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ゴリラ顔のチャラ男おすすめな本は
「古い作品やけど、ヘルマンヘッセの、“春の嵐”か“郷愁”」。
海外の小説って、映画もそやけど、日本語に訳されるとニュアンスが微妙に変わっちゃったりする。
日本語の「もったいない」みたいに訳せない言葉とかあると思うし、
文化の違いで、感じることのできない理解のできない空気、みたいなものもある気がする。
やからあんまし読む気にならないんやけど、せっかくのご縁だし読んでみようと思った。
amazonのレビューを見てみたら、どっちも恋愛系青春系の小説みたいで、「ゴリラみたいな顔して案外ロマンチストなのね・・・ププ!」なんて思いつつ、その2冊には興味持てなかったから、面白そうだった“シッダールタ”をチョイス!
主人公、シッダールタが一生を通じて人生の目的と生き方を追い求める物語。
内容はなかなか面白かった!
主人公は、仏教と共に生きた人で、仏教色の強い内容だけど、仏教の素晴らしさを説くわけではなくて、あくまでわき役。
主人公の生き様を描いた作品。
この本を読んで、日常生活の中に仏教用語が溢れてるってことを知った。
たとえば、“ニルヴァーナ”や“ブラフマン”。意味は忘れたけど。
オウム真理教の“オウム”もそうで、“聖なる句、音”とゆう意味で、
物語の中でも重要な役割を果たすほど、仏教では神聖な言葉でした。
とっても話は変わるし、本に無関係やけど、仏教繋がりで思いだしたことが。。
ばあちゃんの葬式と通夜でお経をよんでくれたお坊さんは
ちょっと変わった人やった。
はっきり言ってキライ。
お経の後に小話をしてくれたんだけど、それがとっても納得できなかった。
とにかくその人が仏教ラブ!!なことは分かったけど、
それを出家してないうちらにも求めるのはどーかと思う。
みなさんは仏教のこと分かってるよね、みたいな呈で話す坊主。
坊主は、仏教を分からない人はダメなやつだと決めつけてた。
以前、「仏教とは何ですか?」って70歳くらいのおじさんに聞いたんだって。
「その人は“分からない”、なんて言うんです。
そんな歳になってそんなことを言うなんて信じられませんでした」
みたいなことを言うの。
「仏教とは●●●です!」
なんて言えるような人やったらあんたみたいに出家しとるわい。
仏教のことが分かってるんはあんたが出家しとるからやろ、勉強したからやろ、それが仕事やからやろー!!
あと、“神に食べることを許されてない生き物である鯨”を食べることに対して、
過激な反対運動をするシーシェパードを非難しとったんやけど、キリスト教自体も非難してるように聞こえた。
日本は無宗教だと外国からバカにされるが、仏教という立派な宗教を持っている!とか。
人間には5つの欲望があって、「食欲」「性欲」「睡眠欲」「物欲」「出世欲」これらの欲を捨ててありのままで生きることが仏教の教え。波阿弥陀仏と唱えましょう、だって。
そういうあんたは「みなもっと仏教愛せ欲」持ちまくりだろー!
ば���ちゃんの式なのに全く関係ないことを、しかも心に響かないことをツラツラと言い続ける坊主を睨み続けました。
もっとましなことを語ってほしかったわ。
以下は、今後うちが「シッダールタ」ってどんな本やったっけー?って振り返る際に眺めるためのもので、
読みながらメモっただけやからうまくまとまってないし、
よう分からんとこもある
まとめよーと思ったけど、読んだ時そのままを残したかったから&めんどかった!
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迷子になった気分。ヘッセはロマンチストなんじゃないの?
