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分かったつもりの中で会話が進んでいくことは多い。少し疑問に思っても、流れを止めることが憚られることもある。少なくとも、つもりに陥るおそれがあることを常に自覚する必要を教えてくれる。
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本なり文章を読む際に、いかに「わかったつもり」になって読み進めているかを解説。
自分にとって必要な情報だけをピックアップして、あとは読み飛ばしていくのが普通の読み方だと思うが、その読み飛ばしたことをもって「わかったつもり」になっているという、重箱の隅をつついたような著者の主張はどうかと思う。
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「わからない」のを「わかる」にしたくて読んだのに、なんか最初から「わかる」を前提に作られていて、正直透かされた。何か全体的に著者のコトバ遊びに付き合わされた感じ・・・
まぁ、結局凡人は凡人なりに本を読んでいくしかないようです。。。。
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「わからない」「わかったつもり」「よりわかった」と理解の段階を分け、「わかったつもり」からの脱却を説く本。
確かに読んでいて、「なるほど」とうなずくことが何回もありました。文章も難しくなく、すらすらと読めます(それこそ「わかったつもり」になっているのかもしれませんが)。
ただ、ここに書いてあることを「読む」とよく理解できるけれど、「実践」となると、なかなか難しそうです。おそらく、僕の人生は、「実践」を充分に行い、マスターするには短すぎる。
ただ、ステレオタイプや文脈にどれだけ僕らが惑わされているか。そこに対する気づきという点では、得るものがとても多い本ではないかと思います。
「「正しい」と「間違っている」という判定は、シンメトリーなものではありません。後者は明確に判定できますが、前者は「整合性はある」とか「間違っているとは言えない」という判定しかできないのです。」(p206)
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事例紹介が多い中、わかったつもりという言い方はいかがなものかと思いました。「新たな観点の一つ、文脈を与え」ながら読むことで、新しい気付きを得ることができるというのは、意識できると強そうですね。
後半に進むにつれて、ペースは加速していき、国語教育について考えるにいたりました。
読解中心の国語教育で読解力を伸ばすには、そもそも読解力とは、という観点が面白かったです。
国語教育が腑に落ちない学生というのは(僕も含め)多くいると思います。社会でよく言われる、アカウンタビリティ、生徒のニーズに応えるということを公教育でも行っていくべきなのかな、と思いました。
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よくぞこれだけの内容で新書一冊を埋めたものだ。
読解力や批判力を養うには、わかったつもりにならずに、一語一語読み精読することが大切って事。いたって当たり前な事をつらつらと書いている。でも一番肝心な部分、生きていくうえで何故読解力が必要なのかってとこが一行分くらいしか書いてない。しかも前書きに。この本を流し読みした僕は読解力がつかないんだろう。でもそれはしょうがない事なのだ。
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後から考えて不十分だというわかり方を「わかったつもり」と本書で述べている。
その「わかったつもり」が深く読むための大きな障害になることを簡単な例文を通して示している。
自分が本を読む時にわかったつもりのままでいるんだな〜ということを実感できる。
でも、僕は本(教養本)から自分の欲しい・得たいものを得られればそれでいいんじゃないのかな、という考え方なので、これは小説や物語を読む時に心がけたい。
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最初からわかったつもりになってしまう、ステレオタイプのスキーマには要注意である。
変化の面白さや玄妙さを失ったり、探索活動を妨害するという弊害が起きてしまうのだ。
認知心理学でよく使われる言葉、「スキーマ」。
私達の中の既存の知識によって、文章読解を容易にしたりするのだという事を学んだ。
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amazonで評価が高かったので買ったのだけど、一読しただけでは意味がよくわからなかった。文章を読む際に、読者の勝手な思いこみや読み飛ばしによって中身を正確に読み取れないことがあるという大筋はわかったのだが・・・筆者の論理はとても数学的で(筆者が文系卒でなく、東工大理学部卒ということから納得)、自分のような感覚で物事を捉えるタイプの人間には、ちょっと難しかった。たしかに文章は正確に読みたいけども。それよりも私が一番聞きたいことは、どんな文章を読むときに、筆者の提案する精緻な読み方が必要なのかということ。入試の現代文を解く時には役に立ちそうだけど、娯楽で読書をする際も、そのようにしなければいけないのだろうか・・・?これは余談だが、筆者いわく本を読み終わったあとに、漠然とした当り障りのない感想・解釈しかできない場合は、本を正確に読めていない可能性大だそうだ。2008-8-27
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文字通り、わかったつもりになることへの注意を喚起した本。
「わかった」と思うことは扉を閉じること。
わからない状態を続けましょう
内田樹の「先生はえらい」と合わせて読むといいかな。
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どのように文章を理解するか。
深く理解するための文章の読み方。
受験生の現国とかに役立ちそうだけれど。
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漫画週間雑誌モーニングに連載されてた「ドラゴン桜」の参考欄に載っていたことから
興味を持ち購入。最初に出てくる"子猫の話"にはまいった。
要約すると
『わかったつもりは一種の思考停止で、まだひそんでいる規則性に気づかなくさせてしまう現象である。
逆にこれができることを"読解力がある"という。』
といったところだろうか?
とにかく目からウロコ。学校の国語教師は絶対に教えない話。
そもそも学習とはなんなのか?と考えさせられる。
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わかったと思っても、実はわかったつもりになってるだけ。っていうことを説明してる本。
国語の先生になりたい人とか読んでみればいいと思います。
正直私はあんまり興味をもてず、「わかったつもり」にさえなってないかも・・・
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教授からゼミが始まる時に読まされたもの。
一回読んだけど、難しかった。きっと、まだ未熟者なんだろうな・・。
また一年くらいたったら読み返してみよう。
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図書館で借りた。
本を読んで特に疑問を抱かず読み切った際に
「わかった」のではなく、「わかったつもり」に
なっていてさらに知ろうという意欲が湧かないだけ
のこともある、と指摘している。
具体的に例を読んで、そのあとで解説するパターンなので
「わかったつもり」を実感しながら読み進められる。
「物足りない読み」はそんなに困らないだろうが、
「間違った読み」は必要な文献を読んでいる時に困ると
思いハッとした。
国語教育の中で、本文と合致する文を選択させる問題、
本文と合致しない文を選択させる問題の違いを解説している
章がある。学生時の疑問が解消された。