向き合うための知識
2015/08/18 22:25
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投稿者:どんぶり飯 - この投稿者のレビュー一覧を見る
国歌は君が代、歌詞はこう、とは知っているものの、そこで知識がほぼ止まっていたため、現在の問題について考えようとしても、その土台がないため、ただ自信なく、ふらふらする意見を抱えていました。
考えるきっかけとして大いに助けになる親切な一冊。
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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
君が代の歴史について知らなかったことがたくさんあることに気付かされる。海軍省が国際儀礼で必要に駆られて急遽お雇い外国人に頼んで作ったプロトタイプがあるのは知ってたが海軍省と宮内省で現行の君が代と同じものを制作した後も陸軍省や文部省は独自の国歌を作ろうとしたり今の君が代が国歌として定着するまで紆余曲折があったことなど面白い。
ニュートラルな立場から
2018/05/31 19:44
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投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ふしぎな君が代』は、辻田真佐憲という若い著者の本。
「君が代」といえば、右か左かという問題になりがちですが、ニュートラルな立場から「君が代」について語っています。
(幻冬舎新書だけあって?)戦時中の扱いなど、ちょっと言及が甘い感じもありますが、強制は避けるべしと明言し、「歌う国歌」から「聴く国歌」へ、という提言はなかなか面白いなと思いました
日本人なら一度は先入観を捨てて読むべき本
2016/01/31 20:13
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投稿者:Otto - この投稿者のレビュー一覧を見る
国威発揚のために利用されがちな国歌。
果たして「君が代」はそうした装置だったのか。
近代化をがむしゃらに追い求めた明治の日本が、世界に伍する
ために漸く整えた国歌。それは千年も前の古今和歌集の和歌を
詞とし、大陸文化由来の雅楽仕立で作曲し、ドイツ人の音楽家
により編曲された、正に近代日本を体現するかのようなハイブ
リッドな曲であったというのは、新鮮な驚きでした。
敗戦という国家の根本を覆す未曽有の経験に晒されて、尚も
生き残った「君が代」。
イデオロギーの違いはあっても、先人から受け継がれた遺産と
して、今一度見直す必要があるのではないか、と考えさせられ
ました。
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国歌を学校で必ず歌わせてるのは韓国と中国だけとか、「愛国者」の方々にも知っておいてほしいね。「君が代」の成立と受容の歴史をコンパクトにまとめていてわかりやすく、筆者の緩やかな「君が代」受け入れ論は妥当に思える。
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雅楽や洋楽をミックスしたうえ歌詞も古い短歌の流用だった急造品だったというのは面白い
明治維新のドタバタが伝わってくる
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君が代のこと、なーんも知らなかった。
成立過程とか凄い面白い。
「君が代」って歌は、なんかか「君が代」自体のことを歌っている歌なのでは…と思いました。
これからも時々物議を醸しながら、苔のむすまで8000年なんだかんだと残るのかもしれません。
たぶん議論になることがめんどくさい故に国家を強制的に歌わせることになってしまい、それはどーかと思いますが、「君が代」自体がどんな歴史を彩ってきたのかは義務教育として教えたほうがいい気がします。
んで、国家という、わけがわからなくて複雑なものの象徴として、いろいろ考えるきっかけとして、ずーっと残っていけばいい。と思いました。
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著者の提案として「歌う国家」から「聴く国歌」へ、というものがあった。
そういえば10/22に行われた日本シリーズ、広島ー日本ハム戦では、国歌独唱を吉川晃司が行っていた。歌手、タレントが独唱をして、観客はそれを聴いているというスタイルは「選手の誰それは口元が動いていないから愛国者じゃない」などというバカバカしい批判をかわす上で、確かに有効だと思った。
