2024-06-01から1ヶ月間の記事一覧
奥羽社会経済史の研究/平泉文化論(森嘉兵衛著作集第1巻) 450 永承5年(1050)源頼義が陸奥守・鎮守府将軍として着任した時、「安倍頼良傾首給仕、駿馬金宝之類悉献幕下」しているから、金が発見されてから三百年にしてすでに宝物としてすでに贈与されて…
兵法により、まずは安倍軍の中心人物を倒すことで、兄弟や、軍は、その後戦意喪失した。その後というのは、厨川戦後に、鶴脛、比与鳥柵に向かう(外史)が、ほぼ兵士は、逃げていた。
前九年合戦のとき、清原氏は、貞任・宗任の妹と婚姻関係を結んだ。やがて、平泉初代藤原清衡が生まれた。 しかし、前九年以前から、安倍氏と清原氏は婚姻関係にあった。 安倍・清原・藤原氏関係図(奥州市世界遺産登録候補地ガイドの会後藤和夫) 宗任の父、…
安倍軍を倒すため、八幡太郎は朝廷の書物を管理している大江家から「闘戦経」を学んだ。門外不出の兵法である。 第43章「単兵急に擒にするは毒尾を討つ」はまさに、敵のたのみにしている攻撃力の急所を討つ戦略を用いている。親戚の攻撃、貞任亡きあとは戦…
貞任の兄井殿の家系(高山掃部長者) 南都田村史268P 1 京都では藤原氏が実権を握りこの納め物で栄耀栄華を極めていたので頼時はそれを怒り税や貢物を送らぬことにしました。 2 藤原光貞の妹を嫁に欲しいと申し込んだ武士が、田舎武士にはやれぬと・・・義…
〇日本外史新釈108 大麻生野・瀬原 → 鳥海柵 → 黒沢尻・鶴脛・比與鳥 → 厨川 〇安倍館と安久沢5(前沢古城安久沢史)安永風土記 白鳥館(戦わず明け渡し) → 安倍館と大麻生野柵(八幡太郎源氏ヶ先に陣を敷く・激戦) → 〇前沢町史上巻302 清原氏後裔小野寺…
古代における胆沢開発史考235 安倍氏経営と思われる衣川村上衣川の総寺山の僧寺にかかわる荘園の墾田について 、安永5年(1776)の「新里村風土機御用書出」に、「新里ノ館は、康平(1058~1065)の頃は、貞任部下の新里角方の館」とあるから、この墾田は安…
平泉と仙台藩14 平泉滅亡百回忌たるべき正応元年(1288)には、「征夷将軍二品親王」(維康)・執権北条貞時・連署北条宣時らの命令によって、金色堂を「循覆」する(めぐらしおおう)ことになった。いわゆる「覆堂」の設営である。 ・・・いずれにしても、…
胆沢町史Ⅱ14 境講師ははじめ出羽陸奥の国境に位置する下嵐江に住寺し、のち廃寺してこの僧寺に住寺し、その家族が小松の谷木(国道北側)に居住していたと思われる。 僧寺が野火によって焼けつくし、住寺わずかの年月で、その後は北上市稲瀬の極楽寺が定額の…
侵略戦争はいつの時代もあるものか、戦争に倫理観などない、ただ、犠牲者に人道的な施しだけは必要では。天台宗の法華経を広げた安倍氏 安倍氏の功績は、 ①胆沢ダム(現)に天台宗僧寺と荘園のため胆沢川から水路を引き、農業を広げ胆沢平野の原型を整えた。…
女子修身全書(明治25年)「安倍則任が妻」 出典:国会図書館 (著者)日清・日露戦争当時は、侵略戦争と兵役義務、そのための教育が普通であったことはいたしかたない。女子には貞淑を求められ、その教材に「則任妻」があった。 第5期修身国定教科書(昭和…
安倍頼義の弟で境講師という天台宗の指導者がいる。 北上市の極楽寺跡にいた。 安倍氏の祖先は、阿弖流為・モレの時代から戦死者を弔い、多くの観音像を管理してきた。 戦死者の無念な想いは、亡霊としてあらわれ、朝廷や官軍も悩まされた。 安倍氏、藤原氏…
水沢の日高神社の太刀洗戦場のように、実は、前九年合戦の発端は、源氏の挑発である。 陸奥話記では、源氏は、貞任が官軍の嫁を欲しがり、蝦夷などにやれないと言って、襲ってきたといった。 しかし、実際は、貞任が欲しがったわけでなく、部下が嫁に欲しい…
奥州藤原氏の初代清衡公の母は、安倍氏、有加一乃末陪である。 清衡公の叔父は貞任、宗任、則任である。 敵にまわった清原氏は、まったくの親戚である。 義家は、清原氏に地位や名誉、権力と引き換えに、身内の安倍氏を倒すようにそそのかした。 誰も考えつ…
八幡太郎 : 児童教育 国会図書館所蔵 教育勅語は戦後廃止された。修身教育の中に武士道など子供たちを戦争に誘導するような今では考えられない教育があったようだ。教育勅語の掛け軸の下には、敬愛、習業、勇儀奉公など示す具体的な絵がある。「知能」の欄に…
陸奥話記や八幡太郎の軍記物語では、比與鳥・鶴脛を倒し、クライマックスの厨川戦で貞任をようやく倒し、終結を迎える。 外史(地方史)では、貞任を倒した後に、「残るは比與鳥鶴脛の両城なり(132頁)」といっている。そして、則任を追い比與鳥城、鶴脛城…
前九年合戦は、「陸奥話記」より「前九年後三年日本外史衍義」が最も正確ではないか。297ページにわたる情報量、表紙には「皇室」と書かれている。署名であろうか。 著者は当時の漢文などの翻訳者であるらしい。内容は、軍記物語風でなく、情景を細かに記載…
南都田郷土史 268P 高山掃部長者物語 源義家は、藤原光貞の妹を嫁に欲しいと申し込んだ貞任の家来を、日高妙見堂(日高神社)の前にて斬首しその刀を洗いました(太刀洗川) これを見た貞任は、朝廷とはいえ我が家来をかくも易々と我が目の前で首をはねると…
菊池容斎『前賢故実』国立国会図書館 安倍則任妻。不詳姓氏。康平中源頼義討安倍氏。則任妻見軍敗柵陥。告其夫曰。夫子亦将不免。妾義不獨生。請致死于君前。乃抱其兒。躍投深淵而死。衆軍為流涕為。 【意訳】安倍則任の妻について、その出自は不詳である。…
則任の妻が身を投じた淵がどこかによって、前九年合戦の終結の場所が見える。 ・厨川の淵 陸奥話記では厨川柵の深淵とあるが、城堀と理解している。しかし、実際は、そんなに深くはない。 ・北上川 厨川柵から数キロ離れた北上川であろうか、そんなには深く…
国立国会図書館 日本烈婦伝 : 歴史美談 2P 前九年の合戦 則任必死の抗戦も空しく連敗を続け、遂に大詰めの厨川柵の戦に進んだ。然し、ここでも則任は惨敗を喫し、遂に身は鉾で刺されて生捕りにされたが、その傷が重くて死んでしまった。 この話は厨川の柵が…