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投稿者:ジミーぺージ - この投稿者のレビュー一覧を見る
脳が壊れると何も分からなると思っていましたが、
実は状況は分かっているけれど
どのように行動したらよいかがわからないとか、
このようにしたのに、そう体が動いてくれないということが
実体験で書かれていて、わかりやすかったです。
また、いくら脳がこわれても、脳は学習をまた開始するということには
驚きました。
著者が負けずきらいで、明るい性格なので
応援しながら読ませて頂きました。
「どうしてできないの」がちょっとはわかる糸口になる本
2022/10/10 16:23
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投稿者:KeiM - この投稿者のレビュー一覧を見る
病院で介護をしていて、「どうしてそれができないの?」と思う時があります。
そこに補聴器あるじゃないですか、どうしてつけられないの? とか。
できない理由やその時の患者さん側の気持ちが、丹念につづられた本でした。
医師であると同時に患者となったご自身の体験。
短文で記録してあった事項はどれも説得力が強烈です。
脳が傷つくとその役割が果たせなくなることは普通。
どこが傷ついたら何ができなくなる、これはかなり解明されています。
そして脳が持つ再生力。
「高次脳機能障害は治るんだよ、私も昔あなたみたいだった」
この説得には泣きました。
高次脳機能障害についての非常に貴重な本です
2020/05/10 12:00
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投稿者:良知知行ゴウイツ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の意義は、まず、高次脳機能障害について、患者で、かつ、医師である筆者が、極めて冷静に、自らの症状を、具体的実体験と、脳に関する専門的知見を元に言語により表現されていることです。二つ目は、地域、身近な人々との関わりです。
序章 壊れた脳の中、教えます 1章 私は奇想天外な世界の住人 2章 脳に潜んでいた病気の芽 3章 病気を科学してみたら 4章 あわや植物人間 5章 世間はどこもバリアだらけ 6章 普通の暮らしが最高のリハビリ。
見えない障害であり、その程度、特徴が、個々に相当の差があり、性格が180度変わってしまい、攻撃的になってしまい、数分前に言ったことを忘れているなどと聞いたことかあります。誤解、偏見もありますし、障害者とその家族を守る医療、補償を含めた社会的基盤が極めて不十分です。
10年以上前のことですが、私が事件で関わった障害者の両親は、悲観して自殺してしまいました。
しかし、本書は、筆者の前向きさ(底抜けの明るさ?)、幼い子供、義兄夫婦の関わり方など、心なごむもの、認知運動療法など希望があります。非常に貴重な本です。評価は、4.5としたいのですが、選択できないようなので4とします。
また、山鳥重先生の解説は第1人者によるものであり、さらに「心は何でできているのか」角川選書、「言葉と脳と心」講談社現代新書を読みたいと思っています。
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脳に障害を負われた方の話。
諦めないポジティブな部分に救われますが、多くの人は諦めてしまうような状態。いかに普通の生活が高度なことであり、ハンディキャップをお持ちの方に辛いのかがわかります。
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今も医師であり(かつて整形外科医として働いていた医師であった)「モヤモヤ病」・「高次脳機能障害者」の筆者の生きる姿を自分自身で自分を語る。生きることとは、生存すること。生かすことは、はずかしがるではなく、惜しむことなく、カミングアウトすることであり、回復することであり、現状を受け入れて生きていくことである。ふとしたことから、手にすることになったのだが、淡々と読んでいくうちに、ぐいぐいと引き込まれていきそうになるのを、ぐぐっと、できるだけ、事実を読んでいこうという姿勢で読んでいくように心がけた読書であった。
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9784044094133 313p 2009・11・25 初版
〇脳に損傷を受けたらどうなるか?どんな感覚なのか?見た目には変化がわからない。一人ひとり症状は違うが著者の体験を知って驚いた。「おわりに」のわが子へ思いは涙が・・・。
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高次脳機能障害を患った整形外科医の記録。医者として患者として二つの視点から高次脳機能障害をみる、なかなかない貴重な記録だと感じた。授業で習ったが、いまいち具体的に状態が想像できなかった失行や半側空間無視のイメージができるようになる。患者のやる気をそがない、内心を想像する。医療職を目指したいと思う。初心に立ち返りたいときは、これを読もう。。
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医師であり当事者でもある筆者の、高次脳機能障害についての手記。
脳が傷つくことによって、何が起こるのか。
本書はその「内側」からしか知ることのできない世界について知ることができる、貴重な内容です。
医学的見地から、ひとりの当事者としての視点から、「その時」のことと、この後の回復について、希望を感じられるような形で描かれていて、とても読みやすい一冊でした。
高次脳機能障害の方と関わりのある方々にはぜひオススメしたい内容です。
個人的には息子さんとのエピソードが涙なしには読めませんでした。
ご自身も大変な中で、それでも育児と仕事を当たり前のこととして続けていらしたところに、同じく子育て中の母親として、深く尊敬の念を抱きました。
支援者として果たすべき役割は、
当事者の方が希望を抱けるようにサポートすることと、
