特集

広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

特集一覧

被爆者代表・宮田隆さん「ウクライナの空襲警報はピカドンの恐怖」

核兵器廃絶への思いを語る宮田隆さん=長崎県雲仙市で2022年7月26日午後4時25分、中山敦貴撮影
核兵器廃絶への思いを語る宮田隆さん=長崎県雲仙市で2022年7月26日午後4時25分、中山敦貴撮影

 「ウクライナに鳴り響く空襲警報のサイレンは、あのピカドンの恐怖そのもの」。9日、長崎市の平和祈念式典で被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた宮田隆さん(82)=長崎県雲仙市=は、ロシアの侵攻を受けるウクライナとあの日の長崎を重ねて訴えた。

 当時5歳だった宮田さんは、爆心地の南東約2・4キロの長崎市立山の自宅でビー玉で遊んでいた時に被爆した。爆風で玄関口まで飛ばされ、気がついた時は、自分を抱く母の胸の鼓動が聞こえた。

 夜、爆心地方面から山を越えて逃れてきた看護師は焼けただれ、左目が飛び出し、髪が逆立っていた。「水をください」。母が水を飲ませようとしたらパタッと倒れて絶命した。爆心地に救援に向かった父は黒焦げになった叔父と叔母を見つけ、5年後に白血病で亡くなった。

この記事は有料記事です。

残り827文字(全文1165文字)

【時系列で見る】

関連記事

あわせて読みたい

この記事の特集・連載

アクセスランキング

現在
昨日
SNS

スポニチのアクセスランキング

現在
昨日
1カ月
  翻译: