東京駅に行ってきた。
ここのところ原敬の謦咳に接する幸運が偶然ながらも重なったため、勢い彼の最期の場所を拝んでおきたくなったのだ。
「停車場なぞといふものは、実用本位で沢山だから、劇場や議院の如く壮麗な建築美を誇る必要はないが、東京駅のみは一国首都の──即ち一国の──大玄関として、少しは美術的であってもいゝ。実用上の便不便は別として、私はあの稍や古色を帯びた大建築をば、真正面の四十間道路から眺めるのが好きで、将来ともあれが四階五階に増築されて附近のビルディングなぞと形を競ふやうなことのないのを祈ってゐる」。──嘗て上司小剣を魅了した赤レンガ駅舎の風格は、
今なお確かに健在と、ここに立ってしみじみ思う。
第十九代内閣総理大臣の暗殺されたポイントは、
JR丸の内南口、券売機のすぐ側に在る。
写真中央からやや右上、ともすれば床の模様に紛れかねない、黒丸中の六角形こそ、即ち
「国家の進歩は急激突飛なる行動に依りて成功すべきものに非ず、我国維新以来僅に五十余年、長足の進歩を為したることは事実なりと雖も其進歩の跡を見れば自から順序在り、一足飛に獲得したる成果には非ず、先輩諸氏の苦心したるも実に此処にありしなり。是を察せず急激突飛なる行動に訴へんか徒に国家を撹乱するの結果を来すべく、決して国民の福利を増進する所以の道にあらざるなり」
大正九年六月二十七日の党大会の壇上で、原敬自身の肺腑より迸り出された演説である。
「国家の進歩は急激突飛なる行動に依りて成功すべきものに非ず」、「急激突飛なる行動に訴へんか徒に国家を撹乱するの結果を来すべく、決して国民の福利を増進する所以の道にあらざるなり」。──まったく然りだ、そしてこういうド真ん中正論をぶちかました当人が、およそ最も急激突飛な政治行動に違いない「暗殺」という手段によって排除されねばならぬとは、まさにまさしく悲愴の極みな巡り合わせであったろう。
これが原敬の網膜に、最後に映った景色だろうか。
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