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2022年8月6日土曜日

平和を願う8月6日、原子爆弾から生き延びた「被爆アオギリ」の歌

  この投稿は、2015年8月6日のものを更新して、再投稿しています。

 
 今日は8月6日、77年前の今日、広島に原子爆弾が投下されました。私がスウェーデンで初めて働いた特別支援学校は、広島県の西条特別支援学校と姉妹校のプロジェクトをしました。詳しい内容は「スウェーデンと日本の特別支援学校の姉妹校プロジェクトを振り返って」をご一読ください。このプロジェクトは、広島県内の全ての県立高校が外国に姉妹校を持ち、交流を行うというプロジェクトでした。スウェーデンと姉妹校になったのは、西条特別支援学校と私の学校、エレブロにある高校の福祉科も姉妹校になったそうです。


 姉妹校プロジェクトを行うまで知らなかった、「被爆アオギリ」という木について、姉妹校プロジェクトの中で教えていただきました。77年前の被爆にも負けずに生き残った木々の中の代表だそうで、平和公園内、原爆資料館東館の北側にあります。このアオギリの樹から、広島県内の学校に苗木が渡されるそうで、西条特別支援学校にもこのアオギリの樹がありました。希望をすると苗木がもらえるようで、修学旅行などで訪れた日本中の学校や世界にも渡されているようです。

 このアオギリの樹のそばで聴ける歌が、「アオギリの歌」です。

 歌は、2000年に広島市のミレニアム記念事業として「広島の歌」を公募し、小学3年生だった森光七彩さんが作詞作曲したそうです。

 「アオギリの歌」


電車にゆられ 平和公園
やっと会えたね アオギリさん
小学校の校庭の木のお母さん

たくさん たくさん たね生んで
家族が増えたんだね よかったね

遠い昔のきずあとを 直してくれる アオギリの風
遠いあの日のかなしいできごと


資料館で見た 平和の絵 
いろんな国の 人々や 
わたしが みんなが 考えてゆく広島を
勇気をあつめちかいます
争いのない国 平和の 灯

遠い昔のできごとを わすれずに思うアオギリの うた
これから生まれてゆく広島を大切に

広島の願いは ただひとつ 
世界のみんなの明るい笑顔


 広島の学校と姉妹校になってわかったことに、広島では岐阜県生まれの私が受けてきた教育にはない形で、平和学習に重点を置いて行われていることです。人類が決して忘れてはいけない、原子力爆弾の投下により多くの尊い命が一瞬にして亡くなったという事実を様々な形で子どもや若者に伝え、世界に伝えていく学習が行われています。8月6日の原爆投下の日に、この歌を聞き、平和記念式典の様子を見て、登校日になっている広島県内の学校で先生方が子ども達と向き合っている姿を想像し、胸が熱くなり、世界の平和を心から願います。

 
 このアオギリの歌、小学生の子が作ったという感じが少し残る、とても素直なメロディーで、広島の願いは、世界のみんなの明る笑顔というのにも心がとてもうたれます。広島の原爆の話などをしようとすると、わたしなどは難しく考えてしまうのですが、この歌詞には、率直な日本語であるからこそ伝わるものがあるように思います。姉妹校プロジェクトをしていたときに、この歌をスウェーデン語に訳して、音楽の先生と一緒にスウェーデン語版を作りました。懐かしく思い出します。
 
 遠い昔の出来事になりつつある、広島と長崎のできごとを忘れずに、全ての世界の人々が平和で暮らせる世界を願い、そのために私ができることを頑張っていきたいと思います。


2022年8月2日火曜日

スウェーデンと日本の特別支援学校の姉妹校プロジェクトを振り返って

この投稿は、旧ブログと現ブログの姉妹校プロジェクトの投稿をまとめて、再投稿しています。
 私が最初に働いていたストックホルム郊外の公立特別支援学校は、日本の広島県東広島市の西条特別支援学校と姉妹校でした。プロジェクトは、2012年から2015年までの3年間、その後もやりとりが続いています。今回はそのプロジェクトについてです。

1.どうやって、スウェーデンと日本の特別支援学校が姉妹校になったの?

