豊国覚堂翁の遺品
2024.11.26 Tuesday/
今日、豊国覚堂翁の子孫の方から遺品の文書類をお預かりして来ました。
実は長年プレハブ倉庫に保管、その倉庫の雨漏りにより残念ながら判別し難い状態であった。
豊国覚堂翁は女房の実家の菩提寺である大胡町の曹洞宗 豊国山 長善寺の住職であったと・・・
高校時代の旧友が門前に住んでおり、彼の家を訪問した折に、山門を潜った左脇に有った2階建ての木造家屋に覚堂翁夫婦が住んで居たとの話を聞いた。
翁は住職在任中にお寺の宝物を売り払い芸者遊びをしていた等の逸話が檀家に伝えられている。
その時から翁に興味が・・・後に翁の娘さんである佐藤和子さんの存在を知る事になる。
佐藤和子さんは今、長善寺の覚堂翁夫婦の墓地に眠っている。
佐藤和子さんの娘さん郁子さん・・・(今は我が菩提寺に・・・)
その息子さんは友人の岡田兵造さんである。
かなり前から岡田さんの所に若干の資料が残っていると聞き及んでいた。
今日、家の中の整理で見させて貰う機会を得る。
ただ雨漏りでボロボロになっている・・・それを今日預かって来る事になった。
自宅で確認中・・・!
残念ながら特段貴重な資料は見つからなかったが、それでもやはり覚堂翁の資料として保存する必要がある。
雑記帳の中には私の祖父・「宮城村 助役・東宮祐吉」の名刺が挟みこがまれていた。
赤城神社「国幣中社」昇格運動の記載の中にである。
金井金洞(之恭)の書軸あり。
翁は女房の祖父・元大胡町長・茂木雅雄とも深い交流があった事が「勢多郡誌」の中に・・・
この資料は、お嬢さんの「岡田佳子」さん名で県の文書館への寄贈を考える事とする。
よる、能登健先生に電話をかけ相談。
明日でも文書館へ連絡してみよう・・・
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