第4次十字軍を礼賛する人
2024/09/15 15:19
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ヴェネツィアを贔屓の引き倒しでもしたいのか?第4次十字軍を礼賛している。「破壊や残虐行為は、第一次十字軍のイェルサレム征服や、第三次十字軍のリチャード獅子心王の行為を見ても、どうやらこれは、当時では通常の行為と判断するしかないようである」そうだ。皇帝との関係が悪化していたからこそヴェネツィアは傀儡皇帝を立てようとしたのだが、その際にハンガリー国王の所領だったザーラを征服している。「第一次十字軍のイェルサレム征服」で十字軍はイスラーム教徒やユダヤ教徒のみならず非カルケドン派や正教徒の大量虐殺をしたが本文で読み取れるようにザーラはカトリックの信者の都市だ。まともな経済感覚や官僚機構がないので徴税には「キリスト殺し」のユダヤ教徒を使わざるを得ない王侯貴族や騎士達がスポンサーたるヴェネツィアの言うままにカトリックの都市を征服しては本末転倒だ。「貴重な人類の遺産で大英博物館を満たそうと、聖マルコ寺院をはじめとするヴェネツィアを飾ろうと、私はそこに、なんの差を感じない」そうだが正教徒の心に反カトリック感情を植え付けてイスラーム教徒の君主の被保護者としてジズヤを納めれば信仰を容認されるので「教皇の三重冠を見るよりスルタンのターバンを見る方がマシ」となったではないのか?結局は第4次十字軍なるものはヴェネツィアが自分達の商売の拠点作りの為の侵略戦争「と判断するしかないようである」。
ヴェネツィアの傀儡国家のラテン帝国の皇帝戴冠式で「総主教」とあるがカトリックなので「総大司教」。どうやら塩野七生は宗教観で気がついていないらしいが?聖ソフィア大聖堂は正教会の総主教区の所在地で、コンスタンティノポリスにカトリックの総大司教が成立した事自体が、この本の趣旨と矛盾するのではないのか?
確かにこの本自体は面白いにしても本来は必要なはずの東ローマ帝国なりオスマン朝なりの情報が語学力の関係で?英語なりイタリア語なりの翻訳頼りになるのか見えづらい。井上浩一の「生き残った帝国ビザンティン」でパレオロゴス朝を書こうとするとイタリア語やトルコ語(オスマン語?)などの語学力が必要だとあったが、そんなところだろうか?塩野七生は自己が書こうとする対象を身贔屓し過ぎる傾向があるようだが、それが露骨になったのは、この本あたりから?
コンスタンティノポリスがニカイア帝国側に奪取された時の記述に「パレオロゴス帝」とあるが一個所だけ「ミカエル・パレオロゴス」とあるように「パレオロゴス」は家名であり、本来ならミカエル8世と書くべきだ。パレオロゴス朝は1453年のコンスタンティノポリス陥落まで続くが代々の東ローマ皇帝を「パレオロゴス帝」とは書かないだろう。それにミカエル8世がコンスタンティノポリスを傀儡国家から奪取したのではなく部下の将軍が行動に移している。
「火薬は、ビザンチン帝国が、有名なギリシャ火焔薬として使っていたが」とあるが火薬とギリシャの火は別物。ギリシャの火が登場する東ローマ帝国がウマイヤ朝によってコンスタンティノポリスが包囲された時点で火薬などまだ存在していない。それに火薬に押されたのか?ギリシャの火の製法は忘れられてしまったので再現出来ないそうだ。
商業国家の盛衰記
2023/03/24 16:48
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ヴェネツィア共和国がナポレオンによって廃されるまで一千年ほど生き残れたのは、商業を国是とした商業国家だったからではないだろうか?教会がカトリックと正教会に分かれて、東ローマ帝国の影響圏から離れていたが、周囲には強大な王権を持った君主がいなかったからだろうか。カトリックの信仰を前面に出して正教会圏やイスラーム圏相手に仕事をする事など出来るわけがない。
しかし本としては面白くても、著書の悪い癖である書いている対象に対する身贔屓が鼻についてしまうのは、第4次十字軍のような当時ですら評判が悪かった無道な侵略戦争を「正当化」しているからだ。第4次十字軍を「肯定的」に書いていながら天下国家を論じるのは止めてほしいものだ。
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(手持ち)
ほとんど全著作をもっている塩野さんの本のなかでこの本はアメリカに持ってきました。交商国家だったヴェネツィアの歴史と日本が比べられることが多く、「元気がない」と言われて久しい日本を外から見ている間にもう一度考えて見たかったのです。
ヴェネツィアは最後に文化的に爛熟し、ナポレオンの攻撃でその栄華に幕を引きました。日本が最近サブカルチャーで「文化大国」となりつつあるのがその予兆だとしたら。。。方や数世紀の栄華、方や数十年の繁栄。
だから、日本がんばろう、と思うのです。
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国王の時代に「共和国」として生き続けた都市国家ヴェネツィア。その成り立ちから終焉までを塩野さんが愛情を込めつつも冷静に描き出しています。ここに描かれているヴェネツィアは、非常に頭の良い悪く言えばずる賢い(笑)したたかな国家です。情報のスピードと貴重さを知り尽くし「キリスト教徒であるまえにヴェネツィア市民」であることを誇りとした共和国。国を守るための政治とは、決して綺麗事ではないのです。
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ヴェネツィアの歴史
英雄を作らないという共和国を創ったヴェネツィア人
その起源から特異的な制度を詳細に語る
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高校の図書館で初めて出会って以来、歴史を読み解く視点の面白さにハマりました。初めてルネッサンスに触れたのもこの本からです。
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私をイタリアマニアの巣窟へ陥れた一冊。ここの本から不思議でなおかつ美しい海の都に魅入られた私。ある意味私の本を読む姿勢を変えた名著。
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ARIAでヴェネツィア・ヴェネツィアに興味がわき手を出した一品。
『ローマ人の物語』で有名な塩野七生さんの作品。
海洋国家ヴェネツィアがいかに成立し、どうして長きに渡って繁栄できたのかが分かりやすく書かれています。現代日本の示唆になるようなことも書かれているのでは、と思います。
『ARIA』とこの『海の都の物語』を読んで、更にヴェネツィアに興味がわき、是非一度訪れてみたいと思うようになりました。
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古代ローマに関する本は多いが、ヴェネツィアに関する本は未だ少ない。
その意味だけでも読む価値はあると思う。
観光都市ではない頃のヴェネツィアがわかる。
ローマ人の物語より簡潔で読みやすい。
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ルネサンス傑作集の4巻。「海の都の物語」の上だけなんだが、まぁ終りに後書きもあったので、これだけで1カウントにしますです(苦笑)
ヴェネチアを水の都ではなく、「海の都」と言っただけで塩野七生はすごいと思う。ようするにヴェネチアの歴史を、追っていくのだけどただ単に歴史を書くというより、その時代の人物、いや匂いが、感じられる。
と、人の性格っていうのは環境の与えるものが多くて、それは長年堆積していくうちに「地域性」てことになっていくんだろうな。今更だけど。
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史上最も長い政体を保ったヴェネツィア共和国の1000年の歴史を語る塩野七生女史の長編。
地中海史において、強国として君臨し続けたにもかかわらず、日本でその歴史を記載した書籍があまり多くないだけに、通史を読みやすく構成してくれた女史の力量に感謝。
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・天然資源は塩しかない、人的資源も不足
・そこを通商条約でカバー
・共同体の利益追求
・ライバルはピサ商人とジェノヴァ商人
・ヴェネツィアは、「宗教の介入」を元首を国民から選ばれた代表にすること
「人の欲望」を議員を世襲制にすることで抑えることとした
・人間の良識を信じないことを基盤としていたヴェネツィア共和国政体は長く存続した
・ヴェネツィアの運河は、船を通す未知としてよりも、水を通す未知として作られた(洪水の危険、水が腐り伝染病の原因になる危険)
・一個人に権力が集中することを避けてきたヴェネツィア共和国では政治的暗殺が一度も起こらなかった
・地位の上下を問わず誰もが無防備で街中を歩けた珍しい国
・「奉仕の騎士」精度
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ローマ帝国滅亡後のヨーロッパが気になり
読みまくってます。この手の本を。
ヴェネチアに関する興亡を描く上巻だけど
まず地政学的な思考の勉強になります。
この本は。
ローマ時代を把握してから読んだほうがいいけど
読んでみなはれ〜。
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ヴェネチア共和国の興亡史。この人の地中海シリーズと言えば、『コンスタンティノープルの陥落』『ロードス島の攻防』『レパントの海戦』の3部作が有名だけど、そのバックグラウンドとして当時の地中海世界を知るのに最高の1冊。この本を持ってヴェネチアに住んでみたくなる。 下巻はヴェネチアが「亡」に向かうからか、上巻ほどの高揚感がないのが難点。
しかしカテゴリ分けに悩む一冊やなぁ。
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ヴェネツィアを旅してみて、なぜこのような住むのに不便な地を選び、そこに都市を築いたのかということが不思議でした。ヴェネツィアの過去の栄光を見ただけに特にそれを感じたものです。その謎から本は始まります。1500年前のヴェネツィア建設。その立地故にむしろ、海の都(水の都ではなく!)として発展せざるを得なかった歴史は日本、英国などが貿易立国を目指さざるを得なかった背景と同じであり、面白いですね。後半はライバル・ジェノヴァとの死闘120年。ジェノヴァとの国民性の違いを通しても、ヴェネツィアがいかに独裁制を廃し、民主主義を貫こうとしていたか、またローマ法王からも自主独立を実現し、ビザンチン、イスラム文化との接点としての国際都市の役割を持っていたということは当時としては大変な革新的な国だっただろうと圧倒される思いでした。