 きっかけは、なんと、このブログだったんです。時は遡り10年前の2012年に、このブログを読んで下さっていた方(二人も!)が、「日本の国立特別支援教育研究所」が現地調査員を探しているというメールをわざわざ下さりました。私は、その調査員には条件が合わず、ならなかったのですが、スウェーデンの特別支援教育に関しての情報提供をさせていただきました。その時に、特別支援教育研究所のほうに日本の特別支援学校から、「海外での姉妹校を探してるので紹介してほしい」と連絡があったのです。その時に「日本人が働いている支援学校ありますよ。」と、私の働いている学校と他何校かを紹介したのです。広島県は、県内の全ての公立高等学校が海外の学校と姉妹校を持つというプロジェクトを3年で立ち上げたところでした。日本人がいるならと、西条特別支援学校と私の学校の姉妹校の話がトントン拍子で進みました。これが、2012年4月のことでした。懐かしい!

2.どうやって準備をすすめたの?

 準備は、主に私が日本語でやりとりをして、進めました。調印式や本格的な交流は、夏休み明けの新年度からだったので、まずは、お互いの学校を知ることができるようにと、日本からDVDで学校の様子などが届き、同僚や生徒たちがそれを見て姉妹校プロジェクトが始まるんだという実感を持ってもらいました。この当時の職場には、音楽療法の先生、ICTの先生、理学療法士の先生が、各クラスの担任以外にいたので、主に彼女たちがこのプロジェクトの中心となって私といろいろと準備をしてくれました。

3.プロジェクトのスタートは?

 2012年8月から始まった姉妹校プロジェクト。日本の西条特別支援学校から校長先生と教頭先生が調印式を兼ねて、スウェーデンを訪問しました。夏の休暇明けすぐで、すごく忙しかったのを覚えています。その時のブログには、

「今もそうなんですが、昨日くらいまでは、緊張していたのが、今日になり、校長や同僚の反応などをみていると、緊張よりもわくわくするような楽しい感情がわいてきました。遠くからやってくるお客様にやはり喜びは隠せません。おそらく、日本の方が考えるような歓迎とは違うのだろうけど、それでも、スウェーデンらしい、スウェーデン人らしいアイデアがたくさんあります。私もできるかぎり、黒子?ではないのですが、あまり口をださず、意見を求められれば答えつつ、でも、ここはスウェーデンの学校らしさがでるようにと、しています。(というほど、日本人的な感覚はなくなりつつある私ですが。。。)でも、こういうお互いの文化が強調されるのが交流のいいところなので、いろいろ起こる問題課題難題にいらいらせずに、笑って対応です!」

とあります。日本側からは、細かい調印式の内容や書類が来るのですが、それをスウェーデン語に訳して、説明しても?なことは多くあり、文化が違うのを実感し、その間を行き来していたことを思い出します。

4.調印式

 本当ならば、よい天気が続くはずの8月のスウェーデン・ストックホルム。しかし、この年は天気が悪かったので、雨が降った場合のBプランを用意しました。当日に至るまでのスウェーデン人同僚たちの様子は、だんだんと緊張してくるというか、それまでは、あんまり実感がなかったのか、突然先週の火曜日辺りからどうだこうだと。ちょっと遅いような気もするが、ここもお国柄。彼らいわく、

 夏休み前はまだまだ時間があると思っていたらしく、休み明けは調子を取り戻すのに時間がかかり、気がついたら、すでに1週間きっていた。

というよくあるパターン。最近はもうすっかり慣れました。

 当日は、あいにくのお天気。仕方がないのでBプランで準備をしました。このBプランの問題点は、学校の体育館が小さく、防災法の関係で小学校は1クラスしか参加できないことにありました。もちろん、これが大問題。小学校と隣接していたので、今回のお客様は、学校へのお客様ということで、小学校と特別支援学校両方で準備をしてきました。子どもたちも楽しみにしており、いまさら、天気が悪いから出られないとは、いえない、とのこと。結局、霧雨のような雨の降る中、外で行うことになりました。ここに至るまでの話し合いと決断、スウェーデンにしては早いほうだと思いました。私にも意見を求められ、「みなさんで決めてください」と言わせていただきました。。。

 さて、この天気の中、スウェーデンの子どもたち、どうなることかと心配したのですが、そんな心配はまったくいらないくらい、どの子どもよくがんばりました。約35分かかった調印式、みんなじっと立ってがんばって聞いていました。これには、うちの学校職員全員がほんとうに驚きました。普段のこういった会での様子を知っているからこそ、今回の様子があまりにも違い。。。うちの校長は、よくがんばったということで、ご褒美を準備するそうです。風もけっこうびゅんびゅんしていて、寒かったけど、本当によくがんばりました。

  調印式では、スウェーデンと日本の国歌も歌いましたし、校長先生の話もありました。生徒の話もありました。日本から、習字できちんとかかれた言葉が運ばれ、校長先生によって読み上げられました。私はずっとスウェーデン語での訳をいれました。最後にサインとテープカットをして、これから3年間行われる姉妹校の取り組みが始まったのです!


