今回は駅巡りの記事をお休みして、昔の写真の解析します。
上野駅地平ホーム15番線の夜行急行列車です。私の朧げな記憶では急行「おが」だと思うのですが・・・
80年代当時の「おが」といえば・・・上野~秋田間を奥羽本線経由で結んでいた季節夜行急行でした。これは同じく奥羽本線経由で上野と青森を結んでいた夜行急行「津軽」の補完的な列車だったようですね。また、昼行気動車急行もあったそうですが記憶にありません・・・。
それでは写真解析します。ここからは勝手に予想して書いているので、誤っていたらご指摘を・・・。
まず車両ですが、この丸顔は20系で間違いありません。3枚窓はカニ21かカヤ21かな? おそらくはカヤ21だと思いますが、電源車であるのは間違いないです。
次に場所ですが、右の柱に「16」とあるので、右端の回送表示の特急車両は16番線に停車中。ということは、線路終端側から撮影していると思います。
時期については・・・80年代前半なのだけは覚えています。電源車が上野方に連結されているということは、少なくとも電源車の騒音対策前ということかな?? また、当時の東京駅とは違って、上野駅は機回しが出来ず、尾久から推進運転してくるはずなので、機関車がいないということは下り列車の出発前、つまり夜だと思います。
解析できたのはここまで。次に当時の「おが」について調べてみます。
私の持っている一番古い時刻表(1985年3月)では、「おが」は22:03発の秋田行き8403レで18番線発。編成表は記載されておらず・・・。ただ、ブルートレインの白黒反転マークがあるので20系じゃないかなと思います。
上画像とは番線が違いますが、撮影はこれよりも前のはず。それより前の時刻表を調べていけば一発でわかるのかもしれませんね。
次はネットを確認しますが、不定期列車だからなのか情報が少ないです><
Wikipediaの記載を見ると・・・「おが」が20系化されたのは、1983(昭和58)年7月のことだそうです。
季節夜行急行「おが」の使用客車(14系:全車座席車)と定期夜行急行「津軽」の使用客車(20系:A寝台・B寝台、普通座席車の3種類を設定)を14系客車に入れ替え。
つまり「津軽」の編成とそっくり入れ替えたそうです。これは大人気列車「津軽」の混雑緩和の措置だったようですね。寝台車を座席車に変えて乗車できる人を増やしたということですかね^^; 乱暴な感じです・・・。都市圏の通勤ラッシュにも通じると思いますが、まだ需要に対してモノや仕様(システム)が追い付いていなかった時代だった、ということなんでしょうかね~。
その当時の「津軽」については・・・→→14系夜行急行「津軽」
こちらは正真正銘の「おが」。上画像とは(多分)別日に撮影したものですが、この行先票は20系のものなので、1983年7月以降に撮影したものだと思います。
これも別日の撮影だったと思いますが、「おが」だけに男鹿行きというのもありました。
男鹿線に20系が走っていたなんて、今を思うと信じられませんね・・・。
結局わからずじまいでした<(_ _)>
Comments 4
There are no comments yet.
koganeturbo
風来梨
こんばんは。
❴津軽❵は北海道からの帰りに、北海道ワイド周遊券の特典(経路上の急行は料金不要)で乗ったことがあります。 けれどその時は『廃止ローカル線・命』だったので14系客車には興味がなく、❴津軽❵のサボ1枚撮ったのみですね。
同様に、❴十和田❵と❴八甲田❵も北海道の帰りに乗りましたが、❴十和田❵はフイルム間違いでブルーの12系客車が更に青みがかかって、サルベージさえできずボツ。
❴八甲田❵は、サボすら撮ってなかったみたいです。
小僧の頃は目標(廃止ローカル線)以外は目に入らなかったようで。 撮っていたら、ドル箱写真になる事が確実だったのに・・。 惜しい事しました。
なお、❴おが❵は、所有している『国鉄急行列車・東日本編(廣田尚敬 著)』で気動車の❴おが❵が掲載されていました。
きゃみ
急行表示