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グローバリゼーションの崩壊から、
『多様性の共生』へ。
人類学的見地からの、家族構成、家族システムによる相違を言及した視点は、非常に感心させられた。
コチラの本は、これまでのと違って、非常に読みやすく、個人的にはほぼ納得がいくものであった。
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短編や講演をまとめた為か、体系だった論点というより、気付きをもらえる本。
自由を強制される西洋に対し、自由に限界があると認識している日本の方が内面的に自由でいられるというのは、欧米はポリティカル・コレクトネスが行き過ぎてしまった、とも重なるのだろうか。
大家族主義の国家で共産主義が発達し、各家族主義の国家では発達しなかった、というのは結果論では納得できるし、EUの移民許容度を内婚率(イトコと結婚率)で説明するも興味深いが、その論点だけの説明は、危険なプロパガンダと感じた。(すべて、それが原因なの?)
本人の主義にのっとり、多様化した視点を聞きたい。
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リベラルと言われる人々の主張に、うんざりする今日この頃ではあるが、じゃあそのうんざりする気分というものは、どんな背景から湧き上がってきて、どう言語化できるものなのか、ということをはっきりさせておきたく、読んでみた。
なんだか分かるような、わからぬような…
スッキリ、とはいかなかった。
もう少し考えてみたいと思う。
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■問題はポピュリズムではなく、エリートの無責任さ
英国EU離脱に象徴される大衆の抵抗を「ポピュリズム」という表現で説明しようとする向きもありますが、私はむしろ「エリートの無責任さ」こそが問題を理解するキーワードだと考えています
どんな社会でもエリートは特権を持っています。しかし、同時に社会に対して責任を負うべき立場にあります。ところが、最近では指導者たちが自分の利益のみを追求するようになっている。ポピュリズムよりも、そうしたエリートの無責任さこそが問題です。
注目に値するのは、ボリス・ジョンソン前ロンドン市長に代表されるエリート層の一部が民衆側とともに離脱を叫んだ点です。
イートン校、オックスフォード大学出身のジョンソンは、英国王室にも連なる血筋の持ち主で、紛れもないエスタブリッシュメントの一員です。そんな彼がエリート層の少数派として民衆側についた。政権与党である保守党議員の半分くらいがEU離脱派に名を連ねた。だからこそ、イギリスはポピュリズムから免れつつあるのです。
これが、私が羨望してやまない、国家の自己改革のために登場するリーダーの姿です。イギリスには、常にウィンストン・チャーチル、あるいはボリス・ジョンソンのような政治家が体制内にいます。フランスにとって問題なのは、エスタブリッシュメントの中から、大衆の利益をあえて引き受けるエリート少数派が出てこないことです。
フランス国立行政学院などのグランゼコールは、たしかに優秀ではあるけれども、尊大で他人を見下すようなエリートをコンスタントに輩出しています。現代のフランスが、今後イギリスのようなリーダーを生み出せるのかどうか、私には自信がありません。
■英国の「目覚め」に続け!
イングランドから始まった産業革命は、欧州全体を経済的に一変させました。そして、1688年には名誉革命によって議会主義の君主制が確立されました。欧州各国で採用されている、近代的な民主主義の出発点はイギリスにあったのです。1789年のフランス革命の夢と目的は、政治的近代化のモデルである英国に追いつくことにありました。そのイギリスが、自ら先鞭をつけたグローバリゼーションの流れからいち早く抜けようとしている。イギリスの国民国家への回帰は、歴史的にも最重要の段階であると言えます。
私は長期的には楽観主義者ですから、近代国家の再台頭というモデルについて、いかなる疑いも持っていません。イギリスに続く「目覚め」がフランス、そして欧州各国で起こることで、ドイツによる強圧的な経済支配から「諸国民のヨーロッパ」を取り戻せるはずです。それこそが欧州に平和をもたらす、妥当だと言う意味で理性的な解決策であると私は確信しています。
■歴史を動かすのは中産階級
中産階級とは、所得や教育水準がある程度高く、階層として一定の規模を持った集団です。この階層が歴史の変動を左右しているのであって、この階層を考察しなければ歴史の現実は見えてきません。中産階級に比べれば、上層の貴族層も、下層の庶民層も、現実社会への影響という点ではさほど重要ではありませ��。現在のフランス社会が閉塞状況にあるのも、中産階級に原因があるのです。
「1%の支配」という超富裕層とそれ以外との格差の問題は、確かに存在します。まったく不公正な格差です。しかし、このことを指摘したからといって、「西洋先進社会は閉塞状況に陥っているのに、なぜみずから方向を変えられないのか?」という問題の説明にはならないのです。この問題を解くには中産階級の分析が不可欠です。つまり、1%の超富裕層の存在を許し、庶民層の生活水準の低下を放置しているのは、中産階級だからです。
「中産階級こそが歴史の鍵を握っている」ということは、歴史を眺めて確認できます。ナチズムは中産階級の現象でした。フランス革命も同様です。日本の明治維新も中産階級に主導されたものだったはずです。上級武士ではなく、下級武士という中間層が中心的役割を担ったわけですか。
■核家族と国家
「核家族」は、それぞれバラバラに存在するのではなく、ある大きな社会構造の中に存在している。これはいつの時代にも言えることです。
イギリスは、最も早く産業化し、最も早く貧者救済施設を創設した国ですが、それが、絶対的核家族がそれだけでは存続できないことを当時の人々も理解していたことの証しです。公的・社会的な援助を受ける独居老人の比率が高いのが、当時のイギリス社会の特徴でした。
たとえば、直系家族の社会は、核家族の社会ほどには国家を必要としません。なぜなら直系家族自体が、いわば国家の機能を内部に含んでいるからです。家族としての団結そのものが「ミニ国家」的です。その分だけ、通常の意味での国家の必要性は弱まります。
核家族は個人を解放するシステム、個人が個人として生きていくことを促すシステムですが、そうした個人の自立は、何らかの社会的な、あるいは公的な援助制度なしにはあり得ません。より大きな社会構造があって初めて個人の自立は可能になります。「個人」とより大きな「社会構造」には、相互補完関係があるのです。
■ネオリベラリズムの根本的矛盾 - 「個人主義」は「国家」を必要とする
絶対核家族のアメリカは、大恐慌以降のニューディール政策から第二次世界大戦にかけて、黄金時代を迎えました。ちょうど国家が積極的に社会に介入した時代です。各国から移民が大量に流入した時代ですが、その移民たちがそれぞれの移民コミュニティから離れ、個人として自立するのを助けたのは国家なのです。1935年、ルーズベルト大統領が社会保障制度を導入します。それがその後のアメリカ繁栄の礎となりました。
しばしば、「個人」と「国家」は対立させられますが、国家が大きな役割を果たすことと、核家族システムのなかで個人が個人として生きることは、矛盾するどころか、実は相互補完的なのです。この点を、ネオリベラリズムの信奉者はまったく理解していません。
ネオリベラル革命がもたらした逆説的結果の一つは、核家族の進展、つまり個人の自立を妨げたことです。
この文脈では、核家族を、(1) 古いタイプの核家族と、(2)純化された絶対家族とに分けて考えると良いかもしれません。(1)が「パパ・ママ・子供の世帯」であるのに対して、(2)は、独身者、独居老人などといった「一人世帯」です。ネオリベラル革命は、ここでいう(2)のような世帯を否定するのです。
大人になれば、家を出て自立するのが、個人の自立を尊重する絶対核家族のアングロサクソン社会の特徴です。ところが、ネオリベラル革命の皮肉な結果として、成人になっても経済的に親元を離れられない子供が急増しました。ネオリベラリズムは、個人主義であると言われていながら、実際には個人の自立を、つまり個人主義を妨げているのです。
いま世界で真の脅威になっているのは、「国家の過剰」ではなく、むしろ「国家の崩壊」です。
いま喫緊に必要なのは、ネオリベラリズムに対抗する思考です。要するに、国家の再評価です。国家が果たすべき役割を一つずつリストアップすることです。
■サウジアラビア崩壊という悪夢
フランスの石油会社トタルの要請で、「サウジアラビアのリスク」という報告をしたことがあります。そこでとくに強調したのは出生率の激減です。1990年頃に6だった出生率が、現在、3を割っています。
サウジアラビアは昔ながらの部族社会で、一見、何も動かない世界のように見えます。保守的で、惰性的で、停滞している世界だと言われます。ところが、出生率の急減が示しているように、深層では大きな地殻変動が起きているのです。社会全体が不安定化しつつあります。
サウジアラビアは、西洋世界にとって、中東における重要拠点です。仮にサウジアラビアが崩壊すれば、その影響は計り知れません。ただでさえ国家建設がほとんど不可能か、極めて困難なこの地域に、さらに広大な「国家なき空白地帯」が生まれることになるからです。
これまで、アメリカとサウジアラビアは特別な関係を築いてきました。それはなぜなのか?
中東の原油を押さえるためだという説明がよくなされます。しかし、実はもともとアメリカは中東の原油にまったく依存していません!それも、近年、米国内のシェールガスの開発でエネルギー自給率を高めたからではなく、以前からそうだったのです。アメリカが中東の原油をコントロールするのはむしろ、ヨーロッパと日本をコントロールするためなのですよ。
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本書は書下ろしではなく、7編の時事論集である。すべてBrexitやパリ多発テロなど2015-16年頃のものなので、当然ながら似ている内容が多い。また、ほとんどが日本で収録または日本で発表されたものということで、日本に言及した部分も多い。
ヨーロッパを主にした世界情勢論、家族形態の歴史に基づく文明論、などが展開されているが、いかに日本人向けにアレンジされて読みやすくなっているとはいえ、決して理解が容易な内容ではない。編をまたいて繰り返されることで、辛うじてぼんやりと分かったような気にさせてくれるが、それは本書の主張を支持するものである。
氏の論調は自国では批判が多いようだが、世界は難しい問題に溢れていることだけは確かなようだ。
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初トッド本。ヨーロッパを中心に世界が抱える問題を人口や家族感の観点から分析した本。手前味噌感が強すぎてちょっと鼻に付く。トッド氏が基本的にどんな考えを持っている人かよく分かってなかったためちょっと難しかった。
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ヨーロッパ内部の視点から世界がどう見えるか、とても面白かった。家族の成り立ちが政治イデオロギーの成り立ちに影響を与えているという主張は、一見無理矢理感があるが、家族の成り立ちを決める根源的な好き嫌いが社会の構造に影響を与えるのはもっともと思えた。
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EUはドイツとその手下たち
移民の受け入れは慎重に
2016年の話の内容だとするとかなり予見があってると思った
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人口学者の視点から見たヨーロッパとはどう見えるのか、というよりもすでにヨーロッパというものは存在していない、とまで言い切る著者の魅力は素晴らしい。
今回は日本についての記述が多く、フランスの人口学者から見た今の日本(というネーションに存在する自分自身)についての客観的な視点が得られるのも素晴らしい。
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直系家族の社会は、アングロサクソンの核家族の社会ほど、国家を必要としない。直系家族自体が国家の機能を内部に含むから。核家族は個人を解放するかシステムだが、そうした個人の自立は、公的な、つまり国家の福祉を前提としている。ネオリベラリズムは、それを忘れている矛盾がある。この話は、奇しくも、渡辺京二の話と同じ結論になってる。
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「今、世界で一番危なっかしいのは、アメリカではなくヨーロッパなのです」2016年刊行時点の衝撃的な発言だが、改めて読み返してみるとなるほどと感じてしまう。EUの求心力低下が危惧される。
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出版のタイミングとタイトルから、ブレグジットを中心として書かれた書籍かと思いましたが、それは話のきっかけでしかなく、内容は世界動向のなかでのEUについて記載されているもので特に独仏の現状を懸念する内容でした。
予想していた内容とは若干異なりましたが、人口学や家族構成から世界の動向を探る見方は新鮮でした。
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英国のEU離脱問題をはじめとした現代の国際的な諸問題に対し、主に文化人類学的観点からメスを入れた本。
あらかじめ告白すると、ボクはこの本が非常に読みにくかった。というのは「全体として、ネオリベラリズムおよびグローバリズムの言説に抵抗する本」(あとがき)であり、経済学がめたくそに批判されているので、はっきり言っていい気持ちがしないです。が、視野が狭くなるのは大問題で、耳障りが悪いものほどしっかり読んだほうがいい。
面白かったのは、家族システムから世界を捉えるという考え方。アメリカやイギリスは核家族。子供は大きくなったら親元を離れます。兄弟は平等だし、親子の関係もそこまで縦の関係ではありません。一方、日本やドイツは基本的に一家の長男が家を継ぐ直系家族制度で、長男とそれ以外の兄弟の間には差があります。親子の関係も対等ではありえません。アメリカやイギリスは個人主義で自由主義。対して日本やドイツは全体主義で権威主義。家族システムが「下意識」(無意識と意識の間。おそらくunder-consciousの訳だけど、日本語にすると変な感じだね。)となって個々人の思想が作られていく。言語や宗教もそうだけど、そのひとの思想の根幹を成している部分を無視して、経済的な利害だけで繋がれって言われてもっていうのは、確かにそうだ。いとこ婚が盛んな地域もあり、そういう地域では考え方も違ってくるでしょう。
日本についても言及されています。「日本の唯一の問題は人口問題」とし、「移民を受け入れない日本人は排他的だと言われますが、実は異質な人間を憎むというより、仲間同士で互いに配慮しながら摩擦を起こさずに暮らすのが快適で、その状況を守ろうとしているだけなのでしょう。その意味で日本は完璧な社会です。」(p184)その完璧さを守ろうとすると、日本は存続できないかもしれない、ということです。
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【由来】
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【期待したもの】
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※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
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【ノート】
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【目次】
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家族システムの分布を伝播主義モデルで説明すると、初期の人類は双系性の核家族で暮らしていたと考えられる。核家族の社会では個人主義的な傾向が強く、直系家族の社会では世代間の連帯が重視され、共同体家族の社会では兄弟間の連帯が重視される。
ヨーロッパでは、中世末期から直系家族に変化し、宗教改革によってそれが強化された。フランス革命の半世紀前には、パリを中心とする広い地域でカトリシズムが崩壊し、世俗化していた。絶対核家族のイギリスは貧者救済施設を最も早く創った。個人の自立は社会的な援助制度なしには可能ではない。
イスラム社会の中でも、シーア派では息子がいなければ娘が相続することがあるが、スンニ派では娘がいたとしても相続することはなく、父系の親戚筋が相続人となる。
共産主義革命は、親子は権威主義的で兄弟は平等な外婚制共同体家族の社会で起きた。マルクスが予想したプロレタリアートを有する工業先進国では実現していない。
1914年の狂気は、中産階級の自殺率が高く、精神疾患やアルコール依存症が増え、精神状態が不安定だったことによるもので、中産階級が歴史を動かしている。ローレンス・ストーンは、革命の前には識字率が上昇していることを示唆した。現在は、高等教育の進学率が重要な指標となる。