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修行や教えを捨てて、
違う生き方によって徳を求めたシッダールタは、
川の声を聞くことで
全てをありのままに受け入れることが大切だと気付く。
「時間の概念を捨てれば、
万事がひとつのところにある」という考え方は
「過去」の失敗や悲しみとともに
生きていくためのヒントとなる。
25歳女性
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最初は仏陀の伝記的な話かと思ったのだが、同じ名の架空の人間の話だった。
仏陀も登場して主人公と絡むのだけど、それは少なめ。
というか仏陀と袂を分かつ。
そこから主人公が紆余曲折を経て、自分なりの悟りに至るというもの。
西洋人が東洋思想を書いたものだけど、全然違和感がないので日本人には向いているような気がした。
ヘッセは文章が詩的だけど、この作品は特にそれが光っていたと思う。
東洋思想は詩的な要素も強めだし(反面、西洋思想は理系的というのだろうか・・・上手い表現が見つからない)。
ネタバレになるのだが、主人公は愛こそ至上のものだという悟りを得る。
これは仏教では単なる煩悩であると解釈されているが、ヘッセは東洋思想を通過して、西洋的・キリスト教的な愛を東洋的に表現したかったのではないだろうかと感じた。
仏教とキリスト教のいいとこ取りというか。
思想的にはシンプルだけど、シンプルなものこそ表現するのが難しいと思う。
やはりヘッセの筆力が圧倒的なんだろう。
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感動させてんじゃねーよ!
んもお読み進めるうちにことばにできやんぞくぞく感が・・・。
自分の目で、心で、胃で知っている。
ほんまそれにつきる。ひとことひとことが深。
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自らの生を全肯定する、他者や世界をも全肯定するという
考え方をシッダールタの生涯から学ぶ。
実存に関して、その無根拠、存在のあまりの頼りなさに苦悶し、
あらゆるものごとに対してその存在や価値性を再考していた際に
ある面で救った本とも言える。
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この本は素晴らしかった。
自分はインドの宗教や思想に興味があったわけでも、ヘッセのファンだったわけでもなく、この本を知り興味を持ったのはたまたまだったけれど、手に入れてからは夢中になって読んでしまった。宗教というよりも、一生涯をかけて生きる事を学ぶという感じで、そこに自分も学ぶべきところが少なくない。何度も読み返したい本。
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瞑想とは何か。肉体からの離脱とは何か。断食とは何か。呼吸の停止とは何か。それは自我からの逃避、我であることの苦悩からのしばしの離脱、苦節と人生の無意味に対するしばしの麻酔にすぎない。
世界は美しかった。
自分自身が真我であること、梵と音字永遠なものであることを知っていた。しかし思想の縄で自分自身を捉えようと欲したがゆえに、ついぞ本当にそれを見出さなかった。たしかに肉体は自分自身ではなかった。間隔の戯れはそうではなかった。そのおうに思索も、知性も、習得した知恵も結論を引き出し、すでに考えたことから新しい思想をつむぎだす習得した技術も、自分時寸ではなかった。
オーム!そして梵を知った。あらゆるバラモンの祈りの古いはじめの文句と終わりn文句、完全なもの、あるいは完成というほどの意味を持つ神聖なオームだった。
深い瞑想の中に、時間を止揚し、いっさいの存在した生命を同時的なものと見る可能性がある。そこでは全てがよく、完全で、梵である。それうえ、存在するものは、私には良いと見える。
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バラモンの息子という高い位に生まれたシッダールタは悟りを開くための修行に出る。世尊のもとで修業をするより、俗世に身を任せる決意をした彼だったが、その後悟りとは無縁な汚い俗世に見事に染まり、絶望する。死ぬ間際彼はオームの声を聞き、渡り舟の仕事を手伝うことにする。シッダールタは渡り舟の仕事を手伝いながら、川から多くのことを学び、旧友に会い、ついに悟りを開く。
シッダールタの子育てを船乗りの友人が咎めるところが非常に良い。自分が寛大であることを息子に示しているだけではだめなのだ。自分が空っぽであることを子にすぐに見抜かれてしまう。子に圧力をかけていたのはシッダールタ自身だったのだ。
言葉より物、行動。要は自分の経験したことしか意味はない。偉い人の話ばかり聞いてもなんにもならない。自分で行動して気付いて初めてそれは血肉になるのだ。という、行動主義的な話に帰属できる。
大人になった僕はもう一度読み直した時、さてどう読み解くのか。
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たぶん4度目の再読。
だけど、毎回リセットされてしまっている作品。
ヘッセの哲学的な小説。
シッタールタという名前は使っているけど、お釈迦さんとは違います。フィクションです。
ヒンズー教的であり、禅宗的であり、キリスト教的であり、宇宙的であり、またそのどれでもない。
信仰の問題は全く無い。あくまで、、、、言葉で表すのは難しいの。
たった151ページの本なのに、何とまぁ読み応えのあることでしょう。
そして、どうして私は完全に内容を忘れ去ってしまっていたのでしょうか?