5.母からの贈り物

 私の母からの届いた謎の贈り物は、「千羽鶴」でした。日本の特別支援学校は広島県の学校ですので、うちの母が3000羽の鶴を折って送ってくれました。調印式の中で、この鶴について話をしてほしいといわれ、千羽鶴とサダコの話を紹介をしました。「広島」という名前を言えば、スウェーデンでも誰もが「ああ、あそこね」というくらい知られた県だからこそ、そこにある願いと思い、意味は深いのではないかとも思いました。


6.どんな交流をしたの?

 今でも残っている交流は、お互いの学校の児童生徒の作品を送り合い、映像や音楽での交流でした。生徒や教員のオンラインでの交流も試みましたが、時差とその当時の日本のオンラインやインターネット上の決まりが厳しく、なかなか難しく、確か1度行っただけだと思います。教員同士でコンタクト教員を作り、お互いにメールをやり取りしていましたが、日本側は転勤があると変わっていってしまうため、なかなか定着しませんでした。それでも、数名の先生は、やりとりを楽しまれていました。そんな中で、なんとか姉妹校プロジェクトを生徒たちに実感してもらいたいと思い、行っていたのが「日本週間」でした。

 日本からは、もう一度スウェーデンに、生徒とお母さん、先生2名が訪れてくれました。私たちも、日本には2回行きました。1回目は、校長、副校長、ICTの先生と4人で行きました。2回目は、同僚の先生とアシスタントとみんなで行きました。




2017年8月10日木曜日

思い出の姉妹校再訪

 前回の「これはスウェーデンではないかなと思った日本の保育園事情」、妹から、岐阜弁がすごいとお褒めを。岐阜といえば、世界遺産の白川郷を思い浮かべる方が多いようで、その昔、岐阜から来たというと、「まあ、あんな山奥から」といったようなコメントをいただくことがありました。といっても、私は平野部出身なので、山はそばにないところで育ったのですが。。。そんな平野部で生まれ育ったので、実は、都会のホテルに泊まるのが苦手だったりします。地震があったらどうしようかと本気で考えてしまいます。

 
 なかなか進まない日本滞在記ですが、他の方の旅行記とか見ると、本当に感心します。写真とともに、食べたものとか紹介してあったりすると、いいなー、楽しそうだなあと思います。が、そんなマメさは私にはなく。。。今週は、夏の休暇、最後の週で、来週から仕事なので、書かなければならない原稿と真摯に向き合って、毎日を過ごしています。


 妹の友達と一緒にちらっと「放課後等デイサービス」を見て、大学時代の友人に会いがてら「児童心理療育施設」みて、その間に保育園の七夕お遊戯会を見て、そして、次は、広島の姉妹校を再訪しました。日程的に、この日しかだめなのですが、訪問できませんかとお願いしたら、校長先生、教頭先生、快諾くださり、お邪魔することができました。姉妹校には、過去2回同僚たちをつれて訪問していますが、ずっと通訳をしていたため、もう一度ゆっくり見たいなあと思っていました。日本の学校は職員の異動があるので、あまり間が空いてしまうと知らない先生ばかりになってしまうので、その前にと思っていました。

 前日は、尾道により、こんな景色を楽しみました。大学生の時に一度訪れたことがあった尾道、懐かしかったです。今度はしまなみ海道を自転車で渡ってみたいなあと思います。

夜は雷に大雨で、警報も出て、学校はないのではないかと心配していましたが、そんなことはなく、普通に学校やっていました。この日はちょうど学校案内の日だったので、私も見学者に交じって説明を聞き、授業を見学してきました。朝から、子どもたちが帰るまで自由に学校を見学させていただき、やはり、いろいろ聞けなかったことなどを聞けて、先生方といろいろ話もできて、勉強になりました。

学校には姉妹校プロジェクトのコーナーもありました。こうしてこうして再訪できたことをとてもうれしく思いました。懐かしい先生方にもお会いすることができ、スウェーデンを訪問してくれた生徒さんと保護者の方にも合うことができました。2012年に始まったプロジェクトがいろいろと思い出された訪問でした。


2017年4月9日日曜日

感慨深かった日本週間

 テロのショックが消えないストックホルムです。今日は、「愛のマニフェスト」の名前で追悼集会がセルゲル広場で行われました。昨日、今日とテレビではテロに関する番組が継続して放送されており、事の大きさを感じます。

