって言っても、相手は大組織だからねぇ。央北の主要都市であっちこっち待ち伏せされて、一回二回死にかけたね」
    「それで、あの、お姿が……?」
     モールは頬をポリポリとかきながら、小さくうなずく。
    「まあ、そんなトコだね。他にも旅してた女の子二人に助けてもらったり、克のヤツと取引したりして、何とか央北から脱出できたんだよね。
     正直、今はあんまり行きたくない場所だねぇ」
    「ならば何故、この船に?」
     晴奈に尋ねられ、モールは袖からもそもそと木板の束を取り出して膝に並べた。
    「占いの結果、だね。探し物は央北で見つかると出たから、渋々足を向けたってワケだね」
    「探し物?」
    「『魔獣の本』ってのを探してるね。友達の呪いを解くのに、どうしても必要だから」
    「友達、とは雪花殿のことか?」
     晴奈の言葉に、モールは帽子のつばを上げた。
    「君……、ドコで、その名前を聞いたね?」
    「私の師匠は柊雪乃。雪花殿の娘なのだ。訳あって、雪花殿のことを知った次第でな」
    「へぇ……、そうだったのか。あの雪ちゃんの、ねぇ。
     なんだよ君、聞けば聞くほどビックリ要素がポロポロ出てくるじゃないね」
     モールはまた、まじまじと晴奈を見つめた。
    蒼天剣・旅賢録 4
    »»  2009.06.01.
    晴奈の話、第297話。
    央北上陸。

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    5.
     その後もいくらか話をしている内に、空と海が赤く染まってきた。
    「もう、こんな時間か。……まったく、奇想天外な話ばかり聞いていて、すっかり時間が経つのを忘れてしまった」
    「はは、楽しんでもらえたみたいで」
     晴奈が雪乃の弟子と知ったモールは、上機嫌になって色々な話をしてくれた。
     弟子である「金火狐」エリザの話や、克大火と争い勝利を収めた話など、数々の英雄や偉人たちを直接その目で見てきたモールの思い出話は、それだけでなかなかの英雄譚だった。
    「良ければまた明日、お話を聞かせていただけませんかしら?」
     フォルナの頼みに、モールはウインクして応えた。
    「いいとも。私の思い出話でいいんなら、いくらでも」
    「ありがとうございます、モールさん」
    「いいって、いいって。それじゃまた明日ね」
     晴奈たちはニコニコと笑いながら、モールに別れを告げた。

     モールはそのまま、椅子に座っていた。ずっと赤く輝く海を見つめていたが、帽子のつばを下げ、目を閉じた。
    (黄晴奈……、なかなか面白い子になったもんだね。
     殺刹峰の討伐、か。正直、あの組織に近付くなんて、あんまりいい気分じゃないけども――新しい英雄譚を間近で鑑賞するのも、悪くないね。そっと、付いて行ってみようかねぇ)

     この船旅で、公安組は散々カードゲームに興じた。その結果バートは792クラムの大敗を喫し、逆に小鈴が824クラムの大勝を記録した。
     晴奈たちはモールから様々な話を拝聴し、有意義な時間を過ごせた。



     ゴールドコーストを出発してから17日後。船は央北、ウエストポートに到着した。
    「やっぱり、央中とは雰囲気が違うな」
     晴奈は港を見回し、小鈴とフォルナにささやいた。
    「そうですわね。央中は『狐』と『狼』ばかりでしたけれど、ここは耳が短い方の割合が大きいですわね」
    「ま、人種もそーだけど、一番の違いは……」
     小鈴はそっと晴奈の袖を引っ張り、港の向こうを指差す。指し示された方向には、大規模な軍港が構えていた。
    「央中じゃあんまりあーゆーの見なかったけど、央北はあっちこっちに軍事基地や軍関係の施設があるのよ。だから自然と、軍事が生活に大きな影響を及ぼしてる。
     あと、こっちは央北天帝教の方が――名前通りだけどね――影響力すっごく強いから、あんまり央中の常識とか慣習持ち出すと、えらい目に遭うわよ」
    「ふむ……」
     確かに、街の空気は央中のように雑多、活発と言う雰囲気では無い。あちこちに軍人や官僚と思しき姿の者がうろついており、ひどく物々しい。
     そんな空気を懸念したジュリアが皆を集め、今後の行動についての注意点を伝える。
    「戦争の最中で警戒が強められてるから、あまり目立った行動はしないようにね。
     この任務は公安の管轄外での行動だし、公安のサポートは期待できない。総帥が仰っていた通り、財団も不要な混乱を避けたいし、中央政府当局に何らかの嫌疑をかけられて捕まっても、最悪の場合、見捨てられることもあるわ。
     いくらエラン君が総帥の息子だと言っても、通用しないでしょうね」
    「うぅ……」
     これを聞き、エランが不安そうな顔になる。
    「それから、ここからは三人一組、3チームに分かれて行動すること」
    「三人、一組に?」
    「何でなん?」
     きょとんとする楢崎やシリンに、フェリオが説明する。
    「9人が固まってゾロゾロうろついてるなんて、あまりにも怪しすぎるっスよ。だからこの先、クロスセントラルまでは3チームに分かれて、目立たないように行こうってことっス。
     で、このチーム編成ですけど……」
     フェリオに続いて、バートが説明する。
    「ナイジェル式諜報班編成――リーダー、補助、戦闘員の三人で構成する。
     チーム1、ジュリアがリーダー、補助にコスズ、戦闘員にナラサキさん。
     チーム2、俺がリーダー、補助にフェリオ、戦闘員にシリン。
     チーム3、フォルナちゃんがリーダー、補助にエラン、戦闘員にセイナだ」
    「何で僕が補助に……」
     不満げなエランに、フェリオがニヤニヤしながらささやく。
    「そりゃー、フォルナちゃんの方がしっかりしてるもん。総帥のお墨付きだし」
    「あぅ……」



     こうして3チームに分かれた9人は央北の首都、クロスセントラルを目指すことになった。
     さらわれた息子の救出、央中圏の安全確保、そしてロウの仇――様々な理由から集まった9人が、「大陸の闇」へと挑む。

    蒼天剣・旅賢録 終
    蒼天剣・旅賢録 5
    »»  2009.06.02.
    晴奈の話、第298話。
    大火と中央政府、金火狐との確執。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     央北の港、ウエストポートで旅の準備を進めながら、フォルナとエラン、そして晴奈は話をしていた。
    「本当に、息が詰まりそうな街ですね……」
    「そうですわね。どこを見ても、軍人さんばかり」
     フォルナの言う通り、大通りは軍服を着た者たちがしきりに行き交っている。
    「しかし、何故この街にも軍人が? 戦争はこの街の反対、東海岸側で起こっているのだろう?」
    「あ、東岸の街――ノースポートにも結構多いらしいですよ、軍や官僚」
     晴奈の疑問に、エランが答える。
    「でも、もう3年くらい戦争してますから、ノースポートの軍備も少なくなってきたみたいで。だからこの街や、南の方にある街からも、軍備をかき集めてるらしいですよ」
    「だから、この街でも軍人を良く見かけるのか」
    「それに昔から、この街は海軍の演習場になっていると聞いていますわ。普段から多いのでしょうね」
    「ふむ……。そう言えば、ゴールドコーストでは軍関係の施設や人間を見た覚えが無いな。あれだけの大都市なのだから、そう言った者に会っても良さそうなのだが」
    「あー、いないんですよ、軍って」
    「いない?」
     エランの回答に、晴奈は少し驚いた。
    「昔からゴールドマン家って、『自分で戦争を起こすよりも、他人の戦争を助けろ』って言う精神なんですよ。自分たちが最前線で戦うより、どこかで起こっている戦いに参加するタイプなんです」
    「いわゆる『外馬』か。……あまりほめられたものでもないな」
     率直な感想を述べた晴奈に、エランが反論する。
    「まあ、周りから見ればそうかも知れませんけど、戦争に加担するのは何もお金を稼ぐことだけが目的じゃありません。
     長い間戦争を続ければ物価は高騰する、物資は尽きる、人間は困窮すると、ろくなことになりません。だから積極的に介入して、早め早めに戦争を終わらせてあげるんです。早めに終われば国も人も、ウチも安定し、みんなが平和になります。それはいいことでしょ?」
    「ふ、む……」
     エランの主張ももっともだと、晴奈は納得しかける。
    「しかし金、金と躍起になるのも、何だか……」
    「そこがゴールドマン家のゴールドマン家たる由縁ですよ」
     反論する晴奈に対し、エランも折れようとしない。
    「ウチは金で悪魔を倒した家柄ですから」
    「悪魔? 黒炎殿……、克大火のことか?」
    「ええ。ニコル3世の時代に、彼は戦争ではなく交渉でカツミを倒したんです」
    「ほう……。しかし克大火が、金で動く男とは思えぬがな」
    「逆ですよ、逆。ニコル3世は『世界中に出回っているクラム通貨を、金火狐の総力を上げて無力化するぞ』と脅して、カツミ率いる中央政府の政治的圧力に、経済的圧力で対抗したんです。
     これは歴史に名を残す『サウストレードの大交渉』と言われて……」「エラン」
     エランが雄弁に語り始めたところでフォルナが帽子を取り上げ、話をやめさせた。
    「あっ、何するんですか」
    「セイナがぽかんとしてらっしゃいますわ。エラン、あなたはもう少し、空気を読まなければなりませんわね」
    「……母さまと同じこと、言わんといてくださいよ」
     エランはフォルナから帽子を奪い、目を隠すようにかぶる。そこで晴奈は我に返り、小さく手を振った。
    「あ、いや。ぽかんとしていたのは確かだが、少々気になることがあったのでな」
    「気になること?」
    「克大火が中央政府を率いた、と言うのが良く分からぬ。あの方は独立独歩、孤高の人であると思っていたのだが」
    「まあ、厳密に言えば、中央政府を実際に率いたのは3年か、4年くらいですよ。さっき言ってた『大交渉』の後、カツミは手を引いたんです」
    「ほう」
    「恐らく、ニコル3世との交渉で辟易したんでしょうね。
     全権を元いた大臣や共に戦ってきた人たちに譲渡して、それからずっとお金――中央政府の税収の何%かだけ取るだけになったとか」
    「ふーむ……」
     晴奈は昔見た大火の姿を思い出しながら、「やはりあの人は孤高の人――政治に手を出すような器ではないのだろうな」と考えていた。
     そうしている間に、またエランが饒舌になってきた。
    「でもこのことが、現在の中央政府の内乱・政治混乱の根源にもなってるんですよね。つくづくカツミは、政治をかき回す『乱世の奸雄』ですよ」
    「エラン、また……」「あ、いや」
     さえぎろうとするフォルナを、晴奈が止めた。
    「よければ詳しく聞きたい。私は政治方面に疎くてな、央北が今どんな状況にあるのか、教えて欲しいのだが」
    「あ、えっと、じゃあ。そこの喫茶店でお茶でも飲みながら……」
     積極的に尋ねてきた晴奈に気を良くしたエランは、嬉々として語り始めた。
    蒼天剣・出立録 1
    »»  2009.06.04.
    晴奈の話、第299話。
    混沌とする大組織。

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    2.
     喫茶店で茶を飲みつつ、エランの政治解説が始まった。
    「まあ、ともかく『中央政府』がどんな組織なのか、って言うところから話しますね。
     もともとは天帝教の神様、タイムズ帝が中央大陸、ひいては世界全体の平定のために築き上げた組織で、かつては本当に、世界全体を支配していたと言われています。まあ、半分神話みたいな話なんですけどね。
     ちなみに『タイムズ』って言う名前は現在の暦、双月暦を制定したことから、『時間(タイム)を作った偉大な者』ってことで、周りからそう呼ばれたらしいです。こう言うのも神話がかってますけど」
     話が一々逸れるので、横に座っていたフォルナが度々エランの右腕を小突く。
    「エラン、本題を話してちょうだい」
    「あ、すみません。ついつい……。
     まあ、天帝一族が300年以上率いてきた『旧』中央政府はやがて政治腐敗にまみれ、暴政が敷かれるようになりました。そこで起こったのが黒白戦争――中央政府の大臣だったファスタ卿を筆頭として反乱軍が結成され、中央政府との長い戦いを続けた末に、反乱軍側が勝利。中央政府の政治体制は一新され、天帝一族の手から離れることになりました。
     しかし中央政府はファスタ卿の手に渡ることはありませんでした。ファスタ卿と手を組んでいたカツミがファスタ卿を暗殺し、彼が持っていた全権を奪ったそうです。これがタイカ・カツミ伝説の始まりであり、『乱世の奸雄』『黒い悪魔』と呼ばれる由縁でもあります」
    「克大火が、そんなことを……?」
     その話と実際に会った大火とのイメージが食い違い、晴奈は思わず首をかしげた。納得いかなさそうなその様子に、エランもきょとんとする。
    「あの、有名な話ですけど……」
    「ああ、うむ。そうだな、私もおぼろげにそう聞いたことはある」
    「ですよねぇ。……それで、話の続きですけど。
     カツミは中央政府を手に入れた後、かなり無茶苦茶な要求をしました。その最たる例が、『中央政府の歳入額の何%かを、自分に納めること』。今でこそ中央政府の歳入は2~3千億クラムとウチの総収入と同じくらいですけども、そこから考えてもざっと50億、60億の金が毎年カツミに入っていきます」
    「そんなにか……」
     大商家の娘と言えど、流石の晴奈もそんな金を目にしたことは無い。未亡人となったシルビアへの香典として渡した、あの途方も無い大金がかすむほどの額である。
    (なるほど、そこは悪魔だな)
    「その要求は央北だけじゃなく、央中、央南など、様々な地域に対しても行われました。
     でもニコル3世がその要求を突っぱねたおかげで、他の地域も揃って反発。その結果、カツミの権利は央北からの税収を掠めるだけに留まりました。それに元々、カツミは政治にそれほど興味が無かったみたいで、その権利が確保された途端、あっさり中央政府の政治権力を譲渡したんです。
     そこから大混乱ですよ。カツミ及び反乱軍が一点に集中させた絶大な権力を奪い合って、央北の名家や権力者が対立。逆に央南や北方など、央北から遠い地域は独自の政治体制を敷き、中央政府から離反していきました。
     カツミの暴挙と放任、『大交渉』の失敗、政治的内乱と央北外の反発――黒白戦争の終結から200年あまりを経た今、『中央』政府とは名ばかり、央北、央中と西方の一部を領地とする『ただの大国』になっています。一応国としてのまとまりはありますが、その方針は各大臣によってバラバラ、軍務大臣や外務大臣が侵略を推す一方で、内務大臣や財務大臣などは貿易を優先させようと和平の道を探る……、と言うような感じです。
     明確な政治方針のない中央政府はこの200年ずっと、混乱したままです」

     エランの言う通り、中央政府に属している軍人や官僚たちは、互いに反目しているようだった。よほど争いが耐えないらしく、街中で彼らがすれ違う度、周囲に緊張が走っているのが傍目から見ても明らかだった。
     そして実際、争っている現場も何度か目撃した。
    「おぉ、これはこれは……」
     部下を引き連れた初老の将校が若い官僚数人に出会うなり、こうなじる。
    「こんな往来で出会うとは、よほどお仕事がお忙しいようで。いやぁ、昼間からご苦労様ですなぁ」
     官僚もややにらみながら、こう返す。
    「……ええ、我々もどこかの粗忽者さんが考え無しに消費した物資を確保するのに、文字通り東奔西走している次第でしてね」
    「ほうほう、それはそれは。まあ、よろしく頼みますわ、ははは」
     こんな感じで、一々両者が突っかかる。実際に手を出すには至らないが、非常に険悪な雰囲気なのである。

     喫茶店を出て、ふたたび往来を歩いていた晴奈はため息をついた。
    「なるほど、荒れた国だな」
    「ええ。そもそもですね、今起こっている戦争だって大義も目的も、何にも無いですよ。
     一応は『北方からの攻撃を受けているために、やむなく応戦』とか、『カツミに叛意を抱いている危険国を先制攻撃』とか、『縮小した領土の再拡大』だとか色々言ってますけど、実情は中央政府内の主導権を握るためだけにやってるみたいです」
    「どう言うことだ?」
    「一つは、カツミに取り入るためですね。実権を手放したとは言え、カツミは相当の金と影響力、実行力を備えてますから、彼を味方に付けられれば政府内での権力は間違いなく強まるでしょうし」
    「ふむ」
    「まあ、それとはまったく逆の理由もあります。カツミを消してしまえばその莫大な金と、『悪魔を倒した』って言う名声が手に入ります。だから、彼を倒せるだけの兵力を集めるために領土拡大とか、軍事国を配下に置こうとか、そう言うことを考えてるみたいですよ」
    「なるほど……。一方で克大火にへつらい、もう一方では反発、か。確かに、混沌とした組織だな」
     晴奈は腕を組み、ため息混じりにつぶやいた。
    蒼天剣・出立録 2
    »»  2009.06.05.
    晴奈の話、第300話。
    アホの子と大人の女。

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    3.
     一方、バート班も買い物に来ていた。
    「うふふー」
    「は、はは……」
    「……」
     バートの背後でフェリオとシリンがいちゃついている。いや、正確にはシリンがフェリオに付きまとっているのだ。
    「なーなー、アレ何なん? あの槍持った女の人の銅像」
    「ん? あ、ああ、あれは昔、この街を護った英雄を……」「フェリオ、お前なぁ」
     たまりかねたバートが口を開いた。
    「任務中だぞ」
    「すんません」「えーやんかー」
     謝るフェリオの前に出て、シリンが反論する。
    「出発は明後日やろ? もうちょいのんびりしてても大丈夫やん」
    「大丈夫かそうでないか、考えるのは俺だ。そして、今準備しなきゃ間に合わないと判断した。遊んでる暇はねーんだよ」
    「……あーそーですかー」
     シリンがうざったそうな顔をし、フェリオの首に手を回す。
    「そんならパパっと準備終わらして、後で一緒に遊び行こなー、なー?」
    「お、おう」
     もう一度バートが振り向く。黒眼鏡で見えはしないが、その目は確実に怒っていた。
    「フェリオ、ちょっとこっち来い。シリンはそこで待ってろ」
    「えーよ」
     バートはフェリオの首をつかみ、路地裏に連れ込む。
    「さーてフェリオ、俺が怒ってるのは分かってるよな? なぁ?」
    「……はい」
    「何で怒ってるか分かるか?」
    「シリンが、オレに付きまとってるから」
    「おいおい、人のせいにするなよフェリオ巡査長」
     首を絞める力がジワジワと強くなっていく。
    「苦しいっス、先輩」
    「それでだ、フェリオ。お前に3つ選択肢をやる。好きなのを選べ」
     バートが煙草をギリギリと噛みながら、フェリオをにらみつける。
    「1つ、今すぐ銃でてめーの頭ブチ抜け。それか2つ、シリンの頭ブチ抜いて来い。
     それが嫌なら3つ、シリンを黙らせろ」
    「……み、3つ目にします」
    「よし。じゃあ行け」
     バートが手を離した途端、フェリオはバタバタと路地裏を飛び出した。
    「……ったく」
     バートにしてみれば今回の任務と、その前の任務――クラウン一味への潜入捜査からずっと、貧乏くじを引き続けているようなものである。
     前回だけでも、いたずらに苦労ばかりさせられ、金もむしられた上、歯や骨まで折られたのである。今回にしても、恋人と二人きりで過ごす時間がまったく無い一方で、シリンが自分の周りで、見せ付けるようにフェリオに絡んでいるのだ。
    (絶対、今の俺は不調、絶不調だ……。ジュリアぁぁ、もう勘弁してくれよぉぉ……)
     これだけ不運が続けば、情緒不安定になるのも仕方が無い。後輩をいじめたくなるのも、当然と言えば当然のことだった。
     が、シリンもシリンで空気を読まないし、状況を理解してくれない。
    「はぁ? 何でバートの言う通りにせなアカンの?」
    「だから、うちの班のリーダーだからだってば」
    「それは公安が決めた話やろ? ウチ、そんなん聞いてへんもん」
    「いやいやいや、船の中とか港とか、宿でも散々説明しただろ? まあ、お前『うんうん分かった分かった』って生返事ばっかりだったかも知れないけどさぁ」
    「あ、宿って言えば、今夜どないする? 今日は一緒のベッドでええ?」「うだーッ!」
     フェリオの必死の説明も、シリンには十分の一も伝わらなかった。

     宿に帰ってからもずっと、バートは不機嫌な顔で煙草をふかしていた。
    「なぁなぁ、バート。煙たいんやけど……」
    「……」
     フェリオに背中から抱きついたまま文句を言ってくるシリンに対し、バートはイラついた目をチラ、と見せて無言で威圧する。
    「話聞いとるー?」
     しかしシリンはにらまれても動じない。と言うよりも、にらんでいることにさえ気付いていない。
    「……」
     バートの口から煙草が落ちる。バートが怒りのあまり、吸口を噛み千切ったのだ。
    「いい加減にしやがれよ、このバカ……」
    「は?」
     怒りに満ちたバートの言葉に、シリンもあからさまに不機嫌になり、フェリオから体を離す。
    (うわわわ、まずい~っ)
     険悪な雰囲気の室内で、板挟みのフェリオは真っ青になった。
     と――。
    「入るわよ」
     別行動を取っていたはずのジュリアの声が、部屋の中に飛び込んできた。
    「え?」
     シリンをにらんでいたバートが、驚いた声を上げる。
    「じゅ、ジュリア? こんな時間に何だよ?」
     ドアを静かに開け、ジュリアが入ってきた。
    「うん、ちょっとあなたと話がしたくなったから。遅くにごめんね」
    「い、いや、俺はいいんだ、けど」
    「ああ」
     ジュリアはシリンたちの方に向き直り、すっと鍵を差し出す。
    「ちょっと悪いんだけど、フェリオ君、シリンさん。別の部屋取ったから、今夜はそこで寝てくれない?」
    「へっ?」「な、何で?」
     バートもシリンもきょとんとしていたが、フェリオはジュリアの助け舟に素早く乗り込んだ。
    「ま、ま、ま……、シリン、リーダー同士の大事な、大事なお話があるんだろ、きっと、うん。オレたちもゆっくりできるし、いいじゃん、な?」
    「……そやな。えへへへー」
     フェリオの説得を聞いたシリンは一瞬ででれっとした顔になって、フェリオの腕を抱きしめた。
    「ほな、ウチらそっち行くわー。何号室?」
    「211号室よ。はい、鍵」
    「あいあい、ありありー」
     シリンは尻尾をパタパタ揺らしながら鍵を受け取り、フェリオを引っ張るように部屋を出て行った。
    「……」
     思いもよらぬ展開に、バートは依然固まったままだ。
    「バート」
    「う、おう?」
     ジュリアに声をかけられ、バートは我に返る。
    「煙草、ちゃんと始末しなさい。床に転がってるわよ」
    「おっ、ああ、うん。……悪い悪い」
     バートは先程噛み千切った煙草を拾おうと屈み込む。
    「危ねー危ねー。……ん?」
     煙草を拾い、立ち上がろうとしたところで、両肩に手を置かれた。
    「ごめんなさいね、バート。このところずっと、嫌な任務ばっかり押し付けちゃって」
    「……いいよ、別に。仕事なんだしさ」
    「今回の任務でもしばらく、二人っきりになれないし」
    「いいってば」
    「でも、今夜だけは確実に、朝まで一緒にいられるわよ。私の班は落ち着いた人ばっかりだから、今夜くらい私がいなくても、ちゃんと準備を進めてくれるし。シリンさんも、フェリオ君に任せれば素直だしね。
     だから、……ね?」
    「……おう」
     バートはジュリアの手を取り、静かに立ち上がった。
    蒼天剣・出立録 3
    »»  2009.06.06.
    晴奈の話、第301話。
    赤毛の幼馴染。

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    4.
    「んふふふ……」
     一方、こちらは小鈴と楢崎。
     ジュリアが別室に移動したため、3人で取っていた部屋は広々としていた。今夜は使われることの無い空のベッドを眺めながら、楢崎も苦笑する。
    「若いなぁ、スピリット君」
    「ま、好きなオトコがイライラしてたらそーするわよ。アイツならひょいひょいってなだめられるでしょうしね」
    「そう言えば橘君、スピリット君とは顔見知りみたいだけど、どんな関係なんだい?」
     楢崎の質問に、小鈴はベッドに腰掛けたまま答える。
    「あー、腐れ縁って感じかな。瞬二さんも、朱海のコトは知ってるわよね?」
    「ああ、赤虎亭のおかみさんだね」
    「あいつとあたし、それからジュリアはちっさい頃から良く遊んでたのよ。歳も近いし、3人とも真っ赤な髪だし。『赤毛連盟』なんつってね」
    「橘君の実家は央南だったよね。昔から市国の方にも、足を運んでたのかい?」
    「そ、そ。家が情報屋やってるから、家族ぐるみで央中には何度も入ってたのよ。勉強とかで、あたしだけ4~5年向こうに住んでたコトもあったしね。
     今でも公安と情報屋って関係で、ちょくちょく話するわ。……あ、だからか」
    「うん?」
    「いや、何で半年前、エランが赤虎亭を訪ねて来たんだろって思ってたんだけど、今考えてみたら、ジュリアがそう指示したんでしょうね」
    「ああ、なるほど」
    「にしても、……いいなぁ」
     小鈴はベッドにごろんと寝転び、ため息をつく。
    「何だかんだ言ってジュリア、オトコいるのよねぇ。あの子ドライな性格してるけど、バートと話してる時はニコニコしてんのよね」
    「ニコニコ? ……うーん?」
     楢崎は普段のジュリアの様子を記憶から探るが、思い浮かぶのは銀縁眼鏡の奥にある、細い目だけである。
    (あの顔が、ニコニコと? ……今度、注意深く見てみよう)
    「あの二人、幸せそうでいいわよねー」
    「ふむ……」
     楢崎は机に頬杖を付き、しんみりとしたため息をつく。
    「幸せな男女、か」
    「どしたの、瞬二さん?」
    「あ、いや。……そう言えば、橘君は、その、お相手の方はいるのかい?」
     楢崎にそう問われ、小鈴は噴き出した。
    「ぷっ……、ふ、んふふふふ」
    「え、どうしたんだい?」
    「いや、んふふ……。
     今はいないわ。前はいたんだけど、あたしがこの『鈴林』任されて、あっちこっち旅するようになってから、どーしても長続きしなくなっちゃってさ。みーんな口を揃えて、『待つのに疲れたんだ』っつって。
     だから今は、一人なの。欲しいなーって思ってるんだけどね」
    「ふむ……」
     楢崎は立ち上がり、小鈴のベッドの横に立てかけてあった「鈴林」を見つめる。
    「以前に黄君から聞いたことがあるんだけど、この杖には意思があるそうだね」
    「そ、そ。……ホラ『鈴林』、挨拶して」
     小鈴がそう声をかけると、「鈴林」はひとりでにちり、と鈴を鳴らした。
    「ほう……」
    「ね? ……ま、そのせいで彼氏もぜーんぜんできないんだけどね。ホントこの子、わがままで」
    「はは、難儀だね。……そうだ『鈴林』君、こう言うのはどうかな?」
     楢崎は「鈴林」の前にしゃがみこみ、提案してみた。
    「5~6年くらい旅を我慢してもらって、その間に橘君に子供を作ってもらい、次からはその子と旅をするって言うのはどうだい?」
    「アハハ、それいーわぁ」
     小鈴は笑いながら、「鈴林」をトントンと突いた。
    「ねー、そんでもいい、アンタ?」
     ところが何度小突いても、杖は一向に鳴らない。
    「……ダメ?」
     今度はそれに答えるように、鈴がひとりでにちり、と鳴った。
    「ケチぃ」
    「残念だったね、はは……」
    「こーなったら、一緒に旅ができるオトコ見つけなきゃいけないわねー」
     小鈴はクスクス笑いながら、「鈴林」を手にとって鈴を拭き始めた。
    「誰かいい男いないかしらねー」
     手入れをしながら、小鈴は視線を楢崎の方に向ける。
    「……うん?」
    「……んーん、何でも。……ホラ『鈴林』、キレイにしたげるわよー」
    蒼天剣・出立録 4
    »»  2009.06.07.
    晴奈の話、第302話。
    中枢への出発。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ジュリアが部屋を移動した、その翌朝。
    「よっ、おはようお前ら。夕べは良く眠れたかっ?」
     昨夜とは打って変わって上機嫌になったバートが、食堂で向かい合って朝食を取っていたフェリオとシリンに話しかけてきた。
    「え、ええ、まあ。それなりに、ぐっすり眠れたっス」
    「う、うんうん」
     二人はバートの首筋に注目していたが、バート自身はその視線にまったく気付いていない。
    「よっしゃ、それじゃ今日も一日頑張っていくか、はははは……」
     バートは朗らかに笑いながら、食事を取りに向かった。
     フェリオたちはバートが離れたところで、顔を近づけてコソコソと話し始めた。
    「……見た?」
    「うん。首のところ……」
    「キスマークだよな」
    「せやな。……言うた方がええかな」
    「やめとけ。多分怒る。スーツ着れば隠せるトコだったし、黙っとこう」
    「あいあい」
     二人はクスクス笑いながら、バートの後姿を見ていた。

     一方、こちらはジュリア班。
    「おはよう」
     楢崎の挨拶に、ジュリアは軽く手を挙げて応える。
    「おはよう、ナラサキさん」
    「ふあ、あー……。んふふ、おはよー」
     今度は小鈴がニヤニヤしながら挨拶してくる。
    「おはよう、コスズ」「夕べはお楽しみ?」
     挨拶を返したところで、間髪入れず小鈴がカマをかけてきた。
    「ふふ、内緒よ」
    「あら残念、んふふ……」



     3班とも旅の準備が整い、いよいよ中央政府の本拠地、クロスセントラルに向けて出発した。目立たないように、そして情報収集と、全滅の可能性を避けるために、3班はそれぞれ別に行動している。
     ジュリア班は港町ウエストポートから海岸沿いに南下し、崖のそばに作られた戦艦製造の街、ソロンクリフから東南に進み、首都に入るルート。
     バート班はまっすぐ東に進み、西と北、二つの港からの物資が集められる街、ヴァーチャスボックスから南に方向転換、首都を目指すルート。
     フォルナ班は最初から南東に進み、ウエストポートと首都の中継地点、エンジェルタウンを抜けてそのまま首都に進むルートを執る。
    「みんな無事に、首都で会いましょう!」
     ジュリアの檄に、皆がうなずく。
    「おう!」
    「必ず!」
     3班は互いの無事を祈りつつ、バラバラに歩き始めた。

     と――。
    「やれやれ、ようやく出発か。なーにをダラダラやってたんだかねぇ」
     フォルナ班の後を、モールがこっそりつけていた。
    「このモール様を2日も待たせるなんて、いい度胸してるじゃないね(晴奈一行はモールが付きまとっていることなど知る由も無いので、こんな文句はまったくの見当違いなのだが)。
     ほれほれほれほれ、早く進めっての」
     100メートルほど距離を開け、他の旅人に紛れながらそっと足を進めている。本人は気付かれていないと思っているのだが――。
    「……あの、セイナ」
    「ああ。つけられてるな」
     しっかり、ばれていた。
     三人は後ろを振り向かないように、ヒソヒソと言葉を交わす。
    「誰なんでしょう、あの魔術師? まさか、もう敵にマークされて……?」
    「いや、私とフォルナの知り合いだ。……非常に気紛れな人だよ」
    「そう、ですか。……じゃ、心配ない、ですかね?」
     心配そうにするエランを見て、フォルナはクスクス笑いながらうなずく。
    「ええ。ちょっと偏屈な方ですけれど、悪い人ではありませんわ」
    「まあ、本人は気付かれて無いと思っているようだから、このまま放っておこう」
     晴奈の提案に、フォルナはもう一度うなずいた。
    「ええ、その方がよろしいですわね。あの人の性格でしたら、気付かれていると分かったらぷい、とどこかに去ってしまうかも知れませんわ」
    「あの人の腕前は黒炎殿に並ぶと言われているからな。助けを期待するわけではないが、近くにいるだけでも心強い」
     晴奈たち三人はしれっと、モールを味方に付けることにした。
    蒼天剣・出立録 5
    »»  2009.06.08.
    晴奈の話、第303話。
    敵首領と主治医の会話。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     某所、殺刹峰アジト。
    「どう……、調子は……?」
     狐獣人の、ひどく顔色の悪い女性がオッドの研究室を訪れた。
    「上々、って言いたいトコなんだけどねーぇ」
     オッドはひどく残念そうな顔をして、女性を部屋に招きいれた。
    「あら……、失敗したの……?」
    「失敗じゃないわよぉ、アタシに落ち度無いわよーぉ。このおっさんが『素材』としてクズなのよぉ」
     オッドは手術台に縛り付けられた熊獣人――クラウンを指差す。
    「ひ……はっ……ひ……」
     クラウンの額には何本も青筋が走り、目は赤黒く染まっている。そして肌全体が、青黒く変色していた。
    「なーにが『キング』よぉ、まったく。ちょっと神経を肥大させて、血流量増やしただけで、もうコレよぉ?」
    「は……ふっ……」
    「もう脳の血管もポンポン弾けちゃったみたいで、ザ★廃人確定。『プリズム』に入れるどころか、普通の兵士にも使えないわよぉ」
    「あら……そうなの……。それは……残念ね……」
    「もう使いどころ無いから、ちゃっちゃとモンスターにしちゃってよぉ」
     オッドの要請を聞いた「狐」は、非常に辛そうな顔をした。
    「ちょっと……無理……。わたし……今日は……体調が悪くて……」
    「そーねぇ、顔色悪いもんねぇ。栄養剤と強壮剤、打っとく?」
    「ええ……お願いするわ……シアン……」
     オッドは非常に嬉しそうな顔をして、薬棚を漁り始めた。
    「了解、リョーカイ。……うふっ、やっぱ医者っぽいコトすると楽しいわぁ。天職ねぇ」
    「あは……はは……」
     「狐」の女性は口の端をやんわりと上げ、笑い顔を作る。
    「どしたのぉ?」
    「いえね……。こんな……人体実験する……あなたが……、医者っぽい……ことって……言うから……あはは……」
    「それ嫌味? 侮辱?」
     オッドが口を尖らせると、女性はゆっくりと手を振って否定した。
    「いいえ……ただ……面白いなって……」
    「ホラ、腕出しなさいよぉ。……相変わらず血管ほっそいわねぇ」
     オッドが静脈を探しながら、女性に尋ねる。
    「アンタ、今いくつだったっけ?」
    「68よ……」
    「魔術ってのはホントに、気味悪いわねぇ」
     ようやく静脈を探し当て、ぷすりと注射を打つ。
    「この腕を見たら90歳、100歳の超おばあちゃん。……なのに」
     オッドが顔を上げた先には勿論、女性の顔がある。
    「顔ときたら、どう見ても30そこそこ。『老顔若体』って言葉あるけど、アンタは逆ねぇ。『若顔老体』って感じ」
    「いいじゃない……そんなの……。あなただって……、バニンガム卿だって……、その魔術の恩恵を……、受けてるんだから……」
    「まあねぇ」
     2本目の注射を打ち終え、オッドは改めて「狐」の顔を覗き込む。
    「どうしたの……?」
    「もう20年以上その顔見てるけど、いまだに分かんないわぁ」
    「何が……?」
    「アンタの考えてるコトが」
     オッドの言葉に、「狐」は不思議そうな顔をした。
    「どうして……?」
    「アンタに何のメリットがあって、こんな組織を作ったのか。アンタの目的はなんなのか。ずーっと考えてるけど、アンタのその、青白ぉい顔を見る度に分かんなくなっちゃうのよねぇ」
    「いつも……言ってるじゃない……」
     口を開きかけた「狐」をさえぎって、オッドはその先を自分から話す。
    「あーあー、『中央政府の粛清』とか、『新政権樹立のための基盤固め』とか、そんなコトは何べんも聞いたわよぉ。でもさーぁ、それは旦那サマのための目的じゃないのぉ?
     アタシはアンタ自身のメリットとか、目的を聞きたいのよぉ」
    「……」
     「狐」はオッドから目線をそらし、ぽつりとつぶやいた。
    「そうね……わたし自身の……目的……。
     2つ……かな……。娘の……、フローラのためと……、わたしの魔術の……、完成を目指すため……、かしら……」
    「魔術の完成?」
    「まだ……、完全じゃない……」
     「狐」は両手を挙げ、その細い腕をオッドに見せた。
    「体は……確かに……、30代のままのはず……なのに……、ひどく……衰えている……。同じ術をかけた……、あなたや……バニンガム卿は……、とっても若々しいのに……、わたしだけが……こんなに衰弱してる……」
    「それは、その……、アンタの病気のせいじゃないの。魔術、関係ないじゃない」
    「だからよ……。わたしの魔術……現時点では……、この病を克服できない……。完成していたら……、きっと……わたしは……」
    「……まあ、うん。とりあえずアタシには、症状を緩和するコトしかできないしねぇ」
     オッドは立ち上がり、また薬棚に向かう。
    「とりあえず栄養剤と強壮剤は打ったし、沈静剤も作っとくわねぇ。……アンタの魔術が完成するのが早いか、それともアタシが特効薬作るのが早いか」
    「それとも……、わたしが死ぬのが先か……」
    「ちょっと、ふざけないでよぉ……」
     オッドは憮然とした顔で、薬品を混ぜ始めた。

    蒼天剣・出立録 終
    蒼天剣・出立録 6
    »»  2009.06.09.
    晴奈の話、第304話。
    修羅の行き着く先、阿修羅。

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    1.
     とある央中東部の田舎町。
     若者二名の騒ぎ立てる声が、夜の街中に響いていた。
    「ぁ? やんのかコラぁ!」
    「ざけんな、やったるわボケぇ!」
     田舎町とは言っても、昔は鉱山都市として栄えたところである。
     当然のように、あの金火狐財団も積極的に採掘を行っていたし、街を活性化するために大型の商店や歓楽街も併せて造成され、往時はそれなりににぎわっていた。
    「くっそ、なめんなやカス!」
    「こっちのセリフや、アホ!」
     が、それはもう10年、20年も昔の話である。
     積極的な採掘活動によって、あっと言う間に鉱脈は尽きた。途端に金火狐は撤退し、続いて他の商人たちも消えていった。
    「ぐあ……!」
    「オラ、どないしたボケぇ!」
     後に残ったのは荒れた鉱山と荒れた街、そして荒れた人々と、その子供たちだけになった。
     まず、親の世代から街に残った金や建物、土地を奪い合い、その荒んだ戦いが子供たちにも伝播。毎日のように自分たちのテリトリーを主張し、醜く争い続けていた。
    「ひーっ、ひーっ……」
    「もうおしまいか、あぁ!?」
     そうしてその夜も、若者二人が愚かしく争っていた。

     が――その夜は少し、事情が違った。
     ある短耳の男が、その街を夜分遅くに訪れていたのだ。
    「オラッ! オラぁッ!」
    「……」
     男の前を、血まみれになった「狼」の少年が転がっていく。
    「ゼェ、ハァ……」
     少年を蹴飛ばしたらしい青年の「虎」が、荒い息を立てながら男の側にやって来た。
    「おい」
     旅の剣士風であるその男は、青年に声をかけた。
    「あ? なんや、文句あんのか?」
     青年はいかにも己が粗野・粗暴であると公言するかのように、剣士をにらみつけて威嚇する。
    「これから何をする気だ、青年?」
    「そんなん、おっさんに関係ないやろが」
     青年は剣士をにらみつけたまま、倒れた少年のところに歩き出す。
    「やっ、やめ……」
    「あぁ? ケンカ売ってきたん、お前やろが」
     青年の手にはレンガが握られている。剣士はもう一度、彼に声をかけた。
    「君。いかんな、それは」
    「……おっさん、さっきから何やねんな。邪魔せんといてくれるか」
     明らかに癇に障ったらしく、青年の声色が変わる。だが男は構う様子もなく、こう続ける。
    「君はその『狼』君にとどめを刺すつもりだろう? そのレンガで」
    「せやったら何やねん?」
     剣士はゆっくりと首を振り、倒れた「狼」の前に立つ。
    「この『狼』君は降参している。それなのにとどめを刺す、つまり殺すと言うことはだな、余計な恨みつらみを買うことになる。
     大方、この『狼』君が――狼獣人とは言え、こんなに貧相な体つきで――君に挑んだのも、怨恨からではないのか?」
    「説教か、おっさん」
     青年の額に青筋が走る。握ったレンガがビキ、と音を立てて割れた。
    「俺は説教されんのが、一番腹立つんや」
    「やれやれ……。聞く耳を持たん、か」
     男はため息をつき、剣を抜いた。

    「なぁなぁ、ウチのダーリンちゃん、ドコにおるか知らへん?」
     黒髪に金や緑、青と言ったド派手なメッシュを入れた虎獣人の少女――とは言え、身長は既に170を裕に超えている――が、近くで酒を呑んでいた仲間に声をかける。
    「んぇ? あー、アームのことか? なぁ、アームってさっき、外でかけたやんな?」
     同じく酒を呑んでいた少年が、真っ赤な顔でコクコクとうなずいた。
    「外? ドコらへんやろ?」
    「さぁなぁ。そんなん知らんわぁ」
    「ほな、ちょっと見てくるわ」
     その少女は仲間内で勝手にアジトにしていた酒蔵を抜け、夜の街に繰り出した。
    (もぉ、ダーリンちゃんっていっつもウチ置いて行くんやもんなぁ)
     少女が勝手に恋人と公言している青年アームは、彼女らが属する仲間たちのリーダーである。彼女と同じ虎獣人で、仲間内では最もケンカが強く、現在街中で起こっている争いの中心にいる男だった。
    (どーせ、どっかでケンカしとるんやろなぁ)
     少し歩いたところで、曲がり角の先から誰かの騒ぐ声がする。
    (お、あっちやろか)
     少女はひょいと、道の先を覗いてみた。

    「ひっ、はっ……」
     青年は恐怖でガチガチと歯を震わせていた。いや、体中がガクガクと震え、失禁までしている。
    「も、もうやめてくれ……っ!」
     体中に刀傷を受け、服を真っ赤に染めた青年は懇願するが、剣士は応じない。
    「君は、何度そう頼まれた?」
    「い……っ?」
    「何度、『もうやめてくれ』『勘弁してくれ』と、今までいたぶり、殺してきた者たちに頼まれた? そして君は、一度でもそれを呑み、矛を収めたことがあるのか?」
     剣士はゆらりと腕を挙げ、剣を上段に構えた。
    「や、やめ……っ」
     青年が泣き叫ぶ間も与えず、剣士は襲い掛かる。
     次の瞬間、青年の両腕と首は胴体から離れ、飛んでいった。
    「ひぃ……ッ!」
     曲がり角の陰でこの惨状を目の当たりにした少女は、思わず叫んでしまった。
    「む」
     青年、アームを斬った剣士はその悲鳴に気付き、振り返る。
    「あ……、あっ……、アーム、アームが……、ばっ、バラ、バラバラにぃ……」
    「ふむ。彼はアームと言う名前だったのか。なるほど、『腕』っ節は確かに強かったようだ」
     剣士は切り落とした左腕をつかみ、ぷらぷらと振って眺めた。
    「だが、相手が悪かったな。……君、大丈夫か?」
     剣士は腕を投げ捨て、倒れた少年に声をかけた。
    「う……」
    「息はあるようだな。だが、手当てをせねばなるまい」
     剣士は少年を抱きかかえようと屈み込む。と、少女が血相を変え、剣士に向かってきた。
    「よっ、よくもウチのダーリンちゃんを……ッ!」
    「ダーリン、ちゃん? ……何だそれは」
    「うるさいうるさいうるさああああいッ!」
     少女はその大柄な体をフルに使い、剣士に向かって跳び、そのまま蹴りを放つ。
     だが、剣士はその重たい蹴りを片腕一本で止めてしまった。
    「え!?」
     剣士は少女の足を払いのけ、剣を抜いた。
    「やれやれ。これも我が道、『阿修羅』の宿命か――人を助けつつ、一方で人を殺さねばならぬとは」
    「……ひっ」
     少女は短い悲鳴を上げた。その剣士から、得体の知れない恐ろしさを感じたからである。
     その底なしの恐怖は、一瞬で彼女を凍らせた。
    蒼天剣・橙色録 1
    »»  2009.06.11.
    晴奈の話、第305話。
    あの男の正体と本名。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「……~ッ!」
     いきなり飛び起きたシリンに、横で寝ていたフェリオは驚いて目を覚ました。
    「ど、どしたシリン?」
    「……あ? えっと、あ、……夢か、今の」
    「夢?」
     シリンはベッドから抜け出し、汗でぐしょぐしょに濡れた寝巻きを脱ぎつつ、フェリオに背を向けてぽつりとつぶやいた。
    「ちょっと昔の夢、見てしもてん。ものっすごい怖いおっさんがおってな。……ほら」
     そう言ってシリンは、シャツを脱いだ裸の背中を見せた。
    「ちょっ、おま、……っ」
     シリンの背には「キ」の字を斜めにしたような、三筋の刀傷が刻まれていた。
    「あんまり怖くて、そのおっさんから逃げようとしたらな、斬られてしもたんよ。……今でも思い出すと、ぞっとすんねん」
     そう言ってシリンは、ぺたりと床に座り込んだ。
    「シリン……」
     フェリオもベッドから離れ、シリンの側に座った。
    「ま、落ち着け。昔の話、だろ? 今はオレが付いてるって」
    「うん。……離れんといてな、ダーリンちゃん」
    「ちょ、『ちゃん』て何だよ。って言うか服、早く着替えろって。目のやり場に困るし」
    「えへー」
     シリンは涙を拭きつつ、フェリオに抱きついた。

     ちなみに――この夜中の騒ぎで、バートも起こされたらしい。
     シリンとフェリオが食堂に向かった頃には既にバートが朝食を食べ終え、コーヒーを前にして煙草をふかしているのが目に入った。
    「おはようございます、先輩」
    「おはよー、バート」
    「……てめーら、まずはそこに座れ」
     バートの目は真っ赤に充血し、目の下には隈ができていた。
    「一緒に寝るのは許可してやった。だが一緒になって夜中騒がしくするのまでは、許可した覚えは無えぞ」
    「あ、……もしかして聞いてました?」
    「同じ部屋だぞ。聞こえねえと思ってんのか」
     バートの血走った目ににらまれ、シリンとフェリオは揃って頭を下げた。
    「あ、えーと、……ごめんなぁ、バート」
    「マジすんませんっしたっス」
    「次やったら承知しねーぞ。お前らそのまんま、廊下に放り出すからな」
     バートは煙草をグリグリと灰皿に押し付け、一息にコーヒーを飲んで席を立った。



    「あぁ? 『阿修羅』?」
     シリンは部屋に戻ったところで、まだ不機嫌そうなバートに、8年前に出会ったあの剣士のことを知らないかどうか尋ねてみた。
    「うん、アシュラ。どー考えてもソイツ、コッテコテの悪人やったし、ダーリンちゃ……、フェリオから、バートは悪いヤツに詳しいって聞いとるから、なんか知ってへんかなー思て」
    「阿修羅……、阿修羅ねぇ」
     バートは煙草をくわえながら目を閉じ、記憶を探る。
    「どんなヤツだった?」
    「えっと、耳は短くて、黒い髪にちょっと白髪の生えた、口ヒゲ生やしたおっさんやった」
    「何歳くらいだ?」
    「んー、40そこそこかなぁ」
    「8年前だから、今は50越えてるくらいか。となると、生まれは470年前後ってとこだな。その辺りで生まれた、短耳の剣士……、うーん」
     バートはスーツの胸ポケットから手帳を取り出し、ぱらぱらとめくる。
    「そう言や夜中、傷がどーのって言ってたよな。背中に三太刀浴びたって?」
    「え、もしかしてウチのハダカ見た?」
     バートの質問に、シリンは真っ赤になる。一方のバートは、殊更苦い顔を返しつつ、こう続ける。
    「違うって。いやな、『阿修羅』って呼ばれてて、一度に三太刀浴びせる剣士って言えば、もしかしたらって言うのがいるんだよ」
    「お?」
     思い当たった様子のバートを見て、シリンの顔に緊張が走った。
    「誰なん?」
    「まあ、そいつかなー、って程度なんだが。
     元は中央政府の将校で、超一流の剣士だったヤツだ。でも何だかんだで軍上層部から目を付けられ、半ば強制的に除隊。その後は裏の世界に飛び込み、暗殺者として活躍したヤツだ。
     そいつは『三つ腕』とか『暴風』とか、色んな呼び名が付けられた。で、最終的に付けられたのが確か『阿修羅』。
     央南禅道で悪性・悪癖の一つとされている『修羅』の性分――何でも、人を傷つけずにいられない性格のことだって聞いた――を極めちまったヤツのことを、阿修羅と呼ぶらしい」
    「人を傷つける性分っスか……。そりゃまた、物騒っスねぇ」
     シリンはいつになく真剣な目をして、バートに尋ねた。
    「そいつ、名前は何て言うん?」
    「えーと、確か……」
     バートはもう一度、手帳に視線を落とす。
    「確か、トーレンスって名前だ。トーレンス・ドミニク元大尉。
     ま、最近じゃ全然うわさは聞かないし、どっかで野垂れ死んでんじゃないか?」



    「ウィッチ、報告だ」
     片腕の男、モノがあの病弱そうな狐獣人の前に平伏し、用件を伝えた。
    「金火公安の者たちが、央北へ秘密裏に侵入したらしい。目的は恐らく、我々殺刹峰の捜索及び拿捕、もしくは討伐だろう」
    「そう……、目障りね……。早く……片付けてちょうだい……」
    「承知した」
     モノはすっと立ち上がり、踵を返して「狐」――ウィッチに背を向けた。
     と、そこでウィッチが引き止める。
    「待ちなさい……。何なら……、『プリズム』を……出動させても……、いいわよ……」
    「ふむ」
     モノはもう一度ウィッチに向き直り、わずかに口角を上げた。
    「聞いたところによると、公安の奴らは闘技場の闘士たちを捜索チームに引き入れたらしい。一般兵だけでは少々心許ないと思っていたところだ。
     それではお言葉に甘えて、使わせてもらうとするか」
    「ええ……、よろしくね……トーレンス……」
     ウィッチは大儀そうに手を挙げ、モノ――トーレンスを見送った。
    蒼天剣・橙色録 2
    »»  2009.06.12.
    晴奈の話、第306話。
    分かってくれない。

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    3.
    「はぐはぐ」
     この街でも、いや、この国でもシリンの食欲は変わらない。食堂の机に、次々に皿のタワーが作られていく。
    「相変わらず良く食うなぁ」
    「うん。ガツガツ……」
     既に食事を済ませたバートとフェリオが、シリンの周りに築かれた皿の山を呆れた顔で眺めていた。
    「水飲むか?」
    「モグモグ、うん」
     フェリオの差し出した水を、シリンはひったくるように受け取って飲み干す。
    「んはー、美味しいわぁ」
    「そっか。……もうそれくらいにしとけって。『腹八分目』って言うだろ」
    「ん? ……んー、うん」
     フェリオに諭され、シリンは自分の腹に手を当てる。
    「せやな、もーこんくらいにしとこかなぁ。あ、もう一杯水もろてええ?」
    「おう。……おーい、店員さーん」
     フェリオが側を通りかかった店員に声をかけ、水を頼む。
     その間に、バートが今後の予定を話し始めた。
    「それで、だ。今日、明日、それから明後日まで、このヴァーチャスボックスで情報収集を行う。
     この街は俺たちがやって来たウエストポート、それと現在北海で起こっている戦いにおける兵站(へいたん)活動の最重要地点となっているノースポート、この央北二大港の物資集積地になっている。
     それだけに情報も多く集まり、ここでの情報収集は今後の活動に大きく寄与するはずだ」
    「……」
     バートの話に、フェリオはうんうんとうなずいている。
     が、シリンはきょとんとした顔で、店員から受け取った水を飲んでいる。それを見て、バートが尋ねる。
    「シリン」
    「あい」
    「今の話、分かったか?」
    「ううん」
    「……フェリオ、説明してやれ」
     バートは頭を抱え、フェリオに投げた。
     フェリオは頭をポリポリかきながら、シリンに優しい口調で、ゆっくりと説明する。
    「えっとな、まあ、この街は二つの大きな街から、色んな物が集まってくるんだ」
    「うん」
    「で、情報も集まってくる。それは分かるよな?」
    「うーん」
    「……えーと、色んな物が集まるだろ。それを運んでくるヤツも、一杯集まるわけだ。それから、集められた物を買いに来るヤツもあっちこっちから大勢来るから、それだけ央北各地の色んな話が集まるわけだ。分かったか?」
    「あいあい」
    「んで、これからオレたちが戦うコトになる殺刹峰の情報も、誰かが持ってるかも知れない。それを今日から3日間探すってワケだ」
     フェリオの説明に対しても、シリンは首をひねる。
    「何でわざわざ、そんなん調べなアカンのん? 敵んトコぱーっと行って、ぱぱっと倒せばええやん?」
    「……」
     無言で二人の様子を眺めていたバートが、フェリオをにらんでくる。フェリオは冷汗を流しながら、もう一度説明した。
    「あのな、シリン。オレたちはまだ、殺刹峰のアジトがドコにあるのかさえ分かってない状態なんだよ。そんな状態じゃ、倒すも何も無理だろ?」
    「あー、そーなんかー」
    「……フェリオ、俺はもう心が折れそうだ」
     ずっと押し黙っていたバートが、机に突っ伏した。

     ともかく三人は情報収集のため、街中に繰り出した。
     辺りの店に立ち寄って品物を物色しつつ、殺刹峰の重要人物であるオッドのことなどを、それとなく尋ねてみる。
    「なあ、この辺で変な『猫』を見なかったか? オカマっぽい、派手な奴なんだが」
    「いやー、見てないなぁ」
    「そっか。じゃあさ、この近くに怪しい場所とかは無いか?」
    「うーん、ぱっとは思いつかないなぁ。お客さん、何でそんなこと聞くの?」
    「いや、ちょっと人探しをな。邪魔したな」
    「まいどー」
     店を出たところで、シリンが尋ねてきた。
    「なぁなぁ、何であんな回りくどい聞き方するん? 『殺刹峰ドコにあるか知りませんかー』でええやん」
    「お前なぁ……」
     バートが心底うんざりした顔で説明する。
    「俺たち公安だってここ数年で、ようやく名前や存在を確認した組織だぞ? そこらの店屋が知ってると思うのか?」
    「あー」
     だが、シリンは納得しない。
    「でも、ウチが前に働いてた赤虎亭みたいに、情報を集めてる店もあるんやない? そーゆートコ探したら……」
    「そう言うところは、『一見(いちげん)』の奴にはそう簡単に情報を売ったりしない。信用できない奴にうっかり情報をばら撒いたら余計な混乱を生むし、店の信用にも関わるからな」
    「そっかー」
    「だからこう言う、地道で回りくどい聞き方をしなきゃいけないんだよ。分かったか、シリン?」
    「あいあい」
     にっこり笑ったシリンを見て、バートはようやくほっとした顔をした。
    「よし、それじゃ……」
     気を取り直して情報収集を再開しようとしたところで、シリンが提案した。
    「そんならやー、『殺刹峰のヤツらが集まってる場所知りませんかー』って聞いたら……」「があああーッ!」「ふあっ!? はひふんへんひゃ、ひゃーほ!?」
     こらえきれなくなったらしく、バートはシリンの頬を両手でひねりつつ、怒りの咆哮を挙げた。
    蒼天剣・橙色録 3
    »»  2009.06.13.
    晴奈の話、第307話。
    最初の衝突。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     結局、1日目の情報収集では何の成果も得ることができなかった。と言ってもシリンが足を引っ張ったわけではなく、本当に何の情報も無かったのだ。
    「ま、仕方ないっちゃ仕方ないんスけどね」
    「だな。さすが秘密結社と噂されるだけはある」
     バートとフェリオはがっかりした顔で、夕食のパスタをのろのろと口に運ぶ。
     一方、シリンはいつも通りの健啖ぶりを見せていた。
    「ちゅるるるるー」
    「……うるせえ」
    「んー?」
    「麺をすするな」
    「ちゅるるー、あ、ゴメンゴメン」
     既にシリンの横には皿が4枚、空になって置かれていた。
    (うーん、総帥が他の班より多めに調査費用出してくれたのはコレだったんだな)
     フェリオはヘレン総帥の慧眼に感心しつつ、シリンの食べっぷりを眺めていた。
    「すいませーん、こちらー、空いてるお皿をー、お下げしますねー」
     と、妙に語尾を延ばすウエイトレスが三人のところにやって来た。
    「あ、すんません」
    「いーえー」
     褐色の肌に、目が覚めるようなきついオレンジ色の髪をしたその猫獣人は、ゆっくりした仕草で皿をつかもうとする。そこでシリンが5皿目を食べ終え、ウエイトレスに注文する。
    「あ、もう一杯ミートソースパスタおかわりー」
    「まだ食うのかよ」
     バートが突っ込むが、シリンはニコニコしながら深くうなずいた。
    「うん。ココのん美味しいもん。それにホラ、常連さんばっかりみたいやで。やっぱ美味しいねんて」
    「へ?」
     シリンの言葉に、フェリオがきょとんとする。そしてこの時、バートはウエイトレスの目がピクリと震えたのを見逃さなかった。
    「……」
    「何で常連って分かるんだ?」
    「だってホラ、さっきからウチらのコト、みーんなチラチラ見とるもん。『珍しい客が来たなー』とか思てるんとちゃう?」
    「そりゃ違うな」
     バートが煙草に火を点け、黒眼鏡をかけ直す。
    「あれは警戒している目つきだ――標的を逃さないように、ってな」
    「……!」
     ウエイトレスがビクッと震え、持っていた皿を一枚割ってしまった。
     その音を聞きつけ、奥にいた店主らしき人物がこちらに向かってくる。
    「何やってんだてめえ! 後で給料から……、あ?」
     店主は急にいぶかしげな顔になり、そのウエイトレスをにらみつけた。
    「誰だ、お前? ウチの店にいたか?」
    「……いーえー」
     にらまれたウエイトレスは悪びれるどころか、にっこりと笑う。
    「ちょっと服をー、お借りしてましたー」
    「は?」
    「この服気に入ったからー、ちょっといただいちゃいますねー」
    「お、おい?」
     店主が聞き返そうとした瞬間、店主の顔に皿が叩きつけられた。
    「ふげっ……」
    「『オレンジ』隊、作戦開始ですー。目標抹殺、始めまーす」
     そのウエイトレスの号令と共に、先ほどからこちらを注視していた食堂内の客たち全員が、揃って立ち上がった。

     即座に反応したのはバートだった。テーブルを勢い良く蹴り上げ、自分の正面にいた男2名にぶつけた。
    「うおっ!?」「ぐっ!」
     続いて銃を抜き、後ろにいた女にも振り向かずに射撃し、全弾命中させる。
    「ぐは……」
     撃ち尽くしたところで素早く弾を再装填しながら、シリンたちに声をかける。
    「何ボーっとしてやがる、お前ら! 敵襲だ、敵襲!」
    「はっ、はい!」「あ、うん」
     二人は慌てながらも構えを取り、戦闘体勢に入る。バートがリーダー格らしいウエイトレスに銃を向けながら尋ねる。
    「俺たちをいきなり襲ってくるってことは、もしかして……」
    「はーいー。殺刹峰の命令でー、こちらまでやって来ましたー。あ、あたしはですねー、ペルシェって言いますー。ペルシェ・『オレンジ』・リモードですー。
     自己紹介も済んだのでー、この辺でさよならですー」
     ウエイトレス――ペルシェはニッコリ笑いながら、バートに右手を向けた。
    「『ホールドピラー』!」
     食堂の床がバリバリと裂け、バートの四肢を囲むように石の柱が伸びていく。
    「せっ、先輩!?」
    「……」
     石の柱は互いに融合し、あっと言う間にバートを飲み込んで一つの太い柱になった。わずかに空いた穴からは、もくもくとバートの吸う煙草の煙が漏れている。
    「あらー、3人一気に倒しちゃった人なのでー、ちょっとはやるかなーと思ってたんですがー?」
    「……ふー」
     柱の穴からぽふっと煙が吹き出る。
    「甘く見ない方がいいぜ、お嬢ちゃん」
     特に動じてもいない声色で、バートが応えた。
    「『サンダーボルト』」
     バートが術を唱えると、柱にパリパリと電気が走る。
    「あらー?」
     途端に柱は崩れ落ち、バートの姿が現れた。
    「『土』の磁気は『雷』の電気で打ち消せる。魔術の基本中の基本だ」
    「おー、なかなかやりますねー」
     ペルシェはまた、ニッコリと笑った。
    蒼天剣・橙色録 4
    »»  2009.06.14.
    晴奈の話、第308話。
    異様な敵。

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    5.
     バートとペルシェが戦っている間に、シリンとフェリオも殺刹峰の仕向けた戦闘員たちを、食堂内で相手にしていた。
    「……あれぇ?」
     シリンは戦っていて、何かしらの違和感を覚えた。
    「なぁ、フェリオ。何か、おかしない?」
    「ああ……」
     フェリオも同様の違和感を感じているようだ。
     そして戦いが始まって5分ほどで、その違和感が何なのか気付いた。
    「あいつら、倒れねぇ……!」
     敵の数はリーダーのペルシェを抜いて8名。さらに、バートの先制攻撃で3名倒したはずなのだが、シリンたちの前には依然8名が揃っている。倒れても倒れても、いつの間にか起き上がってシリンたちに向かってくるのだ。
    「……やんなぁ。さっきから思いっきり、殴り飛ばしてんねんけど」
    「オレだってさっきから、頭と胸ばっか狙ってもう20発近く撃ってる。……ってのに、何で倒れねぇんだ?」
     戦闘員はシリンの打撃を食らっても、フェリオの銃弾を眉間に浴びても、一向に倒れる様子が無い。
    「そんならやー、二人で別々に相手しとくより、一人ひとり狙って攻撃したった方がええかも知れへんな」
    「だな。じゃ、そっちの長髪から叩くぞ!」
    「あいあいっ!」
     二人はシリンが相手していた長髪の男に向かって、飛び蹴りと銃弾を浴びせた。
    「う、ぐ……っ」
     流石にこたえたのか、その長髪は壁に勢い良く叩きつけられ、前のめりに倒れ込む。が――。
    「……く、うう」
     うめき声を上げつつも、ゆらりと立ち上がった。
    「ウソやろ」「マジかよ……」
     長髪は血を吐き、奥歯を吐き捨てながらも、二人の前に仁王立ちになっている。流石のシリンも、敵のあまりの頑丈さに唖然としていた。

     一方、バートとペルシェは狭い店内を飛び出し、往来と裏通りを行き来しつつ交戦していた。
    「『ストーンボール』! えーいっ!」
     気の抜けた声とは裏腹に、ペルシェの放つ魔術は辺りの家屋にバスバスと大穴を開けていく。
    「わあっ!?」「売り物が吹っ飛んだぁ!?」「きゃーっ、花瓶がーっ!」
     二人の通った跡から、次々に人々の悲鳴がこだまする。
    (うっわ……、こりゃ3日滞在なんて悠長なこと言ってられねー。さっさとコイツ倒して早く街出ないと、どんだけの被害請求が来るか……!)
     のんきなことを考えながら、バートは入念に敵を観察する。
    (あの垂れ目猫、魔術の腕は相当なもんだな。オマケに『猫』らしく、フットワークもいい。
     銃で応戦、ってのは論外だな。俺の腕でも当たりそうにねーし、市街地でパンパン撃ってちゃ民間人が巻き添えになっちまう。
     ま、運のいいことに……)
     バートは早口で呪文を唱え、裏路地に入ったところで、同じように路地に入ってきたペルシェに向かって手をかざす。
    「『スパークウィップ』!」
    「きゃあっ!?」
    (俺の得意魔術は『雷』だ。『土』使いのアイツに対して、アドバンテージは大きい)
     バートの放った放射状の電撃はペルシェに直撃し、彼女は地面に倒れ込んだ。
    「うー。今のはー、ちょこーっと効きましたねー」
     だがすぐに立ち上がり、バートと同じように手をかざす。
    「お返ししちゃいますー。『グレイブファング』! 刺されー!」
     ペルシェの足元から、彼女の背丈とほぼ同じ長さの石の槍が飛び出し、バートに向かって飛んできた。
    (チッ……! でけぇな、クソ!)
     いくら雷系統が土の術に勝るとは言え、魔力の出力量はペルシェの方がはるかに大きい。そして高出力で放たれた術は単純に、威力が大きくなる。
     ズン、と言う重い音が街中に響き渡った。

     戦闘が始まってから15分が過ぎたが、まだ敵は倒れてくれない。
    「あーっ、ウザいわぁもう!」
     苛立ち始めたシリンを見て、フェリオがなだめようとする。
    「冷静になれって、シリン! 焦ったらコイツらの思う壺だぞ!」
    「うー、うー……」
     シリンは拳を握りしめ、敵をにらみつける。
    「……やっぱムカつく!」
     フェリオの制止も空しく、シリンは敵の顔面に拳をめりこませた。
    「……」
     顔面を殴られた敵は直立したまま、ビクともしない。シリンの拳をぶつけられたまま、その腕をつかんでギリギリと力を込める。
    「うっ……!」
     見る見るうちにシリンの右手が紫色になっていく。どうやら腕の血管が切れ、内出血を起こしたらしい。
     と――ここで急に、敵の握力が弱まる。
    「……か、は」
     かすれた声を漏らし、敵はバタリと倒れた。
    「……あれ? どない、したん?」
     シリンは潰されかけた腕を揉みながら、倒れた敵を見下ろす。敵の目は一杯に見開かれ、体全身がビクビクと痙攣しているのが分かった。
    「まずいな」「薬がもう……?」「早すぎる」
     一人倒れた途端に、残りの戦闘員たちがざわめきだした。と、また一人倒れる。
    「薬? おい、どう言うコトだ?」
     フェリオが銃を向けて尋ねたが、戦闘員たちは答えない。代わりに内輪でブツブツと、何かを相談している。
    「どうする?」「『オレンジ』様もどこかに行ってしまったし……」「じゃあ、プラン00で」「そうするか」
     相談の声がやんだ途端、全員身を翻し、食堂から一人残らず逃げ出してしまった。
    「……えーっ!?」
     シリンは予想外の事態に驚き、思わず跡を追いかける。
    「ちょちょちょ、ちょっと待ちいや!?」
     だが、シリンが外に飛び出した時にはもう、どこにも戦闘員たちの姿は無かった。
    「……ダメだ。死んでる」
     フェリオは倒れた戦闘員2名を診ようとしたが、すでに息絶えていた。
    「んー、身分を示すものは無し、か。手がかりはつかめそうに無いなぁ。
     ……と、薬って言ってたな。もしかしてコイツら、体の機能を高める薬とか使ってたのか?」
    「ふーん……。ドーピングってヤツ?」
    「だな」
     シリンも死んだ戦闘員たちを眺める。彼らの顔は青黒く染まっており、口からは白っぽい液体がドロドロと流れ出ている。
    「唾液にしちゃ白過ぎる、……って言うか何か黄ばんでるような。……ん?」
     良く見れば、鼻からも同様の液体がダラダラと漏れている。ここでようやく、フェリオはその液体が何なのか分かった。
    「……コレ、血なのか?」
    「うげぇ、きもっ」
     二人して気持ち悪がっていると、今まで倒れていた店主が「う……」とうめき声をあげた。
    「……あ」
     ようやく二人は、店の中が惨々たる有様になっていることに気付いた。
    「逃げっか」「うん」
     店主が目を覚ます前に、シリンたちは店から逃げ出した。
    蒼天剣・橙色録 5
    »»  2009.06.15.
    晴奈の話、第309話。
    ひょんなことから。

