芥川賞って何なの?
2023/01/15 09:21
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投稿者:yukiちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
高山さんはこの本で芥川賞を受賞されたんだが、もちろんSFとしてじゃないと思う。
たまたま、高山さんがSF作家に分類されるような作品を発表されていて、今回の本もSFチックな読み方もできるというだけで、決してこの本がSFであるわけではない。
別にそれでもいいんだけど、SF読みとしては、この本はSFではないと言っておきたい。
誰かが、この本はSFだといったわけでもないのだが、なんとなくね。
で、話の方だが、ヒロインと馬はこれからどうしていくんだろう?というのが正直な感想。
面白かったかどうかというと、正直面白くはなかった。
人間の孤独を描いたのか、社会の不条理を書いたのか、そこのところは分からないが、何かこう、心に残るものがないんだよね。今、自分は何を読まされたんだろう?
これで、何かを感じ取る必要があるんだろうか?
そんな感情を抱いたのが正直なところ。
高山さんの書くSFが好きな私にとっては、不必要な本でした。
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沖縄の小さな資料館で資料整理をしながら、どこの誰とも知れない相手に、リモートでクイズを出題する仕事をしている未名子。
物語は、そんな彼女の細々とした生活が淡々と描かれているところから始まる。
そこに突然宮古馬が現れてからは、ややSFチックな内容になって、
それまでが、少し奇妙ではあるもリアリティを持った世界観であっただけに戸惑いがあった。
しかし、その出会いをきっかけに未名子の周囲の環境が変化していく様子が、静謐かつ丁寧に描かれていて、独特の世界観にもあまり抵抗なく読むことができた。
全体的には、沖縄の史実に関する説明調の文章が多く挟まれ、若干間延びは感じたものの、ストーリーには読者を惹きつける、幻想的な魅力や強いメッセージ性が含まれていた。
資料館で情報を蓄積しながら、クイズという形式で情報を他の人へと共有するー
象徴的な要素も多く、読書歴の浅い私には高山さんが伝えんとするメッセージ全てを読み解くことはできなかったけれど、
最後に書かれている未名子の想いは、情報の「記録」と「継承」に携わる彼女だからこそ至った、温かく、心にじんわりと響くものだった。
情報が溢れている現代で、そのひとつひとつの尊さに気付かせてくれる一作。
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なんというか。読書感?読みごごちがよかったです。何だか面白かった。その何だかは、また再読したときに見つけてみたいと思います。なんだかごちそうさまでした。
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帯に記載された「ずば抜けて面白い」「感動作」等の文言は、個人の感想とは少しズレる気がしました。まぁ、純文学の芥川賞だけに、娯楽性を重視する作品(直木賞の格下扱いにあらず)ではないので、評価が分かれやすいのかもしれません。
それでも、本書は不思議な雰囲気をもっていて、著者のメッセージや作品の意義が、読後にジワジワと伝わってくるような好書だと思いました。
沖縄で一人暮らしの未名子。私設資料館の無報酬手伝い、顧客へオンラインクイズ出題という奇妙な仕事、台風接近の夜、自宅庭に迷い込んだ宮古馬‥。どんなつながり?
登場する者、皆ことごとく孤独です。ただ、我が身を嘆いたり、他を羨んだりせず、淡々と過ごしています。こうした中、クイズの顧客や馬との関わりで、未名子に少しずつ変化が起きてきます。
自分、資料、クイズの相手も、将来誰の記憶にも、何らかの文書の記録にも残らないのか? と考えた時、日本で唯一の地上戦があり、アメリカの統治下に置かれ、何度も台風被害で過去が書き換えられてきたからこそ、舞台が沖縄である必然性が出てくる気がします。
誰のためでもなく、自主的に膨大な資料をデジタル化し、宮古馬に乗って〝今〟の映像を残そうと決意する未名子の姿から、「沖縄の歴史の栞」となるであろう役割、行為の意義を見出した感じです。
記憶と記録について考えさせてくれる物語でした。
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ファンタジーというか少し不思議というか、そんな感じ?
