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―前回まで―まずはこの山を越えなければ目指すあちら側の世界へは辿り着けない。中世から近代へと向かうその狭間に避けては通れない哲学者だからという理由で私の前に再…
―はじめに― 数年前に遡りつい最近に至るまでの個人的思いが重なり合いここしばらく魂と身体のことが頭を離れずにいる。 それと並行し行き場のない心を自ら鎮めるよう…
大正時代に学生の間で流行した「デカンショ節」の「デカンショ」は哲学者のデカルト・カント・ショーペンハウエルの略だという話があります。これについては、前に「デカンショ節にまつわる面白い話。歴史や名前の由来などを紹介。」という記事に詳しく書いて
大正時代に学生の間で流行した「デカンショ節」の「デカンショ」は哲学者のデカルト・カント・ショーペンハウエルの略だという話があります。これについては、前に「デカンショ節にまつわる面白い話。歴史や名前の由来などを紹介。」という記事に詳しく書いて
大正時代に学生の間で流行した「デカンショ節」の「デカンショ」は哲学者のデカルト・カント・ショーペンハウエルの略だという話があります。これについては、前に「デカンショ節にまつわる面白い話。歴史や名前の由来などを紹介。」という記事に詳しく書いて
serial experiments lain(ゲーム版) 感想
前回の記事でserial experiments lainという1998年発表のメディアミックス作品の概要についてご紹介しました。今回の記事では主にゲーム版についての感想を書きたいと思います。
私はXである。古来、ダイモンとかデーモン、ルシフェル、メフィストフェレス、霊感、悪霊、無意識、存在の呼び声、等々と呼ばれてきたんだけど、面倒臭いからXと呼んでくれ。3万70歳というのはウソである。年齢などはない。人間という仮面をかぶっているから、仮面なら人類と同じ年齢だ。...
「生気論」と「機械論」は科学史や哲学の分野で扱われることの多い概念である。今回の記事では、この2つの概念についてわかりやすく解説する。また、補足として「人間機械論」についても記事後半で触れているので、必要に応じて読んでもらえると幸いである。
「二元論」という言葉の意味は何となくわかるけど、具体的に説明するのは難しいという人もいるのではないだろうか?今回はそのようなあなたのために、二元論の基本から深掘り情報まで、コンパクトに網羅する記事を書いたので、ぜひ読んでみてほしい。
デカルトは17世紀に活躍した哲学者である。ただ、その名前は広く知られているものの、具体的に何をした人か説明しようとすると、言葉に詰まってしまう人も多いだろう。そんなデカルトの全体像をすぐに理解できるように、必要な情報をコンパクトにまとめた。
デカルトは17世紀に活躍した哲学者である。今回の記事では、デカルトの名言を厳選して、英語訳付きで紹介する。デカルトや哲学に関する知識がない人でも楽しめる構成にしたので、ぜひ興味があるところだけでも読んでもらえると嬉しく思う。
方法序説って、結局、どういうことが言いたいの? 今の時代に、方法序説を読む意味って何?
まずはChat GPTさんの答えから… 「方法序説」とは、デカルトの著作「方法序説」(Discours de la Méthode)を指すことが多いです。これは、17世紀のフランスの哲学者レネ・デカルトが書いた作品で、近代哲学の始まりとも言われています。 この中でデカルトは、自身の哲学的・科学的探求における方法論を説明しており、「疑いの方法」を使って、確実な知識の基礎を見つけ出そうとしました。彼は全ての伝統的な知識を疑い、自明の真理だけを受け入れることを提案しています。この過程で、「我思う、故に我あり(Cogito, ergo sum)」という有名な命題に到達しました。 デカルトの方法論は以下…
まずはChat GPTさんの答えから… 「我思う故に我あり」とは、フランスの哲学者デカルトの有名な言葉「Cogito, ergo sum」の日本語訳です。これは英語で「I think, therefore I am」と表現されるものです。 この言葉の意味は、自分が考えるという行為が存在の確認となる、つまり「私が考えているから、私は存在する」ということを意味します。デカルトは、疑念の中で一つだけ確かなこととして、自分の存在を確認する手段としてこの考えを提唱しました。 スポンサーリンク (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); もう少し“…
近代合理主義の幕開けは、ルネ・デカルトが唱えた懐疑主義に始まるとされています。とりわけキリスト教が支配したヨーロッパにあっては、『旧約聖書』であれ、『新約聖書』であれ、聖書に記述されていることを疑いますと、最悪の場合には異端審問によって火あぶりの刑に処せられる程の罪でしたので、近代における懐疑主義は、人々が理性に照らして疑問を持つことに肯定的な意味を与え、思想の面からも近代科学の発展の基礎を築いたとも言えましょう。学ぶことが、覚えるだけの単なる暗記であったり、テストの成績を競うのであれば、しばしばそれは苦行ともなりますが、‘何故だろう?’という疑問から始まる学びは、謎を解いてゆくプロセスの楽しさや無我夢中になれるものとの出会いに加え、その理由や仕組みが分かったときには喜びと幸福感に満たされるのです。その発...懐疑主義の復興を-疑う自由の意義
ホームページの近代哲学のまとめは、近代形而上学と近代の自然科学の関係のみとなりました。物質的自然観から量的に観測可能なものとしての自然科学が出てきたという流れでかけそうですが、重要な人物であるライプニッツが単純にその流れには入ってくれそうもないです。とりあえず自然科学と関係のありそうな話題を拾っておいて、後で考えることにします。デカルトによる自然研究への数学の適用の模索は、ガリレイやケプラーによっ...
