〇日本外史新釈108
大麻生野・瀬原 → 鳥海柵 → 黒沢尻・鶴脛・比與鳥 → 厨川
〇安倍館と安久沢5(前沢古城安久沢史)安永風土記
白鳥館(戦わず明け渡し) → 安倍館と大麻生野柵(八幡太郎源氏ヶ先に陣を敷く・激戦) →
衣川関 → 白鳥村民屋に止宿(白鳥柵の戦の記述なし) → 大麻生野(激戦)・瀬原柵 → 鳥海柵 → 黒沢尻 → 鶴脛・比与鳥
〇前太平記
衣川 → 大麻生野・瀬原 → 鳥海 →
軍分ち
▼鳥海(14日) → ★八幡太郎 → 黒沢尻 → (15日到着)厨川
▼鳥海→ ★景道・武貞 → 家任則任居城の鶴脛・比與鳥 → 将軍陣へ帰る
〇前九年後三年日本外史衍義(えんぎ:詳しいこと)
貞任の拠所を攻め落とし貞任を打ち取れば、余の緒要の兵を労せずして降附(降参)せんと軍き一決して先ず厨川へと押し寄せる 108P
▼官軍 → 衣川 → 瀬原 → 鳥海(14日進発)
→ (15日)厨川(厨川激流、底深し、杭を打ち柵をふり、櫓高く P112)
貞任兄弟八方へ馳せめぐりて厳しく 112P
→ 残るは比與鳥鶴脛の両城132P →
▽景道 → 比與鳥城(降参) → 鶴脛(空城)
▼貞任 → 衣川城 → 厨川討死121P → 貞任の子千代童斬首130P
▼宗任 → 鳥海(柵捨てる) → 厨川(沼に隠れ、行方知らず)→降参138P
▼則任 → 厨川(貞任の遺言をきき、かしこまり出てゆく)107P→比與鳥城戦134P→鶴脛城(逃げる)137P →宗任と降参140P
▼第一陣 清原武則
▼第二陣 八幡太郎