とても大切な本の一冊です。
煩悩の輪廻。いいじゃないですか。
また忘れきった頃に読みましょう。
(H22.2 自)
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著者ヘルマン・ヘッセはノーベル文学賞受賞者であり、「車輪の下」で世界の多くの人々が(少なくとも)名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか?
愛、精神の幸福をうたう作家は、しっかりと、非戦論を通した人で、両大戦の間は、社会的にはもちろん、自身の精神的安定という意味でも、かなり辛い思いをしたそうです。
本著、「シッダールタ」は、1919年、第一次世界大戦後まもなく、という著者にとって負荷の大きい時期に描き始められたことを知って読むと、より感慨深いです。
ヘッセにとって、"解脱者"でなく、"求道者"としての「シッダールタ」の体験を描いたこの作品は、ヘッセの生きるテーマ、小説を描くテーマそのものの直球勝負であり、ヘッセの真髄を余すところなく発揮した作品の一つだと思います。
「悟り」は伝えることができない、けれども「悟る」までの体験を伝えることはできる。そこから、すこしでも、読者自身の人生を照らすものがあればいいのに、とヘッセが語っているようです。
幼いときに読むと「当たり前だわ」と流してしまうかもしれない内容なのだけれど、歳を重ねてから読むと、自分の体験に照らしやっと"腑に落ちて"きて、ヘッセがこの著作を描いてくれたことに感謝したくなります。時間をおいて繰り返し読むことをオススメします。
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なんでだか毎日の変る事変わらない事に対して見逃さない様にしていきたい気持ちになった。
変化したものにもしていない事実にも敏感に新鮮さを感じて自分の中に取り込めたら、多分色々な事に誠意を忘れずにいられる事を思い出させてくれる本。
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私は考えることができます。待つことができます。断食することができます
この隠喩が素晴らしくて忘れられない本。
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何度も何度も読み返すことが必要。
そのたびに発見があります。
主人公シッダールタが、人生の様々な経験の中で、一体何を得たのか、何に至ったのか。
それは誰しもが感じることの出来るもので…何かにぶつかった時、この本を読んでいれば考える勇気が出てくる。
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ヘッセのシッダールタ。仏教の元祖、仏陀となる前の苦行者・ヨギーの姿を、旅人ヘッセが人間像として物語に仕上げている。宗教というよりは歴史人物という小説に思える。けど、ところどころ詩的で感銘をウケル。
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ブッダの生涯を描いたフィクションだと思い込んで、主人公シッダールタがお釈迦様ともゴータマ=シッダールタとも関係ない架空の人物だということに読み終わるまで気づかなかった。不覚・・・・・・
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特別にすきな小説にゃ。
人間が生み出した言葉の美しさをきわめた作家―ヘッセが、人間が生み出した思想の美しさをきわめた男―シッダールタの半生を描きだす。
にゃんこはこんなに美しいレトリックをみたことがなかったから、なんだかただの文字をみているだけなのに、不思議と涙がでてきた。なんで泣いてるのか、よくわからない。涙の性質も、わかっていなかったのだなあ、とおもいながら。
白と黒の紙面から、原色の山林、河、富、飢え、苦痛、快楽、街、金、欲、女、老い、平和…すべてがくっきりとした色と形をもって浮かび上がってくる。
たぶん、自分のはだかを本当になにも考えずにみたら、涙がでてくるんだとおもう。
でもそういうことにはならない。
この本をよむと、自分のはだかの映像を裸眼に突き刺されたようなきがして、それこそタマネギの刺激にさらされたように、涙がでてくる。