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    6.
    「はー……、はー……」
     間一髪で石の槍を避けたバートは、そのまま近くの家屋に転がり込んだ。
    「何だいアンタ?」
     椅子に腰掛けていた老人が目を薄く開け、バートを見つめているが、バートがそれに応える余裕は無い。
    「ちょっと悪いが、この家から、逃げた方が、いい」
     息を整えつつ、老人に声をかける。
    「何言ってんだ、アンタ?」
    「ちょっと、見境無い女が、俺を追っかけて、くるからさ」
    「女? 痴話喧嘩か何かか?」
    「違うって。……ああ、来やがった」
     家の外から、ペルシェの足音と間延びした声が聞こえてくる。
    「『狐』さーん、どこですかー?」
     老人はじっとバートを見て、ため息をついた。
    「……ま、ここでじっとしてな。下手に動いたらアンタも危ないが、わしも危なそうだ」
    「助かるぜ、じいさん」
     バートは老人の厚意に甘え、ペルシェに見つからぬように窓の下でじっとしていた。
    「どーこでーすかー」
     外ではまだ、ペルシェがバートの姿を探している。
    「きーつーねーさぁーん?」
    「うっせえな……」
    「アンタ、一体あの子に何したんだ?」
     いぶかしげに見つめる老人に、バートは弁解する。
    「違うって。相手から襲い掛かってきたんだよ。俺、ただ飯食ってただけだし」
    「ほう……。大変だな、色男」
    「はは、勘弁してくれ」

     5分ほど老人の家でじっとしていると、ようやくペルシェの声が遠ざかっていった。バートは深いため息をつき、老人の向かいに座る。
    「はぁ……」
    「何か知らんが、災難だったな」
     老人はクスクス笑いながら、茶をバートに差し出した。
    「あ、悪いな」
    「んで、アンタは何者だ?」
     老人の質問に、バートはぎょっとした。
    「転がり込んで来た時の身のこなしといい、気配の隠し方といい、只者じゃなさそうだけどな」
    「……じいさん、アンタこそ何者だ?」
    「わしは退役した老兵だよ。この街でゆーっくり暮らしてる一市民さ」
    「そっか。俺は――内緒にしてくれよ――バート・キャロルって言う、金火狐財団の職員だ」
     バートの自己紹介を聞き、老人の目が光る。
    「ほう、ゴールドマンの関係者か。いきなり追われるってことは、公安か?」
    「詳しいな、じいさん」
    「ま、軍では情報収集を担当してたからな」
     それを聞いて、バートは目を見開いた。
    「本当か?」
    「嘘言ってどうする」
    (軍の諜報担当か……。シリンじゃないけど、直接聞いても何か知ってるかもな)
     バートは恐る恐る、老人に尋ねてみた。
    「じゃあさ、ちょっと聞きたいことあるんだけど、いいか?」
    「何だ?」
    「殺刹峰って知らないか?」
     今度は老人がぎょっとする。
    「殺刹峰だと? アンタら、あれ調べてるのか」
    「知ってるのか?」
    「ああ。いや、わしもそれほど詳しくは無いが」
    「知ってる限りでいいんだ。教えてくれないか?」
    「……むう」
     老人は席を立ち、ソファのクッションをひっくり返した。
    「知りたがる奴なんぞいないと思っていたし、結構な機密だから、下手にばらせばわしの命が危ない。
     ……とは言え老い先短い命だ。教えて何か遭っても、寿命だと思うことにしよう」
     ソファのクッションからは何冊かのノートが出てきた。
     バートは椅子から立ち上がり、帽子を取って頭を下げた。
    「助かるぜ、じいさん」

     老人から話を聞き終え、また、老人のノートを受け取ったバートは、ペルシェの姿が無いことを確認しつつ、そっと家を出た。
    「ま、そのノートは持ってっていいからな。もうわしには必要ない」
    「ありがとよ。それじゃな」
    「おう。気を付けてな」
     バートは元来た道を引き返しつつ、その惨状を目の当たりにした。
    (ひっでーなー……)
     住民に被害は出ていないようだったが、ペルシェの通った跡は穴だらけ、石の槍だらけになっていた。
    「あ、アンタ!」
     バートの姿を見て、住民たちが声をかける。
    「うっ」
    「大丈夫だったか!?」
    「……へ?」
     ペルシェの関係者と思われて糾弾されるかと思いきや、どうやら一方的に追い回されていたと思ってくれたらしい(実際そうなのだが)。
    「いやー、災難だったなぁ」
    「一体何だったんだろうな、あの柿色女」
    「向こうの食堂は半壊したって言うし……」
     食堂、と聞いてバートはようやくシリンたちのことを思い出した。
     と、後ろからトントンと肩を叩かれる。振り返ると、心配そうに見つめるフェリオと、近くの屋台から買ったであろうリンゴをかじっているシリンの二人が立っていた。
    「……あ、お前ら。無事みたいだな」
    「先輩こそ、大丈夫だったんスか?」
    「おう。何とか撒いた」
     シリンは口をもぐもぐさせながら、バートにオレンジを渡す。
    「しゃくしゃく、ほい、オレンジ食べるー?」
    「シリン、お前なぁ……」
     バートは少し唖然としながらも、オレンジを受け取った。
    「この騒がしい時に、良く食えるな」
    「んぐ、いやホラ、『腹が減っては大変やー』って言うやん」
    「言わねーよ、……ハハ」
     あまりにのんきなシリンの態度に、バートも笑い出した。
    蒼天剣・橙色録 6
    »»  2009.06.16.
    晴奈の話、第310話。
    「オレンジ」帰還報告。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     殺刹峰、アジト。
    「あー、えっとですねー、そのー……」
     モノは無表情で、ペルシェの報告を聞いている。
    「敵リーダーと思われる、『狐』さんにですねー、そのー」「ペルシェ君」
     モノは表情を崩さず、淡々と尋ねてきた。
    「まず、敵は倒したのか?」
    「……いーえー」
    「一人も?」
    「……はーいー」
    「全員に逃げられたのか?」
    「……はーいー」
    「なるほど。それで、こちらの方には被害が出たそうだが……」
     そこでペルシェが顔を伏せ、非常に申し訳無さそうな態度を見せた。
    「それがですねー、兵士さんの方なんですけどもー、2名死亡しちゃったらしいんですよー、薬が切れたらしくってー」
    「ほう」
    「それでー、あたしが追っかけてたリーダーさんなんですけどー、雷の術使いでー、あたしの術が効きにくかったんですよー。それで追い回してたらー、そのー、逃げられちゃったとー、そう言うわけなんですー」
    「なるほど。ここで待っていたまえ。ドクターを呼んで、詳しい話を聞くことにしよう」
    「……本当にー、そのー、すみませーん」
     ペルシェは顔を伏せたまま、肩を震わせる。モノはため息をつき、ペルシェの肩に手を置いた。
    「まあ、想定外の事態が起こり、それでも無事帰って来た。こちらには大きな被害も無い。大局的に何の問題も無い。
     問題点を洗い出し、次に活かせ」
    「……はーいー」

     15分後、ペルシェはモノに連れられて来たオッドに改めて報告した。
    「ふーん」
     オッドは興味深そうな顔で、メモを取っている。
    「まぁ、大体の原因は分かったわぁ」
    「ほう」
    「恐らくだけどねぇ、想定してた以上にダメージを受けたんでしょうねぇ、きっと」
    「と言うと?」
    「あの薬は筋力とか反応速度とか、そーゆーのパワーアップさせるしぃ、痛みとか疲労とか、そーゆーのも感じなくさせてるんだけどぉ、それでも殴られれば後々痛くなってくるしぃ、長時間動けば負担もかかる。体自体にはダメージ、蓄積されるのよぉ」
    「ふむ。つまり感覚としてはまったく痛み、疲労は無いが、体の物理的、生理的限界はあるわけだな。となると撤退の機をつかみづらい――あまりいい薬では無いな」
     モノの指摘に、オッドは唇を尖らせる。
    「あらぁ、失礼ねぇ。ま、今回みたいに軽装で行かせるのは得策じゃないってコトねぇ。重さも感じないんだから、次はもっと重装備で行かせた方がいいわねぇ」
    「なるほど。……となると、エンジェルタウンとソロンクリフに向かわせた『マゼンタ』と『バイオレット』が心配だな。彼らも『オレンジ』隊と同様、軽装だからな」
    「そうねぇ。ま、今回は偵察と割り切って、帰ってくるのを待った方がいいかもねぇ」
    「そうだな。最悪殲滅できずとも、よもや敗走することはあるまい。それに……」
    「それに?」
     オッドは何かを言いかけたモノに尋ねたが、モノは首を振った。
    「……いや、何でもない。まあ、ペルシェ君からは以上だな」
     モノはそう締めくくって、ペルシェからの帰還報告を聞き終えた。



    「……? において、……? よって、……」
    「何読んでんだ?」
     請求や賠償を受けずに済んだため、バートたち三人は無事、宿に戻っていた。
    「バートが持って来たノートやねんけど、全然読めへんねん。ウチ、央北語よー分からへん」
    「オレもそんなに詳しくないけど、そんなに違いは無いはずだぜ。っつーか、お前普通に屋台で注文してメシ食ってたじゃねーか」
     フェリオが突っ込むと、シリンは顔を赤くしてぼそっと答えた。
    「……実を言うと、文字自体読めへんねん、あんまり。ご飯系は読めんねんけどな」
     フェリオは小さくため息をつき、シリンの横に座る。
    「そっか。ちょっと貸してみな」
    「あい」
    「『499・12・19
     RS作戦 最終報告
     報告者 T・D(大尉) 記録 C・R(中尉)』。
     何だこりゃ?」
    「おい」
     ノートを読んでいたフェリオの後ろに、バートが立っていた。
    「返せ」「あっ」
     バートはフェリオからノートを引ったくり、自分のかばんにしまい込んだ。
    「何するんスか」
    「これは最重要機密だ。今は、まだ読むな。クロスセントラルで全員が集合した時、見せるつもりだ」
    「……了解っス」
     鋭い眼光を混じえて話すバートに、フェリオはうなずくしかなかった。

    蒼天剣・橙色録 終
    蒼天剣・橙色録 7
    »»  2009.06.17.
    晴奈の話、第311話。
    フォルナ班にも敵の影。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「……は!?」
     晴奈は目を丸くした。
     いや、彼女だけでは無い。フォルナも、エランも、そして敵――殺刹峰の戦闘員8名も、そして彼らの動向を隠れて見ていたモールさえも含め、全員呆然としている。
     両者の中間に立つ「マゼンタ」こと、レンマと名乗る短耳の青年を除いて。



     時間は1時間ほど前に戻る。
     エンジェルタウンに到着したフォルナ班は、他の班と同様に情報収集を始めていた。この街は首都と港町の中間にあり、一般的な旅人たちの休憩地点として栄えている。
     そのため、各地の地域情勢や央北各地の情報が良く集まる場所でもあり、情報収集にはうってつけの街である。
     とは言えバートたちの状況と同じく、秘密組織の情報などそうそう集まるものではない。
    「はー……」「あーあ……」
     3時間ほど市街地をうろつき聞き込みを行っていたが何の成果も挙げられず、晴奈たち三人は揃ってため息をついていた。
    「まあ、予想はしていたのですけど」
    「そうだな」
    「ちょっと休みませんか? ずっとしゃべりっぱなしで、のどが渇いちゃいましたよ」
     エランの提案に、二人は素直にうなずいた。
    「そうですわね。それじゃ……」
     フォルナが喫茶店や食堂を探し、辺りを見回したところで、不審な人物に気が付いた。
    「……セイナ、エラン」
    「うん?」
    「どうしました?」
    「あの、あちらの方」
     フォルナが視線だけで、その怪しい者を指し示す。
    「……む?」
    「あれ、あの人……」
    「ええ。先程から何度かお見かけしているような気がしたのですけれど、気のせいでは無さそうですわね」
    「ああ。私も見覚えがある」
    「ええ、僕もです」
    「どうも監視されているようだな」
     三人は見張っている人物に気付かれないよう、そっと顔を寄せ合い小声で話す。
    「どうします?」
    「何の目的かは知らぬが、気持ちのいいものでも無い」
    「じゃ、撒きましょうか」
    「それが得策ですわね」
     三人は同時にうなずき、一斉に駆け出す。と同時に、見張っていた者も走り出した。
    「やはり追いかけてくるか」
    「そのようですわね」
    「どこに逃げましょう?」
     エランは不安そうな顔でフォルナに尋ねる。
    「人通りの多い場所を抜けましょう。人ごみに紛れれば、追跡もしにくいでしょう」
    「あ、そうですね」
    「……」
     うなずいたエランを見て、晴奈は少し呆れた。
    (まったく、どちらが公安職員だか)

     フォルナの提案に従い、三人は大通りへ二度、三度と入り、監視を逃れようとした。が、時間が経つにつれ、三人の顔に不安の色が浮かぶ。
    「む……」
    「あの方、さっきも前にいらっしゃいましたわね」
    「ふ、増えてますよね、追いかけてくる人」
     最初は後ろから1名追いかけてくるだけだったのだが、やがて前からも同様に不審な男が1名、2名と現れた。それに合わせるように、追いかけてくる者も2名、3名と増えていく。
     敵らしき者たちに囲まれつつあることを悟った三人は、もう一度相談する。
    「ど、どうしましょう?」
    「どうもこうも無い。どうにも撒けぬようであるし、こちらから包囲を押し破るしかあるまい」
    「えっ、えぇ!?」
     晴奈の提案に、エランが情けない悲鳴を上げる。それを聞いて、今度はフォルナが呆れた。
    「エラン、あなたは公安職員でしょう? 民間人のセイナに気後れしてどうするのですか」
    「そ、そんなこと言っても」
    「覚悟を決めろ、エラン。……行くぞ!」
     まだおどおどしているエランを引っ張るように、晴奈とフォルナは前にいる敵に向かって駆け出した。
    「……!」
     晴奈たちに迫られた敵は、一瞬ビクッと震えて動きを止める。その隙を突き、フォルナが先制攻撃した。
    「『ホールドピラー』、脚をッ!」
     敵の足元から石柱が伸び、その脚を絡め取る。
    「お、わ」
     敵は前のめりに倒れそうになり、大きく姿勢を崩す。そこで晴奈が、敵の頭に峰打ちを当てた。
    「たあッ!」「ご、ッ……」
     敵はくぐもった声を上げ、脚を石柱に取られたまま、逆V字の姿勢で倒れ込んだ。
    「よし!」
     晴奈とフォルナは倒れた敵の横を抜け、彼らの包囲から脱出した。その後をバタバタと走りながら、エランが追いかける。
    「……僕、何のためにおるんやろ」
     エランのつぶやきには、誰も答えてくれなかった。



     包囲をかいくぐったかに見えたが、倒したはずの敵はすぐに復活し、他の仲間と一緒に追いかけてきた。
     さらにもう一重包囲がかけられていたらしく、晴奈たちの前に武器を持った敵4名と、赤毛の青年が現れた。
    「く……!」
     前後から敵に挟まれ、うなる晴奈に、その青年が穏やかに声をかけた。
    「止まってください、……コウさん」
    「何?」
     名前を呼ばれ、晴奈は面食らう。
    「何故私の名を?」
    「ファンだから」
    「ふぁ、ファン?」
     思いもよらない敵の台詞に、晴奈は硬直した。
    蒼天剣・赤色録 1
    »»  2009.06.20.
    晴奈の話、第312話。
    空飛ぶストーカー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「始めまして、コウさん。僕の名前はレンマ・『マゼンタ』・アメミヤと言います。あ、こんな名前ですけど、央南人じゃないです」
    「は、あ」
     晴奈は敵と思しき青年からの意外な言葉に、どうしていいか分からず呆然としている。
    「義父が央南の血を引いてまして、僕の名前は央南っぽく付けていただいたんです。ちなみに央南語で書くと、『雨宮蓮馬』ってなります」
    「そう、か」
    「央南の哲学とか、思想とか、すごく好きでして。心は央南人のつもりです」
    「はあ、うん」
     レンマの話に、晴奈は相槌を打つしかない。
    「でですね、『央南の猫侍』こと、コウさんがこちらに来られていると、上官から聞きまして。それでこちらにお伺いさせていただいたんです」
    「そうか、……上官?」
     この辺りでようやく、晴奈の頭が回転し始めた。
    「はい。上官からはですね、『公安職員とその関係者を抹殺せよ』って命令されたんですけど、相手がコウさんじゃ、何て言うか、戦いたくないなーって」
    「……えーと、つまり、お主らは、その」
    「はい。殺刹峰から参りました」
     あまりにもあっけらかんと答えるレンマに、晴奈の頭はまた混乱する。
    「何と言うか……、うーむ」
    「あ、でもさっき言った通りですね、僕はコウさんを傷つけたくないんです。だからお願いなんですが」
     レンマはぺこりと頭を下げ、晴奈にとんでもないことを言った。
    「投降して、僕のお嫁さんになってください」
    「……は!?」
     晴奈は目を丸くする。
    「な、何をっ……?」「え、……え?」
     フォルナもエランも唖然としている。
    「ま、マゼンタ様?」
     レンマの部下らしき者たちもどよめいている。おまけに――。
    「あ、……アホだっ。真性のアホだね」
     物陰に隠れて晴奈たちを見守っていたモールも、ぽかんとしていた。

     周囲をこれでもかと凍りつかせたことをまるで気にせず、レンマはまくしたてる。
    「一目見た時から、いえ、あなたの伝説を聞いた時から、ずっとずっと好きでした! もう他の女の子なんか目に入りません! あなただけなんです! お願いします!」
    「……こ……の……」
     異常な状況に巻き込まれ、停止していた晴奈の頭が再度、回転する。顔を真っ赤にし、尻尾の毛を逆立たせながら、すっと右手を挙げた。
    「あ、握手ですか? いいってことですか?」「この、大馬鹿者がーッ!」
     晴奈は一足飛びにレンマとの間合いを詰め、彼の頬に平手打ちを食らわせた。
    「ひゃう!?」
    「ふっ、ふざけるのもっ、大概にしろっ! 何故私がっ、敵の妻にならねばならぬのだッ! 寝言は寝て言えッ!」
    「いてて……」
     思い切り平手打ちを食らったレンマは、頬をさすりながらつぶやく。
    「もう、照れ屋さんだなぁ」
    「……~ッ!」
     ニヤニヤしているレンマを見て、晴奈は総毛立った。
    (き……、気持ち悪い、この人!)(うわ、めっさ鳥肌立った!)
     フォルナとエランも、おぞましいものを見るような目でレンマを眺めている。
    「思っていたよりずっと、あなたは僕のタイプです! 今のでもっと、あなたのことが……」「がーッ!」
     晴奈はこらえきれず、レンマを蹴り倒した。
    「フォルナ、エラン! こっ、こんな、こんな阿呆を相手にしている暇など無い! 逃げるぞ!」
     まだ尻尾をいからせたまま、晴奈は駆け出した。
    「は、はい!」「ええ、了解ですわ!」
     フォルナたちも体中に吹き出た鳥肌をさすりつつ、晴奈についていった。
    「あー……、強烈だなぁ、ははは」
     晴奈の蹴りを腹に食らい、仰向けに倒れていたレンマは、何事も無かったようにひょいと起き上がった。
    「あ、あのー」
     レンマの部下たちも先ほどの晴奈たちと同様、遠巻きにレンマを見つめている。
    「ん? どうしたの?」
    「目標が、逃げましたが」
    「あ、うん。じゃ、追いかけようか」
     レンマは短く呪文を唱え、ふわりと浮き上がった。
    「『エアリアル』。……さぁ、セイナさん。待っててくださいねぇー」
     レンマは空高く浮き上がり、晴奈たちの逃げた方角へ飛んでいった。
     残された部下たちは顔を見合わせ、ぼそっとつぶやいた。
    「……やだ」「うん……」

     レンマは上空から、晴奈たち三人の動きをじっくり監視する。
    「あぁ……、可愛い人だ」
     レンマはニヤニヤしながら、晴奈の後姿をなめるように見つめた。
    「……っ」
     その視線に気付き、晴奈はそーっと後ろを振り返る。
    「げ」
    「いらっしゃいます、わ、ね」
    「は、早く逃げましょう、セイナさん!」
    「う、うむ」
     レンマに見つからないよう、三人は家屋の軒下や日陰、ひさしの下などを進む。だが、空中を飛び回る敵が相手では、隠れても隠れてもすぐに見つかってしまう。
    「みーつけたー」「ぎゃー!」
     見つかる度に晴奈は蹴り飛ばし、殴り飛ばし、しまいには刀まで使ってレンマを叩きのめす。ところが一向に、レンマはダメージを受けた様子が無い。
    「もう、焦らさないでくださいよぉー」「ひーっ!」
     倒れず迫ってくる、気色の悪い敵に気圧され、次第に晴奈は錯乱し始めた。
    「か、勘弁してくれぇ……」「セイナ、気をしっかり!」「あ、ああ」
     精神的に疲労し、晴奈の顔色はひどく悪い。
    「ど、どこか逃げる場所は……」
     フォルナもエランも、晴奈同様真っ青な顔になっている。
     と、晴奈の襟がいきなり引っ張られた。
    「ひ……っ」
    「落ち着けって! 私だね! とりあえず黙ってね! しばらく黙って!」
    「え、あ、え、モール、殿?」
    「黙れって!」
     後ろに突然現れたモールに、晴奈たちは目を白黒させながらも応じる。
    「……」
    「よし、私の服ちゃんとつかんで! 『インビジブル』!」
     モールが術を唱えた途端、晴奈たちの姿が透明になる。
    「……!?」
     いきなりの事態に晴奈たちは驚いたが、モールの言葉に従って口を堅く閉じる。
    (な、何なのだ、一体)
    《透明にする術だね》
     モールのローブをつかんでいた晴奈の腕に、モールのものと思われる指でそう書かれた。
    (透明? ……なるほど、これならば)
     そのままじっとしていると、上空にレンマの姿が現れた。
    「セイナさーん、どーこー?」
     レンマはしばらく空中を浮遊していたが、10分も経った頃、ようやく諦めたらしい。
    「いない……」
     レンマは非常にがっかりした顔で、よろよろと降下していった。
    蒼天剣・赤色録 2
    »»  2009.06.21.
    晴奈の話、第313話。
    ツンデレ賢者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「はーっ、はーっ……」
     晴奈はまだ青ざめた顔で、椅子にへたり込んでいる。
    「まあ、その、……災難でしたね、ホントに」
     エランは同情した顔で、晴奈に水を差し出す。
    「……んぐ、うぐっ」
     晴奈は半ばひったくるように水を受け取り、一息に飲み干した。
     モールの助けでレンマの襲撃を回避したフォルナ班は、ともかく晴奈を落ち着かせるため、近くの喫茶店で休憩していた。
    「はー……」
    「なるほどねぇ、晴奈はあーゆータイプが大嫌いか」
     気味の悪い敵から逃げ回り、疲れきった三人を尻目に、モールだけがケラケラと笑っている。
    「誰でも嫌悪すると思いますわ、あのような方だと」
    「ま、私だってあんなアホは大っ嫌いだけどもね、晴奈の怯え方は激しすぎじゃないかって思うんだけどね」
    「……うーむ、何と言うか」
     晴奈はコップを両手で握りしめながら、己の動揺を思い返す。
    「生理的に苦手、と言うか。ともかく、殴られても蹴られても嬉々として向かってくるような輩を好きになれる神経は、私には無い」
    「まあ、それは同感だねぇ。……ところで、気になってたことがあるんだけどね」
     モールは杖を撫でながら、敵への考察を話す。
    「あのレンマってヤツ、晴奈の攻撃ボコボコ食らってたわりには平然としてたよね」
    「ああ、確かに」
    「手加減なんかしてないよね」
    「当たり前だ」
    「女で猫獣人だから、腕力は元々そんなに無いとは言え、それでも一端の剣士だ。その拳で目一杯殴りつけて平気、ってのはちょっと気になるねぇ」
    「ふむ」
     モールの指摘に、三人は一様にうなずく。と、エランが恐る恐る手を挙げて発言する。
    「あの、それに、レンマが連れていた部下も異様にタフだったような。セイナさん、思いっきり刀で叩いてましたよね、頭」
    「ああ」
    「僕だったら、あんなの食らったら死んじゃいますよ」
    「いや、君じゃなくとも重傷は免れないね、峰打ちとは言え」
     モールの言葉にフォルナが「あら」と声を上げ、にっこりと微笑んだ。
    「いつからご覧に? そのご様子だと、ずっと前から後をつけていらしたのですね」
    「ん? ああ、あー、と、その、まあ。偶然だね、偶然。うん、偶然通りかかったね」
     モールはしどろもどろに返答しながら、ぷいと顔を向けた。
    「ま、まあ。それは置いといて、ね。
     峰打ちとは言え、刀は金属製の武器だ。そんなもんで頭を叩かれたら、間違いなく重傷を負うはずだね。でも、敵は平気で襲い掛かってきた。異様に頑丈だと思わないね?」
    「ふむ、確かに」
    「どうやら魔術か何かで、相当体を強化してるみたいだねぇ。……ま、役に立つかどうかわかんないけどね」
     モールは自分のかばんをもそもそと漁り、一冊のノートを取り出した。
    「何て言ったっけ、狐っ娘」
    「わたくしですか? フォルナ・ファイアテイルです」
    「あ、そうそう、フォルナだったね。ちょっと耳貸し」
    「はい?」
     モールはノートを紐解きながら、フォルナに何かを教えた。
    「……はあ、……ええ、……なるほど」
    「この術を使えば、しばらくはどんな術効果も無効化されるはずだね」
    「でもこの術、『フォースオフ』と同じような……」
    「ちょっと違うね。それよりもう一段効果的な術になってる。いっぺん、機会があったら試しに使ってみな、超面白いコトになるからね」
    「はあ……」
     ニヤニヤしているモールに対し、フォルナはどうにも納得がいかなそうな顔をしている。
    「あ、そうそう。コレも教えとく。さっき使った、姿を消す術。割と便利だから、しっかり覚えとくようにね」
    「はい」
    「あ、それからね……」
     その後も、モールはあれこれと術を教えてくれた。

    「それじゃ、私はこの辺でね。気を付けなよ」
     モールはひとしきり術を教えたところでそそくさと席を立ち、そのままどこかへ去ってしまった。
    「……あの人、何だかんだ言って僕たちのこと、助けてくれるんですね」
    「ああ」
    「面白い方ですわね」
     三人はモールの素っ気無い口ぶりと態度の違いに、クスクスと笑っていた。
    蒼天剣・赤色録 3
    »»  2009.06.22.
    晴奈の話、第314話。
    「マゼンタ」帰還報告。

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    4.
     殺刹峰アジト。
    「それでですね、逃げるセイナさんがまた可愛くて……」「レンマ君」
     レンマからの帰還報告――ほとんどが晴奈についての感想だったが――を聞いていたモノはため息をつき、話をさえぎった。
    「過程はもういい。結果を話したまえ」
    「あ、はい。まあ、結局のところですが、逃げられまして。街中を探しても見つからなかったので、既にクロスセントラルへ発ったものと思われます」
    「そうか。死亡した者は?」
    「いません。全員無事です」
    「コウとファイアテイルの攻撃を受けた兵士は?」
    「帰還後、義父さんのところに運んで……」「それはやめてちょうだぁい」
     レンマの背後に、いつのまにかオッドが立っていた。
    「あ、義父さん」
    「だーかーらぁ」
     オッドはレンマの額を指で弾き、口をとがらせる。
    「アタシを『おとーさん』なーんて呼ばないでちょうだいよぉ」
    「あ、すみません。……えっと、ドクター。容態はどうでしょうか?」
     オッドは手にしていたカルテをレンマとモノに見せる。
    「痛みは感じてないみたいだけどぉ、顔面裂傷に頭蓋骨と脛骨、第一・第二・第三中足骨の骨折。それと大腿筋その他の断裂。大ケガよぉ」
    「『マゼンタ』隊にも他の隊と同様の薬を投与していたのだな?」
    「うんうん。ま、これと同程度のケガは他の隊もしてたしぃ、やっぱり薬だけじゃ十分な防御力を得られそうにはないみたいねぇ」
    「今後の目標は耐久性、と言うわけだな」
     モノはカルテをオッドに返し、短くメモを取った。
    「うーん……」
     オッドはカルテを抱え、パキパキと指を鳴らしている。
    「どうした?」
    「いえねぇ、実戦投入はまだ早かったんじゃないかなぁ、なーんてねぇ」
    「ふむ」
     オッドはレンマの横に座り、モノと向かい合う。
    「『バイオレット』隊も兵士が1人逝っちゃったしぃ、こんなんじゃ最終計画の実行には程遠いわよぉ」
    「……いや、しかし」
     モノはオッドの目を見据え、わずかに口角を上げた。
    「逆にこれは問題点の洗い出しを行い、最終計画実行を早めるチャンスかも知れん。公安と闘士たちが相手ならば、十分な実戦データが手に入るだろうからな」
    「なるほどねぇ。相変わらずのプラス思考ねぇ、トーレンス」
    「単に最大効率を検討し続けているだけだよ、シアン」
     モノはそう言って席を立った。

     残ったオッドとレンマはそのまま座っていたが、不意にレンマが口を開いた。
    「ドクター、少し聞きたいことが」
    「んっ?」
    「その、何と言うか……」
     妙にモジモジしているレンマを見て、オッドはウインクした。
    「なぁに? 好きな子の話ぃ?」
    「あぅ」
     オッドに看破され、レンマの顔は真っ赤になった。
    「アハハハ、まーた赤くなっちゃってぇ。……で、誰なのよぉ? フローラ? ミューズ? それともぉ……」
    「……です」
    「んっ?」
     レンマはうつむきながら、想っている人の名を告げる。
    「セイナさん」「ぶっ」
     その名前を聞くなり、オッドは吹き出した。
    「アンタねぇ……、よりによって敵ぃ?」
    「はい」
    「……アホねぇ」
     オッドはため息をつきながら、レンマの額を突いた。
    「んで、何を聞きたいのーぉ?」
    「あのですね、思い切って告白してみたんです――あの、そんな、引っくり返って起き上がれない亀を見るような目、しないでくださいよ――でもですね、受け入れてくれなくて、ほら」
     レンマは頭のコブをオッドに見せる。
    「あーら、見事に腫れてるわねぇ」
    「『ふざけるな』って怒られちゃったんですよ。……真剣なのに」
    「そりゃアンタ、敵から『好きです。付き合ってください』なーんて言われたら断るでしょーよ、常識的に考えて」
    「ですよね……。でも、やっぱり好きなんです。どうやったら、真剣だって分かってくれるんでしょう?」
     もじもじするレンマを見て、オッドはまたため息をついた。
    「論点ずれてるでしょぉ、それは。どうやって想いを伝えるかよりもぉ、どうやって付き合うかが問題でしょーぉ?」
    「え、あー、……そうかも」
     レンマは頭をポリポリとかきながら、また顔を伏せる。
    「……アンタ、本っ当に『プリズム』の中で一、二を争うアホねぇ。アタシ、かなり心配になっちゃうわぁ」
     オッドは三度ため息をつきながら、子供の頭を撫でた。
    蒼天剣・赤色録 4
    »»  2009.06.23.
    晴奈の話、第315話。
    お酒の飲み方。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     レンマが「フォルナ班は既にエンジェルタウンを離れたもの」と見なし、あっさりと撤退していったため、晴奈たちは何事も無かったかのように、まだエンジェルタウンに滞在していた。
     と言っても現在はクロスセントラルへ向かう準備を終えて、最後の宿を取ったところである。
    「残念でしたねー、何も情報が無くて」
     エランがほぼ真っ白なメモ帳を眺め、がっかりした声を上げる。
    「まあ、仕方ないさ。襲撃もかわせたし、可もなく不可もなくと言った具合だな」
     ベッドの上で刀の手入れをしていた晴奈が、のんびりとした口調でエランに相槌を打つ。
     数日間の情報収集による疲れを取るため、三人は早めに宿を取っていた。フォルナも他の二人と同様に気が抜けた様子で、ベッドの上に寝転んでいる。
    「ふあ、あ……」
     横になっていたので、眠気もやってくる。
    「すみませんがわたくし、先にお休みさせていただきますわ」
    「あ、はーい」「おやすみ、フォルナ」
     フォルナはするりとベッドに入り込み、すぐに眠り始めた。

    「……ん」
     のどの渇きを感じ、フォルナは目を覚ました。部屋の灯りは落ち、晴奈もエランも眠りに就いている。
    (お水、飲もうっと)
     横で寝ている晴奈を起こさないよう、そっとベッドを抜け出し、部屋の外に出る。
     階下の食堂にはまだ、酒を呑んでいる者がチラホラと見える。フォルナはふと、去年のことを思い出した。
    (そう言えば、わたくしが始めてお酒を呑んだのって、セイナとコスズさんと、一緒に旅を始めた頃だったわね)
     フォルナの脳裏に、リトルマインでの出来事が蘇ってくる。三人で温泉に入り、初めて口にしたワインの味を思い出し、思わずフォルナののどが鳴った。
    (……久しぶりにお酒、呑んでみようかしら)
     フォルナはふらっと、カウンターに着いた。
    「いらっしゃいませ」
    「えっと、ワインを」
    「ワインですか? 赤と白、どっちに?」
    「え?」
     バーテンダーに問われ、フォルナは戸惑う。その様子を見たバーテンダーが、妙な顔をした。
    「どうしました?」
    「あ、いえ。……えっと、じゃあ、白で」
    「はい」
     バーテンダーは後ろを振り返り、瓶とグラスを取る。
    「お客さん、あんまり呑み慣れてなさそうですね」
    「あ、はい。あまり呑んだことがなくて」
    「何でまた、今日は呑もうと思ったんですか?」
     そう問われ、フォルナは考え込む。
    「えっと……、何となく、ですわね。昔の旅を思い出して、呑みたくなりましたの」
    「そうですか。……はい、軽めのものをご用意しました」
     バーテンダーが差し出したグラスを手に取り、フォルナは礼を言う。
    「ありがとうございます。……それでは」
     口をつけようとして、不意に小鈴が言った言葉を思い出す。
    ――フォルナ、お酒はそーやって呑むもんじゃないわよ。もっとゆーっくり、味わって呑まなきゃ。そんな『これから死地に飛び込みます』みたいな顔で呑んじゃダメだってば。お酒に失礼よ――
    (そうそう、『ゆーっくり』、だったわね)
     グラスに鼻を近づけ、すんすんと匂いを嗅ぐ。しっとりとしたブドウの香りが、鼻腔一杯に広がっていく。
    「はぁ……」
     続いて、口に含む程度にワインを呑む。わずかな酸味と刺激の後に、くっきりとした甘さが感じられた。
    「美味しい」
    「……ヒュー」
     フォルナの呑む様子を眺めていたバーテンダーが、感心した顔で口笛を吹いた。
    「え?」
    「あ、いや。綺麗に呑む方だと思いまして、つい」
    「あら、ありがとうございます」
     にっこりと笑うフォルナに、バーテンダーの顔もほころんだ。

    「……い、おーい」
     いつの間にか眠ってしまったらしい。フォルナは肩をゆすられ、目を覚ました。
    「ん……、う、ん?」「起きたか、フォルナ」
     顔を上げると、晴奈の口とのど元が視界に入る。
    「ええ、はい……。ちょっと、まぶたが重たいですけれども」
    「出発まで5時間ほどある。もう少し眠るか?」
    「ええ。……いたっ」
     晴奈に手を借り、立ち上がろうとしたところで、ひどい頭痛に襲われる。
    「どれだけ呑んだ?」
    「え? えっと……」
     皿を洗っていたバーテンダーが、フォルナの代わりに答える。
    「ワイン半分くらいですね。……起こすのも悪いかなと思って、ガウンだけかけておきましたけど」
    「そうか、すまなかったな」
    「いえ……」
     晴奈はバーテンダーにガウンを返し、フォルナの側にしゃがみ込む。
    「立てるか?」
    「え、……と。すみません、足に力が入りませんわ」
    「そうか」
     晴奈はフォルナの体を起こし、そのまま背負い込む。
    「部屋まで送ってやる」
    「ありがとう、ござぃ……」
     ありがとうございます、と言ったつもりだったが、語尾が自分でも分かるくらい、非常に弱々しかった。
    「水臭いな、フォルナ」
     晴奈はクスッと笑う。
    「お主と私の仲では無いか」
    「ええ、そぅ……」
     何か言おうとしたが、やはり最後まで言い切れない。フォルナはしゃべるのを諦め、晴奈の肩にしがみついた。

     なお、この数時間後にフォルナは目を覚ましたが、二日酔いは治らなかった。仕方ないので、晴奈たちはもう一日宿泊することになった。
     レンマ隊に襲われたことと、この出来事以外は特に何事も無かったかのように、フォルナ班は首都への歩を進めた。



     しかし――彼女たちはまだ、重大なことが静かに起きていたことに、この時点ではまったく気付いていなかった。

    蒼天剣・赤色録 終
    蒼天剣・赤色録 5
    »»  2009.06.24.
    晴奈の話、第316話。
    風の魔術剣。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     バート班がペルシェの襲撃を受け、フォルナ班がレンマに追い回されていたのと同様に、ジュリア班も殺刹峰からの襲撃を受けていた。

     ウエストポートを発って1週間後、ジュリア班は軍艦製造の街、ソロンクリフに到着していた。
    「ふーん……」
     街は崖を挟んで上下に広がっており、崖上の街からは船を造っている様子が見渡せる。それを眺めていた小鈴は、率直な意見を述べた。
    「でっかいわねぇ」
    「そりゃ、船だもの。でも、軍艦じゃ無さそうね。普通の商船みたい」
    「まあ、軍事機密をこーんな真上から見れるわけないしねぇ」
     ジュリアと小鈴は半分観光しているような気分で、下の街を見下ろしていた。2人の後ろにいる楢崎も、同様にのんびりとした様子で声をかける。
    「お嬢さん方、ひとまず休憩してはどうだろう?」
    「そーね、歩き通しだったし。んじゃ、どっかに宿取ろっか」
    「ええ。……商業関係は、上の街が担当してるみたいね。宿もこっちの方かしら」
     ジュリアは辺りを見回し、そしてある一点に目を留めて硬直した。
    「……ん? どしたの、ジュリア」
    「あれ、ちょっと見て」
     ジュリアが顔を向けている方向に、小鈴も楢崎も目を向けてみた。
    「おや……?」
    「何か、睨んできてるわね」
    「ええ、明らかに敵意を抱いているようね」
     三人の視線の先には、紫の布で頭と口元を覆った短耳の女性と、武器を持った4名の男女がいた。「どーする?」
    「うーん」
    「こちらへ向かってくるな……」
    「逃げとく?」
    「そうね。変な争いはしたくないし」
     三人は同時にコクリとうなずき、一斉に身を翻した。
    「あ……」
     だが、反対側からも同じような者たちが4名やってくる。
    「囲まれちゃった?」
    「そのようだね」
    「参ったわね……」
     そうこうしている内に、敵らしき者たちが小鈴たちの前後に立ち止まった。
    「そこの三名、大人しくしなさい」
    「してるじゃない。今までじっとしてたでしょ、ココで」
     声をかけてきた紫頭巾に、小鈴はふてぶてしく返す。頭巾は言葉に詰まり、憮然とした目を小鈴に向ける。
    「……ええ、そう、ね。……コホン。我々は殺刹峰の者よ。我が組織を調べようとしているあなたたちを、看過することはできない。よって」
     頭巾は片手を挙げ、小鈴たちを囲んでいる者たちに指示しようとした。
    「抹殺開始よ。全員、かか……」
     だが頭巾が手を挙げたところで、楢崎が彼女の鳩尾に、鞘に納めたままの刀を突き込んだ。
    「……っ」
    「僕らはこんなところで足止めされるわけには行かない。強行突破させてもらうよ」
    「……そうは、行かない!」
     楢崎の初弾を食らった頭巾は、鳩尾を押さえながらもう一度指示した。
    「かかれ! 全員、生かしてこの街から出すなッ!」
    「はい!」
     小鈴たちを囲んでいた者たちが武器を構えるのを見て、小鈴とジュリアも武器を手に取った。
    「しょーがないわね」
    「やれやれ、って感じね」
     楢崎も依然鞘に納めたまま、刀を構える。
    「ふーむ……」
     楢崎は納得が行かなさそうな顔をして、小鈴たちに小声で話しかけた。
    「妙だよ、どうも」
    「え?」
    「今の一撃、普通は悶絶するくらい痛いはずなんだ」
     それを聞いた二人は、事も無げにこう返した。
    「んじゃ、普通じゃないってコトね」
    「面倒臭そうね、戦うのは」
     年長者で、様々な経験を積んでいるからだろうか、この三人は他の2班に比べてとても冷静だった。
    「じゃ、やっぱり逃げよっか」
    「ええ、そうしましょ」
     楢崎の言葉を聞いて、ジュリアは武器の警棒を納める。そして小鈴は何か、もごもごとつぶやいている。楢崎はジュリアに耳打ちした。
    「どうするんだい? 三方に敵、後ろは崖。何かいい策が?」
    「ええ。こっちには水に土、おまけに風の術まで使える魔法使いがいるもの」
    「なるほど」
     小鈴が呪文を唱え終わり、楢崎とジュリアに声をかけた。
    「準備できたわ! つかまって!」
    「おう!」「了解よ!」
     二人が小鈴の巫女服の袖をつかんだところで、小鈴が術を発動した。
    「『エアリアル』、さいならー」
     三人は空に浮き上がり、そのまま崖を滑り降りていった。
    「あっ、逃がすかッ!」
     頭巾は眼下へ逃げていく小鈴たちをにらみつけ、腰に佩いていた剣を抜いた。
    「くらえッ!」
     ごう、と風のうなる音が響く。
    「……?」
     次の瞬間、三人は強い衝撃を受けて弾き飛ばされた。
    蒼天剣・紫色録 1
    »»  2009.06.26.
    晴奈の話、第317話。
    ドSな小鈴。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「きゃ……!?」
     弾かれた衝撃で、ジュリアは小鈴の袖を離してしまう。
    「ジュリア!」「なんのッ!」
     小鈴は一瞬顔を青くしたが、術の集中に戻る。その間に楢崎が豪腕を活かし、空中でジュリアの腕をがっちりとつかんだ。
    「……あ、ありがとう、ナラサキさん」
    「お安い御用だよ」
    「よっし、バランス回復っ!」
     小鈴も何とか体勢を立て直し、三人は無事下町に着地した。
    「チッ……!」
     崖の上で三人の動きを見ていた頭巾は舌打ちし、連れて来た兵士たちに号令をかける。
    「急いで追うわよ! もう一度言うわ、ここから生かして返さないで!」
    「了解!」
     頭巾と兵士たちは、大急ぎで下町への長い階段を下りていった。

    「んっふっふ」
     一方、こちらは小鈴たち。
    「そー簡単に追いつかれてたまるもんですかっての」
    「どうするんだい?」
    「こーすんのよ」
     小鈴は杖を、頭巾たちが下りている最中の階段に向けた。
    「秘術、『クレイダウン』!」
    「……?」
     小鈴が叫んだ術の名前を聞いて、ジュリアはきょとんとしている。
    「何それ? 聞いたことない術ね?」
    「あたしのオリジナル。ま、見てて見てて」
     小鈴はニヤニヤしながら敵の動きを眺めている。と――。
    「きゃあっ!?」
    「おわああっ!?」
     階段の一部がぐにゃりと曲がり、敵全員が落下した。
    「……うわあ、容赦無しね」
    「そりゃ、敵だし。ちなみに落ちた先も粘土層に変えてあるから、あいつらめり込んでしばらく動けなくなるはずよ」
    「コスズ、あなたって本当にアコギな術ばっかり作るわね。昔も土の術で舟作って、私を無理矢理乗せて……」
    「え、まだ覚えてたの? ……んふふふ、ふ」
     小鈴は口に手を当て、クスクス笑っている。楢崎はその様子を見て、呆れ気味にこうつぶやいた。
    「……ひどいなぁ、橘君は」

    「く、そっ」
     小鈴の目論見通り、頭巾たちは揃って地面にめり込んでいた。だが他の2隊同様、彼女らも薬や魔術で体を強化している。
    「全員、動ける!?」
    「はい、大丈夫です」
    「でも、足がめり込んで……」
     頭巾はため息をつき、地面に半分沈みかかった剣を抜いて掲げた。
    「全員、動かないでよ! はあッ!」
     頭巾が剣を振るい、地面がズバッと裂ける。
    「さあ、全員抜けて!」
    「は、はい!」
     兵士たちは裂けた地面からゾロゾロと抜け出し、体勢を整え直す。
    「あいつら、どこッ!?」
    「風向きなどから考えて恐らく、ここからそう離れていないかと」
    「それじゃ追うわよ!」
     頭巾と兵士たちは足並みを揃え、小鈴たちが着地した地点へと急いだ。

     が、これも小鈴は予想済みだった。
     着地した場所からはとっくに離れていたし、敵が追いついてくることも想定していた。
    「……ふーん」
     小鈴たち三人は物陰に隠れ、追いついた敵の様子を伺っていた。
    「ここから見る分にはまだ皆、普通の人間に見えるんだけどね」
    「そうね。でもナラサキさん、戦ってみた感じは……」
     楢崎は小さくうなずき、ジュリアに同意する。
    「ああ。結構力を入れて峰打ちしたのに、手ごたえが異様に硬かったんだ。まるで、岩を相手にしている気分だった。まともにやりあってたら、かなり苦戦しそうだよ」
    「敵にはあのドクター・オッドが付いてたのよね、そう言えば。
     性格はともかくとして、医者としての腕は確かだったらしいから、何らかの外科手術か投薬をされている可能性は、非常に高いわ」
     ジュリアの考察に、小鈴が付け加える。
    「それに、魔術による強化も施されてるかもね。
     二人にはあんまり感じられないかもだけど、あいつらの体から、魔術使用時に良く見る紫色の光って言うか、もやみたいなのがチラチラ見えてる。
     正直、大口径のライフルで撃っても大して効かないんじゃないかしら」
    「それは穏やかじゃないね。……おや」
     楢崎が敵の様子を見て、声を上げる。
    「一人、倒れてる」
    「え?」
     小鈴とジュリアも、楢崎の視線の先に目をやる。
    「う……、うっ……、がっ……」
    「ど、どうしたの!?」
     兵士の一人が胸を押さえ、悶絶している。間もなく黄色い液体を吐き出し、動かなくなった。
    「な……、え……?」
     頭巾はうろたえ、倒れた兵士を揺する。
    「どうしたのよ!? ねえ、ねえってば!」
    「……」
     だが、頭巾の呼びかけに兵士は応えない。口からダラダラと、黄色く濁った血を吐き出すばかりである。
    「これって……、え、ねえ、何……?」
     頭巾は困惑しているらしく、周りの兵士をきょろきょろと見ている。
     と――楢崎が声を上げる。
    「おや、口布が取れたね。……なるほど、口布を当てていたわけだ」
     楢崎の言う通り、頭巾が口に当てていた紫色の布が落ち、彼女の顔があらわになる。
    「……!」「うわ、えぐっ」
     その素顔を見て、小鈴もジュリアも口を抑え、うめく。
     頭巾の顔には、左目の上から右頬にかけて刀傷がついていたからだ。いや、それだけではない。刀傷に沿うように、火傷も重なっている。
    「……っ!」
     頭巾は慌てて口布を拾い、顔を隠しながら叫んだ。
    「プラン00よ! これは不測の事態だから、私たちは十分な活動ができないと判断したわ! 撤退よ、撤退!」
    「りょ、了解!」
     兵士たちと頭巾はバタバタと騒がしい音を立てて、その場から立ち去ってしまった。
    「……えーと」
     振り返った楢崎に、ジュリアが冷静な声でこう返した。
    「危険回避ね。もう少し様子を見てから、あの倒れてる兵士を調べましょう」
    蒼天剣・紫色録 2
    »»  2009.06.27.
    晴奈の話、第318話。
    マヌケな鉢合わせ。

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    3.
     敵が完全に逃げ去ったのを確認したところで、小鈴たちは倒れた兵士を観察することにした。
    「あんまりココでじっとしてちゃ、人が来るわ。何だかんだ問いつめられたら面倒だし、ぱぱっと見ちゃいましょ」
    「そうね。……身分を証明するものは無し。武器は小剣と、短剣だけ。……これは何かしら?」
     兵士のポケットから、青い液体の入った薬瓶がころんと出てきた。
    「見た目からすると、毒かな?」
     楢崎の意見にジュリアがうなずきつつ、こう返す。
    「もしくは、身体強化の薬かも。押収しておきましょう」
    「他には何にも無さそーね。じゃ、撤収しましょ」
     小鈴たちは急いでその場を離れ、人通りの多い港へ入った。
    「さてと、上町にはしばらく行けなさそうだし、今日、明日くらいはこっちにいることになりそうね」
    「あなたが階段壊したんじゃない」
     ジュリアの突っ込みを流しつつ、小鈴は今後の行動を尋ねてみる。
    「んで、これからどうしよっか? まず宿探しの方が先よね」
    「……ええ、そうね。こっちは工場や造船所ばかりだし、数は少なそうだから、あなたが階段を壊したせいでこっちに締め出された旅人とかが、慌てて宿探しを始めるでしょうから、早めに探さないとね」
    「押すわねぇ、アンタも」
     小鈴が口をとがらせたところで、楢崎が話に加わる。
    「でも、さっきの敵も恐らくこちらに閉じ込めらているだろうし、ここで2日泊まるとなると、鉢合わせするかも知れないね」
    「あー」
     小鈴はそっぽを向いて、杖の鈴をいじり始めた。
    「あなたが……」「しつこいっ、ジュリア」

     楢崎の読み通り、先程の頭巾たちは上町に上る階段の前で舌打ちしていた。
    「チッ……」
    「これじゃ登れそうにありませんね」
    「仕方ない、全員擬装用意!」
     頭巾の号令に従い、兵士たちは羽織っていた黒いコートを脱ぎ、どこにでもいそうな町民の姿になった。
     頭巾自身も顔を隠していた布をフードに変え、街娘の姿になる。
    「階段が修復されるまで、各自散開して行動すること! 修復され次第この場所に集合し、本拠地に帰還! 以上、解散!」
     頭巾の号令に従い、兵士たちは街路の奥に消えていった。全員の姿が見えなくなったところで、頭巾も歩き出した。
    「……さてと。私もどこかに身を潜めなきゃ」



     どうにか下町での宿を見つけた小鈴たちは、黙々と昼食を取っていた。
    「なーんか美味しくないわね、この魚」
    「うーん、確かに」
    「栄養無さそうね、何と言うか」
     食堂で出された魚料理は妙に味気なく、調味料の味しかしない。
    「まあ、造船所のすぐ近くだろうしねぇ」
    「魚の健康に悪いんだろうね」
     味にうるさい小鈴がぼやいているが、ジュリアは気に留めていない。
    「食事を楽しみに来たわけではないし、別にいいじゃない」
    「ま、そーだけどね」
     と、一足先に料理を平らげ、水に手を伸ばした楢崎が顔を上げた。
    「ん……?」
    「どしたの?」
    「いや、何か……」
     言いかけた楢崎の顔がこわばっている。
    「うーん……。参ったね、どうも」
     楢崎の視線の先には、先程の紫頭巾の姿があった。
    「……あっ」
     食堂の入口で立ち止まったまま、頭巾は硬直している。口に手を当てたり、フードを直したりと、混乱しているのが良く分かる。
    「えっと、……君?」
     おろおろしている頭巾に、楢崎が声をかけた。
    「ひゃ、ひ?」
     恐らく「はい?」と言おうとしたのだろう。頭巾は変な声を上げて反応した。
    「そこで突っ立っていたら、他のお客さんの邪魔になる。とりあえず、こっちに来たらどうだい?」
    「な、何で敵の命令なんかっ」
     うろたえる頭巾に対し、楢崎は妙に飄々とした態度を執る。
    「命令じゃないよ、提案だ。それとも敵を前にして背を向けるのが、央北の剣士の戦い方なのかな?」
    「ちが……、違うわよ、色々っ。……ま、まあ、応じない理由なんてないし、行ってあげるわ」
     頭巾はギクシャクとした足取りで、楢崎の隣に座った。座ったところで、楢崎が質問を投げかける。
    「他の人は?」
    「へ?」
     楢崎の応対に、頭巾は一々妙な声を上げている。
    「君と一緒にいた、他の人はどこに行ったのかな?」
    「え、あの、……あなたたちを倒すのに、不都合が生じたのよ。だから今回は、何もしないであげるわ」
    「答えになってないよ。どこに行ったの?」
    「うっ……」
     フードで隠れてはいるが、頭巾の顔色が悪くなっているのが伺える。横で見ていた小鈴は半ば呆れつつ、頭巾を哀れんでいる。
    (まあ、3対1だもんねぇ。そりゃ顔色悪くなるってもんよ。……にしても、マヌケねぇ)
    「その態度だと、近くにはいないみたいだね。……君、名前は?」
    「も、モエ。藤田萌景」
    「ふむ、央南人か。その傷、焔流の者と戦ったのかな?」
    「えっ?」
     楢崎に指摘され、モエは両手で顔を隠す。
    「み、見たの!?」
    「ああ、悪いとは思ったんだけど。それで、どうなんだい? 戦ったの?」
    「……」
     モエは何も言わずにうつむく。
    「どうしたのかな?」
    「……言う理由なんか無い」
    「そうか。それじゃ次、聞くけど」
     楢崎は先ほど倒れた兵士から入手した薬瓶を見せる。
    「これ、何の薬かな?」
    「それ、は……」
     モエは一瞬顔を上げるが、またうつむく。
    「教えて欲しいんだけど、ダメかな?」
    「言いたくない」
    「そうか。それじゃ、さ」
     楢崎はぐい、とモエの腕を取った。
    「飲んでみてくれるかな?」
    「え」
     楢崎の言葉に、モエの顔色が変わった。
    「やっぱり毒なのかい?」
    「ち、違うわ。それ、飲み薬じゃないもの」
    「なるほど。どうやって使うのかな?」
    「……」
     また黙り込んだモエを見て、ジュリアが声をかけた。
    「モエさん、でしたか。あまり我々を手間取らせないでいただきたいのですけれども」
    「えっ?」
    「お分かりでしょうが、これは既に尋問です」
    「……」
     モエの顔色が、一層悪くなった。
    蒼天剣・紫色録 3
    »»  2009.06.28.
    晴奈の話、第319話。
    もう一名の敵将。

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    4.
    「……うん?」
     と、これまで飄々とした態度で尋問を続けていた楢崎が、急に渋い表情を浮かべ、外に目を向けた。
    「藤田くん。外の連中は、君の知り合いかな?」
    「え」
     楢崎の言葉に、モエも外に目を向ける。
    「……! え、え!? 何で!?」
     モエは立ち上がり、外へと飛び出して行く。
    「待ちなさ……」「待った、ジュリア君!」
     止めようとしたジュリアをさえぎり、楢崎が耳打ちした。
    「囲まれているよ。恐らくは20名ほど。下手に飛び出せば、蜂の巣にされてしまう」
    「そう、ですか」
     耳打ちされたジュリアは冷静に振る舞ってはいるが、途端に口数が少なくなる。小鈴も顔に緊張の色を浮かべながら、ジュリアに尋ねた。
    「で、コレはピンチってヤツよねぇ?」
    「……そうなるわね」

     店の外に飛び出したモエは、店を囲んでいた兵士たちを見回す。先程散開させた自分の部下たちに混じり、他の隊長が従えている兵士も並んでいる。
    「あなたたち、どうしてここに!? この街には『バイオレット』隊だけが来ることになっていたはずよ!?」
    「ドミニク先生からの指令です。内緒にしろと言われていましたけど」
     兵士たちの後ろから、青い髪の猫獣人が姿を現した。
    「ネイビー!?」
    「どうも、モエさん。その焦りようからすると、割と危ないところだったみたいですね」
    「そ、そう、だけど。でも、……どう言うことなの? ドミニク先生は、私に任せるって」
    「ええ。確かに、『特にトラブルが発生しなければ、見守っていなさい』と言われていましたけど。けど今、あなたは一人。間違いなく、トラブルに見舞われています。
     それともモエさん、あなたは一人でこの状況を切り抜けられましたか? もしそうなら、『余計なことをしました』って謝りますけど」
     ネイビーの涼しげで穏やかな青い目に見つめられ、モエはうなだれた。
    「……ええ、そうね。確かに今、私はピンチに陥っていたわ。ありがとう、ネイビー」
    「いえ、お気になさらず。それで敵の話ですけど、皆さんこの店の中ですか?」
    「ええ、中にいるわ」
    「それじゃ、占拠しましょう」
     ネイビーはそう言うと、周りの兵士たちに合図を送った。
    「『インディゴ』隊、作戦開始です。この店をただちに制圧してください」
    「はい!」
     兵士たちはネイビーに敬礼し、一斉に店へとなだれ込んだ。
     が、1名戻ってくる。
    「『インディゴ』様、敵がおりません!」
    「え?」
    「嘘でしょ?」
     ネイビーとモエも店の中に入る。
    「ひ……」
    「な、何なんだアンタたちは」
    「何もしないから、その槍下げてくれよ……」
     モエたちは怯える店員と客たちを眺めたが、既に小鈴たちの姿は無かった。

    「あーぶない、危ない」
     慌てて屋根裏に回った小鈴たちは、下の様子に耳を傾けながら屋根板をはがしていた。
    「もう少し入ってくるのが早かったら、捕まってたわね」
    「ええ、そうね。……ナラサキさん、どうですか?」
    「うん、もう少しで斬れそうだ」
     楢崎が刀でゴリゴリと屋根瓦と下地をはがしている間に、小鈴は下に穴を開けて様子を伺う。
    「あ、さっきのモエって子がいる。キョロキョロしてるわね」
    「どうやら、あの『猫』が手助けをしたみたいね」
     モエの横にはネイビーが立っており、二人は何か会話をしているように見える。
    「じゃあ……みんな……」
    「ええ……けど……」
     だが制圧されているとは言え、普段から騒々しい食堂の中である。二人の会話は良く聞き取れない。
     そうこうするうち、楢崎が屋根に穴を開けた。
    「よし、開いた。脱出しよう」
    「ええ。応援が駆けつけたってコトはさっきの階段も修復されてるでしょうし、そこから逃げましょ」
    「そうしましょう」
     三人は敵の包囲をかいくぐり、素早く街を脱出した。



     食堂の中で、モエはネイビーに詰問していた。
    「ねえ、ネイビー。詳しく聞きたいことがあるの」
    「何でしょう?」
    「初めから、……私たちがこの街に来る前から、あなたは私たちをつけていたの?」
     そう尋ねられ、ネイビーは一瞬視線をそらす。
    「……まあ、その通りです」
    「そう……」
     モエはそれを聞いて、非常に嫌な気分を覚えた。それを察したネイビーが、ゆっくりとした口調で弁解する。
    「でも、モエさんたちの力を信じていないわけではありませんよ。もう一度言っておきますけど、『ピンチにならない限り傍観していなさい』と念押しされていましたから」
    「それは、良く分かってる。でも、なぜ? なぜ私たちに、そんな監視をつけたの?」
    「……実は、モエさんたちだけじゃないんです。他の2隊にも、同様に別働隊をつけていたんですよ」
     思いもよらないことを聞き、モエは目を丸くした。
    「私たち? じゃあ、レンマやペルシェにも、みんなに?」
    「ええ、みなさんに。ですけど多分、レンマくんもペルシェさんも、そんなのがいたことにすら、気付いてないと思います」
    「なぜそんなことを……?」
    「確実性、です。念には念を入れて、自分たちを脅かす存在を消しておきたいと仰っていました」
    「それほどの敵だと言うの?」
     いぶかしがるモエに、ネイビーは短くうなずいた。
    「用心し過ぎると言うことは無いと思います。
     ともかく彼ら9名は何の情報も持ち帰らせず、この地で死んでもらわないと困りますから」
    蒼天剣・紫色録 4
    »»  2009.06.29.
    晴奈の話、第320話。
    刀傷と火傷。

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    5.
     どうにかソロンクリフを脱出した小鈴たちは、早足で街道を進んでいた。
    「結局ソロンクリフでは何の情報も集められなかったわね」
    「ま、仕方ないわ。3人無事なだけでもいいじゃん」
     小鈴の言葉に、ジュリアはコクとうなずく。
    「そうね。……他の2班も無事かしらね」
    「無事よ、きっと。闘技場のツワモノ揃いなんだし。ね、瞬二さん」
     小鈴は楢崎に声をかけたが、楢崎の反応が無い。何かを考えているように、ぼんやりと上を向いている。
    「……瞬二さーん?」
    「んっ?」
    「どしたの?」
    「あ、ああ。……いや、少し考えごとをね」
     楢崎は小さく咳払いし、ぽつりぽつりと話す。
    「あの、モエと言う子。昔どこかで、見たような気がするんだ」
    「へえ?」
    「どこだったかな……。あの傷が気になって、どうにも思い出せない」
    「あの傷、ひどかったわね。斬られた上に、焼串でも押し付けられたのかしら?」
     ジュリアの考察に、楢崎は首をかしげる。
    「いや、あれは多分、……いや」
    「どうしたの、ナラサキさん?」
    「いや、もしかしたら、と思ったんだけど。多分、違うかも知れない」
    「……?」
     楢崎は腕を組み、「うーん……」とうなるばかりだった。
    (あの子を、もっと幼くして、傷のことを抜くと、……確かに、見覚えがある。それは多分、紅蓮塞で、だろうな。
     でも、あの刀傷と火傷が混じった傷――あれは間違いなく我が同門、焔流剣士が付けたであろう傷だ。もし僕の記憶と推察が正しかったとしたら、あの子は同門に傷を付けられたことになる。
     それは、あんまり考えたくない――同門同士が殺し合いをしたなんて、あまりにも気分の悪い話だから)
     楢崎は篠原と戦った時のことを思い出し、首を横に振った。



     某所、殺刹峰アジトにて。
    「ドミニク先生、あの……」
     鮮やかな緑色の髪をした狼獣人の少女が、「バイオレット」「マゼンタ」「オレンジ」3隊からの報告をまとめていたモノに声をかけた。
    「うん?」
     モノは少女に背中を見せたまま応える。
    「どうした、キリア君」
    「また、剣を教えて欲しいんです」
    「……何故だ?」
     ここでようやく、モノは少女、キリアに向き直った。
    「教えるべきことは余すところ無く教えたはずだ。何か不満があるのか?」
    「はい。まだ、あの技をちゃんと教えてもらっていません」
    「……」
     モノはあごに手を当て、黙り込む。
    「先生が腕を失い、十分な指導ができなくなったことは十分、承知しています。それにわたしも兄も、『プリズム』の中でも上位に立つ腕となったことは自覚しています。
     でも、モエさんが一蹴されたと聞いて……」
    「……ふむ」
     モノは右腕を左の二の腕に置き、無くなったその先の感触を思い出すようにさする。
    「確かに『バイオレット』君の腕は確かだ。こちらへ引き入れた時から、その才能は目を見張るものがあった。
     とは言え私の指導をまだ、十分に受けたわけではない。彼女はまだ、伸びるところがある。逆に言えばまだ、十分に鍛えられていない。そこが彼女の、今回の失敗につながったのだろう。この問題は今後、私の指導を継続して受けていけば解決できるはずだ。
     そしてキリア君、君はモエ君以上に力を持った、非常に優秀な戦士だ。『プリズム』の中で、フローラやミューズに並ぶ強さを持っていることは、この私が保障する。モエ君が勝てる相手に遅れを取ると言うことはまず無い、そう断言しよう。それでは不満かね?」
    「……」
     キリアは唇をきつく噛み、無言でうなずいた。
    「……そうか」
     モノは椅子から立ち上がり、壁にかけてあった剣を手に取った。
    「私の言を聞いてなお不満を持つと言うことならば、教えねばなるまい」
    「え……」
    「それからキリア君」
     モノは鞘から剣を抜き払い、手首を利かせてひらひらと振る。次の瞬間、キリアの髪留めが剣の先に弾かれ、三つに分かれて砕け散った。
    「……!」
    「片腕になったとは言え、残ったもう一方の腕にはまだ、『阿修羅』が棲みついている。十分な指導ができない、と言うことは無い。安心したまえ」
     モノはそう言って床に落ちた鞘を蹴り上げ、器用に剣を納めた。
    「ついて来なさい。君が知りたいと言う技を教えよう」
    「……はい!」
     キリアは深々と頭を下げ、モノの後についた。

    「うっ」
     ほぼ同じ頃、殺刹峰の医務室。
    「なーに泣きそうな顔してんのよぉ」
    「……いえ、薬がしみただけです」
    「我慢しなさぁい」
     オッドが作戦から戻ってきたモエの手当てをしていた。
    「はい」
    「……しっかし、ひどい顔ねーぇ。折角いい顔してるのに、そのおでこから左頬まで達する、ふっかぁい傷跡。火傷と刀傷がない交ぜになって、ちょっとグロテスクよぉ」
    「……」
    「一体、どうしたのぉ? ……あ、あーあー」
     オッドは咳払いをし、その質問を撤回した。
    「覚えてない、のよねぇ?」
    「はい。……ここに来る前のことは、何も」
    「そーそー、そーだったわねぇ。……でもやっぱり気になるわねぇ、その傷。医者として、とーっても興味深いわぁ」
    「あの、あまり見ないでください……。私にとってこの傷は、鏡を見ることさえ嫌になるようなものなのです」
    「……あ、ゴメンねーぇ。ま、とりあえず気休め程度だけどぉ、皮膚病に効く塗り薬あげちゃうわねぇ」
    「……ありがとうございます」
     モエは静かに頭を下げる。オッドは薬を探しながら、彼女に背を向けてぺろりと舌を出した。
    (あーぶない、危ない……。『昔の』コトにあんまり深く突っ込んじゃ、『洗脳』が解けちゃうトコだったわぁ。
     より従順な兵士を作るための、記憶封鎖――えげつないわねぇ、ホント。……ま、アタシも人のコトは言えないけどねーぇ)
    「ドクター?」
     思いふけっていたせいで、いつの間にかオッドの手は止まっている。
    「あ、あーらゴメンなさいねぇ。ちょっと考えゴトしてて。……いやねぇ、その傷。刀傷と火傷を同時になーんて、アレみたいってねぇ、ちょこっと思ったのよぉ」
    「アレ、と言うのは?」
    「ほら、央南のアレよぉ。あの、えーと、火を使う剣術。何だったかしらねぇ?」
     オッドが何の気なしに言ったその言葉に、モエの頭の中のどこかで、何かが瞬いた。
    ――貴様に刀を握る資格など無い!――
     その瞬きはほんの一瞬だったが、背の高い女がモエに向かってそう叫んでいたのを、ぼんやりとだが思い出した。
    (……誰?)
     思い出そうとしたが、傷口にふたたび塗られた消毒薬があまりにもしみたので、すぐに忘れてしまった。

    蒼天剣・紫色録 終
    蒼天剣・紫色録 5
    »»  2009.06.30.
    晴奈の話、第321話。
    天帝教神話。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     およそ500年以上昔、央北のとある村に全身真っ白な男が流れ着いた。
     その男は全知全能を有し、自らを「神」と名乗った。彼は流れ着いた村で数々の奇跡を起こし、技術や知識を広め、人々に知性と豊かな暮らしを与えた。

     まだ央北と央中の交流がまばらで、央北人にとって央南は半ばおとぎ話の国としか認識していないような時代に、彼は世界平和とそのための統一を訴え、実際に世界を平定し、中央大陸全土を治める大政治組織、通称「中央政府」を創った。
     そして拠点にしていた村が大きくなり、街となった際、その村が「東西南北に」伸びる街道の「中央」であったことから、男は街の名を「クロスセントラル」と変え、生涯をその街で過ごした。