人を愛せないルタは全てにおいて「完璧」な人。
他の作品も読んでみよう、今度は恋愛青春ものを。
ルタは沙門がいつも世人に対して持っているような軽蔑の気持ちで接していた、
自分が彼らより優れていると。
傲慢さが目立つ。まあ無理もないかな、と思うけど。
作者は、俗世間の人々を「子供のように幼稚」と表現。幼児人間、と呼ぶ。
主人公は軽蔑する一方でうらやましくも思っていた、
自分たちの生活を大切にし、不安を覚えたり幸福を感じたりすることに。
ルタは自分の生活を客観視している、どこか違うところに立っている。
そんな彼が俗世間で生きることを選んでみた。
「輪廻」にて。徐々に変わっていくルタは、友と別れた時の“覚醒”は埃を被ったという。
悟りとは追い求めることそのものなのかもしれない。
いつのまにか欲にまみれるようになり、ある意味やっと人間くさくなった。同じように不安を抱え、悩む、ルタ。
誰もがおちいる人間らしさ。やっと身近に感じた。
(物語を読む時、自分の姿を無意識に重ね合わせてるのかな?最初に感じた迷子の感覚は重ねれないことに対する不安な思いからかな。)
自分が「幼児人間」となんら変わりない存在になり、自分を見失っていることに気付いた彼は、全てを捨てた。その潔さは鳥肌もの。
湖に身を投げようとした、そこまで落ちた。
自ら命を絶つことは仏教では(どの宗教も?)ありえないこと。でも「オーム」で引きとめられた。
そして長い眠りにつき目覚めた時にまた「自分」に出会った。
昔とは違う、何もない自分に。幼児人間になる前の自分とも違う。
白髪にもなり、年老いた体。生きた年月に関わらず、何も持たずに何も知らずにそこに立つ自分。そのことを大喜びする。
いくつになっても人生探り探り、27歳は十分に大人だと思っていたけど、昔と何も変わっていない気がしてる自分。
そんな自分で良いんだ、きっとずっと30代も40代も50代も死ぬまでずっと探り探りは続くのだ!!!
自分は悟りを開いた、という瞬間がきたとしても、追及することをやめてはいけない、
もし立ち止まってもまた必ず歩みだす、歩みだす時の不安も必然、何も恐れることはない。
人はなんのために生きているのか。
生きたこと��何か結果が生まれるわけではない。
その質問自体が成り立たない。
何のためでもなくただ「生きる」こと。
それだけで尊い、それだけでいい。
曲がりくねっても、すすめなくても、暗くて辛くても、それは人生そのもので、生きることそのもの。
目は口ほどにものをいい、経験はさらにさらにものを言う!!苦しめが苦しむほどに良い。失敗は成功のもと。
自分の生きざまを渡し人に語り、そのことに幸せを感じる彼、なんて人間くさいんだろう。
今までは自分の内面を誰にもさらけ出したことはなかった。
以前の高慢で全てを下に見ていた彼とは全く別人。
自分の全てを話せるような相手が現れたらこのうえなく幸せだな。
相手次第?自分次第?
「あなたほど人の話を聞ける人は稀です」という。
彼自身が心を開いたからじゃないのかな、まあでもお互いの気持ちが大事だし、両想いだったってことかな。
もしいろんな人から打ち明けられる人であるのなら「モテモテ」な人なんでしょう。
河から学ぶことは「聴き入ること」・・・?
今まで求めて求めて探求していたけど、足りなかったのは心を静めて耳を傾けること・・・
人生は川。
過去も未来も隔たりはなく、なにものも過去にあったのではなく、なにものも未来にあるのではない、全て現在にある!
