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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
気づけば10年目突入、3,000記事を超えてました。 メインは日記とぐだ話、あといろいろ。
【戦国時代】26年は、ちょっと地味系の弟が人気者の兄と大冒k 恋凪さん「それなんてル○ージ?」

こんばんは。

きのう1晩寝かせた割には、さほどネタとして膨らまなかった現実… 2026年放送のNHK大河ドラマが『豊臣兄弟!』と発表された件です。

戦国の世を統一した”人気者”豊臣秀吉の弟で、”ちょっと地味”だけど頼れる補佐役と称された男…豊臣秀長(ひでなが)の物語だそうで。

昨年の大河ドラマ『どうする家康』では佐藤隆太さんが演じ、”己の欲望に忠実”な秀吉(ムロツヨシさん)の理解者兼ブレーキ役(?)でしたね…

ドラマは詳しくないので(言い訳)主演の役者さんも脚本家さんも存じあげなかったのですが、どんな”戦国時代”が見られるのか楽しみです。

そして兄弟といえば、26年4月には世界中でお馴染みの”あの兄弟”が新作映画に… そう、赤いぼうしと緑のつなg 恋凪さん「ますたー、ちょっと黙ろうか」


ではまた…

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【戦国時代】大河ドラマになることはないだろうけど、地元の歴史もなかなかにアツイものです(え…)

こんばんは。

今日は、島根県内かつ朝出て日の入りまでに帰ってこれる範囲の”遠出”をしたので、その概要を…(まず日帰りを”遠出”と言えるかどうか)



アレ( )が流行りはじめてから「人混みが怖くなった」というわけでもないのですが、東より西方面に出かける頻度が確実に増えているブログ主。

今回は出雲市からおよそ70km、大田市の南側にある邑智(おおち)郡は川本町(かわもとまち)で行われた歴史講演会に参加しました。

大田市で”将棋界の頂上対決(の、第5局)”が今日から明日にかけて行われるそうで、地元は賑わっているとニュースで聞いていましたが

道路が混んでいるとか県外ナンバーが多いとかはほとんどなく(そもそも対局を直接観戦できるわけでもない)、ほぼ想定通りの所要時間でした。

講演会では、戦国時代に今の川本町一帯を治めていたという「石見小笠原(おがさわら)氏」と石見銀山に関する史料についての研究発表と

これも川本町内にあって島根県の史跡に指定されている「丸山城跡」の発掘調査の様子や、そこから見えてきた当時の姿が紹介されました。

小笠原氏の本拠だったという温湯(ぬくゆ)城は、『信長の野望』シリーズにも何度か出てきて名前だけは知っていたつもりだったのですが

石見銀山(がもたらす富)を手に入れんとする大内・尼子・毛利といった大勢力の間を、絶えず行ったり来たりの”したたかさ”は初めて知りました…

何より、ブログ主自身も40を過ぎて(なおかつその大半は島根に住んでいて)川本町を訪れたのは初めてだったのです… 貴重な経験でした。

ではまた…

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【戦国時代】義景公や義元公には申し訳ないけど、この人が扮すると戦国武将の迫力が(ごにょごにょ)

こんばんは。

特にネタもないまま夕方に「笑点」を見ていたら福井県での収録で、大喜利コーナーに”福井(当時は「越前」)の戦国大名・朝倉義景公”にちなんだ

問題が出題されていたので、本当に久しぶりに【戦国時代】カテゴリを引っ張り出してきました(そろそろカテゴリ詐欺と言われてもおかしくない)

応仁・文明の乱の頃に”下剋上”を起こして以来、5代100年にわたって越前を統治し非常に高い文化水準を誇っていた(※)という朝倉氏ですが

「将軍(候補)が上洛の助けを求めてくる」という千載一遇の好機を逃し、最後は織田信長に滅ぼされるという”アレな大名”のイメージもあってか

問題からして「朝倉家臣(解答者)の『○○が攻めてまいりました!』に『まことか!?』とうろたえる義景公(司会者)」だったりして、なんとも…

(※)朝倉氏と司会者の名誉のため補足… 今年10月に開館する「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」の”名誉御屋形様”に就任なさるそうです

何年か前の大河ドラマで”海道一の弓取り”こと今川義元公を演じた時も、「全くセリフがもらえずに討ち取られた」とネタにされてたっけ(おもに紫)

あれは「言葉を発しなくても相手を畏怖させる存在だった」という演出の意図もあったとか… ユースケさんとならいい勝負か(あらゆる方面に失礼)