みなさんは当たり前のように知っているが、科学は全然知らない「存在は客観的ではない」という事実(1/10)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.4】
*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.50 目次・科学はこの世の存在をすべて「のっぺらぼう」に変える・科学が事のはじめに為すふたつ目の作業、「存在の客観化」・物は、言ってみれば、周りの空気を読むものである・身体も一瞬一瞬答えるものである、「他のものたちと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに・音もまたしかり(読み飛ばしてもらっても支障無し)・「存在の客観化」とは存在のすり替え作業・存在の本質は「どこに位置を占めているか」に ◆科学はこの世の存在をすべて「のっぺらぼう」に変える 機械ではない身体を、なぜ医学が機械と見なすのか、いまそれを確認しようとしているところです。 とは…
とりっくおあとりいと♪ なぬ?もう終わったって? いつの間に! ついこないだ(以下省略) はい、またしても以下省略男のちょちょ山でございました。 皆様、いかがお過ごしでしょうか。 とうとう平地でも雪が降りました。 朱鞠内(シュマリナイ)で積雪10㎝ですって。 そろそろタイヤ交換しておかないと、本気で死にます。 雪国の宿命よ・・・ (朱鞠内湖 2011年4月 ちょちょ山撮影) さて、今回のお題。 何も実績らしい実績を残さず、怪しいお金の流れの謎と マスクの不良在庫だけをしこたま残し、ただダラダラと 史上最長任期を全うしただけの元内閣総理大臣が凶弾に倒れ、 何故か無駄に多額の国税をかけた国葬が執り…
第七章『デカルトと近代哲学の創建』のメモまとめです。中世末期、当時の西欧の政治的事情もあって、プラトン-アウグスティヌス主義復興の運動が起こっていました。この運動は「当時まったく逆の動機から、近代国家建設をはかる諸勢力によって推進されていた国民主義の運動と利害を等しくしていたため、その強力な後援を受けることになりました。」デカルト哲学もこうした運動の一環の一つとして登場しました。ルネサンス時代の哲...
2022年5月中野区にある哲学堂でのスケッチ会に参加。 私はこの時まで知りませんでしたが、ここは 哲学者で東洋大学の創立者でもある井上円了氏が明治37年に精…
面倒くさ~、やっぱ明日にするわ (by A Lazy Turkish)
作家の 遠藤周作 さんが、”人生とは何か、学ぶこと、遊ぶこと、老い、そして死” をテーマにした「生きる勇気が湧いてくる」という本の中で、 *「明日できること…
社会批判、について、思いつくまま ―― 論点先取 30/xx
論点先取(ろんてんせんしゅ、英:Begging the question、羅:Petitio Principii)とは、証明すべき命題が暗黙または明示的に前提の1つとして使われるという誤謬の一種。論点先取の虚偽(ろんてんせんしゅのきょぎ)とも言われる。論点先取は、循環論法の誤謬と関連している。―― ウィキ/論点先取 例えば、ルネ・デカルトの「我思う、ゆえに我あり」、 Je pense, donc je suis. では、 「我あり」を証明しよ...