キリスト教原理主義の宗教国家
2017/05/03 15:02
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投稿者:コスモス - この投稿者のレビュー一覧を見る
物語の舞台は、近未来のアメリカに
キリスト教原理主義勢力によって誕生した宗教国家、ギレアデ共和国。
環境汚染、原発事故、遺伝子実験によって出生率が低下しています。
数少ない健康な女性は、子供を産むための道具として
支配層である司令官に仕える「侍女」となることが決められています。
その制度を正当化するために、聖書の言葉が巧みに利用されています。
「トランプ政権の未来がここにある」という帯の文言に惹かれて読みましたが、
トランプ政権の跡のアメリカがこのような国家になるとはあまり思えません。
上に挙げたような原因で実際に出生率が低下するという話しに、現実感が持てないからです。もし、そのような状況に陥ったとしても、男女の平等が概ね認められている社会で、キリスト教原理主義の男尊女卑の社会が産まれるとは到底思えないからです。
ここまで、アメリカが「侍女の物語」のような社会になるとは思えないことを述べましたが、本作品が読む価値のない作品であるとは全く思っていません。
世界には、男尊女卑の社会が未だ存在しています。例えば、ISIL(通称「イスラム国」)は、女性を性奴隷にするための制度を戦略的に計画し、理論的に正当化しています。
勘違いしてほしくないですが、この問題について、イスラム教自体を批判しているわけではありません。イスラム教を、そのような制度を正当化するために利用することを批判しているだけです。
ISILの例を見てもわかるように、人権を無視した制度を正当化するために、
宗教の教えを巧みに利用する点については、本作品で描かれている世界は、
実現可能な近未来というよりかは、現在の世界にも通じているような気がします。
誰も仕合せではない。
2023/01/25 11:41
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
アメリカ合衆国でクー・デタが起こって、キリスト教の原理主義者が実権を握ったとされる架空のギレアデ国。出生率の低下により出産可能の女性たちが指導者層の男性の「侍女」として側に置かれる。「妻」でも「愛人」でもない。「侍女」だ。
宗教的に性行為は子孫繁栄の為に行われるもので、快楽や欲望の為にあるのではない。
理屈はそう。そして権利も知恵も取り上げられ、従順であれ家庭に回帰せよと、「女中」や「妻」、「侍女」、それ以外と役割を分けられた女性たち。
しかし、聖書の教えに従えば禁欲を強いられる(教義上水商売は大罪になるので、売買春はもってのほか)男性がいて、「妻」や「侍女」がいてもそれは種付け行為として管理される高位の男性がいる。
女性の自由を奪ったら、男性までも不自由になった社会。
厳しくすればするほど理想的になるかも知れないが、守れもできなくなる。
どんどん引きずり込まれる
2021/03/17 22:55
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
作者の作品を読むのは、昨年10月の「またの名をグレイス」以来、あの作品は本当にあった殺人事件をもとにして書かれた奇妙で不思議で恐ろしい物語だった。この作品も、マーガレット・アトウッド氏のことだから一筋縄ではいかない。「侍女」「司令官」「保護者」「目」と謎のワードが冒頭から飛び交う。ああ、刑事ジョンブックにも登場した隠者のように暮らすアーミッシュを描いた作品かとまったく頓珍漢なことまで考えていた。だんだんと、「侍女」の正体がわかってくるうちに読むのが怖くなってくる。主人公・オブフレッド(この名前を訳アリだ)が最後にどうなったのかがすごく気になる、逃亡できたのか、失敗したのか、謎のテープはどのように保管されたのか、続編の「誓願」ではどこまで明かされるのだろう、すごく気になる
暗いお話。現実とダブって見える。
2008/04/02 09:13
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投稿者:りっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