一応読んだんですが、よくわからなかったという感想。
正直、沖縄という土地の歴史と、そこに漂ってそうな神秘的な雰囲気に助けられてる小説なんだろうなって思いました。
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面白く、平易な文章でかかれて読みやすくはあるものの、突飛なイマジネーションを自分の中に取り入れ、構築していく作業もさることながら、記録と情報にまつわる作者が伝えようとする深奥な考察を理解することが、なかなかに難しいと思える読後感でした。
庭に突然現れた得体のしれない生き物が登場したときのワクワク感は、この物語に抱く好感に結び付いているのは間違いないです
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不思議なお話。
沖縄に住み未名子は、小学生の頃から登校拒否なのかな。
それで、近くにある私設の郷土資料館?の整理を手伝っていた。館主は、順(より)さんという女性。順さんの娘の途(みち)さんも、順さんと暮らすようになる。
未名子の仕事は、不思議。一日に、2~3回、ネット通信で外国人に25問ほどクイズを出して答えてもらう。少し雑談も。後は、資料館の整理を手伝う。
自宅は、何年か前の父が亡くなり、一人暮らし。
ある双子台風の時に、自宅に馬が迷い込んできた。
警察に届けたが、ネット通信している外国人に話すと、馬との接し方などを教わる。
順さんの死期が近いことを感じて、未名子は、資料館の資料を画像データ?として残すことを計画。
馬も預け先から保護して、仕事もやめることにして、
ネット通信している外国人に、データを保管してもらう。
最後の通信の時には、外国人の身の上話を聞く。
そして、順さんの死が知らされ、お葬式の手伝いをして、途さんの身の上話も聞く。
順さんの資料館は解体される。
中の資料は、未名子のSDカードと、ネット通信していた外国人の元に残る。
これは、何を伝えたいのでしょう?
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例えば電車の窓から流れていく住宅街を眺めるとき、あるいは巨大な集合住宅を横目にとぼとぼと歩いている時に、この幾多もの住宅の中に様々な家族であったり独り者であったりが暮らしていて、よくよく聞けば面白いかもしれない話を秘めていて、もしかしたら見ただけで興味を引かれるような人間がいるかも知れず、といった空想をすることがある。
この話は多分、普段は通りすぎるだけの、意識しなければ顔のない存在にすら、無限に詰まっているかもしれない情報たちについてのお話だ。
そうしてまた、つい最近、お話をする鳥たちがリモートで交流するというニュースを見たが、まるでおとぎ話のような不思議な交流から芽生える新しい感情に期待する、という物語かもしれない。
なぜならば話の中で、主人公も含む孤独な人たちが、ネットで交流して、お互いに好ましさを抱いて、心になにがしかの温かさをいだいているからだ。
さらにまた、恐ろしいほどの量の情報という名の知識たちが、実際には名もなく活用もされず、時には疎まれすらしており、しかし逆に、それらがクイズの出題に化けたときには意味を持ったりもするのだけれども、省みることもされぬ大事なことどもが、常に形をかえて世界に増殖していくこと、なども。
私の数少ない読書体験の中でしかない、小さな情報から考えたことでしかないが、割合と「文学」というものは、異常であること、世の中からはみ出していることは、その人間がその状況を反省していようと、その世界が異世界的に描かれていようと、普通よりも価値があるような印象を強く受ける。
しかしこの話で世の中は、異常であることや人と違うことを忌み嫌い、目にしたら見なかったことにしようとしている。
気味の悪いものと一線を画して、美しいものだけ目にして生きようとする人々だらけの様子である。それは主人公の周りだけではなく、遠く離れた場所で孤独を感じる人の家族たちも、そうなのだ。
持てるものは常に楽しくしなくてはならぬという、持たざるものたちのやっかみを素直に受け入れて、それを美しい暮らしだとして生きる家族を、孤独な人は受け入れ難い。持たざるものたちもまた、彼らの正しさのものさしだけで生きている。
いや、最終的にはみ出すことの賛歌ともいえるのだけれども、なにかとても、はみ出すことの否定を、そんなにも世の中はしてくるのだろうか、というほど疎まれている空気がある。だからこそ、主人公が最後に選びとる選択への肯定的な気持ちが、生きるのかもしれないけれども。
その一方で、まだバブルなどという言葉のなかった「金余り」の時代に流行ったクイズ番組に対して、普通の人らしさを持つ人が、否定的に語る場面もある。
これはまあ、主人公は確実にバブルのはじけた世の中に生まれた人で、キラキラに見せて昭和の根性論も多く持ったクイズ番組を知らないのだから、知る世代が語ったのかもしれないが、あの時代の世の中は、ニューヨークを目指してアメリカ横断に行く、さらに勝ってパリに行く、知力体力時の運で勝ち抜いて行く、ということを、肯定的にとらえたのだろうし、だからこそ人気番組だったのではないのか?