 今日は、今回が最後のとなった日本週間について書こうと思います。今回も大勢の方がボランティアにも関わらず、参加してくださりました。日本から2名の方、フィンランドから1名、スウェーデン国内から4名の方が参加してくださいました。参加してくださったみなさん、本当にありがとうございました。また、参加を予定していたけれど、都合により参加されることがなかった方も、参加しようと連絡をくださり、ありがとうございました。お会いすることはできませんでしたが、その気持ちだけで、とても嬉しかったです。

 今回もなんだかんだと内容が増え、結局1週間行うことになりました。日本週間の幕開けは、日本太鼓の演奏会とワークショップでした。演奏者の方が、もう少し席を離した方がいいと言われた意味がよくわかった演奏会で、とても大きな太鼓の音の迫力に生徒も職員も魅了されました。ワークショップは、みんな楽しそうに太鼓を叩いていました。アフリカの太鼓と比べて、叩き方に多少問題があっても強い日本太鼓は、うちの生徒たちにはよかったようで、職員も安心して、生徒たちに試させることができました。こうした機会はなかなかないので、本当にみんな喜んでいました。

 いつもの人気コーナー、簡単な茶道とお菓子。このコーナーは、いつもみんな大好きです。何度食べても興味深い日本のお菓子にみんな大喜びでした。お抹茶と煎茶を飲み、お菓子を食べた後は、折り紙。最後に紙飛行機大会をするので、紙飛行機をまず作りました。その後、イースターをテーマに折り紙をおりました。


日本の姉妹校から送られてきた十二支の紙粘土の作品。これは面白いと、十二支の始まりの物語を映像化し、生徒たちにもわかりやすくしました。十二支のお話の映像を見た後は、早速、自分は何年かを調べました。「僕は辰年じゃないと嫌だ」という生徒もいたりして大笑い。十二支の特徴もまとめておいたので、職員も自分の干支を知って、興味津々でした。自分の干支を知ったら、それを額にする図工をしました。


習字のコーナーも十二支のテーマで行いました。自分の干支を習字で書きました。


日本の姉妹校から送られてきた紙相撲は、毎年恒例のコーナー。何度も行なっているので、みんなよくわかっていて、楽しめる遊びです。


今年は、2名の学生さんが日本の歌のコーナーを受け持ってくれ、姉妹校から送られてきた「鯉のぼり」と「どんぐりころころ」を含む、5曲を披露してくれました。前日の夜に即興で大正琴を練習してくれて、連弾で弾いてくれたのには驚きました。とても美しい歌声でした。


姉妹校から送られてきた節分の鬼のお面を紹介したいと思い、節分についての説明の映像を作りました。その映像を見て勉強した後は、でんでん太鼓を作りました。簡単に音が出て遊べるデンデン太鼓にみんな楽しそうでした。

日本の曲を聴いて、絵を描くコーナーも毎回行なっています。曲を聴きながら、色を選び、絵を描く活動は心を落ち着かせるのか、生徒たちも穏やかに行います。

昨年に引き続き、ヨーヨー釣りも行いました。日本から来た方が持って来てくださったのですが、釣るという遊びこごろも楽しいようで、みんな楽しそうにヨーヨーを釣っていました。

 最後は、紙飛行機大会。順番に紙飛行機を投げて、誰のどの飛行機が一番遠くまで飛ばせたか、一目でわかりやすく、うちの生徒も楽しめました。

こんな感じで終わった日本週間。毎日忙しかったですが、その割には穏やかに時間が流れたように思いました。7回行なった日本週間も最後となるとやはり感慨深いものです。姉妹校のプロジェクトを通して、本当にたくさんの経験をさせてもらい、多くの思い出ができました。参加してくださった多くの方、本当にありがとうございました。日本から荷物を送ってくださった方々、本当にありがとうございました。

2016年3月19日土曜日

紙飛行機大会で幕を閉じた日本週間

 今年度の日本週間が無事に終了しました。今年は、日本人の参加者が多く、総勢10名!今までの日本週間で最多となりました。参加してくださる方が多いということで、当初の予定とは少し内容を変えて行いました。

 最初の日は、習字のコーナーと茶道と折り紙のコーナーを日本人の方でスウェーデン語が話せる方にお願いし、お手伝いに2名の日本人の方が各コーナー入ってくださいました。それに加えて、空手ができるという方が参加してくださったので、空手のコーナーを行い、私が広島の平和公園にある「アオギリの歌」についての授業を行いました。