回復の可能性を信じること、
だと思いました。
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とても勉強になりました。とにかく脳自身がいろいろ発達していくのが素晴らしい。自分がそうなった時に忘れないようにしないと、可能性があることを。
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これだけ脳卒中になる人が多いのに、脳卒中になった人がどのような課題にぶつかり、どのように考えているのか知る機会は驚く程少ない。そういう意味で、とても意味のある本だと思う。
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脳が壊れてしまっても、諦めなければ生きている限り成長と回復は続く…。
脳障害を持つ当事者や家族だけではなく、ごく普通の悩める人にも勇気を与える本だと思います。
うまくいかないことばかりでも、諦めないで工夫して、懸命に生きればきっと、と。
けど、懸命に生きるっていうのが難しいんですよね…。何のために?という動機がないと。
この作者の場合は、息子の為にという動機も大きかったのかな。あとは持ち前の好奇心も回復にはとてもプラスに働いたのでしょうね。
ノンフィクションとしても良作ですが、
高次脳機能障害について知りたい、知ってもらいたい人のための気軽な医学書としても使える本だと思います。
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脳梗塞により高次脳機能障害になった医師のお話。
脳の障害という観測しにくいものに対し、医師による主観の記録によって圧倒的な情報量があり、わかりやすいものになっている。
脳の一部の機能が失われることにより当たり前のことができなくなるということが脳の複雑な仕組みを示してくれている。
いろんなことを普通にできる人間とそうではない障害を持った人、ロボットの違いなどについても考えさせられることも多く、ロボットの研究者などにおすすめしたい。
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「高次脳機能障害」についての本。
著者は医師である自ら脳梗塞等何度か脳内出血を起こた高次脳機能障害を持つ方である。
ある意味、医療の知識もあり、かなり恵まれた立場であると言う事で何とか社会的にも復帰し、子育てもあれているのであるが、自らの体験談は驚きの連続である。
そんな風になるのかと思う反面、聞きかじりの脳の知識を考えると、なるほどそうなるのか、とも言える。
明日は我が身かもしれない「高次脳機能障害」について知ることが出来き、またこの病気を通して脳の機能の一端を知ることが出来る本である。
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素晴らしく興味深く、読みやすい1冊。同テーマの「奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき」と比較してもとても分かりやすく、著者が日本人ということもあって親しみやすかった。人に薦めるならこちらを優先したい。
脳のリハビリでものすごくおなかがすくというエピソードと、半側無視を自身の視点から記述した部分が特に興味深かった。
著者の義兄の人柄には惚れ惚れする。脳に損傷を受けた人々を「生き残った勝者」とし、「勝者としての尊敬を受ける資格があるのです」と言ったスピーチにはぐっときた。
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三度の脳出血で高次脳機能障害となった、自身も整形外科医であった筆者が、その症状とはどんなものであるのか、という自身の体験を語り、また、社会や周囲が患者にどう接すべきであるか、などについて論じている。
高次脳機能障害は、盲目や認知症などと違い、症状が周囲から見て分かりづらく、ただ単に少しトロい人、で片付けられがちであるというが、そのとき、実は本人の中で何が起こっているのか、筆者の体験談を通して、その一端を理解することができた。
高次脳機能障害は、脳の機能の一部が脳出血等により働かなることにより、環境からの刺激による情報を統合して評価することができなくなるという。
すると筆者のように頭頂葉が傷ついた場合であれば、周囲の世界の空間認識・・・遠近感、凹凸などが把握できなくなり、食べた後の食器をお膳の空きスペースに置いたり、階段を降りたりといった、普通の人には何でも無い行動が、非常に困難になるらしい。
ダメージを受けた脳の部位の違いにより、人によってどんな機能が抜け落ちてしまうかというのもまちまちらしく、やっかいだ。
筆者は、治療やリハビリに関わる人には想像力が必要だと論じているが、その通りだ。
このように、自分にとてつもない変化が起こっているのに、他人事とも言えるような冷静さで症状について語る筆者がすごい。
あまつさえ、高次脳機能障害について興味を深め、自分の症状を客観的に分析し、生活の工夫に生かしている。
また、「普通の生活が最高のリハビリ」をモットーに、どんどん社会生活に飛び込んでいく姿勢も、なかなかできないことだと感じた。
(周囲の遠近感や凹凸が消え、ただ平面的なパターンだけが見え、知らずにものにぶつかったり、落ちたりしそうな世界を一人で歩こうと、私なら到底思えない。)
このように重篤な障害であれば、絶望に塞ぎ込み、戻ってこれなくなっても、いた仕方ないと思う。(実際、そういう時期もあったのだろう。)
この先、重大な病気にかかったとき、筆者の病気に対する立ち向かい方を、思い出せたらと思う。
たとえ、そうなってすぐにはそうできなくても、決して諦めず、明るく生きていく道を探したい。
しかし、脳というのは、さらりと高度な情報処理をこなしているものだ。
そして、私たちは、その脳のフィルタを通してしか、決して周囲を認識することはできないのだ。
健康であればまず認識できないが、生きていく上で必要なものは、全て持っているという当たり前の事実に驚愕する。
まさに筆者の息子さんが言うとおり、「何もできなくても生きているだけでいい」ということなのだ。