     男の名はタイムズ。天帝教の主神となった人物である。



    「……ってワケだ」
    「ふーん」
     バートの説明を、シリンは一言で返した。
    「てめーには説明のしがいが丸っきりねーなぁ」
     バートはシリンの虎耳をグニグニとつまみながら、シリンをにらみつける。
    「何メンチ切ってんねんやー、怖いでー自分」
    「てめーの耳は何でできてんのか、裂いて中身を確かめてみたいぜ」
    「痛いってー、離してーやー」
     最初は非常に仲の悪かった二人だが、どう言うわけかクロスセントラルに到着する頃には、兄妹のように仲良くなっていた。
    (ま、口の悪さも似た者同士なんだけどなー)
     後ろで眺めていたフェリオは、のほほんとした気分で二人を見ていた。
     と、グニグニと耳をつねっていたバートはようやく手を離し、道の先を指差す。
    「まあいいや。そんなワケでな、この街がそのカミサマ、『天帝』タイムズの創った街、クロスセントラルだ」
    「ふーん。……何か、けったいな街やな」
    「まーな。落ち目とは言え、今でも大陸政治の中枢、世界を動かす街の一つだからな。うさんくささで言えば北方のジーン王国や央南の玄州、西方三国なんかととタメ張るくらいだ」
    「ふーん」
    「……お前ってホント、政治に興味ねーのな」
     呆れるバートに、シリンはプルプルと首を振る。
    「ないわー。それよりも」「メシだろ?」
     フェリオの突っ込みに、シリンは尻尾をピョコピョコさせてうなずいた。
    「うんっ」
    「……ホントにガキだなぁ、お前」
     バートは苦笑しつつ、手帳を広げた。
    「落ち合うのは明後日の予定になってる。今日ゆっくり寝るとしても、明日1日くらい遊べそうだぜ」
    「ホンマ? じゃ、一緒に買い物でも行こーなー」
     そう言ってシリンは、バートとフェリオ両方の手を取る。手を握られたバートは少し驚いた顔になり、シリンに尋ねる。
    「お? 俺もか?」
    「うん」
    「フェリオとのデート、邪魔しちゃ悪いだろ」
    「そんなコトないってー。それにジュリアに会った時、プレゼント贈っといた方がええんとちゃうん? 色々お世話になっとるしー」
    「……ああ、まあな。それはそれで、いいかもな」
     バートはポリポリと頬をかき、シリンの提案に乗った。
     と、フェリオが何かに気付き、足を止める。
    「あれ? 先輩、あの二人……」
    「ん?」
     フェリオが指し示した先に、可愛いリボンのついた帽子をかぶった狐獣人と、央南風の服を着た猫獣人がいる。
    「おーい」
    「ん? ……あ、バート!」
     振り向いた猫獣人はやはり、晴奈だった。横にいるのは当然、フォルナである。
    「まあ、無事でしたのね皆さん!」
    「おう。……エランは?」
     晴奈たちと一緒にいるはずのエランの姿がなく、バートたちは一瞬不安になる。
    「あ、いや。街に着くなり、『すみません、ちょっと……』と言ってどこかに行ってしまった。恐らく用を足しに行ったのだろう」
    「……なんだ、驚かせやがって。どこに行ってもしまらねーヤツだなぁ」
    「へへ……、すみません」
     晴奈たちの後ろから、申し訳無さそうにエランが歩いてきた。
    「どうしても我慢できなくって。っと、お久しぶりです、バートさん」
    「おう。……ん?」
     バートはエランを見て、妙な違和感を感じた。
    「……どうしました?」
    「……いや、何でもない。さ、街に入るか」
    蒼天剣・九悩録 1
    »»  2009.07.02.
    晴奈の話、第322話。
    央北政治史のお勉強。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     以前にもどこかで述べられていたが、央北は「天帝と政治の世界」である。
    「神」と崇め奉られたタイムズ帝が亡くなった後、彼を信奉していた者たちが天帝教を創り上げた。それに伴って天帝教の政治権力が確立・増大され、以後300年近くに渡って「神権政治」――神とその末裔を主権とする、政治形態――が続いた。
     その名残、影響は今もクロスセントラルに根強く残っており、他の街に比べ天帝教と、それに影響された文化があちこちに見られる。

    「……かくして双月暦38年、世界は平和になったのです」
    「ぱちぱち」「ぱちぱち」
     シルビアと同じような格好をした尼僧が子供たちを集め、道端で紙芝居をしている。内容は神代の頃に行われた戦争を謳ったものらしい。
    「牧歌的と言うか、のどかと言うか……。戦時中とは思えない光景だな」
     街に入った晴奈たちは、西区の大通りを歩いていた。
    「ここは住宅地みたいだから、そんなに騒々しくもないっスね」
     フェリオの言葉に、フォルナも同意する。
    「そうですわね。それに、天帝教の影響も強いようですわ。白い服の方、何度かお見かけしていますもの」
     フォルナの言う通り、街に入ってから何度か、天帝教と思われる白い僧服の者たちとすれ違っている。それを見る限り、この街にあると言う中央政府の中枢が、大火の傀儡になっているとは到底思えない。
    「なあ、エラン」
    「はい?」
    「あの話は本当なのか? 街並みや人を見る限り、とても黒炎殿が出入りしているとは思えぬのだが」
     晴奈に尋ねられたエランは、けげんな顔をした。
    「あの話、って?」
    「ほら、ウエストポートで言っていた……」
    「え、っと? すみません、何の話をしてましたっけ?」
     エランは困った顔で聞き返してくる。見かねたフォルナが助け舟を出した。
    「中央政府がカツミの支配下にある、と言うお話でしょう?」
    「え、あ、あーあー。そうですね、そんな話、してましたね。
     ええ、事実です。端的な例ですが、中央政府の歳出項目に『特別顧問料』と言う名目でカツミへ納める金が記載されています。その額は中央政府の歳入の6%、前年度で言えば50億クラムと言う途方も無い大金なんです」
    「ふむ……」
     何度聞いても現実味のないその額に、晴奈はただうなるしかない。
    「しかも、それが319年の黒白戦争終結直後から、今年で丸200年続いているんです。200年間の税収入に多少の変動があったことを考えても、その合計は1兆、もしかしたら2兆にも及ぶとか。
     それ以外にも、2年前の北海戦でカツミが中央側に付いていたことや、中央政府がカツミ討伐を表面上行わないこと――もっとも、裏では何度か試みてるみたいですが――など、彼が中央政府と密接なつながりがあるのは明白です」
    「……なるほど。何とも、きな臭い話だ」
     晴奈はため息をつき、街の中心部――すなわち中央政府の中心、中央大陸の中心である白亜の城、ドミニオン城に視線を向けた。

     数々の風説や逸話のせいで核心が大分ぼやけてはいるが、大火が中央政府から莫大な金を得るに至った大まかな経緯は、次の通りである。
     まず、天帝家によって長く神権政治が続いていた中央政府の内部が腐敗し、金と権力で人々を苦しめるならず者国家と化していたこと。これを批判した当時の政務大臣、ファスタ卿が天帝家の怒りを買い、投獄されたのだ。
     それを助け出したのが、大火である。「何でも与える」ことを条件にファスタ卿を脱獄させ、中央政府に対する反乱軍を組織させた。その戦乱は世界中に及び、「黒白戦争」と呼ばれる、何年にも渡る長い戦いの後、ファスタ卿率いる反乱軍が勝利。
     神権政治は終わりを迎え、貴族や名家たちによる王侯政治の時代に移った。中央政府もそれら王侯貴族たちの政治同盟と言う形で残り、ファスタ卿がその筆頭、総帥になるはずだった。
     しかしここで、大火とファスタ卿との契約が発効され――。

    「……それでファスタ卿は姿を消し、カツミが中央政府の権力を奪取したんです。以後200年間、カツミは中央政府から金を搾り取り続けているんです」
    「ふむ……」
     食堂に移ってエランの話を聞いていた晴奈が腕を組んでうなる一方、エランの右隣に座っていたフォルナが、疑問を口に出す。
    「消えたファスタ卿は、一体どうなったのかしら」
    「分かりません。カツミに暗殺されたとも、モンスターに姿を変えられたとも、色々な説が流れてますが、どれが本当なのか……」
    「1兆と言う莫大なお金は、どこに消えたのかしら」
    「それも、まったく分かってないみたいです。黒鳥宮建造に使われたとか、数々の神器を製造した際の制作費とか色々言われてますが、どう考えても1兆と言う額には、全然届かないんですよね。まだその大部分が、使われてないんでしょうね」
     二人のやり取りを聞いていた晴奈が、首を傾げる。
    「そんなに溜め込んで、一体何をするつもりなのか……?」
    「さあ? 単に、貯金したいだけじゃないんですかね?」
     エランは肩をすくめ、握っていたフォークをテーブルの上に並んでいた料理に向けようとした。
    「いたっ」
     ところが、同じようにコップに手を伸ばしていたフォルナの左手とぶつかってしまい、引っかいてしまった。
    「……。何をなさいますの、エラン」
    「あ、すみません」
     エランは手を引っ込め、フォルナに頭を下げた。フォルナは左手を押さえながら一瞬チラ、とエランを見て手を引いた。
    「……構いませんわ。お先にどうぞ」
    「あ、はい」
     エランはもう一度、右手を料理に持っていった。
    蒼天剣・九悩録 2
    »»  2009.07.03.
    晴奈の話、第323話。
    ドミニクの「九」悩。

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    3.
     バート班、フォルナ班が到着した次の日に、ジュリア班も無事到着した。
    「みんな無事なようで、安心したわ」
     他2班が先に到着していたことを知り、ジュリアは1日前倒しで情報交換と作戦会議を行うことにした。
    「お元気そうで何よりですわ」
    「だな」
     ジュリアの労いに、フォルナとバートが応える。
    「休まれなくて良かったのですか?」
    「ええ、先にみんなと会っておきたかったから。……実は私たちの班、襲撃されたのよ」
    「えっ!?」
    「お前もか、ジュリア」
     フォルナの反応とバートの言葉に、ジュリアは小さくうなずいた。
    「やっぱりみんな襲われたようね。それが気になっていたから。ちなみに敵は、どんな構成だった?」
    「リーダー格が1名に、兵士が8名だった」
    「わたくしのところも同じでした。全員何かしら、強化されていたようですわ」
    「ふむ。……私のところはリーダー格が2名、恐らく兵士の数は16名と言うところね」
    「ジュリアのところだけ、2部隊が投入されてたのか?」
    「いえ、もしかしたら……」
     言いかけたジュリアは、フォルナの視線に気付いた。
    「……」
     その眼差しはまるで、これから言おうとしていたことを止めさせようとしているようだった。
    「……もしかしたら、何だ?」
    「……いえ。そうね、恐らくこの9名を総括している私のところだけ、重点的に攻めてきたのかも知れないわ。
     それで、何か情報は手に入った?」
     そう言って、ジュリアはソロンクリフで手に入れた小瓶をテーブルに置いた。
    「私たちは敵と接触した際に、この薬を手に入れたわ。何の薬かまでは分からないけれど」
    「わたくしのところは残念ながら、特に収穫なしですわ」
    「俺はかなりすごいものを手に入れたぜ」
     そう言ってバートは、得意げにノートをテーブルに置いた。
    「それは?」
     ジュリアが尋ねると、バートはニヤリと笑った。
    「殺刹峰の幹部と、出資者の情報だ」
     バートはノートを広げ、全員に見るよう促した。
    「RS作戦って聞いたことあるか?」
    「RS? いえ、存じ上げませんわ」
     フォルナは首を横に振る。ジュリアも知らないらしく、小首をかしげている。ここでシリンが、自信たっぷりに手を挙げた。
    「フェリオの名字? ほら、ロードセラーやし、RSって、ならへん、……かなー、なんて」
     あまりに的外れすぎたため全員に無視されてしまい、シリンはしょんぼりと肩を落とした。
     と、話題に挙げられたその当人が、ポンと手を挙げる。
    「聞いたことがあるような……。中央政府軍が昔、カツミを暗殺しようとしたとかしなかったとか、そんなうわさを聞いた覚えがあるっス。その時の作戦名の一つが、RSとか何とか」
    「そうだ。カラスのように真っ黒な悪魔、カツミを仕留める作戦――それがRaven Shoot、通称『RS作戦』だった」



     双月暦499年、秋。
    「ま、参った!」
     二人の男が、とある演習場で剣術の試合を行っていた。一方は、長髪を後ろで束ねた央南人。もう一人は央北人。口ヒゲと四角い顔が印象的な、筋骨隆々とした青年だった。
    「ふふふ……」
     勝負に負けたのは央南人の方だった。両手に一振りずつ持っていた刀を弾かれ、相手の剣が首に当てられており、そこからの逆転はもはや不可能だった。
    「勝負あったな、シマ」
    「参った、参った。……強すぎるぞ、ドミニク」
     ドミニクと呼ばれた口ヒゲの男は剣を納め、シマと呼んだ央南人に手を差し伸べた。
    「これで9戦9勝、私の圧勝だな」
    「……残念だ。これでおしまいとは」
     シマはドミニクの手を借り立ち上がりながら、小さくため息をついた。
    「おしまい?」
    「……実は俺、軍を抜けるつもりなんだ。故郷に戻って、剣術道場でもしようかと思う」
    「そうか。……9の呪いだな」
     ぼそっとつぶやいたドミニクに、シマは首をかしげる。
    「え? 何だ、9の呪いって」
    「私の宿命と言うか、何と言うか」
     ドミニクは地面に足で、「9」と書く。
    「私の生まれた日は9月9日。9歳の時に母が亡くなり、19歳の時に父も亡くなった。共に戦った者とは、十度相見えることが無い。そして君との対決も、9回目で幕切れだ」
    「それで9の呪い、か」
    「私は9が付くものに、呪われているのだろうな」
    「……じゃあ29歳の今年は、何かあったのか?」
     恐らくシマは、「もう年末も近い。何も起きなかったと言うことは、呪いなどなかったのだ」とでも言って、元気付けようとしたのだろう。だが、ドミニクはコクリとうなずいた。
    「……ある非公式チームに参加することになった。『黒い悪魔』を討つのだそうだ」
     それを聞いて、シマの顔がこわばった。
    「……そうか。……呪い、か」
     うつむいたシマに、ドミニクは「そうだ」とだけ返した。
     シマが落胆するのも無理はなかった。その任務は「冥府の土を集めてこい」と命令されるのと、何ら変わりないものだったからである。
    蒼天剣・九悩録 3
    »»  2009.07.04.
    晴奈の話、第324話。
    成り行きリーダー。

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    4.
     黒白戦争の直後から499年の今年までに、世界全体で大火の暗殺が試みられた回数は、中央政府軍が把握しているものだけでも50回以上に上る。
     理由は様々――名のある奸雄を倒して名声や栄光を得ようとする者、1兆もあると言われる莫大な財産を狙う者、秘術や神器を得ようとする者。
     そして――。
    「彼奴がこの白亜城に出入りする限り、官憲は、貴族たちは、そして我が軍は堕落し、思考停止を続け、今の腐敗はさらに根深くなるばかりだ!
     今こそ、あの『黒い悪魔』を排除すべし!」
    「排除!」「排除!」「排除!」
     この作戦を企画した少佐の扇動に、兵士たちが沸き立つ。その様子を一歩離れて見ていたドミニクは、他の兵士たちのように声を上げることなく、黙々と考えていた。
    (こんな集まりなど、麻薬と変わらん。あの悪魔に対する恐怖心を、無理矢理にごまかしているだけだ。
     まずするべきは、検討と思索だ。悪魔を倒すのだぞ? 自分たちの正当性だの意義だのを叫ぶ前に、考えねばならぬことはいくらでもあるはずだ。だのに隊長をはじめ、誰も彼も一切、触れようとしない。
     まさか、何も考えていないのか……?)
     ドミニクの予想通り、少佐はここで会議を切り上げようとした。
    「では各自、英気をよく養っておくように! 詳細は追って報せる! それでは、解散!」
    「待ってください、少佐殿」
     あまりに考え無しの振る舞いを見せる少佐に呆れ、ドミニクは手を挙げた。
    「何だ、ドミニク大尉」
    「作戦の概要は? さわりだけでも説明をいただけた方が、我々の意気・意欲も盛り上がると思うのですが」
    「何を言う? 悪魔を倒す、それだけでも意欲が沸くと……」「それだけではありません。この作戦に失敗すれば、我々全員の命が危ないのです。生きるか、死ぬかのどちらかしかない。
     あの悪魔は己に刃を向けた者を赦すような、温厚な性情はまったく持ち合わせていないと聞いています。負ければ確実に殺されます。逃げようとしても無駄でしょう」
     ドミニクの主張に、浮かれていた兵士たちは一転、不安げな表情を浮かべ始めた。
    「……そう、だよな」「悪魔だもんな」
     兵士たちは少佐に顔を向け、じっと見つめる。ドミニクもキッとにらみつけつつ、淡々とした口調を作って尋ねた。
    「まさか、何も考えずに立ち向かうおつもりですか? 我々の命を無謀な作戦に、無闇に放り込んで、それで安易に勝てるとお思いではありますまい?」
    「い、いやっ! 勝てるはずだ! 我々は正義のために立ち上がるのだ! 神が我々を助けぬはずが無い!」
     まだ愚かしいことを唱えようとする少佐に怒りを覚え、ドミニクは怒鳴りつけた。
    「何を馬鹿な! 今まで正義の名の下に負け、死んだ者はいくらでもいる! 正義や祈りは力ではない!
     神頼みで戦争に勝てると言うのならば何故、黒白戦争は天帝家の、すなわち天帝教の勝利で終わらなかったのだ!? 今までにカツミを狙った者が皆、一瞬たりとも神に祈らなかったと思うのか!?」
    「う、う……」
     ドミニクは怒りに任せ、少佐を突き飛ばした。
    「ぎゃっ!? な、何をする貴様っ!?」
    「お前では話にならん! お前の無謀な指揮では、例え10万の兵を以って戦ったとしても、カツミを討てるわけが無い!」
     場の雰囲気は完全に、ドミニクに呑まれていた。先程まで少佐に目を向けていた兵士たちは、今はドミニクに対し、熱い視線を送っている。
    「大尉、貴様……」
     まだ少佐が何か言おうとしたが、今度は兵士たちがそれを黙らせた。
    「うるさい!」「ひぎゃ」
     兵士たちに殴り飛ばされ、少佐は気絶した。どうやら頭でっかちの技術将校だったらしく、簡単に白目をむいてしまった。
    「大尉! 我々は皆、あなたに全権を任せます!」
    「……そうか」
     ドミニクは一瞬、逡巡した。元々この作戦には乗り気ではなかったし、何より自分の厄、「9」が付く時期である。
    (できるならこんな愚行は、やめさせたいのだが)
     しかし上官を殴り倒し、兵士たちからは今、絶対の信頼を寄せられている。
     ここで断れば上官は黙っていないだろうし、ここまで自分を信頼してくれた兵士たちを、ひどく落胆させてしまうことになる。
    (仕方なし、……か)
     ドミニクは深くうなずき、重々しく口を開いた。
    「ああ、やろう」
    蒼天剣・九悩録 4
    »»  2009.07.05.
    晴奈の話、第325話。
    RS作戦の全容。

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    5.
     非公式な作戦とは言え、軍は秘密裏にこの作戦をバックアップしてくれていた。
     ドミニクが上官を排除し、代わりに隊長となったことも容認し、改めて全面的支援を行うと通達してきた。それを受け、ドミニクは軍に次のような要請を送った。
     まず、標的である大火の情報。彼の経歴や関わった戦争・事件から、よく出没する場所、戦闘スタイル、嗜好、果ては彼を題材にしたおとぎ話まで、あらゆる情報を集めさせた。
     そして人員の増員。軍が誇る凄腕の魔術師を作戦部隊に追加させた。
     その上でさらに、情報を集め――。

    「すごい量ですね」
    「まあな」
     大量の文書に埋もれるドミニクを見て、部下が驚いた声を上げる。
    「これ全部、『黒い悪魔』の?」
    「そうだ」
    「あれから1ヶ月が経ったんですが」
    「ああ」
     部下は心配そうな目で、ドミニクを見つめてきた。
    「……その、行動しないのですか?」
    「まだだ。まだ万全ではない。今しばらく、訓練を続けてくれ」
     それを聞いて、部下はさらに心配そうな顔をする。
    「勝算はありそうですか?」
    「15%、いや、10%か」
     数字を聞かされ、部下はがっかりした顔をする。
    「たった、それだけなんですか?」「……だが」
     ドミニクは口ヒゲを触りながら、ニヤリと笑った。
    「もう1ヶ月の猶予を私にくれればそれを5倍、50%ほどにできる」
    「……分かりました。待ちます」
     その自信たっぷりな様子に安心したらしく、部下は敬礼し、ドミニクの部屋を出た。

     ドミニクは大火の情報を集めるうち、いくつかの有力な情報を得た。
    (318年、北方のブラックウッドで元反乱軍とカツミとの、最後の戦い。結果的には勿論、カツミの勝利。
     だが敵リーダーである『猫姫』ことサンドラ氏が戦闘中、正体不明の術を使用。これによりカツミは負傷したと、記録にはある。後の研究・検証によれば、サンドラ氏の使った術は恐らく、『雷』の術であったのではないか、……か。そうか、『雷』の術は有効なのだな。
     また、南海でのトライン導師との戦いで、カツミは一度敗れている。後に逆襲したとは言え、カツミが倒されたのは事実。……それも、『風』の術で。
     稀代の魔術師と称されるあの男が、魔術による戦いで二度も苦戦しているのか。ならば、魔術をメインに据えた布陣を敷けば、あるいは……?)
     ドミニクの頭の中に、大火を倒すシナリオが組み立てられていった。



     そして499年、12月19日深夜。
     ドミニクの部隊は、大火が央北の商業都市、サウストレードに滞在していることを突き止め、静かにその街へと向かった。
    《『弓』より『金矢1』へ、『鴉』の様子は?》
     散開し、あちこちで見張らせている部下たちとドミニクは、手信号で合図しあう。
    《『金矢1』より『弓』へ、現在『鴉』は大交渉記念ホール前の広場で停止しています》
    《了解。『弓』より『銀矢1~3』へ、包囲準備は万全か?》
     追加で部隊に編入させた魔術使いの兵士に、最終確認を行う。
    《『銀矢1』より『弓』へ、準備整いました》
    《了解。『金矢1~5』へ、強襲準備は万全か?》
     元から参加していた兵士たちからも、「準備が整った」と返事が返ってきた。
    《了解。……『矢』に告ぐ。作戦開始だ》
     ドミニクが手を挙げると同時に、大火がいる広場で炸裂音が響いた。
    (始まった……。いよいよ作戦が、始まってしまった。
     カツミは魔術攻撃に対して、相当無防備らしい。それは二度の苦戦で、明らかにされている。自身が優れた魔術師であるが故に、他人の術など評価にも値しないのだろう。
     だが、そこが何よりの隙なのだ――一瞬でも奴の魔力を上回る攻撃ができれば、奴の油断も重なって、かなりの打撃になる。そこで畳み掛けられれば、勝機は見出せる!
     そのために、軍へかなりの無理を注文した。魔力を引き上げるための装備拡充、瞬間的に術の威力を高めるブースト術の開発、3名の魔術兵の連携、さらには歩兵たちに対魔術用の重装備を――恐ろしく費用がかかった。この作戦が失敗すれば、私が軍を追い出されるのは必至だろう。
     ……ははは、それよりもカツミに殺される方が先か)
    「神に祈ってどうなる」と前任者に怒鳴りつけたドミニクだったが、今この瞬間、彼は懸命に祈りを捧げていた。
    (神よ、どうか私に明日の朝日を見させてください。
     どうかこの、『鴉狩り(レイブンシュート)』を成功させてください)
    蒼天剣・九悩録 5
    »»  2009.07.06.
    晴奈の話、第326話。
    ドミニクV.S.大火。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     大火は何故、そこにいたのか? 一体何をしていたのか? それは分からない。
     しかしドミニク隊にとって、彼がそこで突っ立っていたのは千載一遇のチャンスに他ならなかった。
    「……」
     大火は目をつぶって腕を組み、一言も発さずにその建物の前に立っていた。
     そこは200年前、中央政府と金火狐財団が央中の利権についての交渉を行った議事堂である。「大交渉記念ホール」と名付けられ、歴史に名を残す建築物として、サウストレードの観光地の一つとなっていた。
    「……クク」
     大火が目を薄く開く。それと同時に、バリバリと言う耳をつんざくような爆音が響いた。

    「『サンダースピア』!」
     魔術兵3名が、三方から雷の槍で大火を貫く。三つの槍の交差点には凄まじい電気エネルギーが集まり、周囲の空気が一瞬でカラカラに乾いた。
    「……どうだ!?」
     魔力を高める装備に強化術、そして三人がかりの高出力魔術――並の人間ならば、この時点で跡形もなく燃え上がり、蒸発している威力である。
    「ク、ク……、な、る、ほど、なるほど」
     だが、笑いを押し殺したような声が聞こえてくる。魔術兵たちは一様にゴクリとのどを鳴らし、大火の様子を探る。
     と、まるで攻撃した者たちに講義するかのように、大火の声が返って来る。
    「通常の、……15、16倍と、言うところ、か。流石に少し効いた、な。悪くない戦法だ」
     大火の黒髪はまるで古びたほうきのようにうねり、真っ黒なコートもブスブスと煙を上げている。
     だが、大火が髪を撫でつけ、コートの裾を払うと、それらは何事もなかったかのように、元通りになってしまった。
    「無傷……!?」
    「まだだ! まだ、もう一発!」
     魔術兵たちはもう一度、雷の槍をぶつけようと呪文の詠唱を始めた。それと同時に、大火がユラリと動き出す。
    「動くな、カツミいいいぃッ!」
     すぐに強襲要員の兵士5名が広場に乗り出す。
    「む……」
     大火は素早く刀を抜き、逆手に構えて左からの初弾を防ぐ。だが反対方向から別の兵士の剣が、大火の右肩を狙って振り下ろされた。
    「覚悟おおおぉぉッ!」
    「『覚悟』だと?」
     しかし剣の刃はコートの表面で止まり、大火の肉や骨を断つには至らない。
    「でやあああッ!」
     続いて槍を持った兵士の、三撃目の刃が大火の腹を狙う。そして四人目、五人目となだれ込み、大火に集中攻撃を仕掛けていく。
     しかし――どの攻撃も大火の刀か、あるいは彼が着込んでいる「漆黒のコート」に阻まれ、まったく通らなかった。
    「俺がお前らに対して、何を覚悟すると言うのだ?」
     大火は初弾を入れた兵士にすっと近寄り――皮手袋をはめてはいるが――剣の先端を手で握る。
    「う……あ……」
     兵士の顔がみるみる青ざめる。
    「むしろお前の方に、覚悟がいるだろう? この俺に刃を向けたらどうなるか、知らぬわけではあるまい」
     大火がつかんでいた剣がギチギチと奇怪な音を立て始め、先端が大火の掌と指の形に変形していく。
    「お前ら全員、生きたまま明日の朝日を見られると思うな」
     みぢっ、と言う怖気の走る音とともに、剣が握り潰された。

     RS作戦の開始から2時間が経った。
     辺りには妙に鼻を突き、舌がしびれるようなきな臭い匂いが漂い、また極度の乾燥によって、大量の霰(あられ)が降り注いでいた。
    「か……っ」
     大火の刀が、強襲要員の一人を左右真っ二つに断ち割る。残っている兵士は、既に3名となっていた。
    「も、もう一回……、もう、一回、……」
     唯一大火にダメージらしいダメージを与えた雷の槍を、魔術兵たちは必死で唱え続けていた。だが何度も己の身に余る魔力を消費してきたためか、三人とも顔色は蒼白を越えて真っ白になり、鼻や目からポタポタと血を流している。
    「もう、一、……」
     ついに一人が耐え切れず、大量の吐血と共に倒れた。
     離れて様子を伺っていたドミニクは舌打ちし、剣を抜いた。
    (魔術攻撃もこれまでか……! 強襲要員の攻撃も、まるで効いていない。
     ……私が討たなければ!)
     ドミニクは広場へと駆け出し、一気に大火の元へと駆け込んだ。
    「カツミ・タイカ! 私が相手だ!」
    「フン……、離れて傍観していれば、命くらいは見逃してやったものを。よくもまあ、死にたがりばかり集まったものだな」
     大火はそう言いながら、横にいた兵士の頭を斬り落とす。
    「……ッ! やめろ、相手は私だッ!」
     ドミニクは大火の頭を目がけ、剣を振り下ろす。大火はそれを後ろに退いて避けようとしたが――。
    「む……?」
     避けたはずの大火の左頬に、すっと赤い筋が走る。ここでようやく、大火の目に驚きの色が浮かんだ。
    「避け切れなかった、……だと? ふむ」
    「見切ってみるがいい、カツミ!」
     ドミニクはもう一度、大火を斬り付ける。大火は先程と同様後ろに退き、ドミニクの剣をかわした。
     が――大火が、左肩を押さえている。
    「……ふむ。避け切れなかったわけではなく、避けた先にもう一太刀仕掛けていた、か」
     大火はもう一歩退き、逆手に握っていたままの刀を脇に構えた。
    「驚くべきは、それを一振りの刀でやってのけた点だな。この一瞬で二太刀か」
    「これはどうだッ!?」
     ドミニクは先の二回よりもさらに早く剣を払う。一太刀、二太刀目は刀に阻まれ、避けられたが、三太刀目は大火の右袖をビッと音を立てて引き裂いた。
    「……! 流石に『雷』を食らいすぎたか。『神器』の力が弱まっているようだ」
     大火は破れた右袖を一瞬チラ、と眺め、すぐにドミニクへ視線を戻す。
    「それだけではないか。お前自身の腕も相当優れている。……なかなか楽しめそうだ」
     大火はニヤリと笑い、ドミニクに斬りかかった。



     それから何時間が、いや、何日が経ったのか――ドミニクは中央軍本部の医務室で、目を覚ました。
    「……!?」
     起き上がろうとしたが、全身に刺すような痛みと耐えがたい倦怠感がまとわりつき、指すら動かせない。
    (私は……? 一体、どうなったのか……? カツミは、殺れたのか……?)
     その問いに応える代わりに、窓の外でカラスが笑うように鳴いていた。

     半月後、ドミニクはRS作戦に参加した部下が全員死んだこと、サウストレードから軍本部までは、標的の大火自身が彼の身柄を運んだこと――即ち、RS作戦が失敗したことを知った。
     ちなみに大火が何故、ドミニクを軍まで運んだのかは不明だった。
    蒼天剣・九悩録 6
    »»  2009.07.07.
    晴奈の話、第327話。
    二転、三転の人生。

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    7.
     部下を全員失った、満身創痍のドミニクに待っていたのは、軍の冷たい反応だった。
     軍の支援でやってきた「RS作戦」は、いつの間にかドミニクの独断専行、軍の命令を無視した勝手な行動とされていた。大火からの報復を恐れての、軍本営の工作である。
     自分にかけられていた期待は罪に変わり、それを咎められ、罰を受けることになった。刑は禁固9ヶ月、その後に強制除隊。
     また現れた「9」の呪いに、ついにドミニクの心は歪んだ。



     それからしばらく後、央北では「カツミ・タイカを称えると殺される」と言ううわさが流れるようになった。ドミニクが大火の信奉者を次々と襲撃し、殺害していたからである。

     ドミニクは強制除隊後、裏の世界へ墜ちた。軍を追い出され、札付きとなった男が活躍できる場は、そこしかなかったからである。
     いや、それ以上にドミニクの中に、大火に対する憤怒や恨みが強かったのだ。部下を殺され、さらに軍人であった自分に対してこれ以上無い辱めを与えた大火に、ドミニクは偏執的とも言っていい執着を感じていた。
     そしてその狂気は親大火派の貴族や官僚、大臣たちに向けられた。大火に取り入り、彼が握る利権や財産などを狙う者、または有事の際に守ってもらえるようにと画策している者たちをドミニクは執拗に狙い、暗殺し続けた。
     軍の方も、狙われた者たちの殺され方といくつかの情報網から、犯人はドミニクであると割り出していた。しかし、相手は大火に多少ながらも打撃を与えたほどの実力を持つ男である。警備に向かわせた兵士たちはまるで相手にならず、犠牲者が増えるばかりだった。

     そして、ドミニクが9件目の暗殺に向かった時――彼に人生の転機が訪れた。



     窓をぶち破り、ドミニクはその屋敷に侵入した。途端に辺りは騒がしくなり、屋敷中に灯りが灯される。だがドミニクは一向に意に介さず、標的の部屋へと足を進める。
    (この廊下を進み、右だったな)
     廊下の曲がり角から、先の様子を確認する。ところが予想に反し、警備兵も使用人もいない。
    (……?)
     後ろからも、人が来る様子は無い。妙な雰囲気を感じ取り、ドミニクは警戒していた。
     と――。
    「入ればーぁ?」
    「!?」
     誰もいなかったはずの背後から、妙に甘く伸ばした男の声が聞こえてきた。
    「だ、誰だ!?」
    「アタシ?」
     振り向くとそこには、白衣を着たオッドアイの猫獣人が立っていた。
    「アタシはシアン。アンタ、今世間を騒がせてる『阿修羅』よねーぇ?」
    「……お、女? それとも?」
     格好や仕草、背丈を見れば女なのだが、声と体型を考えれば男としか思えない。今まで出会ったことのないタイプの人間に出会い、ドミニクは困惑した。
    「どっちでもいいじゃなぁい。
     それよりもーぉ、アンタのコトずーっと待ってたのよぉ、アタシたち」
    「な、に?」
     シアンと名乗った猫獣人は、ドミニクの手を引いて奥の部屋へと進む。
    「旦那様――バニンガム卿がお待ちよーん」

     アドベント・バニンガム伯爵。彼は今日、ドミニクが狙っていた標的だった。だが、その本人がドミニクを待っていたと言うのだ。
    「……」
     バニンガム卿の部屋に通されたドミニクは、目の前に座る初老の短耳――バニンガム卿を奇異の目で見つめることしかできない。彼を前にしたドミニクの頭は、非常に混乱していた。
    「そんなに不思議かね?」
     バニンガム卿が口を開く。ドミニクは何も言わず、黙り込む。
    「いや、そう思うのも無理は無いだろうな。まさか暗殺しようとしていた相手から、こうして招待を受けるなど、誰も思わない」
     バニンガム卿はそう言って、紅茶に口を付ける。
    「さ、君も飲みたまえ。毒など入っていないから、安心していい」
    「……」
     ドミニクはなお、口を開かない。シアンから紅茶を渡されたが、手に持ったままだ。
    「シアン。周りに人の気配は?」
    「無いわぁ。さっき一人来たけど、追い払っておいたわぁ」
    「そうか。それなら、肚を割って話せるな。
     私の名と役職はご存知だろうから、君の知りえないことから紹介しよう。君は、私が親大火派と思っているのだろう。だからこの屋敷に侵入した。そうだね?」
    「……」
     ドミニクは短くうなずいた。その反応を見て、バニンガム卿はニヤッと笑う。
    「ところが実際は、まるで違うのだ」
    「違う?」
     ドミニクは思わず聞き返す。
    「私は実は、カツミを中央政府から排除しようと企んでいる。現在親大火派を装っているのは、擬装なのだ」
    「戯言を……」
     怒鳴りかけたドミニクの口に、シアンが指を当てる。
    「叫んじゃダ・メ。人が来ちゃうでしょーぉ?」
    「まあ、話を聞きたまえ。
     私の真意も君と同じなのだ。私も、カツミを中央政府から排除しようと画策している。そして――少し言い方は悪いかもしれないが――滅多やたらに動き回っている君よりも、もっと効果的で、もっと確実な方法で、カツミを倒そうとしている。
     そのために私は、秘密裏に人を集めている。カツミを倒すための、兵隊作りをしているのだ。その名も、秘密結社『殺刹峰』――カーテンロック山脈(峰)に集まる黒炎教団(刹)を、ひいてはカツミを倒す(殺)ための組織だ。
     そこで、だ。君に、その組織へ入ってもらいたい。どうかね?」
     突然の勧誘に、ドミニクは言葉を失った。
    「なっ……」
    「どうせ君も、カツミを倒そうとしているのだろう? 我々は、一騎当千の君が来てくれれば心強い。君も、単騎であの『黒い悪魔』に挑まずに済む。
     悪い話ではあるまい?」
     不敵に笑うバニンガム卿に気圧され、ドミニクは思わず紅茶をすすっていた。
    蒼天剣・九悩録 7
    »»  2009.07.08.
    晴奈の話、第328話。
    魔女と本の力。

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    8.
     9件目の――バニンガム卿の暗殺が未遂に終わった辺りから、彼の「9の呪い」は引っくり返った。
     それまでずっと9が付くものに悩まされ続けていた彼は、この時から9が付くものにツキが向くようになったのだ。9件目の暗殺でバニンガム卿の組織、殺刹峰に加入することになり、あちこちの街で兵士を集めるための人身売買や誘拐を行うと、9度に1回、必ずと言っていいほど優秀な人材が手に入った。
     これまでの悩みが幸運の象徴になったことから、彼は何となく、こんな風に考えていた。

    「物事は皆、表裏一体なのだ」
    「そう……」
     殺刹峰のアジトで、ドミニクはこの組織をバニンガム卿から一任されている狐獣人の女性、通称「ウィッチ」と話をしていた。
    「これまで清廉潔白に生きてきた間、『9』は私にとって不幸の種だったのだ。ところがこうして悪の道に入った途端、『9』が付くと何もかもうまく行く。
     片方では災いとなるものも、もう片方では幸運を呼ぶものになる」
    「ふーん……」
     ウィッチはどうでもよさそうに返事したが、何かを思い出したように語り始めた。
    「それって、央南禅道の『陰陽』ね」
    「おんみょう?」
    「物事は『善』と『悪』の二つに分かれているわけではなく、『善悪』と言う一体のものなのだ、って。友人が良くそんなことを言っていたわ。
     ……その友人も、その考えにやられたようなものなのだけど」
    「ほう?」
     珍しく多弁になるウィッチに、ドミニクは興味を持った。
    「その友人とは?」
    「話さなきゃいけない?」
     途端に嫌そうな顔をしたので、ドミニクは話題を切り替えようとした。
    「あ、いや」「長耳の、央南人の女性で……」
     ところが、ウィッチは話し始めた。
    「古美術商をやっていたセッカと言う人で、とても聡明で美しい人だったわ。
     セッカもずっと独身で、長い間独り身だった。でも、ある時古い街で魔術書を見つけて……」
     そう言ってウィッチは、膝に抱えていた本を手に取った。
    「それが、その魔術書?」
    「ええ。現代語に約すと、『魔獣の本』。あらゆる生物や物質を怪物にできると言う、優れた魔術書よ。
     そうね……。見せてあげる、トーレンス」
     ウィッチはヨロヨロと立ち上がり、部屋で飼っていたカエルを手に取った。
    「***……、***……、*****……」
     何かをつぶやいているが、魔術知識の無いドミニクには何と言っているのかさっぱり分からない。
    「トーレンス、そこのティーカップを取ってちょうだい」
    「あ、うむ」
     ドミニクからティーカップを受け取ったウィッチは、もう一言何かをつぶやく。
    「***……」
     すると、ドミニクの目に信じがたい光景が飛び込んできた。
     ウィッチの右手に持っていたカエルの肌が、どんどんツルツルになっていく。その質感はまるで、ティーカップのようだった。
     そして左手に持っていたティーカップが、モコモコと変形していく。
    「あなたにあげるわ。大事に飼いなさい」
     ドミニクの手に戻されたティーカップは、真っ白なカエルになっていた。
    「な、な……!?」
    「これが『魔獣の呪』。物質に生命を与え、既存の生命を魔獣に変える。
     この術を、セッカは二つの人形に使ったの。人形は二人の赤ん坊になったわ。セッカはその子たちを、自分の子供として扱ったわ。
     でもその子たちを作った代償を――人形の代わりにするものを選ばなかったセッカは……」
    「……人形に、なってしまった、と?」
    「ええ……」
     ウィッチは陶器になったカエルを握りしめながら、席に戻った。
    「自分の子供たちのために、セッカは人形になった。
     これもまた『陰陽』。何かを選べば、何かを失うことになる。何かがプラスになれば、どこかでマイナスが生まれる。
     物事は各個独立したものではなく、すべてつながっているのよ」
    「……なるほど」
     ドミニクは深くうなずきながら、手の中のカエルを見つめていた。
    蒼天剣・九悩録 8
    »»  2009.07.09.
    晴奈の話、第329話。
    思いもよらない話。

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    9.
     ドミニクはいつからか、自分を「モノ」と呼ばせるようになった。
     ウィッチから聞いた「陰陽」の思想が余程気に入ったらしく、己を「混然一体の者」――「モノ(単一)」としたのだ。

     モノは大陸中を駆け回り、殺刹峰のために働いた。表面上は単なる犯罪者、単なるならず者として活動し、「大火を倒す」と言う本来の目的を覆い隠した。
     殺刹峰全体としても同様に本懐をぼかし、普通の犯罪組織、普通のならず者集団として、世間の目を欺いてきた。
     そしてモノが加入してから17年が経った、双月暦519年。大火襲撃の準備は、最終段階に来ていた。優れた素質を持つ者たちに訓練を付けさせ、魔術や薬品によって強化を施した超人たちの部隊、「プリズム」は9部隊編成となった。
    「9」を味方に付けたモノにとって、この時点でのプリズムはこれ以上無い、理想的な体制となっていた。

     だが、後一つだけ足りないものがある。それは「実戦の経験」である。
     一個の「戦士」にとって、経験はどんな武器や技術よりも重要な装備なのだ。仮に最終目標である大火とプリズムが、実力では伯仲していたとしても、大火には数百年もの戦闘経験がある。
     このままぶつかればどうなるか、モノには容易に予想が付いていた。
    (最終計画の実行までに、少しでも戦闘の経験を積ませなければ。
     プリズム9名の実力は既に、私のそれをはるかに凌駕するまでに至った。だが、彼らのほとんどは私に敵わない。経験も加味した上での総合力は、私に到底及んでいない。……それは即ち、大火にも及ばないことを示唆している。
     それではまったく無意味なのだ……! もし彼らがこのまま進化、成長しなければ、この17年はすべて無駄になる!
     もっとだ……! もっと皆に経験を積ませなければならない!
     これは最終訓練なのだ――プリズム9名にとっての)



    「……とまあ、これがヴァーチャスボックスで手に入れた情報と、俺たちが今まで集めてきた情報を合わせた上での、俺の仮説だ」
     バートの長い説明を聞き終え、ジュリアは深くうなずいた。(ちなみにシリンと小鈴は話が長すぎたため、眠ってしまっている)
    「殺刹峰の本当の狙いがカツミ、……ねぇ。
    『阿修羅』が起こしたと言う暗殺事件は、私も耳にしたことがあるわね。確かに私も、バニンガム伯の暗殺失敗以後、『阿修羅』が一時期姿を消したと聞いているわ。
     でも、その仮説は飛躍しすぎじゃないかしら。今も伯爵は、親大火派なわけだし」
    「それだけじゃない。他にもいくつか、『阿修羅』とバニンガム伯のつながりを示すものはある。ま、それに関しては議題と外れるからここでは論議しねーけど、ともかくこの仮説は俺なりに確信があるんだ。
     間違いなく、殺刹峰の最終目標はタイカ・カツミの暗殺にある。そして俺たちを襲ってくるのも、単に邪魔者ってだけじゃなく、大規模な実戦訓練の一環なんだろう。もし邪魔ってだけなら、ウエストポートに到着した時点で攻撃すりゃ良かったんだからな」
    「……うーん」
     まだ納得行かないらしく、ジュリアは視線をバートから、机上の資料に落とした。
     と、ここでフォルナが手を挙げる。
    「会議も長くなりましたし、少々本題から外れてきているご様子ですし、ここで一旦、休憩をとってはいかがかしら?」
    「……そうね、休憩しましょう。下でお茶でも飲みましょうか。
     ほらコスズ、起きて」
    「んえ?」
     ジュリアはすっかり爆睡していた小鈴を揺り起こす。フォルナはジュリアの横に立ち、微笑みかけた。
    「わたくしもご一緒しようかしら。ほら、シリンも起きて」
    「あ、じゃあ僕も」
     そう言って立ち上がりかけたエランに対し、フォルナはぷいと横を向いた。
    「女同士でお話したいことがありますの。殿方はご遠慮願いたいのですけれど」
    「あ、……はい」
     エランはしょんぼりした様子で、席に座り直した。

     フォルナはジュリア、小鈴、シリン、晴奈の4人を連れて1階の食堂に入った。
    「フォルナちゃん、何かあるんでしょう?」
     ジュリアは小声でフォルナに耳打ちする。
    「ええ、お察しの通りですわ」
    「一体何だ?」
     尋ねてきた晴奈を、フォルナはじっと見つめる。
    「セイナ、わたくしの質問に答えて?」
    「え?」
    「わたくしが今かぶっている、白いモコモコの帽子。これはいつ、どこで買ったものかしら?」
     晴奈は面食らった様子を見せるが、素直に答えてくれた。
    「え……と、それは確か、ゴールドコーストでロウに初めて会おうとした時、付いてきたお主が機嫌を損ねたことがあっただろう? その時、機嫌を直そうと思って買った品だった」
    「本物ですわね」
    「は?」
     晴奈は何が何だか分からない、と言う顔をしている。続いてフォルナは、小鈴に指示を送った。
    「コスズさん、『鈴林』さんに何か声をかけてくださらない?」
    「え、いーけど? ……『鈴林』、元気?」
     小鈴が椅子に立てかけていた「鈴林」が、ひとりでにしゃらんと鳴る。
    「こちらも、本物ですわね。……シリン、この字はなんと読むのかしら?」
     フォルナは紙に「鱈」「鰤」「鱸」と言う字を書く。
    「たら、ぶり、すずき」
    「本物ですわね」
    「……シリン、こんなの読めんの? 文字読めないっつってたじゃん。しかも央南語だし。アタシにも読めないわよ」
     横で見ていた小鈴が呆れた声を上げた。
    「へっへー、食べ物系はちょー得意やねん。アケミさんにも教えてもろたし」
    「逆に、シリンくらい興味が無ければ、なかなか読めませんわね」
    「それでフォルナちゃん、私には何を質問するのかしら?」
     察しのいいジュリアに、フォルナはにっこりと笑いかけた。
    「バートさんと知り合った場所はどちら?」
    「……そんなこと、教えたことあったかしら?」
    「ございませんわ。まあ、ジュリアさんも本物だと分かっておりましたけれど」
     そこでようやく、他の三人もフォルナの質問の意図が分かった。
    「偽者がいる、と?」
    「ええ。少なくとも今、上に1名偽者が紛れ込んでいらっしゃいますわ」
     フォルナの言葉に、晴奈たちは目を丸くした。

    蒼天剣・九悩録 終
    蒼天剣・九悩録 9
    »»  2009.07.10.
    晴奈の話、第330話。
    偽者は誰でしょう?

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    1.
    「偽者がいる、と?」
    「ええ。少なくとも今、上に1名偽者が紛れ込んでいらっしゃいますわ」
     フォルナの言葉に、晴奈たちは目を丸くした。
    「だ、誰だ?」
    「それを言う前に、……皆さん。フェリオさんとナラサキさん、バートさんが本物かどうか、確認していただきたいのですけれど」
    「エランは? 聞かへんの?」
     まだ事態が呑みこめていないシリンに、フォルナはにっこりと笑って首を振る。
    「わたくしが既に確認していますわ」
    「そっかー。……んじゃ、えーと、どないして聞いたらええんかな?」
    「そうですわね、二人の間でしか知りえないことを質問してくだされば」
    「あいあい」
     シリンはコクコクとうなずき、立ち上がろうとする。
    「待って、シリン」
    「ん?」
    「今聞いてはいけませんわ。偽者がいる、と言ったでしょう?」
    「うん」
    「偽者にそんな質問をしていることを知られたら、警戒させてしまいますわ。
     変に警戒され、行動でも起こされてしまえば、一緒にいらっしゃるフェリオさんにもご迷惑がかかってしまいますわ」
     フォルナに優しく説明され、シリンは素直にうなずいた。
    「あー、そーやんなー。そんならやー、後で二人っきりになった時とかの方がええんかな」
    「ええ、その時に」
     ジュリアは時計を見て、席を立ち上がる。
    「そろそろ休憩も終わりね。……気を付けて会議に臨むとしましょう」
    「ええ」
     会議の場に戻ると、横になっていたバートがゆっくりと身を起こした。
    「お……、戻ってきた」
    「ええ。さあ、会議の続きよ。
     敵の狙いらしきものは見えてきた。でも私たちはまだ、肝心なものを見つけていない」
    「敵の本拠地、だね?」
     楢崎の答えに、ジュリアはコクリとうなずく。
    「ええ、その通りよ。まだ私たちは、敵がどこから来ているのかも、どこで待ち構えているのかも分かっていない。これでは到底、敵を倒すのは不可能だわ。
     最優先事項は『敵の本拠地を探すこと』、この一点よ」
     その後も細々とした意見調整を行い、今回の会議は終わった。



     その夜、女性陣はもう一度食堂に集まった。
    「確認できたわ。バートは本物よ」
    「あたしと晴奈も確認してきたわ。瞬二さんも確かに本物だった」
    「フェリオも本物やったでー」
     それぞれの返答を聞き、フォルナを除く全員がけげんな顔をした。
    「……え?」
    「全員、本物?」
    「どう言うことかしら、フォルナさん?」
     口々に尋ねてくる四人に、フォルナはにっこりと笑って場を静めさせた。
    「落ち着いて、皆さん。……わたくしも、三人は本物だと思っておりましたもの」
    「……?」
     四人が静かになったところで、フォルナは説明を始めた。
    「まず、ジュリアさんの報告を聞いた時、皆さんもこう考えたことでしょう――『なぜジュリア班にだけ、敵が2部隊も現れたのか?』と」
    「ああ、それは確かに」
    「実のところ、わたくしたちとバート班にも、もう1部隊来ていたのでしょう」
    「え……?」
     フォルナは紙に、「フォルナ」「バート」「ジュリア」と名前を書き、丸で囲んだ。
    「わたくしが敵の司令官ならば、こう考えますわ。『相手は公安と、闘技場の闘士たちだ。半端な対処では、返り討ちもありうる』と」
     丸で囲んだ名前に、それぞれ長い矢印と短い矢印を書き込む。
    「ですから、始めから全ての班に2部隊ずつ送っていたのではないでしょうか? もし1部隊が打撃を受け、窮地に陥っても、もう1部隊が何らかのフォローをする。これならば、1部隊ずつ送るよりももっと、確実性が増しますわ」
    「そりゃま、確かにそーよね。でも他の班はいないって……」
     小鈴の指摘に、フォルナは短い矢印を消し、長い矢印と向かい合うように矢印を書き直した。
    「一方は本隊、もう一方は支援部隊と考えれば、説明が付けられますわ。
     ジュリア班の場合は本隊が窮地に陥ったので、やむなく支援部隊が姿を見せた。そしてバート班は、本隊からバートさんを逃がす形で、支援部隊が配置されていたのでは無いでしょうか?」
    「どう言うことかしら?」
     ジュリアの問いに、フォルナはノートの絵を描きながら答える。
    「あの情報――バートさんが老人から得たと言うノートが、敵に用意されたものだとは考えられませんかしら?」
    「……確かに、できすぎた話だとは思ったわね。敵から逃げるうちに転がり込んだ家で、敵の情報が手に入るなんて」
    「でしょう? その老人が、支援なのではないかと」
    「じゃあ、あの情報は偽物ってコト?」
     小鈴の考えを、ジュリアが否定する。
    「それは……、考えられなくは無い。でも、ノートの内容と過去に起こった事件の詳細を比較して考えれば、非常に信憑性があると思うわ。まるっきり偽物とは、言い切れないわね」
    「わたくしも本物だと思っておりますわ。……でなければ」
     次に出たフォルナの言葉に、ジュリアの背筋に冷たいものが走った。
    「罠に誘い込めませんでしょう? 『エサ』が本物だからこそ、魚が釣れると言うものですわ」
    蒼天剣・藍色録 1
    »»  2009.07.12.
    晴奈の話、第331話。
    解答。

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    2.
    「こんなお話がありますわ。
     子猫の歩く先に、小さなパンがあります。子猫はそれを、喜んで食べてしまいます。
     そして少し歩くと、またパンが。さらに歩くと、またパン。
     そうしてパンをずっと食べ歩くうち、子猫は今にも崩れそうな橋の真ん中に誘い込まれ、立ち往生してしまう、……と」
     フォルナの話を聞いたジュリアはのどの渇きを感じ、水を一気に飲み干す。
    (20にも満たないこんな女の子が、よくこんな怖いことを考えるわね……)
    「わたくしたちは恐らく、このお話の子猫の状態にありますわ。でなければバートさんの仰っていた通り、ウエストポートで襲撃を受けていたはず。なのにそれが無く、散発的な攻撃しかしてこない。……誘ってらっしゃるのでしょうね」
    「敵が、わざと自分たちのところへと? 何のために?」
    「確実に仕留めるためですわ――自分たちの目の前で、逃がすことなく、打ち損じることもなく、確実に死んでもらうために」
    「どうしてそこまですると思うの? 考えすぎじゃない?」
     フォルナも水を飲み、ジュリアの目をじっと見つめる。
    「殺刹峰で兵の指導、司令に当たっているのはドミニク元大尉と言う方でしょう? その方は確実にカツミを仕留めるため、一ヶ月以上に渡って策を練り、作戦中もご自分で戦っていたと聞きました。
     そこまでなさるような方が、自分の目の届かないような場所で、他人に任せきりになさるでしょうか?」
    「むう……」
     フォルナの言うことももっともである。四人はうなるしかなかった。
     と、ここでシリンが手を挙げる。
    「なー、フォルナ。結局偽者って、誰なん?
     フェリオも、バートも、ナラサキさんも、エランも、ウチらも本物ってコトやったら、もう残ってるのフォルナしかおらへんやん」
    「わたくしは本物ですわ。今までの話は、最後までだまし通さなければならないのが前提ですもの。なのにそれをばらしてしまうと言うのは、矛盾してしまうでしょう?」
    「疑心暗鬼にさせて内側から瓦解させる、ってのも手だと思うけどね」
     小鈴の指摘を受けたフォルナは、ふるふると首を振る。
    「それなら、ノートは偽物でも構わないと言うことになりますわ。書かれていた内容は本物でしたのでしょう?」
    「……ま、確かに」
    「じゃあ、一体誰が偽者なの?」
     異口同音に尋ねられ、フォルナはようやく真相を明かした。
    「……わたくしがはっきり『本物』と言っていない人物が、一名いらっしゃいますわ。
     それに、ジュリアさんとバートさんのところにも支援が来ているのに、わたくしのところに来ないと言うのは理屈に合いませんわ」
    「その偽者がつまり、支援なわけだな」
     そう言った晴奈は、首をかしげた。
    「……ん? ……まさか」
    「ええ、その通りですわ」



     次の日情報収集に出かけた三班は、ある一名をわざと人通りの多い通りで引き離した。
    「あ、あれ?」
     彼はきょろきょろと辺りを見回す。
    「セイナさーん? フォルナさーん? ど、どこ行っちゃったんですか?」
     それを隠れて見ていた晴奈とフォルナは、他の班にそっと指示を送る。ジュリア班、バート班はそれに応え、静かに彼を監視し続ける。
    「……」
     晴奈たちの姿を探す振りをしていた彼は、突然無表情になる。そして、突然走り出した。
    《追うわよ!》
     ジュリアの指示に全員が従い、彼に気付かれないよう追いかけた。
     彼は街外れまで走り、そこで立ち止まる。
    「いらっしゃいますか、『インディゴ』様」
    「はい、ここですけど」
     彼のその声は、どう聞いても「彼」の声ではない。
    「今日の報告です。奴ら、ヴァーチャスボックスで手に入れた情報を元に、捜査を始めたようです」
    「なるほど。他には?」
    「え? いえ、特には」
    「あると思いますけど。……後ろ」
    「……!」
     彼が振り向いた先には、晴奈たち8人が立っていた。
    「あなたは一体、誰ですの?」
     彼――エランの顔と格好をしたその人物は、その顔をこわばらせた。
    蒼天剣・藍色録 2
    »»  2009.07.13.
    晴奈の話、第332話。
    お調子者のカメレオン。

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    3.
    「エラン」と青い髪の猫獣人は、晴奈たちを前にして硬直している。
    「……何でばれたんだ?」
    「わたくしが良く見知っているエランは、左利きですわ」
     フォルナは左手を挙げ、説明する。
    「一昨日、一緒に食事をした時。わたくしの左に座っていたあなたと、手がぶつかりました。左利きのエランなら、手が当たるはずがありませんもの」
    「……そこか、くそっ」
    「エラン」は舌打ちし、帽子を地面に叩きつける。その素行の悪さは、どう考えてもエラン本人ではない。
    「もう一度聞かせていただきますわ。あなたは、誰?」
    「……そこの猫侍さんなら知ってるさ。昔、戦ったことがあるからな」
    「エラン」は地面に叩きつけた帽子を拾い直す。
    「何?」
     だが、晴奈にはその男の正体が分からない。
    「私と、戦ったと?」
    「そうだよ、忘れたのか? ……ああ、こんなハナタレ坊ちゃんの顔じゃあ、分かんねーよな」
     そう言って「エラン」は顔で帽子を隠した。
    「……ほらよ、これで思い出しただろ?」
     帽子をどけた顔は、央南人じみたエルフの顔だった。それを見た晴奈の脳裏に、古い記憶が蘇ってきた。
    「……見覚えがある。そうだ、確か篠原一派と戦った時に見た覚えがある。名前は、……柳、だったか」
    「ヒュー、覚えててくれたか。嬉しいねぇ。……でも、それも偽名だ」
    「エラン」はまた、顔を隠す。今度は篠原の顔になった。
    「なっ……」
    「俺は何者でも無い。誰でも無い」
     また顔を変える。今度は天原の顔になった。
    「……誰にでも化けられる。擬装(カモフラージュ)できる」
     天原の顔でニヤリと笑い、また顔を隠す。
    「人は俺を、『カモフ』と呼ぶ」
     今度は晴奈の顔になった。それを見た晴奈は憤り、声を荒げる。
    「ふざけるなッ! 私の顔でしゃべるな!」
    「ククク……。『ふざけるなッ! 私の顔でしゃべるな!』」
    「なに……!?」
     カモフが叫んだのは、つい先程晴奈が怒鳴ったのとまったく同じ言葉と声だった。
    「どうだ、驚いたろ? 俺は一度見た奴なら、誰にでも化けられるんだ」
     カモフは依然、晴奈の姿でニタニタと笑う。その仕草に、晴奈の怒りは頂点に達した。
    「ふざけるなと……、言っただろうがッ!」
     一足飛びに間合いを詰め、カモフに斬りかかろうとする。
     が、それまで傍観していた青い「猫」が、晴奈の前に立ちはだかった。
    「ここで動けば、ろくなことにならないと思いますけど」
    「何だと?」
     青猫は涼しげな青い瞳を晴奈に向け、静かになだめる。
    「エランさんは、まだ生きてらっしゃいます。けど、ここで下手なことをすれば、死んでしまうかも知れません。それでもいいと仰るなら、僕は退きますけど」
    「……くっ」
     晴奈は怒りを抑え、元の位置に戻る。その間も、カモフは晴奈の姿でくねくねと動き、挑発している。
    「『あたし、セイナ、とっても、かっこよくって、かわいい、サムライちゃん、みたいな』」
    「貴様ああ……ッ」
     晴奈は顔を真っ赤にして怒っている。流石に見かねたらしく、青猫がカモフを諭した。
    「カモフ、話が進みません。それ以上ふざけていたら、僕が怒ります。それでもいいなら、存分にセイナさんを挑発してもいいですけど」
    「……すんません」
     青猫が一言たしなめただけで、カモフはすぐに黙った(依然、晴奈の姿であるが)。
    「困りましたね、それにしても。まさかこんなに早く、カモフの正体がばれてしまうなんて思いませんでした。
     まさかこのまま、僕たちの計画に付き合ってもらうなんてできないでしょうし、かと言ってこのまま帰還すれば、ドミニク先生から怒られるでしょうし」
     青猫の独り言を聞き、バートが反応する。
    「ドミニク……! やっぱりいるんだな、ドミニク元大尉が」
    「……おっとと」
     青猫は困った顔で、口を隠した。
    「いけないいけない。ついしゃべりすぎました。……どうしましょうかね、本当に」
    「提案がありますわ」
     フォルナが一歩前に出て、青猫と対峙する。
    「何でしょうか?」
    「わたくしたちと手を組めば、解決しますわ」
    「え……?」
     フォルナは目を丸くする青猫に構わず、とうとうと語る。
    「わたくしたちはこのまま、あなた方の計画に乗せられた振りを続けます。それなら、ドミニク元大尉のお怒りを受けずに済むでしょう? その代わりに、エランの無事と情報提供をお願いしたいのですけれど」
    「……あの、確かお名前、ファイアテイルさんでしたよね。
     ファイアテイルさん、勘違いされては困ります。別に、あなた方の提案を呑まなければいけない、と言うことは無いんですけど」
     青猫は困った顔で、フォルナとの距離を詰め始めた。
    「だってやろうと思えば、あなた方をここで、3、4人殺すことも可能なんですから。下位の人間と交渉なんて、する意味がありませんよ」
     青猫はそっと、フォルナの顔に手を伸ばしてきた。
    蒼天剣・藍色録 3
    »»  2009.07.14.
    晴奈の話、第333話。
    毒男。

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    4.
     パン、パンと銃声が響く。
    「……痛いですよ」
     青猫はフォルナに伸ばしていた手を引っ込める。その甲には銃弾が突き刺さっていた。
     フェリオがいつの間にか、銃を構えている。
    「それ以上動くな、『猫』」
    「あなたも『猫』じゃないですか。……そう言えば、自己紹介がまだでしたね。
     僕の名前はネイビー・『インディゴ』・チョウと言います。殺刹峰特殊部隊『プリズム』の中では、ナンバー3に入る実力を持っています」
    「チョウ? ドクター・オッドと何か関係が?」
     尋ねてきたバートに、ネイビーは短くうなずいた。
    「ええ、実父……、って言えばいいのかな。それとも実母……? あの人、ややこしい性別ですからねぇ。
     ……いや、僕自身もややこしい人間ですし、どう言ったらいいのかな」
    「何をゴチャゴチャ言ってやがる。つまり、ドクターの息子なんだな」
    「あ、はい。そうですね、そう言った方が分かりやすかったですね、すみません」
     ネイビーは殺気立つ公安組に対し、はにかんでみせる。それがバートとフェリオの癇に障ったらしく、二人は晴奈と同様に憤る。
    「ふっざけんじゃ……」「ねえぞコラあぁ!」
     バートとフェリオは同時に銃を乱射するが――。
    「当たるわけないじゃないですか。言ったでしょう、ナンバー3だって」
     いつの間にか、二人のすぐ目の前にネイビーが立っていた。
    「いっ……」
     フェリオは慌てながらも、銃を構え直す。
    「それ以上撃っても無駄ですよ」
     ネイビーはフェリオの左手首を、そっと握った。
    「何すんだ! 離せ!」
    「分かりました」
     ネイビーは何故か素直に、握っていた手を離した。
    「くそっ……! 余裕見せやがって」
    「そりゃ、見せますよ。もうあなた、おしまいなんですから」
    「え……?」
     次の瞬間、フェリオは声にならない叫び声を上げる。
    「……~ッ!?」
     自分の左手が、ぼとっと落ちたからだ。
    「なっ、な……、なに、をっ……」
    「見ての通りです。腐って落ちたんです、僕の毒で」
     にっこりと笑ったネイビーに、フェリオはガチガチと歯を鳴らし、体を震わせていた。

     フェリオの手首が落ちたのを見て、その場にいた全員がぞっとする。ネイビーは依然ニコニコと笑いながら、自分の能力について説明し始めた。
    「実を言えば、厳密には僕、人間じゃないんですよ。ドクター・オッドの血と人形から生み出された、半人半人形の存在なんです。
     それでですね、半分人形ですから、体をある程度自由にいじれるんです。自分の両手に、強い腐敗性を持つ毒をしみこませ、それを使って戦う。それが僕の戦闘スタイルなんですよ」
    「あ……、あっ……」
     自分に起こった事態が呑み込めないらしく、フェリオはうずくまって自分の腐り落ちた手を呆然と眺めている。
    「だからですね……」
     ネイビーはそっと、フェリオの顔に手を伸ばす。
    「こうやって手を触れるだけで、誰でも一瞬で殺せるんです。
     あなたたちは武器や魔術を使わなきゃ人を殺せませんが、僕は素手で十分なんですよ。それがあなたたちと、僕との絶対的な差なんです」
    「やめろーッ!」
     シリンが駆け出し、あと少しでフェリオに触れるところだったネイビーに、ドロップキックを喰らわせた。
    「わっ」
     ネイビーは吹っ飛ばされ、ゴロゴロと転げ回る。
    「フェリオ、大丈夫か!? 気ぃ、しっかり持ちや! な!」
    「お、オレ、オレの、手、手が」
     フェリオの目は焦点が定まっていない。自分の手を失った異常な事態に、錯乱しかかっているらしい。
    「しっかりせえって!」
     シリンがバチ、と音を立ててフェリオの頬を叩く。
    「あ、あ……」
    「こんなん治る! 治るて! ほら、立ってって!」
    「治るわけないじゃないですか」
     転げ回っていたネイビーはフラフラと立ち上がり、いまだのんきな口調でしゃべっている。
    「腐ってるんですよ? くっつくわけが無い」
    「治る!」
    「あなた、本当に頭悪いんですね。くっつきようがないって、分かりそうなものですけど」
    「うるさい! 治る言うたら治るんや!」
     シリンは怒鳴りながら、ネイビーに襲いかかった。
    「……馬鹿すぎて呆れようがありませんけど」
     ネイビーは拳法の構えを取り、シリンの蹴りを受け流そうとする。
    「この手に触ったら、そこから腐り落ちます。僕がその脚を手で受けたら、どうなるか分かるでしょう?」
    「うるさいわボケぇぇぇッ!」
     シリンは飛び上がり、ソバット(空中回転蹴り)を繰り出した。ネイビーはため息をつきつつ、その脚をつかもうとした。
     ところが向かってきた右脚はそのまま前を通り過ぎ、軸足になっていた左脚が飛んでくる。
    「あっ」「だらっしゃあああッ!」
     ネイビーの両手をすり抜けて、シリンの太く大きな足が、ネイビーの顔面にめり込んだ。
    「う、が、か……ッ!」
     ネイビーはのけぞり、縦回転しながら、4回転ほどグルグルと回って地面に突き刺さった。
    「手がなんやっちゅうねんや、このゲス!」
    「あ、は……はは、油断、しました。……あれだ、け激昂し、てフェイ、ントをか、けるとは、恐れい、りました、よ」
     地面に突っ伏したまま、ネイビーがボソボソとしゃべっている。
    「帰れ! 消えろ!」
     シリンはフェリオのところに戻りつつ、ネイビーに向かって罵声を浴びせた。
    「……そうしま、す。ちょっ、と顔が、見せら、れないことに、なってしま、いましたから」
     ネイビーはヨロヨロと立ち上がる。確かにその顔は、筆舌に尽くしがたい「壊れ方」をしている。どうやら半分人形と言うのは、本当らしかった。
    「ああ……。あごが、半分なくなっ、ちゃって話しに、くい。それ、じゃ、失礼し、ます」
     ネイビーは顔を布で隠し、そのまま立ち去っていった。
    「え、ちょ、ちょっと『インディゴ』様!? 待ってくださいって! 俺、どうすれば!?
     ……あっ」
     いまだ晴奈に擬装していたカモフは、目の前にいる本物に気付いた。
    「さて、カモフとやら」
    「……はい」
    「まずは、私の顔と声で話すのをやめろ。話はそれからだ」
    蒼天剣・藍色録 4
    »»  2009.07.15.
    晴奈の話、第334話。
    ドS&ドS。

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    5.
     ネイビーとの戦いが終わってから、1時間後。
     フェリオとシリンは、まだ街外れにいた。いまだフェリオに、平静さが戻ってくる様子は無い。自分の体から離された左手を、呆然とした顔で見つめたままだ。
    「手……、手が……」
    「フェリオ……」
     シリンは泣きそうになり、フェリオの肩に手を置いた。
     と――。
    「はいはいはーい、賢者登場だね」
     先程のネイビーに勝るとも劣らない、のんきな声がかけられる。
    「誰や!?」
    「晴奈の知り合い。ほれ、手ぇ見せろってね」
     突然現れたモールは、ひょいとフェリオの左手を取った。
    「うわぁ……、グロいね」
    「何してんねんや、自分」
     シリンはモールの剣呑な振る舞いに怒りを覚え、つかみかかろうとした。
    「どけってね、デカ女」
     が、モールは杖をひょいとシリンに向ける。するとシリンはまるで鞠のように、斜め上へと飛んでいった。
    「うひゃああ!?」
    「治療してやるね。……『リザレクション』!」
     モールは腐り落ちた手とフェリオの手首とを持ち、呪文を唱える。すると腐りきっていた手に、いかにも健康そうな、桃色の肉が盛り上がり始めた。
    「あ……、あ……!?」
     その様子を見ていたフェリオの目にも、ようやく正気の色が戻ってくる。
    「手がまだ残ってて良かったね。じゃなきゃ、流石の私でも治せなかったね。あのデカ女が守ってくれてなきゃ、危ないところだった。感謝しときなよ」
     そう言ってモールは手を離す。完全に腐っていたフェリオの左手は、元通りに治っていた。
    「あ、……ありがとうっス、えっと」
    「私? 私の名はモール・リッチ、旅の賢者サマだね。……んで、それよりもだ。
     晴奈たち、ドコに行ったね?」