p158
煩悩で、輪廻で、濁った水でも無価値でなく必然。そこは普通の宗教本ではない。
ルタは無条件に人を愛し、冷静さをなくし、正しさをなくした。
幼児人間となり、同じく幼児人間を理解し、無縁の存在でなくなった。
衝動や欲望があってこそ、人間は生きていける。
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ヘッセの「シッダールタ」読了。
いい本読んだ。最近「アタリ」が続いて嬉しい(´・ω・`) +
題名からして、ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)が悟りを開くまでのお話だろう & ヨーロッパの人から、仏教的な思想がどのように描写されてるんだろう?と思って、本屋で何気なく手にとって購入したわけですが、
ブッダの話ではないです。
あらすじ
父親、母親、友人…全ての人からの寵愛を受けるシッダールタは、それらの物から自分の幸福を満たす事は出来ない事を悟り、沙門の道を選ぶ。沙門の先達とともに行動をともにするが、多くのことを経験したのち、沙門道では自分は救われないと感じる。その頃、涅槃に達した仏陀という人がいるという話を聞き、仏陀のところへ赴く。仏陀が悟りに達していることは認めながら、教えの中に一点の不完全さを指摘し、弟子になる道を選ばず、衆生の中へ入っていく。遊女カマーラを知り、事業に従事して成功するが、満足を得られず、川にたどり着く。川から学んだシッダールタは一切をあるがままに愛する境地に到達する。
(wikipediaより)
(´・ω・`)はい、あらすじだけ聞くとまったくおもしろくなさそうですね。笑
でも本当におもしろい本です。ラスト3分の1ほどが、特に秀逸。
あくまで小説なので、すらすら読めてしまいます。160ページほどしかないし。
***
上述のように、読む前は、仏教にはなじみがあるはずの日本人であっても理解できない「悟り」について、どのように描写されているのか、疑問だったのだけども。
読後、その懸念は一掃されたどころか、その描写の深さに唸るしかなかった。ものすごくよく研究されている。
仏教の悟りの一側面というだけでなく、世界に関するなにか普遍的な理解のようにも思えたよ…!(°Д°)
以下、私の印象に残った部分の抜粋を。
ひとつめは、シッダールタが本当に悟りを得た瞬間の描写。
シッダールタはもっとよく聞こうと努めた。父の姿、むすこの姿が流れ合った。カマーラの姿も現われて、溶けた。ゴーウィンダの姿やほかのさまざまな姿も現われ、溶け合い、みんな川になった。みんな川として目標に進んだ。慕いこがれつつ、願い求めつつ悩みつつ。川の声はあこがれにみちてひびき、燃える苦しみに、しずめがたい願いに満ちてひびいた。目標に向って川はひたむきに進んだ。川が急ぐのをシッダールタは見た。川は彼や彼の肉親や彼が会ったことのあるすべての人から成り立っていた。すべての波と水は急いだ。悩みながら、目標に向って、多くの目標に向って、滝に、湖に、早瀬に、海に向って。そしてすべての目標に到達した。どの目標にも新しい目標が続いて生じた。水は蒸気となって、空にあがり、雨となって、空から落ちた。泉となり、小川となり、川となり、新たに目標をめざし、新たに流れた。しかし、あこがれる声は変った。その声はなおも悩みに満ち、さぐりつつひびいたが、ほかの声が加わった。喜びの声と悩みの声、良い声と悪い声、笑う声と悲しむ声、百の声、千の声がひびいた。
(ヘッセ/高���健二訳「シッダールタ」p142, 新潮文庫)
シッダールタは、川からいろいろなことを学んだのだけど、そのひとつが、「時間というものは存在しない」ということ。
川は上流から下流へと、滔々と流れているけれど、そのどの部分にも過去・現在・未来などは存在しない。
ただ流れる。
人間も同じ、ということだね(´・ω・`)
何か目標に向かって、ただ流れる。
プロテスタントの運命論(予定説?)にも似てないことはないけど、何者かの意思が働いているか否かの点で違うよね。
**
ふたつめ、シッダールタが旧友でありブッダの弟子であるゴーウィンダに対し、自らの悟りから得た思想につき語った際の言葉。
これもまた、ひどく納得させられた一文。
だが、これ以上それについてことばを費やすのはやめよう。ことばは、内にひそんでいる意味をそこなうものだ。ひとたび口に出すと、すべては常にすぐいくらか違ってくる、いくらかすりかえられ、いくらか愚かしくなる。
(ヘッセ/高橋健二訳「シッダールタ」p152, 新潮文庫)
そのとおり笑
以上の私の言葉では、悟りどころかヘッセの描いたことですら、まったくいいところが伝わっていないものねー(´ー`)
(私の筆致力が極度に拙いからだという反論は受け付けない方向で…w)
悔しい。クヤシス(´・ω・`)
とにかく、読む価値のある本です。
中途半端に「自分探し」とかやるんなら、これ読んでくださいw
ぜひ。
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悟りとは、自らの直接の体験であり、先人の教えによって得られるものでない。悟りに至るまでの体験は教えとして伝えられるが、悟り自体は伝えられるものではない。それは一瞬にして気付くものかも知れないが、そこには自他や物事の清濁に囚われない深い理解と受容がある。時間に囚われた思考・エゴには到達できない境地なのかも知れない。自分がこの思考であるとすれば、その境地を体験するのは一体誰なのか?