侍女である私は、赤い服を着て、顔が隠れる羽をつけ、緑色の服を着た女中から買い物のリストをもらい、道でもう一人の侍女と待ち合わせて、買い物へ行く。選べるというほどの種類はない。帰りには、教会脇の壁を見に行く。かつての夫が吊るされていないことを確認するために。道々交わす言葉は、決められた文句。余計なことは言わないように気をつけている。相手が「目」であるかもしれないから・・・
夜は私自身の時間。じっと横になってさえいれば・・・。昔のことを思い出す。一人娘、そして夫。今の生活から比べたら幸せな時代だったのかもしれない。でもこうなる萌芽もあった。本や雑誌が通りで焼かれていた。
女には、お金やカードを持つことも、文字を読むことも禁止される。役割を固定化され、妻は侍女を憎み、女中は侍女を軽蔑する。女同士の分断。
うたたねの時間。何もすることがないのがつらい。せめて手を動かすものがあれば・・・手芸は妻の仕事であって、侍女にはない。ヘッ。侍女には、自殺予防のため、刃物を持つ自由すらない。酒・タバコも禁止。
「自由」は危険なことばとなっている。「夜を取り戻せ!!」という運動があったのは、昔の話。強姦されたり、男の目を意識して、痩せたり、整形したり、そんな必要がなくなったのが、「幸福」だと、訓練所で教えられる。そう思うほかに生命を維持できないのだ。
侍女としての仕事、どこかの国の大臣が言っていたように、子どもを生むためのマシーンなのだ。性行為の何と味気ないこと。妻の腹の上に頭を乗せ、手をつないでの合体。子を作れない妻の代わり。ただ、それだけ。
出産シーンがこれまた馬鹿馬鹿しい。分娩台が2階建て。妻も出産するかのように台にのるのだ。妻は妻たちに祝われ、侍女は侍女たちに祝われる。この日が、侍女たちにとっても、特別な祝日となる。
子どもに異常があれば、シュレッダーにかけられる。正常であったら、妻に引き渡して母乳の期間が終わり次第、侍女は別な家で任務に就くことになる。
妊娠出産という、神秘的(自然的?生物的?)なものが、そんなお手軽なものでよいのか?疑問だなぁ。代理出産。
司令官のお遊びとして、鞭や鎖の代わりに、ゲームの相手をさせられたり、サロンと言う名の買春宿に連れて行かれたりもする。そこで、昔の友と再会はするのだが、訓練所を脱走したたくましいと信じたと友も、すっかり買春宿になじんでいる。闊達だった母も「コロニー」で、働かされている。
抵抗組織があると教えてくれた侍女の仲間も、殺されたと聞かされる。妻から娘の写真を見せられ、脅されたからか、味気のない生活からの解放を願ってか、運転手との密会。これも恋とか愛とは関係ない様子。常に怯えながらの暮らし。
最後に『目』に連行されるが、『メデー(助け)だ。僕を信じたまえ』と言われ、何を信じてわからないまま、車に乗り込む。
後の世に、彼女の記録を掘り起こした学者たちが推測するも、彼女が助かったのかどうかは不明のまま。
暗い。暗い話は、今は読みたくないなぁ。特に、信頼できる人が少なくなった今の時代では・・・
現実も基本的には一緒のような・・・
考えさせられると言う意味では、いい本なのかもしれないけれど・・・
今は、元気のでる本を読みたい。
男女の役割 決めつけダメも 把握するのが 難しい
2023/09/11 22:20
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投稿者:清高 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1.読んだ動機
2023年1月2日22時から放送された、NHK・Eテレ「100分de名著2023年新春スペシャル 100分deフェミニズム」におおいて、鴻巣友季子(翻訳家、文芸評論家)が紹介していたから。
2.内容(レビュー筆者が把握した限り)
某日、アメリカ合衆国に革命が起こり、ギレアデ共和国になった。そこでは、自由や平等といったものはなく、女性は生殖のために働かなければならなくなった。主人公のオブフレッドは、最終的にはギレアデ共和国からの脱出を試みるが…
3.評価
(1)あくまで筆者の印象になるが、リベラルな社会は素晴らしく、一方、男女の役割を決めつけたり、子どもを産むことを重視するとロクなことにならないということがわかる本であった。