    「モール殿!」
     シリンたちと共に宿に向かったモールは、晴奈に歓迎された。
    「ちょうどいいところに! 私の仲間が、手首を落とされて……」
    「あー、コイツのコト? とっくに治しといたね」
    「あっ、……おお!」
     晴奈はフェリオの左手を取り、軽く握る。
    「いてて、痛いっス」
    「良かった、本当に……! かたじけない、モール殿!」
     頭を下げる晴奈に、モールは嬉しそうにはにかみながら手を振った。
    「いいっていいって、んなコト。いやぁ、ちょっとばかり手間取っちゃってね、こっちに来るのが遅れちゃってねぇ」
    「もしや、襲われたのですか?」
     晴奈にそう問われ、モールは肩をすくめて返す。
    「当たり。みょーな女でね、突然目の前に現れては魔術をバカスカ撃ってくる、かなりヤバ気なヤツだったね。……何とか撒いたけどさ」
     そう言ってモールは、「よっこいしょー」とため息をつきながら椅子に腰掛ける。
    「(所作は本当に老人だなぁ、この人は)モール殿でも倒せないような敵がいるとは」
     晴奈にそう言われ、モールは口をとがらせる。
    「だってね、いきなりポンって現れるんだよ!? あっちに出たかと思ったらこっち、こっちかと思ったらあっちって、んなもん相手しきれるワケないよね!?」
    「あ、し、失敬」
     余程執拗に狙われていたらしく、いつもに増してモールは、剣呑な態度を取ってくる。
    「んでさ、何があったのか教えてよ、晴奈」
    「あ、はい」
     晴奈は敵、カモフが仲間の一人に化けていたこと、カモフがネイビーと連絡を取ろうとしていたこと、そしてネイビーと戦って撃退し、残ったカモフを捕まえたことを説明した。
    「なるほどねー」
    「その敵が、あれです」
     晴奈は部屋の片隅を指差し、椅子に座るカモフを示した。
     目隠しと猿ぐつわをされ、縄で何重にも縛られているため、変身能力以外は普通の兵士と何ら変わりないカモフはまったく動けないでいる。
    「うぐー、うー」
    「コイツがその、カモフ?」
    「はい」
    「どんな顔してるね?」
     そう言ってモールは目隠しと猿ぐつわを外す。
    「……ふーん」
     見た途端、モールは非常に不機嫌になった。
     カモフはモールを見た途端、自分の顔をモールのものに変えたからである。
    「こーゆーふざけたヤツってさー、徹底的にいぢめ倒したくならないね?」
    「なるっ」
     モールの問いかけに、小鈴が即答する。その返事を聞き、モールはニヤッと笑った。
    「小鈴、キミは分かる子だねー」
    「モールさんもねっ」
     小鈴とモールはガッチリと握手を交わし、同時にカモフの方をにらんだ。
    「いいね? ……で、……して、……ね」
    「りょーかいっ。……で、……なって、……なるのね」
    「お、おい? 何する気だ?」
     まだモールの顔のままのカモフは、二人の異様な気配に震え出した。
    「よし、それじゃいっせーのせで」
    「いっせーの」「せ」「『シール』!」
     モールと小鈴は同時に呪文を唱える。
     するとカモフの顔がみるみる変形し、非常にのっぺりとした、特徴の無い男になった。
    「みっ……、見るなっ!」
    「へーぇ、見られたくないんだー、じゃーガン見しちゃうー」
    「見ろってコトだよねー、誘ってるよねー、変態さんだねー」
    「やめろおおおお!」
     カモフは顔を変えようとしているようだが、どうやっても術が発動できないらしく、顔は一向に平面のままで、何の変化も起こらない。
    「な、何で術が……!?」
    「『シール』は世間一般の術とは、ひと味違うからねー」
    「あたしたちが解除しようとしない限り、絶対術は使えないのよー」
    「そんな、バカな……っ! くそ、くそーッ!」
    「頑張ってる頑張ってる、絶対できないって言ってんのにー」
    「わー必死だ必死、ちょー焦ってるねー」
     はやし立てるモールたちに、能面のようになったカモフの顔が真っ青になっていく。
    「やめろ、やめてくれぇぇ! 俺の顔を見るなああぁ!」
    「きゃー叫んでるやだーきっもーい」
    「そんなに煽っちゃうと私ら本気出しちゃうよねー?」
    「ひいいいいいいっ……」
     その後小一時間、モールと小鈴のカモフいじりは続いた。
    蒼天剣・藍色録 5
    »»  2009.07.16.
    晴奈の話、第335話。
    急展開。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     モールと小鈴による「拷問」で抜け殻のようになったカモフから、晴奈たちはいくつかの情報を手に入れた。

     まず、プリズムの構成員について。
     プリズムは現在9名おり、どれも一騎当千の実力を持っていると言う。
    「飛ぶ剣術」を使うスカーフェイスの剣士、モエ・フジタ(藤田萌景)――バイオレット。
     風の魔術師で、晴奈に対して偏執的な恋愛感情を持つ、レンマ・アメミヤ(雨宮蓮馬)――マゼンタ。
     土の魔術師で、非常におっとりした天然っ子、ペルシェ・リモード――オレンジ。
     雷の魔術師で、プリズムの中では最も年の若い少年、ジュン・サジクサ(匙草純)――イエロー。
     兄妹の長物使い、ヘックス・シグマとキリア・シグマ――カーキとミント。
    「毒手」使い、ネイビー・チョウ――インディゴ。
     モールを襲ったと思われる変幻自在の暗殺者、ミューズ・アドラー――ブラック。
     そして彼らの頂点に立つ凄腕の女剣士、フローラ・ウエスト――ホワイト。
     特に上位三人、ネイビー、ミューズ、フローラの強さは別格で、ついさっきシリンに蹴倒されるまで、カモフは負ける姿を見たことが無かったそうだ。

     次に、いつ、どうやって、何故エランと入れ替わったのか。そして現在、エランはどうなっているのか。
     何にでも化けられる術、「メタモルフォーゼ」を使えるのは、殺刹峰では現在、カモフ一人だけである。だから対象者が一人きりの時にしか、入れ替わるチャンスは無かった。
     最初は最も非力なフォルナに化けようとしたのだが、フォルナはずっと晴奈と一緒にいたし、途中一度だけ別行動を取ったものの、それは人の集まるバーで酒を呑んだ時だけ。一人きりになることがまったく無く、カモフは彼女と入れ替わるのを諦めた。
     晴奈は毎朝一人で修行していたが、カモフの実力でどうこうできる相手ではない。こちらも諦めるしかなかった。
     そして残ったのがエランだった。幸いにもフォルナが呑みに、晴奈が朝の修行に行っている時、エランはのんきに眠っていた。他に代われる者もいなかったので、カモフはエランと入れ替わることにしたのだ。
     そして本物のエランは現在、殺刹峰のアジトに監禁されているとのことだ。
    「殺されたりせーへんかな?」
    「それは無いと思いますわ。だってカモフさんがこちらの手に落ちている以上、確実に本拠地へ向かわせるには……」
    「なるほど。エラン君がいなければまずい、と」
    「それでも早めに向かわないと、危ないかも知れませんわ。わたくしたちを急かすために、何らかの拷問にかけられるかも知れませんし」



     そして、最も知りたかった情報――殺刹峰の本拠地について。
    「それで、本拠地はどこにあるのだ?」
    「……知らない」
    「そんな訳が無いだろう。隠すとためにならぬぞ」
     凄んできた晴奈に怯えながらも、カモフは答えない。
    「本当に知らないんだ。いつも『移動法陣』で出入りしているから、どこにあるのかは……」
    「『移動法陣』? 黒炎教団の、か?」
     そこにモールが割り込み、補足説明をする。
    「『移動法陣』は別に克の専売特許じゃないね。私だってやろうと思えばできるね――ちょっと手間だけども――あいつは『魔獣の本』持ってるんだから、それくらいの魔法陣描くのはワケないね」
    「あいつ、だと? モール、まさか……」
     尋ねかけたカモフをモールがにらみつける。
    「あ? 呼び捨て?」
    「……モールさん、まさか、首領をご存知でいらっしゃいますので?」
    「ああ、知ってるね。……この40年近く、ずっと追いかけ続けた相手だしね」
     いつも人を食ったような態度のモールが、この時は妙に感傷的な雰囲気を見せた。
    「そんで能面、『移動法陣』はドコにあるね?」
    「俺たち下っ端兵士が良く使ってるのは、イーストフィールドの廃工場に隠してあるやつだ。それ以外は知らない」
    「なるほどね。……ま、こっちが来るのは読まれるだろうから、ガッチガチに迎撃準備されそうだね」
     モールは全員に向き直り、いつになく真剣な顔を見せた。
    「行く? 行かない?」
     その問いに、小鈴が小さく鼻を鳴らして答えた。
    「行くに決まってんでしょ」
     その言葉に、他の者たちも一様にうなずき、同意する。
    「よっしゃ決まりだ、早速行こうかね」
     モールは表情を崩し、またニヤニヤ笑い出した。

    蒼天剣・藍色録 終
    蒼天剣・藍色録 6
    »»  2009.07.17.
    晴奈の話、第336話。
    迎撃準備。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「ひっどいわねぇ……」
     オッドが困った顔で診察台の前に座っている。
    「すみま、せん、ドクター」
    「しゃべらなくていいってばぁ。怖いじゃないのぉ」
     診察台に横たわっているのはネイビーである。シリンの蹴りで顔を壊されたため、オッドの診察を受けている最中なのだ。
    「コレが人間だったら、顔面裂傷、右眼球欠損、頚椎・顎骨・頭蓋骨骨折……、頭が弾けてる致命傷よぉ? ……ホントにもう、潰れたトマトみたいになっちゃって。
     ともかくウィッチ呼んだから、安心しなさぁい」
    「はい」
     オッドはカルテを書きながら、ブツブツと愚痴をこぼす。
    「ミューズも腕吹っ飛ばされて帰ってくるし……。
     トーレンスがもっと積極的に集中攻撃やってくれれば、こんな風に大ケガ負うコト無かったのにねぇ」
    「心配し、てくれ、るんですね、ドクター」
    「しゃべんないでってばぁ」

    「知ってるー?」
    「プリズム」が集まる訓練場で、ペルシェとレンマ、そして黄色い僧兵服に身を包んだ短耳の少年が会話している。
    「何を?」
    「ネイビーさんとー、ミューズさんがー、大ケガ負っちゃったみたいー」
    「大ケガって、どのくらいの?」
     レンマが尋ねると、ペルシェは自分の顔に掌を乗せて説明する。
    「何て言うかー、ミューズさんはドミニク先生みたいになっちゃってー。それとネイビーさんはー、この辺りがぜーんぶ壊れちゃったってー」
    「どう言うこと?」
     聞き返してきたレンマに、少年が答える。
    「聞いたんですけど、何でもミーシャって女の人の、その、ソバットって言えばいいのかな、そんなのを顔に受けたみたいです」
    「へぇー。でもネイビーさん、半人半人形(ドランスロープ)だったよね? 確か8割くらい人形だって。それなりに体もいじってあるんじゃ」
    「それだけー、すっごい蹴りだったってコトだよねー」
    「敵も、強いんですね」
     少年が不安そうな顔をする。それを見たレンマがニヤニヤ笑って、少年の肩に手を置いた。
    「大丈夫だって、ジュンなら。まだ子供だし、手加減してもらえるよ」
    「こ、子供じゃないですよ。もう14です」
    「まーだ、14だよー」
    「もう、ペルシェさんまで……」
     ペルシェにからかわれ、少年――ジュンは口をとがらせてうつむいた。
     と、そこに彼らの教官であり総司令官でもあるあの片腕の男、モノが現れた。
    「皆、少し時間が取れるか?」
    「あ、ドミニク先生」
     三人は敬礼し、足早にモノの前に集まった。
    「どうしたんですかー?」
    「カモフ君が敵の手に落ちた」
    「何ですって?」
    「『インディゴ』への連絡の際、敵に襲撃されたのだ。現在『インディゴ』は……」「あ、聞いてますー。大ケガしたってー」
     ペルシェの言葉に、モノは小さくうなずく。
    「そうだ。その際にカモフ君は正体が割れ、敵に拘束されたと言う。現在は恐らく、敵に情報を渡しているだろう」
    「そんな……。カモフさんなら、そんなことしないと……」「レンマ君」
     モノはレンマに顔を向け、無言・無表情でじっと見つめる。
    「……はい」
    「敵に関する物事は、常に最低最悪を想定しなければならない。楽観的観測は単なる願いや希望であり、事実をぼかしているだけだ。
     状況が的確に判断できなければ、それはいずれ、己の足をすくうことになる」
    「すみませんでした」
     レンマが頭を下げたところで、モノは話を再開する。
    「敵は恐らく10日以内に、イーストフィールドの移動法陣を襲撃してくるだろう。
     敵が我々の陣地に近付いてくるのは結構だが、内部に踏み入られては困る。その一歩手前で倒すか、防がねばならない」
    「つまりー、イーストフィールドの移動法陣の前でー、敵さんを撃退しちゃえばいいんですよねー?」
    「そう言うことだ。
     今回出向いてもらうのは3部隊。『マゼンタ』、『カーキ』、そして『イエロー』だ。ヘックス君をサポートする形で、レンマ君とジュン君に働いてもらう」
    「了解しました!」
     意気揚々と敬礼するレンマに対し、ペルシェはぶすっとした顔をする。
    「えー、あたしは待機ですかー?」
    「ああ。ジュン君の術との相性を考え、今回の出動は無しだ」
    「……はーい、分かりましたー」
     ペルシェはがっかりした顔をしたが、素直に引き下がった。
     と、ここでモノはジュンの顔色が悪いことに気が付いた。
    「不安か、ジュン君」
    「は、はい」
    「大丈夫だ。今回の任務はあくまでサポート、後方支援であり、君が前面に出張って戦うようなことは無い。安心して臨みたまえ」
    「わ、分かりました」
     そのやり取りを聞いていたレンマが、茶々を入れてくる。
    「先生、最低最悪を想定しろって言ってませんでしたか?」
     それに対し、モノはにこっと笑って返した。
    「敵に関しては、だ。味方を信じなくてどうする?」
    蒼天剣・緑色録 1
    »»  2009.07.18.
    晴奈の話、第337話。
    敵の苦悩。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「うーん……」
     モールがフェリオの左腕を見てうなっている。
    「私の術だけじゃ、完治しないか」
    「みたいっスね。……また手、取れたりするんスか?」
     モールが使った癒しの術によって完治したはずの左腕に、真っ青な手形が浮き出ている。紛れも無く、ネイビーの毒である。
    「取れるどころか、ほっといたら死んじゃうかも知れないね」
    「げ……」
     モールは指折りながら計算し、予想を伝える。
    「でも、最初の毒とは違うタイプかも」
    「そうなんスか?」
    「こっちは多分、ゆるやかに全身を蝕んでいくタイプ。手ぇ落とされてガックリ来たところに、二番目の毒で苦しんで死亡。えげつないにも程があるね。
     2日でそんだけ広がってるから、このペースで行くと数週間後にはその毒、全身に回るかも」
    「マジっスか……」
    「ともかく、だ。デカ目猫君はココで安静にしてなきゃダメだね。変に動き回ったらそれだけ、毒が早く回ってくる」
    「……そうっスか」
     フェリオはガックリとうなだれ、自分の腕をさすった。

     イーストフィールドに向かう直前になって、フェリオが体の異変を訴えてきた。モールの診察により、彼はクロスセントラルで待機することになった。
    「向こうのアジトに行けば、解毒剤も手に入るかも知れないからな。ここでカモフ見張りながら安静にしてろよ」
    「了解っス」
     意気消沈した顔で敬礼したフェリオを見て、シリンが手を挙げた。
    「はいはいはーい。ウチもこっちに残りまーす」
    「はぁ!? 何寝ぼけたこと言って……」「いいえ、バートさん」
     却下しようとしたバートをさえぎり、フォルナが口を開く。
    「シリンはこちらに残った方がよろしいでしょう」
    「何でだよ?」
    「考えてみなさい、バート」
     ジュリアもフォルナの意見に同意する。
    「敵がカモフを奪還しようと、ここに攻め入ってくる可能性もあるでしょう? そんな時に半病人のフェリオ君だけじゃ、心許ないわ」
    「……そっか。言われりゃ、確かにな」
    「ほな、そーゆーコトでよろしゅー」
     嬉しそうにニコニコしているシリンを見て、バートはやれやれと言う感じでうなずいた。
    「ま、しゃーねーか。……っと、そう言やセイナは?」
    「バート班の部屋にいらっしゃいますわ。カモフ氏と話がしたいそうなので」

     晴奈は椅子に縛り付けられ、布袋をかぶったカモフと二人きりで向かい合っていた。
     カモフから「自分の扁平な顔は誰にも見られたくない」と懇願されたので、布袋に目出し用の穴を開け、それを彼にかぶせてあるのだ。
    「俺に何を聞きたいんだ?」
    「篠原一派のことだ。お前はあの時ロウ……、ウィルバーに倒され、あのまま焼け死んだものと思っていたが」
    「ああ、何とか生きてた。で、その後来てくれたオッドさんとモノさんに助けてもらって、そのままアジトから脱出したんだ」
    「なるほど。……と言うことは、行方不明になっていた篠原一派の者たちは、お前たちが?」
     カモフはうつむきながら、その後のことを語った。
    「ああ。俺たちが運び出して洗脳し、半分は売った」
    「半分? 残りは?」
    「殺刹峰の兵士になってる。洗脳で記憶を消し、無意識的に従うように暗示をかけてあるんだ」
    「……反吐が出るな」
     晴奈は首を振り、短くうめいた。
    「人間を何だと思っているのか!」
    「上の奴に取っちゃ、ただの収穫品。ジャガイモや大根みたいなもんさ」
    「ふざけたことを……」
    「俺もそう思ってるよ。……俺も、記憶が無いんだ」
    「何?」
     下を向いていたカモフが顔を挙げ、晴奈をじっと見る。
    「俺は今24ってことになってるけど、12歳から前の記憶はまったく出てこないんだ。洗脳されたってことには20の時、アンタと戦う1年前に知ったんだ。
     でもそれを知って、殺刹峰に憤慨しても、決別しようとしても……」
     またカモフの頭が下がる。
    「……何も持ってないから、逃げ場も行くところも無いんだ。
     結局俺は真相を知ってからもずっと、殺刹峰にいる。俺も殺刹峰の、操り人形なんだ」
    「そうか……」
    「……そうだ、コウ。トモミのこと、覚えてるか?」
    「トモミ? 楓井巴美のことか?」
    「アンタ、記憶力いいなぁ。……そう、そのトモミだ。アイツも、殺刹峰の兵士になった」
    「なんと。では、巴美も記憶を消されて?」
    「ああ。しかも彼女、『プリズム』に選ばれた。今はモエと言う名前を与えられて、全然別の人間として存在している」
     晴奈はそれを聞き、椅子をガタッと揺らして立ち上がった。
    「何だと……!?」
    「ど、どしたんだよ、コウ」
    (ジュリア班が出会ったのは確か、モエ・フジタと言う女だったと聞いた。そしてその顔には、傷があったと……。
     まさかそれが、巴美だと言うのか……!?)
     晴奈の様子を見て、カモフはこんなことを言った。
    「はは……。アンタもつくづく、殺刹峰と縁があるなぁ」
    蒼天剣・緑色録 2
    »»  2009.07.19.
    晴奈の話、第338話。
    素直じゃないない。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     晴奈たちがイーストフィールドを目指し出発した後、フェリオとシリンは拘束と監視のため、カモフと同じ部屋で過ごしていた。
    「なーなー、カモフ」
     その間中、シリンはカモフに色々と質問をぶつけていた。
    「何だよ」
    「ホンマに誰にでもなれるん? 女の子とかも行ける?」
    「ああ。今はあの赤毛の長耳女と賢者とか抜かしてる野郎に封印されてるけど、老若男女誰にでもなれる」
    「へー。便利やなー」
     素直に感心するシリンに、フェリオも同意する。
    「確かにな。潜入捜査やモンタージュの時には役に立ちそうだ」
    「ま、潜入は俺の得意技だよ。お前らの中にも、すんなり入ったしな」
    「ウチ、全然気付かへんかったわー。すごいわー、ホンマ」
    「……へへ」
     べた褒めされればカモフも悪い気はしないらしく、口元を緩めている。
     一方、シリンの関心が向けられないので、フェリオは面白くない。
    「……ちぇ」
     すねたフェリオを見て、シリンがニヤッとした。
    「どしたん、フェリオ?」
    「何でもねーよ」
    「妬いた?」
    「妬いてねー」
    「えっへへー」
     シリンは尻尾をピョコピョコさせながら、フェリオに抱きついた。
    「な、何すんだよ」
    「心配せんでも、ダーリンちゃんはウチのもんやでー」
    「な、何だよ、それっ」
     その様子を見ていたカモフが、椅子を揺らして笑い出した。
    「はは、仲いーなぁ」
    「……んだよ、茶化すなよ」
     シリンに抱きしめられながら顔を真っ赤にするフェリオを見て、カモフはまた笑った。



     一方、晴奈一行は――。
    「大丈夫だろうか?」
    「え?」
     楢崎はクロスセントラルに残してきたシリンたちを心配し、周りに尋ねてみた。
    「もし大挙して襲われたら……」「その心配はございませんわ」
     楢崎の心配を、フォルナがにべもなく否定する。
    「何故かな?」
     フォルナの代わりに小鈴が答える。
    「秘密組織が中央政府の直轄下で暴れてたら、秘密も何もあったもんじゃないじゃん。大丈夫、だいじょーぶ」
    「ふむ、それもそうか」
    「来るとしてもごく少数でしょうから、シリンが困るような数にはならないと思いますわ。わざわざそんなこと、あなたがご心配なさらなくてもよろしいかと」
    「ああ、うんうん。余計な心配だったね、うん」
     相変わらず、フォルナと楢崎の反りは合わないらしい。普段から距離を取っているし、たまに会話してもこんな風に、非常にぎこちない空気を生む。
    (ねーねー晴奈)
     小鈴が小声で尋ねてくる。
    (何で瞬二さんとフォルナって、あんなに仲悪いの? 何かあった?)
    (いや、私にも何故だか……?)
    (ふーん)
     と、晴奈たちの会話にモールが割り込んできた。
    (多分だけどね、狐っ娘の方は筋肉の方を『説教してくるうざいおっさん』と思ってるね。
     んで、筋肉は筋肉で狐っ娘のコトを『ワガママで苦労知らずなお嬢サマ』って思ってるんだよ、きっと)
    (なーるほどねー)
    (双方、そーゆーのが気に食わない『お年頃』なんだろうねぇ)
    (ふむ……)
     と、ここで晴奈はモールに向き直った。
    「そう言えばモール殿、何故我々と同行を? これまでずっと、私たちの後をつけていたではないか。何故今回、姿を見せたのだ?」
    「ん? ああ、いやね。私も殺刹峰に用事があるから、忍び込む時は同行させてもらおうかと思ったんだよね」
    「ふむ。……はて? 今回カモフを運良く捕らえたことで、殺刹峰への道が拓けたわけで、……となると」
    「うん?」
     晴奈はけげんな顔をモールへ向ける。
    「妙に首尾よく現れたものだな、と。今回の捕獲は成功しない可能性も、ひいては殺刹峰への道が見つからない可能性もあったのだが」
    「そこはそれ、全張りってヤツだね。君らが行きそうな街でしれっと現れて、進捗状況を確かめていこうかなーって思ってたんだよね。そんで行く時になったら一緒に行こうと思ってたら、行き方が分かったって言うからね」
    「ほう、なるほど」
     このやり取りを聞いていた小鈴はクスクス笑っている。それを見たモールがジト目でにらんできた。
    「何がおかしいね、小鈴」
    「アハハ……、相変わらず素直じゃないなーと思って」
    「ドコが?」
    「ウエストポートからエンジェルタウンを通る道って、主要都市はソコだけじゃん。ソコから他の街道回ってたら超遠回りになるから、今あたしたちとこうやって同行できるわけないし、どー考えても晴奈の後追いかけてたってコトになるけど、ねー」
    「……ふんっ。偶然だね、偶然! 偶然、晴奈たちのチームを追ってただけだね」
    「そっかー。じゃ、偶然ってコトで」
    「そう、偶然!」
     モールはぷいと小鈴から顔を背けてしまう。
     その様子を見て、今度は晴奈がクスっと笑った。
    蒼天剣・緑色録 3
    »»  2009.07.20.
    晴奈の話、第339話。
    気のいい狼兄さん。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     央北の都市、イーストフィールド。神代の昔からあると言われている街だが、その様相は時代によってコロコロと変わっている。
     天帝が降臨する前はのどかな放牧地帯だったが、降臨後は天帝の教えを受け、大規模な農業都市になった。天帝が崩御してから数年経つと他地域からの移民でにぎわい、人が集まったことで工業が活発化。そこに央中からの商人たちが目をつけて、大規模な工場を次々建設。ところが黒白戦争の間に起こったいざこざで彼らは一斉に撤退し、工業はあっと言う間に衰退してしまった。
     現在のイーストフィールドはそれらの栄枯盛衰が一周し、のどかな酪農都市に戻っている。

     その活気のあった頃の名残は、あちこちに残っている。旧市街には何棟もの住居や工場の跡地が連なっており、盛況だった当時はさぞ騒々しかっただろうと思われる。
     が、今はただの廃屋であり、不気味な静寂がその場を支配している。怪物が出ると言う噂もあり、街の者は皆近付こうとはしない。となると、こう言った場所には街に住めない犯罪者やごろつき、浮浪者などが集まるのが通例なのだが、そんな者もまったくいない。
     なぜなら「彼ら」が自分たちの秘匿性、秘密性を守るために、それらを追い払い、消してしまったからである。



    「ふあ、あ……。もうそろそろかな?」
     待ちくたびれ、あくび混じりに尋ねてきたレンマに、ジュンは半ばおどおどとしつつ同意した。
    「え? あ、そうですね。多分もうすぐ来るんじゃないですか?」
    「ジュン、お前昨日も同じこと言ったじゃないか」
     レンマはニヤニヤ笑い、ジュンの額を小突く。
    「いたっ」
    「たまには『そうですね』じゃなくて、違うこと言えよー」
    「は、はい。すみません」
     と、草色の髪をした狼獣人が、二人のところにやって来る。
    「おーい、レンマ。あんまりジュン、いじめたらアカンでぇ」
    「いじめてないよ、ヘックス。からかってるんだよ」
    「やめとけって。ジュン、困った顔しとるやん」
     狼獣人、ヘックスは膝を屈め、ジュンと同じ目線になる。
    「ジュン、どや? 緊張しとる?」
    「え、は、はい。してます」
    「言うたら初陣やもんな、これ。でも心配せんでええで、兄ちゃんがついとるからな」
    「はっ、はいっ」
     ヘックスはジュンの反応を見て、ニコニコと顔を崩した。
    「せや、リラックスやでー」
    「ヘックス、あんまりそう言うのはよした方がいいと思うよ」
     二人のやり取りを見ていたレンマがケチをつけてくる。
    「なんで?」
    「ドミニク先生も、『戦場では友人や兄弟、家族と言ったしがらみを抱えていては、弱みに変わる』って言ってたし」
    「まあ、そーは言うてはったけどもな」
     ヘックスは肩をすくめ、のんきそうに返した。
    「オレは家族とか友達、大事にするタイプやねん。それに、いつでもどこでも先生が正しいって限らへんやん」
    「何だと!」
     ヘックスの言葉が癇に障ったらしく、レンマがヘックスにつかみかかる。
    「もう一度言ってみろ、ヘックス!」
    「おいおい、ちょい待ちいや。別にオレ、『先生は間違っとる』とか『先生はおかしい』とか言うてへんやろ?
     先生の言葉借りるとしたら、『戦況は常に変わる。通常最善とされる策も、時には最悪の手に変わることもある』って、そう言う感じの意味合いで言うたんや。
     先生やって聖人君子やあらへんのやし、言うこと言うこと一言一句、ギッチギチに信じとったらアカンと思うで」
    「……ッ!」
     レンマの顔に、さらに怒りの色が浮かぶ。それを見たヘックスは、「しまったな」と言いたげな表情を浮かべた。
    「あー、まあ、人の意見は色々やし、な?」
    「ふざけるなッ!」
     レンマが怒りに任せ、ヘックスの襟をつかんでいた手に力を込めた。
    「……ホンマ、悪いねんけどやー」
     次の瞬間、レンマは1メートルほど吹っ飛んだ。
    「うげ……っ!?」
     どうやらヘックスが突き飛ばしたらしく、ヘックスは両掌を挙げたまま、困ったような顔で諭した。
    「レンマよぉ、自分もうちょっと、冷静にならなアカンのちゃうん? 先生のだけやのうて、他の人の話も聞く耳持たんとアカンのちゃうん? それこそ先生やったらそう言うてきはると思うで」
    「くそ……」
     レンマは腹を押さえ、ヘックスを見上げている。
     両者をおろおろと見つめていたジュンに、ヘックスはニコニコと笑いかけた。
    「心配せんでええって。こんなん、じゃれ合いや」
    「は、はあ……」
     と、そこに兵士が現れた。
    「失礼します! 公安がイーストフィールド北口3キロのところまで接近しているとの情報が入りました!」
    「お、そろそろやな。……ほれ、レンマ。いつまでへたり込んでんねん」
     ヘックスは突き飛ばされ、座り込んだままのレンマに手を差し伸べた。
    蒼天剣・緑色録 4
    »»  2009.07.21.
    晴奈の話、第340話。
    九尾ホーミング弾。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     イーストフィールドに到着した晴奈一行は、そのまま旧市街へと向かっていた。
    「この辺りに、カモフ氏から聞き出した移動法陣があるはずだけど……」
     ジュリアはそれらしい場所が無いか、あちこちを注意深く見渡している。バートも同じように周囲へ注意を向け、ジュリアに耳打ちする。
    「……嫌な気配がするぜ。どうやら待ち構えられてるみたいだ」
    「そうね。みんな、注意して」
     ジュリアがそう言うと同時に、パシュ、と言う音とともに何かが飛んできた。
    「危ないッ!」
     楢崎がいち早く気付き、小鈴を突き飛ばす。
    「つっ……」
     楢崎がうめき、肩を押さえる。そこには矢が突き刺さっていた。
    「瞬二さん!? だ、大丈夫!?」
    「も、問題無いよ。……くっ」
     楢崎は肩から矢を抜き、刀を構えた。
    「襲ってきたぞ! みんな、武器を!」
    「はいっ!」
     各自武器を構え、周囲を警戒する。と、また矢が飛んできた。
    「『ウロボロスポール:リバース』!」
     モールが飛んできた矢に向かって魔杖をかざし、矢を来た方向へと戻した。
    「ぎゃっ!?」
     その方向から、驚いたような悲鳴が返って来る。どうやら射手に当たったらしい。
    「あっちだ!」
    「囲まれる前に破るぞ!」
     晴奈たち一行は声のした方向へ、一斉に駆け出す。もう一本矢が飛んできたが、これも先程と同様にモールが跳ね返した。
    「うっ……」
     また敵のうめく声が返ってくる。
     それを聞いて、晴奈は「ふむ?」とうなった。
    「あれだけ硬い敵だったと言うのに、攻撃が効いているようだな」
    「敵の攻撃をそのまま跳ね返してるからじゃないかしら?」
     ジュリアの推察に、バートが付け加える。
    「それにもしかしたら、薬だの術だのも弱めになってるのかも知れねーな。前回効かせ過ぎて自爆したっぽいし」
    「なるほど。……ならば、前よりは倒しやすそうだな」
    「私もいるんだ。十二分にサポートしてやるね」
     ニヤリと笑うモールに、晴奈は振り向かずに応えた。
    「頼んだ、モール殿」

     ジュリアたちの推察は、概ね当たっていた。
     前回起こった、肉体の限界を超える負荷・負担による自滅を防ぐため、敵は最初に晴奈たちを襲った時よりも若干、投薬量と魔術強化を抑えていた。それでも一般的な兵士よりはるかに身体能力は高くなってはいるが、前回のような並外れた頑丈さは発揮できない。
     とは言え「前回よりもダメージが残りやすい」と言う状況は、敵兵にそれなりの緊張感を与えており、敵は慎重に動いていた。
     彼らは晴奈の目の前に堂々と現れるようなことはせず、廃屋の物陰に隠れて魔術や弓矢、銃と言った遠距離攻撃を仕掛けてくる。
    「いってぇ!」
     バートの狐耳を銃弾がかすめる。
    「もう少しずれてたら頭やられてたな。いい腕してやがる」
     地面に落ちた帽子を拾ってかぶり直し、弾が飛んできた方向へ銃を向けて撃ち返す。
    「……」
     また矢が飛んでくる。今度は小鈴が魔術で防ぎ、土の術で応戦する。
    「……いらっ」
     敵の姿が一向に目視できないまま、晴奈一行へ向けられる攻撃は、じわじわと勢いを増していく。
    「……いらいら」
     と、モールの横にいたフォルナが、モールの苛立った気配に気付いた。
    「モールさん?」
    「……あーッ! うざーッ! みんなしゃがめッ、一掃するね!」
     モールは魔杖を振り上げ、怒りの混じった声で呪文を唱えた。
    「『フォックスアロー』!」
     唱え終わると同時に魔杖が紫色に光り、9条の光線が放射状に飛んでいった。
    「うわっ!?」「ぎゃっ!」「わああっ!」
     潜んでいた敵が一斉に叫び声を上げ、静かになる。それでもまだ残っているらしく、矢がもう一本飛んできた。
    「しつこいッ! もういっちょ!」
     モールはもう一度杖を掲げ、光線を飛ばす。
    「念のためもう一回!」
     合計27条の光線が辺り一帯に飛んで行き、敵は完全に沈黙した。
    「な、何、今の?」
     小鈴が目を丸くして驚いている。
    「火? いや、雷か? 何系の術だったんだ? あんなの見たことねえ……」
     バートも呆然としている。モールは魔杖を下ろし、深呼吸した。
    「はー……。すっきりした」
    「モールさん? ……私たちの援護が、本当に必要なの?」
     ジュリアも憮然とした顔で、眼鏡を直していた。



    「報告します!」
     移動法陣前に陣取っていたヘックス、レンマ、ジュンのところに、伝令が慌てた様子で現れた。
    「どしたん?」
    「包囲部隊、全滅しました!」
     青ざめた顔で報告した伝令に、のんきに座り込んでいたヘックスは目を丸くして飛び上がった。
    「はぁ!? 2部隊で囲んどったはずやで!? ありえんやろ、そんなん!?」
    「それが、敵の術で一気に……。どうやら敵の中に、『旅の賢者』がいる模様です」
     それを聞いたレンマも立ち上がる。
    「モール・リッチが!? そう言えば、ミューズさんがモールを追っていて撃退されたって聞いたけど、まさか公安と合流してたのか?」
    「な、何ででしょう?」
     ジュンがおろおろした顔でヘックスに尋ねたが、ヘックスも首をかしげるばかりである。
    「分からへんけど、そんだけ強いヤツがおるんやったら、のんきに構えてる場合ちゃうわ。真面目にやらんとな」
     ヘックスは緊張した面持ちになり、壁に立てかけていた長槍を手に取った。
    蒼天剣・緑色録 5
    »»  2009.07.22.
    晴奈の話、第341話。
    対魔術物質。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     モールの術で一掃され、襲ってくる敵の姿はまったくいなくなった。
     一行は廃屋の陰に回り、脚を光線に撃たれたらしい兵士が倒れているのを確認する。
    「おい」
    「う……」
     晴奈が敵の側に立ち、その脚を踏みつける。
    「ぎゃっ」
    「教えてもらおうか。移動法陣はどこだ?」
    「お、教えるもん……、うああああ」
     晴奈は足に力を入れ、きつく踏み込む。
    「素直に教えれば介抱してやる。が、言わぬと言うのならばもっと痛めつけるぞ」
     ここで力を抜き、兵士から足をどける。
    「ひーっ、ひーっ……」
    「教えるか? それとも……」
    「い、言います言います! ここから東にまっすぐ700メートル辺りのところです!」
    「よし」
     兵士を治療し、縛り上げて、晴奈たちは東へ進む。
    「あれかな?」
     一行の先に、周りの廃屋に比べて一際大きい廃工場が目に入ってくる。蔦だらけになった工場の壁には、黄色と赤で彩られ「G」字形に丸まった狐の紋章が、うっすら残っている。
    「金火狐マーク、ね。財団が昔所有していた工場かしら」
    「恐らくニコル3世時代以前に作られた軍事工場だな。ここら辺に建ってたって話は、どこかで聞いたことがある」
     警戒しつつ、一行は工場内に入る。中にあった作業機器や原料、資材の類はとっくに原形を留めておらず、広間になっていた。
    「これだけ広けりゃ、バカでかい移動法陣も楽に描けるだろうね」
    「ふむ。……ざっと見た限りでは、1階には無さそうだ」
     一通り見回り、一行が2階へ上がろうとしたその時だった。
    「セイナさーん!」
     2階へと続く階段から、レンマが駆け下りてきた。
    「……う」
     晴奈はレンマの姿を確認した途端、ざっと後ろへ下がった。
    「何で逃げるんですかぁ」
    「敵が向かってくるのだ。警戒するのが当然と言うものだろう」
     晴奈は下がりつつ、刀を構える。
    「つれないなぁ。……ねえ、仲間になりましょうよー」
     レンマが近寄ろうとしたところで、バート、ジュリア、楢崎が武器を構えた。
    「なるわけねーだろ、バカ」
    「それ以上近付けば、容赦なく撃つわよ」
    「大人しくしろ」
     途端にレンマは不機嫌そうな顔になり、杖を向ける。
    「邪魔しないでくださいよ。それとも、あなたたちも仲間に?」
    「話が聞けねーのか、そのちっちゃい耳はよ? ならねーっつってんだろうが」
     そのまま対峙していたところにもう二人、階段を下りてくる者が現れる。
     それと同時に、工場の入口や崩れた壁などからも、敵の兵士が進入してくる。
    「レンマ、その辺でええで」
    「ああ。包囲完了だな」
     レンマはすっと後退し、やってきた二人――ヘックスとジュンの側に向かう。楢崎は前後を見渡し、ふーっとため息をついた。
    「ふむ。敵は11人、こちらは7人。数の上では少々厳しいかな」
    「フン。後ろは雑魚だから、私の術で一掃してやるね。それよりもだ、問題は前の3人だね。あいつらは桁違いに強い」
     そう言われ、楢崎は前の敵3名に目を向ける。
    「ふむ。あの緑髪の『狼』は確かに強そうだ。それにさっき黄くんに声をかけていた魔術師も、強いと聞いている。……でも、あの黄色い服の子もかい?」
    「ココにいるんだ。強くないワケが無いね。……それにもう、攻撃準備は整ってる」
     モールがそう言うと同時に、その黄色い服の少年は杖を掲げた。
    「『サンダースピア』!」
     ジュンの目の前に電気の槍が形成され、モールに向かって飛んでくる。
    「甘いっ、『フォックスアロー』!」
     先程と同様の、9本の紫色に光る矢がモールの魔杖から発射され、8本は背後の兵士たちに、残り1本はジュンの放った槍とぶつかり合い、相殺される。
    「……りゃ?」
     ところが先程と違い、兵士たちにダメージを受けた気配は無い。皆、ほんのり青みを帯びて光る銀色の盾を構えており、モールの矢はそれに阻まれたらしい。
    「あの盾は?」
     その盾をいぶかしげに見つめるジュリアに、バートが答える。
    「ありゃ、ミスリル化銀ってヤツじゃねーか?」
    「ミスリル?」
    「魔術対策に良く使われる、魔力を帯びた金属の総称だ。加工次第で魔術の威力を増幅させる武器にも、逆に魔術を通さない防具にもなるらしい。
     レアメタルだし精錬や加工も難しいって話だから、滅多に出回らないって聞いてるが……」
    「全員持ってるわね。対策は万全、と言うことかしら」
     モールがため息をつき、ジュリアに向き直った。
    「ま、アレがさっき君が聞いてきたコトの答えさ。
     あーゆーの用意されたら、私だけじゃ対抗できないんだ。でも、あの手の防具は直接攻撃には弱い。矢が貫通するくらいだしね。
     だから、戦士タイプのヤツと一緒に来たかったんだよね」
     そう言ってモールは、晴奈の方に目を向けた。
     ところが既に、晴奈はヘックスと戦っている最中である。
    「……あちゃー、あっちはアテにできないか。んじゃ頼んだ、筋肉」
    「え? 筋肉って……、僕かい?」
     ぞんざいに呼ばれ、楢崎は多少憮然としたが、素直に刀を構え、兵士たちに向き直った。
    蒼天剣・緑色録 6
    »»  2009.07.23.
    晴奈の話、第342話。
    当惑する敵。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     晴奈とヘックスは、激しい火花を散らして打ち合っている。
    「このッ!」
    「せいやッ!」
     ヘックスも相当の達人らしく、晴奈は一向にダメージを与えられない。
     とは言え晴奈も、今のところは一太刀も受けていない。
    「流石に腕が立つ……!」
    「アンタも相当やな。……名前、何て言うたっけ」
    「晴奈だ。セイナ・コウ」
    「オレはヘックス・シグマや。……ええなぁ、ワクワクしてきたわ!」
     ヘックスは後ろへ一歩飛びのき、槍を構え直した。
    「いっちょ本気見せたる――食らえッ!」
     ヘックスの体全体が大きくうねり、槍がゴウゴウとうなりをあげて向かってきた。
    「くッ!」
     晴奈は槍が迫るよりも一瞬早く動き、水平に薙いだ槍を真上に跳んでかわした。
    「……?」
     その時、晴奈は何か嫌な予感を覚え、空中に跳んだままで刀を正面に構える。
     次の瞬間、自分の真下にあったはずの槍に、刀ごと引っぱたかれた。
    「な……!?」
     工場の壁へ叩きつけられそうになったが、くるりと体勢を整え直して壁に張り付き、激突を避ける。
    「コレも見切りよるんか、コウ。すごいなぁ、自分」
     ヘックスは槍を構えたまま、驚きに満ちた目で晴奈を見つめている。
    「今のは何だ? 私は確かに、槍を上にかわしたはずだったが」
     晴奈が壁からすとんと床に降り立ち、刀を構え直しながらそう尋ねると、ヘックスは得意満面にこう返した。
    「オレらの師匠、ドミニク先生の秘伝、『三連閃』や。
     後ろにかわされたせいで三つ目は届かへんかったけど、決まっとったらバッサリいってたで」
    「なるほど。私が一太刀目を避けた時、既に二太刀目、三太刀目を避けた先へと放っていた、と言うことか。
     ……しかし」
     晴奈は刀を構えたまま、ヘックスと話をする。
    「私の友人にもいるのだが、お前は妙な話し方をするな? もしかして央中東部の出身か?」
    「へ?」
     ヘックスはきょとんとし、続いて困った顔をした。
    「えーと、うーん……。悪い、よー分からへん」
    「何?」
    「オレ、14から前の記憶無いねん。14の時、ドミニク先生に拾ってもろたんやけど、その前のことはさっぱり……」
    「ふむ。お前も記憶を奪われた口か」
    「……は?」
     晴奈の言葉に、ヘックスはけげんな顔をして槍を下げた。
    「ちょ、ちょっと!? ヘックスさん!?」
     横で二人の戦いを見ていたジュンが慌てて声をかけるが、ヘックスは応じない。
    「どう言う意味や、コウ?」
    「捕虜から聞いた話だが、お前たちは皆、中央大陸各地から誘拐され、記憶を消された上で、兵士となっているのだそうだ。その、ドミニクと言う男によってな」
    「何やと……」
     ヘックスもジュンも、信じられないと言う顔をする。
    「捕虜て、カモフさんか?」
    「そうだ。奴も記憶を奪われたと言っていた」
    「そんな……」
     ヘックスもジュンも唖然とするが、ヘックスは慌てて首を振る。
    「……ウソや! オレらを惑わせて、勝ち抜けようと思てんやろ!? だまされへんで!」
    「嘘ではない」
    「もうええ、話はしまいや!」
     ヘックスは槍を構え直し、晴奈に襲い掛かる。だが、晴奈の話に少なからず動揺しているらしく、その動きにはキレが無い。
     先程より大きくブレたヘックスの攻撃をかわし、晴奈は刀に火を灯す。
    「『火射』ッ!」
    「飛ぶ剣閃」がヘックスの槍を捉え、その柄を焼き切った。
    「しま……っ」
     晴奈の刀がヘックスの喉元に当てられ、ヘックスの顔にあきらめの色が浮かぶ。
     だが――晴奈もこの時、ヘックス以外への警戒を怠っており、ジュンからの攻撃を見落としていた。
    「『サンダーボルト』!」
    「う……っ!」
     ジュンの放った電撃が晴奈に当たり、彼女を弾き飛ばす。
     その隙に、ジュンはヘックスの側に駆け寄り、袖を引っ張る。
    「ヘックスさん! 退却しましょう!」
    「は……?」
    「僕にはコウさんの言葉が、嘘とは思えないんです」
    「アホ言うな、先生はオレらを助けて……」
     言いかけたヘックスの顔に、迷いの色が浮かぶ。
    「……せやな、槍も折られたし。みんなダメージ濃くなってきたし、頃合かも知れへん」
     その間に、電撃で間合いから遠く弾かれていた晴奈が起き上がる。
    「う、く……」
     よろよろとした足取りながらも、自分たちに迫ってくる晴奈を見て、ヘックスは折れた槍を捨てて、踵を返す。
    「レンマ! 退却……」
     ヘックスはレンマのいた方向を向き、舌打ちする。
    「……くそ」
     いつの間にかレンマは縛られており、その顔は憔悴しきっている。
     その横には小鈴とフォルナが、得意げに佇んでいた。
    蒼天剣・緑色録 7
    »»  2009.07.24.

    晴奈の話、293話目。
    いわゆるウノ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     ゴールドコーストを発って、3日が過ぎた。
     晴奈一行はまだ、船の上にいる。



     やることも無いので、公安組は小鈴、シリンと一緒に、船の食堂で漫然とカードゲームに興じている。
    「火の6」エランが一枚切る。
    「それじゃ、雷の6」ジュリアがそれに続く。
    「うーん……、パス」バートが流す。
    「あ、あたし出せる。雷の3」小鈴がつなぐ。
    「パス」フェリオもパスする。
    「雷ならあるわ。雷の9」シリンもすんなり通す。
    「おっ、9だ。良かった、氷の9」エランがほっとした表情でカードを切った。
    「氷ならあるわね。氷の1」ジュリアもカードをすっと切る。カードを4枚持っていたバートが硬直した。
    「……パスだ」
     シリンが嬉しそうな顔で、バートに声をかけた。
    「3回パスしたから負けやな」
    「くっそー……」
     バートがカードをばら撒き、椅子にもたれかかった。
    「コレでバートの6連敗やな。ホンマ、バートは勝負弱いなぁ」
    「……ほっとけ」
     からかうシリンに、バートは帽子で顔を隠しながら悔しそうな素振りを見せた。
    「気分転換に、飲み物でも持ってきましょうか」
     エランの提案に、全員がうなずく。
    「そうだな、ちょうどのどが渇いてるところだった。コーヒー頼む」
    「じゃ、頼むわ。何でもいいし」
    「私も紅茶お願いね、エラン君」
    「ほんじゃエラン、ウチと一緒に行こかー」
     シリンがエランの手を引き、ドリンクバーへと連れて行った。
     エランが財団総帥、ヘレンの息子だと発覚してからも、エランに対する扱いは変わらなかった。ヘレンが「あんまり甘やかさんといてくださいね」と念押ししたからである。
    「ボスは紅茶、バート先輩はコーヒー、フェリオ先輩は何でもいいって言ってたから、オレンジジュースでも持っていこうかな」
    「コスズさんはレモネードやったな。ほんじゃ、ウチもオレンジジュースにしとこかな。エランは何飲むのん?」
    「あ、僕は、えーと、……うーん、何にしようかなぁ? アップルジュースもいいしなぁ、でも紅茶もすっきりするし、うーん、どっちがいいかなぁ」
    「両方混ぜて、アップルティーにしたらええやん」
     シリンの提案に、エランは「あー」と声を上げる。
    「それいいですね、そうします」
     二人は盆を借りて、飲み物を皆のところに運んだ。
    「お、ありがとよエラン、シリン」
     フェリオが礼を言いつつ、飲み物を皆に回す。礼を言われたシリンは嬉しそうに尻尾を振りつつ、フェリオの首に手を回した。
    「んふふー、どーいたしましてー」
    「モテモテだなぁ、フェリオ」
    「あ、いや、いえ……」
     フェリオは顔を真っ赤にして首を振ろうとするが、シリンがそれを邪魔する。
    「そやでー、ウチにモッテモテやねんでー」
    「……あはは、はは」
     フェリオは半分諦めたような顔で、されるがままになっている。フェリオの頭を抱きしめたままのシリンが、思い出したように尋ねた。
    「そー言えば、バートとジュリアって付き合ってるって聞いたんやけど」
     顔を赤くし、口ごもるバートに対し、ジュリアはさらりと答えた。
    「お、おう。まあ、な」
    「ええ、初めて会った時からすれば、もう長い付き合いね」
    「へー。結婚とかはせえへんの?」
    「いや、まあ、そりゃ……」
     照れているバートとはとことん対照的に、ジュリアは平然とした顔をしている。
    「そうね、バートの階級が私に追いついたら、その時はしようかなって思ってるわ。
     後1階級だし、頑張ってね」
    「……おう」
     バートはまた椅子にもたれながら、帽子で顔を隠した。

     晴奈と楢崎、そしてフォルナの3人はゲームに参加せず、ぼんやりと海を見ていた。
    「今、どの辺りなんだろうね」
    「恐らく今日か明日、フラワーボックスに寄港するところですわね」
     楢崎はフォルナの横顔をチラ、と見てつぶやく。
    「そうか。それじゃもう、グラーナ王国の海域に入ってるんだね」
    「ええ、順当に進めば4日後にはルーバスポート、そしてさらに10日進めばウエストポートに着く、とのことですわ」
    「ふむ。……考えてみれば、すぐなんだね」
    「え?」
     楢崎はフォルナの顔を見て、諭すような口調で話す。
    「故郷に帰ろうと思ったら、すぐ帰れる手段があるし、帰れない事情も無い。正直言って、すごくうらやましいと思う。僕の家は遠いし、まだ帰れないんだもの」
    「……ナラサキさん、すみませんが嫌味にしか聞こえませんわ。わたくし、ちゃんと思うところがあって『ここ』におりますのよ」
    「はは……、それは悪かった、うん」
     楢崎は笑っているが、割と気分を害したらしい。それ以上は何も言わず、すっとフォルナの側を離れた。フォルナの方も同様に、楢崎にぷいと背を向けてしまった。
    (おいおい)
     二人の様子を見ていた晴奈は、どちらと話をしようかと逡巡していた。
     と、そこへ――。
    「あーらら、ケンカだねぇ」
    「む?」
     突然、背後から声をかけられた。振り向くと、ボロボロのローブに身を包み、ヨレヨレのとんがり帽子を被った、いかにも魔術師と言う風体の狐獣人が立っている。
    「誰だ、お主?」
    「え、なんで名乗んなきゃいけないね?」
     おどけた様子で振舞うその男に、晴奈は多少カチンと来た。
    「……名乗る道理は無い。が、いきなり割り込まれて面食らったものでな」
    「あーあー、悪い悪い。いやね、ケンカは横でワイワイ言いながら眺めるのがベスト、ってのが私の主義なもんでね」
    「それはまた、浅ましい主義だな」
    「何とでも言いなってね。……で、あの二人はアンタの知り合い?」
    「そうだ。……ん?」
     晴奈はこの男の声に、聞き覚えがあった。
     妙に高い、少年のような声――昔、まだ紅蓮塞にいた頃に聞いた覚えのある声だ。
    (……いや、正確には紅蓮塞の外だ。一度、無断で抜け出して黒荘を訪れた際、こんな声を聞いた。
     そう言えば家元から聞いたことがある。あの方はよく、姿形を変えていると。私が出会った時は長耳姿だったが、家元の時は『狐』だったそうだし、もしかしたら……)
    「……モール殿か?」
    「ほぇ?」
     男は目を丸くして尋ね返す。
    「何で知ってるね?」
    「やはりか……」
     晴奈はモールから一歩離れる。
     そして――。
    「ここで遭ったが百年目――あの時の雪辱、晴らさせてもらうぞッ!」「はぁ!?」
     晴奈はいきなり、モールに斬りかかった。

    蒼天剣・旅賢録 1

    2009.05.29.[Edit]
    晴奈の話、293話目。 いわゆるウノ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. ゴールドコーストを発って、3日が過ぎた。 晴奈一行はまだ、船の上にいる。 やることも無いので、公安組は小鈴、シリンと一緒に、船の食堂で漫然とカードゲームに興じている。「火の6」エランが一枚切る。「それじゃ、雷の6」ジュリアがそれに続く。「うーん……、パス」バートが流す。「あ、あたし出せる。雷の3」小鈴がつなぐ。「パス」フ...

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    晴奈の話、第294話。
    モールの秘術。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「いきなり、何をするかと思えば」
     モールの杖が晴奈の刀を止めている。いや、正確に言えば杖と刀の間に、紙一枚分ほどの隙間があった。
    「寸止めだ。……いやなに、あの時に何をされたのか、答えを聞きたいと思ってな」
    「あの時って?」
     モールはきょとんとしている。その顔を見た晴奈は、憮然としながら聞き返す。
    「覚えてないのか?」
    「だから、何だってね」
    「6年前、黒荘で遭っただろう?」
    「黒荘? ……んー?」
     モールは杖をこすりながら考え込む。
    「……んー、もしかしてあの時のバカ?」
    「馬鹿とは失敬な。……まあ、今思い返せば確かに愚行だった」
    「今のコレだって愚行だね。いきなり斬りつけるヤツがあるかってね」
    「大変失敬した。が、あの時と同じことをすれば、あの時何をしたのか再現してくれるのではと期待したので」
     モールは「あー……」と声を上げ、晴奈に説明し始めた。
    「まあ、簡単に言えば、私のオリジナル魔術だね。門外不出の秘術でね、『ウロボロスポール』って言うね。例えば……」
     モールは晴奈が持っていた脇差をひょいと抜き、いきなり海に捨てた。
    「なっ、何をするか!?」
    「ま、見てなってね」
     モールは海に向かって杖を向け、呪文を唱えた。
    「『ウロボロスポール:リバース』!」
     すると、海に捨てたはずの脇差がするすると海から戻り、音も無く晴奈の腰元に納まっていった。
    「……!?」
    「コレが、君が吹っ飛ばされた術の正体だね。
     下に落ちたはずのボールが上に登る。砕けたはずのガラス瓶が元通りに固まる。燃えたはずの本が灰から蘇る――あらゆる法則を逆回転させる、秘中の秘。私の『とっておき』だね。
     この術は他にもバリエーションがあってね、今説明した『リバース』に、モーメント(力の発生源)とベクトル(力の向かう方向)の位置を入れ替える『スイング』――あの時はコレを使ってたね――そして術の属性を反転させる『スイッチ』と、色々あるね」
    「ほ、う……」
     説明されたものの、晴奈には何がなんだか分からない。
    「ま、魔術知識と物理知識が無きゃ何言ってるか分かんないと思うし、単純に落ちたモノが戻ってくる術だって思ってもらえばいいね」
     モールはそこで一旦、言葉を切った。
    「……ふーん」
     モールは晴奈の体をじろじろと見回している。
    「な、何だ?」
    「随分変わったもんだね」
    「え?」
     モールは近くの椅子に腰掛け、組んだ足に肘を置いて斜に構える。
    「何て言うかねー……、昔会った時は、まるで砂上の楼閣だった。技術や力ばっかりが先行してて、土台の精神や感情面がグッズグズだったんだよねぇ。何か一発ぶちのめしたら、そのまんま崩れていきそうなヤツって印象だった」
    「……!」
     モールの言葉で、以前夢の中で出会った金狐に言われた言葉が蘇る。
    ――セイナの精神っちゅう土壌は成功ばかりしてしもて栄養多すぎ、グズグズに腐りそうになっとった。その上にある自信なんてもん、すぐダメになって当然や――
     モールが今言った言葉と金狐の言葉は、驚くほど似通っていた。
    (やはり、見識ある者は的確に見ているのだな)
    「でも今は」
     モールが話を続ける。
    「肥沃な大地に悠然と建つ、大豪邸の雰囲気をかもし出してるね。技術や力量と言った建物はますます成長し、精神と言う土壌も豊かになっている。正直、こんな家があったら住みたいもんだね。
     ……んー?」
     モールはそう言って、晴奈の体をじっとにらむ。
    「……き、気味の悪いことを!」
    「あーあー、悪い悪い。いやね、ちょこっと気になるモノが見えたもんでね」
    「気になる、モノ?」
     晴奈は自分の服や刀、尻尾を眺めてみたが、特に変なものは見当たらない。
    「実物じゃない。オーラってヤツだね。何て言うか、んー、昔、私が取った弟子にちょっと似てる」
    「弟子?」
     モールはとんがり帽子のつばを下げ、淡々と昔話を始めた。

    蒼天剣・旅賢録 2

    2009.05.30.[Edit]
    晴奈の話、第294話。 モールの秘術。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「いきなり、何をするかと思えば」 モールの杖が晴奈の刀を止めている。いや、正確に言えば杖と刀の間に、紙一枚分ほどの隙間があった。「寸止めだ。……いやなに、あの時に何をされたのか、答えを聞きたいと思ってな」「あの時って?」 モールはきょとんとしている。その顔を見た晴奈は、憮然としながら聞き返す。「覚えてないのか?」「だから、...

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    晴奈の話、第295話。
    神話師弟。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     モールは杖をさすりながら、ゆっくりと話をする。その仕草はまるで老人のようだった。
    「よくよく考えてみりゃ、あれはもう500年も前になるんだねぇ。
     央中にカレイドマインって街があったんだけど、そこに『狐』の女の子が住んでたんだよね。その子に、私はあるものを感じた。それは一体、何だと思うね?」
    「何、と言われても……? 見当もつかぬ」
     晴奈もモールの隣に座り、話に相槌を打つ。
    「一言で言えば『英気』、そんな感じのオーラ。おかしいよね、その子はまだこんなちっちゃな子供だったんだから。当時から既に長生きしてた私がちょっと驚くくらい、きらめくオーラを放っていたね。
     その子の名前はエリザ。初めて会った時はまだ、ドコにでもいるような女の子だった。私はその子のオーラを見た時、ちょっとからかってやりたくなったんだよね。当時、ほとんどの人が知らなかった、その存在を想像すらしてなかった魔術を、ちょこっとだけ教えてやったんだ。
     そしたら驚きだよ。その子はあっと言う間に、私の教えた魔術を完璧に理解・習得してしまった。さらには、自分であれこれ研究を重ねて――」
     モールは帽子を上げ、ニヤッと笑った。
    「現在の魔術理論の基礎を半分以上、その子が築き上げちゃったね。現在中央大陸で使われてる魔術は、央北天帝教が広めた『タイムズ型』と、その子が洗練させた『ゴールドマン型』に二分されてる。まあ、素人にゃ一緒に見えるんだけどね」
     晴奈はその女の子が誰を指しているのか、ようやく気付いた。
    「エリザ……、ゴールドマン?」
    「そ、『金火狐』のエリザ。現在知らぬ者は無い、伝説の女傑さ。私と会ったコトがきっかけになって、その子は歴史に名を残す大人物となった。
     君には、ソレと似た何かを感じる。英雄の瑞気が、ほのかに見え隠れしているね。何か最近、君の中の何かが目覚めるきっかけがあったんじゃないかと思うんだけど……」
     モールにそう問われ、晴奈には思い当たる節があった。
    (きっかけ、か。
     教団との戦争、黒炎殿との契約、日上に剣を奪われたこと、あの悪魔じみたアランとの戦い、闘技場での連戦、ロウの死――衝撃的な出来事は、色々とあった。
     私の心が一変したのは確かだろう)
    「やっぱり、何かあったね? 良かったらさ、ちょこっと話してみてよ」
     晴奈はモールの態度を、意外に思った。
    「私のことを? 先程まで随分、気の無い素振りだったのに、どう言う風の吹き回しだ?」
    「いやぁ……、前の君は取るに足らないヤツだったけど、今の君はなかなか興味深いもの。名前もちゃんと、覚えさせてもらったね。
     悪かったね、晴奈」



     晴奈から一通り聞き終えたモールは、また帽子のつばを下げた。
    「そうかー……、アルのヤツと戦って無事だとはねぇ」
    「アル?」
    「アランのコトだね。いいコト教えてあげようか?」
    「む?」
     モールは目を隠したまま、晴奈に伝えた。
    「アランってのはね、正真正銘の悪魔なんだ。克も『悪魔』だなんて言われてるけど、アランも悪魔だね。
     体を鋼で固め、さらにその姿をフードとマントで覆い隠している。私や克なんかと同じように、何百年も生きていて、その上性質が悪いコトに……」
     モールはまた帽子を上げる。その目はイタズラっぽく光っていた。
    「復活するのさ。何度殺しても、ね」
    「なんと」
    「二天戦争の頃から、何度も何度も名前を変えて政治・戦争に干渉している。克と戦ったことも数え切れないほどだ。私は運良く、敵として出会わずに済んでるけどね」
    「ふむ」
    「『鉄の悪魔』アル。今度歴史の本を読むコトがあったら、名前に『Arr』が付く人物を見てみな。ソレっぽいコト、やってるのが分かるからね」
     晴奈はその名前を心に刻み込みつつ、別の質問をぶつけてみた。
    「先程から黒炎殿のことをご存知であるような口ぶりだが、モール殿は会ったことが?」
     それを尋ねた瞬間、モールは非常に嫌そうな顔をした。
    「黒炎殿って、克のコト? そりゃ、あるけどもね。あんまりアレコレ言いたかないねぇ。何て言うかアイツ、私とそりが合わないんだもん。思い出すと腹立つコトもあるしね」
    「……それは失敬した」
     先程は老人のように見えたモールが、今度はすねた子供のように見える。
    (本当に何と言うか、この人はころころと、人の変わる……)
     晴奈は内心、苦笑していた。

     二人で話しているところに、楢崎とフォルナがやって来ていた。
    「話を拝聴させていただきましたけれど、あなたは本当に『旅の賢者』モール・リッチなのですか?」
    「ん、そうだよ」
     モールはフォルナの顔を見上げ、大儀そうに手を挙げた。
    「……何と言うか、不思議なお召し物ですわね」
    「単刀直入にボロいって言っていいよ、別にね」
     モールは口角を上げてニヤニヤしている。と、楢崎が思いつめたような顔で口を開く。
    「モール殿。その、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
    「んー?」
    「モール殿は非常に博識で、魔術に見識の深い方と伺っています。焔流剣術を、ご存知でしょうか?」
    「ああ、知ってるね。あの『燃える刀』を使うとか言う、欠陥剣術」
    「欠陥……ッ!?」
     その言葉に晴奈はカチンと来たが、反対に楢崎は驚いた顔をしていた。
    「あー悪い悪い、言い方が……」「い、いえ!」
     謝りかけたモールを遮りつつ、楢崎は顔をブンブンと振り、しゃがみ込む。
    「ある者からも、焔流には重大な弱点があると言われたのです! どうか、それを教えていただけませんか!?」
    「……ふーん。まあ、それじゃ正直に言うけどさ。怒んないで聞いてよね」
     モールは座り直し、その「弱点」を語り始めた。

    蒼天剣・旅賢録 3

    2009.05.31.[Edit]
    晴奈の話、第295話。 神話師弟。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. モールは杖をさすりながら、ゆっくりと話をする。その仕草はまるで老人のようだった。「よくよく考えてみりゃ、あれはもう500年も前になるんだねぇ。 央中にカレイドマインって街があったんだけど、そこに『狐』の女の子が住んでたんだよね。その子に、私はあるものを感じた。それは一体、何だと思うね?」「何、と言われても……? 見当もつかぬ...

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    晴奈の話、第296話。
    焔流の弱点。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     モールは晴奈から刀を借り、両方の手のひらに載せるように持ち上げた。
    「刀が何でできているか、当然知ってるよね?」
    「勿論。鉄でできている」
     晴奈の回答に、モールは深くうなずいた。
    「そ。で、どうやって打つかも知ってるよね?」
    「ええ。鉄を熔かし、高温の状態で叩いて強度を上げ、それを冷やして研いでいく」
    「うん、そんな感じだね。……でさ、打つ上でやっちゃいけないコト、何だか分かるね?」
    「え?」
     モールは刀をトントンと叩き、三人の目を順番に見る。
    「金属ってのは、簡単に言えば高温で熱して、そこから適切に冷やしていくと靭性、延性が上がる。言い換えれば、金属の質が上がるんだ。
     逆に、低い温度でぬるーく熱してそのまんま放置なんかしちゃったりすると、酸化したり靱延性が損なわれたりなんかして、脆くなるんだね」
    「……!」
     ここで、フォルナが弱点に気付いた。
    「つまり、焔流の火は……」
    「そ。鍛える時の1千度近い熱さに比べて、焔流の火は恐らく5、600度前後。これは鋼に対して、あまりにも温いね。しかも火を点けて熱した後、大抵そのまんま鞘に収める。刀は温く熱されて、ゆっくり冷えていく。
     ろくに手入れもせず、何度も『燃える刀』を使えば、大抵の刀はボロボロになっていくだろうね」
    「焔流が、……剣術が、刀を駄目にする、と」
    「そう言うコトだね。まあ、なるべく刀に影響を与えない方法は、いくつもあるけどね」
     楢崎と晴奈は真剣な面持ちで、モールの話に耳を傾ける。
    「1つ目は、その剣術を使った後すぐに冷やして、刀に変なストレスを与えないコト。コレが一番無難な方法じゃないかね。
     2つ目、熱を加えられても耐えうる素材を使って刀を作るか。ま、コレは無茶苦茶な話。んな素材、調達・加工しようと思ったらコスト高すぎて、刀を造るにはもったいなさすぎるね。普通そんなもん造る酔狂なヤツはいない、……と思ったんだけどね、ふざけたコトに晴奈の刀はそーゆー素材と製法で作ってあるね――何考えてこんな高コストでマニアックなもの造ろうと思ったんだか――ま、ともかく。この刀なら焔流を使っても問題無さそうだねぇ」
    「それで、3つ目は?」
     楢崎が鼻息荒く尋ねると、モールは口をわずかに曲げて答えた。
    「暑っ苦しいねぇ、君は。もっとクールになれないね?
     ……んで、3つ目だけどもね、いっそ焔流を使わない。言い換えれば、火系統の術を使わないコト。例えば雷や、地系統の術とかを代用してみるとかね」
    「あっ」
     そこでフォルナが、ポンと手を打った。
    「セイナ、昔お話されてた隠密たちが使っていたのって、そう言う類のものではないでしょうか?」
    「うん?」
    「ほら、央南のテンゲンで戦ったと言うお話。敵の剣士が地面を叩き割ったと……。それはまさに、火属性の代わりに別の属性の要素を、その剣術に代入したのではないでしょうか?」
    「……うーむ?」
     魔術知識が無い晴奈には、フォルナの言わんとすることがさっぱり理解できない。が、楢崎は納得してくれたようだ。
    「それは篠原一派の話だね? 実は『焔流が欠陥』と言っていたのは、その頭領だった篠原なんだ。
     なるほど、これで合点が行ったよ。『新生』焔流と名乗っていたのは、そう言う意味があったんだな」
    「なーに内輪で納得してるのか知らないけどね」
     モールがつまらなそうな顔で話に割り込んでくる。
    「ともかく、焔流の弱点を補うにはその方法しかないと思うね。焔流に関して私が言えるコトは、こんなもんだね」
    「ありがとうございます、モール殿」
     楢崎は深々とモールに頭を下げる。モールは顔を背け、うざったそうに手を振った。
    「いーから、いーから。そーゆー堅っ苦しいのは勘弁してほしいね。
     ……そう言や、君らは悪の組織だか何だかを追ってるって晴奈から聞いたけども、何をしに央北まで行くね?」
    「あ、実は……」
     晴奈は金火公安の調査により、その「悪の組織」――殺刹峰の本拠地が央北にある可能性が高く、現地で調査・討伐を行おうとしていることを説明した。
    「……殺刹峰、ねぇ」
     モールはその名前を、非常に嫌そうな顔をしてつぶやいた。
    「知っているのか?」
    「んー……、ご存知って言うか、狙われたコトがあるね。
     ほら、さっきも言ってた『とっておき』、アレを無理矢理私から手に入れようと襲ってきたんだよね。いやぁ……、あの時は流石に死ぬかと思ったね」
    「モール殿でも、か」
    「いわゆる多勢に無勢、ってヤツだね。いくら私が大魔術師だ、賢者だって言っても、相手は大組織だからねぇ。央北の主要都市であっちこっち待ち伏せされて、一回二回死にかけたね」
    「それで、あの、お姿が……?」
     モールは頬をポリポリとかきながら、小さくうなずく。
    「まあ、そんなトコだね。他にも旅してた女の子二人に助けてもらったり、克のヤツと取引したりして、何とか央北から脱出できたんだよね。
     正直、今はあんまり行きたくない場所だねぇ」
    「ならば何故、この船に?」
     晴奈に尋ねられ、モールは袖からもそもそと木板の束を取り出して膝に並べた。
    「占いの結果、だね。探し物は央北で見つかると出たから、渋々足を向けたってワケだね」
    「探し物?」
    「『魔獣の本』ってのを探してるね。友達の呪いを解くのに、どうしても必要だから」
    「友達、とは雪花殿のことか?」
     晴奈の言葉に、モールは帽子のつばを上げた。
    「君……、ドコで、その名前を聞いたね?」
    「私の師匠は柊雪乃。雪花殿の娘なのだ。訳あって、雪花殿のことを知った次第でな」
    「へぇ……、そうだったのか。あの雪ちゃんの、ねぇ。
     なんだよ君、聞けば聞くほどビックリ要素がポロポロ出てくるじゃないね」
     モールはまた、まじまじと晴奈を見つめた。

    蒼天剣・旅賢録 4

    2009.06.01.[Edit]
    晴奈の話、第296話。 焔流の弱点。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. モールは晴奈から刀を借り、両方の手のひらに載せるように持ち上げた。「刀が何でできているか、当然知ってるよね?」「勿論。鉄でできている」 晴奈の回答に、モールは深くうなずいた。「そ。で、どうやって打つかも知ってるよね?」「ええ。鉄を熔かし、高温の状態で叩いて強度を上げ、それを冷やして研いでいく」「うん、そんな感じだね。……で...