2010.9.25
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ヘルマン・ヘッセは車輪の下しか読んだことがなかったので、ヘッセが書いた別の本を読みたくて買った本。史実との乖離は置いておいて、悩み考えることを厭わなくていいと教えてくれる本。
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仏教がテーマの宗教観念の作品。
涅槃がどうのこうのなので好きな人は好きでしょう。多分。
頭が足りないのでついていけなかった。
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これも高校時代に読んだ本だと思います。
やはり「生きるって・・」なんて答えの出ないことを考えてしまう
思春期に読むのがいいかな。
前半はちょっと退屈だけど、主人公のシッダールタが人間らしい
愚かさを身につけた後半は、割とスラスラ読めました。
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古本屋で50円で買ったものが、
無上の感動を与えてくれた。感謝。
ヘッセの仏教への理解は本当に素晴しいと思う。
同時に、自分の志がそれと深く寄り添えるものであることを
心から嬉しく思う。
座右に置きたい書というのはこういうことだろうか。
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思い通りに我が子を育てられない苦しさがよかった。
ラストの壮大な対話にはもちろんついていけない。
満足度7-
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解脱の境地を求めて、愛欲・金銭欲などのあらゆる罪を犯すシッダールタ。様々な苦しみを味わった彼はある日川の流れから学ぶことを知り、全存在を愛する悟りの境地へ達する―。
シッダールタを仏陀としてではなく、四苦に苦しむ者として描いた作品です。現代にも共通な苦痛に苦しみ悩み、それでも答えを見つけようとする彼の姿に共感せずにはいられないでしょう。
何かに悩んでいる時、苦しんでいる時にこれを読めば、苦しんでいるのがあなただけではないことが分かるはずです。
お勧めです。
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僕が仏陀を好きになったきっかけの一冊。
僕は基本的に宗教が好きではないですが
仏教が好きというより仏陀が好きです。
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これからも読み返していきたい本です。
示唆に富んでいて、読む時々で感銘を受ける場所が変わっていくと思います。
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ヘッセというと、中学や高校で『車輪の下』などを読まされることが多いせいか、どうしても中高生向けの作家というイメージが強く、大人になってから手にとる方は少ないかもしれません。
事実、友人にプレゼントされることがなければ、本書を読まずに過ごしてしまったことでしょう。でも、久しぶりにヘッセを読み始めて驚いたのは、あまりにも今の自分にしっくりくることした。10代で、勝手にヘッセを卒業した意識を持っていた自分の不明を恥じ入りました。友人に感謝、です。
シッダールタとは、釈迦=ブッダの世俗の名前ですから、本書は釈迦の生涯を描いたものだとばかり思っていましたが、これも誤解でした。本書の主人公シッダールタと釈迦は全くの別人です。釈迦同様に、何不自由ない暮しを捨て、沙門(苦行僧)として悟りを求めて修業の日々を送るところまでは同じですが。
