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  • 烈火の大地

    熱帯夜の所為だろう。ここ数日来、眠りが浅い。疲れがとれない質が甚だ悪いのだ。 (フリーゲーム『××』より) 昭和七年も暑かったらしい。 午前十時の段階で31.5℃を観測しただとか。 池水が煮えたようになり、養殖中の鯉や鰻がほとんど全滅、損害莫大なりだとか。 その種の悲鳴は珍しくない。まったく異常な暑さだと、汗を拭うのも忘れ去り、途方に暮れる古人の姿が多くの記録に見て取れる。 ところが今やどうだろう。たかが31℃やそこら、十時はおろか七時八時の段階で、容易く突破するではないか。 これでは毎日焙烙上で炒られているも同然だ。古人をここに在らしめたなら、すわ灼熱地獄の接近かと狼狽超えて恐慌へと至るのが…

  • 言葉の廃墟に寝そべって

    うまい言い回しを思いつく。 あるいは頓知の一種だろうか。戦前昭和、円が惨落した際に、人々はかかる現象を「円侮(・)曲」と呼び称し、半分以上ヤケクソ的に囃し立て、政府の無能をののしり倒す合言葉としたものだ。 なかなか以ってキレのある、良いセンスであったろう。 (『Far Cry 5』より) 大正時代、大庭柯公と親しくしていた西洋人旅行者が、あるとき顔を見せるなり、 「今日はキャラメル親王のお墓にお詣りしてきたよ」 と、さも嬉しそうに言い出して、大場を唖然とさせている。 (なんのことだ。――いったい誰のなんだって(・・・・・)?) 詳しく話を聞くにつれ、それがどうやら鎌倉市、二階堂の丘にたたずむ護…

  • 土地は王様

    土地に関する騒ぎというのは常に絶えないものらしい。 明治三十年の市区改正で、浅草区並木町通りは西に向かって五間ほど取り拡げられる運びとなった。 簡潔に云えば道路拡張、ためにまず、工事予定地買収が前提として不可欠である。 並木町通りに地所を持つ江戸っ子どもが府庁に召喚されたのは、同年六月二十五日のことだった。 (浅草寺にて撮影) 用件は分かりきっている。 はてさて「お上」の気前の良さは如何ほどか、値札にいくら書く気かと、欲のそろばんを弾きつつ出掛けていった地主らは、 ――人を虚仮にしくさるか。 と、突きつけられた条件に一同こぞって色をなし、今にも唾を吐かんばかりの険悪ムードで帰還した。 「角地は…

  • 戦の後の女たち

    二十世紀、女性の地位の向上は、得てして戦(いくさ)の後に来た。 これは戦争形態が部分(・・)ではなく総力(・・)へ――国家の持てるあらん限りの力を以って戦争目的遂行の一点に傾注するという、狂気の仕組みが齎した当然の作用であるらしい。 (第二次世界大戦、フランス軍高射砲陣地) 一次大戦はもとよりのこと、その前哨とも称すべき、日露戦争決着後の本邦内地にあってもやはり、社会の表面(おもて)に浮上する女性の姿が一気に増えたものだった。 たとえば明治三十九年五月下旬に開催(ひら)かれた、関八州競馬大会はどうだろう。 東京上野不忍池を会場に良馬の健脚(あし)を競うのは、明治二十五年秋場所以来、実に十四年ぶ…

  • 我が代表堂々退場す ―1894年、北京ver.―

    日清戦争を契機とし、小村寿太郎の勇名は一躍朝野に轟いた。 彼の人生のハイライトとは、ポーツマスの講和会議にあらずして、むしろこっちの方にこそ見出せるのではあるまいか、と。そんな思いを抱かせるほど、英雄的な風貌を備えていたものだった。 (Wikipediaより、小村寿太郎) 明治二十七年七月、この男は北京に在った。 在ったどころの騒ぎではなく、公使館の職員として、清国政府に国交断絶を突きつけるという大任を、どうも果たしたようだった。 昨日までの任地は既に、本日敵地と化し去った。 可及的速やかに離れねばならない。それはいい。異論の出ようのないことだ。 「だが、どうやって?」 思案すべきはその部分、…