安っぽいブラスバンド、ということを、子供だった私はつゆほども思わなかった。休みに海外に行く子供は少なくとも周りにおらず、四国の父の田舎にすら、金がかかるのでほとんど行かないような家に暮らしていた私は、ニューヨークに自分の力と運で行く人々を憧れる気持ちで観たものだった。
しかし、情報すなわち知識をパンパンに頭に積めて戦う人々は------ウルトラクイズはもちろん、頭の良さだけでは最初の段階では落とされることもあるのだが------この世界ではアンタッチャブルな人々ではあるのだ。
私の認識が間違っているのかもしれないが、沖縄県外からやってきた特に学芸員であるわけでもないとはいえ、民俗学を在野の研究者として行う老婆、という、なにやら立派に感じなくもない人のことも、主人公以外の近所の人の目からは、気味の悪い存在として描かれる。
島の記録は、その昔自分達を同朋と言いながら一番ひどい目に合わせた人たちの子孫に、特に発信していく気持ちになるものではないのだろうか?
そのような復讐的な気持ちではなくとも、平和を常に選びとろうと主張するためにも、外から来た人へ話すことを、良しとするのではないのか?
人の嫌な記憶をえぐる気味の悪い婆さんと感じる人々の群れがむしろ気味悪いが、まるでその人たちが正しいかのように、主人公は暮らす。
話は逸れるが、私の叔父は沖縄のかたと結婚をして、東京出身でありながら、島の記憶、島の受けた仕打ちに大いに感銘を受けた。今、終の住みかとして沖縄県に暮らしている。そのほど、影響のある情報の山を、市井の人から集める老婆に対して、この物語の世の中はなんとも冷たい。
老婆が声高に暴力的になにかをしたわけでもなく、あるいは人に強要して島のことを伝えないといけないとヒステリックになったわけでもないのに、いくら何回も歴史的に壊されたところだとはいえ、関心が無さすぎるのではないのか。
老婆に発信の力がなくとも、資料は山のように集まっている。誰かが発信すればいいだけの状態で、あまり他人には分からないやり方で分類されながらも、待っている。だが誰にも省みられることはない。老婆が年老いたので島にやってきた歯科医の娘さんもまた、老婆に対して、好きとははっきりと言えないのだ。
娘さんの話だと、老婆は在野の研究者というよりは、今時耳にすることもなくなったが、コミューンを形成するヒッピーの一員であったか、あるいは、その事件がなにを指すのか良く分からないものの、もう30年近く昔に起こった宗教に絡んだ、というか、勝手に宗教の名において行われた殺人及びテロであるとか、それよりももっとずっと大昔に起こった、革命という名の爆破テロを起こした人々と、普通の人の目には同じに映るなにかであった様子でもある。
老婆の周りに寄る辺ない若者がたむろしていた時期もあった様子だ。だから娘さんは、十年ほど前から中学にあまり行けないでいたことをきっかけに老婆の手伝いをしていた主人公のことを、その若者たちに重ねてもいる。
だからなのか、彼女自身は未だに感情に整理がつかぬ母という存在の一部、遺骨の欠片を未名子に渡してもいる。
未名子は、世界の果てどころか、宇宙や深海にも暮らす、孤独な場所で孤独に過ごさざるを得ない人々へスリーヒントゲームの���うなクイズを出題して、ほんの少し交流する仕事をし、中学生の頃から引きこもりがちで、上にかいた老婆の手伝いを無報酬で行っていた。
やはりだから、老婆が世の中から向けられている視線と同じところにいるような人で、しかし一見するとそこに大きな悩みもなさそうだ。不思議なことに、彼女を理解し得るであろう上司の名前を、なぜか漢字ではなく片仮名で携帯に登録している。
そういえばこの上司も、この仕事についてを、一目を憚るようなものとして語るが、人に理解されがたいだけで、そんな風に感じる必要のある仕事というよりも、ある意味革新的な、自慢すら出来る仕事のようにすら感じる。
