第3回「ロシア軍を撃退」動画は世界に拡散 1人で対戦車砲を放った64歳
【証言③】元タクシー運転手のバレンティン・ディドコフスキさん 「対戦車砲を手にロシア軍を待ち構えた」
たばこくれ。
4月25日、キーウ近郊ブチャを南北に走るボクザルナ通りで取材中、同僚のフォトグラファー、竹花徹朗記者に、そう声をかけてきた男性がいた。
上半身が裸だ。暖かくなってきた頃とはいえ、珍しい。
この男性が元タクシー運転手のバレンティン・ディドコフスキさん(64)だった。
キーウ侵攻をめざしたロシア軍は侵攻4日目の2月27日、その途上にある街ブチャで、ウクライナ軍の抵抗に遭い、一度は壊滅的な被害を受けました。その様子を動画に撮影したタクシー運転手の男性が、当時の状況やロシア軍への憤りについて語ります。
たばこを吸いながら雑談していると、ディドコフスキさんが突然、ボクザルナ通りでのロシア軍との戦闘の話を始めた。
ここでロシア軍のタンクローリー車が大破し、ハンドルを切ろうとして動けなくなったんだ。
ここにカディロフツィ(ロシア南部チェチェン共和国出身の兵士)がいたんだ。
やけに具体的な話をしている。
え? もしかして、ディドコフスキさんは戦闘の最前線にいたのですか?
ええ。私の場合、戦闘の最前線に「いた」というより、最前線に住んでいるんです。自宅は、ここ、ボクザルナ通りにありますから。
ロシア軍がキーウ侵攻をめざすのであれば、ボクザルナ通りが主要ルートの一つになる。そんなことは最初からわかっていました。
ブチャの先の街イルピンを越えれば、もう首都キーウですから。
2月27日になると案の定、ロシア軍の隊列が、ボクザルナ通りを南下し始めました。ミサイルの発射音が聞こえてきていたので、ロシア軍がブチャに既に入っていたことはわかっていました。
どこから入手したかは言いませんが、私は、携行用対戦車砲(通称ムハ)一つと、手投げ弾5個を手元に用意して、ロシア軍を待ち構えていました。
【プレミアムA】「死の通り」 ブチャ 生存者の証言
ロシアによるウクライナ侵攻から半年が過ぎました。大量虐殺の悲劇に見舞われた街ブチャに「死の通り」と呼ばれる場所があります。生存者が語るロシア占領下の「絶望の1カ月」とは。金成隆一記者が住民の証言を丹念に集めました。臨場感のある写真や映像とともに伝えます。
■こうやって、通りに面した…