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35歳で「乳がんステージ4」が発覚。それでも婚活を続けた女性の8年間

 35歳の秋、会社の健康診断のエコー検査で引っかかり、ステージ4の乳がんが発覚した。それまでの健康診断では一切何もなく、体調もすこぶるよかったのに……。  しかし、「がん」とはそういう病気、本人の意識がないまま密かに進行し、体を蝕んでいくのだ。特に若いと進行が早いという話もある。
白戸ミフル

がん発覚から約8年、無事に42歳の誕生日を迎えた筆者

 がん家系でもなく、健康診断では常にオールAだった私にとって、それは衝撃以外の何物でもなく、私の人生を大きく変えていった。  ただ、結果的に「よかった」と思えることもたくさんある。改めてその当時を少し振り返ってみたいと思う。

がんを受け入れてくれた8歳下の彼氏

 脇と骨に転移の疑いがあり、最短での抗がん剤治療開始を余儀なくされた。もちろん完治する保証なんてない。私は人生で初めて「死」を意識せざるを得なかった。急過ぎる「死」の可能性の宣告にショックと悲しみで不安定な日々を送っていた。  当時、プロポーズをしてくれた8歳下、27歳の彼氏がおり、彼も大変ショックを受けていたが、「医者じゃない僕は君の病気は治せないけど、心の医者にはなれるはずだから、辛いことやストレスは何でも僕にぶちまけていいよ」と、とても優しい言葉をくれた。  突然、大病を告げたら、ドン引きされると考えていた私は感動して涙が止まらなかった。

完治の保証もない大病が心まで蝕む

 しかし、病気への不安から気持ちも病んでいった私は、次第に「毎日の電話」(彼は多忙だったので深夜になることもあった)や「食事に行く店のセレクト」(ヘルシーじゃないお店を選ぶたびに怒りをぶつけていた)など、彼の悪気のない行動に腹を立てるようになり、日常的にイライラしてしまっていた。  最初のうちは頑張って耐えてくれていた彼だが、私の当たり散らしが次第にエスカレートしたことでアッサリと振られてしまうことになる。  抗がん剤治療の副作用で髪の毛は抜け落ち、外出時はウィッグをつけての生活。さらに高熱が続いたり、水も飲めないほど大きな口内炎ができたり、吐き気と倦怠感でゲッソリと痩せてしまっていた私にとって、頼れる人が一人いなくなってしまうのは大きな打撃だった。 「態度を改めるから、考え直して」と彼にすがることも考え、思い悩んだりもしたが、まだ治療も始まったばかりで気持ちも安定していなかった私はまた同じことを繰り返すことを懸念し、彼に頼らず病気を克服していこうと、一人の道を歩み始めた。  しかし、一人でいるのはやはり寂しい。治るかわからない病気なのでなおさらである。次第に「もっといいパートナーがいるのではないか」と考え始めた。そして、私は抗がん剤で体に起きた変化を逆手にとって、治療と並行して婚活に励むようになる。
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合コンの二次会、カラオケ店で宙を舞ったウィッグ
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