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第6回雨が降っても血痕が消えぬ「死の通り」 0歳の息子を抱え逃げた裏道

有料記事首都攻防 ウクライナ侵攻生存者の証言ブチャ=金成隆一

【証言⑥】ドミトロ・マラシェンコさん 「ロシア兵は動くものは何でも撃った」

 ヤブロンスカ通りで取材中に声を掛けてきてくれたのが、ドミトロ・マラシェンコさん(30)。日本から取材に来ているということを喜んでくれた。

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 雑談していると、「この通りで撃たれたけど、蛇みたいに(ジグザグに)逃げて助かった友人がいる」という話を教えてくれた。それが第4話で紹介したブラソブさんだ。

 マラシェンコさん自身は、左肩から大量に出血するブラソブさんを路上で介抱した後、しばらくして家族とともに市外に退避したという。

 ロシア兵が住民を手当たり次第に狙撃していたブチャの街から脱出することは、まさに命がけでした。ドミトロ・マラシェンコさんが、生後3カ月の息子を抱いて生き抜いた体験を語ります。

パブロ(ブラソブさん)は道脇に倒れ込んでいました。銃弾は、左肩を貫通しており、体内には残っていませんでした。頭や心臓、首、どっちの方向に10センチずれていても、彼はダメだっただろうと思います。

彼はただ、友人の遺体を埋葬したかっただけです。それでもロシア兵に狙撃された。あいつらは誰でも構わずに、動くものなら何でも路上で撃ち殺していたんです。

パブロだけではありません。

私の知人だけでも10人以上が撃たれました。何人が死んだのかはわかりません。「あいつが撃たれた」「いや撃たれたけど、死んでいない」などと様々な情報が飛び交っているからです。

【プレミアムA】「死の通り」 ブチャ 生存者の証言

ロシアによるウクライナ侵攻から半年が過ぎました。大量虐殺の悲劇に見舞われた街ブチャに「死の通り」と呼ばれる場所があります。生存者が語るロシア占領下の「絶望の1カ月」とは。金成隆一記者が住民の証言を丹念に集めました。臨場感のある写真や映像とともに伝えます。

 ■私の知人女性は、弟から死…

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この記事を書いた人
金成隆一
大阪社会部次長|災害担当
専門・関心分野
国内社会、米国、外交、ジャーナリズム

連載首都攻防 ウクライナ侵攻生存者の証言(全14回)

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