パリ
パリのシャンゼリゼ通りを闊歩すると、道路そのものが一つの文化であることが分かる。シャンゼリゼのあの堂々とした大通りは、馥郁たる文化が宿り、高い精神性を感じる。フランス文化の矜持を感じる。道路は単に通過点ではなく、文化を育み、運ぶ重要な役割があるのである。日本にあのような堂々とした道路がないことを残念に思う。東京都がオリンピック招致に名乗りを挙げたそうだが、あのような運動会を自国開催する地位に日本は既にあるのでははく、途上国が開催できるようにサポートをする立場にあると考察できるのが世界文化に精通した知性というものである。1000年単位での文化を洞察できる度量のある人材は都庁にはいないのか。例えば法隆寺のような、1000年後の人間を感動させる豊饒たるプロジェクトである。
堂島
大阪堂島に旅する。昨今は株式ブームらしいが、堂島と聴いて心ときめく金融関係者、投資家は果たしてどれほどいるであろうか。カーナビにそのものズバリが検出出来なかったので、近くまで来て交番で尋ねた。「堂島先物取引所発祥の地」はどこかと。そのときその場にいた三名の警察官全てが首をひねり、地図を出してきて探してくれた。驚いたことに、その場所は何とその交番から200mほどの間近にあったのだ。何に驚いたかというと、近くの交番さえ知らない、全く忘れ去られた場所となっていることである。
堂島は1730年代に、現代金融手法の嚆矢となる斬新なシステムを世界に先駆けて開発しマーケッティングしていた。空売り、先物取引など現代経済を支える金融相場の基礎が作られ既に実践されていた。シカゴ商品取引所(CBOT)が設立されたのは1848年であるから、それに先立つ1世紀以上前には既に取引が行われていたのである。更に驚嘆すべきはその情報インフラである。堂島から和歌山まで50kmの距離を、当時の相場情報が伝達するのに、わずか「3分」であったとのことである。特化された旗を振り、驚嘆するスピードで情報伝達していたその高度な知性と強靭な精神には、ただ感服する。
この金融システム発祥の地が堂島なのである。堂島にはさわやかな風が吹いていた。