釈迦その人とシッダールタが邂逅する場面に至って、なんだ別人だったのか、と読者は知ることになるのですが、本書が俄然面白くなるのは、ここからです。釈迦と出会うことで悟りに近い大きな気づきを得たシッダールタは、しかし、釈迦に従うのではなく、世俗に生きる道を選びます。そして、「考えること、待つこと、断食すること」しか知らない超越した姿勢が逆に幸いして、美しい女性と社会的な名声と金銭的な成功を手に入れることができます。
ところが、シッダールタはやはり世俗の人にはなりきれず、成功すればするほど、倦み疲れ、生きる気力を失っていきます。そして、いよいよ限界だと知った時、内奥の声に衝き動かされ、三たび、それまでの生活を捨てるのです。
彷徨の末辿り着いたのは川のほとり。その川で、シッダールタは川の渡し守として四度目の人生を生き始めます。そして、この四度目の人生が、シッダールタにとって大きな転機となるのです。
本書は、少年が老人になるまでの魂の彷徨を描いています。その過程が教えてくれるのは、人はその気になれば、何歳からでも、何度でもやり直すことができるということ。そして、自らの魂の声に正直に生きている限り、どんな回り道をしても、最後には自分自身と世界とがつながることができる、ということです。
また、シッダールタが成功を手に入れ、それを放擲するまでの過程には、とても大切なビジネスの極意が書かれていますし、渡し守としての生き方には傾聴することの価値を教えられます。下手なビジネス書や自己啓発書を読むより、そういう実践的なことをずっと多く学べる点も素晴らしい。やはり時代を超える名著には、汲めども尽くせぬ知恵が詰まっているのですね。
詩と真実に満ちた美しい輝きを持つ言葉の一つ一つが、多くの気づきを与えてくれる一冊です。是非、読んでみて下さい。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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世界をそのままに、求めるところなく、単純に、幼児のように観察すると、世界は美しかった。月と星は美しかった。小川と岸は、森と岩は、ヤギとコガネ虫は、花とチョウは美しかった。そうい��ふうに幼児のように、そのように目ざめて、そのように近いものに心を開いて、そのように疑心なく世界を歩くのは、美しく愛らしかった。
時々彼は胸の奥深くに、消え入るようなかすかな声を聞いた。それはほとんど聞えぬくらいにかすかに警告し、かすかに訴えた。それを感じると、彼はしばしのあいだ自覚した。自分は奇妙な生活を送っている、児戯にすぎないようなことばかりしている、自分はいかにも朗らかで、時々喜びを感じるけれど、ほんとの生活は自分に触れることなく、自分のそばを流れ過ぎて行く、と。
俗世間が、快楽が、欲望が、惰性が、彼をとらえてしまった。ついには、最も愚かしいものとして彼が常に最もけいべつし嘲っていた悪徳、すなわち金銭欲までが彼をとらえた。財産、所有、富もついに彼をとらえた。それは彼にとってもはやくだらないおもちゃではなくなって、鎖となり重荷となった。
価値もなく、意味もなく、生活を送ってきたように思われた。生命のあるもの、何か値打ちのあるもの、保存に値するものは、何ひとつ彼の掌中に残っていなかった。岸べの難破者のように、ひとり空虚に彼は立っていた。(…)いったいいつ幸福を体験し、真の喜びを感じたことがあったろうか。
断食することも、待つことも、考えることも、もはや彼のものではなかった。最もあさましいことのために、最もはかないことのために、官能の喜びのために、安逸の生活のために、富のために、あの三つを放棄してしまったのだ!