(2)筆者は英語で読んでいないので、訳が妥当か判断できないが、日本語に訳すると、「彼」や「彼女」が多くなり(英語では当然そうだが、英語話者はなぜスラスラと読めるのだろうか)人物や情景の把握が大変であり、読むのに苦労した。
(3)以上、3.(1)が5点レベル、3.(2)で1点減らして、4点とする。
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投稿者:にゅ - この投稿者のレビュー一覧を見る
近くの書店で見つからず、母が探していたものです。丸善ジュンク堂書店さんは品揃えが豊富で、蔵書検索もできるので助かっています。
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投稿者:bk1 - この投稿者のレビュー一覧を見る
男性絶対優位の独裁体制が敷かれた近未来国家。壁に囲まれた町には監視の目が光り、反抗する者は容赦なく処刑される。妊娠可能な子宮を持つ「侍女」たちは選ばれし者ではあるが、支配階級にあてがわれ子供を産むための道具でしかない。侍女オブフレッドは、壁の内と外で生き別れたままの娘の身を案じるあまり、反体制派の地下組織と連絡をとり、恋人と共に壁の外へ逃亡しようとする……。自由を奪われた弱者が懸命に生き残ろうとする姿を描く『一九八四年』の姉妹篇的ディストピア小説。カナダ総督文学賞受賞作。
著者紹介
1939年、カナダのオンタリオ州オタワ生まれの詩人・小説家・評論家。トロント大学、ハーバード大学大学院などで英文学を学んだ後、カナダ各地の大学で教鞭をとる。1966年に最初の詩集『サークル・ゲーム』でカナダ総督文学賞を受賞し、1969年発表の長篇小説『食べられる女』では女性の自我の危機を「食べる」行為を通して描き、文壇に衝撃を与えた。アトウッドの作品は世界20カ国以上で翻訳され、カナダ国内のみならずヨーロッパなどでも数々の文学賞を受賞している。最新長篇作TheBlind Assassinで2000年のブッカー賞を受賞した。
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一般・・・なんだよね?
SFディストピアもの、に分類してもいいな。
しかし、アトウッドのフェミニズムというのは過激だと思う。
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代理懐胎そのものはもうびくともしませんが、舞台設定が素晴らしいです。いやあもう、ぞっくりとさせて頂きました。
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侍女の「物語」
人は物語を自分に向かってだけ語ることはない。いつでも他に誰かがいるものだ。(p80)
「侍女の物語」より。前にどこかで、人間の言葉の能力というものは、常に「相手」がいることが前提となっている、ということを聞いたことがあります。独白でも文章でも、聞き手がいるからその人は話したり書いたりすることができる。この文章のあとアトウッドは「名前のないあなたに」この物語を語ろうと続けています。実際の誰かに向けて語るのでは危険だから、と。この文章の辺りは、物語上の「侍女」というよりもアトウッド本人が語っているようにも思えてきます。たぶんだけど、この前に出てきたポルノ雑誌を燃やすシーンは実際にアトウッドが目撃したのではないか?そういう現実を見てアトウッドは何かを「複数のあなた、匿名のあなた」そう、世界に語らずにはいられなかった、のではないかと。
アフガニスタンなどの女性たちも、ひょとしたらこのような心理状態ではなかったか?と考えました。
以上です。
(2011 03/13)
待つことについての文
主人公が置かれている現在の社会の仕組み、それから主人公が遭遇した過去の回想、そういうものがわかってきてそこから立体的に物語世界が立ち上がってくる。
当時の画家はハーレムに取り憑かれていた。・・・(中略)・・・それらの絵はエロチックだと考えられていて、わたしも当時はそう思っていた。だが、今のわたしにはそれらが本当は何の絵なのかがわかる。それらは仮死状態についての絵、待つことについての絵、使われていない人間についての絵なのだ。倦怠を描いた絵なのだ。(p131−132)
19世紀の絵画についての新論? アングルの「トルコ風呂」とかからマネの「オベリスク」(だっけ?)辺りの絵を指しているのかな?
こういう指摘は初めて。それだけに同じ絵でも女性が見ると違うものになるのだなあ、と認識。ハーレムの女性達は常に支配者である男性を待っている。それはこの小説の設定とも合うのだが、「使われていない人間」ともなると、そういう視点を越えてもっと一般的、現代社会全体にも当てはまりそうだ。
主人公(上記の設定を強調するように「オブフレッド」(フレッドのもの)という名前がつけられている)は、自分で何かをすることに意義を求め始めている。
小説の文体というか語り口(最近この言葉多用し過ぎている気がするのだが)は現在の物語の流れと、過去の回想(子供をさらわれる)と、内省とが入り交じって進む。今日この後読んだ「ベンヤミン」の歴史論・・・均質的な時間の流れから切り離された「現在」から「過去」の声を聞く・・・というものの具体例かのように響く。
(2011 03/16)
空を見すぎて…
えーっと、「侍女の物語」ですが、物語内の現在の隔絶管理社会と、それから過去の(ということはこれを書いたアトウッドの現実を反映した)回想が平行して進行しています。んで、今日は回想のところから…
主人公の母親は女性解放運動の闘士という設定で、その娘(つまり主人公)夫妻といろいろ揉めたこともあった。そんな中の母親の言葉に、標題のようなのがあります。母親(すなわちアトウッド??)曰く、男なんて地から浮いているオマケみたいなもの。なぜなら、空を見すぎているから…空というのは未来ということでしょうか…昨日のベンヤミンの歴史論も思い出させます…
男全てがそうではないのだろうけど、自分には当たっている気がするなあ…
ところで(この言葉でいいのだろうか…)、物語内現実では、侍女の一人(主人公ではない)の出産シーン。今まで説明してなかったけど、侍女とは要するに代理母ー子供を産むだけで、産んだら依頼人に子供を引き渡すーというもの。それがこの架空管理社会ではカーストみたいになっているわけです。
(2011 03/17)
動きが出てきた「侍女の物語」
人を人間らしいと思い込むのはすごく簡単なものだ。わたしたちはその誘惑にのりやすいものだ。(p268)
これはナチ幹部の妻の話から。自分は全くすぐ信頼してしまうタチですが、ふむふむ「誘惑」とはね。
というわけで、「侍女の物語」はいろいろ動きの種が出てきました。ストーリー的には、主人公オブフレッドの「主人」である司令官が、主人公に非公式な触れ合いを求めてくる(そこで出てくるのがスクラブルという言葉ゲームなのが可笑しい)とか、主人公の買い物パートナーである同じ侍女のオブグレンから地下組織の話を持ちかけられたり…
そんな中、メモすべきは、司令官の妻の庭の記述(これまたベンヤミン的)、昔のファッション雑誌から連想される鏡に無限に映る像の記述、「救済の儀」(っていうけど要は公開処刑)に関しての可能性の記述(そこにさらされていないだけで不安に感じる)などなど。
こういう世界が現実化しないことを祈ります…ってか、アフガニスタンなどでは現実だったんですけどね。うむ。
(2011 03/19)
言葉の逆流と夜の闇
もう長いあいだ誰ともちゃんとした会話をしていないので、言葉がわたしのなかで逆流するのが感じられる。(p339)
これはこういう特殊状況でなくても、日常生活で感じられるところ。普通には「言葉を飲み込む」とか表現しそうだけど、「逆流」だと流れていったサキが気になりますね。
それから、夜の闇について。第11章「夜」(ちなみに、この小説の奇数章は全て「夜」という名前がつけられていて、比較的短く、主人公が夜に回想したり考えたりする内容になっています)の始めに…
