2024.10.13 日曜日 晴
連合い君が10月4日に違和感を感じ救急車で病院に行った話は書きましたね。
帰宅して月曜日に病院に行ったらと言ったのですが、もう大丈夫だとお尻が重く動いてくれず、また一週間経ちました。
次の金曜日の11日、朝から「病院に行ってこようかな?」と自分から言い出してくれたのでああ良かったと送り出したのです。
これまでのかかりつけ医でなく、近所のクリニックに行きました。
その医院の先生は、スポーツジムで昔から一緒で年も近いし、話が気楽に出来るからという理由でした。
1時間ほど後、スマホの着信が入っきたのですが、取ったときは切れていて、知らないナンバーでした。
アイホンの留守電が今月から機能するようになり、伝言が文字起こしで残ってます。
「すいません。こちら〇町の〇〇ともうします。今日、こちらにJ様が診察に来られたんですけど院内で倒れられ、今救急要請をしてる状態です。すぐにご連絡いただきたい。すいませんよろしくお願いします」
びっくりして、すぐ電話を入れたら、救急車で日赤に搬送するので、直接病院の救急外来に行ってくれとのことです。
タクシーを頼んで、大急ぎで行ったら、私の方が先に着きました。
救急ドクターの説明では、心肺停止状態ので難しいと思いますとのこと。
処置室に運び込まれ、私は彼が所持していた荷物を引き渡されたので、彼のスマホで妹さんに連絡を入れました。
先週病院から帰った後、彼は「妹も呼ぼうかと思ったけど、病院で初対面もなあ〜」と笑って話してたのですが、実際そうなってしまいました。
その後、二人いる弟さんたちにも連絡が取れ、上の弟さんは新幹線で来るので間に合いませんでしたが、もう一人の弟さんと先に来てくださった妹さんと私で、とにかく待ちました。
ジリジリしながら待っていたら、扉が空いて中にどうぞだったかな?
頭がぼーっとして、正確に覚えてないと思うけれど、処置ベットまで行って会わせてもらいました。
その後の説明で 心肺停止時間がながく蘇生できませんでしたと・・・
死因は心臓に繋がる血管が一気に詰まる状態になったのだろうと思われるとのことです。
遺体解剖をすれば詳しい原因がわかると思いますがと言われましたが、生き返るならいざ知らず、心臓マッサージであざだらけの上、これ以上傷つけたくないので お断りしました。
60歳の時に心筋梗塞の発作でステントを入れているので、心臓も血管も弱っていたのだと思われます。
病院で綺麗に処置をしてもらう間に、妹弟さんたちが後の事務手続き、葬儀社を探して搬送と葬祭場を決める等を手際よくしてくださいました。
とにかく、うちに帰ろうねオッちゃん。
私は搬送の車に同乗させてもらい、妹弟さんは別便で我が家に帰り、集合しました。
マンションの我が家に運び上げるのは、男性二人では足りず、葬儀社からもう一人呼び寄せて運び上げてもらいました。
オッちゃんは 自分でも死んだと思ってないような普通の顔をして横たわっています。
起きろって蹴っ飛ばしたら、文句を言いながら起きてきそうな気がしますが、ピクトも動いてくれない。
私一人だったら 何をどうしたらいいか分からなかったでしょう。
しっかりした妹弟さんたちがいて本当にありがたいと思いました。
我が家に安置し、私と猫のミッちゃんとで一晩一緒に過ごせました。
翌日の土曜日
葬儀社の人が来て、再度 詳しい打ち合わせをしました。
前日に聞いていたのですが10月の3連休で、火葬にふせるのが日曜日の午後になるとのこと。
なので、この日に葬儀場に移動し 家族は当日午後1時ごろに着くようにとのことです。
混み合ってるので あまり早くから来られると困るようです。
これからは火葬時間も争奪戦の時代に突入してきそうですね。
昨晩、彼がなにくれとなくお世話になってる友達に弟さんから訃報を伝えていたら、その友人たちに連絡がいって、早速お悔やみに二組の友人が来てくださいました。
他の人たちには、葬儀を全部済ませてから お知らせしようと話し合っていたのですが・・・
近所に住む私の昔からの友達も駆けつけてくれ、皆が帰るまでサポートしてくれました。
そんなこんなで これから火葬場に向かいます。
後で何が何だか記憶が曖昧になりそうなので、心覚に経緯を書き残しておきます。
落ち着いたら、これを読んで 自分自身を振り返ることもできるでしょう。
歯ブラシも もう捨てなきゃね🥲
今は迎えに来てくれる友達を待つだけです。
