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「クリスマス」というのはどういう役割を持ったイベントなのかということについて民衆に問い直させる作品。幽霊が登場するのは周知の事実だろうが、実はディケンズが生きたヴィクトリア朝の流行りには、「幽霊が登場する怪奇小説」というジャンルがあった。文学的にこの作品を分類するならば、「教訓物語」ではなく「怪奇小説」の部類なのかもしれない。
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金貸しのスクルージ爺さんは、ケチで気難しく冷たい心の持ち主です。今日はクリスマスイブだというのに、たった一人の甥を追い返し、書紀のボブ・クラチェットを安い賃金でこき使っています。しかし家に帰ったスクルージの前に七年前に死んだ共同経営者のマーレイの亡霊が現れます。マーレイの亡霊は重い鎖をつけてスクルージに警告します。「この鎖は生前のわしが自分で作ったものじゃよ。お前もわしのようになりたくなければ心を改めよ」
そしてスクルージの前に三人のクリスマスの精霊が現れて、過去・現在・未来を見せます。
貧しくも希望のあった若い頃の楽しいクリスマス、金だけを信じて人の温もりを自ら投げ捨てたこと、自分が周りの人々にどのような酷い仕打ちをしたのか、そして人々は自分をどのように思っているのか。
自分の人生がどんなに冷たいものだったのか、自分が心を閉じずに人々と触れ合えば皆が楽しく良い人生が遅れるのに。スクルージは「わしが心を入れ替えれば、人々を助けることができて、わし自身も人間としての温もりを取り戻すことができるのだろう、まだ遅くはないはずだ。必ずわしは行いを改める」と決意するのでした。
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ディケンズーー!!おもしろいーー!!
始まりかたが<まず最初におことわりしておきますが、マーレイは死んでいました。そのことに疑いの余地はありません。マーレイを埋葬したことを証明する記録簿には牧師さんと教会書紀と葬儀屋と会葬者代表とのサインがきちんと揃っていました。会葬者代表としてサインしたのはスクルージでした。(…略…)つまり、マーレイ氏が死んだことは、ドアに打った飾り釘が死んでいるのと同じくらい確かなことだったのです。(P7)>などと長々しく念押しされたのには冒頭から笑ってしまいました。
このようなテーマは説教臭くなってしまうこともあるのですが、ユーモアと皮肉の混じり合いがとても良く、スクルージが改心して良かったと思えます。
出てくる人たちもいい人たちで、心からクリスマスを楽しみ、お互いを思いやっているので読んでいても気分がいいですね。
私は「クリスマスキャロル」の舞台を二種類見たことがあります。両方とも市村正親さん主演です。年末の気分向上にとても良いんですよ。
一つは一人芝居で、市村さんがスクルージはもちろん、ドアノブから女性の役もすべて演じきります。
もう一つはミュージカルで、これは再演のたびに年末の気分向上として3回位みにいきました。スクルージの甥と若い頃、甥の妻とスクルージが別れた女性の役をそれぞれ同じ俳優さんが演じて、大切なものを手放したスクルージと、大切に持っていた甥の姿として現れていました。また最初のクリスマスの精霊はスクルージの姉で(甥の母。しかし実際には妹ですよね?姉だと甥がなかなかの高年齢になってしまう…)、スクルージは大切な姉と会話を交わせたという描き方になっていました。
本も舞台でも、本当にいい気持ちになるお話です。
ではティム坊やの言葉を皆さんにも。
「神様のお恵みが、みーんなぜんぶにありますように!」
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100億年ぶりに読んだ。最初の展開はそりゃもうクリスマスの奇跡はかくありけりと言わんばかりの突拍子のなさだが、まあそんなもんかと飲み込めたら後は一気読みできる。
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挿絵を見ながら、スクルージになり、過去、現在、未来を旅した。
最後の喜びは、今の現実の自分の喜びとなった。
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なんとなく借りてみた本。
クリスマスを舞台に
頑固者の金融者スクルージが
改心する物語。
共同経営者マーレイの幽霊がでてきて
そののち3人の幽霊が次々訪れる。
彼らに過去・現在・未来を見せられて…。
物語りの中で
部屋や調度品の表現は
どこか懐かしかったし、
人の心の例えなどは
興味深い描かれ方がされていた。
あとがきには、
クリスマスの祝い方が普及する
契機となった本だと記述があった。
ディケンズの他の作品も読んでみたい。
メモ_φ(・_・
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チャールズ・ディケンズ
『オリヴァ・ツウィスト』
『大いなる遺産』
『二都物語』
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