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    晴奈の話、第297話。
    央北上陸。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     その後もいくらか話をしている内に、空と海が赤く染まってきた。
    「もう、こんな時間か。……まったく、奇想天外な話ばかり聞いていて、すっかり時間が経つのを忘れてしまった」
    「はは、楽しんでもらえたみたいで」
     晴奈が雪乃の弟子と知ったモールは、上機嫌になって色々な話をしてくれた。
     弟子である「金火狐」エリザの話や、克大火と争い勝利を収めた話など、数々の英雄や偉人たちを直接その目で見てきたモールの思い出話は、それだけでなかなかの英雄譚だった。
    「良ければまた明日、お話を聞かせていただけませんかしら?」
     フォルナの頼みに、モールはウインクして応えた。
    「いいとも。私の思い出話でいいんなら、いくらでも」
    「ありがとうございます、モールさん」
    「いいって、いいって。それじゃまた明日ね」
     晴奈たちはニコニコと笑いながら、モールに別れを告げた。

     モールはそのまま、椅子に座っていた。ずっと赤く輝く海を見つめていたが、帽子のつばを下げ、目を閉じた。
    (黄晴奈……、なかなか面白い子になったもんだね。
     殺刹峰の討伐、か。正直、あの組織に近付くなんて、あんまりいい気分じゃないけども――新しい英雄譚を間近で鑑賞するのも、悪くないね。そっと、付いて行ってみようかねぇ)

     この船旅で、公安組は散々カードゲームに興じた。その結果バートは792クラムの大敗を喫し、逆に小鈴が824クラムの大勝を記録した。
     晴奈たちはモールから様々な話を拝聴し、有意義な時間を過ごせた。



     ゴールドコーストを出発してから17日後。船は央北、ウエストポートに到着した。
    「やっぱり、央中とは雰囲気が違うな」
     晴奈は港を見回し、小鈴とフォルナにささやいた。
    「そうですわね。央中は『狐』と『狼』ばかりでしたけれど、ここは耳が短い方の割合が大きいですわね」
    「ま、人種もそーだけど、一番の違いは……」
     小鈴はそっと晴奈の袖を引っ張り、港の向こうを指差す。指し示された方向には、大規模な軍港が構えていた。
    「央中じゃあんまりあーゆーの見なかったけど、央北はあっちこっちに軍事基地や軍関係の施設があるのよ。だから自然と、軍事が生活に大きな影響を及ぼしてる。
     あと、こっちは央北天帝教の方が――名前通りだけどね――影響力すっごく強いから、あんまり央中の常識とか慣習持ち出すと、えらい目に遭うわよ」
    「ふむ……」
     確かに、街の空気は央中のように雑多、活発と言う雰囲気では無い。あちこちに軍人や官僚と思しき姿の者がうろついており、ひどく物々しい。
     そんな空気を懸念したジュリアが皆を集め、今後の行動についての注意点を伝える。
    「戦争の最中で警戒が強められてるから、あまり目立った行動はしないようにね。
     この任務は公安の管轄外での行動だし、公安のサポートは期待できない。総帥が仰っていた通り、財団も不要な混乱を避けたいし、中央政府当局に何らかの嫌疑をかけられて捕まっても、最悪の場合、見捨てられることもあるわ。
     いくらエラン君が総帥の息子だと言っても、通用しないでしょうね」
    「うぅ……」
     これを聞き、エランが不安そうな顔になる。
    「それから、ここからは三人一組、3チームに分かれて行動すること」
    「三人、一組に?」
    「何でなん?」
     きょとんとする楢崎やシリンに、フェリオが説明する。
    「9人が固まってゾロゾロうろついてるなんて、あまりにも怪しすぎるっスよ。だからこの先、クロスセントラルまでは3チームに分かれて、目立たないように行こうってことっス。
     で、このチーム編成ですけど……」
     フェリオに続いて、バートが説明する。
    「ナイジェル式諜報班編成――リーダー、補助、戦闘員の三人で構成する。
     チーム1、ジュリアがリーダー、補助にコスズ、戦闘員にナラサキさん。
     チーム2、俺がリーダー、補助にフェリオ、戦闘員にシリン。
     チーム3、フォルナちゃんがリーダー、補助にエラン、戦闘員にセイナだ」
    「何で僕が補助に……」
     不満げなエランに、フェリオがニヤニヤしながらささやく。
    「そりゃー、フォルナちゃんの方がしっかりしてるもん。総帥のお墨付きだし」
    「あぅ……」



     こうして3チームに分かれた9人は央北の首都、クロスセントラルを目指すことになった。
     さらわれた息子の救出、央中圏の安全確保、そしてロウの仇――様々な理由から集まった9人が、「大陸の闇」へと挑む。

    蒼天剣・旅賢録 終

    蒼天剣・旅賢録 5

    2009.06.02.[Edit]
    晴奈の話、第297話。 央北上陸。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. その後もいくらか話をしている内に、空と海が赤く染まってきた。「もう、こんな時間か。……まったく、奇想天外な話ばかり聞いていて、すっかり時間が経つのを忘れてしまった」「はは、楽しんでもらえたみたいで」 晴奈が雪乃の弟子と知ったモールは、上機嫌になって色々な話をしてくれた。 弟子である「金火狐」エリザの話や、克大火と争い勝利を収...

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    晴奈の話、第298話。
    大火と中央政府、金火狐との確執。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     央北の港、ウエストポートで旅の準備を進めながら、フォルナとエラン、そして晴奈は話をしていた。
    「本当に、息が詰まりそうな街ですね……」
    「そうですわね。どこを見ても、軍人さんばかり」
     フォルナの言う通り、大通りは軍服を着た者たちがしきりに行き交っている。
    「しかし、何故この街にも軍人が? 戦争はこの街の反対、東海岸側で起こっているのだろう?」
    「あ、東岸の街――ノースポートにも結構多いらしいですよ、軍や官僚」
     晴奈の疑問に、エランが答える。
    「でも、もう3年くらい戦争してますから、ノースポートの軍備も少なくなってきたみたいで。だからこの街や、南の方にある街からも、軍備をかき集めてるらしいですよ」
    「だから、この街でも軍人を良く見かけるのか」
    「それに昔から、この街は海軍の演習場になっていると聞いていますわ。普段から多いのでしょうね」
    「ふむ……。そう言えば、ゴールドコーストでは軍関係の施設や人間を見た覚えが無いな。あれだけの大都市なのだから、そう言った者に会っても良さそうなのだが」
    「あー、いないんですよ、軍って」
    「いない?」
     エランの回答に、晴奈は少し驚いた。
    「昔からゴールドマン家って、『自分で戦争を起こすよりも、他人の戦争を助けろ』って言う精神なんですよ。自分たちが最前線で戦うより、どこかで起こっている戦いに参加するタイプなんです」
    「いわゆる『外馬』か。……あまりほめられたものでもないな」
     率直な感想を述べた晴奈に、エランが反論する。
    「まあ、周りから見ればそうかも知れませんけど、戦争に加担するのは何もお金を稼ぐことだけが目的じゃありません。
     長い間戦争を続ければ物価は高騰する、物資は尽きる、人間は困窮すると、ろくなことになりません。だから積極的に介入して、早め早めに戦争を終わらせてあげるんです。早めに終われば国も人も、ウチも安定し、みんなが平和になります。それはいいことでしょ?」
    「ふ、む……」
     エランの主張ももっともだと、晴奈は納得しかける。
    「しかし金、金と躍起になるのも、何だか……」
    「そこがゴールドマン家のゴールドマン家たる由縁ですよ」
     反論する晴奈に対し、エランも折れようとしない。
    「ウチは金で悪魔を倒した家柄ですから」
    「悪魔? 黒炎殿……、克大火のことか?」
    「ええ。ニコル3世の時代に、彼は戦争ではなく交渉でカツミを倒したんです」
    「ほう……。しかし克大火が、金で動く男とは思えぬがな」
    「逆ですよ、逆。ニコル3世は『世界中に出回っているクラム通貨を、金火狐の総力を上げて無力化するぞ』と脅して、カツミ率いる中央政府の政治的圧力に、経済的圧力で対抗したんです。
     これは歴史に名を残す『サウストレードの大交渉』と言われて……」「エラン」
     エランが雄弁に語り始めたところでフォルナが帽子を取り上げ、話をやめさせた。
    「あっ、何するんですか」
    「セイナがぽかんとしてらっしゃいますわ。エラン、あなたはもう少し、空気を読まなければなりませんわね」
    「……母さまと同じこと、言わんといてくださいよ」
     エランはフォルナから帽子を奪い、目を隠すようにかぶる。そこで晴奈は我に返り、小さく手を振った。
    「あ、いや。ぽかんとしていたのは確かだが、少々気になることがあったのでな」
    「気になること?」
    「克大火が中央政府を率いた、と言うのが良く分からぬ。あの方は独立独歩、孤高の人であると思っていたのだが」
    「まあ、厳密に言えば、中央政府を実際に率いたのは3年か、4年くらいですよ。さっき言ってた『大交渉』の後、カツミは手を引いたんです」
    「ほう」
    「恐らく、ニコル3世との交渉で辟易したんでしょうね。
     全権を元いた大臣や共に戦ってきた人たちに譲渡して、それからずっとお金――中央政府の税収の何%かだけ取るだけになったとか」
    「ふーむ……」
     晴奈は昔見た大火の姿を思い出しながら、「やはりあの人は孤高の人――政治に手を出すような器ではないのだろうな」と考えていた。
     そうしている間に、またエランが饒舌になってきた。
    「でもこのことが、現在の中央政府の内乱・政治混乱の根源にもなってるんですよね。つくづくカツミは、政治をかき回す『乱世の奸雄』ですよ」
    「エラン、また……」「あ、いや」
     さえぎろうとするフォルナを、晴奈が止めた。
    「よければ詳しく聞きたい。私は政治方面に疎くてな、央北が今どんな状況にあるのか、教えて欲しいのだが」
    「あ、えっと、じゃあ。そこの喫茶店でお茶でも飲みながら……」
     積極的に尋ねてきた晴奈に気を良くしたエランは、嬉々として語り始めた。

    蒼天剣・出立録 1

    2009.06.04.[Edit]
    晴奈の話、第298話。 大火と中央政府、金火狐との確執。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 央北の港、ウエストポートで旅の準備を進めながら、フォルナとエラン、そして晴奈は話をしていた。「本当に、息が詰まりそうな街ですね……」「そうですわね。どこを見ても、軍人さんばかり」 フォルナの言う通り、大通りは軍服を着た者たちがしきりに行き交っている。「しかし、何故この街にも軍人が? 戦争はこの街の反対、...

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    晴奈の話、第299話。
    混沌とする大組織。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     喫茶店で茶を飲みつつ、エランの政治解説が始まった。
    「まあ、ともかく『中央政府』がどんな組織なのか、って言うところから話しますね。
     もともとは天帝教の神様、タイムズ帝が中央大陸、ひいては世界全体の平定のために築き上げた組織で、かつては本当に、世界全体を支配していたと言われています。まあ、半分神話みたいな話なんですけどね。
     ちなみに『タイムズ』って言う名前は現在の暦、双月暦を制定したことから、『時間(タイム)を作った偉大な者』ってことで、周りからそう呼ばれたらしいです。こう言うのも神話がかってますけど」
     話が一々逸れるので、横に座っていたフォルナが度々エランの右腕を小突く。
    「エラン、本題を話してちょうだい」
    「あ、すみません。ついつい……。
     まあ、天帝一族が300年以上率いてきた『旧』中央政府はやがて政治腐敗にまみれ、暴政が敷かれるようになりました。そこで起こったのが黒白戦争――中央政府の大臣だったファスタ卿を筆頭として反乱軍が結成され、中央政府との長い戦いを続けた末に、反乱軍側が勝利。中央政府の政治体制は一新され、天帝一族の手から離れることになりました。
     しかし中央政府はファスタ卿の手に渡ることはありませんでした。ファスタ卿と手を組んでいたカツミがファスタ卿を暗殺し、彼が持っていた全権を奪ったそうです。これがタイカ・カツミ伝説の始まりであり、『乱世の奸雄』『黒い悪魔』と呼ばれる由縁でもあります」
    「克大火が、そんなことを……?」
     その話と実際に会った大火とのイメージが食い違い、晴奈は思わず首をかしげた。納得いかなさそうなその様子に、エランもきょとんとする。
    「あの、有名な話ですけど……」
    「ああ、うむ。そうだな、私もおぼろげにそう聞いたことはある」
    「ですよねぇ。……それで、話の続きですけど。
     カツミは中央政府を手に入れた後、かなり無茶苦茶な要求をしました。その最たる例が、『中央政府の歳入額の何%かを、自分に納めること』。今でこそ中央政府の歳入は2~3千億クラムとウチの総収入と同じくらいですけども、そこから考えてもざっと50億、60億の金が毎年カツミに入っていきます」
    「そんなにか……」
     大商家の娘と言えど、流石の晴奈もそんな金を目にしたことは無い。未亡人となったシルビアへの香典として渡した、あの途方も無い大金がかすむほどの額である。
    (なるほど、そこは悪魔だな)
    「その要求は央北だけじゃなく、央中、央南など、様々な地域に対しても行われました。
     でもニコル3世がその要求を突っぱねたおかげで、他の地域も揃って反発。その結果、カツミの権利は央北からの税収を掠めるだけに留まりました。それに元々、カツミは政治にそれほど興味が無かったみたいで、その権利が確保された途端、あっさり中央政府の政治権力を譲渡したんです。
     そこから大混乱ですよ。カツミ及び反乱軍が一点に集中させた絶大な権力を奪い合って、央北の名家や権力者が対立。逆に央南や北方など、央北から遠い地域は独自の政治体制を敷き、中央政府から離反していきました。
     カツミの暴挙と放任、『大交渉』の失敗、政治的内乱と央北外の反発――黒白戦争の終結から200年あまりを経た今、『中央』政府とは名ばかり、央北、央中と西方の一部を領地とする『ただの大国』になっています。一応国としてのまとまりはありますが、その方針は各大臣によってバラバラ、軍務大臣や外務大臣が侵略を推す一方で、内務大臣や財務大臣などは貿易を優先させようと和平の道を探る……、と言うような感じです。
     明確な政治方針のない中央政府はこの200年ずっと、混乱したままです」

     エランの言う通り、中央政府に属している軍人や官僚たちは、互いに反目しているようだった。よほど争いが耐えないらしく、街中で彼らがすれ違う度、周囲に緊張が走っているのが傍目から見ても明らかだった。
     そして実際、争っている現場も何度か目撃した。
    「おぉ、これはこれは……」
     部下を引き連れた初老の将校が若い官僚数人に出会うなり、こうなじる。
    「こんな往来で出会うとは、よほどお仕事がお忙しいようで。いやぁ、昼間からご苦労様ですなぁ」
     官僚もややにらみながら、こう返す。
    「……ええ、我々もどこかの粗忽者さんが考え無しに消費した物資を確保するのに、文字通り東奔西走している次第でしてね」
    「ほうほう、それはそれは。まあ、よろしく頼みますわ、ははは」
     こんな感じで、一々両者が突っかかる。実際に手を出すには至らないが、非常に険悪な雰囲気なのである。

     喫茶店を出て、ふたたび往来を歩いていた晴奈はため息をついた。
    「なるほど、荒れた国だな」
    「ええ。そもそもですね、今起こっている戦争だって大義も目的も、何にも無いですよ。
     一応は『北方からの攻撃を受けているために、やむなく応戦』とか、『カツミに叛意を抱いている危険国を先制攻撃』とか、『縮小した領土の再拡大』だとか色々言ってますけど、実情は中央政府内の主導権を握るためだけにやってるみたいです」
    「どう言うことだ?」
    「一つは、カツミに取り入るためですね。実権を手放したとは言え、カツミは相当の金と影響力、実行力を備えてますから、彼を味方に付けられれば政府内での権力は間違いなく強まるでしょうし」
    「ふむ」
    「まあ、それとはまったく逆の理由もあります。カツミを消してしまえばその莫大な金と、『悪魔を倒した』って言う名声が手に入ります。だから、彼を倒せるだけの兵力を集めるために領土拡大とか、軍事国を配下に置こうとか、そう言うことを考えてるみたいですよ」
    「なるほど……。一方で克大火にへつらい、もう一方では反発、か。確かに、混沌とした組織だな」
     晴奈は腕を組み、ため息混じりにつぶやいた。

    蒼天剣・出立録 2

    2009.06.05.[Edit]
    晴奈の話、第299話。 混沌とする大組織。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 喫茶店で茶を飲みつつ、エランの政治解説が始まった。「まあ、ともかく『中央政府』がどんな組織なのか、って言うところから話しますね。 もともとは天帝教の神様、タイムズ帝が中央大陸、ひいては世界全体の平定のために築き上げた組織で、かつては本当に、世界全体を支配していたと言われています。まあ、半分神話みたいな話なんですけど...

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    晴奈の話、第300話。
    アホの子と大人の女。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     一方、バート班も買い物に来ていた。
    「うふふー」
    「は、はは……」
    「……」
     バートの背後でフェリオとシリンがいちゃついている。いや、正確にはシリンがフェリオに付きまとっているのだ。
    「なーなー、アレ何なん? あの槍持った女の人の銅像」
    「ん? あ、ああ、あれは昔、この街を護った英雄を……」「フェリオ、お前なぁ」
     たまりかねたバートが口を開いた。
    「任務中だぞ」
    「すんません」「えーやんかー」
     謝るフェリオの前に出て、シリンが反論する。
    「出発は明後日やろ? もうちょいのんびりしてても大丈夫やん」
    「大丈夫かそうでないか、考えるのは俺だ。そして、今準備しなきゃ間に合わないと判断した。遊んでる暇はねーんだよ」
    「……あーそーですかー」
     シリンがうざったそうな顔をし、フェリオの首に手を回す。
    「そんならパパっと準備終わらして、後で一緒に遊び行こなー、なー?」
    「お、おう」
     もう一度バートが振り向く。黒眼鏡で見えはしないが、その目は確実に怒っていた。
    「フェリオ、ちょっとこっち来い。シリンはそこで待ってろ」
    「えーよ」
     バートはフェリオの首をつかみ、路地裏に連れ込む。
    「さーてフェリオ、俺が怒ってるのは分かってるよな? なぁ?」
    「……はい」
    「何で怒ってるか分かるか?」
    「シリンが、オレに付きまとってるから」
    「おいおい、人のせいにするなよフェリオ巡査長」
     首を絞める力がジワジワと強くなっていく。
    「苦しいっス、先輩」
    「それでだ、フェリオ。お前に3つ選択肢をやる。好きなのを選べ」
     バートが煙草をギリギリと噛みながら、フェリオをにらみつける。
    「1つ、今すぐ銃でてめーの頭ブチ抜け。それか2つ、シリンの頭ブチ抜いて来い。
     それが嫌なら3つ、シリンを黙らせろ」
    「……み、3つ目にします」
    「よし。じゃあ行け」
     バートが手を離した途端、フェリオはバタバタと路地裏を飛び出した。
    「……ったく」
     バートにしてみれば今回の任務と、その前の任務――クラウン一味への潜入捜査からずっと、貧乏くじを引き続けているようなものである。
     前回だけでも、いたずらに苦労ばかりさせられ、金もむしられた上、歯や骨まで折られたのである。今回にしても、恋人と二人きりで過ごす時間がまったく無い一方で、シリンが自分の周りで、見せ付けるようにフェリオに絡んでいるのだ。
    (絶対、今の俺は不調、絶不調だ……。ジュリアぁぁ、もう勘弁してくれよぉぉ……)
     これだけ不運が続けば、情緒不安定になるのも仕方が無い。後輩をいじめたくなるのも、当然と言えば当然のことだった。
     が、シリンもシリンで空気を読まないし、状況を理解してくれない。
    「はぁ? 何でバートの言う通りにせなアカンの?」
    「だから、うちの班のリーダーだからだってば」
    「それは公安が決めた話やろ? ウチ、そんなん聞いてへんもん」
    「いやいやいや、船の中とか港とか、宿でも散々説明しただろ? まあ、お前『うんうん分かった分かった』って生返事ばっかりだったかも知れないけどさぁ」
    「あ、宿って言えば、今夜どないする? 今日は一緒のベッドでええ?」「うだーッ!」
     フェリオの必死の説明も、シリンには十分の一も伝わらなかった。

     宿に帰ってからもずっと、バートは不機嫌な顔で煙草をふかしていた。
    「なぁなぁ、バート。煙たいんやけど……」
    「……」
     フェリオに背中から抱きついたまま文句を言ってくるシリンに対し、バートはイラついた目をチラ、と見せて無言で威圧する。
    「話聞いとるー?」
     しかしシリンはにらまれても動じない。と言うよりも、にらんでいることにさえ気付いていない。
    「……」
     バートの口から煙草が落ちる。バートが怒りのあまり、吸口を噛み千切ったのだ。
    「いい加減にしやがれよ、このバカ……」
    「は?」
     怒りに満ちたバートの言葉に、シリンもあからさまに不機嫌になり、フェリオから体を離す。
    (うわわわ、まずい~っ)
     険悪な雰囲気の室内で、板挟みのフェリオは真っ青になった。
     と――。
    「入るわよ」
     別行動を取っていたはずのジュリアの声が、部屋の中に飛び込んできた。
    「え?」
     シリンをにらんでいたバートが、驚いた声を上げる。
    「じゅ、ジュリア? こんな時間に何だよ?」
     ドアを静かに開け、ジュリアが入ってきた。
    「うん、ちょっとあなたと話がしたくなったから。遅くにごめんね」
    「い、いや、俺はいいんだ、けど」
    「ああ」
     ジュリアはシリンたちの方に向き直り、すっと鍵を差し出す。
    「ちょっと悪いんだけど、フェリオ君、シリンさん。別の部屋取ったから、今夜はそこで寝てくれない?」
    「へっ?」「な、何で?」
     バートもシリンもきょとんとしていたが、フェリオはジュリアの助け舟に素早く乗り込んだ。
    「ま、ま、ま……、シリン、リーダー同士の大事な、大事なお話があるんだろ、きっと、うん。オレたちもゆっくりできるし、いいじゃん、な?」
    「……そやな。えへへへー」
     フェリオの説得を聞いたシリンは一瞬ででれっとした顔になって、フェリオの腕を抱きしめた。
    「ほな、ウチらそっち行くわー。何号室?」
    「211号室よ。はい、鍵」
    「あいあい、ありありー」
     シリンは尻尾をパタパタ揺らしながら鍵を受け取り、フェリオを引っ張るように部屋を出て行った。
    「……」
     思いもよらぬ展開に、バートは依然固まったままだ。
    「バート」
    「う、おう?」
     ジュリアに声をかけられ、バートは我に返る。
    「煙草、ちゃんと始末しなさい。床に転がってるわよ」
    「おっ、ああ、うん。……悪い悪い」
     バートは先程噛み千切った煙草を拾おうと屈み込む。
    「危ねー危ねー。……ん?」
     煙草を拾い、立ち上がろうとしたところで、両肩に手を置かれた。
    「ごめんなさいね、バート。このところずっと、嫌な任務ばっかり押し付けちゃって」
    「……いいよ、別に。仕事なんだしさ」
    「今回の任務でもしばらく、二人っきりになれないし」
    「いいってば」
    「でも、今夜だけは確実に、朝まで一緒にいられるわよ。私の班は落ち着いた人ばっかりだから、今夜くらい私がいなくても、ちゃんと準備を進めてくれるし。シリンさんも、フェリオ君に任せれば素直だしね。
     だから、……ね?」
    「……おう」
     バートはジュリアの手を取り、静かに立ち上がった。

    蒼天剣・出立録 3

    2009.06.06.[Edit]
    晴奈の話、第300話。 アホの子と大人の女。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 一方、バート班も買い物に来ていた。「うふふー」「は、はは……」「……」 バートの背後でフェリオとシリンがいちゃついている。いや、正確にはシリンがフェリオに付きまとっているのだ。「なーなー、アレ何なん? あの槍持った女の人の銅像」「ん? あ、ああ、あれは昔、この街を護った英雄を……」「フェリオ、お前なぁ」 たまりかねたバ...

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    晴奈の話、第301話。
    赤毛の幼馴染。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「んふふふ……」
     一方、こちらは小鈴と楢崎。
     ジュリアが別室に移動したため、3人で取っていた部屋は広々としていた。今夜は使われることの無い空のベッドを眺めながら、楢崎も苦笑する。
    「若いなぁ、スピリット君」
    「ま、好きなオトコがイライラしてたらそーするわよ。アイツならひょいひょいってなだめられるでしょうしね」
    「そう言えば橘君、スピリット君とは顔見知りみたいだけど、どんな関係なんだい?」
     楢崎の質問に、小鈴はベッドに腰掛けたまま答える。
    「あー、腐れ縁って感じかな。瞬二さんも、朱海のコトは知ってるわよね?」
    「ああ、赤虎亭のおかみさんだね」
    「あいつとあたし、それからジュリアはちっさい頃から良く遊んでたのよ。歳も近いし、3人とも真っ赤な髪だし。『赤毛連盟』なんつってね」
    「橘君の実家は央南だったよね。昔から市国の方にも、足を運んでたのかい?」
    「そ、そ。家が情報屋やってるから、家族ぐるみで央中には何度も入ってたのよ。勉強とかで、あたしだけ4~5年向こうに住んでたコトもあったしね。
     今でも公安と情報屋って関係で、ちょくちょく話するわ。……あ、だからか」
    「うん?」
    「いや、何で半年前、エランが赤虎亭を訪ねて来たんだろって思ってたんだけど、今考えてみたら、ジュリアがそう指示したんでしょうね」
    「ああ、なるほど」
    「にしても、……いいなぁ」
     小鈴はベッドにごろんと寝転び、ため息をつく。
    「何だかんだ言ってジュリア、オトコいるのよねぇ。あの子ドライな性格してるけど、バートと話してる時はニコニコしてんのよね」
    「ニコニコ? ……うーん?」
     楢崎は普段のジュリアの様子を記憶から探るが、思い浮かぶのは銀縁眼鏡の奥にある、細い目だけである。
    (あの顔が、ニコニコと? ……今度、注意深く見てみよう)
    「あの二人、幸せそうでいいわよねー」
    「ふむ……」
     楢崎は机に頬杖を付き、しんみりとしたため息をつく。
    「幸せな男女、か」
    「どしたの、瞬二さん?」
    「あ、いや。……そう言えば、橘君は、その、お相手の方はいるのかい?」
     楢崎にそう問われ、小鈴は噴き出した。
    「ぷっ……、ふ、んふふふふ」
    「え、どうしたんだい?」
    「いや、んふふ……。
     今はいないわ。前はいたんだけど、あたしがこの『鈴林』任されて、あっちこっち旅するようになってから、どーしても長続きしなくなっちゃってさ。みーんな口を揃えて、『待つのに疲れたんだ』っつって。
     だから今は、一人なの。欲しいなーって思ってるんだけどね」
    「ふむ……」
     楢崎は立ち上がり、小鈴のベッドの横に立てかけてあった「鈴林」を見つめる。
    「以前に黄君から聞いたことがあるんだけど、この杖には意思があるそうだね」
    「そ、そ。……ホラ『鈴林』、挨拶して」
     小鈴がそう声をかけると、「鈴林」はひとりでにちり、と鈴を鳴らした。
    「ほう……」
    「ね? ……ま、そのせいで彼氏もぜーんぜんできないんだけどね。ホントこの子、わがままで」
    「はは、難儀だね。……そうだ『鈴林』君、こう言うのはどうかな?」
     楢崎は「鈴林」の前にしゃがみこみ、提案してみた。
    「5~6年くらい旅を我慢してもらって、その間に橘君に子供を作ってもらい、次からはその子と旅をするって言うのはどうだい?」
    「アハハ、それいーわぁ」
     小鈴は笑いながら、「鈴林」をトントンと突いた。
    「ねー、そんでもいい、アンタ?」
     ところが何度小突いても、杖は一向に鳴らない。
    「……ダメ?」
     今度はそれに答えるように、鈴がひとりでにちり、と鳴った。
    「ケチぃ」
    「残念だったね、はは……」
    「こーなったら、一緒に旅ができるオトコ見つけなきゃいけないわねー」
     小鈴はクスクス笑いながら、「鈴林」を手にとって鈴を拭き始めた。
    「誰かいい男いないかしらねー」
     手入れをしながら、小鈴は視線を楢崎の方に向ける。
    「……うん?」
    「……んーん、何でも。……ホラ『鈴林』、キレイにしたげるわよー」

    蒼天剣・出立録 4

    2009.06.07.[Edit]
    晴奈の話、第301話。 赤毛の幼馴染。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「んふふふ……」 一方、こちらは小鈴と楢崎。 ジュリアが別室に移動したため、3人で取っていた部屋は広々としていた。今夜は使われることの無い空のベッドを眺めながら、楢崎も苦笑する。「若いなぁ、スピリット君」「ま、好きなオトコがイライラしてたらそーするわよ。アイツならひょいひょいってなだめられるでしょうしね」「そう言えば橘君、...

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    晴奈の話、第302話。
    中枢への出発。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ジュリアが部屋を移動した、その翌朝。
    「よっ、おはようお前ら。夕べは良く眠れたかっ?」
     昨夜とは打って変わって上機嫌になったバートが、食堂で向かい合って朝食を取っていたフェリオとシリンに話しかけてきた。
    「え、ええ、まあ。それなりに、ぐっすり眠れたっス」
    「う、うんうん」
     二人はバートの首筋に注目していたが、バート自身はその視線にまったく気付いていない。
    「よっしゃ、それじゃ今日も一日頑張っていくか、はははは……」
     バートは朗らかに笑いながら、食事を取りに向かった。
     フェリオたちはバートが離れたところで、顔を近づけてコソコソと話し始めた。
    「……見た?」
    「うん。首のところ……」
    「キスマークだよな」
    「せやな。……言うた方がええかな」
    「やめとけ。多分怒る。スーツ着れば隠せるトコだったし、黙っとこう」
    「あいあい」
     二人はクスクス笑いながら、バートの後姿を見ていた。

     一方、こちらはジュリア班。
    「おはよう」
     楢崎の挨拶に、ジュリアは軽く手を挙げて応える。
    「おはよう、ナラサキさん」
    「ふあ、あー……。んふふ、おはよー」
     今度は小鈴がニヤニヤしながら挨拶してくる。
    「おはよう、コスズ」「夕べはお楽しみ?」
     挨拶を返したところで、間髪入れず小鈴がカマをかけてきた。
    「ふふ、内緒よ」
    「あら残念、んふふ……」



     3班とも旅の準備が整い、いよいよ中央政府の本拠地、クロスセントラルに向けて出発した。目立たないように、そして情報収集と、全滅の可能性を避けるために、3班はそれぞれ別に行動している。
     ジュリア班は港町ウエストポートから海岸沿いに南下し、崖のそばに作られた戦艦製造の街、ソロンクリフから東南に進み、首都に入るルート。
     バート班はまっすぐ東に進み、西と北、二つの港からの物資が集められる街、ヴァーチャスボックスから南に方向転換、首都を目指すルート。
     フォルナ班は最初から南東に進み、ウエストポートと首都の中継地点、エンジェルタウンを抜けてそのまま首都に進むルートを執る。
    「みんな無事に、首都で会いましょう!」
     ジュリアの檄に、皆がうなずく。
    「おう!」
    「必ず!」
     3班は互いの無事を祈りつつ、バラバラに歩き始めた。

     と――。
    「やれやれ、ようやく出発か。なーにをダラダラやってたんだかねぇ」
     フォルナ班の後を、モールがこっそりつけていた。
    「このモール様を2日も待たせるなんて、いい度胸してるじゃないね(晴奈一行はモールが付きまとっていることなど知る由も無いので、こんな文句はまったくの見当違いなのだが)。
     ほれほれほれほれ、早く進めっての」
     100メートルほど距離を開け、他の旅人に紛れながらそっと足を進めている。本人は気付かれていないと思っているのだが――。
    「……あの、セイナ」
    「ああ。つけられてるな」
     しっかり、ばれていた。
     三人は後ろを振り向かないように、ヒソヒソと言葉を交わす。
    「誰なんでしょう、あの魔術師? まさか、もう敵にマークされて……?」
    「いや、私とフォルナの知り合いだ。……非常に気紛れな人だよ」
    「そう、ですか。……じゃ、心配ない、ですかね?」
     心配そうにするエランを見て、フォルナはクスクス笑いながらうなずく。
    「ええ。ちょっと偏屈な方ですけれど、悪い人ではありませんわ」
    「まあ、本人は気付かれて無いと思っているようだから、このまま放っておこう」
     晴奈の提案に、フォルナはもう一度うなずいた。
    「ええ、その方がよろしいですわね。あの人の性格でしたら、気付かれていると分かったらぷい、とどこかに去ってしまうかも知れませんわ」
    「あの人の腕前は黒炎殿に並ぶと言われているからな。助けを期待するわけではないが、近くにいるだけでも心強い」
     晴奈たち三人はしれっと、モールを味方に付けることにした。

    蒼天剣・出立録 5

    2009.06.08.[Edit]
    晴奈の話、第302話。 中枢への出発。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. ジュリアが部屋を移動した、その翌朝。「よっ、おはようお前ら。夕べは良く眠れたかっ?」 昨夜とは打って変わって上機嫌になったバートが、食堂で向かい合って朝食を取っていたフェリオとシリンに話しかけてきた。「え、ええ、まあ。それなりに、ぐっすり眠れたっス」「う、うんうん」 二人はバートの首筋に注目していたが、バート自身はその...

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    晴奈の話、第303話。
    敵首領と主治医の会話。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     某所、殺刹峰アジト。
    「どう……、調子は……?」
     狐獣人の、ひどく顔色の悪い女性がオッドの研究室を訪れた。
    「上々、って言いたいトコなんだけどねーぇ」
     オッドはひどく残念そうな顔をして、女性を部屋に招きいれた。
    「あら……、失敗したの……?」
    「失敗じゃないわよぉ、アタシに落ち度無いわよーぉ。このおっさんが『素材』としてクズなのよぉ」
     オッドは手術台に縛り付けられた熊獣人――クラウンを指差す。
    「ひ……はっ……ひ……」
     クラウンの額には何本も青筋が走り、目は赤黒く染まっている。そして肌全体が、青黒く変色していた。
    「なーにが『キング』よぉ、まったく。ちょっと神経を肥大させて、血流量増やしただけで、もうコレよぉ?」
    「は……ふっ……」
    「もう脳の血管もポンポン弾けちゃったみたいで、ザ★廃人確定。『プリズム』に入れるどころか、普通の兵士にも使えないわよぉ」
    「あら……そうなの……。それは……残念ね……」
    「もう使いどころ無いから、ちゃっちゃとモンスターにしちゃってよぉ」
     オッドの要請を聞いた「狐」は、非常に辛そうな顔をした。
    「ちょっと……無理……。わたし……今日は……体調が悪くて……」
    「そーねぇ、顔色悪いもんねぇ。栄養剤と強壮剤、打っとく?」
    「ええ……お願いするわ……シアン……」
     オッドは非常に嬉しそうな顔をして、薬棚を漁り始めた。
    「了解、リョーカイ。……うふっ、やっぱ医者っぽいコトすると楽しいわぁ。天職ねぇ」
    「あは……はは……」
     「狐」の女性は口の端をやんわりと上げ、笑い顔を作る。
    「どしたのぉ?」
    「いえね……。こんな……人体実験する……あなたが……、医者っぽい……ことって……言うから……あはは……」
    「それ嫌味? 侮辱?」
     オッドが口を尖らせると、女性はゆっくりと手を振って否定した。
    「いいえ……ただ……面白いなって……」
    「ホラ、腕出しなさいよぉ。……相変わらず血管ほっそいわねぇ」
     オッドが静脈を探しながら、女性に尋ねる。
    「アンタ、今いくつだったっけ?」
    「68よ……」
    「魔術ってのはホントに、気味悪いわねぇ」
     ようやく静脈を探し当て、ぷすりと注射を打つ。
    「この腕を見たら90歳、100歳の超おばあちゃん。……なのに」
     オッドが顔を上げた先には勿論、女性の顔がある。
    「顔ときたら、どう見ても30そこそこ。『老顔若体』って言葉あるけど、アンタは逆ねぇ。『若顔老体』って感じ」
    「いいじゃない……そんなの……。あなただって……、バニンガム卿だって……、その魔術の恩恵を……、受けてるんだから……」
    「まあねぇ」
     2本目の注射を打ち終え、オッドは改めて「狐」の顔を覗き込む。
    「どうしたの……?」
    「もう20年以上その顔見てるけど、いまだに分かんないわぁ」
    「何が……?」
    「アンタの考えてるコトが」
     オッドの言葉に、「狐」は不思議そうな顔をした。
    「どうして……?」
    「アンタに何のメリットがあって、こんな組織を作ったのか。アンタの目的はなんなのか。ずーっと考えてるけど、アンタのその、青白ぉい顔を見る度に分かんなくなっちゃうのよねぇ」
    「いつも……言ってるじゃない……」
     口を開きかけた「狐」をさえぎって、オッドはその先を自分から話す。
    「あーあー、『中央政府の粛清』とか、『新政権樹立のための基盤固め』とか、そんなコトは何べんも聞いたわよぉ。でもさーぁ、それは旦那サマのための目的じゃないのぉ?
     アタシはアンタ自身のメリットとか、目的を聞きたいのよぉ」
    「……」
     「狐」はオッドから目線をそらし、ぽつりとつぶやいた。
    「そうね……わたし自身の……目的……。
     2つ……かな……。娘の……、フローラのためと……、わたしの魔術の……、完成を目指すため……、かしら……」
    「魔術の完成?」
    「まだ……、完全じゃない……」
     「狐」は両手を挙げ、その細い腕をオッドに見せた。
    「体は……確かに……、30代のままのはず……なのに……、ひどく……衰えている……。同じ術をかけた……、あなたや……バニンガム卿は……、とっても若々しいのに……、わたしだけが……こんなに衰弱してる……」
    「それは、その……、アンタの病気のせいじゃないの。魔術、関係ないじゃない」
    「だからよ……。わたしの魔術……現時点では……、この病を克服できない……。完成していたら……、きっと……わたしは……」
    「……まあ、うん。とりあえずアタシには、症状を緩和するコトしかできないしねぇ」
     オッドは立ち上がり、また薬棚に向かう。
    「とりあえず栄養剤と強壮剤は打ったし、沈静剤も作っとくわねぇ。……アンタの魔術が完成するのが早いか、それともアタシが特効薬作るのが早いか」
    「それとも……、わたしが死ぬのが先か……」
    「ちょっと、ふざけないでよぉ……」
     オッドは憮然とした顔で、薬品を混ぜ始めた。

    蒼天剣・出立録 終

    蒼天剣・出立録 6

    2009.06.09.[Edit]
    晴奈の話、第303話。 敵首領と主治医の会話。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 某所、殺刹峰アジト。「どう……、調子は……?」 狐獣人の、ひどく顔色の悪い女性がオッドの研究室を訪れた。「上々、って言いたいトコなんだけどねーぇ」 オッドはひどく残念そうな顔をして、女性を部屋に招きいれた。「あら……、失敗したの……?」「失敗じゃないわよぉ、アタシに落ち度無いわよーぉ。このおっさんが『素材』としてクズな...

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    晴奈の話、第304話。
    修羅の行き着く先、阿修羅。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     とある央中東部の田舎町。
     若者二名の騒ぎ立てる声が、夜の街中に響いていた。
    「ぁ? やんのかコラぁ!」
    「ざけんな、やったるわボケぇ!」
     田舎町とは言っても、昔は鉱山都市として栄えたところである。
     当然のように、あの金火狐財団も積極的に採掘を行っていたし、街を活性化するために大型の商店や歓楽街も併せて造成され、往時はそれなりににぎわっていた。
    「くっそ、なめんなやカス!」
    「こっちのセリフや、アホ!」
     が、それはもう10年、20年も昔の話である。
     積極的な採掘活動によって、あっと言う間に鉱脈は尽きた。途端に金火狐は撤退し、続いて他の商人たちも消えていった。
    「ぐあ……!」
    「オラ、どないしたボケぇ!」
     後に残ったのは荒れた鉱山と荒れた街、そして荒れた人々と、その子供たちだけになった。
     まず、親の世代から街に残った金や建物、土地を奪い合い、その荒んだ戦いが子供たちにも伝播。毎日のように自分たちのテリトリーを主張し、醜く争い続けていた。
    「ひーっ、ひーっ……」
    「もうおしまいか、あぁ!?」
     そうしてその夜も、若者二人が愚かしく争っていた。

     が――その夜は少し、事情が違った。
     ある短耳の男が、その街を夜分遅くに訪れていたのだ。
    「オラッ! オラぁッ!」
    「……」
     男の前を、血まみれになった「狼」の少年が転がっていく。
    「ゼェ、ハァ……」
     少年を蹴飛ばしたらしい青年の「虎」が、荒い息を立てながら男の側にやって来た。
    「おい」
     旅の剣士風であるその男は、青年に声をかけた。
    「あ? なんや、文句あんのか?」
     青年はいかにも己が粗野・粗暴であると公言するかのように、剣士をにらみつけて威嚇する。
    「これから何をする気だ、青年?」
    「そんなん、おっさんに関係ないやろが」
     青年は剣士をにらみつけたまま、倒れた少年のところに歩き出す。
    「やっ、やめ……」
    「あぁ? ケンカ売ってきたん、お前やろが」
     青年の手にはレンガが握られている。剣士はもう一度、彼に声をかけた。
    「君。いかんな、それは」
    「……おっさん、さっきから何やねんな。邪魔せんといてくれるか」
     明らかに癇に障ったらしく、青年の声色が変わる。だが男は構う様子もなく、こう続ける。
    「君はその『狼』君にとどめを刺すつもりだろう? そのレンガで」
    「せやったら何やねん?」
     剣士はゆっくりと首を振り、倒れた「狼」の前に立つ。
    「この『狼』君は降参している。それなのにとどめを刺す、つまり殺すと言うことはだな、余計な恨みつらみを買うことになる。
     大方、この『狼』君が――狼獣人とは言え、こんなに貧相な体つきで――君に挑んだのも、怨恨からではないのか?」
    「説教か、おっさん」
     青年の額に青筋が走る。握ったレンガがビキ、と音を立てて割れた。
    「俺は説教されんのが、一番腹立つんや」
    「やれやれ……。聞く耳を持たん、か」
     男はため息をつき、剣を抜いた。

    「なぁなぁ、ウチのダーリンちゃん、ドコにおるか知らへん?」
     黒髪に金や緑、青と言ったド派手なメッシュを入れた虎獣人の少女――とは言え、身長は既に170を裕に超えている――が、近くで酒を呑んでいた仲間に声をかける。
    「んぇ? あー、アームのことか? なぁ、アームってさっき、外でかけたやんな?」
     同じく酒を呑んでいた少年が、真っ赤な顔でコクコクとうなずいた。
    「外? ドコらへんやろ?」
    「さぁなぁ。そんなん知らんわぁ」
    「ほな、ちょっと見てくるわ」
     その少女は仲間内で勝手にアジトにしていた酒蔵を抜け、夜の街に繰り出した。
    (もぉ、ダーリンちゃんっていっつもウチ置いて行くんやもんなぁ)
     少女が勝手に恋人と公言している青年アームは、彼女らが属する仲間たちのリーダーである。彼女と同じ虎獣人で、仲間内では最もケンカが強く、現在街中で起こっている争いの中心にいる男だった。
    (どーせ、どっかでケンカしとるんやろなぁ)
     少し歩いたところで、曲がり角の先から誰かの騒ぐ声がする。
    (お、あっちやろか)
     少女はひょいと、道の先を覗いてみた。

    「ひっ、はっ……」
     青年は恐怖でガチガチと歯を震わせていた。いや、体中がガクガクと震え、失禁までしている。
    「も、もうやめてくれ……っ!」
     体中に刀傷を受け、服を真っ赤に染めた青年は懇願するが、剣士は応じない。
    「君は、何度そう頼まれた?」
    「い……っ?」
    「何度、『もうやめてくれ』『勘弁してくれ』と、今までいたぶり、殺してきた者たちに頼まれた? そして君は、一度でもそれを呑み、矛を収めたことがあるのか?」
     剣士はゆらりと腕を挙げ、剣を上段に構えた。
    「や、やめ……っ」
     青年が泣き叫ぶ間も与えず、剣士は襲い掛かる。
     次の瞬間、青年の両腕と首は胴体から離れ、飛んでいった。
    「ひぃ……ッ!」
     曲がり角の陰でこの惨状を目の当たりにした少女は、思わず叫んでしまった。
    「む」
     青年、アームを斬った剣士はその悲鳴に気付き、振り返る。
    「あ……、あっ……、アーム、アームが……、ばっ、バラ、バラバラにぃ……」
    「ふむ。彼はアームと言う名前だったのか。なるほど、『腕』っ節は確かに強かったようだ」
     剣士は切り落とした左腕をつかみ、ぷらぷらと振って眺めた。
    「だが、相手が悪かったな。……君、大丈夫か?」
     剣士は腕を投げ捨て、倒れた少年に声をかけた。
    「う……」
    「息はあるようだな。だが、手当てをせねばなるまい」
     剣士は少年を抱きかかえようと屈み込む。と、少女が血相を変え、剣士に向かってきた。
    「よっ、よくもウチのダーリンちゃんを……ッ!」
    「ダーリン、ちゃん? ……何だそれは」
    「うるさいうるさいうるさああああいッ!」
     少女はその大柄な体をフルに使い、剣士に向かって跳び、そのまま蹴りを放つ。
     だが、剣士はその重たい蹴りを片腕一本で止めてしまった。
    「え!?」
     剣士は少女の足を払いのけ、剣を抜いた。
    「やれやれ。これも我が道、『阿修羅』の宿命か――人を助けつつ、一方で人を殺さねばならぬとは」
    「……ひっ」
     少女は短い悲鳴を上げた。その剣士から、得体の知れない恐ろしさを感じたからである。
     その底なしの恐怖は、一瞬で彼女を凍らせた。

    蒼天剣・橙色録 1

    2009.06.11.[Edit]
    晴奈の話、第304話。 修羅の行き着く先、阿修羅。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. とある央中東部の田舎町。 若者二名の騒ぎ立てる声が、夜の街中に響いていた。「ぁ? やんのかコラぁ!」「ざけんな、やったるわボケぇ!」 田舎町とは言っても、昔は鉱山都市として栄えたところである。 当然のように、あの金火狐財団も積極的に採掘を行っていたし、街を活性化するために大型の商店や歓楽街も併せて造成され、...

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    晴奈の話、第305話。
    あの男の正体と本名。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「……~ッ!」
     いきなり飛び起きたシリンに、横で寝ていたフェリオは驚いて目を覚ました。
    「ど、どしたシリン?」
    「……あ? えっと、あ、……夢か、今の」
    「夢?」
     シリンはベッドから抜け出し、汗でぐしょぐしょに濡れた寝巻きを脱ぎつつ、フェリオに背を向けてぽつりとつぶやいた。
    「ちょっと昔の夢、見てしもてん。ものっすごい怖いおっさんがおってな。……ほら」
     そう言ってシリンは、シャツを脱いだ裸の背中を見せた。
    「ちょっ、おま、……っ」
     シリンの背には「キ」の字を斜めにしたような、三筋の刀傷が刻まれていた。
    「あんまり怖くて、そのおっさんから逃げようとしたらな、斬られてしもたんよ。……今でも思い出すと、ぞっとすんねん」
     そう言ってシリンは、ぺたりと床に座り込んだ。
    「シリン……」
     フェリオもベッドから離れ、シリンの側に座った。
    「ま、落ち着け。昔の話、だろ? 今はオレが付いてるって」
    「うん。……離れんといてな、ダーリンちゃん」
    「ちょ、『ちゃん』て何だよ。って言うか服、早く着替えろって。目のやり場に困るし」
    「えへー」
     シリンは涙を拭きつつ、フェリオに抱きついた。

     ちなみに――この夜中の騒ぎで、バートも起こされたらしい。
     シリンとフェリオが食堂に向かった頃には既にバートが朝食を食べ終え、コーヒーを前にして煙草をふかしているのが目に入った。
    「おはようございます、先輩」
    「おはよー、バート」
    「……てめーら、まずはそこに座れ」
     バートの目は真っ赤に充血し、目の下には隈ができていた。
    「一緒に寝るのは許可してやった。だが一緒になって夜中騒がしくするのまでは、許可した覚えは無えぞ」
    「あ、……もしかして聞いてました?」
    「同じ部屋だぞ。聞こえねえと思ってんのか」
     バートの血走った目ににらまれ、シリンとフェリオは揃って頭を下げた。
    「あ、えーと、……ごめんなぁ、バート」
    「マジすんませんっしたっス」
    「次やったら承知しねーぞ。お前らそのまんま、廊下に放り出すからな」
     バートは煙草をグリグリと灰皿に押し付け、一息にコーヒーを飲んで席を立った。



    「あぁ? 『阿修羅』?」
     シリンは部屋に戻ったところで、まだ不機嫌そうなバートに、8年前に出会ったあの剣士のことを知らないかどうか尋ねてみた。
    「うん、アシュラ。どー考えてもソイツ、コッテコテの悪人やったし、ダーリンちゃ……、フェリオから、バートは悪いヤツに詳しいって聞いとるから、なんか知ってへんかなー思て」
    「阿修羅……、阿修羅ねぇ」
     バートは煙草をくわえながら目を閉じ、記憶を探る。
    「どんなヤツだった?」
    「えっと、耳は短くて、黒い髪にちょっと白髪の生えた、口ヒゲ生やしたおっさんやった」
    「何歳くらいだ?」
    「んー、40そこそこかなぁ」
    「8年前だから、今は50越えてるくらいか。となると、生まれは470年前後ってとこだな。その辺りで生まれた、短耳の剣士……、うーん」
     バートはスーツの胸ポケットから手帳を取り出し、ぱらぱらとめくる。
    「そう言や夜中、傷がどーのって言ってたよな。背中に三太刀浴びたって?」
    「え、もしかしてウチのハダカ見た?」
     バートの質問に、シリンは真っ赤になる。一方のバートは、殊更苦い顔を返しつつ、こう続ける。
    「違うって。いやな、『阿修羅』って呼ばれてて、一度に三太刀浴びせる剣士って言えば、もしかしたらって言うのがいるんだよ」
    「お?」
     思い当たった様子のバートを見て、シリンの顔に緊張が走った。
    「誰なん?」
    「まあ、そいつかなー、って程度なんだが。
     元は中央政府の将校で、超一流の剣士だったヤツだ。でも何だかんだで軍上層部から目を付けられ、半ば強制的に除隊。その後は裏の世界に飛び込み、暗殺者として活躍したヤツだ。
     そいつは『三つ腕』とか『暴風』とか、色んな呼び名が付けられた。で、最終的に付けられたのが確か『阿修羅』。
     央南禅道で悪性・悪癖の一つとされている『修羅』の性分――何でも、人を傷つけずにいられない性格のことだって聞いた――を極めちまったヤツのことを、阿修羅と呼ぶらしい」
    「人を傷つける性分っスか……。そりゃまた、物騒っスねぇ」
     シリンはいつになく真剣な目をして、バートに尋ねた。
    「そいつ、名前は何て言うん?」
    「えーと、確か……」
     バートはもう一度、手帳に視線を落とす。
    「確か、トーレンスって名前だ。トーレンス・ドミニク元大尉。
     ま、最近じゃ全然うわさは聞かないし、どっかで野垂れ死んでんじゃないか?」



    「ウィッチ、報告だ」
     片腕の男、モノがあの病弱そうな狐獣人の前に平伏し、用件を伝えた。
    「金火公安の者たちが、央北へ秘密裏に侵入したらしい。目的は恐らく、我々殺刹峰の捜索及び拿捕、もしくは討伐だろう」
    「そう……、目障りね……。早く……片付けてちょうだい……」
    「承知した」
     モノはすっと立ち上がり、踵を返して「狐」――ウィッチに背を向けた。
     と、そこでウィッチが引き止める。
    「待ちなさい……。何なら……、『プリズム』を……出動させても……、いいわよ……」
    「ふむ」
     モノはもう一度ウィッチに向き直り、わずかに口角を上げた。
    「聞いたところによると、公安の奴らは闘技場の闘士たちを捜索チームに引き入れたらしい。一般兵だけでは少々心許ないと思っていたところだ。
     それではお言葉に甘えて、使わせてもらうとするか」
    「ええ……、よろしくね……トーレンス……」
     ウィッチは大儀そうに手を挙げ、モノ――トーレンスを見送った。

    蒼天剣・橙色録 2

    2009.06.12.[Edit]
    晴奈の話、第305話。 あの男の正体と本名。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「……~ッ!」 いきなり飛び起きたシリンに、横で寝ていたフェリオは驚いて目を覚ました。「ど、どしたシリン?」「……あ? えっと、あ、……夢か、今の」「夢?」 シリンはベッドから抜け出し、汗でぐしょぐしょに濡れた寝巻きを脱ぎつつ、フェリオに背を向けてぽつりとつぶやいた。「ちょっと昔の夢、見てしもてん。ものっすごい怖いおっさ...

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    晴奈の話、第306話。
    分かってくれない。

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    3.
    「はぐはぐ」
     この街でも、いや、この国でもシリンの食欲は変わらない。食堂の机に、次々に皿のタワーが作られていく。
    「相変わらず良く食うなぁ」
    「うん。ガツガツ……」
     既に食事を済ませたバートとフェリオが、シリンの周りに築かれた皿の山を呆れた顔で眺めていた。
    「水飲むか?」
    「モグモグ、うん」
     フェリオの差し出した水を、シリンはひったくるように受け取って飲み干す。
    「んはー、美味しいわぁ」
    「そっか。……もうそれくらいにしとけって。『腹八分目』って言うだろ」
    「ん? ……んー、うん」
     フェリオに諭され、シリンは自分の腹に手を当てる。
    「せやな、もーこんくらいにしとこかなぁ。あ、もう一杯水もろてええ?」
    「おう。……おーい、店員さーん」
     フェリオが側を通りかかった店員に声をかけ、水を頼む。
     その間に、バートが今後の予定を話し始めた。
    「それで、だ。今日、明日、それから明後日まで、このヴァーチャスボックスで情報収集を行う。
     この街は俺たちがやって来たウエストポート、それと現在北海で起こっている戦いにおける兵站(へいたん)活動の最重要地点となっているノースポート、この央北二大港の物資集積地になっている。
     それだけに情報も多く集まり、ここでの情報収集は今後の活動に大きく寄与するはずだ」
    「……」
     バートの話に、フェリオはうんうんとうなずいている。
     が、シリンはきょとんとした顔で、店員から受け取った水を飲んでいる。それを見て、バートが尋ねる。
    「シリン」
    「あい」
    「今の話、分かったか?」
    「ううん」
    「……フェリオ、説明してやれ」
     バートは頭を抱え、フェリオに投げた。
     フェリオは頭をポリポリかきながら、シリンに優しい口調で、ゆっくりと説明する。
    「えっとな、まあ、この街は二つの大きな街から、色んな物が集まってくるんだ」
    「うん」
    「で、情報も集まってくる。それは分かるよな?」
    「うーん」
    「……えーと、色んな物が集まるだろ。それを運んでくるヤツも、一杯集まるわけだ。それから、集められた物を買いに来るヤツもあっちこっちから大勢来るから、それだけ央北各地の色んな話が集まるわけだ。分かったか?」
    「あいあい」
    「んで、これからオレたちが戦うコトになる殺刹峰の情報も、誰かが持ってるかも知れない。それを今日から3日間探すってワケだ」
     フェリオの説明に対しても、シリンは首をひねる。
    「何でわざわざ、そんなん調べなアカンのん? 敵んトコぱーっと行って、ぱぱっと倒せばええやん?」
    「……」
     無言で二人の様子を眺めていたバートが、フェリオをにらんでくる。フェリオは冷汗を流しながら、もう一度説明した。
    「あのな、シリン。オレたちはまだ、殺刹峰のアジトがドコにあるのかさえ分かってない状態なんだよ。そんな状態じゃ、倒すも何も無理だろ?」
    「あー、そーなんかー」
    「……フェリオ、俺はもう心が折れそうだ」
     ずっと押し黙っていたバートが、机に突っ伏した。

     ともかく三人は情報収集のため、街中に繰り出した。
     辺りの店に立ち寄って品物を物色しつつ、殺刹峰の重要人物であるオッドのことなどを、それとなく尋ねてみる。
    「なあ、この辺で変な『猫』を見なかったか? オカマっぽい、派手な奴なんだが」
    「いやー、見てないなぁ」
    「そっか。じゃあさ、この近くに怪しい場所とかは無いか?」
    「うーん、ぱっとは思いつかないなぁ。お客さん、何でそんなこと聞くの?」
    「いや、ちょっと人探しをな。邪魔したな」
    「まいどー」
     店を出たところで、シリンが尋ねてきた。
    「なぁなぁ、何であんな回りくどい聞き方するん? 『殺刹峰ドコにあるか知りませんかー』でええやん」
    「お前なぁ……」
     バートが心底うんざりした顔で説明する。
    「俺たち公安だってここ数年で、ようやく名前や存在を確認した組織だぞ? そこらの店屋が知ってると思うのか?」
    「あー」
     だが、シリンは納得しない。
    「でも、ウチが前に働いてた赤虎亭みたいに、情報を集めてる店もあるんやない? そーゆートコ探したら……」
    「そう言うところは、『一見(いちげん)』の奴にはそう簡単に情報を売ったりしない。信用できない奴にうっかり情報をばら撒いたら余計な混乱を生むし、店の信用にも関わるからな」
    「そっかー」
    「だからこう言う、地道で回りくどい聞き方をしなきゃいけないんだよ。分かったか、シリン?」
    「あいあい」
     にっこり笑ったシリンを見て、バートはようやくほっとした顔をした。
    「よし、それじゃ……」
     気を取り直して情報収集を再開しようとしたところで、シリンが提案した。
    「そんならやー、『殺刹峰のヤツらが集まってる場所知りませんかー』って聞いたら……」「があああーッ!」「ふあっ!? はひふんへんひゃ、ひゃーほ!?」
     こらえきれなくなったらしく、バートはシリンの頬を両手でひねりつつ、怒りの咆哮を挙げた。

    蒼天剣・橙色録 3

    2009.06.13.[Edit]
    晴奈の話、第306話。 分かってくれない。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「はぐはぐ」 この街でも、いや、この国でもシリンの食欲は変わらない。食堂の机に、次々に皿のタワーが作られていく。「相変わらず良く食うなぁ」「うん。ガツガツ……」 既に食事を済ませたバートとフェリオが、シリンの周りに築かれた皿の山を呆れた顔で眺めていた。「水飲むか?」「モグモグ、うん」 フェリオの差し出した水を、シリンは...

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    晴奈の話、第307話。
    最初の衝突。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     結局、1日目の情報収集では何の成果も得ることができなかった。と言ってもシリンが足を引っ張ったわけではなく、本当に何の情報も無かったのだ。
    「ま、仕方ないっちゃ仕方ないんスけどね」
    「だな。さすが秘密結社と噂されるだけはある」
     バートとフェリオはがっかりした顔で、夕食のパスタをのろのろと口に運ぶ。
     一方、シリンはいつも通りの健啖ぶりを見せていた。
    「ちゅるるるるー」
    「……うるせえ」
    「んー?」
    「麺をすするな」
    「ちゅるるー、あ、ゴメンゴメン」
     既にシリンの横には皿が4枚、空になって置かれていた。
    (うーん、総帥が他の班より多めに調査費用出してくれたのはコレだったんだな)
     フェリオはヘレン総帥の慧眼に感心しつつ、シリンの食べっぷりを眺めていた。
    「すいませーん、こちらー、空いてるお皿をー、お下げしますねー」
     と、妙に語尾を延ばすウエイトレスが三人のところにやって来た。
    「あ、すんません」
    「いーえー」
     褐色の肌に、目が覚めるようなきついオレンジ色の髪をしたその猫獣人は、ゆっくりした仕草で皿をつかもうとする。そこでシリンが5皿目を食べ終え、ウエイトレスに注文する。
    「あ、もう一杯ミートソースパスタおかわりー」
    「まだ食うのかよ」
     バートが突っ込むが、シリンはニコニコしながら深くうなずいた。
    「うん。ココのん美味しいもん。それにホラ、常連さんばっかりみたいやで。やっぱ美味しいねんて」
    「へ?」
     シリンの言葉に、フェリオがきょとんとする。そしてこの時、バートはウエイトレスの目がピクリと震えたのを見逃さなかった。
    「……」
    「何で常連って分かるんだ?」
    「だってホラ、さっきからウチらのコト、みーんなチラチラ見とるもん。『珍しい客が来たなー』とか思てるんとちゃう?」
    「そりゃ違うな」
     バートが煙草に火を点け、黒眼鏡をかけ直す。
    「あれは警戒している目つきだ――標的を逃さないように、ってな」
    「……!」
     ウエイトレスがビクッと震え、持っていた皿を一枚割ってしまった。
     その音を聞きつけ、奥にいた店主らしき人物がこちらに向かってくる。
    「何やってんだてめえ! 後で給料から……、あ?」
     店主は急にいぶかしげな顔になり、そのウエイトレスをにらみつけた。
    「誰だ、お前? ウチの店にいたか?」
    「……いーえー」
     にらまれたウエイトレスは悪びれるどころか、にっこりと笑う。
    「ちょっと服をー、お借りしてましたー」
    「は?」
    「この服気に入ったからー、ちょっといただいちゃいますねー」
    「お、おい?」
     店主が聞き返そうとした瞬間、店主の顔に皿が叩きつけられた。
    「ふげっ……」
    「『オレンジ』隊、作戦開始ですー。目標抹殺、始めまーす」
     そのウエイトレスの号令と共に、先ほどからこちらを注視していた食堂内の客たち全員が、揃って立ち上がった。

     即座に反応したのはバートだった。テーブルを勢い良く蹴り上げ、自分の正面にいた男2名にぶつけた。
    「うおっ!?」「ぐっ!」
     続いて銃を抜き、後ろにいた女にも振り向かずに射撃し、全弾命中させる。
    「ぐは……」
     撃ち尽くしたところで素早く弾を再装填しながら、シリンたちに声をかける。
    「何ボーっとしてやがる、お前ら! 敵襲だ、敵襲!」
    「はっ、はい!」「あ、うん」
     二人は慌てながらも構えを取り、戦闘体勢に入る。バートがリーダー格らしいウエイトレスに銃を向けながら尋ねる。
    「俺たちをいきなり襲ってくるってことは、もしかして……」
    「はーいー。殺刹峰の命令でー、こちらまでやって来ましたー。あ、あたしはですねー、ペルシェって言いますー。ペルシェ・『オレンジ』・リモードですー。
     自己紹介も済んだのでー、この辺でさよならですー」
     ウエイトレス――ペルシェはニッコリ笑いながら、バートに右手を向けた。
    「『ホールドピラー』!」
     食堂の床がバリバリと裂け、バートの四肢を囲むように石の柱が伸びていく。
    「せっ、先輩!?」
    「……」
     石の柱は互いに融合し、あっと言う間にバートを飲み込んで一つの太い柱になった。わずかに空いた穴からは、もくもくとバートの吸う煙草の煙が漏れている。
    「あらー、3人一気に倒しちゃった人なのでー、ちょっとはやるかなーと思ってたんですがー?」
    「……ふー」
     柱の穴からぽふっと煙が吹き出る。
    「甘く見ない方がいいぜ、お嬢ちゃん」
     特に動じてもいない声色で、バートが応えた。
    「『サンダーボルト』」
     バートが術を唱えると、柱にパリパリと電気が走る。
    「あらー?」
     途端に柱は崩れ落ち、バートの姿が現れた。
    「『土』の磁気は『雷』の電気で打ち消せる。魔術の基本中の基本だ」
    「おー、なかなかやりますねー」
     ペルシェはまた、ニッコリと笑った。

    蒼天剣・橙色録 4

    2009.06.14.[Edit]
    晴奈の話、第307話。 最初の衝突。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 結局、1日目の情報収集では何の成果も得ることができなかった。と言ってもシリンが足を引っ張ったわけではなく、本当に何の情報も無かったのだ。「ま、仕方ないっちゃ仕方ないんスけどね」「だな。さすが秘密結社と噂されるだけはある」 バートとフェリオはがっかりした顔で、夕食のパスタをのろのろと口に運ぶ。 一方、シリンはいつも通りの健...

