赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」。さらに阿弖流為時代にさかのぼり、祖先安倍高丸を追う

前九年合戦の進軍過程

 

日本外史新釈108

大麻生野・瀬原 → 鳥海柵 → 黒沢尻・鶴脛・比與鳥 → 厨川

 

〇安倍館と安久沢5(前沢古城安久沢史)安永風土記

白鳥館(戦わず明け渡し) → 安倍館と大麻生野柵(八幡太郎源氏ヶ先に陣を敷く・激戦) →

 

前沢町史上巻302 清原氏後裔小野寺家家譜

衣川関 → 白鳥村民屋に止宿(白鳥柵の戦の記述なし) → 大麻生野(激戦)・瀬原柵 → 鳥海柵 → 黒沢尻 → 鶴脛・比与鳥 

 

〇前太平記

衣川 → 大麻生野・瀬原 → 鳥海 → 

軍分ち  

 ▼鳥海(14日) → ★八幡太郎 → 黒沢尻 → (15日到着)厨川

 ▼鳥海→ ★景道・武貞 → 家任則任居城の鶴脛・比與鳥 → 将軍陣へ帰る

 

 

〇前九年後三年日本外史衍義(えんぎ:詳しいこと)

 

貞任の拠所を攻め落とし貞任を打ち取れば、余の緒要の兵を労せずして降附(降参)せんと軍き一決して先ず厨川へと押し寄せる 108P

▼官軍 → 衣川 → 瀬原 → 鳥海(14日進発) 

→ (15日)厨川(厨川激流、底深し、杭を打ち柵をふり、櫓高く P112)

貞任兄弟八方へ馳せめぐりて厳しく 112P

→ 残るは比與鳥鶴脛の両城132P → 

 ▽景道 → 比與鳥城(降参) → 鶴脛(空城) 

 

 

▼貞任 → 衣川城 → 厨川討死121P → 貞任の子千代童斬首130P

▼宗任 → 鳥海(柵捨てる) → 厨川(沼に隠れ、行方知らず)→降参138P

▼則任 → 厨川(貞任の遺言をきき、かしこまり出てゆく)107P→比與鳥城戦134P→鶴脛城(逃げる)137P →宗任と降参140P

 

 ▼第一陣 清原武則

 ▼第二陣 八幡太郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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