 二日目は、空手のコーナーの代わりに毎年大人気の紙相撲のコーナーを行いました。あとは、1日目と同じです。この辺りまでは当初の予定であったため、この2日間の参加者がいちばん多かったです。

 三日目は、2名の方が参加してくださり、鏡餅を紙粘土で作るコーナーとどら焼きなどの日本の味を体験出来る家庭科のコーナーを行いました。鏡餅は、日本の姉妹校が送ってくれたのを見て、同じものを作ることにしました。家庭科のコーナーは、6月に行われるオープンハウスで作って出せるようなお菓子ということで3つ紹介しました。ちょっと準備不足で手伝ってくれた方には、お世話をかけました。この日は、午後、小学校の学童で折り紙を教えました。

 四日目は、最終日。午前中は、ヨーヨー釣りとカレーのコーナー、坊主めくりコーナー、かるたコーナーをしました。坊主めくりは、姉妹校が送ってくれたもので、人気があったようです。かるたは、私がスウェーデン語のアルファベット版を作り、遊びました。どちらも楽しかったようです。ヨーヨー釣りとカレーは日本から持ってきてくれた方がいたので、使うことに。ヨーヨー釣りみんな楽しそうにやっていました。上手にヨーヨーをつすると光るので、楽しそうでした。カレーは美味しいと人気でした。この日の最後は、紙飛行機大会。みんなで体育館に集まって、まず、歌を歌い、それから最初に2日間でおった紙飛行機を投げました。 

 多くの方のお手伝いをいただき、今年の日本週間も大成功に終わりました。子供達が普段見せない姿がたくさん見れたと先生方もすごく感謝されていました。いつもは、活動の移動に時間がかかり、参加できない子も進んで参加していたり、逆に活動が楽しすぎて、終わりが来ても移動できなかったり。35分で設定してある活動時間、うちの子達には、長めなのですが、みんなよく頑張って集中してやっていました。三日目、四日目になると登校してきた生徒が日本人の方はどこにいるかと聞いたり、探したり(笑)。ヨーヨー釣りでは、自分の好きなヨーヨーを最初に見つけて、それをこよりに引っ掛け、水に浮かべて釣るという「技」を意外な生徒が自分で考えてやって見せたり。いつもは絶対一緒に静かに座っていることができない生徒同士が日本人の方と一緒に座ってじっと活動に参加したりと、数え切れない生徒の一面と成長を見ることができました。これも、遠くからわざわざ参加してくださった皆さんのおかげであると思います。うちの学校の生徒たちには、こうした人々との出会いが大きな経験となるのであると感じました。


 今年は参加者が多かったのですが、どの方も教育、特別支援教育にたいへん興味のある方で、たくさん質問をしてくれて、よく勉強しているという印象を受けました。いつもは遠方から参加される方は私の家に泊まっていただくのですが、今年は、私の家がリフォーム中で部屋数が足らず、他の先生にもホームスティホームスティいただきました。そちらも好評でした。参加をしてくださった方々、日本から贈り物を送ってくださった方、本当に、本当にありがとうございました。

 

2015年7月6日月曜日

姉妹校訪問を終えて

 終業式が終わり、年度末の仕事も残る中、日本の広島県にある姉妹校を同僚10名とともに訪問しました。訪問は、大変素晴らしいもにとなり、一緒に行った同僚みんなとても勉強になり、楽しかったようです。

 国は違っても、同じ職業、特別支援教育に関わるものとして、学ぶところがたくさんあったようです。百聞は一見に如かずといいますが、今まで送ってもらう映像や写真で見ていたものをその場で観れるというのは本当に大きなことであると思いました。また、互いの現場を見ることで自校のよいところを見直す機会にも恵まれ、様々な角度で物事を見て、今後のアイデアがたくさん生まれたようです。来年度が楽しみです。


日本最終日は、京都での観光でした。金閣寺、清水寺、高台寺を見学し、祇園を抜けてスウェーデン人同僚たちの目に留まったのが、ビアホール🍻!京都の夜、日本の夜の締めくくりは、ビール飲み放題!その後は、カラオケボックスでアバ熱唱‼️ホテルでの睡眠はおそらく4、5時間で空の人となったのでした。本当に楽しかった姉妹校訪問でした。

 一期一会という言葉を姉妹校の校長先生が話してくださいました。本当にその通りで出会いの大切さを実感しました。日本でお世話になった皆さん、本当にありがとうございました。