結局のところ、一番印象に残ったのは「もしも”一向一揆”のリーダーがIKKOさんだったら、それはそれで怖い」でした(どんだけ) ではまた…

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【戦国時代】かれこれ1年くらい使ってなくて、ブログの隅っこで埃をかぶってたカテゴリーが今(なぜ)

こんばんは。

時は戦国時代、甲斐の国(現在の山梨県)を拠点として近隣諸国を制圧し、「甲斐の虎」と恐れられたという戦国大名・武田信玄。

京を目指し遠征軍を率いていたさなか、体調を崩し最期を悟った信玄は「私の死は、向こう3年知られてはならぬ」と、遺言をしたと伝わります。

自分が死んだと分かれば、隣国の大名たちはここぞとばかりに攻め込んでくるだろう… 実際にそういう事を考えたかどうかはともかくとして

信玄の軍勢を迎え撃つはずだった織田信長は、「敵が撤退を始めた」という情報から「武田の陣で何かあった」と察したとかなんとか…

当時は情報通信・伝達の手段といったら「間者」とか「忍者」とかが頼りでしたから、信玄の遺言(とされる言葉)も真実味があるというか…

今は例え地球の裏側で起こった出来事であっても、瞬時に速報され報道され拡散されてますから… 隠し事がしづらくなりました(あんのか)

一方で、夕飯時に「ここ数年テレビに出ないけど、訃報も聞いた覚えがない芸能人の安否」が話題になる日常が愛おしく感じました(おいお前)


それでは…

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【戦国時代】完結ありがとう企画「”5つ(くらい)のK”で振り返る『麒麟がくる』」 最後の”K”【麒麟】

こんばんは。

本当は2月中に終わらせたかった『麒麟がくる』のレビュー(らしきもの)ですが、いろいろあって2日遅れで最終回をお送りすることとなりました。

すでに『青天を衝け』も3回目の本放送を終え、北大路欣也さんの「こんばんは、徳川家康です」が日曜8時の”恒例行事”になりつつある中で

ほんとに後出しにも程があるという内容になりますが、どうか『こんな解釈する奴は介錯してやる』とは思わず最後までお付き合いください・・・


さて、どこかの知事さんが使ってたような気もする「5つの”K”」になぞらえて、これまで5つのキーワードで『麒麟』を振り返ってきました。

それぞれの内容は【戦国時代】のカテゴリーで探してもらうとして、最後はやはり【麒麟(きりん)】で締めなければいけないと思いました。

さかのぼること約3年、2018年4月に「2020年大河は明智光秀、タイトルは『麒麟がくる』」と、この記事でも取り上げていました。

麒麟・・・ はるか昔の中国(三国志とか項羽と劉邦とか、そのへん)で語り継がれた”伝説の生き物”の名前、というのは知っていましたが

どこをどうやったら日本の戦国時代と、そして明智(十兵衛)光秀の物語とつながるのか、ブログ主にも全くピンと来ていませんでした。

NHKさんの番組公式サイト(今月末をもって閉鎖)の表現を借りれば・・・

王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣、麒麟。
応仁の乱後の荒廃した世を立て直し、民を飢えや戦乱の苦しみから解放してくれるのは、誰なのか……
そして、麒麟はいつ、来るのか?
(引用ここまで)

と、要するに「天下が統一(当時の人は”一統”と言ったらしい)され世から戦が消えたとき、麒麟は降臨する・・・かも」とのことで。

初めは駒ちゃんだったり義輝様だったりが「近しい大人から聞いた”言い伝え”の、空想上の生き物」として、ぼんやりとした存在だったのが

様々な人と出逢い、考え、主張し、戦い、時には別れ、大いに苦しみながら、最終回で「私が麒麟を呼んでみせる」と十兵衛は言いました。

その後あえなく十兵衛は「ナレ敗北(!?)」し、放送終了後には「麒麟はこなかった・・・」と落胆する視聴者の声も多かったように思います。

そしてブログ主自身も『十兵衛は(仮に山崎の戦いで生き延びたとして)麒麟を呼べたのか』と聞かれれば、「おそらくNO」と答えざるを得ません。

現実世界で生存を裏付ける地名や伝承もあるとはいえ、私たちの知る”明智十兵衛光秀”は、ここで歴史の表舞台からは姿を消したのです。

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ここからは、完全にブログ主個人の”思い込み”というか”極めて勝手な解釈”になってしまいますが・・・