人の気がふれてしまわぬように、クイズという余り深くない交流で孤独を紛らわしていく仕事など、需要はともかく画期的だ。まあ、客層からして隠さなければならぬものなのだろうが、別段、未名子のもとへ人が出入りするわけでもなく、たまに事務所を開けて仕事するだけでも生きられる人、程度にしか感じないのではないか。
宇宙や深海、戦場のシェルターが通信場所と知っているのであろう電気屋の親父は、スパイ的な仕事かもしれぬと疑うかもしれないが、それは中途半端に知るがゆえに仕方がないのではないか。
なんにしろ、未名子自身がつかみどころのない人であり、外れものではあっても、そこ自体に悲劇がある様子もない。ふいに、仲間に近い場所にいた人間から向けられた敵意に強く傷つくという、割合と普通の反応も示すことの出来る人だ。急にキレて事件を起こすわけでもないし、酒に溺れるわけでもなく、この世界を啓蒙して回ろうとするわけでもない。普通の反応をする。
まるで妖精のように現れ、誰も所有権を主張しない、美しいことを愛でるための宮古馬という種類らしい小さな馬を、一度手放しながらも盗んで、世界の果てに暮らす仲間から聞いたやり方で飼育することにした未名子は、歴史的に意味ある場所を、その馬屋に選んだ。歴史的に意味のある名前を付ける。
しかし彼女は、世界的に意味のある歴史かもしれぬものも、ただの町の風景も、全部同じ視点でひたすらに集め、保存し、それだけだ。
未名子は物語の最初の方で、在野の研究者でしかない老婆にも自身にも、情報のを調べるとか、更なる研究をする資格はなく、ひたすらに集めていくだけ、といったことを言っているが、馬と共に集めていくことにする情報も、勿論、ひたすらに集めるだけなのだ。意味のある様子で現れた、意味のある名前のついた、意味のある場所に暮らす馬と一緒に、であるのにも関わらず。
老婆が集め、その手伝いをした情報は、ぼんやりとしかその居場所も分からない孤独な人たちにデータとして送っているが、日々更新される情報を、会社を辞めた未名子には知らせる術もない。でも、ひたすらに集める。妖精かなにかのようだが、虫にたかられ、変な匂いのする、ほんのりと温かな馬と一緒に。
この話の中で、孤独な人々や膨大な情報は、なにやら不穏なものとして強く扱われ、孤独な人たちの交流すらネットで行われたり、情報を一緒に集めるだけの年のうんと離れた関係だったりする。
膨大な島の歴史をどこに住むとも知れぬ人たちに送る未名子は、しかし自身の亡くなった父親が所有する大きな台車��なぜ家にあるのかすら、把握できていない。
世界は不確かな情報に溢れていて、しかし確実に情報は増殖していく。
この話の舞台はなぜ、沖縄だったのか?
冒頭にもあったように、自然災害や、時にひどく暴力的な強制で、何度も何度も死に近い状況と再生を繰り返した歴史があったから、ではあるのだろう。
それは広島や長崎、あるいは神戸や福島ではなく、海外であったはずが日本とされ、日本が負けて今度はアメリカということにされて、また日本に戻された、という歴史以外にも、食べ物が豊富ではなかったとか、台風が多かったという歴史もある沖縄だから選ばれた、のではあったのだろう。
しかし、集められたという情報は,物語のなかでは大変にフラットなものに見える。確かに、ただ集めた情報だからこそ、重要、というラベルの付く際立った情報はなく、歴史的な骨も、老婆の遺骨も同列に語られる。
しかし大きな大きな世界の長いながい歴史の中では、偉い人の骨も、昨日亡くなった人の骨も、大きな違いもないのかもしれない。
なぜ、沖縄であったのか?
そこを私はうまく汲み取れていないのだと思う。とにかくこの悲しい歴史を見よ、という声高な主張もなければ、悲劇に視点を当てることにシニカルなわけでもなく、情報だけがつみかさなり、ひっそりと本当に少人数だけの知る秘密のやり取りで、島に縁もゆかりもないであろう場所、なにがしかの紛争という歴史が背景にある国にまつわるどこかに保管された、ということへ、大きく意味を見いだす方もいるのかもしれないが、それは読まれぬままに本棚に並ぶ百科事典とおなじものではないのか?