  • もっと輸血を

    どうも昭和六年らしい。 わがくに売血事業の嚆矢は、そのとしの十月、――神無月の下旬にこそ見出せる。 飯島博と平石貞市、両医学博士の主唱によって創立された「日本輸血普及会」が、どうも発端であるようだ。採血量はグラム単位を基準とし、百グラムにつき十円の価値で取引された。 西暦にして1931年。諸列強と比較して、これははっきり「後発組」に所属する。 (『Bloodborne』) そもそも日本の医学者は輸血技術の研究にだいぶ遅れをとっていた。理由は単純、「医」の本宗と仰いだドイツがこの方面を大して重視せなんだからだ。 早くから輸血に着目したのは、むしろ米仏の学会だった。世界大戦が勃発するや、彼らはそれ…

  • 目には目を、偏見には偏見を ―留学生の自衛法―

    岡田三郎助の留学当時、パリの街は未だ城壁に囲われていた。 若き洋画家の繊細なる魂に、花の都は文字通り、城郭都市の重厚さで以って臨んだ。 (Wikipediaより、ティエールの城壁) きっとヨーロッパ随一の「芸術の街」で修行中、この異邦人を見舞った刺戟は、むろんのこと望ましい、良性なものばかりではない。 神経を鉋で削られて、その上に塩を撒かれるような、不快な思いも随分とした。 わけてもいちばん辛かったのが「声かけ」である。 たまたま街を歩いていると、これまで会ったこともない、顔も名前もぜんぜん知らぬただの通りすがりから、すれ違いざま 「支那人!」 と、侮蔑を籠めて吐き捨てられる。 これが効くのだ…

  • 抜錨まで ―黒船来航前夜譚―

    それは到底、見込みのない挑戦だと思われた。 マシュー・ペリーを司令に置いた艦隊編成の目的が「日本遠航」にあるのだとひとたび公にされるや否や、各新聞社は「すわ特ダネぞ」とこぞってこれを書き立てた。 主に悲観的なニュアンスで、だ。 (フリーゲーム『ミッドナイトシンドローム』より) ボルチモアの地方紙は「日本を開国せしめ得ると信ずるは、徒に内外の笑ひを買ふに過ぎず」と口を極めて警告し、ロンドン・タイムズに至っては、「これ巧妙なる軽業師をして、風船に乗じて、遊星に旅行せしむる如し」と、実に英国人らしい、短いながらも切れ味抜群、寸鉄人を刺すような、苛烈な皮肉を以ってした。 当時の西洋社会に於いて、「日本…

  • すべてがギャンブル ―賭博瑣話―

    何にだって賭けられる。天気だろうと、死期であろうと。 ダイスやカードなくしては賭博が出来ないなどというのはあまりに浅い考えだ。窮極、人と人とが居るならば、ギャンブルは成立させられる。 帝政ドイツの盛時には、モルトケの口数に於いてすら、彼の部下どものベット対象に具せられた。 (Wikipediaより、モルトケ) 毎年々々、皇帝の誕生日がやってくるとモルトケは、将軍たちや参謀部附の将校どもを差し招き、このハレの日を共に祝うならわし(・・・・)だった。数次を経るうち、客のひとりが、ふと言った。 ――パーティの開始を告げる元帥の辞、皇帝陛下のご健康を祝するためのスピーチは、きっと、必ず、十語以内に収ま…

  • 田圃に泳ぐ水禽よ

    合鴨を使うという発想は、未だない。 昭和六年、香川県農会が稲田に放った水禽は、これ悉くアヒルであった。 (Wikipediaより、アヒル) 大野村、多肥村、鷺田村、田佐村、十河村、田中村、等――香川・木田の両郡に亙り、およそ二千七百羽の購入斡旋を行っている。 この当時、香川名物はうどんにあらず、むしろ良米の産地としてこそ名を馳せていたものだった。 「讃岐米は、阪神地方のすし(・・)米に使はれ、味が良くて粘気が多い。粥に炊きなほしても粘気がなくならない。乾燥がよくて釜殖が多い、普通一升が茶碗で二十五杯なら、讃岐米は三十杯にもなる」云々と、大阪毎日新聞の『経済風土記』に明らかである。 本書をいくら…