仮に信長が本能寺で死なず、あるいは史実通りに秀吉が天下を統一し家康が泰平の世を実現したとして、彼らは麒麟を呼べたかどうか。

もっと言えば、最終回を待たずに志半ばで倒れていった斎藤道三や足利義輝、朝倉義景、武田信玄、それとも松永久秀ならどうか。

初回から最終回まで”完走”しただけのいち視聴者の見解ですが、「誰が天下をとったかはあまり関係ないのでは」と思ったのです。

なにか”根拠”があるのか、と聞かれれば・・・ ブログ主にとって印象的だった”2つの場面”を挙げておきます。


① 旅芸人として戦国の世を”底辺”から見てきた、伊呂波太夫のセリフ

最終回の2つくらい前の話で、「”理想の世の中”とはどのようなものだろうか」と問うた細川藤孝に、伊呂波太夫が言いました。

 「武士だけのためでも、公家だけのためでもダメです。 世の中には百姓も商人も、そして私のような旅芸人もいるのですから。」

このセリフには、放送終了後もしばらく考えさせられました。 確かに私も、麒麟を呼ぶのは戦国武将の誰かだと思っていましたから。

同時に自身も捨て子であり、諸国を巡業する中で戦乱に苦しむ民たちの姿を間近で見てきた太夫だからこそ言えたのだろうな、とも。

そして、この「武士でも公家でもない民たち」こそが、このドラマの”真の主役”だったではないか、という思いを強めた2つ目のシーン。

② オープニング映像の中の1カット

息をのむような迫力の映像に、ジョン・グラム氏が作曲した重厚なテーマ曲。 ドラマが終わった今でも、たびたび思い返し口ずさんでしまいます。

ドラマ終了後に”考察班”の方々が「実はこれは”山崎の戦い”を暗示していたのでは・・・」とおっしゃっていて、確かにそうかもと思うのですが

ブログ主にとっての”白眉”は終盤、『粗末な家屋の中で一様に前を向き視聴者を見つめる、様々ないでたちの民たち』の数秒間のシーンでした。

合戦や政治とはあまり関係のなさそうなこのカットを、あえて用いた意図は何だったのか・・・などという批評眼は持ち合わせておりませんが

なんとなく、前項で紹介した伊呂波太夫の台詞と対応している気がしないでもないような・・・(どないやねん) あくまで個人の感想ですけど。


まとめます。

番組公式サイトには、このようにも書かれていました(繰り返しますが、今月末で閉鎖)

従来の価値観が崩壊し、新たな道を模索する現代の多くの日本人に向けて、
同じように未来が見えなかった16世紀の混迷の中で、懸命に希望の光を追い求めた
光秀と数多くの英傑たちの青春の志を、エネルギッシュな群像劇として描き、
2020年、新たな時代を迎えるすべての日本人に希望と勇気の物語をお届けします。
(引用ここまで)


いま日本は、そして世界は、これまで誰も経験したことのない”新たな時代”に足を踏み入れようとしています。

それは(ごく一部の人たちには)希望と栄光に彩られた時代かもしれないし、(大多数の人たちには)混沌と苦難に満ちた時代かもしれない。

そして、もしこの先に”麒麟”の降臨を求める時がくるのだとしたら、その資格があるのは前者ではなく後者の人たちのような気がするのです。

世界の覇権を争う国々のトップや経済を牛耳る大企業の経営者、あるいはインフルエンサーでなければ麒麟を呼べない、とは思えないのです。

一方で、自分にはそんなチカラがないからと「誰かがきっと麒麟を呼んでくれる日がくる」と耐え続ける人生というのも、きっと辛いものです。

戦国時代に生きた”百姓”は・・・農民だけでなく商人や職人、医師や僧侶、旅芸人に盛り場の遊女まで、誰もが懸命に日々を営んでいました。

歴史の大きな流れの中にあってはほとんど無力な存在に見えても、自分が今なすべき事を見極め、そこに精一杯の力を尽くして日々を紡ぐ。

そうすることで、少なくとも自分や大切な人たちを取り巻く世界に”軸”のようなものができ、不確かな時代を生きる助けになるのでは・・・?

「”麒麟”は、私たち一人ひとりの胸の中で眠っている。」 長谷川十兵衛が遺してくれたのは、そういう事ではないかと思うのです。


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以上で、6回にわたってお送りした自分語り『麒麟がくる』のレビュー(??)は終了です。

そして、約3年前からあれこれ書いてきた『麒麟がくる』の話題も、今回で”打ち止め”になると思います・・・(オープニング動画も削除されてた)

ブログを書き始めた頃から「いつか大河で足利義輝・義昭の兄弟を取り上げてくれないかなー」と言っていたので、その野望は叶いました。

次回の”戦国大河”は2023年放送予定の「どうする家康」となりそうですが、見るかどうか「どうするまこな。」(ものすごく雑なオチ)


色々すみませんでした。 そしてありがとうございました。

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