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    晴奈の話、第308話。
    異様な敵。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     バートとペルシェが戦っている間に、シリンとフェリオも殺刹峰の仕向けた戦闘員たちを、食堂内で相手にしていた。
    「……あれぇ?」
     シリンは戦っていて、何かしらの違和感を覚えた。
    「なぁ、フェリオ。何か、おかしない?」
    「ああ……」
     フェリオも同様の違和感を感じているようだ。
     そして戦いが始まって5分ほどで、その違和感が何なのか気付いた。
    「あいつら、倒れねぇ……!」
     敵の数はリーダーのペルシェを抜いて8名。さらに、バートの先制攻撃で3名倒したはずなのだが、シリンたちの前には依然8名が揃っている。倒れても倒れても、いつの間にか起き上がってシリンたちに向かってくるのだ。
    「……やんなぁ。さっきから思いっきり、殴り飛ばしてんねんけど」
    「オレだってさっきから、頭と胸ばっか狙ってもう20発近く撃ってる。……ってのに、何で倒れねぇんだ?」
     戦闘員はシリンの打撃を食らっても、フェリオの銃弾を眉間に浴びても、一向に倒れる様子が無い。
    「そんならやー、二人で別々に相手しとくより、一人ひとり狙って攻撃したった方がええかも知れへんな」
    「だな。じゃ、そっちの長髪から叩くぞ!」
    「あいあいっ!」
     二人はシリンが相手していた長髪の男に向かって、飛び蹴りと銃弾を浴びせた。
    「う、ぐ……っ」
     流石にこたえたのか、その長髪は壁に勢い良く叩きつけられ、前のめりに倒れ込む。が――。
    「……く、うう」
     うめき声を上げつつも、ゆらりと立ち上がった。
    「ウソやろ」「マジかよ……」
     長髪は血を吐き、奥歯を吐き捨てながらも、二人の前に仁王立ちになっている。流石のシリンも、敵のあまりの頑丈さに唖然としていた。

     一方、バートとペルシェは狭い店内を飛び出し、往来と裏通りを行き来しつつ交戦していた。
    「『ストーンボール』! えーいっ!」
     気の抜けた声とは裏腹に、ペルシェの放つ魔術は辺りの家屋にバスバスと大穴を開けていく。
    「わあっ!?」「売り物が吹っ飛んだぁ!?」「きゃーっ、花瓶がーっ!」
     二人の通った跡から、次々に人々の悲鳴がこだまする。
    (うっわ……、こりゃ3日滞在なんて悠長なこと言ってられねー。さっさとコイツ倒して早く街出ないと、どんだけの被害請求が来るか……!)
     のんきなことを考えながら、バートは入念に敵を観察する。
    (あの垂れ目猫、魔術の腕は相当なもんだな。オマケに『猫』らしく、フットワークもいい。
     銃で応戦、ってのは論外だな。俺の腕でも当たりそうにねーし、市街地でパンパン撃ってちゃ民間人が巻き添えになっちまう。
     ま、運のいいことに……)
     バートは早口で呪文を唱え、裏路地に入ったところで、同じように路地に入ってきたペルシェに向かって手をかざす。
    「『スパークウィップ』!」
    「きゃあっ!?」
    (俺の得意魔術は『雷』だ。『土』使いのアイツに対して、アドバンテージは大きい)
     バートの放った放射状の電撃はペルシェに直撃し、彼女は地面に倒れ込んだ。
    「うー。今のはー、ちょこーっと効きましたねー」
     だがすぐに立ち上がり、バートと同じように手をかざす。
    「お返ししちゃいますー。『グレイブファング』! 刺されー!」
     ペルシェの足元から、彼女の背丈とほぼ同じ長さの石の槍が飛び出し、バートに向かって飛んできた。
    (チッ……! でけぇな、クソ!)
     いくら雷系統が土の術に勝るとは言え、魔力の出力量はペルシェの方がはるかに大きい。そして高出力で放たれた術は単純に、威力が大きくなる。
     ズン、と言う重い音が街中に響き渡った。

     戦闘が始まってから15分が過ぎたが、まだ敵は倒れてくれない。
    「あーっ、ウザいわぁもう!」
     苛立ち始めたシリンを見て、フェリオがなだめようとする。
    「冷静になれって、シリン! 焦ったらコイツらの思う壺だぞ!」
    「うー、うー……」
     シリンは拳を握りしめ、敵をにらみつける。
    「……やっぱムカつく!」
     フェリオの制止も空しく、シリンは敵の顔面に拳をめりこませた。
    「……」
     顔面を殴られた敵は直立したまま、ビクともしない。シリンの拳をぶつけられたまま、その腕をつかんでギリギリと力を込める。
    「うっ……!」
     見る見るうちにシリンの右手が紫色になっていく。どうやら腕の血管が切れ、内出血を起こしたらしい。
     と――ここで急に、敵の握力が弱まる。
    「……か、は」
     かすれた声を漏らし、敵はバタリと倒れた。
    「……あれ? どない、したん?」
     シリンは潰されかけた腕を揉みながら、倒れた敵を見下ろす。敵の目は一杯に見開かれ、体全身がビクビクと痙攣しているのが分かった。
    「まずいな」「薬がもう……?」「早すぎる」
     一人倒れた途端に、残りの戦闘員たちがざわめきだした。と、また一人倒れる。
    「薬? おい、どう言うコトだ?」
     フェリオが銃を向けて尋ねたが、戦闘員たちは答えない。代わりに内輪でブツブツと、何かを相談している。
    「どうする?」「『オレンジ』様もどこかに行ってしまったし……」「じゃあ、プラン00で」「そうするか」
     相談の声がやんだ途端、全員身を翻し、食堂から一人残らず逃げ出してしまった。
    「……えーっ!?」
     シリンは予想外の事態に驚き、思わず跡を追いかける。
    「ちょちょちょ、ちょっと待ちいや!?」
     だが、シリンが外に飛び出した時にはもう、どこにも戦闘員たちの姿は無かった。
    「……ダメだ。死んでる」
     フェリオは倒れた戦闘員2名を診ようとしたが、すでに息絶えていた。
    「んー、身分を示すものは無し、か。手がかりはつかめそうに無いなぁ。
     ……と、薬って言ってたな。もしかしてコイツら、体の機能を高める薬とか使ってたのか?」
    「ふーん……。ドーピングってヤツ?」
    「だな」
     シリンも死んだ戦闘員たちを眺める。彼らの顔は青黒く染まっており、口からは白っぽい液体がドロドロと流れ出ている。
    「唾液にしちゃ白過ぎる、……って言うか何か黄ばんでるような。……ん?」
     良く見れば、鼻からも同様の液体がダラダラと漏れている。ここでようやく、フェリオはその液体が何なのか分かった。
    「……コレ、血なのか?」
    「うげぇ、きもっ」
     二人して気持ち悪がっていると、今まで倒れていた店主が「う……」とうめき声をあげた。
    「……あ」
     ようやく二人は、店の中が惨々たる有様になっていることに気付いた。
    「逃げっか」「うん」
     店主が目を覚ます前に、シリンたちは店から逃げ出した。

    蒼天剣・橙色録 5

    2009.06.15.[Edit]
    晴奈の話、第308話。 異様な敵。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. バートとペルシェが戦っている間に、シリンとフェリオも殺刹峰の仕向けた戦闘員たちを、食堂内で相手にしていた。「……あれぇ?」 シリンは戦っていて、何かしらの違和感を覚えた。「なぁ、フェリオ。何か、おかしない?」「ああ……」 フェリオも同様の違和感を感じているようだ。 そして戦いが始まって5分ほどで、その違和感が何なのか気付いた。...

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    晴奈の話、第309話。
    ひょんなことから。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「はー……、はー……」
     間一髪で石の槍を避けたバートは、そのまま近くの家屋に転がり込んだ。
    「何だいアンタ?」
     椅子に腰掛けていた老人が目を薄く開け、バートを見つめているが、バートがそれに応える余裕は無い。
    「ちょっと悪いが、この家から、逃げた方が、いい」
     息を整えつつ、老人に声をかける。
    「何言ってんだ、アンタ?」
    「ちょっと、見境無い女が、俺を追っかけて、くるからさ」
    「女? 痴話喧嘩か何かか?」
    「違うって。……ああ、来やがった」
     家の外から、ペルシェの足音と間延びした声が聞こえてくる。
    「『狐』さーん、どこですかー?」
     老人はじっとバートを見て、ため息をついた。
    「……ま、ここでじっとしてな。下手に動いたらアンタも危ないが、わしも危なそうだ」
    「助かるぜ、じいさん」
     バートは老人の厚意に甘え、ペルシェに見つからぬように窓の下でじっとしていた。
    「どーこでーすかー」
     外ではまだ、ペルシェがバートの姿を探している。
    「きーつーねーさぁーん?」
    「うっせえな……」
    「アンタ、一体あの子に何したんだ?」
     いぶかしげに見つめる老人に、バートは弁解する。
    「違うって。相手から襲い掛かってきたんだよ。俺、ただ飯食ってただけだし」
    「ほう……。大変だな、色男」
    「はは、勘弁してくれ」

     5分ほど老人の家でじっとしていると、ようやくペルシェの声が遠ざかっていった。バートは深いため息をつき、老人の向かいに座る。
    「はぁ……」
    「何か知らんが、災難だったな」
     老人はクスクス笑いながら、茶をバートに差し出した。
    「あ、悪いな」
    「んで、アンタは何者だ?」
     老人の質問に、バートはぎょっとした。
    「転がり込んで来た時の身のこなしといい、気配の隠し方といい、只者じゃなさそうだけどな」
    「……じいさん、アンタこそ何者だ?」
    「わしは退役した老兵だよ。この街でゆーっくり暮らしてる一市民さ」
    「そっか。俺は――内緒にしてくれよ――バート・キャロルって言う、金火狐財団の職員だ」
     バートの自己紹介を聞き、老人の目が光る。
    「ほう、ゴールドマンの関係者か。いきなり追われるってことは、公安か?」
    「詳しいな、じいさん」
    「ま、軍では情報収集を担当してたからな」
     それを聞いて、バートは目を見開いた。
    「本当か?」
    「嘘言ってどうする」
    (軍の諜報担当か……。シリンじゃないけど、直接聞いても何か知ってるかもな)
     バートは恐る恐る、老人に尋ねてみた。
    「じゃあさ、ちょっと聞きたいことあるんだけど、いいか?」
    「何だ?」
    「殺刹峰って知らないか?」
     今度は老人がぎょっとする。
    「殺刹峰だと? アンタら、あれ調べてるのか」
    「知ってるのか?」
    「ああ。いや、わしもそれほど詳しくは無いが」
    「知ってる限りでいいんだ。教えてくれないか?」
    「……むう」
     老人は席を立ち、ソファのクッションをひっくり返した。
    「知りたがる奴なんぞいないと思っていたし、結構な機密だから、下手にばらせばわしの命が危ない。
     ……とは言え老い先短い命だ。教えて何か遭っても、寿命だと思うことにしよう」
     ソファのクッションからは何冊かのノートが出てきた。
     バートは椅子から立ち上がり、帽子を取って頭を下げた。
    「助かるぜ、じいさん」

     老人から話を聞き終え、また、老人のノートを受け取ったバートは、ペルシェの姿が無いことを確認しつつ、そっと家を出た。
    「ま、そのノートは持ってっていいからな。もうわしには必要ない」
    「ありがとよ。それじゃな」
    「おう。気を付けてな」
     バートは元来た道を引き返しつつ、その惨状を目の当たりにした。
    (ひっでーなー……)
     住民に被害は出ていないようだったが、ペルシェの通った跡は穴だらけ、石の槍だらけになっていた。
    「あ、アンタ!」
     バートの姿を見て、住民たちが声をかける。
    「うっ」
    「大丈夫だったか!?」
    「……へ?」
     ペルシェの関係者と思われて糾弾されるかと思いきや、どうやら一方的に追い回されていたと思ってくれたらしい(実際そうなのだが)。
    「いやー、災難だったなぁ」
    「一体何だったんだろうな、あの柿色女」
    「向こうの食堂は半壊したって言うし……」
     食堂、と聞いてバートはようやくシリンたちのことを思い出した。
     と、後ろからトントンと肩を叩かれる。振り返ると、心配そうに見つめるフェリオと、近くの屋台から買ったであろうリンゴをかじっているシリンの二人が立っていた。
    「……あ、お前ら。無事みたいだな」
    「先輩こそ、大丈夫だったんスか?」
    「おう。何とか撒いた」
     シリンは口をもぐもぐさせながら、バートにオレンジを渡す。
    「しゃくしゃく、ほい、オレンジ食べるー?」
    「シリン、お前なぁ……」
     バートは少し唖然としながらも、オレンジを受け取った。
    「この騒がしい時に、良く食えるな」
    「んぐ、いやホラ、『腹が減っては大変やー』って言うやん」
    「言わねーよ、……ハハ」
     あまりにのんきなシリンの態度に、バートも笑い出した。

    蒼天剣・橙色録 6

    2009.06.16.[Edit]
    晴奈の話、第309話。 ひょんなことから。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「はー……、はー……」 間一髪で石の槍を避けたバートは、そのまま近くの家屋に転がり込んだ。「何だいアンタ?」 椅子に腰掛けていた老人が目を薄く開け、バートを見つめているが、バートがそれに応える余裕は無い。「ちょっと悪いが、この家から、逃げた方が、いい」 息を整えつつ、老人に声をかける。「何言ってんだ、アンタ?」「ちょっと...

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    晴奈の話、第310話。
    「オレンジ」帰還報告。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     殺刹峰、アジト。
    「あー、えっとですねー、そのー……」
     モノは無表情で、ペルシェの報告を聞いている。
    「敵リーダーと思われる、『狐』さんにですねー、そのー」「ペルシェ君」
     モノは表情を崩さず、淡々と尋ねてきた。
    「まず、敵は倒したのか?」
    「……いーえー」
    「一人も?」
    「……はーいー」
    「全員に逃げられたのか?」
    「……はーいー」
    「なるほど。それで、こちらの方には被害が出たそうだが……」
     そこでペルシェが顔を伏せ、非常に申し訳無さそうな態度を見せた。
    「それがですねー、兵士さんの方なんですけどもー、2名死亡しちゃったらしいんですよー、薬が切れたらしくってー」
    「ほう」
    「それでー、あたしが追っかけてたリーダーさんなんですけどー、雷の術使いでー、あたしの術が効きにくかったんですよー。それで追い回してたらー、そのー、逃げられちゃったとー、そう言うわけなんですー」
    「なるほど。ここで待っていたまえ。ドクターを呼んで、詳しい話を聞くことにしよう」
    「……本当にー、そのー、すみませーん」
     ペルシェは顔を伏せたまま、肩を震わせる。モノはため息をつき、ペルシェの肩に手を置いた。
    「まあ、想定外の事態が起こり、それでも無事帰って来た。こちらには大きな被害も無い。大局的に何の問題も無い。
     問題点を洗い出し、次に活かせ」
    「……はーいー」

     15分後、ペルシェはモノに連れられて来たオッドに改めて報告した。
    「ふーん」
     オッドは興味深そうな顔で、メモを取っている。
    「まぁ、大体の原因は分かったわぁ」
    「ほう」
    「恐らくだけどねぇ、想定してた以上にダメージを受けたんでしょうねぇ、きっと」
    「と言うと?」
    「あの薬は筋力とか反応速度とか、そーゆーのパワーアップさせるしぃ、痛みとか疲労とか、そーゆーのも感じなくさせてるんだけどぉ、それでも殴られれば後々痛くなってくるしぃ、長時間動けば負担もかかる。体自体にはダメージ、蓄積されるのよぉ」
    「ふむ。つまり感覚としてはまったく痛み、疲労は無いが、体の物理的、生理的限界はあるわけだな。となると撤退の機をつかみづらい――あまりいい薬では無いな」
     モノの指摘に、オッドは唇を尖らせる。
    「あらぁ、失礼ねぇ。ま、今回みたいに軽装で行かせるのは得策じゃないってコトねぇ。重さも感じないんだから、次はもっと重装備で行かせた方がいいわねぇ」
    「なるほど。……となると、エンジェルタウンとソロンクリフに向かわせた『マゼンタ』と『バイオレット』が心配だな。彼らも『オレンジ』隊と同様、軽装だからな」
    「そうねぇ。ま、今回は偵察と割り切って、帰ってくるのを待った方がいいかもねぇ」
    「そうだな。最悪殲滅できずとも、よもや敗走することはあるまい。それに……」
    「それに?」
     オッドは何かを言いかけたモノに尋ねたが、モノは首を振った。
    「……いや、何でもない。まあ、ペルシェ君からは以上だな」
     モノはそう締めくくって、ペルシェからの帰還報告を聞き終えた。



    「……? において、……? よって、……」
    「何読んでんだ?」
     請求や賠償を受けずに済んだため、バートたち三人は無事、宿に戻っていた。
    「バートが持って来たノートやねんけど、全然読めへんねん。ウチ、央北語よー分からへん」
    「オレもそんなに詳しくないけど、そんなに違いは無いはずだぜ。っつーか、お前普通に屋台で注文してメシ食ってたじゃねーか」
     フェリオが突っ込むと、シリンは顔を赤くしてぼそっと答えた。
    「……実を言うと、文字自体読めへんねん、あんまり。ご飯系は読めんねんけどな」
     フェリオは小さくため息をつき、シリンの横に座る。
    「そっか。ちょっと貸してみな」
    「あい」
    「『499・12・19
     RS作戦 最終報告
     報告者 T・D(大尉) 記録 C・R(中尉)』。
     何だこりゃ?」
    「おい」
     ノートを読んでいたフェリオの後ろに、バートが立っていた。
    「返せ」「あっ」
     バートはフェリオからノートを引ったくり、自分のかばんにしまい込んだ。
    「何するんスか」
    「これは最重要機密だ。今は、まだ読むな。クロスセントラルで全員が集合した時、見せるつもりだ」
    「……了解っス」
     鋭い眼光を混じえて話すバートに、フェリオはうなずくしかなかった。

    蒼天剣・橙色録 終

    蒼天剣・橙色録 7

    2009.06.17.[Edit]
    晴奈の話、第310話。 「オレンジ」帰還報告。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 殺刹峰、アジト。「あー、えっとですねー、そのー……」 モノは無表情で、ペルシェの報告を聞いている。「敵リーダーと思われる、『狐』さんにですねー、そのー」「ペルシェ君」 モノは表情を崩さず、淡々と尋ねてきた。「まず、敵は倒したのか?」「……いーえー」「一人も?」「……はーいー」「全員に逃げられたのか?」「……はーいー」「...

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    晴奈の話、第311話。
    フォルナ班にも敵の影。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「……は!?」
     晴奈は目を丸くした。
     いや、彼女だけでは無い。フォルナも、エランも、そして敵――殺刹峰の戦闘員8名も、そして彼らの動向を隠れて見ていたモールさえも含め、全員呆然としている。
     両者の中間に立つ「マゼンタ」こと、レンマと名乗る短耳の青年を除いて。



     時間は1時間ほど前に戻る。
     エンジェルタウンに到着したフォルナ班は、他の班と同様に情報収集を始めていた。この街は首都と港町の中間にあり、一般的な旅人たちの休憩地点として栄えている。
     そのため、各地の地域情勢や央北各地の情報が良く集まる場所でもあり、情報収集にはうってつけの街である。
     とは言えバートたちの状況と同じく、秘密組織の情報などそうそう集まるものではない。
    「はー……」「あーあ……」
     3時間ほど市街地をうろつき聞き込みを行っていたが何の成果も挙げられず、晴奈たち三人は揃ってため息をついていた。
    「まあ、予想はしていたのですけど」
    「そうだな」
    「ちょっと休みませんか? ずっとしゃべりっぱなしで、のどが渇いちゃいましたよ」
     エランの提案に、二人は素直にうなずいた。
    「そうですわね。それじゃ……」
     フォルナが喫茶店や食堂を探し、辺りを見回したところで、不審な人物に気が付いた。
    「……セイナ、エラン」
    「うん?」
    「どうしました?」
    「あの、あちらの方」
     フォルナが視線だけで、その怪しい者を指し示す。
    「……む?」
    「あれ、あの人……」
    「ええ。先程から何度かお見かけしているような気がしたのですけれど、気のせいでは無さそうですわね」
    「ああ。私も見覚えがある」
    「ええ、僕もです」
    「どうも監視されているようだな」
     三人は見張っている人物に気付かれないよう、そっと顔を寄せ合い小声で話す。
    「どうします?」
    「何の目的かは知らぬが、気持ちのいいものでも無い」
    「じゃ、撒きましょうか」
    「それが得策ですわね」
     三人は同時にうなずき、一斉に駆け出す。と同時に、見張っていた者も走り出した。
    「やはり追いかけてくるか」
    「そのようですわね」
    「どこに逃げましょう?」
     エランは不安そうな顔でフォルナに尋ねる。
    「人通りの多い場所を抜けましょう。人ごみに紛れれば、追跡もしにくいでしょう」
    「あ、そうですね」
    「……」
     うなずいたエランを見て、晴奈は少し呆れた。
    (まったく、どちらが公安職員だか)

     フォルナの提案に従い、三人は大通りへ二度、三度と入り、監視を逃れようとした。が、時間が経つにつれ、三人の顔に不安の色が浮かぶ。
    「む……」
    「あの方、さっきも前にいらっしゃいましたわね」
    「ふ、増えてますよね、追いかけてくる人」
     最初は後ろから1名追いかけてくるだけだったのだが、やがて前からも同様に不審な男が1名、2名と現れた。それに合わせるように、追いかけてくる者も2名、3名と増えていく。
     敵らしき者たちに囲まれつつあることを悟った三人は、もう一度相談する。
    「ど、どうしましょう?」
    「どうもこうも無い。どうにも撒けぬようであるし、こちらから包囲を押し破るしかあるまい」
    「えっ、えぇ!?」
     晴奈の提案に、エランが情けない悲鳴を上げる。それを聞いて、今度はフォルナが呆れた。
    「エラン、あなたは公安職員でしょう? 民間人のセイナに気後れしてどうするのですか」
    「そ、そんなこと言っても」
    「覚悟を決めろ、エラン。……行くぞ!」
     まだおどおどしているエランを引っ張るように、晴奈とフォルナは前にいる敵に向かって駆け出した。
    「……!」
     晴奈たちに迫られた敵は、一瞬ビクッと震えて動きを止める。その隙を突き、フォルナが先制攻撃した。
    「『ホールドピラー』、脚をッ!」
     敵の足元から石柱が伸び、その脚を絡め取る。
    「お、わ」
     敵は前のめりに倒れそうになり、大きく姿勢を崩す。そこで晴奈が、敵の頭に峰打ちを当てた。
    「たあッ!」「ご、ッ……」
     敵はくぐもった声を上げ、脚を石柱に取られたまま、逆V字の姿勢で倒れ込んだ。
    「よし!」
     晴奈とフォルナは倒れた敵の横を抜け、彼らの包囲から脱出した。その後をバタバタと走りながら、エランが追いかける。
    「……僕、何のためにおるんやろ」
     エランのつぶやきには、誰も答えてくれなかった。



     包囲をかいくぐったかに見えたが、倒したはずの敵はすぐに復活し、他の仲間と一緒に追いかけてきた。
     さらにもう一重包囲がかけられていたらしく、晴奈たちの前に武器を持った敵4名と、赤毛の青年が現れた。
    「く……!」
     前後から敵に挟まれ、うなる晴奈に、その青年が穏やかに声をかけた。
    「止まってください、……コウさん」
    「何?」
     名前を呼ばれ、晴奈は面食らう。
    「何故私の名を?」
    「ファンだから」
    「ふぁ、ファン?」
     思いもよらない敵の台詞に、晴奈は硬直した。

    蒼天剣・赤色録 1

    2009.06.20.[Edit]
    晴奈の話、第311話。 フォルナ班にも敵の影。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「……は!?」 晴奈は目を丸くした。 いや、彼女だけでは無い。フォルナも、エランも、そして敵――殺刹峰の戦闘員8名も、そして彼らの動向を隠れて見ていたモールさえも含め、全員呆然としている。 両者の中間に立つ「マゼンタ」こと、レンマと名乗る短耳の青年を除いて。 時間は1時間ほど前に戻る。 エンジェルタウンに到着したフォ...

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    晴奈の話、第312話。
    空飛ぶストーカー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「始めまして、コウさん。僕の名前はレンマ・『マゼンタ』・アメミヤと言います。あ、こんな名前ですけど、央南人じゃないです」
    「は、あ」
     晴奈は敵と思しき青年からの意外な言葉に、どうしていいか分からず呆然としている。
    「義父が央南の血を引いてまして、僕の名前は央南っぽく付けていただいたんです。ちなみに央南語で書くと、『雨宮蓮馬』ってなります」
    「そう、か」
    「央南の哲学とか、思想とか、すごく好きでして。心は央南人のつもりです」
    「はあ、うん」
     レンマの話に、晴奈は相槌を打つしかない。
    「でですね、『央南の猫侍』こと、コウさんがこちらに来られていると、上官から聞きまして。それでこちらにお伺いさせていただいたんです」
    「そうか、……上官?」
     この辺りでようやく、晴奈の頭が回転し始めた。
    「はい。上官からはですね、『公安職員とその関係者を抹殺せよ』って命令されたんですけど、相手がコウさんじゃ、何て言うか、戦いたくないなーって」
    「……えーと、つまり、お主らは、その」
    「はい。殺刹峰から参りました」
     あまりにもあっけらかんと答えるレンマに、晴奈の頭はまた混乱する。
    「何と言うか……、うーむ」
    「あ、でもさっき言った通りですね、僕はコウさんを傷つけたくないんです。だからお願いなんですが」
     レンマはぺこりと頭を下げ、晴奈にとんでもないことを言った。
    「投降して、僕のお嫁さんになってください」
    「……は!?」
     晴奈は目を丸くする。
    「な、何をっ……?」「え、……え?」
     フォルナもエランも唖然としている。
    「ま、マゼンタ様?」
     レンマの部下らしき者たちもどよめいている。おまけに――。
    「あ、……アホだっ。真性のアホだね」
     物陰に隠れて晴奈たちを見守っていたモールも、ぽかんとしていた。

     周囲をこれでもかと凍りつかせたことをまるで気にせず、レンマはまくしたてる。
    「一目見た時から、いえ、あなたの伝説を聞いた時から、ずっとずっと好きでした! もう他の女の子なんか目に入りません! あなただけなんです! お願いします!」
    「……こ……の……」
     異常な状況に巻き込まれ、停止していた晴奈の頭が再度、回転する。顔を真っ赤にし、尻尾の毛を逆立たせながら、すっと右手を挙げた。
    「あ、握手ですか? いいってことですか?」「この、大馬鹿者がーッ!」
     晴奈は一足飛びにレンマとの間合いを詰め、彼の頬に平手打ちを食らわせた。
    「ひゃう!?」
    「ふっ、ふざけるのもっ、大概にしろっ! 何故私がっ、敵の妻にならねばならぬのだッ! 寝言は寝て言えッ!」
    「いてて……」
     思い切り平手打ちを食らったレンマは、頬をさすりながらつぶやく。
    「もう、照れ屋さんだなぁ」
    「……~ッ!」
     ニヤニヤしているレンマを見て、晴奈は総毛立った。
    (き……、気持ち悪い、この人!)(うわ、めっさ鳥肌立った!)
     フォルナとエランも、おぞましいものを見るような目でレンマを眺めている。
    「思っていたよりずっと、あなたは僕のタイプです! 今のでもっと、あなたのことが……」「がーッ!」
     晴奈はこらえきれず、レンマを蹴り倒した。
    「フォルナ、エラン! こっ、こんな、こんな阿呆を相手にしている暇など無い! 逃げるぞ!」
     まだ尻尾をいからせたまま、晴奈は駆け出した。
    「は、はい!」「ええ、了解ですわ!」
     フォルナたちも体中に吹き出た鳥肌をさすりつつ、晴奈についていった。
    「あー……、強烈だなぁ、ははは」
     晴奈の蹴りを腹に食らい、仰向けに倒れていたレンマは、何事も無かったようにひょいと起き上がった。
    「あ、あのー」
     レンマの部下たちも先ほどの晴奈たちと同様、遠巻きにレンマを見つめている。
    「ん? どうしたの?」
    「目標が、逃げましたが」
    「あ、うん。じゃ、追いかけようか」
     レンマは短く呪文を唱え、ふわりと浮き上がった。
    「『エアリアル』。……さぁ、セイナさん。待っててくださいねぇー」
     レンマは空高く浮き上がり、晴奈たちの逃げた方角へ飛んでいった。
     残された部下たちは顔を見合わせ、ぼそっとつぶやいた。
    「……やだ」「うん……」

     レンマは上空から、晴奈たち三人の動きをじっくり監視する。
    「あぁ……、可愛い人だ」
     レンマはニヤニヤしながら、晴奈の後姿をなめるように見つめた。
    「……っ」
     その視線に気付き、晴奈はそーっと後ろを振り返る。
    「げ」
    「いらっしゃいます、わ、ね」
    「は、早く逃げましょう、セイナさん!」
    「う、うむ」
     レンマに見つからないよう、三人は家屋の軒下や日陰、ひさしの下などを進む。だが、空中を飛び回る敵が相手では、隠れても隠れてもすぐに見つかってしまう。
    「みーつけたー」「ぎゃー!」
     見つかる度に晴奈は蹴り飛ばし、殴り飛ばし、しまいには刀まで使ってレンマを叩きのめす。ところが一向に、レンマはダメージを受けた様子が無い。
    「もう、焦らさないでくださいよぉー」「ひーっ!」
     倒れず迫ってくる、気色の悪い敵に気圧され、次第に晴奈は錯乱し始めた。
    「か、勘弁してくれぇ……」「セイナ、気をしっかり!」「あ、ああ」
     精神的に疲労し、晴奈の顔色はひどく悪い。
    「ど、どこか逃げる場所は……」
     フォルナもエランも、晴奈同様真っ青な顔になっている。
     と、晴奈の襟がいきなり引っ張られた。
    「ひ……っ」
    「落ち着けって! 私だね! とりあえず黙ってね! しばらく黙って!」
    「え、あ、え、モール、殿?」
    「黙れって!」
     後ろに突然現れたモールに、晴奈たちは目を白黒させながらも応じる。
    「……」
    「よし、私の服ちゃんとつかんで! 『インビジブル』!」
     モールが術を唱えた途端、晴奈たちの姿が透明になる。
    「……!?」
     いきなりの事態に晴奈たちは驚いたが、モールの言葉に従って口を堅く閉じる。
    (な、何なのだ、一体)
    《透明にする術だね》
     モールのローブをつかんでいた晴奈の腕に、モールのものと思われる指でそう書かれた。
    (透明? ……なるほど、これならば)
     そのままじっとしていると、上空にレンマの姿が現れた。
    「セイナさーん、どーこー?」
     レンマはしばらく空中を浮遊していたが、10分も経った頃、ようやく諦めたらしい。
    「いない……」
     レンマは非常にがっかりした顔で、よろよろと降下していった。

    蒼天剣・赤色録 2

    2009.06.21.[Edit]
    晴奈の話、第312話。 空飛ぶストーカー。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「始めまして、コウさん。僕の名前はレンマ・『マゼンタ』・アメミヤと言います。あ、こんな名前ですけど、央南人じゃないです」「は、あ」 晴奈は敵と思しき青年からの意外な言葉に、どうしていいか分からず呆然としている。「義父が央南の血を引いてまして、僕の名前は央南っぽく付けていただいたんです。ちなみに央南語で書くと、『雨宮蓮...

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    晴奈の話、第313話。
    ツンデレ賢者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「はーっ、はーっ……」
     晴奈はまだ青ざめた顔で、椅子にへたり込んでいる。
    「まあ、その、……災難でしたね、ホントに」
     エランは同情した顔で、晴奈に水を差し出す。
    「……んぐ、うぐっ」
     晴奈は半ばひったくるように水を受け取り、一息に飲み干した。
     モールの助けでレンマの襲撃を回避したフォルナ班は、ともかく晴奈を落ち着かせるため、近くの喫茶店で休憩していた。
    「はー……」
    「なるほどねぇ、晴奈はあーゆータイプが大嫌いか」
     気味の悪い敵から逃げ回り、疲れきった三人を尻目に、モールだけがケラケラと笑っている。
    「誰でも嫌悪すると思いますわ、あのような方だと」
    「ま、私だってあんなアホは大っ嫌いだけどもね、晴奈の怯え方は激しすぎじゃないかって思うんだけどね」
    「……うーむ、何と言うか」
     晴奈はコップを両手で握りしめながら、己の動揺を思い返す。
    「生理的に苦手、と言うか。ともかく、殴られても蹴られても嬉々として向かってくるような輩を好きになれる神経は、私には無い」
    「まあ、それは同感だねぇ。……ところで、気になってたことがあるんだけどね」
     モールは杖を撫でながら、敵への考察を話す。
    「あのレンマってヤツ、晴奈の攻撃ボコボコ食らってたわりには平然としてたよね」
    「ああ、確かに」
    「手加減なんかしてないよね」
    「当たり前だ」
    「女で猫獣人だから、腕力は元々そんなに無いとは言え、それでも一端の剣士だ。その拳で目一杯殴りつけて平気、ってのはちょっと気になるねぇ」
    「ふむ」
     モールの指摘に、三人は一様にうなずく。と、エランが恐る恐る手を挙げて発言する。
    「あの、それに、レンマが連れていた部下も異様にタフだったような。セイナさん、思いっきり刀で叩いてましたよね、頭」
    「ああ」
    「僕だったら、あんなの食らったら死んじゃいますよ」
    「いや、君じゃなくとも重傷は免れないね、峰打ちとは言え」
     モールの言葉にフォルナが「あら」と声を上げ、にっこりと微笑んだ。
    「いつからご覧に? そのご様子だと、ずっと前から後をつけていらしたのですね」
    「ん? ああ、あー、と、その、まあ。偶然だね、偶然。うん、偶然通りかかったね」
     モールはしどろもどろに返答しながら、ぷいと顔を向けた。
    「ま、まあ。それは置いといて、ね。
     峰打ちとは言え、刀は金属製の武器だ。そんなもんで頭を叩かれたら、間違いなく重傷を負うはずだね。でも、敵は平気で襲い掛かってきた。異様に頑丈だと思わないね?」
    「ふむ、確かに」
    「どうやら魔術か何かで、相当体を強化してるみたいだねぇ。……ま、役に立つかどうかわかんないけどね」
     モールは自分のかばんをもそもそと漁り、一冊のノートを取り出した。
    「何て言ったっけ、狐っ娘」
    「わたくしですか? フォルナ・ファイアテイルです」
    「あ、そうそう、フォルナだったね。ちょっと耳貸し」
    「はい?」
     モールはノートを紐解きながら、フォルナに何かを教えた。
    「……はあ、……ええ、……なるほど」
    「この術を使えば、しばらくはどんな術効果も無効化されるはずだね」
    「でもこの術、『フォースオフ』と同じような……」
    「ちょっと違うね。それよりもう一段効果的な術になってる。いっぺん、機会があったら試しに使ってみな、超面白いコトになるからね」
    「はあ……」
     ニヤニヤしているモールに対し、フォルナはどうにも納得がいかなそうな顔をしている。
    「あ、そうそう。コレも教えとく。さっき使った、姿を消す術。割と便利だから、しっかり覚えとくようにね」
    「はい」
    「あ、それからね……」
     その後も、モールはあれこれと術を教えてくれた。

    「それじゃ、私はこの辺でね。気を付けなよ」
     モールはひとしきり術を教えたところでそそくさと席を立ち、そのままどこかへ去ってしまった。
    「……あの人、何だかんだ言って僕たちのこと、助けてくれるんですね」
    「ああ」
    「面白い方ですわね」
     三人はモールの素っ気無い口ぶりと態度の違いに、クスクスと笑っていた。

    蒼天剣・赤色録 3

    2009.06.22.[Edit]
    晴奈の話、第313話。 ツンデレ賢者。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「はーっ、はーっ……」 晴奈はまだ青ざめた顔で、椅子にへたり込んでいる。「まあ、その、……災難でしたね、ホントに」 エランは同情した顔で、晴奈に水を差し出す。「……んぐ、うぐっ」 晴奈は半ばひったくるように水を受け取り、一息に飲み干した。 モールの助けでレンマの襲撃を回避したフォルナ班は、ともかく晴奈を落ち着かせるため、近くの...

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    晴奈の話、第314話。
    「マゼンタ」帰還報告。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     殺刹峰アジト。
    「それでですね、逃げるセイナさんがまた可愛くて……」「レンマ君」
     レンマからの帰還報告――ほとんどが晴奈についての感想だったが――を聞いていたモノはため息をつき、話をさえぎった。
    「過程はもういい。結果を話したまえ」
    「あ、はい。まあ、結局のところですが、逃げられまして。街中を探しても見つからなかったので、既にクロスセントラルへ発ったものと思われます」
    「そうか。死亡した者は?」
    「いません。全員無事です」
    「コウとファイアテイルの攻撃を受けた兵士は?」
    「帰還後、義父さんのところに運んで……」「それはやめてちょうだぁい」
     レンマの背後に、いつのまにかオッドが立っていた。
    「あ、義父さん」
    「だーかーらぁ」
     オッドはレンマの額を指で弾き、口をとがらせる。
    「アタシを『おとーさん』なーんて呼ばないでちょうだいよぉ」
    「あ、すみません。……えっと、ドクター。容態はどうでしょうか?」
     オッドは手にしていたカルテをレンマとモノに見せる。
    「痛みは感じてないみたいだけどぉ、顔面裂傷に頭蓋骨と脛骨、第一・第二・第三中足骨の骨折。それと大腿筋その他の断裂。大ケガよぉ」
    「『マゼンタ』隊にも他の隊と同様の薬を投与していたのだな?」
    「うんうん。ま、これと同程度のケガは他の隊もしてたしぃ、やっぱり薬だけじゃ十分な防御力を得られそうにはないみたいねぇ」
    「今後の目標は耐久性、と言うわけだな」
     モノはカルテをオッドに返し、短くメモを取った。
    「うーん……」
     オッドはカルテを抱え、パキパキと指を鳴らしている。
    「どうした?」
    「いえねぇ、実戦投入はまだ早かったんじゃないかなぁ、なーんてねぇ」
    「ふむ」
     オッドはレンマの横に座り、モノと向かい合う。
    「『バイオレット』隊も兵士が1人逝っちゃったしぃ、こんなんじゃ最終計画の実行には程遠いわよぉ」
    「……いや、しかし」
     モノはオッドの目を見据え、わずかに口角を上げた。
    「逆にこれは問題点の洗い出しを行い、最終計画実行を早めるチャンスかも知れん。公安と闘士たちが相手ならば、十分な実戦データが手に入るだろうからな」
    「なるほどねぇ。相変わらずのプラス思考ねぇ、トーレンス」
    「単に最大効率を検討し続けているだけだよ、シアン」
     モノはそう言って席を立った。

     残ったオッドとレンマはそのまま座っていたが、不意にレンマが口を開いた。
    「ドクター、少し聞きたいことが」
    「んっ?」
    「その、何と言うか……」
     妙にモジモジしているレンマを見て、オッドはウインクした。
    「なぁに? 好きな子の話ぃ?」
    「あぅ」
     オッドに看破され、レンマの顔は真っ赤になった。
    「アハハハ、まーた赤くなっちゃってぇ。……で、誰なのよぉ? フローラ? ミューズ? それともぉ……」
    「……です」
    「んっ?」
     レンマはうつむきながら、想っている人の名を告げる。
    「セイナさん」「ぶっ」
     その名前を聞くなり、オッドは吹き出した。
    「アンタねぇ……、よりによって敵ぃ?」
    「はい」
    「……アホねぇ」
     オッドはため息をつきながら、レンマの額を突いた。
    「んで、何を聞きたいのーぉ?」
    「あのですね、思い切って告白してみたんです――あの、そんな、引っくり返って起き上がれない亀を見るような目、しないでくださいよ――でもですね、受け入れてくれなくて、ほら」
     レンマは頭のコブをオッドに見せる。
    「あーら、見事に腫れてるわねぇ」
    「『ふざけるな』って怒られちゃったんですよ。……真剣なのに」
    「そりゃアンタ、敵から『好きです。付き合ってください』なーんて言われたら断るでしょーよ、常識的に考えて」
    「ですよね……。でも、やっぱり好きなんです。どうやったら、真剣だって分かってくれるんでしょう?」
     もじもじするレンマを見て、オッドはまたため息をついた。
    「論点ずれてるでしょぉ、それは。どうやって想いを伝えるかよりもぉ、どうやって付き合うかが問題でしょーぉ?」
    「え、あー、……そうかも」
     レンマは頭をポリポリとかきながら、また顔を伏せる。
    「……アンタ、本っ当に『プリズム』の中で一、二を争うアホねぇ。アタシ、かなり心配になっちゃうわぁ」
     オッドは三度ため息をつきながら、子供の頭を撫でた。

    蒼天剣・赤色録 4

    2009.06.23.[Edit]
    晴奈の話、第314話。 「マゼンタ」帰還報告。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 殺刹峰アジト。「それでですね、逃げるセイナさんがまた可愛くて……」「レンマ君」 レンマからの帰還報告――ほとんどが晴奈についての感想だったが――を聞いていたモノはため息をつき、話をさえぎった。「過程はもういい。結果を話したまえ」「あ、はい。まあ、結局のところですが、逃げられまして。街中を探しても見つからなかったので、...

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    晴奈の話、第315話。
    お酒の飲み方。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     レンマが「フォルナ班は既にエンジェルタウンを離れたもの」と見なし、あっさりと撤退していったため、晴奈たちは何事も無かったかのように、まだエンジェルタウンに滞在していた。
     と言っても現在はクロスセントラルへ向かう準備を終えて、最後の宿を取ったところである。
    「残念でしたねー、何も情報が無くて」
     エランがほぼ真っ白なメモ帳を眺め、がっかりした声を上げる。
    「まあ、仕方ないさ。襲撃もかわせたし、可もなく不可もなくと言った具合だな」
     ベッドの上で刀の手入れをしていた晴奈が、のんびりとした口調でエランに相槌を打つ。
     数日間の情報収集による疲れを取るため、三人は早めに宿を取っていた。フォルナも他の二人と同様に気が抜けた様子で、ベッドの上に寝転んでいる。
    「ふあ、あ……」
     横になっていたので、眠気もやってくる。
    「すみませんがわたくし、先にお休みさせていただきますわ」
    「あ、はーい」「おやすみ、フォルナ」
     フォルナはするりとベッドに入り込み、すぐに眠り始めた。

    「……ん」
     のどの渇きを感じ、フォルナは目を覚ました。部屋の灯りは落ち、晴奈もエランも眠りに就いている。
    (お水、飲もうっと)
     横で寝ている晴奈を起こさないよう、そっとベッドを抜け出し、部屋の外に出る。
     階下の食堂にはまだ、酒を呑んでいる者がチラホラと見える。フォルナはふと、去年のことを思い出した。
    (そう言えば、わたくしが始めてお酒を呑んだのって、セイナとコスズさんと、一緒に旅を始めた頃だったわね)
     フォルナの脳裏に、リトルマインでの出来事が蘇ってくる。三人で温泉に入り、初めて口にしたワインの味を思い出し、思わずフォルナののどが鳴った。
    (……久しぶりにお酒、呑んでみようかしら)
     フォルナはふらっと、カウンターに着いた。
    「いらっしゃいませ」
    「えっと、ワインを」
    「ワインですか? 赤と白、どっちに?」
    「え?」
     バーテンダーに問われ、フォルナは戸惑う。その様子を見たバーテンダーが、妙な顔をした。
    「どうしました?」
    「あ、いえ。……えっと、じゃあ、白で」
    「はい」
     バーテンダーは後ろを振り返り、瓶とグラスを取る。
    「お客さん、あんまり呑み慣れてなさそうですね」
    「あ、はい。あまり呑んだことがなくて」
    「何でまた、今日は呑もうと思ったんですか?」
     そう問われ、フォルナは考え込む。
    「えっと……、何となく、ですわね。昔の旅を思い出して、呑みたくなりましたの」
    「そうですか。……はい、軽めのものをご用意しました」
     バーテンダーが差し出したグラスを手に取り、フォルナは礼を言う。
    「ありがとうございます。……それでは」
     口をつけようとして、不意に小鈴が言った言葉を思い出す。
    ――フォルナ、お酒はそーやって呑むもんじゃないわよ。もっとゆーっくり、味わって呑まなきゃ。そんな『これから死地に飛び込みます』みたいな顔で呑んじゃダメだってば。お酒に失礼よ――
    (そうそう、『ゆーっくり』、だったわね)
     グラスに鼻を近づけ、すんすんと匂いを嗅ぐ。しっとりとしたブドウの香りが、鼻腔一杯に広がっていく。
    「はぁ……」
     続いて、口に含む程度にワインを呑む。わずかな酸味と刺激の後に、くっきりとした甘さが感じられた。
    「美味しい」
    「……ヒュー」
     フォルナの呑む様子を眺めていたバーテンダーが、感心した顔で口笛を吹いた。
    「え?」
    「あ、いや。綺麗に呑む方だと思いまして、つい」
    「あら、ありがとうございます」
     にっこりと笑うフォルナに、バーテンダーの顔もほころんだ。

    「……い、おーい」
     いつの間にか眠ってしまったらしい。フォルナは肩をゆすられ、目を覚ました。
    「ん……、う、ん?」「起きたか、フォルナ」
     顔を上げると、晴奈の口とのど元が視界に入る。
    「ええ、はい……。ちょっと、まぶたが重たいですけれども」
    「出発まで5時間ほどある。もう少し眠るか?」
    「ええ。……いたっ」
     晴奈に手を借り、立ち上がろうとしたところで、ひどい頭痛に襲われる。
    「どれだけ呑んだ?」
    「え? えっと……」
     皿を洗っていたバーテンダーが、フォルナの代わりに答える。
    「ワイン半分くらいですね。……起こすのも悪いかなと思って、ガウンだけかけておきましたけど」
    「そうか、すまなかったな」
    「いえ……」
     晴奈はバーテンダーにガウンを返し、フォルナの側にしゃがみ込む。
    「立てるか?」
    「え、……と。すみません、足に力が入りませんわ」
    「そうか」
     晴奈はフォルナの体を起こし、そのまま背負い込む。
    「部屋まで送ってやる」
    「ありがとう、ござぃ……」
     ありがとうございます、と言ったつもりだったが、語尾が自分でも分かるくらい、非常に弱々しかった。
    「水臭いな、フォルナ」
     晴奈はクスッと笑う。
    「お主と私の仲では無いか」
    「ええ、そぅ……」
     何か言おうとしたが、やはり最後まで言い切れない。フォルナはしゃべるのを諦め、晴奈の肩にしがみついた。

     なお、この数時間後にフォルナは目を覚ましたが、二日酔いは治らなかった。仕方ないので、晴奈たちはもう一日宿泊することになった。
     レンマ隊に襲われたことと、この出来事以外は特に何事も無かったかのように、フォルナ班は首都への歩を進めた。



     しかし――彼女たちはまだ、重大なことが静かに起きていたことに、この時点ではまったく気付いていなかった。

    蒼天剣・赤色録 終

    蒼天剣・赤色録 5

    2009.06.24.[Edit]
    晴奈の話、第315話。 お酒の飲み方。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. レンマが「フォルナ班は既にエンジェルタウンを離れたもの」と見なし、あっさりと撤退していったため、晴奈たちは何事も無かったかのように、まだエンジェルタウンに滞在していた。 と言っても現在はクロスセントラルへ向かう準備を終えて、最後の宿を取ったところである。「残念でしたねー、何も情報が無くて」 エランがほぼ真っ白なメモ帳を...

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    晴奈の話、第316話。
    風の魔術剣。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     バート班がペルシェの襲撃を受け、フォルナ班がレンマに追い回されていたのと同様に、ジュリア班も殺刹峰からの襲撃を受けていた。

     ウエストポートを発って1週間後、ジュリア班は軍艦製造の街、ソロンクリフに到着していた。
    「ふーん……」
     街は崖を挟んで上下に広がっており、崖上の街からは船を造っている様子が見渡せる。それを眺めていた小鈴は、率直な意見を述べた。
    「でっかいわねぇ」
    「そりゃ、船だもの。でも、軍艦じゃ無さそうね。普通の商船みたい」
    「まあ、軍事機密をこーんな真上から見れるわけないしねぇ」
     ジュリアと小鈴は半分観光しているような気分で、下の街を見下ろしていた。2人の後ろにいる楢崎も、同様にのんびりとした様子で声をかける。
    「お嬢さん方、ひとまず休憩してはどうだろう?」
    「そーね、歩き通しだったし。んじゃ、どっかに宿取ろっか」
    「ええ。……商業関係は、上の街が担当してるみたいね。宿もこっちの方かしら」
     ジュリアは辺りを見回し、そしてある一点に目を留めて硬直した。
    「……ん? どしたの、ジュリア」
    「あれ、ちょっと見て」
     ジュリアが顔を向けている方向に、小鈴も楢崎も目を向けてみた。
    「おや……?」
    「何か、睨んできてるわね」
    「ええ、明らかに敵意を抱いているようね」
     三人の視線の先には、紫の布で頭と口元を覆った短耳の女性と、武器を持った4名の男女がいた。「どーする?」
    「うーん」
    「こちらへ向かってくるな……」
    「逃げとく?」
    「そうね。変な争いはしたくないし」
     三人は同時にコクリとうなずき、一斉に身を翻した。
    「あ……」
     だが、反対側からも同じような者たちが4名やってくる。
    「囲まれちゃった?」
    「そのようだね」
    「参ったわね……」
     そうこうしている内に、敵らしき者たちが小鈴たちの前後に立ち止まった。
    「そこの三名、大人しくしなさい」
    「してるじゃない。今までじっとしてたでしょ、ココで」
     声をかけてきた紫頭巾に、小鈴はふてぶてしく返す。頭巾は言葉に詰まり、憮然とした目を小鈴に向ける。
    「……ええ、そう、ね。……コホン。我々は殺刹峰の者よ。我が組織を調べようとしているあなたたちを、看過することはできない。よって」
     頭巾は片手を挙げ、小鈴たちを囲んでいる者たちに指示しようとした。
    「抹殺開始よ。全員、かか……」
     だが頭巾が手を挙げたところで、楢崎が彼女の鳩尾に、鞘に納めたままの刀を突き込んだ。
    「……っ」
    「僕らはこんなところで足止めされるわけには行かない。強行突破させてもらうよ」
    「……そうは、行かない!」
     楢崎の初弾を食らった頭巾は、鳩尾を押さえながらもう一度指示した。
    「かかれ! 全員、生かしてこの街から出すなッ!」
    「はい!」
     小鈴たちを囲んでいた者たちが武器を構えるのを見て、小鈴とジュリアも武器を手に取った。
    「しょーがないわね」
    「やれやれ、って感じね」
     楢崎も依然鞘に納めたまま、刀を構える。
    「ふーむ……」
     楢崎は納得が行かなさそうな顔をして、小鈴たちに小声で話しかけた。
    「妙だよ、どうも」
    「え?」
    「今の一撃、普通は悶絶するくらい痛いはずなんだ」
     それを聞いた二人は、事も無げにこう返した。
    「んじゃ、普通じゃないってコトね」
    「面倒臭そうね、戦うのは」
     年長者で、様々な経験を積んでいるからだろうか、この三人は他の2班に比べてとても冷静だった。
    「じゃ、やっぱり逃げよっか」
    「ええ、そうしましょ」
     楢崎の言葉を聞いて、ジュリアは武器の警棒を納める。そして小鈴は何か、もごもごとつぶやいている。楢崎はジュリアに耳打ちした。
    「どうするんだい? 三方に敵、後ろは崖。何かいい策が?」
    「ええ。こっちには水に土、おまけに風の術まで使える魔法使いがいるもの」
    「なるほど」
     小鈴が呪文を唱え終わり、楢崎とジュリアに声をかけた。
    「準備できたわ! つかまって!」
    「おう!」「了解よ!」
     二人が小鈴の巫女服の袖をつかんだところで、小鈴が術を発動した。
    「『エアリアル』、さいならー」
     三人は空に浮き上がり、そのまま崖を滑り降りていった。
    「あっ、逃がすかッ!」
     頭巾は眼下へ逃げていく小鈴たちをにらみつけ、腰に佩いていた剣を抜いた。
    「くらえッ!」
     ごう、と風のうなる音が響く。
    「……?」
     次の瞬間、三人は強い衝撃を受けて弾き飛ばされた。

    蒼天剣・紫色録 1

    2009.06.26.[Edit]
    晴奈の話、第316話。 風の魔術剣。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. バート班がペルシェの襲撃を受け、フォルナ班がレンマに追い回されていたのと同様に、ジュリア班も殺刹峰からの襲撃を受けていた。 ウエストポートを発って1週間後、ジュリア班は軍艦製造の街、ソロンクリフに到着していた。「ふーん……」 街は崖を挟んで上下に広がっており、崖上の街からは船を造っている様子が見渡せる。それを眺めていた小鈴...

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    晴奈の話、第317話。
    ドSな小鈴。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「きゃ……!?」
     弾かれた衝撃で、ジュリアは小鈴の袖を離してしまう。
    「ジュリア!」「なんのッ!」
     小鈴は一瞬顔を青くしたが、術の集中に戻る。その間に楢崎が豪腕を活かし、空中でジュリアの腕をがっちりとつかんだ。
    「……あ、ありがとう、ナラサキさん」
    「お安い御用だよ」
    「よっし、バランス回復っ!」
     小鈴も何とか体勢を立て直し、三人は無事下町に着地した。
    「チッ……!」
     崖の上で三人の動きを見ていた頭巾は舌打ちし、連れて来た兵士たちに号令をかける。
    「急いで追うわよ! もう一度言うわ、ここから生かして返さないで!」
    「了解!」
     頭巾と兵士たちは、大急ぎで下町への長い階段を下りていった。

    「んっふっふ」
     一方、こちらは小鈴たち。
    「そー簡単に追いつかれてたまるもんですかっての」
    「どうするんだい?」
    「こーすんのよ」
     小鈴は杖を、頭巾たちが下りている最中の階段に向けた。
    「秘術、『クレイダウン』!」
    「……?」
     小鈴が叫んだ術の名前を聞いて、ジュリアはきょとんとしている。
    「何それ? 聞いたことない術ね?」
    「あたしのオリジナル。ま、見てて見てて」
     小鈴はニヤニヤしながら敵の動きを眺めている。と――。
    「きゃあっ!?」
    「おわああっ!?」
     階段の一部がぐにゃりと曲がり、敵全員が落下した。
    「……うわあ、容赦無しね」
    「そりゃ、敵だし。ちなみに落ちた先も粘土層に変えてあるから、あいつらめり込んでしばらく動けなくなるはずよ」
    「コスズ、あなたって本当にアコギな術ばっかり作るわね。昔も土の術で舟作って、私を無理矢理乗せて……」
    「え、まだ覚えてたの? ……んふふふ、ふ」
     小鈴は口に手を当て、クスクス笑っている。楢崎はその様子を見て、呆れ気味にこうつぶやいた。
    「……ひどいなぁ、橘君は」

    「く、そっ」
     小鈴の目論見通り、頭巾たちは揃って地面にめり込んでいた。だが他の2隊同様、彼女らも薬や魔術で体を強化している。
    「全員、動ける!?」
    「はい、大丈夫です」
    「でも、足がめり込んで……」
     頭巾はため息をつき、地面に半分沈みかかった剣を抜いて掲げた。
    「全員、動かないでよ! はあッ!」
     頭巾が剣を振るい、地面がズバッと裂ける。
    「さあ、全員抜けて!」
    「は、はい!」
     兵士たちは裂けた地面からゾロゾロと抜け出し、体勢を整え直す。
    「あいつら、どこッ!?」
    「風向きなどから考えて恐らく、ここからそう離れていないかと」
    「それじゃ追うわよ!」
     頭巾と兵士たちは足並みを揃え、小鈴たちが着地した地点へと急いだ。

     が、これも小鈴は予想済みだった。
     着地した場所からはとっくに離れていたし、敵が追いついてくることも想定していた。
    「……ふーん」
     小鈴たち三人は物陰に隠れ、追いついた敵の様子を伺っていた。
    「ここから見る分にはまだ皆、普通の人間に見えるんだけどね」
    「そうね。でもナラサキさん、戦ってみた感じは……」
     楢崎は小さくうなずき、ジュリアに同意する。
    「ああ。結構力を入れて峰打ちしたのに、手ごたえが異様に硬かったんだ。まるで、岩を相手にしている気分だった。まともにやりあってたら、かなり苦戦しそうだよ」
    「敵にはあのドクター・オッドが付いてたのよね、そう言えば。
     性格はともかくとして、医者としての腕は確かだったらしいから、何らかの外科手術か投薬をされている可能性は、非常に高いわ」
     ジュリアの考察に、小鈴が付け加える。
    「それに、魔術による強化も施されてるかもね。
     二人にはあんまり感じられないかもだけど、あいつらの体から、魔術使用時に良く見る紫色の光って言うか、もやみたいなのがチラチラ見えてる。
     正直、大口径のライフルで撃っても大して効かないんじゃないかしら」
    「それは穏やかじゃないね。……おや」
     楢崎が敵の様子を見て、声を上げる。
    「一人、倒れてる」
    「え?」
     小鈴とジュリアも、楢崎の視線の先に目をやる。
    「う……、うっ……、がっ……」
    「ど、どうしたの!?」
     兵士の一人が胸を押さえ、悶絶している。間もなく黄色い液体を吐き出し、動かなくなった。
    「な……、え……?」
     頭巾はうろたえ、倒れた兵士を揺する。
    「どうしたのよ!? ねえ、ねえってば!」
    「……」
     だが、頭巾の呼びかけに兵士は応えない。口からダラダラと、黄色く濁った血を吐き出すばかりである。
    「これって……、え、ねえ、何……?」
     頭巾は困惑しているらしく、周りの兵士をきょろきょろと見ている。
     と――楢崎が声を上げる。
    「おや、口布が取れたね。……なるほど、口布を当てていたわけだ」
     楢崎の言う通り、頭巾が口に当てていた紫色の布が落ち、彼女の顔があらわになる。
    「……!」「うわ、えぐっ」
     その素顔を見て、小鈴もジュリアも口を抑え、うめく。
     頭巾の顔には、左目の上から右頬にかけて刀傷がついていたからだ。いや、それだけではない。刀傷に沿うように、火傷も重なっている。
    「……っ!」
     頭巾は慌てて口布を拾い、顔を隠しながら叫んだ。
    「プラン00よ! これは不測の事態だから、私たちは十分な活動ができないと判断したわ! 撤退よ、撤退!」
    「りょ、了解!」
     兵士たちと頭巾はバタバタと騒がしい音を立てて、その場から立ち去ってしまった。
    「……えーと」
     振り返った楢崎に、ジュリアが冷静な声でこう返した。
    「危険回避ね。もう少し様子を見てから、あの倒れてる兵士を調べましょう」

    蒼天剣・紫色録 2

    2009.06.27.[Edit]
    晴奈の話、第317話。 ドSな小鈴。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「きゃ……!?」 弾かれた衝撃で、ジュリアは小鈴の袖を離してしまう。「ジュリア!」「なんのッ!」 小鈴は一瞬顔を青くしたが、術の集中に戻る。その間に楢崎が豪腕を活かし、空中でジュリアの腕をがっちりとつかんだ。「……あ、ありがとう、ナラサキさん」「お安い御用だよ」「よっし、バランス回復っ!」 小鈴も何とか体勢を立て直し、三人は無事...

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    晴奈の話、第318話。
    マヌケな鉢合わせ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     敵が完全に逃げ去ったのを確認したところで、小鈴たちは倒れた兵士を観察することにした。
    「あんまりココでじっとしてちゃ、人が来るわ。何だかんだ問いつめられたら面倒だし、ぱぱっと見ちゃいましょ」
    「そうね。……身分を証明するものは無し。武器は小剣と、短剣だけ。……これは何かしら?」
     兵士のポケットから、青い液体の入った薬瓶がころんと出てきた。
    「見た目からすると、毒かな?」
     楢崎の意見にジュリアがうなずきつつ、こう返す。
    「もしくは、身体強化の薬かも。押収しておきましょう」
    「他には何にも無さそーね。じゃ、撤収しましょ」
     小鈴たちは急いでその場を離れ、人通りの多い港へ入った。
    「さてと、上町にはしばらく行けなさそうだし、今日、明日くらいはこっちにいることになりそうね」
    「あなたが階段壊したんじゃない」
     ジュリアの突っ込みを流しつつ、小鈴は今後の行動を尋ねてみる。
    「んで、これからどうしよっか? まず宿探しの方が先よね」
    「……ええ、そうね。こっちは工場や造船所ばかりだし、数は少なそうだから、あなたが階段を壊したせいでこっちに締め出された旅人とかが、慌てて宿探しを始めるでしょうから、早めに探さないとね」
    「押すわねぇ、アンタも」
     小鈴が口をとがらせたところで、楢崎が話に加わる。
    「でも、さっきの敵も恐らくこちらに閉じ込めらているだろうし、ここで2日泊まるとなると、鉢合わせするかも知れないね」
    「あー」
     小鈴はそっぽを向いて、杖の鈴をいじり始めた。
    「あなたが……」「しつこいっ、ジュリア」

     楢崎の読み通り、先程の頭巾たちは上町に上る階段の前で舌打ちしていた。
    「チッ……」
    「これじゃ登れそうにありませんね」
    「仕方ない、全員擬装用意!」
     頭巾の号令に従い、兵士たちは羽織っていた黒いコートを脱ぎ、どこにでもいそうな町民の姿になった。
     頭巾自身も顔を隠していた布をフードに変え、街娘の姿になる。
    「階段が修復されるまで、各自散開して行動すること! 修復され次第この場所に集合し、本拠地に帰還! 以上、解散!」
     頭巾の号令に従い、兵士たちは街路の奥に消えていった。全員の姿が見えなくなったところで、頭巾も歩き出した。
    「……さてと。私もどこかに身を潜めなきゃ」



     どうにか下町での宿を見つけた小鈴たちは、黙々と昼食を取っていた。
    「なーんか美味しくないわね、この魚」
    「うーん、確かに」
    「栄養無さそうね、何と言うか」
     食堂で出された魚料理は妙に味気なく、調味料の味しかしない。
    「まあ、造船所のすぐ近くだろうしねぇ」
    「魚の健康に悪いんだろうね」
     味にうるさい小鈴がぼやいているが、ジュリアは気に留めていない。
    「食事を楽しみに来たわけではないし、別にいいじゃない」
    「ま、そーだけどね」
     と、一足先に料理を平らげ、水に手を伸ばした楢崎が顔を上げた。
    「ん……?」
    「どしたの?」
    「いや、何か……」
     言いかけた楢崎の顔がこわばっている。
    「うーん……。参ったね、どうも」
     楢崎の視線の先には、先程の紫頭巾の姿があった。
    「……あっ」
     食堂の入口で立ち止まったまま、頭巾は硬直している。口に手を当てたり、フードを直したりと、混乱しているのが良く分かる。
    「えっと、……君?」
     おろおろしている頭巾に、楢崎が声をかけた。
    「ひゃ、ひ?」
     恐らく「はい?」と言おうとしたのだろう。頭巾は変な声を上げて反応した。
    「そこで突っ立っていたら、他のお客さんの邪魔になる。とりあえず、こっちに来たらどうだい?」
    「な、何で敵の命令なんかっ」
     うろたえる頭巾に対し、楢崎は妙に飄々とした態度を執る。
    「命令じゃないよ、提案だ。それとも敵を前にして背を向けるのが、央北の剣士の戦い方なのかな?」
    「ちが……、違うわよ、色々っ。……ま、まあ、応じない理由なんてないし、行ってあげるわ」
     頭巾はギクシャクとした足取りで、楢崎の隣に座った。座ったところで、楢崎が質問を投げかける。
    「他の人は?」
    「へ?」
     楢崎の応対に、頭巾は一々妙な声を上げている。
    「君と一緒にいた、他の人はどこに行ったのかな?」
    「え、あの、……あなたたちを倒すのに、不都合が生じたのよ。だから今回は、何もしないであげるわ」
    「答えになってないよ。どこに行ったの?」
    「うっ……」
     フードで隠れてはいるが、頭巾の顔色が悪くなっているのが伺える。横で見ていた小鈴は半ば呆れつつ、頭巾を哀れんでいる。
    (まあ、3対1だもんねぇ。そりゃ顔色悪くなるってもんよ。……にしても、マヌケねぇ)
    「その態度だと、近くにはいないみたいだね。……君、名前は?」
    「も、モエ。藤田萌景」
    「ふむ、央南人か。その傷、焔流の者と戦ったのかな?」
    「えっ?」
     楢崎に指摘され、モエは両手で顔を隠す。
    「み、見たの!?」
    「ああ、悪いとは思ったんだけど。それで、どうなんだい? 戦ったの?」
    「……」
     モエは何も言わずにうつむく。
    「どうしたのかな?」
    「……言う理由なんか無い」
    「そうか。それじゃ次、聞くけど」
     楢崎は先ほど倒れた兵士から入手した薬瓶を見せる。
    「これ、何の薬かな?」
    「それ、は……」
     モエは一瞬顔を上げるが、またうつむく。
    「教えて欲しいんだけど、ダメかな?」
    「言いたくない」
    「そうか。それじゃ、さ」
     楢崎はぐい、とモエの腕を取った。
    「飲んでみてくれるかな?」
    「え」
     楢崎の言葉に、モエの顔色が変わった。
    「やっぱり毒なのかい?」
    「ち、違うわ。それ、飲み薬じゃないもの」
    「なるほど。どうやって使うのかな?」
    「……」
     また黙り込んだモエを見て、ジュリアが声をかけた。
    「モエさん、でしたか。あまり我々を手間取らせないでいただきたいのですけれども」
    「えっ?」
    「お分かりでしょうが、これは既に尋問です」
    「……」
     モエの顔色が、一層悪くなった。

    蒼天剣・紫色録 3

    2009.06.28.[Edit]
    晴奈の話、第318話。 マヌケな鉢合わせ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 敵が完全に逃げ去ったのを確認したところで、小鈴たちは倒れた兵士を観察することにした。「あんまりココでじっとしてちゃ、人が来るわ。何だかんだ問いつめられたら面倒だし、ぱぱっと見ちゃいましょ」「そうね。……身分を証明するものは無し。武器は小剣と、短剣だけ。……これは何かしら?」 兵士のポケットから、青い液体の入った薬瓶がこ...

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    晴奈の話、第319話。
    もう一名の敵将。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「……うん?」
     と、これまで飄々とした態度で尋問を続けていた楢崎が、急に渋い表情を浮かべ、外に目を向けた。
    「藤田くん。外の連中は、君の知り合いかな?」
    「え」
     楢崎の言葉に、モエも外に目を向ける。
    「……! え、え!? 何で!?」
     モエは立ち上がり、外へと飛び出して行く。
    「待ちなさ……」「待った、ジュリア君!」
     止めようとしたジュリアをさえぎり、楢崎が耳打ちした。
    「囲まれているよ。恐らくは20名ほど。下手に飛び出せば、蜂の巣にされてしまう」
    「そう、ですか」
     耳打ちされたジュリアは冷静に振る舞ってはいるが、途端に口数が少なくなる。小鈴も顔に緊張の色を浮かべながら、ジュリアに尋ねた。
    「で、コレはピンチってヤツよねぇ?」
    「……そうなるわね」

     店の外に飛び出したモエは、店を囲んでいた兵士たちを見回す。先程散開させた自分の部下たちに混じり、他の隊長が従えている兵士も並んでいる。
    「あなたたち、どうしてここに!? この街には『バイオレット』隊だけが来ることになっていたはずよ!?」
    「ドミニク先生からの指令です。内緒にしろと言われていましたけど」
     兵士たちの後ろから、青い髪の猫獣人が姿を現した。
    「ネイビー!?」
    「どうも、モエさん。その焦りようからすると、割と危ないところだったみたいですね」
    「そ、そう、だけど。でも、……どう言うことなの? ドミニク先生は、私に任せるって」
    「ええ。確かに、『特にトラブルが発生しなければ、見守っていなさい』と言われていましたけど。けど今、あなたは一人。間違いなく、トラブルに見舞われています。
     それともモエさん、あなたは一人でこの状況を切り抜けられましたか? もしそうなら、『余計なことをしました』って謝りますけど」
     ネイビーの涼しげで穏やかな青い目に見つめられ、モエはうなだれた。
    「……ええ、そうね。確かに今、私はピンチに陥っていたわ。ありがとう、ネイビー」
    「いえ、お気になさらず。それで敵の話ですけど、皆さんこの店の中ですか?」
    「ええ、中にいるわ」
    「それじゃ、占拠しましょう」
     ネイビーはそう言うと、周りの兵士たちに合図を送った。
    「『インディゴ』隊、作戦開始です。この店をただちに制圧してください」
    「はい!」
     兵士たちはネイビーに敬礼し、一斉に店へとなだれ込んだ。
     が、1名戻ってくる。
    「『インディゴ』様、敵がおりません!」
    「え?」
    「嘘でしょ?」
     ネイビーとモエも店の中に入る。
    「ひ……」
    「な、何なんだアンタたちは」
    「何もしないから、その槍下げてくれよ……」
     モエたちは怯える店員と客たちを眺めたが、既に小鈴たちの姿は無かった。

    「あーぶない、危ない」
     慌てて屋根裏に回った小鈴たちは、下の様子に耳を傾けながら屋根板をはがしていた。
    「もう少し入ってくるのが早かったら、捕まってたわね」
    「ええ、そうね。……ナラサキさん、どうですか?」
    「うん、もう少しで斬れそうだ」
     楢崎が刀でゴリゴリと屋根瓦と下地をはがしている間に、小鈴は下に穴を開けて様子を伺う。
    「あ、さっきのモエって子がいる。キョロキョロしてるわね」
    「どうやら、あの『猫』が手助けをしたみたいね」
     モエの横にはネイビーが立っており、二人は何か会話をしているように見える。
    「じゃあ……みんな……」
    「ええ……けど……」
     だが制圧されているとは言え、普段から騒々しい食堂の中である。二人の会話は良く聞き取れない。
     そうこうするうち、楢崎が屋根に穴を開けた。
    「よし、開いた。脱出しよう」
    「ええ。応援が駆けつけたってコトはさっきの階段も修復されてるでしょうし、そこから逃げましょ」
    「そうしましょう」
     三人は敵の包囲をかいくぐり、素早く街を脱出した。



     食堂の中で、モエはネイビーに詰問していた。
    「ねえ、ネイビー。詳しく聞きたいことがあるの」
    「何でしょう?」
    「初めから、……私たちがこの街に来る前から、あなたは私たちをつけていたの?」
     そう尋ねられ、ネイビーは一瞬視線をそらす。
    「……まあ、その通りです」
    「そう……」
     モエはそれを聞いて、非常に嫌な気分を覚えた。それを察したネイビーが、ゆっくりとした口調で弁解する。
    「でも、モエさんたちの力を信じていないわけではありませんよ。もう一度言っておきますけど、『ピンチにならない限り傍観していなさい』と念押しされていましたから」
    「それは、良く分かってる。でも、なぜ? なぜ私たちに、そんな監視をつけたの?」
    「……実は、モエさんたちだけじゃないんです。他の2隊にも、同様に別働隊をつけていたんですよ」
     思いもよらないことを聞き、モエは目を丸くした。
    「私たち? じゃあ、レンマやペルシェにも、みんなに?」
    「ええ、みなさんに。ですけど多分、レンマくんもペルシェさんも、そんなのがいたことにすら、気付いてないと思います」
    「なぜそんなことを……?」
    「確実性、です。念には念を入れて、自分たちを脅かす存在を消しておきたいと仰っていました」
    「それほどの敵だと言うの?」
     いぶかしがるモエに、ネイビーは短くうなずいた。
    「用心し過ぎると言うことは無いと思います。
     ともかく彼ら9名は何の情報も持ち帰らせず、この地で死んでもらわないと困りますから」

    蒼天剣・紫色録 4

    2009.06.29.[Edit]
    晴奈の話、第319話。 もう一名の敵将。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「……うん?」 と、これまで飄々とした態度で尋問を続けていた楢崎が、急に渋い表情を浮かべ、外に目を向けた。「藤田くん。外の連中は、君の知り合いかな?」「え」 楢崎の言葉に、モエも外に目を向ける。「……! え、え!? 何で!?」 モエは立ち上がり、外へと飛び出して行く。「待ちなさ……」「待った、ジュリア君!」 止めようとしたジ...