連合い君が10月4日に違和感を感じ救急車で病院に行った話は書きましたね。
帰宅して月曜日に病院に行ったらと言ったのですが、もう大丈夫だとお尻が重く動いてくれず、また一週間経ちました。
次の金曜日の11日、朝から「病院に行ってこようかな?」と自分から言い出してくれたのでああ良かったと送り出したのです。
これまでのかかりつけ医でなく、近所のクリニックに行きました。
その医院の先生は、スポーツジムで昔から一緒で年も近いし、話が気楽に出来るからという理由でした。
1時間ほど後、スマホの着信が入っきたのですが、取ったときは切れていて、知らないナンバーでした。
アイホンの留守電が今月から機能するようになり、伝言が文字起こしで残ってます。
「すいません。こちら〇町の〇〇ともうします。今日、こちらにJ様が診察に来られたんですけど院内で倒れられ、今救急要請をしてる状態です。すぐにご連絡いただきたい。すいませんよろしくお願いします」
びっくりして、すぐ電話を入れたら、救急車で日赤に搬送するので、直接病院の救急外来に行ってくれとのことです。
タクシーを頼んで、大急ぎで行ったら、私の方が先に着きました。
救急ドクターの説明では、心肺停止状態ので難しいと思いますとのこと。
処置室に運び込まれ、私は彼が所持していた荷物を引き渡されたので、彼のスマホで妹さんに連絡を入れました。
先週病院から帰った後、彼は「妹も呼ぼうかと思ったけど、病院で初対面もなあ〜」と笑って話してたのですが、実際そうなってしまいました。
その後、二人いる弟さんたちにも連絡が取れ、上の弟さんは新幹線で来るので間に合いませんでしたが、もう一人の弟さんと先に来てくださった妹さんと私で、とにかく待ちました。
ジリジリしながら待っていたら、扉が空いて中にどうぞだったかな?
頭がぼーっとして、正確に覚えてないと思うけれど、処置ベットまで行って会わせてもらいました。
その後の説明で 心肺停止時間がながく蘇生できませんでしたと・・・
死因は心臓に繋がる血管が一気に詰まる状態になったのだろうと思われるとのことです。
遺体解剖をすれば詳しい原因がわかると思いますがと言われましたが、生き返るならいざ知らず、心臓マッサージであざだらけの上、これ以上傷つけたくないので お断りしました。
60歳の時に心筋梗塞の発作でステントを入れているので、心臓も血管も弱っていたのだと思われます。
病院で綺麗に処置をしてもらう間に、妹弟さんたちが後の事務手続き、葬儀社を探して搬送と葬祭場を決める等を手際よくしてくださいました。
とにかく、うちに帰ろうねオッちゃん。
私は搬送の車に同乗させてもらい、妹弟さんは別便で我が家に帰り、集合しました。
マンションの我が家に運び上げるのは、男性二人では足りず、葬儀社からもう一人呼び寄せて運び上げてもらいました。
オッちゃんは 自分でも死んだと思ってないような普通の顔をして横たわっています。
起きろって蹴っ飛ばしたら、文句を言いながら起きてきそうな気がしますが、ピクトも動いてくれない。
私一人だったら 何をどうしたらいいか分からなかったでしょう。
しっかりした妹弟さんたちがいて本当にありがたいと思いました。
我が家に安置し、私と猫のミッちゃんとで一晩一緒に過ごせました。
翌日の土曜日
葬儀社の人が来て、再度 詳しい打ち合わせをしました。
前日に聞いていたのですが10月の3連休で、火葬にふせるのが日曜日の午後になるとのこと。
なので、この日に葬儀場に移動し 家族は当日午後1時ごろに着くようにとのことです。
混み合ってるので あまり早くから来られると困るようです。
これからは火葬時間も争奪戦の時代に突入してきそうですね。
昨晩、彼がなにくれとなくお世話になってる友達に弟さんから訃報を伝えていたら、その友人たちに連絡がいって、早速お悔やみに二組の友人が来てくださいました。
他の人たちには、葬儀を全部済ませてから お知らせしようと話し合っていたのですが・・・
近所に住む私の昔からの友達も駆けつけてくれ、皆が帰るまでサポートしてくれました。
そんなこんなで これから火葬場に向かいます。
後で何が何だか記憶が曖昧になりそうなので、心覚に経緯を書き残しておきます。
落ち着いたら、これを読んで 自分自身を振り返ることもできるでしょう。
歯ブラシも もう捨てなきゃね🥲
今は迎えに来てくれる友達を待つだけです。
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