自分はあんなに多くの愚かさ、あんなに多くの悪徳、あんなに多くの迷い、あんなに多くの不快さと幻滅と悲嘆とを通り抜けねばならなかった。それもまた子どもにかえり、新しく始めるためにすぎなかった。だが、それはそれで正しかった。
ヴァスデーヴァは一言も発しなかったけれど、話者は、相手が自分のことばを静かに胸を開いて待ちつつ摂取してくれるのを、一言も聞きもらさず、一言もせっかちに待ち受けることをせず、賛辞も非難もならべず、ただ傾聴するのを感じた。そういう傾聴者に告白するのは、そういう相手の心の中に自分の生涯を、探求を、苦悩を沈めるのは、どんな幸福であるかを、シッダールタは感じた。
彼は川から絶えず学んだ。何よりも川から傾聴することを学んだ。静かな心で、開かれた待つ魂で、執着を持たず、願いを持たず、判断を持たず、意見を持たず聞き入ることを学んだ。
シッダールタはヴァスデーヴァのこの傾聴をいつもより強く感じた。自分の苦痛や不安が相手の心に流れこむのを、自分の秘めた希望が流れこみ、向こうからまたこちらに流れて来るのを感じた。この傾聴者に傷を示すのは、傷を川にひたし、冷やし、川と一つにするのと同じことだった。
すべての声、すべての目標、すべてのあこがれ、すべての悩み、すべての快感、すべての善と悪、すべてがいっしょになったのが世界だった。すべてがいっしょになったのが現象の流れ、生命の音楽であった。
「さぐり求めると」とシッダールタは言った。「その人は常にさぐり求めたものだけを考え、一つの目標を持ち、目標に取りつかれているので、何ものもを見いだすことができず、何ものをも心の中に受け入れることができない、ということになりやすい。さぐり求めるとは、目標を持つことである。これに反し、見いだすとは、自由であること、心を開いていること、目標を持たぬことである」
「知恵は伝えることができない、というのが私の発見した思想の一つだ。賢者が伝えようと試みる知恵はいつも痴愚のように聞こえる。(…)知識は伝えることはできるが、知恵は伝えることができない。知恵を見いだすことはできる。知恵を生きることはできる。」
「存在するものは、私にはよいと見える。死は生と、罪は聖と、賢は愚と見える。いっさいはそうでなければならない。いっさいはただ私の賛意、私の好意、愛のこもった同意を必要とするだけだ。そうすれば、いっさいは私にとってよくなり、私をそこなうことは決してありえない」
「世界を透察し、説明しけいべつすることは、偉大な思想家のすることであろう。だが、私のひたすら念ずるのは、世界を愛しうること、世界を軽蔑しないこと、世界を自分を憎まぬこと、世界と自分と万物を愛と賛嘆と畏敬をもってながめうることである」
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●[2]編集後記
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土曜日、娘と一緒に青山の国連大学前の広場に遊びに行ってきました。友人と無印良品さんが主催の椅子づくりのワークショップに参加するのが目的でした。
国連大学前の広場では、ちょうどファーマーズマーケットが開催されていたので、ひやかしに行きました。農林水産省のマルシェ・ジャポン・プロジェクトで始まったこの青空市場。前々から噂は聞いていましたが、実際に訪れるのは初めてでした。
規模はそんなに大きくなかったけれど、家族連れや若いカップルで予想以上の盛況。驚いたのは、どの農産物も有機だったことです。産直だからと言って有機とは限らないことが多いのですが、青山のマーケットは、こだわりの農産物ばかり。試食させてもらいながら自慢の農産物についての説明を受けるのは愉しい体験でした。
道志産の自然藷のむかごが売っていたので、ついつい買ってしまったのですが、軽く塩ゆでにして食べたら、これがびっくりするくらいの美味。自然藷は、山のうなぎとも言われるほど栄養がありますが、そのエネルギーが詰まったむかごです。山盛りにしてもりもり食べるのは初めての経験でしたが、病み付きになりそうです(ちなみに、むかごには精力増進効果があるそうです)。
マルシェに対する補助金は仕分け対象となってしまったようですが、イギリスやフランスでは街の風景に欠かせないくらいファーマーズマーケットが盛んです。日本でももっと増えるといいですね。
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これぞ自分のために書かれた!と思えるほどの大切な一冊。人から見れば「こんなはずでは、、、」と思えても、それこそ仏陀の生き方を学ぶのではなく自ら探し求め続けた、ヘッセが必死になって作り上げたまさに「内面への道」のある意味到達点。
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時間は永遠から切り取ったかけら。
死は断絶ではない。
新しく手に入れるにはそれまで持っていた物への執着を捨てなくてはならない。
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シッダールタが生涯の経験から見出だした智恵が、言葉で語られている。世界が自分の空想を完璧に満たすことを求めず、ありのままの世界を受け入れて、自らもまた汚れることが重要だったそうだ。