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    晴奈の話、第320話。
    刀傷と火傷。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     どうにかソロンクリフを脱出した小鈴たちは、早足で街道を進んでいた。
    「結局ソロンクリフでは何の情報も集められなかったわね」
    「ま、仕方ないわ。3人無事なだけでもいいじゃん」
     小鈴の言葉に、ジュリアはコクとうなずく。
    「そうね。……他の2班も無事かしらね」
    「無事よ、きっと。闘技場のツワモノ揃いなんだし。ね、瞬二さん」
     小鈴は楢崎に声をかけたが、楢崎の反応が無い。何かを考えているように、ぼんやりと上を向いている。
    「……瞬二さーん?」
    「んっ?」
    「どしたの?」
    「あ、ああ。……いや、少し考えごとをね」
     楢崎は小さく咳払いし、ぽつりぽつりと話す。
    「あの、モエと言う子。昔どこかで、見たような気がするんだ」
    「へえ?」
    「どこだったかな……。あの傷が気になって、どうにも思い出せない」
    「あの傷、ひどかったわね。斬られた上に、焼串でも押し付けられたのかしら?」
     ジュリアの考察に、楢崎は首をかしげる。
    「いや、あれは多分、……いや」
    「どうしたの、ナラサキさん?」
    「いや、もしかしたら、と思ったんだけど。多分、違うかも知れない」
    「……?」
     楢崎は腕を組み、「うーん……」とうなるばかりだった。
    (あの子を、もっと幼くして、傷のことを抜くと、……確かに、見覚えがある。それは多分、紅蓮塞で、だろうな。
     でも、あの刀傷と火傷が混じった傷――あれは間違いなく我が同門、焔流剣士が付けたであろう傷だ。もし僕の記憶と推察が正しかったとしたら、あの子は同門に傷を付けられたことになる。
     それは、あんまり考えたくない――同門同士が殺し合いをしたなんて、あまりにも気分の悪い話だから)
     楢崎は篠原と戦った時のことを思い出し、首を横に振った。



     某所、殺刹峰アジトにて。
    「ドミニク先生、あの……」
     鮮やかな緑色の髪をした狼獣人の少女が、「バイオレット」「マゼンタ」「オレンジ」3隊からの報告をまとめていたモノに声をかけた。
    「うん?」
     モノは少女に背中を見せたまま応える。
    「どうした、キリア君」
    「また、剣を教えて欲しいんです」
    「……何故だ?」
     ここでようやく、モノは少女、キリアに向き直った。
    「教えるべきことは余すところ無く教えたはずだ。何か不満があるのか?」
    「はい。まだ、あの技をちゃんと教えてもらっていません」
    「……」
     モノはあごに手を当て、黙り込む。
    「先生が腕を失い、十分な指導ができなくなったことは十分、承知しています。それにわたしも兄も、『プリズム』の中でも上位に立つ腕となったことは自覚しています。
     でも、モエさんが一蹴されたと聞いて……」
    「……ふむ」
     モノは右腕を左の二の腕に置き、無くなったその先の感触を思い出すようにさする。
    「確かに『バイオレット』君の腕は確かだ。こちらへ引き入れた時から、その才能は目を見張るものがあった。
     とは言え私の指導をまだ、十分に受けたわけではない。彼女はまだ、伸びるところがある。逆に言えばまだ、十分に鍛えられていない。そこが彼女の、今回の失敗につながったのだろう。この問題は今後、私の指導を継続して受けていけば解決できるはずだ。
     そしてキリア君、君はモエ君以上に力を持った、非常に優秀な戦士だ。『プリズム』の中で、フローラやミューズに並ぶ強さを持っていることは、この私が保障する。モエ君が勝てる相手に遅れを取ると言うことはまず無い、そう断言しよう。それでは不満かね?」
    「……」
     キリアは唇をきつく噛み、無言でうなずいた。
    「……そうか」
     モノは椅子から立ち上がり、壁にかけてあった剣を手に取った。
    「私の言を聞いてなお不満を持つと言うことならば、教えねばなるまい」
    「え……」
    「それからキリア君」
     モノは鞘から剣を抜き払い、手首を利かせてひらひらと振る。次の瞬間、キリアの髪留めが剣の先に弾かれ、三つに分かれて砕け散った。
    「……!」
    「片腕になったとは言え、残ったもう一方の腕にはまだ、『阿修羅』が棲みついている。十分な指導ができない、と言うことは無い。安心したまえ」
     モノはそう言って床に落ちた鞘を蹴り上げ、器用に剣を納めた。
    「ついて来なさい。君が知りたいと言う技を教えよう」
    「……はい!」
     キリアは深々と頭を下げ、モノの後についた。

    「うっ」
     ほぼ同じ頃、殺刹峰の医務室。
    「なーに泣きそうな顔してんのよぉ」
    「……いえ、薬がしみただけです」
    「我慢しなさぁい」
     オッドが作戦から戻ってきたモエの手当てをしていた。
    「はい」
    「……しっかし、ひどい顔ねーぇ。折角いい顔してるのに、そのおでこから左頬まで達する、ふっかぁい傷跡。火傷と刀傷がない交ぜになって、ちょっとグロテスクよぉ」
    「……」
    「一体、どうしたのぉ? ……あ、あーあー」
     オッドは咳払いをし、その質問を撤回した。
    「覚えてない、のよねぇ?」
    「はい。……ここに来る前のことは、何も」
    「そーそー、そーだったわねぇ。……でもやっぱり気になるわねぇ、その傷。医者として、とーっても興味深いわぁ」
    「あの、あまり見ないでください……。私にとってこの傷は、鏡を見ることさえ嫌になるようなものなのです」
    「……あ、ゴメンねーぇ。ま、とりあえず気休め程度だけどぉ、皮膚病に効く塗り薬あげちゃうわねぇ」
    「……ありがとうございます」
     モエは静かに頭を下げる。オッドは薬を探しながら、彼女に背を向けてぺろりと舌を出した。
    (あーぶない、危ない……。『昔の』コトにあんまり深く突っ込んじゃ、『洗脳』が解けちゃうトコだったわぁ。
     より従順な兵士を作るための、記憶封鎖――えげつないわねぇ、ホント。……ま、アタシも人のコトは言えないけどねーぇ)
    「ドクター?」
     思いふけっていたせいで、いつの間にかオッドの手は止まっている。
    「あ、あーらゴメンなさいねぇ。ちょっと考えゴトしてて。……いやねぇ、その傷。刀傷と火傷を同時になーんて、アレみたいってねぇ、ちょこっと思ったのよぉ」
    「アレ、と言うのは?」
    「ほら、央南のアレよぉ。あの、えーと、火を使う剣術。何だったかしらねぇ?」
     オッドが何の気なしに言ったその言葉に、モエの頭の中のどこかで、何かが瞬いた。
    ――貴様に刀を握る資格など無い!――
     その瞬きはほんの一瞬だったが、背の高い女がモエに向かってそう叫んでいたのを、ぼんやりとだが思い出した。
    (……誰?)
     思い出そうとしたが、傷口にふたたび塗られた消毒薬があまりにもしみたので、すぐに忘れてしまった。

    蒼天剣・紫色録 終

    蒼天剣・紫色録 5

    2009.06.30.[Edit]
    晴奈の話、第320話。 刀傷と火傷。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. どうにかソロンクリフを脱出した小鈴たちは、早足で街道を進んでいた。「結局ソロンクリフでは何の情報も集められなかったわね」「ま、仕方ないわ。3人無事なだけでもいいじゃん」 小鈴の言葉に、ジュリアはコクとうなずく。「そうね。……他の2班も無事かしらね」「無事よ、きっと。闘技場のツワモノ揃いなんだし。ね、瞬二さん」 小鈴は楢崎に...

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    晴奈の話、第321話。
    天帝教神話。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     およそ500年以上昔、央北のとある村に全身真っ白な男が流れ着いた。
     その男は全知全能を有し、自らを「神」と名乗った。彼は流れ着いた村で数々の奇跡を起こし、技術や知識を広め、人々に知性と豊かな暮らしを与えた。

     まだ央北と央中の交流がまばらで、央北人にとって央南は半ばおとぎ話の国としか認識していないような時代に、彼は世界平和とそのための統一を訴え、実際に世界を平定し、中央大陸全土を治める大政治組織、通称「中央政府」を創った。
     そして拠点にしていた村が大きくなり、街となった際、その村が「東西南北に」伸びる街道の「中央」であったことから、男は街の名を「クロスセントラル」と変え、生涯をその街で過ごした。

     男の名はタイムズ。天帝教の主神となった人物である。



    「……ってワケだ」
    「ふーん」
     バートの説明を、シリンは一言で返した。
    「てめーには説明のしがいが丸っきりねーなぁ」
     バートはシリンの虎耳をグニグニとつまみながら、シリンをにらみつける。
    「何メンチ切ってんねんやー、怖いでー自分」
    「てめーの耳は何でできてんのか、裂いて中身を確かめてみたいぜ」
    「痛いってー、離してーやー」
     最初は非常に仲の悪かった二人だが、どう言うわけかクロスセントラルに到着する頃には、兄妹のように仲良くなっていた。
    (ま、口の悪さも似た者同士なんだけどなー)
     後ろで眺めていたフェリオは、のほほんとした気分で二人を見ていた。
     と、グニグニと耳をつねっていたバートはようやく手を離し、道の先を指差す。
    「まあいいや。そんなワケでな、この街がそのカミサマ、『天帝』タイムズの創った街、クロスセントラルだ」
    「ふーん。……何か、けったいな街やな」
    「まーな。落ち目とは言え、今でも大陸政治の中枢、世界を動かす街の一つだからな。うさんくささで言えば北方のジーン王国や央南の玄州、西方三国なんかととタメ張るくらいだ」
    「ふーん」
    「……お前ってホント、政治に興味ねーのな」
     呆れるバートに、シリンはプルプルと首を振る。
    「ないわー。それよりも」「メシだろ?」
     フェリオの突っ込みに、シリンは尻尾をピョコピョコさせてうなずいた。
    「うんっ」
    「……ホントにガキだなぁ、お前」
     バートは苦笑しつつ、手帳を広げた。
    「落ち合うのは明後日の予定になってる。今日ゆっくり寝るとしても、明日1日くらい遊べそうだぜ」
    「ホンマ? じゃ、一緒に買い物でも行こーなー」
     そう言ってシリンは、バートとフェリオ両方の手を取る。手を握られたバートは少し驚いた顔になり、シリンに尋ねる。
    「お? 俺もか?」
    「うん」
    「フェリオとのデート、邪魔しちゃ悪いだろ」
    「そんなコトないってー。それにジュリアに会った時、プレゼント贈っといた方がええんとちゃうん? 色々お世話になっとるしー」
    「……ああ、まあな。それはそれで、いいかもな」
     バートはポリポリと頬をかき、シリンの提案に乗った。
     と、フェリオが何かに気付き、足を止める。
    「あれ? 先輩、あの二人……」
    「ん?」
     フェリオが指し示した先に、可愛いリボンのついた帽子をかぶった狐獣人と、央南風の服を着た猫獣人がいる。
    「おーい」
    「ん? ……あ、バート!」
     振り向いた猫獣人はやはり、晴奈だった。横にいるのは当然、フォルナである。
    「まあ、無事でしたのね皆さん!」
    「おう。……エランは?」
     晴奈たちと一緒にいるはずのエランの姿がなく、バートたちは一瞬不安になる。
    「あ、いや。街に着くなり、『すみません、ちょっと……』と言ってどこかに行ってしまった。恐らく用を足しに行ったのだろう」
    「……なんだ、驚かせやがって。どこに行ってもしまらねーヤツだなぁ」
    「へへ……、すみません」
     晴奈たちの後ろから、申し訳無さそうにエランが歩いてきた。
    「どうしても我慢できなくって。っと、お久しぶりです、バートさん」
    「おう。……ん?」
     バートはエランを見て、妙な違和感を感じた。
    「……どうしました?」
    「……いや、何でもない。さ、街に入るか」

    蒼天剣・九悩録 1

    2009.07.02.[Edit]
    晴奈の話、第321話。 天帝教神話。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. およそ500年以上昔、央北のとある村に全身真っ白な男が流れ着いた。 その男は全知全能を有し、自らを「神」と名乗った。彼は流れ着いた村で数々の奇跡を起こし、技術や知識を広め、人々に知性と豊かな暮らしを与えた。 まだ央北と央中の交流がまばらで、央北人にとって央南は半ばおとぎ話の国としか認識していないような時代に、彼は世界平和...

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    晴奈の話、第322話。
    央北政治史のお勉強。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     以前にもどこかで述べられていたが、央北は「天帝と政治の世界」である。
    「神」と崇め奉られたタイムズ帝が亡くなった後、彼を信奉していた者たちが天帝教を創り上げた。それに伴って天帝教の政治権力が確立・増大され、以後300年近くに渡って「神権政治」――神とその末裔を主権とする、政治形態――が続いた。
     その名残、影響は今もクロスセントラルに根強く残っており、他の街に比べ天帝教と、それに影響された文化があちこちに見られる。

    「……かくして双月暦38年、世界は平和になったのです」
    「ぱちぱち」「ぱちぱち」
     シルビアと同じような格好をした尼僧が子供たちを集め、道端で紙芝居をしている。内容は神代の頃に行われた戦争を謳ったものらしい。
    「牧歌的と言うか、のどかと言うか……。戦時中とは思えない光景だな」
     街に入った晴奈たちは、西区の大通りを歩いていた。
    「ここは住宅地みたいだから、そんなに騒々しくもないっスね」
     フェリオの言葉に、フォルナも同意する。
    「そうですわね。それに、天帝教の影響も強いようですわ。白い服の方、何度かお見かけしていますもの」
     フォルナの言う通り、街に入ってから何度か、天帝教と思われる白い僧服の者たちとすれ違っている。それを見る限り、この街にあると言う中央政府の中枢が、大火の傀儡になっているとは到底思えない。
    「なあ、エラン」
    「はい?」
    「あの話は本当なのか? 街並みや人を見る限り、とても黒炎殿が出入りしているとは思えぬのだが」
     晴奈に尋ねられたエランは、けげんな顔をした。
    「あの話、って?」
    「ほら、ウエストポートで言っていた……」
    「え、っと? すみません、何の話をしてましたっけ?」
     エランは困った顔で聞き返してくる。見かねたフォルナが助け舟を出した。
    「中央政府がカツミの支配下にある、と言うお話でしょう?」
    「え、あ、あーあー。そうですね、そんな話、してましたね。
     ええ、事実です。端的な例ですが、中央政府の歳出項目に『特別顧問料』と言う名目でカツミへ納める金が記載されています。その額は中央政府の歳入の6%、前年度で言えば50億クラムと言う途方も無い大金なんです」
    「ふむ……」
     何度聞いても現実味のないその額に、晴奈はただうなるしかない。
    「しかも、それが319年の黒白戦争終結直後から、今年で丸200年続いているんです。200年間の税収入に多少の変動があったことを考えても、その合計は1兆、もしかしたら2兆にも及ぶとか。
     それ以外にも、2年前の北海戦でカツミが中央側に付いていたことや、中央政府がカツミ討伐を表面上行わないこと――もっとも、裏では何度か試みてるみたいですが――など、彼が中央政府と密接なつながりがあるのは明白です」
    「……なるほど。何とも、きな臭い話だ」
     晴奈はため息をつき、街の中心部――すなわち中央政府の中心、中央大陸の中心である白亜の城、ドミニオン城に視線を向けた。

     数々の風説や逸話のせいで核心が大分ぼやけてはいるが、大火が中央政府から莫大な金を得るに至った大まかな経緯は、次の通りである。
     まず、天帝家によって長く神権政治が続いていた中央政府の内部が腐敗し、金と権力で人々を苦しめるならず者国家と化していたこと。これを批判した当時の政務大臣、ファスタ卿が天帝家の怒りを買い、投獄されたのだ。
     それを助け出したのが、大火である。「何でも与える」ことを条件にファスタ卿を脱獄させ、中央政府に対する反乱軍を組織させた。その戦乱は世界中に及び、「黒白戦争」と呼ばれる、何年にも渡る長い戦いの後、ファスタ卿率いる反乱軍が勝利。
     神権政治は終わりを迎え、貴族や名家たちによる王侯政治の時代に移った。中央政府もそれら王侯貴族たちの政治同盟と言う形で残り、ファスタ卿がその筆頭、総帥になるはずだった。
     しかしここで、大火とファスタ卿との契約が発効され――。

    「……それでファスタ卿は姿を消し、カツミが中央政府の権力を奪取したんです。以後200年間、カツミは中央政府から金を搾り取り続けているんです」
    「ふむ……」
     食堂に移ってエランの話を聞いていた晴奈が腕を組んでうなる一方、エランの右隣に座っていたフォルナが、疑問を口に出す。
    「消えたファスタ卿は、一体どうなったのかしら」
    「分かりません。カツミに暗殺されたとも、モンスターに姿を変えられたとも、色々な説が流れてますが、どれが本当なのか……」
    「1兆と言う莫大なお金は、どこに消えたのかしら」
    「それも、まったく分かってないみたいです。黒鳥宮建造に使われたとか、数々の神器を製造した際の制作費とか色々言われてますが、どう考えても1兆と言う額には、全然届かないんですよね。まだその大部分が、使われてないんでしょうね」
     二人のやり取りを聞いていた晴奈が、首を傾げる。
    「そんなに溜め込んで、一体何をするつもりなのか……?」
    「さあ? 単に、貯金したいだけじゃないんですかね?」
     エランは肩をすくめ、握っていたフォークをテーブルの上に並んでいた料理に向けようとした。
    「いたっ」
     ところが、同じようにコップに手を伸ばしていたフォルナの左手とぶつかってしまい、引っかいてしまった。
    「……。何をなさいますの、エラン」
    「あ、すみません」
     エランは手を引っ込め、フォルナに頭を下げた。フォルナは左手を押さえながら一瞬チラ、とエランを見て手を引いた。
    「……構いませんわ。お先にどうぞ」
    「あ、はい」
     エランはもう一度、右手を料理に持っていった。

    蒼天剣・九悩録 2

    2009.07.03.[Edit]
    晴奈の話、第322話。 央北政治史のお勉強。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 以前にもどこかで述べられていたが、央北は「天帝と政治の世界」である。「神」と崇め奉られたタイムズ帝が亡くなった後、彼を信奉していた者たちが天帝教を創り上げた。それに伴って天帝教の政治権力が確立・増大され、以後300年近くに渡って「神権政治」――神とその末裔を主権とする、政治形態――が続いた。 その名残、影響は今もクロ...

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    晴奈の話、第323話。
    ドミニクの「九」悩。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     バート班、フォルナ班が到着した次の日に、ジュリア班も無事到着した。
    「みんな無事なようで、安心したわ」
     他2班が先に到着していたことを知り、ジュリアは1日前倒しで情報交換と作戦会議を行うことにした。
    「お元気そうで何よりですわ」
    「だな」
     ジュリアの労いに、フォルナとバートが応える。
    「休まれなくて良かったのですか?」
    「ええ、先にみんなと会っておきたかったから。……実は私たちの班、襲撃されたのよ」
    「えっ!?」
    「お前もか、ジュリア」
     フォルナの反応とバートの言葉に、ジュリアは小さくうなずいた。
    「やっぱりみんな襲われたようね。それが気になっていたから。ちなみに敵は、どんな構成だった?」
    「リーダー格が1名に、兵士が8名だった」
    「わたくしのところも同じでした。全員何かしら、強化されていたようですわ」
    「ふむ。……私のところはリーダー格が2名、恐らく兵士の数は16名と言うところね」
    「ジュリアのところだけ、2部隊が投入されてたのか?」
    「いえ、もしかしたら……」
     言いかけたジュリアは、フォルナの視線に気付いた。
    「……」
     その眼差しはまるで、これから言おうとしていたことを止めさせようとしているようだった。
    「……もしかしたら、何だ?」
    「……いえ。そうね、恐らくこの9名を総括している私のところだけ、重点的に攻めてきたのかも知れないわ。
     それで、何か情報は手に入った?」
     そう言って、ジュリアはソロンクリフで手に入れた小瓶をテーブルに置いた。
    「私たちは敵と接触した際に、この薬を手に入れたわ。何の薬かまでは分からないけれど」
    「わたくしのところは残念ながら、特に収穫なしですわ」
    「俺はかなりすごいものを手に入れたぜ」
     そう言ってバートは、得意げにノートをテーブルに置いた。
    「それは?」
     ジュリアが尋ねると、バートはニヤリと笑った。
    「殺刹峰の幹部と、出資者の情報だ」
     バートはノートを広げ、全員に見るよう促した。
    「RS作戦って聞いたことあるか?」
    「RS? いえ、存じ上げませんわ」
     フォルナは首を横に振る。ジュリアも知らないらしく、小首をかしげている。ここでシリンが、自信たっぷりに手を挙げた。
    「フェリオの名字? ほら、ロードセラーやし、RSって、ならへん、……かなー、なんて」
     あまりに的外れすぎたため全員に無視されてしまい、シリンはしょんぼりと肩を落とした。
     と、話題に挙げられたその当人が、ポンと手を挙げる。
    「聞いたことがあるような……。中央政府軍が昔、カツミを暗殺しようとしたとかしなかったとか、そんなうわさを聞いた覚えがあるっス。その時の作戦名の一つが、RSとか何とか」
    「そうだ。カラスのように真っ黒な悪魔、カツミを仕留める作戦――それがRaven Shoot、通称『RS作戦』だった」



     双月暦499年、秋。
    「ま、参った!」
     二人の男が、とある演習場で剣術の試合を行っていた。一方は、長髪を後ろで束ねた央南人。もう一人は央北人。口ヒゲと四角い顔が印象的な、筋骨隆々とした青年だった。
    「ふふふ……」
     勝負に負けたのは央南人の方だった。両手に一振りずつ持っていた刀を弾かれ、相手の剣が首に当てられており、そこからの逆転はもはや不可能だった。
    「勝負あったな、シマ」
    「参った、参った。……強すぎるぞ、ドミニク」
     ドミニクと呼ばれた口ヒゲの男は剣を納め、シマと呼んだ央南人に手を差し伸べた。
    「これで9戦9勝、私の圧勝だな」
    「……残念だ。これでおしまいとは」
     シマはドミニクの手を借り立ち上がりながら、小さくため息をついた。
    「おしまい?」
    「……実は俺、軍を抜けるつもりなんだ。故郷に戻って、剣術道場でもしようかと思う」
    「そうか。……9の呪いだな」
     ぼそっとつぶやいたドミニクに、シマは首をかしげる。
    「え? 何だ、9の呪いって」
    「私の宿命と言うか、何と言うか」
     ドミニクは地面に足で、「9」と書く。
    「私の生まれた日は9月9日。9歳の時に母が亡くなり、19歳の時に父も亡くなった。共に戦った者とは、十度相見えることが無い。そして君との対決も、9回目で幕切れだ」
    「それで9の呪い、か」
    「私は9が付くものに、呪われているのだろうな」
    「……じゃあ29歳の今年は、何かあったのか?」
     恐らくシマは、「もう年末も近い。何も起きなかったと言うことは、呪いなどなかったのだ」とでも言って、元気付けようとしたのだろう。だが、ドミニクはコクリとうなずいた。
    「……ある非公式チームに参加することになった。『黒い悪魔』を討つのだそうだ」
     それを聞いて、シマの顔がこわばった。
    「……そうか。……呪い、か」
     うつむいたシマに、ドミニクは「そうだ」とだけ返した。
     シマが落胆するのも無理はなかった。その任務は「冥府の土を集めてこい」と命令されるのと、何ら変わりないものだったからである。

    蒼天剣・九悩録 3

    2009.07.04.[Edit]
    晴奈の話、第323話。 ドミニクの「九」悩。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. バート班、フォルナ班が到着した次の日に、ジュリア班も無事到着した。「みんな無事なようで、安心したわ」 他2班が先に到着していたことを知り、ジュリアは1日前倒しで情報交換と作戦会議を行うことにした。「お元気そうで何よりですわ」「だな」 ジュリアの労いに、フォルナとバートが応える。「休まれなくて良かったのですか?」「...

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    晴奈の話、第324話。
    成り行きリーダー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     黒白戦争の直後から499年の今年までに、世界全体で大火の暗殺が試みられた回数は、中央政府軍が把握しているものだけでも50回以上に上る。
     理由は様々――名のある奸雄を倒して名声や栄光を得ようとする者、1兆もあると言われる莫大な財産を狙う者、秘術や神器を得ようとする者。
     そして――。
    「彼奴がこの白亜城に出入りする限り、官憲は、貴族たちは、そして我が軍は堕落し、思考停止を続け、今の腐敗はさらに根深くなるばかりだ!
     今こそ、あの『黒い悪魔』を排除すべし!」
    「排除!」「排除!」「排除!」
     この作戦を企画した少佐の扇動に、兵士たちが沸き立つ。その様子を一歩離れて見ていたドミニクは、他の兵士たちのように声を上げることなく、黙々と考えていた。
    (こんな集まりなど、麻薬と変わらん。あの悪魔に対する恐怖心を、無理矢理にごまかしているだけだ。
     まずするべきは、検討と思索だ。悪魔を倒すのだぞ? 自分たちの正当性だの意義だのを叫ぶ前に、考えねばならぬことはいくらでもあるはずだ。だのに隊長をはじめ、誰も彼も一切、触れようとしない。
     まさか、何も考えていないのか……?)
     ドミニクの予想通り、少佐はここで会議を切り上げようとした。
    「では各自、英気をよく養っておくように! 詳細は追って報せる! それでは、解散!」
    「待ってください、少佐殿」
     あまりに考え無しの振る舞いを見せる少佐に呆れ、ドミニクは手を挙げた。
    「何だ、ドミニク大尉」
    「作戦の概要は? さわりだけでも説明をいただけた方が、我々の意気・意欲も盛り上がると思うのですが」
    「何を言う? 悪魔を倒す、それだけでも意欲が沸くと……」「それだけではありません。この作戦に失敗すれば、我々全員の命が危ないのです。生きるか、死ぬかのどちらかしかない。
     あの悪魔は己に刃を向けた者を赦すような、温厚な性情はまったく持ち合わせていないと聞いています。負ければ確実に殺されます。逃げようとしても無駄でしょう」
     ドミニクの主張に、浮かれていた兵士たちは一転、不安げな表情を浮かべ始めた。
    「……そう、だよな」「悪魔だもんな」
     兵士たちは少佐に顔を向け、じっと見つめる。ドミニクもキッとにらみつけつつ、淡々とした口調を作って尋ねた。
    「まさか、何も考えずに立ち向かうおつもりですか? 我々の命を無謀な作戦に、無闇に放り込んで、それで安易に勝てるとお思いではありますまい?」
    「い、いやっ! 勝てるはずだ! 我々は正義のために立ち上がるのだ! 神が我々を助けぬはずが無い!」
     まだ愚かしいことを唱えようとする少佐に怒りを覚え、ドミニクは怒鳴りつけた。
    「何を馬鹿な! 今まで正義の名の下に負け、死んだ者はいくらでもいる! 正義や祈りは力ではない!
     神頼みで戦争に勝てると言うのならば何故、黒白戦争は天帝家の、すなわち天帝教の勝利で終わらなかったのだ!? 今までにカツミを狙った者が皆、一瞬たりとも神に祈らなかったと思うのか!?」
    「う、う……」
     ドミニクは怒りに任せ、少佐を突き飛ばした。
    「ぎゃっ!? な、何をする貴様っ!?」
    「お前では話にならん! お前の無謀な指揮では、例え10万の兵を以って戦ったとしても、カツミを討てるわけが無い!」
     場の雰囲気は完全に、ドミニクに呑まれていた。先程まで少佐に目を向けていた兵士たちは、今はドミニクに対し、熱い視線を送っている。
    「大尉、貴様……」
     まだ少佐が何か言おうとしたが、今度は兵士たちがそれを黙らせた。
    「うるさい!」「ひぎゃ」
     兵士たちに殴り飛ばされ、少佐は気絶した。どうやら頭でっかちの技術将校だったらしく、簡単に白目をむいてしまった。
    「大尉! 我々は皆、あなたに全権を任せます!」
    「……そうか」
     ドミニクは一瞬、逡巡した。元々この作戦には乗り気ではなかったし、何より自分の厄、「9」が付く時期である。
    (できるならこんな愚行は、やめさせたいのだが)
     しかし上官を殴り倒し、兵士たちからは今、絶対の信頼を寄せられている。
     ここで断れば上官は黙っていないだろうし、ここまで自分を信頼してくれた兵士たちを、ひどく落胆させてしまうことになる。
    (仕方なし、……か)
     ドミニクは深くうなずき、重々しく口を開いた。
    「ああ、やろう」

    蒼天剣・九悩録 4

    2009.07.05.[Edit]
    晴奈の話、第324話。 成り行きリーダー。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 黒白戦争の直後から499年の今年までに、世界全体で大火の暗殺が試みられた回数は、中央政府軍が把握しているものだけでも50回以上に上る。 理由は様々――名のある奸雄を倒して名声や栄光を得ようとする者、1兆もあると言われる莫大な財産を狙う者、秘術や神器を得ようとする者。 そして――。「彼奴がこの白亜城に出入りする限り、官憲...

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    晴奈の話、第325話。
    RS作戦の全容。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     非公式な作戦とは言え、軍は秘密裏にこの作戦をバックアップしてくれていた。
     ドミニクが上官を排除し、代わりに隊長となったことも容認し、改めて全面的支援を行うと通達してきた。それを受け、ドミニクは軍に次のような要請を送った。
     まず、標的である大火の情報。彼の経歴や関わった戦争・事件から、よく出没する場所、戦闘スタイル、嗜好、果ては彼を題材にしたおとぎ話まで、あらゆる情報を集めさせた。
     そして人員の増員。軍が誇る凄腕の魔術師を作戦部隊に追加させた。
     その上でさらに、情報を集め――。

    「すごい量ですね」
    「まあな」
     大量の文書に埋もれるドミニクを見て、部下が驚いた声を上げる。
    「これ全部、『黒い悪魔』の?」
    「そうだ」
    「あれから1ヶ月が経ったんですが」
    「ああ」
     部下は心配そうな目で、ドミニクを見つめてきた。
    「……その、行動しないのですか?」
    「まだだ。まだ万全ではない。今しばらく、訓練を続けてくれ」
     それを聞いて、部下はさらに心配そうな顔をする。
    「勝算はありそうですか?」
    「15%、いや、10%か」
     数字を聞かされ、部下はがっかりした顔をする。
    「たった、それだけなんですか?」「……だが」
     ドミニクは口ヒゲを触りながら、ニヤリと笑った。
    「もう1ヶ月の猶予を私にくれればそれを5倍、50%ほどにできる」
    「……分かりました。待ちます」
     その自信たっぷりな様子に安心したらしく、部下は敬礼し、ドミニクの部屋を出た。

     ドミニクは大火の情報を集めるうち、いくつかの有力な情報を得た。
    (318年、北方のブラックウッドで元反乱軍とカツミとの、最後の戦い。結果的には勿論、カツミの勝利。
     だが敵リーダーである『猫姫』ことサンドラ氏が戦闘中、正体不明の術を使用。これによりカツミは負傷したと、記録にはある。後の研究・検証によれば、サンドラ氏の使った術は恐らく、『雷』の術であったのではないか、……か。そうか、『雷』の術は有効なのだな。
     また、南海でのトライン導師との戦いで、カツミは一度敗れている。後に逆襲したとは言え、カツミが倒されたのは事実。……それも、『風』の術で。
     稀代の魔術師と称されるあの男が、魔術による戦いで二度も苦戦しているのか。ならば、魔術をメインに据えた布陣を敷けば、あるいは……?)
     ドミニクの頭の中に、大火を倒すシナリオが組み立てられていった。



     そして499年、12月19日深夜。
     ドミニクの部隊は、大火が央北の商業都市、サウストレードに滞在していることを突き止め、静かにその街へと向かった。
    《『弓』より『金矢1』へ、『鴉』の様子は?》
     散開し、あちこちで見張らせている部下たちとドミニクは、手信号で合図しあう。
    《『金矢1』より『弓』へ、現在『鴉』は大交渉記念ホール前の広場で停止しています》
    《了解。『弓』より『銀矢1~3』へ、包囲準備は万全か?》
     追加で部隊に編入させた魔術使いの兵士に、最終確認を行う。
    《『銀矢1』より『弓』へ、準備整いました》
    《了解。『金矢1~5』へ、強襲準備は万全か?》
     元から参加していた兵士たちからも、「準備が整った」と返事が返ってきた。
    《了解。……『矢』に告ぐ。作戦開始だ》
     ドミニクが手を挙げると同時に、大火がいる広場で炸裂音が響いた。
    (始まった……。いよいよ作戦が、始まってしまった。
     カツミは魔術攻撃に対して、相当無防備らしい。それは二度の苦戦で、明らかにされている。自身が優れた魔術師であるが故に、他人の術など評価にも値しないのだろう。
     だが、そこが何よりの隙なのだ――一瞬でも奴の魔力を上回る攻撃ができれば、奴の油断も重なって、かなりの打撃になる。そこで畳み掛けられれば、勝機は見出せる!
     そのために、軍へかなりの無理を注文した。魔力を引き上げるための装備拡充、瞬間的に術の威力を高めるブースト術の開発、3名の魔術兵の連携、さらには歩兵たちに対魔術用の重装備を――恐ろしく費用がかかった。この作戦が失敗すれば、私が軍を追い出されるのは必至だろう。
     ……ははは、それよりもカツミに殺される方が先か)
    「神に祈ってどうなる」と前任者に怒鳴りつけたドミニクだったが、今この瞬間、彼は懸命に祈りを捧げていた。
    (神よ、どうか私に明日の朝日を見させてください。
     どうかこの、『鴉狩り(レイブンシュート)』を成功させてください)

    蒼天剣・九悩録 5

    2009.07.06.[Edit]
    晴奈の話、第325話。 RS作戦の全容。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 非公式な作戦とは言え、軍は秘密裏にこの作戦をバックアップしてくれていた。 ドミニクが上官を排除し、代わりに隊長となったことも容認し、改めて全面的支援を行うと通達してきた。それを受け、ドミニクは軍に次のような要請を送った。 まず、標的である大火の情報。彼の経歴や関わった戦争・事件から、よく出没する場所、戦闘スタイル、嗜...

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    晴奈の話、第326話。
    ドミニクV.S.大火。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     大火は何故、そこにいたのか? 一体何をしていたのか? それは分からない。
     しかしドミニク隊にとって、彼がそこで突っ立っていたのは千載一遇のチャンスに他ならなかった。
    「……」
     大火は目をつぶって腕を組み、一言も発さずにその建物の前に立っていた。
     そこは200年前、中央政府と金火狐財団が央中の利権についての交渉を行った議事堂である。「大交渉記念ホール」と名付けられ、歴史に名を残す建築物として、サウストレードの観光地の一つとなっていた。
    「……クク」
     大火が目を薄く開く。それと同時に、バリバリと言う耳をつんざくような爆音が響いた。

    「『サンダースピア』!」
     魔術兵3名が、三方から雷の槍で大火を貫く。三つの槍の交差点には凄まじい電気エネルギーが集まり、周囲の空気が一瞬でカラカラに乾いた。
    「……どうだ!?」
     魔力を高める装備に強化術、そして三人がかりの高出力魔術――並の人間ならば、この時点で跡形もなく燃え上がり、蒸発している威力である。
    「ク、ク……、な、る、ほど、なるほど」
     だが、笑いを押し殺したような声が聞こえてくる。魔術兵たちは一様にゴクリとのどを鳴らし、大火の様子を探る。
     と、まるで攻撃した者たちに講義するかのように、大火の声が返って来る。
    「通常の、……15、16倍と、言うところ、か。流石に少し効いた、な。悪くない戦法だ」
     大火の黒髪はまるで古びたほうきのようにうねり、真っ黒なコートもブスブスと煙を上げている。
     だが、大火が髪を撫でつけ、コートの裾を払うと、それらは何事もなかったかのように、元通りになってしまった。
    「無傷……!?」
    「まだだ! まだ、もう一発!」
     魔術兵たちはもう一度、雷の槍をぶつけようと呪文の詠唱を始めた。それと同時に、大火がユラリと動き出す。
    「動くな、カツミいいいぃッ!」
     すぐに強襲要員の兵士5名が広場に乗り出す。
    「む……」
     大火は素早く刀を抜き、逆手に構えて左からの初弾を防ぐ。だが反対方向から別の兵士の剣が、大火の右肩を狙って振り下ろされた。
    「覚悟おおおぉぉッ!」
    「『覚悟』だと?」
     しかし剣の刃はコートの表面で止まり、大火の肉や骨を断つには至らない。
    「でやあああッ!」
     続いて槍を持った兵士の、三撃目の刃が大火の腹を狙う。そして四人目、五人目となだれ込み、大火に集中攻撃を仕掛けていく。
     しかし――どの攻撃も大火の刀か、あるいは彼が着込んでいる「漆黒のコート」に阻まれ、まったく通らなかった。
    「俺がお前らに対して、何を覚悟すると言うのだ?」
     大火は初弾を入れた兵士にすっと近寄り――皮手袋をはめてはいるが――剣の先端を手で握る。
    「う……あ……」
     兵士の顔がみるみる青ざめる。
    「むしろお前の方に、覚悟がいるだろう? この俺に刃を向けたらどうなるか、知らぬわけではあるまい」
     大火がつかんでいた剣がギチギチと奇怪な音を立て始め、先端が大火の掌と指の形に変形していく。
    「お前ら全員、生きたまま明日の朝日を見られると思うな」
     みぢっ、と言う怖気の走る音とともに、剣が握り潰された。

     RS作戦の開始から2時間が経った。
     辺りには妙に鼻を突き、舌がしびれるようなきな臭い匂いが漂い、また極度の乾燥によって、大量の霰(あられ)が降り注いでいた。
    「か……っ」
     大火の刀が、強襲要員の一人を左右真っ二つに断ち割る。残っている兵士は、既に3名となっていた。
    「も、もう一回……、もう、一回、……」
     唯一大火にダメージらしいダメージを与えた雷の槍を、魔術兵たちは必死で唱え続けていた。だが何度も己の身に余る魔力を消費してきたためか、三人とも顔色は蒼白を越えて真っ白になり、鼻や目からポタポタと血を流している。
    「もう、一、……」
     ついに一人が耐え切れず、大量の吐血と共に倒れた。
     離れて様子を伺っていたドミニクは舌打ちし、剣を抜いた。
    (魔術攻撃もこれまでか……! 強襲要員の攻撃も、まるで効いていない。
     ……私が討たなければ!)
     ドミニクは広場へと駆け出し、一気に大火の元へと駆け込んだ。
    「カツミ・タイカ! 私が相手だ!」
    「フン……、離れて傍観していれば、命くらいは見逃してやったものを。よくもまあ、死にたがりばかり集まったものだな」
     大火はそう言いながら、横にいた兵士の頭を斬り落とす。
    「……ッ! やめろ、相手は私だッ!」
     ドミニクは大火の頭を目がけ、剣を振り下ろす。大火はそれを後ろに退いて避けようとしたが――。
    「む……?」
     避けたはずの大火の左頬に、すっと赤い筋が走る。ここでようやく、大火の目に驚きの色が浮かんだ。
    「避け切れなかった、……だと? ふむ」
    「見切ってみるがいい、カツミ!」
     ドミニクはもう一度、大火を斬り付ける。大火は先程と同様後ろに退き、ドミニクの剣をかわした。
     が――大火が、左肩を押さえている。
    「……ふむ。避け切れなかったわけではなく、避けた先にもう一太刀仕掛けていた、か」
     大火はもう一歩退き、逆手に握っていたままの刀を脇に構えた。
    「驚くべきは、それを一振りの刀でやってのけた点だな。この一瞬で二太刀か」
    「これはどうだッ!?」
     ドミニクは先の二回よりもさらに早く剣を払う。一太刀、二太刀目は刀に阻まれ、避けられたが、三太刀目は大火の右袖をビッと音を立てて引き裂いた。
    「……! 流石に『雷』を食らいすぎたか。『神器』の力が弱まっているようだ」
     大火は破れた右袖を一瞬チラ、と眺め、すぐにドミニクへ視線を戻す。
    「それだけではないか。お前自身の腕も相当優れている。……なかなか楽しめそうだ」
     大火はニヤリと笑い、ドミニクに斬りかかった。



     それから何時間が、いや、何日が経ったのか――ドミニクは中央軍本部の医務室で、目を覚ました。
    「……!?」
     起き上がろうとしたが、全身に刺すような痛みと耐えがたい倦怠感がまとわりつき、指すら動かせない。
    (私は……? 一体、どうなったのか……? カツミは、殺れたのか……?)
     その問いに応える代わりに、窓の外でカラスが笑うように鳴いていた。

     半月後、ドミニクはRS作戦に参加した部下が全員死んだこと、サウストレードから軍本部までは、標的の大火自身が彼の身柄を運んだこと――即ち、RS作戦が失敗したことを知った。
     ちなみに大火が何故、ドミニクを軍まで運んだのかは不明だった。

    蒼天剣・九悩録 6

    2009.07.07.[Edit]
    晴奈の話、第326話。 ドミニクV.S.大火。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 大火は何故、そこにいたのか? 一体何をしていたのか? それは分からない。 しかしドミニク隊にとって、彼がそこで突っ立っていたのは千載一遇のチャンスに他ならなかった。「……」 大火は目をつぶって腕を組み、一言も発さずにその建物の前に立っていた。 そこは200年前、中央政府と金火狐財団が央中の利権についての交渉を行った議...

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    晴奈の話、第327話。
    二転、三転の人生。

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    7.
     部下を全員失った、満身創痍のドミニクに待っていたのは、軍の冷たい反応だった。
     軍の支援でやってきた「RS作戦」は、いつの間にかドミニクの独断専行、軍の命令を無視した勝手な行動とされていた。大火からの報復を恐れての、軍本営の工作である。
     自分にかけられていた期待は罪に変わり、それを咎められ、罰を受けることになった。刑は禁固9ヶ月、その後に強制除隊。
     また現れた「9」の呪いに、ついにドミニクの心は歪んだ。



     それからしばらく後、央北では「カツミ・タイカを称えると殺される」と言ううわさが流れるようになった。ドミニクが大火の信奉者を次々と襲撃し、殺害していたからである。

     ドミニクは強制除隊後、裏の世界へ墜ちた。軍を追い出され、札付きとなった男が活躍できる場は、そこしかなかったからである。
     いや、それ以上にドミニクの中に、大火に対する憤怒や恨みが強かったのだ。部下を殺され、さらに軍人であった自分に対してこれ以上無い辱めを与えた大火に、ドミニクは偏執的とも言っていい執着を感じていた。
     そしてその狂気は親大火派の貴族や官僚、大臣たちに向けられた。大火に取り入り、彼が握る利権や財産などを狙う者、または有事の際に守ってもらえるようにと画策している者たちをドミニクは執拗に狙い、暗殺し続けた。
     軍の方も、狙われた者たちの殺され方といくつかの情報網から、犯人はドミニクであると割り出していた。しかし、相手は大火に多少ながらも打撃を与えたほどの実力を持つ男である。警備に向かわせた兵士たちはまるで相手にならず、犠牲者が増えるばかりだった。

     そして、ドミニクが9件目の暗殺に向かった時――彼に人生の転機が訪れた。



     窓をぶち破り、ドミニクはその屋敷に侵入した。途端に辺りは騒がしくなり、屋敷中に灯りが灯される。だがドミニクは一向に意に介さず、標的の部屋へと足を進める。
    (この廊下を進み、右だったな)
     廊下の曲がり角から、先の様子を確認する。ところが予想に反し、警備兵も使用人もいない。
    (……?)
     後ろからも、人が来る様子は無い。妙な雰囲気を感じ取り、ドミニクは警戒していた。
     と――。
    「入ればーぁ?」
    「!?」
     誰もいなかったはずの背後から、妙に甘く伸ばした男の声が聞こえてきた。
    「だ、誰だ!?」
    「アタシ?」
     振り向くとそこには、白衣を着たオッドアイの猫獣人が立っていた。
    「アタシはシアン。アンタ、今世間を騒がせてる『阿修羅』よねーぇ?」
    「……お、女? それとも?」
     格好や仕草、背丈を見れば女なのだが、声と体型を考えれば男としか思えない。今まで出会ったことのないタイプの人間に出会い、ドミニクは困惑した。
    「どっちでもいいじゃなぁい。
     それよりもーぉ、アンタのコトずーっと待ってたのよぉ、アタシたち」
    「な、に?」
     シアンと名乗った猫獣人は、ドミニクの手を引いて奥の部屋へと進む。
    「旦那様――バニンガム卿がお待ちよーん」

     アドベント・バニンガム伯爵。彼は今日、ドミニクが狙っていた標的だった。だが、その本人がドミニクを待っていたと言うのだ。
    「……」
     バニンガム卿の部屋に通されたドミニクは、目の前に座る初老の短耳――バニンガム卿を奇異の目で見つめることしかできない。彼を前にしたドミニクの頭は、非常に混乱していた。
    「そんなに不思議かね?」
     バニンガム卿が口を開く。ドミニクは何も言わず、黙り込む。
    「いや、そう思うのも無理は無いだろうな。まさか暗殺しようとしていた相手から、こうして招待を受けるなど、誰も思わない」
     バニンガム卿はそう言って、紅茶に口を付ける。
    「さ、君も飲みたまえ。毒など入っていないから、安心していい」
    「……」
     ドミニクはなお、口を開かない。シアンから紅茶を渡されたが、手に持ったままだ。
    「シアン。周りに人の気配は?」
    「無いわぁ。さっき一人来たけど、追い払っておいたわぁ」
    「そうか。それなら、肚を割って話せるな。
     私の名と役職はご存知だろうから、君の知りえないことから紹介しよう。君は、私が親大火派と思っているのだろう。だからこの屋敷に侵入した。そうだね?」
    「……」
     ドミニクは短くうなずいた。その反応を見て、バニンガム卿はニヤッと笑う。
    「ところが実際は、まるで違うのだ」
    「違う?」
     ドミニクは思わず聞き返す。
    「私は実は、カツミを中央政府から排除しようと企んでいる。現在親大火派を装っているのは、擬装なのだ」
    「戯言を……」
     怒鳴りかけたドミニクの口に、シアンが指を当てる。
    「叫んじゃダ・メ。人が来ちゃうでしょーぉ?」
    「まあ、話を聞きたまえ。
     私の真意も君と同じなのだ。私も、カツミを中央政府から排除しようと画策している。そして――少し言い方は悪いかもしれないが――滅多やたらに動き回っている君よりも、もっと効果的で、もっと確実な方法で、カツミを倒そうとしている。
     そのために私は、秘密裏に人を集めている。カツミを倒すための、兵隊作りをしているのだ。その名も、秘密結社『殺刹峰』――カーテンロック山脈(峰)に集まる黒炎教団(刹)を、ひいてはカツミを倒す(殺)ための組織だ。
     そこで、だ。君に、その組織へ入ってもらいたい。どうかね?」
     突然の勧誘に、ドミニクは言葉を失った。
    「なっ……」
    「どうせ君も、カツミを倒そうとしているのだろう? 我々は、一騎当千の君が来てくれれば心強い。君も、単騎であの『黒い悪魔』に挑まずに済む。
     悪い話ではあるまい?」
     不敵に笑うバニンガム卿に気圧され、ドミニクは思わず紅茶をすすっていた。

    蒼天剣・九悩録 7

    2009.07.08.[Edit]
    晴奈の話、第327話。 二転、三転の人生。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 部下を全員失った、満身創痍のドミニクに待っていたのは、軍の冷たい反応だった。 軍の支援でやってきた「RS作戦」は、いつの間にかドミニクの独断専行、軍の命令を無視した勝手な行動とされていた。大火からの報復を恐れての、軍本営の工作である。 自分にかけられていた期待は罪に変わり、それを咎められ、罰を受けることになった。刑...

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    晴奈の話、第328話。
    魔女と本の力。

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    8.
     9件目の――バニンガム卿の暗殺が未遂に終わった辺りから、彼の「9の呪い」は引っくり返った。
     それまでずっと9が付くものに悩まされ続けていた彼は、この時から9が付くものにツキが向くようになったのだ。9件目の暗殺でバニンガム卿の組織、殺刹峰に加入することになり、あちこちの街で兵士を集めるための人身売買や誘拐を行うと、9度に1回、必ずと言っていいほど優秀な人材が手に入った。
     これまでの悩みが幸運の象徴になったことから、彼は何となく、こんな風に考えていた。

    「物事は皆、表裏一体なのだ」
    「そう……」
     殺刹峰のアジトで、ドミニクはこの組織をバニンガム卿から一任されている狐獣人の女性、通称「ウィッチ」と話をしていた。
    「これまで清廉潔白に生きてきた間、『9』は私にとって不幸の種だったのだ。ところがこうして悪の道に入った途端、『9』が付くと何もかもうまく行く。
     片方では災いとなるものも、もう片方では幸運を呼ぶものになる」
    「ふーん……」
     ウィッチはどうでもよさそうに返事したが、何かを思い出したように語り始めた。
    「それって、央南禅道の『陰陽』ね」
    「おんみょう?」
    「物事は『善』と『悪』の二つに分かれているわけではなく、『善悪』と言う一体のものなのだ、って。友人が良くそんなことを言っていたわ。
     ……その友人も、その考えにやられたようなものなのだけど」
    「ほう?」
     珍しく多弁になるウィッチに、ドミニクは興味を持った。
    「その友人とは?」
    「話さなきゃいけない?」
     途端に嫌そうな顔をしたので、ドミニクは話題を切り替えようとした。
    「あ、いや」「長耳の、央南人の女性で……」
     ところが、ウィッチは話し始めた。
    「古美術商をやっていたセッカと言う人で、とても聡明で美しい人だったわ。
     セッカもずっと独身で、長い間独り身だった。でも、ある時古い街で魔術書を見つけて……」
     そう言ってウィッチは、膝に抱えていた本を手に取った。
    「それが、その魔術書?」
    「ええ。現代語に約すと、『魔獣の本』。あらゆる生物や物質を怪物にできると言う、優れた魔術書よ。
     そうね……。見せてあげる、トーレンス」
     ウィッチはヨロヨロと立ち上がり、部屋で飼っていたカエルを手に取った。
    「***……、***……、*****……」
     何かをつぶやいているが、魔術知識の無いドミニクには何と言っているのかさっぱり分からない。
    「トーレンス、そこのティーカップを取ってちょうだい」
    「あ、うむ」
     ドミニクからティーカップを受け取ったウィッチは、もう一言何かをつぶやく。
    「***……」
     すると、ドミニクの目に信じがたい光景が飛び込んできた。
     ウィッチの右手に持っていたカエルの肌が、どんどんツルツルになっていく。その質感はまるで、ティーカップのようだった。
     そして左手に持っていたティーカップが、モコモコと変形していく。
    「あなたにあげるわ。大事に飼いなさい」
     ドミニクの手に戻されたティーカップは、真っ白なカエルになっていた。
    「な、な……!?」
    「これが『魔獣の呪』。物質に生命を与え、既存の生命を魔獣に変える。
     この術を、セッカは二つの人形に使ったの。人形は二人の赤ん坊になったわ。セッカはその子たちを、自分の子供として扱ったわ。
     でもその子たちを作った代償を――人形の代わりにするものを選ばなかったセッカは……」
    「……人形に、なってしまった、と?」
    「ええ……」
     ウィッチは陶器になったカエルを握りしめながら、席に戻った。
    「自分の子供たちのために、セッカは人形になった。
     これもまた『陰陽』。何かを選べば、何かを失うことになる。何かがプラスになれば、どこかでマイナスが生まれる。
     物事は各個独立したものではなく、すべてつながっているのよ」
    「……なるほど」
     ドミニクは深くうなずきながら、手の中のカエルを見つめていた。

    蒼天剣・九悩録 8

    2009.07.09.[Edit]
    晴奈の話、第328話。 魔女と本の力。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 9件目の――バニンガム卿の暗殺が未遂に終わった辺りから、彼の「9の呪い」は引っくり返った。 それまでずっと9が付くものに悩まされ続けていた彼は、この時から9が付くものにツキが向くようになったのだ。9件目の暗殺でバニンガム卿の組織、殺刹峰に加入することになり、あちこちの街で兵士を集めるための人身売買や誘拐を行うと、9度に1...

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    晴奈の話、第329話。
    思いもよらない話。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
     ドミニクはいつからか、自分を「モノ」と呼ばせるようになった。
     ウィッチから聞いた「陰陽」の思想が余程気に入ったらしく、己を「混然一体の者」――「モノ(単一)」としたのだ。

     モノは大陸中を駆け回り、殺刹峰のために働いた。表面上は単なる犯罪者、単なるならず者として活動し、「大火を倒す」と言う本来の目的を覆い隠した。
     殺刹峰全体としても同様に本懐をぼかし、普通の犯罪組織、普通のならず者集団として、世間の目を欺いてきた。
     そしてモノが加入してから17年が経った、双月暦519年。大火襲撃の準備は、最終段階に来ていた。優れた素質を持つ者たちに訓練を付けさせ、魔術や薬品によって強化を施した超人たちの部隊、「プリズム」は9部隊編成となった。
    「9」を味方に付けたモノにとって、この時点でのプリズムはこれ以上無い、理想的な体制となっていた。

     だが、後一つだけ足りないものがある。それは「実戦の経験」である。
     一個の「戦士」にとって、経験はどんな武器や技術よりも重要な装備なのだ。仮に最終目標である大火とプリズムが、実力では伯仲していたとしても、大火には数百年もの戦闘経験がある。
     このままぶつかればどうなるか、モノには容易に予想が付いていた。
    (最終計画の実行までに、少しでも戦闘の経験を積ませなければ。
     プリズム9名の実力は既に、私のそれをはるかに凌駕するまでに至った。だが、彼らのほとんどは私に敵わない。経験も加味した上での総合力は、私に到底及んでいない。……それは即ち、大火にも及ばないことを示唆している。
     それではまったく無意味なのだ……! もし彼らがこのまま進化、成長しなければ、この17年はすべて無駄になる!
     もっとだ……! もっと皆に経験を積ませなければならない!
     これは最終訓練なのだ――プリズム9名にとっての)



    「……とまあ、これがヴァーチャスボックスで手に入れた情報と、俺たちが今まで集めてきた情報を合わせた上での、俺の仮説だ」
     バートの長い説明を聞き終え、ジュリアは深くうなずいた。(ちなみにシリンと小鈴は話が長すぎたため、眠ってしまっている)
    「殺刹峰の本当の狙いがカツミ、……ねぇ。
    『阿修羅』が起こしたと言う暗殺事件は、私も耳にしたことがあるわね。確かに私も、バニンガム伯の暗殺失敗以後、『阿修羅』が一時期姿を消したと聞いているわ。
     でも、その仮説は飛躍しすぎじゃないかしら。今も伯爵は、親大火派なわけだし」
    「それだけじゃない。他にもいくつか、『阿修羅』とバニンガム伯のつながりを示すものはある。ま、それに関しては議題と外れるからここでは論議しねーけど、ともかくこの仮説は俺なりに確信があるんだ。
     間違いなく、殺刹峰の最終目標はタイカ・カツミの暗殺にある。そして俺たちを襲ってくるのも、単に邪魔者ってだけじゃなく、大規模な実戦訓練の一環なんだろう。もし邪魔ってだけなら、ウエストポートに到着した時点で攻撃すりゃ良かったんだからな」
    「……うーん」
     まだ納得行かないらしく、ジュリアは視線をバートから、机上の資料に落とした。
     と、ここでフォルナが手を挙げる。
    「会議も長くなりましたし、少々本題から外れてきているご様子ですし、ここで一旦、休憩をとってはいかがかしら?」
    「……そうね、休憩しましょう。下でお茶でも飲みましょうか。
     ほらコスズ、起きて」
    「んえ?」
     ジュリアはすっかり爆睡していた小鈴を揺り起こす。フォルナはジュリアの横に立ち、微笑みかけた。
    「わたくしもご一緒しようかしら。ほら、シリンも起きて」
    「あ、じゃあ僕も」
     そう言って立ち上がりかけたエランに対し、フォルナはぷいと横を向いた。
    「女同士でお話したいことがありますの。殿方はご遠慮願いたいのですけれど」
    「あ、……はい」
     エランはしょんぼりした様子で、席に座り直した。

     フォルナはジュリア、小鈴、シリン、晴奈の4人を連れて1階の食堂に入った。
    「フォルナちゃん、何かあるんでしょう?」
     ジュリアは小声でフォルナに耳打ちする。
    「ええ、お察しの通りですわ」
    「一体何だ?」
     尋ねてきた晴奈を、フォルナはじっと見つめる。
    「セイナ、わたくしの質問に答えて?」
    「え?」
    「わたくしが今かぶっている、白いモコモコの帽子。これはいつ、どこで買ったものかしら?」
     晴奈は面食らった様子を見せるが、素直に答えてくれた。
    「え……と、それは確か、ゴールドコーストでロウに初めて会おうとした時、付いてきたお主が機嫌を損ねたことがあっただろう? その時、機嫌を直そうと思って買った品だった」
    「本物ですわね」
    「は?」
     晴奈は何が何だか分からない、と言う顔をしている。続いてフォルナは、小鈴に指示を送った。
    「コスズさん、『鈴林』さんに何か声をかけてくださらない?」
    「え、いーけど? ……『鈴林』、元気?」
     小鈴が椅子に立てかけていた「鈴林」が、ひとりでにしゃらんと鳴る。
    「こちらも、本物ですわね。……シリン、この字はなんと読むのかしら?」
     フォルナは紙に「鱈」「鰤」「鱸」と言う字を書く。
    「たら、ぶり、すずき」
    「本物ですわね」
    「……シリン、こんなの読めんの? 文字読めないっつってたじゃん。しかも央南語だし。アタシにも読めないわよ」
     横で見ていた小鈴が呆れた声を上げた。
    「へっへー、食べ物系はちょー得意やねん。アケミさんにも教えてもろたし」
    「逆に、シリンくらい興味が無ければ、なかなか読めませんわね」
    「それでフォルナちゃん、私には何を質問するのかしら?」
     察しのいいジュリアに、フォルナはにっこりと笑いかけた。
    「バートさんと知り合った場所はどちら?」
    「……そんなこと、教えたことあったかしら?」
    「ございませんわ。まあ、ジュリアさんも本物だと分かっておりましたけれど」
     そこでようやく、他の三人もフォルナの質問の意図が分かった。
    「偽者がいる、と?」
    「ええ。少なくとも今、上に1名偽者が紛れ込んでいらっしゃいますわ」
     フォルナの言葉に、晴奈たちは目を丸くした。

    蒼天剣・九悩録 終

    蒼天剣・九悩録 9

    2009.07.10.[Edit]
    晴奈の話、第329話。 思いもよらない話。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9. ドミニクはいつからか、自分を「モノ」と呼ばせるようになった。 ウィッチから聞いた「陰陽」の思想が余程気に入ったらしく、己を「混然一体の者」――「モノ(単一)」としたのだ。 モノは大陸中を駆け回り、殺刹峰のために働いた。表面上は単なる犯罪者、単なるならず者として活動し、「大火を倒す」と言う本来の目的を覆い隠した。 殺刹...

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    晴奈の話、第330話。
    偽者は誰でしょう?

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    1.
    「偽者がいる、と?」
    「ええ。少なくとも今、上に1名偽者が紛れ込んでいらっしゃいますわ」
     フォルナの言葉に、晴奈たちは目を丸くした。
    「だ、誰だ?」
    「それを言う前に、……皆さん。フェリオさんとナラサキさん、バートさんが本物かどうか、確認していただきたいのですけれど」
    「エランは? 聞かへんの?」
     まだ事態が呑みこめていないシリンに、フォルナはにっこりと笑って首を振る。
    「わたくしが既に確認していますわ」
    「そっかー。……んじゃ、えーと、どないして聞いたらええんかな?」
    「そうですわね、二人の間でしか知りえないことを質問してくだされば」
    「あいあい」
     シリンはコクコクとうなずき、立ち上がろうとする。
    「待って、シリン」
    「ん?」
    「今聞いてはいけませんわ。偽者がいる、と言ったでしょう?」
    「うん」
    「偽者にそんな質問をしていることを知られたら、警戒させてしまいますわ。
     変に警戒され、行動でも起こされてしまえば、一緒にいらっしゃるフェリオさんにもご迷惑がかかってしまいますわ」
     フォルナに優しく説明され、シリンは素直にうなずいた。
    「あー、そーやんなー。そんならやー、後で二人っきりになった時とかの方がええんかな」
    「ええ、その時に」
     ジュリアは時計を見て、席を立ち上がる。
    「そろそろ休憩も終わりね。……気を付けて会議に臨むとしましょう」
    「ええ」
     会議の場に戻ると、横になっていたバートがゆっくりと身を起こした。
    「お……、戻ってきた」
    「ええ。さあ、会議の続きよ。
     敵の狙いらしきものは見えてきた。でも私たちはまだ、肝心なものを見つけていない」
    「敵の本拠地、だね?」
     楢崎の答えに、ジュリアはコクリとうなずく。
    「ええ、その通りよ。まだ私たちは、敵がどこから来ているのかも、どこで待ち構えているのかも分かっていない。これでは到底、敵を倒すのは不可能だわ。
     最優先事項は『敵の本拠地を探すこと』、この一点よ」
     その後も細々とした意見調整を行い、今回の会議は終わった。



     その夜、女性陣はもう一度食堂に集まった。
    「確認できたわ。バートは本物よ」
    「あたしと晴奈も確認してきたわ。瞬二さんも確かに本物だった」
    「フェリオも本物やったでー」
     それぞれの返答を聞き、フォルナを除く全員がけげんな顔をした。
    「……え?」
    「全員、本物?」
    「どう言うことかしら、フォルナさん?」
     口々に尋ねてくる四人に、フォルナはにっこりと笑って場を静めさせた。
    「落ち着いて、皆さん。……わたくしも、三人は本物だと思っておりましたもの」
    「……?」
     四人が静かになったところで、フォルナは説明を始めた。
    「まず、ジュリアさんの報告を聞いた時、皆さんもこう考えたことでしょう――『なぜジュリア班にだけ、敵が2部隊も現れたのか?』と」
    「ああ、それは確かに」
    「実のところ、わたくしたちとバート班にも、もう1部隊来ていたのでしょう」
    「え……?」
     フォルナは紙に、「フォルナ」「バート」「ジュリア」と名前を書き、丸で囲んだ。
    「わたくしが敵の司令官ならば、こう考えますわ。『相手は公安と、闘技場の闘士たちだ。半端な対処では、返り討ちもありうる』と」
     丸で囲んだ名前に、それぞれ長い矢印と短い矢印を書き込む。
    「ですから、始めから全ての班に2部隊ずつ送っていたのではないでしょうか? もし1部隊が打撃を受け、窮地に陥っても、もう1部隊が何らかのフォローをする。これならば、1部隊ずつ送るよりももっと、確実性が増しますわ」
    「そりゃま、確かにそーよね。でも他の班はいないって……」
     小鈴の指摘に、フォルナは短い矢印を消し、長い矢印と向かい合うように矢印を書き直した。
    「一方は本隊、もう一方は支援部隊と考えれば、説明が付けられますわ。
     ジュリア班の場合は本隊が窮地に陥ったので、やむなく支援部隊が姿を見せた。そしてバート班は、本隊からバートさんを逃がす形で、支援部隊が配置されていたのでは無いでしょうか?」
    「どう言うことかしら?」
     ジュリアの問いに、フォルナはノートの絵を描きながら答える。
    「あの情報――バートさんが老人から得たと言うノートが、敵に用意されたものだとは考えられませんかしら?」
    「……確かに、できすぎた話だとは思ったわね。敵から逃げるうちに転がり込んだ家で、敵の情報が手に入るなんて」
    「でしょう? その老人が、支援なのではないかと」
    「じゃあ、あの情報は偽物ってコト?」
     小鈴の考えを、ジュリアが否定する。
    「それは……、考えられなくは無い。でも、ノートの内容と過去に起こった事件の詳細を比較して考えれば、非常に信憑性があると思うわ。まるっきり偽物とは、言い切れないわね」
    「わたくしも本物だと思っておりますわ。……でなければ」
     次に出たフォルナの言葉に、ジュリアの背筋に冷たいものが走った。
    「罠に誘い込めませんでしょう? 『エサ』が本物だからこそ、魚が釣れると言うものですわ」

    蒼天剣・藍色録 1

    2009.07.12.[Edit]
    晴奈の話、第330話。 偽者は誰でしょう?- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「偽者がいる、と?」「ええ。少なくとも今、上に1名偽者が紛れ込んでいらっしゃいますわ」 フォルナの言葉に、晴奈たちは目を丸くした。「だ、誰だ?」「それを言う前に、……皆さん。フェリオさんとナラサキさん、バートさんが本物かどうか、確認していただきたいのですけれど」「エランは? 聞かへんの?」 まだ事態が呑みこめていないシ...

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    晴奈の話、第331話。
    解答。

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    2.
    「こんなお話がありますわ。
     子猫の歩く先に、小さなパンがあります。子猫はそれを、喜んで食べてしまいます。
     そして少し歩くと、またパンが。さらに歩くと、またパン。
     そうしてパンをずっと食べ歩くうち、子猫は今にも崩れそうな橋の真ん中に誘い込まれ、立ち往生してしまう、……と」
     フォルナの話を聞いたジュリアはのどの渇きを感じ、水を一気に飲み干す。
    (20にも満たないこんな女の子が、よくこんな怖いことを考えるわね……)
    「わたくしたちは恐らく、このお話の子猫の状態にありますわ。でなければバートさんの仰っていた通り、ウエストポートで襲撃を受けていたはず。なのにそれが無く、散発的な攻撃しかしてこない。……誘ってらっしゃるのでしょうね」
    「敵が、わざと自分たちのところへと? 何のために?」
    「確実に仕留めるためですわ――自分たちの目の前で、逃がすことなく、打ち損じることもなく、確実に死んでもらうために」
    「どうしてそこまですると思うの? 考えすぎじゃない?」
     フォルナも水を飲み、ジュリアの目をじっと見つめる。
    「殺刹峰で兵の指導、司令に当たっているのはドミニク元大尉と言う方でしょう? その方は確実にカツミを仕留めるため、一ヶ月以上に渡って策を練り、作戦中もご自分で戦っていたと聞きました。
     そこまでなさるような方が、自分の目の届かないような場所で、他人に任せきりになさるでしょうか?」
    「むう……」
     フォルナの言うことももっともである。四人はうなるしかなかった。
     と、ここでシリンが手を挙げる。
    「なー、フォルナ。結局偽者って、誰なん?
     フェリオも、バートも、ナラサキさんも、エランも、ウチらも本物ってコトやったら、もう残ってるのフォルナしかおらへんやん」
    「わたくしは本物ですわ。今までの話は、最後までだまし通さなければならないのが前提ですもの。なのにそれをばらしてしまうと言うのは、矛盾してしまうでしょう?」
    「疑心暗鬼にさせて内側から瓦解させる、ってのも手だと思うけどね」
     小鈴の指摘を受けたフォルナは、ふるふると首を振る。
    「それなら、ノートは偽物でも構わないと言うことになりますわ。書かれていた内容は本物でしたのでしょう?」
    「……ま、確かに」
    「じゃあ、一体誰が偽者なの?」
     異口同音に尋ねられ、フォルナはようやく真相を明かした。
    「……わたくしがはっきり『本物』と言っていない人物が、一名いらっしゃいますわ。
     それに、ジュリアさんとバートさんのところにも支援が来ているのに、わたくしのところに来ないと言うのは理屈に合いませんわ」
    「その偽者がつまり、支援なわけだな」
     そう言った晴奈は、首をかしげた。
    「……ん? ……まさか」
    「ええ、その通りですわ」



     次の日情報収集に出かけた三班は、ある一名をわざと人通りの多い通りで引き離した。
    「あ、あれ?」
     彼はきょろきょろと辺りを見回す。
    「セイナさーん? フォルナさーん? ど、どこ行っちゃったんですか?」
     それを隠れて見ていた晴奈とフォルナは、他の班にそっと指示を送る。ジュリア班、バート班はそれに応え、静かに彼を監視し続ける。
    「……」
     晴奈たちの姿を探す振りをしていた彼は、突然無表情になる。そして、突然走り出した。
    《追うわよ!》
     ジュリアの指示に全員が従い、彼に気付かれないよう追いかけた。
     彼は街外れまで走り、そこで立ち止まる。
    「いらっしゃいますか、『インディゴ』様」
    「はい、ここですけど」
     彼のその声は、どう聞いても「彼」の声ではない。
    「今日の報告です。奴ら、ヴァーチャスボックスで手に入れた情報を元に、捜査を始めたようです」
    「なるほど。他には?」
    「え? いえ、特には」
    「あると思いますけど。……後ろ」
    「……!」
     彼が振り向いた先には、晴奈たち8人が立っていた。
    「あなたは一体、誰ですの?」
     彼――エランの顔と格好をしたその人物は、その顔をこわばらせた。

    蒼天剣・藍色録 2

    2009.07.13.[Edit]
    晴奈の話、第331話。 解答。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「こんなお話がありますわ。 子猫の歩く先に、小さなパンがあります。子猫はそれを、喜んで食べてしまいます。 そして少し歩くと、またパンが。さらに歩くと、またパン。 そうしてパンをずっと食べ歩くうち、子猫は今にも崩れそうな橋の真ん中に誘い込まれ、立ち往生してしまう、……と」 フォルナの話を聞いたジュリアはのどの渇きを感じ、水を一気に飲...

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    晴奈の話、第332話。
    お調子者のカメレオン。

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    3.
    「エラン」と青い髪の猫獣人は、晴奈たちを前にして硬直している。
    「……何でばれたんだ?」
    「わたくしが良く見知っているエランは、左利きですわ」
     フォルナは左手を挙げ、説明する。
    「一昨日、一緒に食事をした時。わたくしの左に座っていたあなたと、手がぶつかりました。左利きのエランなら、手が当たるはずがありませんもの」
    「……そこか、くそっ」
    「エラン」は舌打ちし、帽子を地面に叩きつける。その素行の悪さは、どう考えてもエラン本人ではない。
    「もう一度聞かせていただきますわ。あなたは、誰?」
    「……そこの猫侍さんなら知ってるさ。昔、戦ったことがあるからな」
    「エラン」は地面に叩きつけた帽子を拾い直す。
    「何?」
     だが、晴奈にはその男の正体が分からない。
    「私と、戦ったと?」
    「そうだよ、忘れたのか? ……ああ、こんなハナタレ坊ちゃんの顔じゃあ、分かんねーよな」
     そう言って「エラン」は顔で帽子を隠した。
    「……ほらよ、これで思い出しただろ?」
     帽子をどけた顔は、央南人じみたエルフの顔だった。それを見た晴奈の脳裏に、古い記憶が蘇ってきた。
    「……見覚えがある。そうだ、確か篠原一派と戦った時に見た覚えがある。名前は、……柳、だったか」
    「ヒュー、覚えててくれたか。嬉しいねぇ。……でも、それも偽名だ」
    「エラン」はまた、顔を隠す。今度は篠原の顔になった。
    「なっ……」
    「俺は何者でも無い。誰でも無い」
     また顔を変える。今度は天原の顔になった。
    「……誰にでも化けられる。擬装(カモフラージュ)できる」
     天原の顔でニヤリと笑い、また顔を隠す。
    「人は俺を、『カモフ』と呼ぶ」
     今度は晴奈の顔になった。それを見た晴奈は憤り、声を荒げる。
    「ふざけるなッ! 私の顔でしゃべるな!」
    「ククク……。『ふざけるなッ! 私の顔でしゃべるな!』」
    「なに……!?」
     カモフが叫んだのは、つい先程晴奈が怒鳴ったのとまったく同じ言葉と声だった。
    「どうだ、驚いたろ? 俺は一度見た奴なら、誰にでも化けられるんだ」
     カモフは依然、晴奈の姿でニタニタと笑う。その仕草に、晴奈の怒りは頂点に達した。
    「ふざけるなと……、言っただろうがッ!」
     一足飛びに間合いを詰め、カモフに斬りかかろうとする。
     が、それまで傍観していた青い「猫」が、晴奈の前に立ちはだかった。
    「ここで動けば、ろくなことにならないと思いますけど」
    「何だと?」
     青猫は涼しげな青い瞳を晴奈に向け、静かになだめる。
    「エランさんは、まだ生きてらっしゃいます。けど、ここで下手なことをすれば、死んでしまうかも知れません。それでもいいと仰るなら、僕は退きますけど」
    「……くっ」
     晴奈は怒りを抑え、元の位置に戻る。その間も、カモフは晴奈の姿でくねくねと動き、挑発している。
    「『あたし、セイナ、とっても、かっこよくって、かわいい、サムライちゃん、みたいな』」
    「貴様ああ……ッ」
     晴奈は顔を真っ赤にして怒っている。流石に見かねたらしく、青猫がカモフを諭した。
    「カモフ、話が進みません。それ以上ふざけていたら、僕が怒ります。それでもいいなら、存分にセイナさんを挑発してもいいですけど」
    「……すんません」
     青猫が一言たしなめただけで、カモフはすぐに黙った(依然、晴奈の姿であるが)。
    「困りましたね、それにしても。まさかこんなに早く、カモフの正体がばれてしまうなんて思いませんでした。
     まさかこのまま、僕たちの計画に付き合ってもらうなんてできないでしょうし、かと言ってこのまま帰還すれば、ドミニク先生から怒られるでしょうし」
     青猫の独り言を聞き、バートが反応する。
    「ドミニク……! やっぱりいるんだな、ドミニク元大尉が」
    「……おっとと」
     青猫は困った顔で、口を隠した。
    「いけないいけない。ついしゃべりすぎました。……どうしましょうかね、本当に」
    「提案がありますわ」
     フォルナが一歩前に出て、青猫と対峙する。
    「何でしょうか?」
    「わたくしたちと手を組めば、解決しますわ」
    「え……?」
     フォルナは目を丸くする青猫に構わず、とうとうと語る。
    「わたくしたちはこのまま、あなた方の計画に乗せられた振りを続けます。それなら、ドミニク元大尉のお怒りを受けずに済むでしょう? その代わりに、エランの無事と情報提供をお願いしたいのですけれど」
    「……あの、確かお名前、ファイアテイルさんでしたよね。
     ファイアテイルさん、勘違いされては困ります。別に、あなた方の提案を呑まなければいけない、と言うことは無いんですけど」
     青猫は困った顔で、フォルナとの距離を詰め始めた。
    「だってやろうと思えば、あなた方をここで、3、4人殺すことも可能なんですから。下位の人間と交渉なんて、する意味がありませんよ」
     青猫はそっと、フォルナの顔に手を伸ばしてきた。

    蒼天剣・藍色録 3

    2009.07.14.[Edit]
    晴奈の話、第332話。 お調子者のカメレオン。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「エラン」と青い髪の猫獣人は、晴奈たちを前にして硬直している。「……何でばれたんだ?」「わたくしが良く見知っているエランは、左利きですわ」 フォルナは左手を挙げ、説明する。「一昨日、一緒に食事をした時。わたくしの左に座っていたあなたと、手がぶつかりました。左利きのエランなら、手が当たるはずがありませんもの」「……そこ...

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    晴奈の話、第333話。
    毒男。

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    4.
     パン、パンと銃声が響く。
    「……痛いですよ」
     青猫はフォルナに伸ばしていた手を引っ込める。その甲には銃弾が突き刺さっていた。
     フェリオがいつの間にか、銃を構えている。
    「それ以上動くな、『猫』」
    「あなたも『猫』じゃないですか。……そう言えば、自己紹介がまだでしたね。
     僕の名前はネイビー・『インディゴ』・チョウと言います。殺刹峰特殊部隊『プリズム』の中では、ナンバー3に入る実力を持っています」
    「チョウ? ドクター・オッドと何か関係が?」
     尋ねてきたバートに、ネイビーは短くうなずいた。
    「ええ、実父……、って言えばいいのかな。それとも実母……? あの人、ややこしい性別ですからねぇ。
     ……いや、僕自身もややこしい人間ですし、どう言ったらいいのかな」
    「何をゴチャゴチャ言ってやがる。つまり、ドクターの息子なんだな」
    「あ、はい。そうですね、そう言った方が分かりやすかったですね、すみません」
     ネイビーは殺気立つ公安組に対し、はにかんでみせる。それがバートとフェリオの癇に障ったらしく、二人は晴奈と同様に憤る。
    「ふっざけんじゃ……」「ねえぞコラあぁ!」
     バートとフェリオは同時に銃を乱射するが――。
    「当たるわけないじゃないですか。言ったでしょう、ナンバー3だって」
     いつの間にか、二人のすぐ目の前にネイビーが立っていた。
    「いっ……」
     フェリオは慌てながらも、銃を構え直す。
    「それ以上撃っても無駄ですよ」
     ネイビーはフェリオの左手首を、そっと握った。
    「何すんだ! 離せ!」
    「分かりました」
     ネイビーは何故か素直に、握っていた手を離した。
    「くそっ……! 余裕見せやがって」
    「そりゃ、見せますよ。もうあなた、おしまいなんですから」
    「え……?」
     次の瞬間、フェリオは声にならない叫び声を上げる。
    「……~ッ!?」
     自分の左手が、ぼとっと落ちたからだ。
    「なっ、な……、なに、をっ……」
    「見ての通りです。腐って落ちたんです、僕の毒で」
     にっこりと笑ったネイビーに、フェリオはガチガチと歯を鳴らし、体を震わせていた。

     フェリオの手首が落ちたのを見て、その場にいた全員がぞっとする。ネイビーは依然ニコニコと笑いながら、自分の能力について説明し始めた。
    「実を言えば、厳密には僕、人間じゃないんですよ。ドクター・オッドの血と人形から生み出された、半人半人形の存在なんです。
     それでですね、半分人形ですから、体をある程度自由にいじれるんです。自分の両手に、強い腐敗性を持つ毒をしみこませ、それを使って戦う。それが僕の戦闘スタイルなんですよ」
    「あ……、あっ……」
     自分に起こった事態が呑み込めないらしく、フェリオはうずくまって自分の腐り落ちた手を呆然と眺めている。
    「だからですね……」
     ネイビーはそっと、フェリオの顔に手を伸ばす。
    「こうやって手を触れるだけで、誰でも一瞬で殺せるんです。
     あなたたちは武器や魔術を使わなきゃ人を殺せませんが、僕は素手で十分なんですよ。それがあなたたちと、僕との絶対的な差なんです」
    「やめろーッ!」
     シリンが駆け出し、あと少しでフェリオに触れるところだったネイビーに、ドロップキックを喰らわせた。
    「わっ」
     ネイビーは吹っ飛ばされ、ゴロゴロと転げ回る。
    「フェリオ、大丈夫か!? 気ぃ、しっかり持ちや! な!」
    「お、オレ、オレの、手、手が」
     フェリオの目は焦点が定まっていない。自分の手を失った異常な事態に、錯乱しかかっているらしい。
    「しっかりせえって!」
     シリンがバチ、と音を立ててフェリオの頬を叩く。
    「あ、あ……」
    「こんなん治る! 治るて! ほら、立ってって!」
    「治るわけないじゃないですか」
     転げ回っていたネイビーはフラフラと立ち上がり、いまだのんきな口調でしゃべっている。
    「腐ってるんですよ? くっつくわけが無い」
    「治る!」
    「あなた、本当に頭悪いんですね。くっつきようがないって、分かりそうなものですけど」
    「うるさい! 治る言うたら治るんや!」
     シリンは怒鳴りながら、ネイビーに襲いかかった。
    「……馬鹿すぎて呆れようがありませんけど」
     ネイビーは拳法の構えを取り、シリンの蹴りを受け流そうとする。
    「この手に触ったら、そこから腐り落ちます。僕がその脚を手で受けたら、どうなるか分かるでしょう?」
    「うるさいわボケぇぇぇッ!」
     シリンは飛び上がり、ソバット(空中回転蹴り)を繰り出した。ネイビーはため息をつきつつ、その脚をつかもうとした。
     ところが向かってきた右脚はそのまま前を通り過ぎ、軸足になっていた左脚が飛んでくる。
    「あっ」「だらっしゃあああッ!」
     ネイビーの両手をすり抜けて、シリンの太く大きな足が、ネイビーの顔面にめり込んだ。
    「う、が、か……ッ!」
     ネイビーはのけぞり、縦回転しながら、4回転ほどグルグルと回って地面に突き刺さった。
    「手がなんやっちゅうねんや、このゲス!」
    「あ、は……はは、油断、しました。……あれだ、け激昂し、てフェイ、ントをか、けるとは、恐れい、りました、よ」
     地面に突っ伏したまま、ネイビーがボソボソとしゃべっている。
    「帰れ! 消えろ!」
     シリンはフェリオのところに戻りつつ、ネイビーに向かって罵声を浴びせた。
    「……そうしま、す。ちょっ、と顔が、見せら、れないことに、なってしま、いましたから」
     ネイビーはヨロヨロと立ち上がる。確かにその顔は、筆舌に尽くしがたい「壊れ方」をしている。どうやら半分人形と言うのは、本当らしかった。
    「ああ……。あごが、半分なくなっ、ちゃって話しに、くい。それ、じゃ、失礼し、ます」
     ネイビーは顔を布で隠し、そのまま立ち去っていった。
    「え、ちょ、ちょっと『インディゴ』様!? 待ってくださいって! 俺、どうすれば!?
     ……あっ」
     いまだ晴奈に擬装していたカモフは、目の前にいる本物に気付いた。
    「さて、カモフとやら」
    「……はい」
    「まずは、私の顔と声で話すのをやめろ。話はそれからだ」

    蒼天剣・藍色録 4

    2009.07.15.[Edit]
    晴奈の話、第333話。 毒男。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. パン、パンと銃声が響く。「……痛いですよ」 青猫はフォルナに伸ばしていた手を引っ込める。その甲には銃弾が突き刺さっていた。 フェリオがいつの間にか、銃を構えている。「それ以上動くな、『猫』」「あなたも『猫』じゃないですか。……そう言えば、自己紹介がまだでしたね。 僕の名前はネイビー・『インディゴ』・チョウと言います。殺刹峰特殊部隊...

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    晴奈の話、第334話。
    ドS&ドS。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ネイビーとの戦いが終わってから、1時間後。
     フェリオとシリンは、まだ街外れにいた。いまだフェリオに、平静さが戻ってくる様子は無い。自分の体から離された左手を、呆然とした顔で見つめたままだ。
    「手……、手が……」
    「フェリオ……」
     シリンは泣きそうになり、フェリオの肩に手を置いた。
     と――。
    「はいはいはーい、賢者登場だね」
     先程のネイビーに勝るとも劣らない、のんきな声がかけられる。
    「誰や!?」
    「晴奈の知り合い。ほれ、手ぇ見せろってね」
     突然現れたモールは、ひょいとフェリオの左手を取った。
    「うわぁ……、グロいね」
    「何してんねんや、自分」
     シリンはモールの剣呑な振る舞いに怒りを覚え、つかみかかろうとした。
    「どけってね、デカ女」
     が、モールは杖をひょいとシリンに向ける。するとシリンはまるで鞠のように、斜め上へと飛んでいった。
    「うひゃああ!?」
    「治療してやるね。……『リザレクション』!」
     モールは腐り落ちた手とフェリオの手首とを持ち、呪文を唱える。すると腐りきっていた手に、いかにも健康そうな、桃色の肉が盛り上がり始めた。
    「あ……、あ……!?」
     その様子を見ていたフェリオの目にも、ようやく正気の色が戻ってくる。
    「手がまだ残ってて良かったね。じゃなきゃ、流石の私でも治せなかったね。あのデカ女が守ってくれてなきゃ、危ないところだった。感謝しときなよ」
     そう言ってモールは手を離す。完全に腐っていたフェリオの左手は、元通りに治っていた。
    「あ、……ありがとうっス、えっと」
    「私? 私の名はモール・リッチ、旅の賢者サマだね。……んで、それよりもだ。
     晴奈たち、ドコに行ったね?」

    「モール殿!」
     シリンたちと共に宿に向かったモールは、晴奈に歓迎された。
    「ちょうどいいところに! 私の仲間が、手首を落とされて……」
    「あー、コイツのコト? とっくに治しといたね」
    「あっ、……おお!」
     晴奈はフェリオの左手を取り、軽く握る。
    「いてて、痛いっス」
    「良かった、本当に……! かたじけない、モール殿!」
     頭を下げる晴奈に、モールは嬉しそうにはにかみながら手を振った。
    「いいっていいって、んなコト。いやぁ、ちょっとばかり手間取っちゃってね、こっちに来るのが遅れちゃってねぇ」
    「もしや、襲われたのですか?」
     晴奈にそう問われ、モールは肩をすくめて返す。
    「当たり。みょーな女でね、突然目の前に現れては魔術をバカスカ撃ってくる、かなりヤバ気なヤツだったね。……何とか撒いたけどさ」
     そう言ってモールは、「よっこいしょー」とため息をつきながら椅子に腰掛ける。
    「(所作は本当に老人だなぁ、この人は)モール殿でも倒せないような敵がいるとは」
     晴奈にそう言われ、モールは口をとがらせる。
    「だってね、いきなりポンって現れるんだよ!? あっちに出たかと思ったらこっち、こっちかと思ったらあっちって、んなもん相手しきれるワケないよね!?」
    「あ、し、失敬」
     余程執拗に狙われていたらしく、いつもに増してモールは、剣呑な態度を取ってくる。
    「んでさ、何があったのか教えてよ、晴奈」
    「あ、はい」
     晴奈は敵、カモフが仲間の一人に化けていたこと、カモフがネイビーと連絡を取ろうとしていたこと、そしてネイビーと戦って撃退し、残ったカモフを捕まえたことを説明した。
    「なるほどねー」
    「その敵が、あれです」
     晴奈は部屋の片隅を指差し、椅子に座るカモフを示した。
     目隠しと猿ぐつわをされ、縄で何重にも縛られているため、変身能力以外は普通の兵士と何ら変わりないカモフはまったく動けないでいる。
    「うぐー、うー」
    「コイツがその、カモフ?」
    「はい」
    「どんな顔してるね?」
     そう言ってモールは目隠しと猿ぐつわを外す。
    「……ふーん」
     見た途端、モールは非常に不機嫌になった。
     カモフはモールを見た途端、自分の顔をモールのものに変えたからである。
    「こーゆーふざけたヤツってさー、徹底的にいぢめ倒したくならないね?」
    「なるっ」
     モールの問いかけに、小鈴が即答する。その返事を聞き、モールはニヤッと笑った。
    「小鈴、キミは分かる子だねー」
    「モールさんもねっ」
     小鈴とモールはガッチリと握手を交わし、同時にカモフの方をにらんだ。
    「いいね? ……で、……して、……ね」
    「りょーかいっ。……で、……なって、……なるのね」
    「お、おい? 何する気だ?」
     まだモールの顔のままのカモフは、二人の異様な気配に震え出した。
    「よし、それじゃいっせーのせで」
    「いっせーの」「せ」「『シール』!」
     モールと小鈴は同時に呪文を唱える。
     するとカモフの顔がみるみる変形し、非常にのっぺりとした、特徴の無い男になった。
    「みっ……、見るなっ!」
    「へーぇ、見られたくないんだー、じゃーガン見しちゃうー」
    「見ろってコトだよねー、誘ってるよねー、変態さんだねー」
    「やめろおおおお!」
     カモフは顔を変えようとしているようだが、どうやっても術が発動できないらしく、顔は一向に平面のままで、何の変化も起こらない。
    「な、何で術が……!?」
    「『シール』は世間一般の術とは、ひと味違うからねー」
    「あたしたちが解除しようとしない限り、絶対術は使えないのよー」
    「そんな、バカな……っ! くそ、くそーッ!」
    「頑張ってる頑張ってる、絶対できないって言ってんのにー」
    「わー必死だ必死、ちょー焦ってるねー」
     はやし立てるモールたちに、能面のようになったカモフの顔が真っ青になっていく。
    「やめろ、やめてくれぇぇ! 俺の顔を見るなああぁ!」
    「きゃー叫んでるやだーきっもーい」
    「そんなに煽っちゃうと私ら本気出しちゃうよねー?」
    「ひいいいいいいっ……」
     その後小一時間、モールと小鈴のカモフいじりは続いた。

    蒼天剣・藍色録 5

    2009.07.16.[Edit]
    晴奈の話、第334話。 ドS&ドS。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. ネイビーとの戦いが終わってから、1時間後。 フェリオとシリンは、まだ街外れにいた。いまだフェリオに、平静さが戻ってくる様子は無い。自分の体から離された左手を、呆然とした顔で見つめたままだ。「手……、手が……」「フェリオ……」 シリンは泣きそうになり、フェリオの肩に手を置いた。 と――。「はいはいはーい、賢者登場だね」 先程のネイ...

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    晴奈の話、第335話。
    急展開。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     モールと小鈴による「拷問」で抜け殻のようになったカモフから、晴奈たちはいくつかの情報を手に入れた。

     まず、プリズムの構成員について。
     プリズムは現在9名おり、どれも一騎当千の実力を持っていると言う。
    「飛ぶ剣術」を使うスカーフェイスの剣士、モエ・フジタ(藤田萌景)――バイオレット。
     風の魔術師で、晴奈に対して偏執的な恋愛感情を持つ、レンマ・アメミヤ(雨宮蓮馬)――マゼンタ。
     土の魔術師で、非常におっとりした天然っ子、ペルシェ・リモード――オレンジ。
     雷の魔術師で、プリズムの中では最も年の若い少年、ジュン・サジクサ(匙草純)――イエロー。
     兄妹の長物使い、ヘックス・シグマとキリア・シグマ――カーキとミント。
    「毒手」使い、ネイビー・チョウ――インディゴ。
     モールを襲ったと思われる変幻自在の暗殺者、ミューズ・アドラー――ブラック。
     そして彼らの頂点に立つ凄腕の女剣士、フローラ・ウエスト――ホワイト。
     特に上位三人、ネイビー、ミューズ、フローラの強さは別格で、ついさっきシリンに蹴倒されるまで、カモフは負ける姿を見たことが無かったそうだ。

     次に、いつ、どうやって、何故エランと入れ替わったのか。そして現在、エランはどうなっているのか。
     何にでも化けられる術、「メタモルフォーゼ」を使えるのは、殺刹峰では現在、カモフ一人だけである。だから対象者が一人きりの時にしか、入れ替わるチャンスは無かった。
     最初は最も非力なフォルナに化けようとしたのだが、フォルナはずっと晴奈と一緒にいたし、途中一度だけ別行動を取ったものの、それは人の集まるバーで酒を呑んだ時だけ。一人きりになることがまったく無く、カモフは彼女と入れ替わるのを諦めた。
     晴奈は毎朝一人で修行していたが、カモフの実力でどうこうできる相手ではない。こちらも諦めるしかなかった。
     そして残ったのがエランだった。幸いにもフォルナが呑みに、晴奈が朝の修行に行っている時、エランはのんきに眠っていた。他に代われる者もいなかったので、カモフはエランと入れ替わることにしたのだ。
     そして本物のエランは現在、殺刹峰のアジトに監禁されているとのことだ。
    「殺されたりせーへんかな?」
    「それは無いと思いますわ。だってカモフさんがこちらの手に落ちている以上、確実に本拠地へ向かわせるには……」
    「なるほど。エラン君がいなければまずい、と」
    「それでも早めに向かわないと、危ないかも知れませんわ。わたくしたちを急かすために、何らかの拷問にかけられるかも知れませんし」



     そして、最も知りたかった情報――殺刹峰の本拠地について。
    「それで、本拠地はどこにあるのだ?」
    「……知らない」
    「そんな訳が無いだろう。隠すとためにならぬぞ」
     凄んできた晴奈に怯えながらも、カモフは答えない。
    「本当に知らないんだ。いつも『移動法陣』で出入りしているから、どこにあるのかは……」
    「『移動法陣』? 黒炎教団の、か?」
     そこにモールが割り込み、補足説明をする。
    「『移動法陣』は別に克の専売特許じゃないね。私だってやろうと思えばできるね――ちょっと手間だけども――あいつは『魔獣の本』持ってるんだから、それくらいの魔法陣描くのはワケないね」
    「あいつ、だと? モール、まさか……」
     尋ねかけたカモフをモールがにらみつける。
    「あ? 呼び捨て?」
    「……モールさん、まさか、首領をご存知でいらっしゃいますので?」
    「ああ、知ってるね。……この40年近く、ずっと追いかけ続けた相手だしね」
     いつも人を食ったような態度のモールが、この時は妙に感傷的な雰囲気を見せた。
    「そんで能面、『移動法陣』はドコにあるね?」
    「俺たち下っ端兵士が良く使ってるのは、イーストフィールドの廃工場に隠してあるやつだ。それ以外は知らない」
    「なるほどね。……ま、こっちが来るのは読まれるだろうから、ガッチガチに迎撃準備されそうだね」
     モールは全員に向き直り、いつになく真剣な顔を見せた。
    「行く? 行かない?」
     その問いに、小鈴が小さく鼻を鳴らして答えた。
    「行くに決まってんでしょ」
     その言葉に、他の者たちも一様にうなずき、同意する。
    「よっしゃ決まりだ、早速行こうかね」
     モールは表情を崩し、またニヤニヤ笑い出した。

    蒼天剣・藍色録 終

    蒼天剣・藍色録 6

    2009.07.17.[Edit]
    晴奈の話、第335話。 急展開。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. モールと小鈴による「拷問」で抜け殻のようになったカモフから、晴奈たちはいくつかの情報を手に入れた。 まず、プリズムの構成員について。 プリズムは現在9名おり、どれも一騎当千の実力を持っていると言う。「飛ぶ剣術」を使うスカーフェイスの剣士、モエ・フジタ(藤田萌景)――バイオレット。 風の魔術師で、晴奈に対して偏執的な恋愛感情を持...

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    晴奈の話、第336話。
    迎撃準備。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「ひっどいわねぇ……」
     オッドが困った顔で診察台の前に座っている。
    「すみま、せん、ドクター」
    「しゃべらなくていいってばぁ。怖いじゃないのぉ」
     診察台に横たわっているのはネイビーである。シリンの蹴りで顔を壊されたため、オッドの診察を受けている最中なのだ。
    「コレが人間だったら、顔面裂傷、右眼球欠損、頚椎・顎骨・頭蓋骨骨折……、頭が弾けてる致命傷よぉ? ……ホントにもう、潰れたトマトみたいになっちゃって。
     ともかくウィッチ呼んだから、安心しなさぁい」
    「はい」
     オッドはカルテを書きながら、ブツブツと愚痴をこぼす。
    「ミューズも腕吹っ飛ばされて帰ってくるし……。
     トーレンスがもっと積極的に集中攻撃やってくれれば、こんな風に大ケガ負うコト無かったのにねぇ」
    「心配し、てくれ、るんですね、ドクター」
    「しゃべんないでってばぁ」

    「知ってるー?」
    「プリズム」が集まる訓練場で、ペルシェとレンマ、そして黄色い僧兵服に身を包んだ短耳の少年が会話している。
    「何を?」
    「ネイビーさんとー、ミューズさんがー、大ケガ負っちゃったみたいー」
    「大ケガって、どのくらいの?」
     レンマが尋ねると、ペルシェは自分の顔に掌を乗せて説明する。
    「何て言うかー、ミューズさんはドミニク先生みたいになっちゃってー。それとネイビーさんはー、この辺りがぜーんぶ壊れちゃったってー」
    「どう言うこと?」
     聞き返してきたレンマに、少年が答える。
    「聞いたんですけど、何でもミーシャって女の人の、その、ソバットって言えばいいのかな、そんなのを顔に受けたみたいです」
    「へぇー。でもネイビーさん、半人半人形(ドランスロープ)だったよね? 確か8割くらい人形だって。それなりに体もいじってあるんじゃ」
    「それだけー、すっごい蹴りだったってコトだよねー」
    「敵も、強いんですね」
     少年が不安そうな顔をする。それを見たレンマがニヤニヤ笑って、少年の肩に手を置いた。
    「大丈夫だって、ジュンなら。まだ子供だし、手加減してもらえるよ」
    「こ、子供じゃないですよ。もう14です」
    「まーだ、14だよー」
    「もう、ペルシェさんまで……」
     ペルシェにからかわれ、少年――ジュンは口をとがらせてうつむいた。
     と、そこに彼らの教官であり総司令官でもあるあの片腕の男、モノが現れた。
    「皆、少し時間が取れるか?」
    「あ、ドミニク先生」
     三人は敬礼し、足早にモノの前に集まった。
    「どうしたんですかー?」
    「カモフ君が敵の手に落ちた」
    「何ですって?」
    「『インディゴ』への連絡の際、敵に襲撃されたのだ。現在『インディゴ』は……」「あ、聞いてますー。大ケガしたってー」
     ペルシェの言葉に、モノは小さくうなずく。
    「そうだ。その際にカモフ君は正体が割れ、敵に拘束されたと言う。現在は恐らく、敵に情報を渡しているだろう」
    「そんな……。カモフさんなら、そんなことしないと……」「レンマ君」
     モノはレンマに顔を向け、無言・無表情でじっと見つめる。
    「……はい」
    「敵に関する物事は、常に最低最悪を想定しなければならない。楽観的観測は単なる願いや希望であり、事実をぼかしているだけだ。
     状況が的確に判断できなければ、それはいずれ、己の足をすくうことになる」
    「すみませんでした」
     レンマが頭を下げたところで、モノは話を再開する。
    「敵は恐らく10日以内に、イーストフィールドの移動法陣を襲撃してくるだろう。
     敵が我々の陣地に近付いてくるのは結構だが、内部に踏み入られては困る。その一歩手前で倒すか、防がねばならない」
    「つまりー、イーストフィールドの移動法陣の前でー、敵さんを撃退しちゃえばいいんですよねー?」
    「そう言うことだ。
     今回出向いてもらうのは3部隊。『マゼンタ』、『カーキ』、そして『イエロー』だ。ヘックス君をサポートする形で、レンマ君とジュン君に働いてもらう」
    「了解しました!」
     意気揚々と敬礼するレンマに対し、ペルシェはぶすっとした顔をする。
    「えー、あたしは待機ですかー?」
    「ああ。ジュン君の術との相性を考え、今回の出動は無しだ」
    「……はーい、分かりましたー」
     ペルシェはがっかりした顔をしたが、素直に引き下がった。
     と、ここでモノはジュンの顔色が悪いことに気が付いた。
    「不安か、ジュン君」
    「は、はい」
    「大丈夫だ。今回の任務はあくまでサポート、後方支援であり、君が前面に出張って戦うようなことは無い。安心して臨みたまえ」
    「わ、分かりました」
     そのやり取りを聞いていたレンマが、茶々を入れてくる。
    「先生、最低最悪を想定しろって言ってませんでしたか?」
     それに対し、モノはにこっと笑って返した。
    「敵に関しては、だ。味方を信じなくてどうする?」

    蒼天剣・緑色録 1

    2009.07.18.[Edit]
    晴奈の話、第336話。 迎撃準備。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「ひっどいわねぇ……」 オッドが困った顔で診察台の前に座っている。「すみま、せん、ドクター」「しゃべらなくていいってばぁ。怖いじゃないのぉ」 診察台に横たわっているのはネイビーである。シリンの蹴りで顔を壊されたため、オッドの診察を受けている最中なのだ。「コレが人間だったら、顔面裂傷、右眼球欠損、頚椎・顎骨・頭蓋骨骨折……、頭が弾...

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    晴奈の話、第337話。
    敵の苦悩。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「うーん……」
     モールがフェリオの左腕を見てうなっている。
    「私の術だけじゃ、完治しないか」
    「みたいっスね。……また手、取れたりするんスか?」
     モールが使った癒しの術によって完治したはずの左腕に、真っ青な手形が浮き出ている。紛れも無く、ネイビーの毒である。
    「取れるどころか、ほっといたら死んじゃうかも知れないね」
    「げ……」
     モールは指折りながら計算し、予想を伝える。
    「でも、最初の毒とは違うタイプかも」
    「そうなんスか?」
    「こっちは多分、ゆるやかに全身を蝕んでいくタイプ。手ぇ落とされてガックリ来たところに、二番目の毒で苦しんで死亡。えげつないにも程があるね。
     2日でそんだけ広がってるから、このペースで行くと数週間後にはその毒、全身に回るかも」
    「マジっスか……」
    「ともかく、だ。デカ目猫君はココで安静にしてなきゃダメだね。変に動き回ったらそれだけ、毒が早く回ってくる」
    「……そうっスか」
     フェリオはガックリとうなだれ、自分の腕をさすった。

     イーストフィールドに向かう直前になって、フェリオが体の異変を訴えてきた。モールの診察により、彼はクロスセントラルで待機することになった。
    「向こうのアジトに行けば、解毒剤も手に入るかも知れないからな。ここでカモフ見張りながら安静にしてろよ」
    「了解っス」
     意気消沈した顔で敬礼したフェリオを見て、シリンが手を挙げた。
    「はいはいはーい。ウチもこっちに残りまーす」
    「はぁ!? 何寝ぼけたこと言って……」「いいえ、バートさん」
     却下しようとしたバートをさえぎり、フォルナが口を開く。
    「シリンはこちらに残った方がよろしいでしょう」
    「何でだよ?」
    「考えてみなさい、バート」
     ジュリアもフォルナの意見に同意する。
    「敵がカモフを奪還しようと、ここに攻め入ってくる可能性もあるでしょう? そんな時に半病人のフェリオ君だけじゃ、心許ないわ」
    「……そっか。言われりゃ、確かにな」
    「ほな、そーゆーコトでよろしゅー」
     嬉しそうにニコニコしているシリンを見て、バートはやれやれと言う感じでうなずいた。
    「ま、しゃーねーか。……っと、そう言やセイナは?」
    「バート班の部屋にいらっしゃいますわ。カモフ氏と話がしたいそうなので」

     晴奈は椅子に縛り付けられ、布袋をかぶったカモフと二人きりで向かい合っていた。
     カモフから「自分の扁平な顔は誰にも見られたくない」と懇願されたので、布袋に目出し用の穴を開け、それを彼にかぶせてあるのだ。
    「俺に何を聞きたいんだ?」
    「篠原一派のことだ。お前はあの時ロウ……、ウィルバーに倒され、あのまま焼け死んだものと思っていたが」
    「ああ、何とか生きてた。で、その後来てくれたオッドさんとモノさんに助けてもらって、そのままアジトから脱出したんだ」
    「なるほど。……と言うことは、行方不明になっていた篠原一派の者たちは、お前たちが?」
     カモフはうつむきながら、その後のことを語った。
    「ああ。俺たちが運び出して洗脳し、半分は売った」
    「半分? 残りは?」
    「殺刹峰の兵士になってる。洗脳で記憶を消し、無意識的に従うように暗示をかけてあるんだ」
    「……反吐が出るな」
     晴奈は首を振り、短くうめいた。
    「人間を何だと思っているのか!」
    「上の奴に取っちゃ、ただの収穫品。ジャガイモや大根みたいなもんさ」
    「ふざけたことを……」
    「俺もそう思ってるよ。……俺も、記憶が無いんだ」
    「何?」
     下を向いていたカモフが顔を挙げ、晴奈をじっと見る。
    「俺は今24ってことになってるけど、12歳から前の記憶はまったく出てこないんだ。洗脳されたってことには20の時、アンタと戦う1年前に知ったんだ。
     でもそれを知って、殺刹峰に憤慨しても、決別しようとしても……」
     またカモフの頭が下がる。
    「……何も持ってないから、逃げ場も行くところも無いんだ。
     結局俺は真相を知ってからもずっと、殺刹峰にいる。俺も殺刹峰の、操り人形なんだ」
    「そうか……」
    「……そうだ、コウ。トモミのこと、覚えてるか?」
    「トモミ? 楓井巴美のことか?」
    「アンタ、記憶力いいなぁ。……そう、そのトモミだ。アイツも、殺刹峰の兵士になった」
    「なんと。では、巴美も記憶を消されて?」
    「ああ。しかも彼女、『プリズム』に選ばれた。今はモエと言う名前を与えられて、全然別の人間として存在している」
     晴奈はそれを聞き、椅子をガタッと揺らして立ち上がった。
    「何だと……!?」
    「ど、どしたんだよ、コウ」
    (ジュリア班が出会ったのは確か、モエ・フジタと言う女だったと聞いた。そしてその顔には、傷があったと……。
     まさかそれが、巴美だと言うのか……!?)
     晴奈の様子を見て、カモフはこんなことを言った。
    「はは……。アンタもつくづく、殺刹峰と縁があるなぁ」

    蒼天剣・緑色録 2

    2009.07.19.[Edit]
    晴奈の話、第337話。 敵の苦悩。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「うーん……」 モールがフェリオの左腕を見てうなっている。「私の術だけじゃ、完治しないか」「みたいっスね。……また手、取れたりするんスか?」 モールが使った癒しの術によって完治したはずの左腕に、真っ青な手形が浮き出ている。紛れも無く、ネイビーの毒である。「取れるどころか、ほっといたら死んじゃうかも知れないね」「げ……」 モールは指...

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    晴奈の話、第338話。
    素直じゃないない。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     晴奈たちがイーストフィールドを目指し出発した後、フェリオとシリンは拘束と監視のため、カモフと同じ部屋で過ごしていた。
    「なーなー、カモフ」
     その間中、シリンはカモフに色々と質問をぶつけていた。
    「何だよ」
    「ホンマに誰にでもなれるん? 女の子とかも行ける?」
    「ああ。今はあの赤毛の長耳女と賢者とか抜かしてる野郎に封印されてるけど、老若男女誰にでもなれる」
    「へー。便利やなー」
     素直に感心するシリンに、フェリオも同意する。
    「確かにな。潜入捜査やモンタージュの時には役に立ちそうだ」
    「ま、潜入は俺の得意技だよ。お前らの中にも、すんなり入ったしな」
    「ウチ、全然気付かへんかったわー。すごいわー、ホンマ」
    「……へへ」
     べた褒めされればカモフも悪い気はしないらしく、口元を緩めている。
     一方、シリンの関心が向けられないので、フェリオは面白くない。
    「……ちぇ」
     すねたフェリオを見て、シリンがニヤッとした。
    「どしたん、フェリオ?」
    「何でもねーよ」
    「妬いた?」
    「妬いてねー」
    「えっへへー」
     シリンは尻尾をピョコピョコさせながら、フェリオに抱きついた。
    「な、何すんだよ」
    「心配せんでも、ダーリンちゃんはウチのもんやでー」
    「な、何だよ、それっ」
     その様子を見ていたカモフが、椅子を揺らして笑い出した。
    「はは、仲いーなぁ」
    「……んだよ、茶化すなよ」
     シリンに抱きしめられながら顔を真っ赤にするフェリオを見て、カモフはまた笑った。



     一方、晴奈一行は――。
    「大丈夫だろうか?」
    「え?」
     楢崎はクロスセントラルに残してきたシリンたちを心配し、周りに尋ねてみた。
    「もし大挙して襲われたら……」「その心配はございませんわ」
     楢崎の心配を、フォルナがにべもなく否定する。
    「何故かな?」
     フォルナの代わりに小鈴が答える。
    「秘密組織が中央政府の直轄下で暴れてたら、秘密も何もあったもんじゃないじゃん。大丈夫、だいじょーぶ」
    「ふむ、それもそうか」
    「来るとしてもごく少数でしょうから、シリンが困るような数にはならないと思いますわ。わざわざそんなこと、あなたがご心配なさらなくてもよろしいかと」
    「ああ、うんうん。余計な心配だったね、うん」
     相変わらず、フォルナと楢崎の反りは合わないらしい。普段から距離を取っているし、たまに会話してもこんな風に、非常にぎこちない空気を生む。
    (ねーねー晴奈)
     小鈴が小声で尋ねてくる。
    (何で瞬二さんとフォルナって、あんなに仲悪いの? 何かあった?)
    (いや、私にも何故だか……?)
    (ふーん)
     と、晴奈たちの会話にモールが割り込んできた。
    (多分だけどね、狐っ娘の方は筋肉の方を『説教してくるうざいおっさん』と思ってるね。
     んで、筋肉は筋肉で狐っ娘のコトを『ワガママで苦労知らずなお嬢サマ』って思ってるんだよ、きっと)
    (なーるほどねー)
    (双方、そーゆーのが気に食わない『お年頃』なんだろうねぇ)
    (ふむ……)
     と、ここで晴奈はモールに向き直った。
    「そう言えばモール殿、何故我々と同行を? これまでずっと、私たちの後をつけていたではないか。何故今回、姿を見せたのだ?」
    「ん? ああ、いやね。私も殺刹峰に用事があるから、忍び込む時は同行させてもらおうかと思ったんだよね」
    「ふむ。……はて? 今回カモフを運良く捕らえたことで、殺刹峰への道が拓けたわけで、……となると」
    「うん?」
     晴奈はけげんな顔をモールへ向ける。
    「妙に首尾よく現れたものだな、と。今回の捕獲は成功しない可能性も、ひいては殺刹峰への道が見つからない可能性もあったのだが」
    「そこはそれ、全張りってヤツだね。君らが行きそうな街でしれっと現れて、進捗状況を確かめていこうかなーって思ってたんだよね。そんで行く時になったら一緒に行こうと思ってたら、行き方が分かったって言うからね」
    「ほう、なるほど」
     このやり取りを聞いていた小鈴はクスクス笑っている。それを見たモールがジト目でにらんできた。
    「何がおかしいね、小鈴」
    「アハハ……、相変わらず素直じゃないなーと思って」
    「ドコが?」
    「ウエストポートからエンジェルタウンを通る道って、主要都市はソコだけじゃん。ソコから他の街道回ってたら超遠回りになるから、今あたしたちとこうやって同行できるわけないし、どー考えても晴奈の後追いかけてたってコトになるけど、ねー」
    「……ふんっ。偶然だね、偶然! 偶然、晴奈たちのチームを追ってただけだね」
    「そっかー。じゃ、偶然ってコトで」
    「そう、偶然!」
     モールはぷいと小鈴から顔を背けてしまう。
     その様子を見て、今度は晴奈がクスっと笑った。

    蒼天剣・緑色録 3

    2009.07.20.[Edit]
    晴奈の話、第338話。 素直じゃないない。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 晴奈たちがイーストフィールドを目指し出発した後、フェリオとシリンは拘束と監視のため、カモフと同じ部屋で過ごしていた。「なーなー、カモフ」 その間中、シリンはカモフに色々と質問をぶつけていた。「何だよ」「ホンマに誰にでもなれるん? 女の子とかも行ける?」「ああ。今はあの赤毛の長耳女と賢者とか抜かしてる野郎に封印されて...

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    晴奈の話、第339話。
    気のいい狼兄さん。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     央北の都市、イーストフィールド。神代の昔からあると言われている街だが、その様相は時代によってコロコロと変わっている。
     天帝が降臨する前はのどかな放牧地帯だったが、降臨後は天帝の教えを受け、大規模な農業都市になった。天帝が崩御してから数年経つと他地域からの移民でにぎわい、人が集まったことで工業が活発化。そこに央中からの商人たちが目をつけて、大規模な工場を次々建設。ところが黒白戦争の間に起こったいざこざで彼らは一斉に撤退し、工業はあっと言う間に衰退してしまった。
     現在のイーストフィールドはそれらの栄枯盛衰が一周し、のどかな酪農都市に戻っている。

     その活気のあった頃の名残は、あちこちに残っている。旧市街には何棟もの住居や工場の跡地が連なっており、盛況だった当時はさぞ騒々しかっただろうと思われる。
     が、今はただの廃屋であり、不気味な静寂がその場を支配している。怪物が出ると言う噂もあり、街の者は皆近付こうとはしない。となると、こう言った場所には街に住めない犯罪者やごろつき、浮浪者などが集まるのが通例なのだが、そんな者もまったくいない。
     なぜなら「彼ら」が自分たちの秘匿性、秘密性を守るために、それらを追い払い、消してしまったからである。



    「ふあ、あ……。もうそろそろかな?」
     待ちくたびれ、あくび混じりに尋ねてきたレンマに、ジュンは半ばおどおどとしつつ同意した。
    「え? あ、そうですね。多分もうすぐ来るんじゃないですか?」
    「ジュン、お前昨日も同じこと言ったじゃないか」
     レンマはニヤニヤ笑い、ジュンの額を小突く。
    「いたっ」
    「たまには『そうですね』じゃなくて、違うこと言えよー」
    「は、はい。すみません」
     と、草色の髪をした狼獣人が、二人のところにやって来る。
    「おーい、レンマ。あんまりジュン、いじめたらアカンでぇ」
    「いじめてないよ、ヘックス。からかってるんだよ」
    「やめとけって。ジュン、困った顔しとるやん」
     狼獣人、ヘックスは膝を屈め、ジュンと同じ目線になる。
    「ジュン、どや? 緊張しとる?」
    「え、は、はい。してます」
    「言うたら初陣やもんな、これ。でも心配せんでええで、兄ちゃんがついとるからな」
    「はっ、はいっ」
     ヘックスはジュンの反応を見て、ニコニコと顔を崩した。
    「せや、リラックスやでー」
    「ヘックス、あんまりそう言うのはよした方がいいと思うよ」
     二人のやり取りを見ていたレンマがケチをつけてくる。
    「なんで?」
    「ドミニク先生も、『戦場では友人や兄弟、家族と言ったしがらみを抱えていては、弱みに変わる』って言ってたし」
    「まあ、そーは言うてはったけどもな」
     ヘックスは肩をすくめ、のんきそうに返した。
    「オレは家族とか友達、大事にするタイプやねん。それに、いつでもどこでも先生が正しいって限らへんやん」
    「何だと!」
     ヘックスの言葉が癇に障ったらしく、レンマがヘックスにつかみかかる。
    「もう一度言ってみろ、ヘックス!」
    「おいおい、ちょい待ちいや。別にオレ、『先生は間違っとる』とか『先生はおかしい』とか言うてへんやろ?
     先生の言葉借りるとしたら、『戦況は常に変わる。通常最善とされる策も、時には最悪の手に変わることもある』って、そう言う感じの意味合いで言うたんや。
     先生やって聖人君子やあらへんのやし、言うこと言うこと一言一句、ギッチギチに信じとったらアカンと思うで」
    「……ッ!」
     レンマの顔に、さらに怒りの色が浮かぶ。それを見たヘックスは、「しまったな」と言いたげな表情を浮かべた。
    「あー、まあ、人の意見は色々やし、な?」
    「ふざけるなッ!」
     レンマが怒りに任せ、ヘックスの襟をつかんでいた手に力を込めた。
    「……ホンマ、悪いねんけどやー」
     次の瞬間、レンマは1メートルほど吹っ飛んだ。
    「うげ……っ!?」
     どうやらヘックスが突き飛ばしたらしく、ヘックスは両掌を挙げたまま、困ったような顔で諭した。
    「レンマよぉ、自分もうちょっと、冷静にならなアカンのちゃうん? 先生のだけやのうて、他の人の話も聞く耳持たんとアカンのちゃうん? それこそ先生やったらそう言うてきはると思うで」
    「くそ……」
     レンマは腹を押さえ、ヘックスを見上げている。
     両者をおろおろと見つめていたジュンに、ヘックスはニコニコと笑いかけた。
    「心配せんでええって。こんなん、じゃれ合いや」
    「は、はあ……」
     と、そこに兵士が現れた。
    「失礼します! 公安がイーストフィールド北口3キロのところまで接近しているとの情報が入りました!」
    「お、そろそろやな。……ほれ、レンマ。いつまでへたり込んでんねん」
     ヘックスは突き飛ばされ、座り込んだままのレンマに手を差し伸べた。

    蒼天剣・緑色録 4

    2009.07.21.[Edit]
    晴奈の話、第339話。 気のいい狼兄さん。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 央北の都市、イーストフィールド。神代の昔からあると言われている街だが、その様相は時代によってコロコロと変わっている。 天帝が降臨する前はのどかな放牧地帯だったが、降臨後は天帝の教えを受け、大規模な農業都市になった。天帝が崩御してから数年経つと他地域からの移民でにぎわい、人が集まったことで工業が活発化。そこに央中から...

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    晴奈の話、第340話。
    九尾ホーミング弾。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     イーストフィールドに到着した晴奈一行は、そのまま旧市街へと向かっていた。
    「この辺りに、カモフ氏から聞き出した移動法陣があるはずだけど……」
     ジュリアはそれらしい場所が無いか、あちこちを注意深く見渡している。バートも同じように周囲へ注意を向け、ジュリアに耳打ちする。
    「……嫌な気配がするぜ。どうやら待ち構えられてるみたいだ」
    「そうね。みんな、注意して」
     ジュリアがそう言うと同時に、パシュ、と言う音とともに何かが飛んできた。
    「危ないッ!」
     楢崎がいち早く気付き、小鈴を突き飛ばす。
    「つっ……」
     楢崎がうめき、肩を押さえる。そこには矢が突き刺さっていた。
    「瞬二さん!? だ、大丈夫!?」
    「も、問題無いよ。……くっ」
     楢崎は肩から矢を抜き、刀を構えた。
    「襲ってきたぞ! みんな、武器を!」
    「はいっ!」
     各自武器を構え、周囲を警戒する。と、また矢が飛んできた。
    「『ウロボロスポール:リバース』!」
     モールが飛んできた矢に向かって魔杖をかざし、矢を来た方向へと戻した。
    「ぎゃっ!?」
     その方向から、驚いたような悲鳴が返って来る。どうやら射手に当たったらしい。
    「あっちだ!」
    「囲まれる前に破るぞ!」
     晴奈たち一行は声のした方向へ、一斉に駆け出す。もう一本矢が飛んできたが、これも先程と同様にモールが跳ね返した。
    「うっ……」
     また敵のうめく声が返ってくる。
     それを聞いて、晴奈は「ふむ?」とうなった。
    「あれだけ硬い敵だったと言うのに、攻撃が効いているようだな」
    「敵の攻撃をそのまま跳ね返してるからじゃないかしら?」
     ジュリアの推察に、バートが付け加える。
    「それにもしかしたら、薬だの術だのも弱めになってるのかも知れねーな。前回効かせ過ぎて自爆したっぽいし」
    「なるほど。……ならば、前よりは倒しやすそうだな」
    「私もいるんだ。十二分にサポートしてやるね」
     ニヤリと笑うモールに、晴奈は振り向かずに応えた。
    「頼んだ、モール殿」

     ジュリアたちの推察は、概ね当たっていた。
     前回起こった、肉体の限界を超える負荷・負担による自滅を防ぐため、敵は最初に晴奈たちを襲った時よりも若干、投薬量と魔術強化を抑えていた。それでも一般的な兵士よりはるかに身体能力は高くなってはいるが、前回のような並外れた頑丈さは発揮できない。
     とは言え「前回よりもダメージが残りやすい」と言う状況は、敵兵にそれなりの緊張感を与えており、敵は慎重に動いていた。
     彼らは晴奈の目の前に堂々と現れるようなことはせず、廃屋の物陰に隠れて魔術や弓矢、銃と言った遠距離攻撃を仕掛けてくる。
    「いってぇ!」
     バートの狐耳を銃弾がかすめる。
    「もう少しずれてたら頭やられてたな。いい腕してやがる」
     地面に落ちた帽子を拾ってかぶり直し、弾が飛んできた方向へ銃を向けて撃ち返す。
    「……」
     また矢が飛んでくる。今度は小鈴が魔術で防ぎ、土の術で応戦する。
    「……いらっ」
     敵の姿が一向に目視できないまま、晴奈一行へ向けられる攻撃は、じわじわと勢いを増していく。
    「……いらいら」
     と、モールの横にいたフォルナが、モールの苛立った気配に気付いた。
    「モールさん?」
    「……あーッ! うざーッ! みんなしゃがめッ、一掃するね!」
     モールは魔杖を振り上げ、怒りの混じった声で呪文を唱えた。
    「『フォックスアロー』!」
     唱え終わると同時に魔杖が紫色に光り、9条の光線が放射状に飛んでいった。
    「うわっ!?」「ぎゃっ!」「わああっ!」
     潜んでいた敵が一斉に叫び声を上げ、静かになる。それでもまだ残っているらしく、矢がもう一本飛んできた。
    「しつこいッ! もういっちょ!」
     モールはもう一度杖を掲げ、光線を飛ばす。
    「念のためもう一回!」
     合計27条の光線が辺り一帯に飛んで行き、敵は完全に沈黙した。
    「な、何、今の?」
     小鈴が目を丸くして驚いている。
    「火? いや、雷か? 何系の術だったんだ? あんなの見たことねえ……」
     バートも呆然としている。モールは魔杖を下ろし、深呼吸した。
    「はー……。すっきりした」
    「モールさん? ……私たちの援護が、本当に必要なの?」
     ジュリアも憮然とした顔で、眼鏡を直していた。



    「報告します!」
     移動法陣前に陣取っていたヘックス、レンマ、ジュンのところに、伝令が慌てた様子で現れた。
    「どしたん?」
    「包囲部隊、全滅しました!」
     青ざめた顔で報告した伝令に、のんきに座り込んでいたヘックスは目を丸くして飛び上がった。
    「はぁ!? 2部隊で囲んどったはずやで!? ありえんやろ、そんなん!?」
    「それが、敵の術で一気に……。どうやら敵の中に、『旅の賢者』がいる模様です」
     それを聞いたレンマも立ち上がる。
    「モール・リッチが!? そう言えば、ミューズさんがモールを追っていて撃退されたって聞いたけど、まさか公安と合流してたのか?」
    「な、何ででしょう?」
     ジュンがおろおろした顔でヘックスに尋ねたが、ヘックスも首をかしげるばかりである。
    「分からへんけど、そんだけ強いヤツがおるんやったら、のんきに構えてる場合ちゃうわ。真面目にやらんとな」
     ヘックスは緊張した面持ちになり、壁に立てかけていた長槍を手に取った。

    蒼天剣・緑色録 5

    2009.07.22.[Edit]
    晴奈の話、第340話。 九尾ホーミング弾。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. イーストフィールドに到着した晴奈一行は、そのまま旧市街へと向かっていた。「この辺りに、カモフ氏から聞き出した移動法陣があるはずだけど……」 ジュリアはそれらしい場所が無いか、あちこちを注意深く見渡している。バートも同じように周囲へ注意を向け、ジュリアに耳打ちする。「……嫌な気配がするぜ。どうやら待ち構えられてるみたいだ...

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    晴奈の話、第341話。
    対魔術物質。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     モールの術で一掃され、襲ってくる敵の姿はまったくいなくなった。
     一行は廃屋の陰に回り、脚を光線に撃たれたらしい兵士が倒れているのを確認する。
    「おい」
    「う……」
     晴奈が敵の側に立ち、その脚を踏みつける。
    「ぎゃっ」
    「教えてもらおうか。移動法陣はどこだ?」
    「お、教えるもん……、うああああ」
     晴奈は足に力を入れ、きつく踏み込む。
    「素直に教えれば介抱してやる。が、言わぬと言うのならばもっと痛めつけるぞ」
     ここで力を抜き、兵士から足をどける。
    「ひーっ、ひーっ……」
    「教えるか? それとも……」
    「い、言います言います! ここから東にまっすぐ700メートル辺りのところです!」
    「よし」
     兵士を治療し、縛り上げて、晴奈たちは東へ進む。
    「あれかな?」
     一行の先に、周りの廃屋に比べて一際大きい廃工場が目に入ってくる。蔦だらけになった工場の壁には、黄色と赤で彩られ「G」字形に丸まった狐の紋章が、うっすら残っている。
    「金火狐マーク、ね。財団が昔所有していた工場かしら」
    「恐らくニコル3世時代以前に作られた軍事工場だな。ここら辺に建ってたって話は、どこかで聞いたことがある」
     警戒しつつ、一行は工場内に入る。中にあった作業機器や原料、資材の類はとっくに原形を留めておらず、広間になっていた。
    「これだけ広けりゃ、バカでかい移動法陣も楽に描けるだろうね」
    「ふむ。……ざっと見た限りでは、1階には無さそうだ」
     一通り見回り、一行が2階へ上がろうとしたその時だった。
    「セイナさーん!」
     2階へと続く階段から、レンマが駆け下りてきた。
    「……う」
     晴奈はレンマの姿を確認した途端、ざっと後ろへ下がった。
    「何で逃げるんですかぁ」
    「敵が向かってくるのだ。警戒するのが当然と言うものだろう」
     晴奈は下がりつつ、刀を構える。
    「つれないなぁ。……ねえ、仲間になりましょうよー」
     レンマが近寄ろうとしたところで、バート、ジュリア、楢崎が武器を構えた。
    「なるわけねーだろ、バカ」
    「それ以上近付けば、容赦なく撃つわよ」
    「大人しくしろ」
     途端にレンマは不機嫌そうな顔になり、杖を向ける。
    「邪魔しないでくださいよ。それとも、あなたたちも仲間に?」
    「話が聞けねーのか、そのちっちゃい耳はよ? ならねーっつってんだろうが」
     そのまま対峙していたところにもう二人、階段を下りてくる者が現れる。
     それと同時に、工場の入口や崩れた壁などからも、敵の兵士が進入してくる。
    「レンマ、その辺でええで」
    「ああ。包囲完了だな」
     レンマはすっと後退し、やってきた二人――ヘックスとジュンの側に向かう。楢崎は前後を見渡し、ふーっとため息をついた。
    「ふむ。敵は11人、こちらは7人。数の上では少々厳しいかな」
    「フン。後ろは雑魚だから、私の術で一掃してやるね。それよりもだ、問題は前の3人だね。あいつらは桁違いに強い」
     そう言われ、楢崎は前の敵3名に目を向ける。
    「ふむ。あの緑髪の『狼』は確かに強そうだ。それにさっき黄くんに声をかけていた魔術師も、強いと聞いている。……でも、あの黄色い服の子もかい?」
    「ココにいるんだ。強くないワケが無いね。……それにもう、攻撃準備は整ってる」
     モールがそう言うと同時に、その黄色い服の少年は杖を掲げた。
    「『サンダースピア』!」
     ジュンの目の前に電気の槍が形成され、モールに向かって飛んでくる。
    「甘いっ、『フォックスアロー』!」
     先程と同様の、9本の紫色に光る矢がモールの魔杖から発射され、8本は背後の兵士たちに、残り1本はジュンの放った槍とぶつかり合い、相殺される。
    「……りゃ?」
     ところが先程と違い、兵士たちにダメージを受けた気配は無い。皆、ほんのり青みを帯びて光る銀色の盾を構えており、モールの矢はそれに阻まれたらしい。
    「あの盾は?」
     その盾をいぶかしげに見つめるジュリアに、バートが答える。
    「ありゃ、ミスリル化銀ってヤツじゃねーか?」
    「ミスリル?」
    「魔術対策に良く使われる、魔力を帯びた金属の総称だ。加工次第で魔術の威力を増幅させる武器にも、逆に魔術を通さない防具にもなるらしい。
     レアメタルだし精錬や加工も難しいって話だから、滅多に出回らないって聞いてるが……」
    「全員持ってるわね。対策は万全、と言うことかしら」
     モールがため息をつき、ジュリアに向き直った。
    「ま、アレがさっき君が聞いてきたコトの答えさ。
     あーゆーの用意されたら、私だけじゃ対抗できないんだ。でも、あの手の防具は直接攻撃には弱い。矢が貫通するくらいだしね。
     だから、戦士タイプのヤツと一緒に来たかったんだよね」
     そう言ってモールは、晴奈の方に目を向けた。
     ところが既に、晴奈はヘックスと戦っている最中である。
    「……あちゃー、あっちはアテにできないか。んじゃ頼んだ、筋肉」
    「え? 筋肉って……、僕かい?」
     ぞんざいに呼ばれ、楢崎は多少憮然としたが、素直に刀を構え、兵士たちに向き直った。

    蒼天剣・緑色録 6

    2009.07.23.[Edit]
    晴奈の話、第341話。 対魔術物質。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. モールの術で一掃され、襲ってくる敵の姿はまったくいなくなった。 一行は廃屋の陰に回り、脚を光線に撃たれたらしい兵士が倒れているのを確認する。「おい」「う……」 晴奈が敵の側に立ち、その脚を踏みつける。「ぎゃっ」「教えてもらおうか。移動法陣はどこだ?」「お、教えるもん……、うああああ」 晴奈は足に力を入れ、きつく踏み込む。「素...

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    晴奈の話、第342話。
    当惑する敵。

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    7.
     晴奈とヘックスは、激しい火花を散らして打ち合っている。
    「このッ!」
    「せいやッ!」
     ヘックスも相当の達人らしく、晴奈は一向にダメージを与えられない。
     とは言え晴奈も、今のところは一太刀も受けていない。
    「流石に腕が立つ……!」
    「アンタも相当やな。……名前、何て言うたっけ」
    「晴奈だ。セイナ・コウ」
    「オレはヘックス・シグマや。……ええなぁ、ワクワクしてきたわ!」
     ヘックスは後ろへ一歩飛びのき、槍を構え直した。
    「いっちょ本気見せたる――食らえッ!」
     ヘックスの体全体が大きくうねり、槍がゴウゴウとうなりをあげて向かってきた。
    「くッ!」
     晴奈は槍が迫るよりも一瞬早く動き、水平に薙いだ槍を真上に跳んでかわした。
    「……?」
     その時、晴奈は何か嫌な予感を覚え、空中に跳んだままで刀を正面に構える。
     次の瞬間、自分の真下にあったはずの槍に、刀ごと引っぱたかれた。
    「な……!?」
     工場の壁へ叩きつけられそうになったが、くるりと体勢を整え直して壁に張り付き、激突を避ける。
    「コレも見切りよるんか、コウ。すごいなぁ、自分」
     ヘックスは槍を構えたまま、驚きに満ちた目で晴奈を見つめている。
    「今のは何だ? 私は確かに、槍を上にかわしたはずだったが」
     晴奈が壁からすとんと床に降り立ち、刀を構え直しながらそう尋ねると、ヘックスは得意満面にこう返した。
    「オレらの師匠、ドミニク先生の秘伝、『三連閃』や。
     後ろにかわされたせいで三つ目は届かへんかったけど、決まっとったらバッサリいってたで」
    「なるほど。私が一太刀目を避けた時、既に二太刀目、三太刀目を避けた先へと放っていた、と言うことか。
     ……しかし」
     晴奈は刀を構えたまま、ヘックスと話をする。
    「私の友人にもいるのだが、お前は妙な話し方をするな? もしかして央中東部の出身か?」
    「へ?」
     ヘックスはきょとんとし、続いて困った顔をした。
    「えーと、うーん……。悪い、よー分からへん」
    「何?」
    「オレ、14から前の記憶無いねん。14の時、ドミニク先生に拾ってもろたんやけど、その前のことはさっぱり……」
    「ふむ。お前も記憶を奪われた口か」
    「……は?」
     晴奈の言葉に、ヘックスはけげんな顔をして槍を下げた。
    「ちょ、ちょっと!? ヘックスさん!?」
     横で二人の戦いを見ていたジュンが慌てて声をかけるが、ヘックスは応じない。
    「どう言う意味や、コウ?」
    「捕虜から聞いた話だが、お前たちは皆、中央大陸各地から誘拐され、記憶を消された上で、兵士となっているのだそうだ。その、ドミニクと言う男によってな」
    「何やと……」
     ヘックスもジュンも、信じられないと言う顔をする。
    「捕虜て、カモフさんか?」
    「そうだ。奴も記憶を奪われたと言っていた」
    「そんな……」
     ヘックスもジュンも唖然とするが、ヘックスは慌てて首を振る。
    「……ウソや! オレらを惑わせて、勝ち抜けようと思てんやろ!? だまされへんで!」
    「嘘ではない」
    「もうええ、話はしまいや!」
     ヘックスは槍を構え直し、晴奈に襲い掛かる。だが、晴奈の話に少なからず動揺しているらしく、その動きにはキレが無い。
     先程より大きくブレたヘックスの攻撃をかわし、晴奈は刀に火を灯す。
    「『火射』ッ!」
    「飛ぶ剣閃」がヘックスの槍を捉え、その柄を焼き切った。
    「しま……っ」
     晴奈の刀がヘックスの喉元に当てられ、ヘックスの顔にあきらめの色が浮かぶ。
     だが――晴奈もこの時、ヘックス以外への警戒を怠っており、ジュンからの攻撃を見落としていた。
    「『サンダーボルト』!」
    「う……っ!」
     ジュンの放った電撃が晴奈に当たり、彼女を弾き飛ばす。
     その隙に、ジュンはヘックスの側に駆け寄り、袖を引っ張る。
    「ヘックスさん! 退却しましょう!」
    「は……?」
    「僕にはコウさんの言葉が、嘘とは思えないんです」
    「アホ言うな、先生はオレらを助けて……」
     言いかけたヘックスの顔に、迷いの色が浮かぶ。
    「……せやな、槍も折られたし。みんなダメージ濃くなってきたし、頃合かも知れへん」
     その間に、電撃で間合いから遠く弾かれていた晴奈が起き上がる。
    「う、く……」
     よろよろとした足取りながらも、自分たちに迫ってくる晴奈を見て、ヘックスは折れた槍を捨てて、踵を返す。
    「レンマ! 退却……」
     ヘックスはレンマのいた方向を向き、舌打ちする。
    「……くそ」
     いつの間にかレンマは縛られており、その顔は憔悴しきっている。
     その横には小鈴とフォルナが、得意げに佇んでいた。

    蒼天剣・緑色録 7

    2009.07.24.[Edit]
    晴奈の話、第342話。 当惑する敵。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 晴奈とヘックスは、激しい火花を散らして打ち合っている。「このッ!」「せいやッ!」 ヘックスも相当の達人らしく、晴奈は一向にダメージを与えられない。 とは言え晴奈も、今のところは一太刀も受けていない。「流石に腕が立つ……!」「アンタも相当やな。……名前、何て言うたっけ」「晴奈だ。セイナ・コウ」「オレはヘックス・シグマや。……ええ...

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