どうして夜の闇は、日の出のように昇ると言わないで舞い降りるというのだろう? 日没のときに東を見れば、夜の闇が舞い降りるのではなく、昇るのが見えるというのに。(p349)
と書いています。今度見てみよっと…それはともかく、人々が「闇」と名付ける様々なものは、実は人間生活に端を発して訪れる…とこの文章から自分は考えました。
ふむ。
その他…
その1、この架空管理社会はクーデターによって成立したのだけど、それを容易にしたのがお金のカード化らしい。今の世の中でも進行中の…
その2、これはこの小説では避けられないテーマだと思うけど、クーデターが起こって女性の資産が全て近親男性に移行するということになった時、主人公の夫は早くも女性保護者的発言が出てしまったという場面。これ読んでいる時には、全く男ってのは…と笑えますが、実際にこんな考え→こんな社会になるのは容易に起こりうる…ということなのですね。だからアトウッドが物語を書き続ける理由もあるわけで…
(2011 03/21)
ジョブとタバコ
さて、「侍女の物語」も残り1/3くらい。ここらへんまで来ると一気読みの衝動にかられますが、こういうところこそ落ち着いて読み進めましょう。何か穴ボコ見落とすかもしれないから…
で、標題ですが、まずジョブの方。この架空管理社会ではもちろん女性は仕事を取り上げられてしまったのですが、そこから「ジョブ」という言葉の連想が続きます。それによれば、仕事という意味の他にしつけの悪いネコかなにかがトイレじゃないところにしちゃった「粗相」という場面でも使われるみたいです。一方では聖書のヨブ記。ヨブはJOB。
さて、タバコの方ですが、主人公オブフレッドは司令官の妻セリーナ・ジョイからある取引の報酬?にタバコを1本(もちろんこれも取り上げられている)もらいます。自分の部屋に向かいながら主人公はタバコを吸う感触を想像します。前に言った、女性作家には感覚の鋭い人が多い…というのも何かの決めつけになるのかな…でもやっぱりこの人は鋭い。うむ。結局、主人公はタバコを吸わずにマッチをとっておいたのか…書いてない…伏線に違いない。うむ。って、前にもそんなふうに考えて全然違ったこともあったっけ。
ちなみに「ある取引」が何なのかは小説を読んでのお楽しみ。
(2011 03/23)
女性地下鉄道
えと、「侍女の物語」ですが、いよいよ読了間近か?今400ページ台。今日のところは、やっぱりこういうところにはある「特別なグラブ」。司令官などの権力者が主人公オブフレッドを連れてきたのは、そういうグラブ。そこでかっての悪友モイラに再会し、その脱出失敗記を聞く。そこで出てくるのが標題にある「女性地下鉄道」。これはかって黒人奴隷の逃亡を助けた組織の存在をふまえているそうです。結局モイラは国境で捕まってしまうのですが、それは現在のメーン州辺りに設定されているらしいです。
(2011 03/25)
「侍女の物語」ディストピア小説でない小説との比較論
待つのもこれが最後なのかもしれない。でも、わたしは自分が何を待っているかわからない。(p527)
「侍女の物語」読み終わり。最後の章の「夜」(200年後の「注釈」除く)の冒頭部分から。ひょっとしたら、架空管理社会・ディストピア物語という外観に惑わされるけれど、この作品「女性主人公のタタール人の砂漠」ではないか?という気もする。それはラストシーンがそう感じさせるのか? で、「タタール人の砂漠」の主人公や、この間のサヴィニオの小説の主人公みたいに男性主人公は家を出て何か何処か駆け抜けていくけど、女性主人公は「待つ」?? この小説内のモイラなどは駆け抜けていくけど、より一般的(というべきかどうか)にはこの主人公みたいに「待つ」。そして闇の中か光の中へ。要するに死へ。ということか?
