東京・明治神宮外苑のイチョウ並木は、今後の再開発の伐採対象ではないものの、工事が生育に悪影響を及ぼすとの懸念が指摘されている。植樹されたのは今からちょうど100年前の1923年。資料には「1本も欠けることなく現在に至っている」と記される。ところが「38年の台風で倒れ、勤労奉仕で植え替えた」という体験をつづった投書が本紙に届いた。事実なら定説が覆る。85年前の外苑に何が起きていたのか。(加藤益丈)
◆投稿に記された85年前の「勤労奉仕」
「1本1本、丁寧に植えたわが子のような木。長い歳月を経て、世界に誇る景観になった。いつまでも残してほしい」
埼玉県所沢市の自宅でイチョウ並木への思いを熱く語ったのは投書の主、中里富美雄さん(103)。
投書によると、植え替えは38年9月。この年は8月31日から9月1日にかけて台風が東京を直撃し、強風で街路樹や公園の樹木が倒れた。中里さんによれば、台風が去った後、修復のため多くの学生が勤労奉仕に駆り出されたらしい。
当時は18歳で、教師を養成する師範学校の学生で都内の寮で暮らしていた。学校の指示で寮生50人が作業服に着替え、電車を乗り継いで外苑に向かった。
◆「イチョウが吹っ飛んでいた。夢中でやった」
「イチョウが吹っ飛んでいた。用意されたシャベルで穴を掘り、高さ1.5~2メートルほどの木を植え、土を埋め、足で踏み固めた。台風一過のお天気で、残暑が厳しかったが夢中でやった」
その後、中里さんは軍に入り、暗号関連任務に就いた北海道で終戦を迎えた。45年10月、東京に戻ると空襲で街は様変わりしていたが、気になるのはイチョウ並木だった。
「上野駅はホームだけ。後は焼け野原。食料も、住む家もない。今思い出しても涙が出る。でも、イチョウが心配だった。無事なのを見て、ほっとした」
戦後、都立高校の教師になった中里さん。秋、葉が色づく頃には毎年のようにイチョウ並木を見に行っていたとして、こう語る。
「秋に葉が落ち、道が黄色いじゅうたんのようになる風景は、歳月が作り出した見事なもので、風情がある。イチョウが死んでしまうかもしれない事態には反対の声を上げないといけないと思った」
明治神宮外苑のイチョウ並木 明治天皇と昭憲皇太后の遺徳をしのぶ明治神宮外苑の建設の一環として、新宿御苑で採取した種子から育て、高さ6メートルほどに成長したイチョウ146本が1923年に植樹された。青山通り側(青山口)から聖徳記念絵画館に向かって背の高い順に植え、遠近法により絵画館を引き立たせる。
残り 1489/2577 文字
「東京新聞デジタル」スタート
この記事は会員限定です。
- 有料会員に登録すると
- 会員向け記事が読み放題
- 記事にコメントが書ける
- 紙面ビューアーが読める(プレミアム会員)
※宅配(紙)をご購読されている方は、お得な宅配プレミアムプラン(紙の購読料+300円)がオススメです。
カテゴリーをフォローする
おすすめ情報
コメントを書く
有料デジタル会員に登録してコメントを書く。(既に会員の方)ログインする。