・698年(周暦聖暦1.1.甲子) 周の則天大聖皇帝,武曌は「聖暦」と改元した。(『新唐書』則天武后紀) ・698年 4.壬辰 備前国の国人,秦大兄は香登臣の姓を賜った。(『続日本紀』) ※長子を意味する「大兄」が、長子の人名として用いられていたものと考えられる(荒木敏夫『日本古代の皇太子』)。 ・698年 8. 藤原不比等とその子孫以外の、意美麻呂ら中臣氏出身の人物が藤原姓を名乗ることが禁じられ、藤原氏が政治、中臣氏が以前と同様に神事を司ることとなった。(『続日本紀』) ※大宝令官制において、藤原氏が太政官、中臣氏が神祇官の官として並び立つことを定めたものであり、不比等とその子孫のみが王権を…