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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
東海林さだおさんの食べ物エッセイ「丸かじり」シリーズの魅力は、細部へのこだわりと具象性にあります。
この『キャベツの丸かじり』に収められた「懐かしののり弁」という章にこんな文章、
「弁当包みは、布製のやつなんかではなく、新聞紙でなければならぬ。その新聞紙は、弁当を開いたとき、醤油のシミがついてなければならぬ」。
これこそ、紙は細部に宿る、醤油のシミは新聞紙に宿る、の見本のようであります。
この文章だけで、新聞紙のはしっこに、弁当箱の醤油またはおつゆのシミがにじみでていたときの切なさが、シミジミわきおこるのであります。
「まったく、かあちゃん、また汁物を弁当のおかずにしたな」と、ぼやきたくもなるのです。
さらに、弁当箱の横にあった、地図帖なんかの端も、醤油のシミで濡れて、ぼわぼわになっているのに、怒りが爆発します。
「だから、おでんなんかおかずにするなといったのに」
この弁当箱の例をみるまでもなく、新聞紙と食べ物とは実に長い間、蜜月の時代を過ごしていました。
相性がよかった。
たとえば、焼きいもと新聞紙。
あのほっかほっかの焼きいもは新聞紙でくるまれて、はじめてこれから寒い季節がやってくるのだなという風情がでるというもの。
しかも、この場合は政治面ではなく、文化面あたりの新聞紙の方が似合う。
「枯れ葉よ~」とシャンソンがあれば、もっといい。
秋といえば、サンマ。
これだって、新聞紙にぼーんと放り投げられて、くるくるって丸められて売っていた。
おお、サンマを一匹買ったぞ、という気分になる。
この時はTV面か、社会面がいい。
「だんなを出刃包丁でさした」とか、「隣家の煙が目にしみたから」みたいな、事件ものが似合う。
まるまるぼーんといえば、新聞紙とタクアンもそういう関係にあった。
これは、教育面がいい。
なにしろ、タクアンのことは「こうこう」(孝行)というではないか。
このように、新聞紙と食べ物は、相思相愛だったのだ。
それなのに、最近ではどうも不仲説がながれていて、一部ではすでに破局か、とまで噂されている。
弁当箱を新聞紙で包みますか。
焼きいもを新聞紙で包みますか。
サンマは。タクアンは。
すべて、NOなのです。
いったいどうしてこんなことになってしまったのかを丸かじりレポーター諸氏が追求したところ、どうも食べ物さんの浮気が原因らしい。
新聞紙さんの容姿がみすぼらしい、貧しくみえて仕方がない、そういうあたりが原因のようだ。
あるいは、包み紙が包み紙として成立したことやビニール袋の台頭がめざましいことも考えられている。
それでいて、英字新聞はまだまだオシャレということで人気がある。
弁当箱に、ニューヨーク・タイムズ。
焼きいもに、ル・フィガロ。
サンマに、プラウザ。
タクアンに、人民日報。
たしかに、グローバルではありますが。
◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でご覧いただけます。
丸かじりシリーズの第2段!
2001/04/22 07:29
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投稿者:みんみん - この投稿者のレビュー一覧を見る
丸かじりシリーズの第2段!食べ物について挿絵入りで面白おかしく書いてある本です。
鍋焼きうどんの正しい食べ方は、まず、風邪をひいて寝込んで出前で鍋焼きうどんを取ってもらいましょう。新キャベツの隠し玉は、新キャベツと油揚げの味噌汁である、しんなりとした水っぽいシャキシャキ感がいい。峠の釜飯は、列車が止まっているときと、走っているときでは大いに味がちがう。走っているときはおいしいが、駅で止まったりすると急に味が落ちる。
ちょっとかじっただけでもすごく美味しそうでしょう。
けれど丸かじりシリーズを読んでいると無性にお腹がすいてしまい、ついついまた食べてしまう。ちょっと危ない本です。
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215ページのにゃんこがたまりません。まあそれはおいといて。これのおかげで?!食べたこともなかった白菜のお漬物が大好きに。鍋焼きうどんのこれ以上はないという、食べ方は必読です。
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080529(a 080813)
080727(n 081102)
090111(s 090119)
100119(n 100306)
100512(n 100612)
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食べ物のことを書かせたらこの人の右にでる者はおりません。
食べ物は人間にとってとても身近なものであり生存するための条件であるもの。
それを多角的に、コミカルに、理知的に分析している文章がとても楽しい。
趣がある、との両面性をも兼ねているからすごい。
特に好きな回は、カツ丼の回ww
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食べ方、作り方、それらのシチュエーションにこれ以上ないというほどのこだわりを伝えてくれて、色んな食べ物の魅力を教えてくれる一冊。
ビールは喉の奥に放り込め!
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図書館の本
内容(「BOOK」データベースより)
有名ラーメン店の行列に並んでみる、懐かしののり弁に挑戦、駅弁の正しいありかた、いじけるなサバ好きたちよ、アツアツごはんに一番合うおかずは何か、カツ丼の魅力を語る、鍋と人生はむずかしい、紅ショウガは哀れである、おでんに苦言を呈する…素朴な疑問と旺盛な好奇心で、食べ物なんでも丸かじり。
書かれているものがおいしそうなだけでなく、思わず噴出してしまうのはなんだろう?
幕の内弁当、たけのこ、あじのひらき、タクアン、お芋。
くすくす、笑わせていただきました。
しめさばつくってみようかなぁ。
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この本は「丸かじり」シリーズの第二弾です。タンメンの魅力を語ってみたり、のり弁を懐かしみ、カップ麵の言い訳の出来なさに悩みつつ、素朴な疑問を追及します。ただ、空腹時に読むのはお勧めしません。
今、僕のお気に入りとなっている東海林さだおの『丸かじりシリーズ』その第2弾でございますが、これを読んでいたときは無性におなかが減っていたときで、空腹時にこの本を読むべきではないということを自分で実証する形に相成ってしまいました。鍋焼きうどんは病床で食べるものであったり、タンメンの魅力について語っているところにいたっては『ああ、今すぐにでも日高屋に飛び込んで大盛りライスと一緒にズルズルモリモリと食したい!あの野菜と申し訳程度に混ざっている豚のバラ肉がたまらん!』と身もだえをし、カツ丼の魅力をこれでもかと語る部分や、いわゆる『大衆魚』と呼ばれるサバが以下にうまいかと切々と語る回にいたっては、僕の頭の中はサバの塩焼き、味噌煮定食。バッテラ、サバの握り寿司と、おいしそうな食べ物があれこれと頭の中を駆け巡って、なんとも難儀をしました(笑)。
普段だと何気なく通り過ぎてしまうような素朴な疑問をここまで考察する筆者も筆者ですが、それを読んでふむふむなるほどなぁ、などといっている僕も僕です。しかし、一読はしてもビジネスのヒントになったり、自己啓発には一切役にはたたないものが、意外と人生にとっては必要である。そういったことを読みながら考えました。僕は牛丼にもかなり紅しょうがを入れたクチですが、皆さんはいかがですか?
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正月のモチ、タンメン、フタ etcをここまで語れる人は、東海林さだおを置いて他には居ないだろう。
東海林氏の偏執的執着な目が、上から見たり、下から見たり、右斜め上から見たり…、時には解体して、湧き上がる興味の限りを尽くして見ているからであろう。
阿川佐和子氏の解説にもその一端が書かれている。
東海林氏の飽くなき探求が読者を飽きさせず、永く「あれも食いたい、これも食いたい」(週刊朝日)シリーズを続けさせているのである。
凄いの一言だ。
阿川氏が解説を書いている週の週刊朝日の同シリーズに369回と書かれていたらしいが、それから10年近く経過した現在も続いているのだから、正に脅威だ。
そして、それが編纂された丸かじりシリーズを全巻買い続け、何度も何度も読み繰り返す自分も脅威だと思う。(笑)
最近、ピチャピチャ男を普通に見るようになり、それが異常な存在ではなくなった。
「暮れに打つウドン」を読み、自分でもウドンを打ってみたいと思う。
このシリーズは、料理本として読むことも出来る。
男めしに目覚めた最近、それに気づいた。
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大変、大変東海林さんには申し訳ない事だが、
図書館のリュースコーナーにて、著者の本を見かけると(20円!)
(わっ♪あった!)と、大喜びしながら買い求める。
申し訳ない、というのは実はこのままトイレの本棚行きとしての運命がすでに決まっているからなのだ。
(こんなに面白い本なのに・・・。)
いや、
(こんなに面白い本だからこそ!)と言い変えよう。
食べ物についての鋭い視点。
鋭いながらも、面白みに欠けぬ言葉の選択。
『紅しょうがの哀れ』
…ほか弁の発砲スチロールの片隅にそれはあった。
包装とも言えぬ、ビニールの切れっぱしに包まれて、
「食うなり捨てるなりどうにでもしてくれ」と、言うように
幸い薄く突っ込んであった。
不憫であった。
ウチでも子供達の紅しょうがはすべて、夫の元へと集まる。
「こんなに食えないよ~」
と、持て余し気味の彼らにこの様な哀れみをかけられるとはっ!!
ぱらりと後ろの初版年月日を見た。
1989年一月単行本化。
ざっと今から20年前かぁ~。
しかし笑いのセンスは充分今でも通じる、と、思う。
トイレに新刊が陳列されるたび、家族のトイレも長くなるのが困った所ではあるが。
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他に何冊か読んだ「丸かじり」シリーズに比べると、今ひとつ盛り上がれなかったが、うどんの打ち方の回は本当に参考になった。
自分でうどんを打った時に抱えていた悩みをスッキリ解決してくれた。
また、うどんを打ってみようと思えた一冊。
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白菜のおしんこ話、紅ショウガの話は格別に納得しつつ読む。丸かじりシリーズはそこそこ読んだけど、変わらず新鮮な楽しさを提供してくれる。今回の巻末解説は阿川佐和子さんで、これまたよかった。ホント、東海林さんの描く挿絵の人物の目に注目すると味わい深い。まなこの位置に微妙な違いあり。描かれる目の半分はまなこでなく一本線なんだけど、この角度や長短、曲がり具合がすべて異なり、人物の思いを巧妙に伝えている。この挿絵を描くのって、案外時間を費やしておられるのかもしれない。
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何年も前にはまって集めたシリーズを発掘して再読。
風呂の友。個人的には『一緒に飯を食うとめんどくさそうシリーズ』
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親の本棚にあったので。
ハヤシライス、タンメン、キャベツ、釜飯など、そういえば身近だけど最近食べてないものを、このエッセイでまじまじと表現されてしまって食べたくなった。イラストに描かれるおじさまおばさまが絶妙。