で、この物語の語りが入ったカセットテープ(この小説は1980年代に発表された)が発見され学会で発表される、という「注釈」。ここは「語り手の言葉が届かない皮肉な結末」ということを前もって知っていたけど・・・うーん、なんだか、こういう学会の論調にアトウッド自身は批判を込めている、のはわかるが、これはこれで仕方がないんじゃないか、とも思う。でも語り手の声が伝わらないので読み手としてはもやもやしたものが残る。「過去の声を聞け」というのはベンヤミンだが、それは相当の想像力(創造力も)ないと聞こえてこない・・・んだなあ。
(2011 03/28)
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読書会のため2読目。これの何がこんなに怖いのか、と考えながら読む。
リディア小母も不気味だし、司令官も男性としての魅力がまるで感じられずよくわからない存在だし。。。
1985年に書かれたこの小説に「地下鉄道」が出てくるのは、コルソン・ホワイトヘッドが出た後に読むとまた不思議だ。
ナオミ・オルダーマン「パワー」も対になるような設定で、こうしてみると、この小説の影響がジワジワと続いているのだな。
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「侍女」が語るその話は、絵空事のようでもあるが、不思議な現実感を伴い、ずるずるとその世界に惹き込まれてしまう。読んでいる自分までもが、彼女とともに息を潜めて、監視と密告と処刑に怯える気分になる。21世紀初め、クーデターにより政権を奪われたアメリカでの話しという設定。。出産率の異常な低下に危惧をおぼえる新政権は、全ての女性から仕事と財産を没収し、妊娠可能な女性を「侍女」として保護し、監視・教育する。国家資源となった彼女らは、エリート層の司令官宅へ、子供を生むために支給され、ひたすら妊娠を待つ。語るのは「オブフレッド」という名の侍女。彼女たちは、身分財産はおろか、名前も奪われる。「オブフレッド」とは、フレッドのもの、という意味。他の侍女も「オブグレン」や「オブウォーレン」となる。人は、名を奪われて支配される。「千と千尋の神隠し」と同じだなぁ、と思ってしまった。最後に「歴史的背景に関する注釈」というのがある。これは、「あとがき」のつもりの注釈なのかと思っていたら、違っていた。22世紀、さる学会において、この「侍女の物語」の発見の経緯や、研究について教授が発表している様子を描いている。読者の疑問に、研究者が歴史的に読み解こうとしている。キリスト教原理主義など、細かいことはわからないけど、この「注釈」まで含めて、全てが「侍女の物語」になるのだと。ショッキングな内容ではあったけど、大変におもしろかった。時間をあけて、また読み返してみたいと思った。
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なんで こんな風に 変な世界になっちゃったんだろ?こんな世界で暮らすのはいやだなと でも じつは ある日突然 世界ってこんな風に変わっちゃうのかも知れない
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ディストピア小説としてはオーウェルの「1984」の方がより読後感がやりきれない。しかし、たとえばカーレド ホッセイニの「千の輝く太陽」などに描かれるイスラム原理主義下の女性たちにとってはこの物語も絵空事ではないと思う。少子化の責任を女性のみに押し付けるというこの過激な反フェミニズムは現代日本にも通じるところがあるのではないか。
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現代カナダを代表する作家の手によるディストピア小説。
出生率が極端に低下した21世紀ギレアデ(嘗てアメリカと呼ばれた地域)では、社会のエリートたる「司令官」に複数の女性が割当てられる。正式な婚姻の相手である「妻」、家事を司る「女中」、そして生殖を担当する「侍女」である。
此処で描かれているのは完全に役割のみを割り振られた女性たちであり(尤も、妻や侍女に面する司令官もまた男性としての役割を演じねばならない)、且つ、個別には相反する役割(妻と家政婦と母親と娼婦とが一致させられようか?)をそれぞれ別の女性に担当させる、男性=支配階級の欲望を具現化した世界なのであろう。
何より恐ろしい事に、他者に(ジェンダーに限らず)何らかの役割を要求する時、我々は同書と同じ事態を要求しているのであり、そしてそれは日常的に行われている。本書はディストピアを描く一方で、現代に至るまで歴史的・組織的に行われて来た「役割を与える」と云う暴力を指摘しているのだ。