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日本が明治維新を迎え、外国と交わりだしたころ、まだ国歌というものはなく、外国から言われてあわててまにあわせてつくったという。しかし、それは歌と文句があってないということで、さらに修正が加えられた。歌は古歌からきていて、君は必ずしも天皇だけでなく、ひろく「あなた」を指すことばであった。しかし、戦前それは明らかに天皇を指していて、戦後も文部大臣をしていた天野貞祐の解釈では、国民統合の象徴としての天皇を指していた。「君が代」は暗い歌で、決して勇ましい歌ではなかったから、もっぱら儀式に用いられ、戦時中はむしろ勇ましい「愛国行進曲」などが唱われた。ぼくは「君が代」はそれほど好きではないが、これに代わるものをこれからつくるのもたいへんだろう。「君が代」はこうした消極的肯定論にささえられ今日にいたっている。問題は、辻田さんが言うように、斉唱させることだろう。これは見るだけの日の丸とは大いに違う。しかも、大阪では卒業式に教員が唱っているかどうかまで調べたという。最低の行為だ。そんなことまでして唱わせたいか。唱いたい歌、唱いたくなる場面なら、みな自然に歌い出すであろう。これはスポーツ選手が君が代を唱っているかどうかのチェックをする行動にまで発展しているという。困った現象である。国歌はナショナリズムが興ってきた近代ならそれなりの意味もあったかもしれないが、今日なら、むしろ国歌を新たにつくるのも気持ちが悪い。いつ、なんのために唱うのか。そういう意味ではこの暗い「君が代」に代わるものはないのかも知れない。ただし、辻田さんも言うように、「斉唱」を強制することはやめてもらいたい。唱いたくない人は日本人をやめてもらいたいと岐阜の元知事が言ったそうだが、頭が単細胞としか言いようがない。
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小学校から高校まで、入学式や卒業式で歌って来た「君が代」。
実は1999年の「国旗国歌法」制定まで、正式には国歌でなかった
ことを知ったのは成人してからだった。
ただ、この「国旗国歌法」に関しては例の日本会議が動いている
ので若干、複雑な思いはあるんだが。
式典では必ず「国歌斉唱」と言われるのだから、そりゃ無条件で
国歌だと思うわ。
「君が代」に賛否両論があることは中学生頃に気がついた。しかし、
私自身は別に反発することもなく歌っていた。だって、誰も国歌と
決まっているのではないと教えてくれなかったのだもの。
「君が代」はいつ生まれ、歌詞にはどんな意味があり、歴史的には
どのように扱われて来たのか。国歌であるのに私たちはあまりにも
知らな過ぎるのではないか。
本書はタイトルこそ微妙だが、「君が代」誕生のきっかけから曲の
変遷、「君が代」に替わる新たな国歌を生み出す試み等、多くの
研究書にあたり、丁寧な考察をした良書だ。
明治2年の英国王子の来日に伴い、英国側から「日本国家はいか
なるものでよろしいか」と問われた。慌てたのは明治政府。
「え?国歌?国の歌?そんなのないよ。どうしよう」となったところで、
誰かが古歌である「君が代」の歌詞を持ち出し、英国の軍楽隊長が
作曲して即席の国歌「君が代」が出来上がった。
しかし、曲の方は後に改変されおり今、私たちが知っている「君が代」
は試行錯誤の末に出来上がった曲である。
こういうのさ、学校で教えてよ。自分たちの国歌として法整備された
のであれば尚更だよ。海外では自国の国歌の意味などを学校で
教えているところもあるらしいのだから。
国旗「日の丸」以上に物議を醸すことの多い「君が代」について、何も
知らずに「日本人なら歌いなさい」と強制されても反発を招くだけだと
著者は言う。
あったよね、大阪だっけ?卒業式だか、入学式だかで教職員がきちん
と歌っているか口元チェックをチェックしていたなんてくだらないわ。
ならばどうしたら問題を解決出来るのか。「歌う国家」ではなく「聴く国歌」
として位置させればいいのではないか。そうすれば、イデオロギーの対立
の火種としても小さくなるのではないか。
これ、いいかもしれないね。本書でも書かれているけれど、テレビ画面を
通じてスポーツ選手が歌っていたかどうかがネットで騒がれるようなこと
もなくなるんじゃないか。
右にも左にも寄らない著者のバランス感覚が素晴らしい。尚、入学式など
で国歌斉唱するのは日本のほか、中国と韓国だけらしい。ネトウヨの皆様
が敵視する国と一緒なんだね。
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君が代が軍国主義を彷彿とさせるのは古典的条件づけだろう。君が代よりもフランス国歌「ラ・マルセイェーズ」の方が遥かに軍国主義的だ:
武器を取れ市民よ,隊伍を組め。
進もう,進もう!
敵の汚れた血で,われらの畑を浸すまで!
アメリカ国家「星条旗」も同様:
ロケット弾の紅炎も,空に轟く爆音も,
我が旗が夜を徹して砦に翻っていた証なのだ。
おお! 告げよ,星条旗は今もはためいているか。
自由人の国,勇者の故郷に。
君が代についてのまともな議論は冷静さの有無がカギになる。