  • 敗れたときこそ胸を張れ

    なかなか役者だ、床次サンは、床次竹次郎という人は――。 「時局重大な時だ、鈴木、床次と争ってゐる場合ではない、鈴木が総裁になり、又大命が降下した場合、僕は入閣せんでも党務に骨身を入れてやる決心だ、これからが本当に政治をやるのだよ」 総裁選に敗れた直後、大袈裟にいえば日本のトップに立ち損なったばかりであるにも拘らず、こんなセリフが吐けるのだから。 (Wikipediaより、床次竹次郎) 帝都を、否々、日本じゅうを震撼せしめた一大不祥事、五・一五事件。石山賢吉の筆法を借りれば「軍服を着た狂人」どもに暗殺された犬養毅は、むろんただの男ではない。 当時の与党・政友会総裁にして、現職の総理大臣である。 …

  • おれの葬儀は ―山脇玄は遺言す―

    冠婚葬祭の簡略化が口喧しく取り沙汰された時期がある。 大正から昭和にかけて、ちょうどエログロナンセンスの流行と被るぐらいの頃合いだ。 (増上寺霊屋) 自動車が街路を縦横し、 船のボイラーが石炭式から重油式へと移行して、 飛行機の航続可能限界が更新されつつある今日び、万事につけてスピード化のご時勢に、ひとり儀礼のみばかり何時々々までも昔のままの大仰な作法を保存してはいられない。切り詰める点は切り詰めて、世相に対応させなくば。大正六年、増上寺の公布した、件の仏前結婚式の謳い文句を見てみても、 ――「二十五分で式を済し」 云々と、その辺の気風の反映たること、明らかである。 (立川飛行場) 世間一般の…

  • 雅楽洋楽アレンジャー

    ざっくばらんに述べるなら、古代ギリシャ音楽の和風アレンジバージョンである。 遙かに遠く、紀元前。地中海にて誕生した旋律を、ほとんど地球の反対側の大和島根の楽器と感性(センス)で新生させる。 刺戟的な試みが、東京、ドイツ大使館の夜会に於いて実現された。 大正十四年、十二月十七日のことである。 (『アサシンクリード オデッセイ』より、オリンピア) 作曲者の名は吉田晴風。 演奏もまた、吉田晴風とその婦人。晴風が尺八を、婦人が琴を、それぞれ担当したそうな。 当時の大使、ヴィルヘルム・ゾルフは演奏に耳を澄ますうち、次第に夜魔に魅入られた如く恍惚とした心境へと導かれ、 ――素晴らしい、まさに世界的の企てだ…

  • 欲の焦点、色と金

    慰謝料をふんだくるのを目的とした離婚訴訟が俄然増加の傾向を示すに至った発端は、大正四年にあるらしい。 皆川美彦が説いている。このとし一月二十六日、大審院にて画期的な判決が出た。 (Wikipediaより、大審院) 実質的な夫婦生活を送っているが、しかし正式な入籍手続きは経ていない、いわゆる内縁の妻だろうとも、これを離縁する場合には慰謝料の支払い義務が生ずる。すなわち「婚姻予約有効判決」。結婚をエサに女心をたぶらかし、さんざん都合よく使い、いいように弄んだ挙句、飽きたら棄てて顧みぬ、人間失格野郎に対しそうは問屋が卸さぬと胸倉とって迫れるようになったというワケだった。 慶賀すべき展開だろう。 「大…

  • 湿気、鬱屈、アルコール

    どうも不調に陥った。 何も書くことが浮かばない。 連日の雨と湿気によって頭の中身が水っぽく、ふやけてしまったかのようだ。 (viprpg『さわやかになるひととき』より) 文章の組み立て方というものを見失っている状態である。こういう場合は下手に抵抗したりせず、むしろ思考能力を更に台無しにすべきであろう。どん底までゆくべきだ。経験から帰納して、そちらの方が再起が早いと知っている。そんな次第で駄目になってる脳みそにアルコールを浴びせかけてやることにした。 ワインは好きだ。 よく買って呑む。 禁酒法時代、デモに密輸に密造に、日を追うごとにヒステリックに傾斜する合衆国の大衆を冷ややかに横目で見やりつつ、…

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