ネットいじめ多発
- 2007/08/20
- 10:50
何ら気にすることはない。
第三者は悪口を言われている被害者よりも、悪口を言っている張本人をさげすむものである。
たとえそれがウソであろうと真実であろうと、それを暴露している密告者を卑下するものである。
たとえそれが匿名であろうと成りすましであろうと、仮面の下で直接悪事を行っている卑怯(ひきょう)者を非難するものである。
誰もが人の心の中を知りたいものであろう。
が、それが本当に見えてしまったら、気になって気になって生活しにくくてかなわない。
ネットはそういった人の心の中がチラチラ垣間見えるものである。いいことも悪いことも見えてしまうものなのである。
それを見たければ見ればいいし、見たくなければ見なければいいのである。
誹謗(ひぼう)中傷は「毒」と思わず、「ワクチン」と思えばいいだけである。
度を越して「毒」にしかならないものには「天誅(てんちゅう)」を受けてもらえばいいのである。
私は報道やネットなどで誹謗中傷を目にしたとき、これが人間の正直な醜さだと笑ってしまうが、絶賛礼賛を目にしたときは、逆に恐怖を覚えてしまう。
特にそれほどの功績のない人に対しての絶賛礼賛は、何かウラがあるのではないかと懐疑的になってしまうのである。
「喜怒哀楽」というが、「喜怒哀」も楽しみの一種だと思う。
喜びはもちろん、怒りも悲しみも広い意味では楽しみなのである。
これら「負の楽しみ」があるからこそ、よりいっそう「正の楽しみ」が楽しいのではあるまいか?