2015年3月28日土曜日

日本週間無事終了

 無事に今回の日本週間も終了しました。今回は、例年よりもばたばたし、昨日はちょっとした出来事があり、私は本当に疲れました。ああ。。。

 参加してくださった日本人の方は、月曜日が2名、火曜日が3名と、今回もボランティアにもかかわらず、手伝ってくださった方には大変感謝します。4回目になる今回の日本週間、子供たちから、「前にやったあれをしたい」という声が出たり、飲めなかったお茶が飲めるようになっていた子がいたりと、やっぱり、回数を重ねるって重要だなあと思いました。

 今回の日本週間は、日本文化とスウェーデン文化を掛け合わせ、また、6月の日本訪問に向けて、プレゼントを作成したりと内容盛りだくさんでした。また、今までは、私が中心となって行ってきた計画も、他の先生に移行し、それぞれの先生が各コーナーを受け持ちました。

 姉妹校が広島県にある特別支援学校なので、送られてくる写真などに「ピースキャンドル」がよく写っていました。そこで、今回は、ピースキャンドルも作りました!準備は大変だったようですが、出来上がった時の喜びは大きく、また、思う以上に簡単に子供達が参加してできるのも良かったように思います。私のクラスの子供達も楽しそうに行っていました。


 それにしても、ここ数週間、いろいろと学校であり、疲労困憊しております。。。今週はゆっくり休みたいと思います。みなさんも、良い週末を!

 日本週間に参加してくださったみなさん、本当にありがとうございました。


2015年3月21日土曜日

スウェーデン人同僚に鍋を試してみるの巻

 驚くほどに忙しい毎日が過ぎていき、ブログの更新がまた滞ってしまいました。ちょっと振り返ると、先週の月曜日と火曜日は、久しぶりに通訳しました。私の勤務体系では、学校のある日に仕事を引き受けた場合、お給料が出ないため、ほとんどこういった仕事を引き受けないのですが、今回は、久しぶりにやってみました。こういう仕事は、引き受けないか、引き受けるならば定期的にやる必要があると実感しました。

 学校を休むと仕事がたまるため、残りの週はあっという間に過ぎていき、土曜日は久しぶりに日本人補習学校へ。数年前に小学2年生の時に担任したクラスの生徒と親さんが謝恩会によんでくださいました。久しぶりに会う人も多くて大変楽しい時間を過ごさせていただきました。ああいう会の準備は大変だっただろうと思いました。で、問題は、さあ帰ろうと車のトランクを開けると、なんとまさかのインロック。「ありえなーい」と叫びたくなる瞬間でした。って、叫んでいましたし、一緒に帰ることにしていた友人には申し訳なくって。ああ。。。私のドジには慣れている主人が、はるばる鍵を持ってきてくれて、なんとか帰宅。。。


 で、今週は何をやっていたかというと、鍋をスウェーデン人同僚に食べさせるベく、奮闘。前から食べて見たいという人がいたのと、日本行きに向けてダンスや歌の練習をすることになっており、じゃあ、と鍋を。で、数週間前からいろいろ準備。友人に鍋を借りたり、材料を買い出したり。

 こんな時期でも欠席者なしの、全員参加でいざ、鍋を。中身は、サーモンなどの海鮮鍋にし、一番ニュートラルな水炊き風にしました。味も質素で食べやすいし、何より、醤油の味と箸に慣れてもらわないとと。

 7割の先生は、平気でしたが、やはり、一部はダメですねえ。それに、スウェーデン人、野菜を食べない。特に白菜はああして煮て食べる習慣がないせいか、あんまり減らず。しらたきや豆腐も興味津々だけど味見程度。うどんもふーんってな感じ。

 今回は、時間省略もかねて、味ぽん酢を使ったのですが、これは美味しかった模様。不思議なのが、魚を入れてはそれだけ食べてしまうんだなあ。それでも、 スウェーデン人鍋奉行が現れ、おおーと驚き。。。

 最後にお雑炊にしたら、みんな少しずつ味見をし、なんで最後にご飯を食べるのかと聞かれました。やっぱ、日本人だしと適当に答える日本人がそこに1名。


 でも、食事に文句をつけた1名と翌日から病気になった方は、日本行きをもう一度考え直した方がいいのではないかと、影で思う私でした。はあ、疲れた。。。


 来週はいよいよ日本週間です。日本人の方、今回も数名参加してくださることになっており、本当に助かります。興味がある方、当日参加も大丈夫なので、ぜひ、ご連絡をくださいね。

よい週末を。

  翻译: