今回の「鳥山石燕の妖怪画と『怪物画本』を比べてみたよ」(またタイトル変えたwww)は、「古庫裏婆」ですヾ(๑╹◡╹)ノ"
鳥山石燕の妖怪画をまんまパクって作られた『怪物画本』を、元になった鳥山石燕の妖怪画と比較するという、意味があるのか無いのかよく分からない企画でございますヾ(๑╹◡╹)ノ"
鳥山石燕の妖怪画(『今昔百鬼拾遺』)には解説文が書かれているので、原文と現代語訳もちゃんと載せますよヾ(๑╹◡╹)ノ"
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『怪物画本《かいぶつえほん》』「庫裏婆々化」[明治十四(一八八一)年刊、李冠光賢《りかんみつかた》画、鍋田玉英《なべたぎょくえい》模写]
『今昔百鬼拾遺』巻一「古庫裏婆《こくりばヾ》」[安永十(1780)年刊、鳥山石燕作画]
※画像の調整、赤字の書入れは筆者。
【原文】【現代語訳】
【解説】
---------------【原文】【現代語訳】
古庫裏婆《こくりばヾ》
古庫裏婆《こくりばば》
古庫裏婆《こくりばば》
僧《そう》の妻《つま》を梵嫂《ぼんさう》と言へる由《よし》、輟耕録《てつこうろく》に見えたり。
僧の妻を梵嫂《ぼんそう》と言う事は、『輟耕録《てっこうろく》』[中国の随筆。一三六六年序、陶宗儀《とうそうぎ》作]に書いてあります。
僧の妻を梵嫂《ぼんそう》と言う事は、『輟耕録《てっこうろく》』[中国の随筆。一三六六年序、陶宗儀《とうそうぎ》作]に書いてあります。
或る山寺《やまでら》に、七代以前《しちだいいぜん》の住持《ぢうぢ》の愛《あい》せし梵嫂《つま》、其の寺《てら》の庫裏《くり》に住ミ居て、壇越《だんおつ》の米錢《べいせん》を掠《かす》め、新死《しんし》の屍《しかばね》の皮《かは》を剥《は》ぎて、餌食《ゑじき》とせしとぞ。
ある山寺に、七代より前の住職が愛した梵嫂(妻)が、その寺の庫裏《くり》[住職と家族が住む建物、寺務所や台所を兼ねる場合もある]に住んでいて、檀家《だんか》が供えた米や金銭を盗み、亡くなったばかりの死体の皮を剥《は》いで食べたという事です。
ある山寺に、七代より前の住職が愛した梵嫂(妻)が、その寺の庫裏《くり》[住職と家族が住む建物、寺務所や台所を兼ねる場合もある]に住んでいて、檀家《だんか》が供えた米や金銭を盗み、亡くなったばかりの死体の皮を剥《は》いで食べたという事です。
三途河《さうづがハ》の奪衣婆《だつゑば》よりも恐ろし/\。
三途の川の奪衣婆《だつえば》よりも恐ろしいです。
【解説】
古庫裏婆、古い庫裏に住む婆の妖怪ということでしょう。
恐ろしいもののことを「蒙古高句麗《むくりこくり》」というので、その意味も込められているのかもしれません。
「狐狗狸《こっくり》さん」とは関係あるんですかね???
奪衣婆は死者の衣類を剥ぐだけですが、古庫裏婆は死体の皮を剥ぐというね、ガクブル。
『怪物画本』では「庫裏婆々化」とヘンテコな名前になっていますが、「くりばばばけ」とでも読めばいいのですかね???
『輟耕録』には「梵嫂」のことが書かれているだけで、「古庫裏婆」のことは書かれていないので、古庫裏婆は、石燕の創作妖怪だと思われます。
女人と交わることがタブーとされている僧が妻を持つと、その妻は妖怪となって、僧の死後もずっと寺を悩ませるという、戒めの意味を込めて作られた妖怪でしょうか?
挿絵、糸を紡いでいる姿が描かれていますが、ひょっとしたら、糸じゃなくて、死体の髪の毛だったりして、なにげに包丁もありますし、ガクブル。
まな板の上の柑橘類が、『怪物画本』では団子みたいになっちゃってますね(笑)
寝ているニャンコは三毛猫ですかね?
僕はこくり坊主だよヾ(๑╹◡╹)ノ"ヾ(๑╹◡╹)ノ"
たしかに、いつも、コクリコクリと舟をこいで居眠りしてるもんなヾ(๑╹◡╹)ノ"ヾ(๑╹◡╹)ノ"
◆北見花芽のほしい物リストです♪
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