しかし不思議と、無職で、自分が拾ったものだとは言っても一度は警察に持っていった馬を泥棒して飼う、今や一目など気にもせずに好きなことに邁進する主人公が、馬の背に温かさを感じながら笑い、自身の集めた情報など役に立たぬままひっそりと消えてなくなればそれもまたいいのだと感じることへ、さっぱりとした気持ちにもなる。
彼女が、島の歴史をどこかで役に立てなければと思っていないところに、ではなぜ、沖縄であったのか、という問いの答えは隠されているのかもしれない。
彼女はもう、電気屋の親父が気味の悪いヤツめと視線を送ったってへっちゃらなのだ。
読み終えてふと、未名子が職を辞するにあたって、孤独な人々に送ったスリーヒントゲームの答えはなんだったのかと、気になったが、解説のかたが、話に出てきた、世界を細かな升目に区切り三つの言葉を振り分けることで、誰もがそこを認識できるシステム、というものが、アプリとして存在していると書かれていたので、そのアプリ、What3Wordsなるものを入れてみた。
「にくじゃが。まよう。からし」
首里城公園が出てきた。ほんの少し四角をずらすだけで三つの言葉が変わるから、かなり細かくピンポイントだ。
火事で焼失した時には、まさかテロなのだろうかと感じさせるものがその地名にはあるが、結局、全国どこででも起こり得る原因で焼失したという。
今、地図を見るに、かなり復元されているようであるが、これもまた、情報の更新だろう。いつまでもその土地は、「にくじゃが。まよう。からし」ではあるが、その場所では様々なことが起こり��動いている。情報は常に、動いているのだ。
私が子供の頃と、大化の改新は他の年号になっているそうだし、歴史は集められた情報からさらに検証され、新たに更新されても行く。
たいてい、作者がなにが言いたいのかなんてことは小説を読むにあたって、そこまで大切だとは思わないが、なぜ沖縄であったのか、ということは、なんとなく気になり続ける話ではある。そうして、膨大な情報について想いを馳せる話でもあった。
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未名子のライフワークである資料館の整理、様子のおかしい仕事、孤独な業務従事者たち、
ありえないけど妙にリアリティがあり、作者の書く孤独に没頭してしてしまいます。
「この島には途切れた物語が多すぎる」「自分ができるのは、事実を記憶したものをアーカイブして保存することだけだ」
無視されるもの、孤独なもの、マイノリティの存在だけでないにしても、島の風物を確かにあったただの真実として残してきたことが、それをいつでも差し出せることが未名子の自信になっていて、そんな宝物も、世界の片隅で朽ちて消えていってしまうのがきっと素晴らしいと、締めくくるところがステキです。
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初の高山先生作品でした。
帯の「ずば抜けて面白い」という総評と、少し変わっている仕事をしている主人公の設定に惹かれましたが、世界観が独特で合う/合わないが分かれそうだなと思いました。終始、じとっとしている雰囲気と時間が流れていく中で、自分のことを孤独だと思っている主人公が、同じく孤独な人たちと出会い、でも出会ったからこそ孤独ではないのではと感じ、そこから色んなものを得ていく。
「ずば抜けて」という文字を見てしまってから読んだので、分かりやすいエンタメ性を期待したんですが、そういったものはないので、こういう雰囲気が好きな方はハマるかなと。個人的に、主人公の台詞がほぼなかったので世界観に没入出来なかったです。
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首里の馬 高山羽根子
沖縄に住む女性が主人公。家族はいない。
彼女は歴史資料館でボランティアとしてインデックスなどの整理をしている。生計はオンラインのクイズ出題で立てている。
宮古馬のヒコーキが台風の間日にやってきた。
悩んだ末、退職とヒコーキの飼育を始めた。
歴史資料館の順さんは亡くなり、歴史資料館は壊されることになった。
主人公は資料をデジタル化してクイズの解答者たちに渡すことで資料がなくなることを防いだ。
歴史は台風によって壊されたものを元通りに戻す際に使うことができる。しかし、使われず朽ちる方が好ましいのかもしれない
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やっぱり芥川賞作品は私には理解が及ばない…
哲学的で抽象的な表現から自分のイメージを創作することができないと芥川賞作品は楽しめないのかもしれない。
沖縄の名もない資料館の整理をライフワークとし、問読者という不思議な仕事をする未名子。
無機質な部屋で1人、ネット回線を使って世界のどこかの知らない人に知的なクイズを出す仕事。
クイズを受ける方も独特な事情を持っていて…
孤独で静かだった暮らしは、ある日未名子の庭にやってきた大きな生き物によって変化が起きる。
個人個人の歴史や生きる意味。
他者と自分。
陰と陽。
相手への見えない攻撃と距離感。
沖縄の空気感を想像しながら、そんなことに思いを馳せた。
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資料館、問読者、ヒコーキ
異質なリアリティ
抱えているものが違っているだけで、わたしだって人が見たら?なことを常としているかもしれない
漂っていたものが動きを持ち、薄々感じていたことが少しづつ露呈する
彼女だけが残せるもの
わたしにも何か残せるだろう
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このお話の映像化を望みたい。
島の出来事や闘争の関係やらモニター越しのやり取りやら。
ラストはヒコーキにのった景色
興行的には厳しそうだけど…
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SF的な設定ですが、帯にあるような面白い・感動するという激しい印象はあまりなくて、穏やかに染みる感じでした。記録すること、保存すること、知識を記憶として蓄えること、記憶から解答すること。これらの行為って、人間にとって、もしくは私にとって、どんな価値があるものなんだろう、とぼんやり思いを巡らせたくなった作品です。